★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

夫婦別姓と憲法第24条改悪案

2004å¹´11月14æ—¥ | â˜…夫婦別姓
夫婦別姓と日本国憲法で書いたとおり、現在の憲法では、夫婦別姓は理にかなっています。
しかし、その憲法を変えてしまおうとする動きが、自民党の中で起こっているのはご存知ですか?
それが、憲法第24条改正案です。しかし、よくない案なので、改悪案と呼ばせていただきます。

下記のサイトは男女平等を否定する憲法24条の改憲案に抗議しています。
詳しい情報は下記をご覧下さい。
STOP!憲法24条改悪キャンペーン

読売新聞の憲法改正試案が上のSTOP!憲法24条改悪キャンペーンのサイトに掲載されていました。「家族」を社会の基本単位だと条項に入れることは、戦前の家制度を復活させるものではないと書かれていますが、「家族」という言葉を入れること自体、「家制度」の復活を意味していると私はどんな屁理屈をかかれてもそう思います。ただ今風に言葉を変えただけで。

こうして考えてみるとなんだか、自民党がとても怖い政党に思えてきました。日本という国を戦前の危ない国に変えようとしている気がします。

基本的人権の尊重は、個人が優先しすぎてて家族を無視しているとか、愛国心が大切とか、子は親を扶養する義務があり、親は子どもを正常に育てる義務があるとか…。

さらには、

「夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない。」
(森岡正宏衆議院議員)

という言い草まで。
夫婦別姓がどうして情けないことになるのかよく分かりません。別姓にすることで、家族をないがしろにしようとはまったく思っていないのに。
なんだか恐ろしい言葉がたくさん並んでいて、吐き気がしました。よくぞそんな言葉を平然と吐けるものだと。

反対意見を言いますと、
まず、個人が優先してしまい、家族を無視するような人間が増えたのは、憲法のせいではないと思います。

高度成長期の親や学校の教育が間違っていたからです。

親は、子どもに何でもかんでも買い与えることがいいことと思い、自由に育てることがいいんだと、買ってもいいものといけないもの、してもいいこと悪いことの区別もつけず、育てました。そんな子どもは当然、個人が優先するように育つに決まっています。
権利を持つというのは、責任がともなうということをほとんどの親は子どもに教えていません。他人の領域を脅かすような権利はいけないことなのだということも教えていません。しまいには親自身や大人たちが他人を脅かすようなことをしているありさまです。
そんな大人たちを見て育つ子どもが、まともな大人として成長するでしょうか。

次に学校です。

私は学校教育に小学校に入学した頃から疑問に思っていました。6歳の子どもでも感じるのですから、やっぱりおかしいのでしょう。
何が変かというと、勉強ができさえすれば、先生や親の言うことを素直に聞いてさえいれば「いい子」という考え方です。
勉強がすごくできても、裏で友達をいじめたり、盗みをしたりする子が「いい子」ですか?
先生や親の前だけ、いいカッコしいの子どもが「いい子」というのですか?

違うと思います。

私の幼少時代もそうですが、今もそういう育て方の親や先生がまだ多いのでしょう。
だから、自分さえよければいいという大人や子どもが増えているのだと思います。

じゃあ、私の思う正しい教育とは何だ?ということになりますね。
それは、
  • 自由や権利にはそれ相応の責任が伴う。
  • 例え子どもでも自分のしたことは自分で責任をもつ。
  • 自分が嫌なことを人にしない。人が嫌がることを無理強いしない。
  • 勉強も大切だが、それ以上に人との繋がりやコミュニケーションの方がもっと大切である。


ということです。
私はこういうことを主に母親に教えられました。
勉強や学校のことは、今まで生きてきてそう自分で感じたことです。


「愛国心が大切」って、憲法で決まっているような押し付けがましく恐ろしい愛国心なんていりません。
愛国心は自然と湧き起こってくるものです。
いまさら、天皇陛下万歳とか、日本国万歳とかどこかの国のように言わせる気ですか?
みんなが一斉に右向け右の世界は想像するだけで、かなり不気味です。

