★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

“夫婦別姓”最高裁判決へ(2015年12月16日)

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“夫婦別姓”最高裁判決へ 別姓で生きる一家を取材しました。
フジテレビ系(FNN) 12月16日(水)0時32分配信

あなたはどう考える? 「結婚=名字変更」の現実
TBS系(JNN) 12月17日(木)1時2分配信

日本の「夫婦別姓禁止」は、いつまで続くのか
東洋経済オンライン 12月20日(日)6時0分配信


私が夫婦別姓に興味を持ったのは20歳の時のこと。
当時、新聞記事に「夫婦別姓認められるか?」
という感じの記事を目にしたからだ。

今から23年前。
まだまだ、夫婦同姓での結婚が多く、
別姓など受け入れてもらえない時代。

当時つきあっていた人は長男だった。

長男は、家を継ぐもの。

彼の母親はかたくなにそれを信じて疑わない人だった。

かたや私は長女で一人っ子。

両親は嫁にいってもいいと言っていたが
私は納得できなかった。

どうして、「女」というだけで
苗字を強制的に奪われなくてはいけないのか?
この国は女性蔑視に満ちていると当時感じた。

「女」は男性よりも身分が下。
家事・育児は「女」の仕事。

なぜ?

昭和初期の家長制度を
この平成の世の中になっても
まだ引きずっていると感じた。

夫婦別姓を調べているうちに
ベアテ・シロタ・ゴードンさんにたどり着いた。
彼女の講演会に聞きに行ったりした。

私が公民の教科書でみた
日本国憲法の中にひときわ輝いてみえる条文があった。

憲法第24条(男女平等)
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


この条文は中学生の頃から好きだった。
この条文は22歳だった
ベアテ・シロタ・ゴードンさんが
日本の女性のために、涙を流しながら
がんばって天皇制を変えるくらい大変な苦労をして
入れ込んでくれた条文だったのだ。

詳しくはこちら↓
ベアテさん自伝本:1945年のクリスマス

私は男女平等を憲法に書いた


憲法にこの条文があるのに、
どうして「女のくせに」と蔑まされなくてはならないのか、
私は疑問だった。

色々調べていくうちにそれがわかった。
戦前までの日本女性は身分がとても低かったのだ。

結婚相手も選べない。選挙権もない。
女は、嫁となり結納金と引き替えに男の家に人身売買された。
嫁はその家の子どもを産むための道具であり、嫁ぎ先の奴隷だったのだ。

21世紀、昭和から平成になった今も
家長制度の幻影を忘れられない人たちがいる。

別姓を認めずに「型」にはめることばかり考えている人たち。
「型」に入りきらないのに無理に入れようとするから
歪みが生じているのではないか。

最高裁で、残念ながら違憲判決が出てがっかりしたが
記事をよく読んでみると以前とは違うものを感じた。
テレビや新聞の取り上げ方も
以前とは明らかに違っている。

夫婦別姓なんて、以前は小さな記事にしかならなかった。
最高裁で審判されるのだって初めてのこと。
世論も、選択的夫婦別姓に賛成している人が増えたし
夫婦で別の苗字で活躍している人に理解を示す人も増えた。

もう少し、時間はかかるけど
きっと夫婦別姓が認められる時が来る。


あくまで導入が求められているのは、「選択的」夫婦別氏であり、国民全員が夫婦別氏を強要されるわけではないから、同氏を望む人の利益が害されることは何もないだろう。「個人の尊重」を最重要と考えるのであれば、家族の一体感をどのような形で作っていくかについては、国が決めるものではなく、国民それぞれが自分で決めるべきだという結論になるのは当然だ。

 今回の判決は、「夫婦別氏を認めないことが憲法に違反するとまでは言えない」と判断したにすぎず、「夫婦同氏こそあるべき姿だ」などとは一言も言っていない。結論はともかく、判決文全体から発せられたメッセージは、選択的夫婦別氏を求める人たちにとって勇気づけられる内容を含んだものだったと言えるだろう。


私は息子たちに、そして友達に地道に教えていこう。
苗字が同じことが家族の絶対的な絆にはならないことを。

家族としていられる絆は
お互いを思いやる「心」なんじゃないのかな?