「子は親を扶養する義務があるし、親は子どもを正常に育てる義務がある」

どうして義務と言われ、押し付けられなければいけないんでしょうか。そもそも「義務」ではなく「責任」と言うのではないでしょうか?
それに、その家に応じて、扶養する場合や本人が自立して生きたい場合があるでしょう。家庭の事情は家々によってみんな違うのに、別に義務化しなくてもいいんじゃないでしょうか。

また「自立」という言葉も履き違えてますよね。「自立」とは自分勝手のことではありません。
読んで字のごとく、自分で立って生きていくことです。自分で立って生きていくということは、一人で勝手に生きることではなく、周りと協調しながら、自分らしく生きていくことを言います。

そういう教育を大人も、子どもも、受け、考える時代になったのではないでしょうか。

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選択 (JOHNY)
2004-11-18 01:51:56
自由な選択ということが担保されなくてはならない。

この説明からしなくてはいけないところが一部議員たちの不勉強を物語りますね
返信する
Unknown (たんぽぽ)
2004-11-18 11:09:02
>夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、



こんなことを言う、国会議員がいることのほうが、

よほど情けないでしょうね。

返信する
お返事 (たっちー)
2004-11-22 22:36:48
>JOHNYさん

コメントありがとうございます。



> 自由な選択ということが担保されなくてはならない。



本当にそうですよね。

どうして決められた型にはめられなくてはいけないのか、

まったくもって意味がわかりません。

やはり、画一的な国民に仕立て上げて、戦争を企てようとしているんでしょうか…。





>たんぽぽさん

コメントありがとうございます。

ホンマです。こっちが悲しいくらい情けなくなります。
返信する
憲法改正草案 (たんぽぽ)
2004-11-23 12:32:58
すでにご存知かもしれないけれど、自民党の憲法改正草案が公表されていますね。

(具体的な条文は、まだみたいだけど...)

http://www.janjan.jp/government/0406/0406266100/1.php

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8091/kenpousouan1972inaba.html





ようするに、彼らは、高度経済成長期の核家族あたりを、

「理想の家庭」としていて、そうした家庭こそが、

なにもかもが健全にあると、信じこんでいるらしいです。

そして、現在の家族問題や、少年犯罪の増加などは、

自分たちにとっての「理想の家庭」から外れた家庭で起きると、

理由もなく信じているらしいです。



苗字がひとつでないと、家族の一体感を損なって崩壊する、というのも、

夫婦別姓が、彼らが「理想の家庭」でありえないゆえに、

考えられている、妄想にほかならないです。



もちろん、彼らから、このような事実や根拠を、

しめされたことはないし、そこらじゅう反例だらけです。

いわば、「ユダヤは世界制服をくわだてている」のたぐいと同じ、架空の主張ですよ。

彼らは、カルトか疑似科学の信者のように、

それを妄信しているにすぎないです...



ちまたの議論は、9条に集中するけど(これはこれで大事だけど)、

かかる「とんでも」理論を裏付けにしている、

24条のほうが、考えようによっては、危険と言えるかもしれないです。





憲法改正の手続きもゆるめるつもりだけど、

これ自体、いまの改正手続きによるでしょうから、

そう簡単には、自民党の思惑どおりにはいかないとは思います。

(それでも、なんとか憲法改正の方向に持っていこうとして、

あれやこれやと画策を続けることでしょう...)



いずれにしても、こんなことをまともに主張して、草案まで作る連中が

国政の中枢に相当数いることは、警戒が必要ですが。

返信する
情けなさすぎ (たっちー)
2004-11-24 12:32:08
一つの考え方しか考えられないような国や国民など、想像しただけでも恐ろしく、なんと心がせまいのかとしか思えませんね。



「品格のある国家」などといっていますが、そんなことを言う人ほど「品格」などありません。「品格」という言葉を出す時点でそれ以外を蔑んで、差別しているように聞こえます。

憲法改正草案は品格など存在しません。あの文章に書かれていることは「支配」と「独裁政治」ですね。



24条改正はかなり危険ですね。

どうしたら、止めることができるんでしょうか。



やっぱり新しく独立国を作るしかないかなぁ。

そんなに昔に戻ろうとするなら、さらに昔の大和の国、女王、卑弥呼が統治する邪馬台国を復活させましょうか。
返信する
憲法改正草案 (たんぽぽ)
2004-11-25 11:00:24
おととい、わたしが紹介した憲法改正草案のURLだけど、

ひとつは、かなりむかし(1972年?)のものですね。

(どうもすみませんです...)



janjanのほうは、2004年6月となっているので、今回のものだと思います。

http://www.janjan.jp/government/0406/0406266100/1.php



あと、これが自民党の憲法調査会のサイトです。

http://www.jimin.jp/jimin/kenpou/





>24条改正はかなり危険ですね。

>どうしたら、止めることができるんでしょうか。



国会で賛成が多数を占めないよう、

民主党など対抗政党に、健闘してもらうことになりそうです。

国民審査になったら、絶対に投票に行って、反対する、でしょうか...?



彼らは、自分(たち)の考える「理想の家族」を、

絶対視していて、それを押し付けることが正義とでも、

思い込んでいるのでしょう。「多様な家族を認めよう」なんて、

「悠長」なことなど、考えるはずもないのだと思います...



わたしとしては、むしろ、今回のことをうまく利用して、

自民党の異様さが浮き上がるようにして、

支持率を下げる戦略に出るのが、いいのではと、思いますが。

(こないだの参議院の選挙の前にも、自民党は、民主党をアジっていたけど、

それにつけこんだことは、あまりしなかったような...)





それと、もしよろしければ、わたしのサイトでも、のぞいてみてください。

(書き直したいところだらけの、つたないものだけど...)

反対派たちの異様さについても、書いていますので...
返信する
はじめまして。 (みみた)
2004-12-28 00:30:19
TBさせていただきました。

私も本件深く怒りを感じております。
返信する
違った見方検討されてはいかがでしょうか? (ばん)
2004-12-28 04:50:46
 初めまして。24条で検索していたら偶然ここにたどり着きました。



 皆さんの意見を読む内にふと思うところがありまして、駄文ではありますが私見を述べさせて頂きます。



 考えがうまくまとまらず、大変読みにくいものとなってしまいましたが、この問題は私のなかでもまだ結論が出ていません。誤字や誤変換等見苦しい点もご了承下さい。



 なお、ご指摘、ご意見があればよろしくお願いします。





 さて、常々社会に対して疑問に思うことがあるのです。どうひいき目に見ても、現代の世間は荒んできています。異常な凶悪犯罪が年々増加し、家庭では親が子を、子が親を殺したり傷つけたり・・・



 どう考えてもメディアが発達したから隠れていたものが見えてきたというレベルでは無く、現実の社会が荒んできているのです。



 日本は戦後より、人権尊重、子供の権利、男女供参画社会、平等主義、自由主義といったキーワードを掲げて・・・法律も、教育も、メディアも、これらの言葉を掲げて社会は徐々に改革されてきました。



 その結果、現在の日本はどうでしょうか?



 考えてみて下さい。



 よく知りませんが人類史が始まって数千年。人という種が出てきて1万年?ぐらいですか?まぁ何万年でも良いのですが・・・・



一つはっきりしているのは、



 人類史上、最も人権が擁護され、子供の権利が叫ばれ、女性に対する社会的な保護や保証制度が充実しているのが、今の日本です。



 もちろん、皆さんはそれでもご不満でしょうが、過去の歴史を見る上で、現代以上にこれらが達成されていた国、団体、時代を誰かご存じですか?



 私は歴史について対して知識は殆ど有りませんが、過去の人々の残した文学作品や、歴史資料、その他もろもろの資料を見る限り、次の疑問から脱却できません。



 はたして、現代の子供や女性は、昔の人々と比べて幸せなのか?ということです。



 封建社会の時代、立憲君主制時代を経て、議会制民主主義の仕組みを取り入れた日本は、果たして進化しているのでしょうか?



 封建社会がよい。というわけではありません。また、懐古主義に陥ろうとしているのでもなく、ただ、何かがおかしいと思うのです。これほどの時間を掛け、制度やインフラを整備し、手間暇かけた結果、どうして社会が荒むのですか?



 おそらくどこかで道を間違えたと思います。間違えたところまで戻って出直すべきです。



 24条は個人的におかしいと思います。

 家族の構成は夫婦という柱と、親子という柱があるはずなのに、親子に関する規定がなされていません。



また、婚姻を定めながら家族の規定もないのは不自然です。なぜ不自然かは以下の理由に立脚します。



 まず、先進諸国の憲法と照らし合わせても、こうしたスタイルを取っているのは日本だけだそうです。(社会主義国家以外)



 婚姻の規定など、本来は憲法レベルではなく、法律で定めると言うのがアメリカ、フランスの考え方、憲法で婚姻を定めるイタリア、ドイツなどは家族規定を明記してます。



 日本も、婚姻を憲法で中途半端に謳うのではなく、いっそ削除して法律で規定するか、憲法に明記するなら家族規定をセットにするべきです。



 次に親子についてですが、子供を育てる概念について皆さんは家庭教育をどのようにお考えですか?



 私の祖父は「教育には、徳育、知育、体育の三つに分けられる。」と、言っておりました。(ちなみに私は38、祖父は大正5年の生まれです。おそらくこれは教育勅語の話だと思います)



 すなわち、徳育は家庭で、知育と体育は学校で学ぶのだ、と。

子供を育てるのはとても大変なことだと思います。一人前になるまで衣食住の面倒を見て、・・・・



 しかし、人間社会の中で成人男女を育てるという「作業」をするだけなら、これは他の種類の動物でも(それぞれの動物社会で)やっていることです。



 他の動物も、それはそれは苦労して子孫を残していますよね。

人間と動物の差異は何でしょうか?



 それは道徳教育です。

 家庭が徳育を放棄し、学校に依存するのなら、ヒトという種の尊厳は何をもって言えるのでしょうか?日本の親はいったい“何を”育てているのですか?



 徳育とは道徳を教えることです。それは躾であったり、善悪判断といった初歩的観念から、博愛や責任感などヒトをヒトらしくするための教育です。



 ここで、疑問が一つあります。

 価値観は人ぞれぞれ、と良く聞きます。道徳教育についても“人ぞれぞれ”という人がいます。世間ではこういった倒錯した考えが蔓延しているようです。



 人それぞれで良いのは嗜好や趣味、個人の責任の及ぶ範囲です。これと道徳のような公の概念が同一レベルで語られるのはおかしな話です。



 私は道徳はほぼ一つしかないと思います。例えば殺人はいけない、盗みはいけない、ねたみや、嫉妬もいけないというようなものは万国共通、人類共通(であるべき)概念です。



 そうした観念を教育するのは親の仕事。ということはご理解頂けますでしょうか?また、先人の知恵(おばあちゃんの知恵とか)、世代間で伝承すべき慣習、文化、理念といったもは親から子へ、子から孫へと語り継がれていくものではないのですか?



 それとも、そうしたものは元々人間には備わっていて、わざわざ教わらなくとも良いのですか?(←この考え方に立脚した教育方針が今の日本の教育方針ですが、その結果社会はどうなりましたか?)



 法律や規則で親子の規定をするべきだ。ということは、つまり親の責任を明確にして、親が子をちゃんと育てなさいと言うことです。

 

 残念ながら、現憲法はその部分がまるで抜け落ちています。24条に家族規定を設けるのは、他の先進諸国で普通に行われていることなのです。



 逆に日本だけがなぜこうまで家族を否定しようとするのか、私には理解できません。



 日本の戦後教育は、まず家(先祖との繋がり)を破壊し、次に家族(親子の繋がり)を破壊しようとしています。親が子を導かない社会の到来こそが、今の世の中をおかしくしているのではありませんか?
返信する
ばんさんへ (たっちー)
2005-01-12 13:08:21
ばんさん、コメントありがとうございます。

お返事が大変遅くなってごめんなさい。



ばんさんのコメントが書き込まれてから、ずっと今の今まで私なりの答えを探し、考え続けていました。

私なりの結論がだいたい出ましたので、お答えします。



私は、家族を否定しているわけではありません。

かなり偏見を持つ自民党のプロジェクトチームが家族や共同体の形を定めることに対して、反対なのです。さらに、この憲法の改悪は、まるで男女平等を廃止しようとする動きのように感じるから反対しているのであり、懸念しています。



どうしてそう思うかというと、ジェンダーフリーという言葉を教科書から削除したり、国歌斉唱や国旗掲揚を強制するようになったりする一連の動きに絡んでいるように感じるからです。そもそも上の記事であげたように議員が「夫婦別姓が出てくるような日本になったことは情けない。」という言い草も、男尊女卑、男子が跡を継ぐ家制度が一番いいと言っているように聞こえます。「女は家庭に引っ込んでろ。」とでも言いたいように聞こえてなりません。そんなことをいう人たちがつくる家族の定義は、男は仕事するもので一家の大黒柱だ、女は男の補佐をして家庭を守り、氏は一家で同じものとするなどと、昔の家制度を思わせるものに改正されそうで恐ろしいのです。



けれど、ばんさんがおっしゃるように親子の既定は必要かもしれませんね。



親は子を育て、成人するまで保護し、養う義務がある。

子は一人の人間として、すべての大人と同等の人権を持ち、

幸せになる権利がある。



などと。



しかし、だからといって憲法にわざわざ家族や共同体のつながりや形を定める必要はどこにあるのかちょっと疑問です。家族の形を定めたら、その形からはみ出しているのは家族ではないのでしょうか。そうやって外側ばかりつくって、中身のない家族だったらどうするのでしょうか。



私は家族や地域のつながりは大切だと思っています。人間というのは色んな人々との出逢いや関わりの中で人生を歩んでいくものだと思っていますから。さらに憲法には既に人との関わり合い方の基本が書かれているも同然だと思っているので改正は必要ないように思います。



この日本社会がこんな風になってしまったのは、憲法のせいではありません。今までの日本の教育方針が間違っていたせいだと思います。



> 私は道徳はほぼ一つしかないと思います。



私もそう思います。道徳は万国共通ですよね。ばんさんもおっしゃっているように、この日本という国に足りないものは道徳、いわゆる礼儀とマナーだと思います。

「あたりまえだけど、大切なこと」という本が最近売られていますが、まさにこの「あたりまえだけど、大切なこと」がすっかり抜け落ちており、何一つできない日本人が多すぎます。



あいさつをしない。

ぶつかっても謝らない。

人の話を最後まで聞かない。

騒いではいけないところで平気で騒ぐ。

ゴミを捨てる。



などなど。



日本国憲法でいう道徳とは「公共の福祉」のことだと思います。



日本国憲法ができてから今までの教育は、親も学校の先生もこの一番大切なことをきちんと教えていません。私は親からは道徳をみっちり教えられましたが、学校からはまったく教わりませんでした。

そうやって、道徳を大切だとも思わなかったのか、当たり前すぎてわざわざ教える必要もないと思いこんだのか、いつの日からか、勉強ができさえすれば、学歴が高ければいい人間という風に育ててきた結果が、現在の人間性の低さ、家族や地域のつながりの希薄さに現れているのではないでしょうか。



挙げ句の果てには「ゆとり教育」で、国民のおバカを促進させています。ゆとり教育では一番大切なこの道徳の授業をなくしてしまいました。そのかわり、まるで昔の「大日本帝国万歳」というような考えを洗脳するかのような「心のノート」とかいうものを学ばせています。



個人と男女と夫婦、親子、家族、地域のあり方はこの「あたりまえだけど、大切なこと」である道徳を教えることで十分ではないでしょうか。基本理念は憲法のとおりでまったく問題ないと思います。この日本国憲法は世界一素晴らしい憲法だと私は思っています。



年寄り議員や年配者たちが、若い人たちへの教えが足りなかった自分たちの不甲斐なさを棚に上げて、すべて憲法のせいにして、それを改正すればいいだなんて安直に考えるのがなんとも浅はかな考えで、おかしいと思っています。



根本の精神を正さなければ、いくら法律で押さえつけても、この国は変わることはないと思います。



これからの日本は、法の下の平等と基本的人権の尊重を元に、公共の福祉をきちんと守ることができる、あらゆる人とのつながりやつきあい方を大切にし、お互いの違いを認め合いながら助け合える社会をつくるべきなのではないでしょうか。



>法律や規則で親子の規定をするべきだ。ということは、

>つまり親の責任を明確にして、

>親が子をちゃんと育てなさいと言うことです。



このご意見には少しばかり賛成です。

どちらかというと憲法を変えると言うより、民法に加えるべきことのような気もしています。

「夫婦が同等の権利を有することを基本として」を削除するような行為に及んだら、それはけして許せないことだと思います。



本当の男女平等社会の国はまだありません。前人未踏です。

けれど、日本という国が世界に先駆けて、

その本当の意味での男女平等社会になれたらいいなぁと思います。

世界一素晴らしい国だと、国民も世界の国々からも、思い思われる国になってほしいです。
返信する
自由 平等 (ばん)
2005-01-14 15:05:05
 たっちー様。



 私がこのような考えをするようになったのは、ここ数年、前述の意見が述べられるようになったのはここ数ヶ月のことです。



 それまで私は、自由、平等、人権といった言葉を掲げる運動、思想には殆ど無条件に賛意を抱いていました。



 今は、こうした考えには批判的です。

なぜなら、自由、平等、人権がどのようにして社会に浸透してきたか、歴史を多少学んだからです。



 さて、たっちーさんはジェンダーフリーという言葉が日本で作られた造語であることはご存じですか?



 また、ジェンダーフリーに賛成とのことですが、

マネーとタッカーの著作はご存じでしょうか?

「双子の症例」です。



 日本のジェンダー運動を推進しているのは

大沢真理・東大教授

上野千鶴子・東大教授

船橋邦子・和光大学教授(佐賀県立女性センター初代館長)

社民党党首

等、学会や政治で指導的立場におられる方々です。



 これら推進派の人々が主張するジェンダー論の根拠がジョン・マネーというアメリカの学者が唱える学説なのだそうです。



 マネーの学説は

「ヒトは生まれたとき、肉体的な性差を持っているが、精神的には中性で、性格的、精神的な男らしさ、女らしさはその後の環境や教育で左右される」

というものです。



 マネーはこの学説の裏付けとして、事故で性器を損傷した一卵性双生児(男の子)の一人に去勢手術を施し女の子(ブレンダと改名)として育て、もう一方を通常の男の子として育てた症例を発表しました。



 遺伝子上同一人物である片方を女、片方を男として育てた結果、女の子は女らしく、男の子は男らしく育ったというのです。



 この学説は70年代アメリカで主流となり、欧米における女性解放運動家の強力な学術的後ろ盾となります。

 マネーの双子の症例は、現代でも日本の大学の女性論などの講義では教科書として使われているそうです。 



 しかし、90年代にはいり、この学説は嘘であったことが判明するや、欧米では女性解放運動の団体でもジェンダーという言葉を使わなくなってきているそうです。



 2000年に邦訳が出版されたジョン・コピラント著「ブレンダと呼ばれた少年」は、双子の症例で取り上げられた兄弟が、マネー博士の研究発表と大きく異なっていることを取り上げています。



 事実上マネーによって人体実験をされたブレンダちゃんは、やがて真実を知らされデイビッド氏になりますが、昨年秋に拳銃自殺しています。



 日本でも、こうした事実が浸透し始め、今年になって政府もジェンダーという文字を使わなくなりました。



 さて、ジェンダー論の根拠となる学説は嘘であったことが露呈してもう何年か経ちます。先に紹介した運動の推進者達も、学説が成立しないことをご存じの筈です。



 にもかかわらず、未だにジェンダーを唱えるばかりか、マネーの学説を大学で教えているのです。



 明らかに確信犯です。



 次に平等という言葉の悪用について、それから、自由には二つのアプローチがあることについて書こうと思いますが、



 長文になりましたので一度区切ります。

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