はてなキーワード: 流星群とは
雑誌にはクソみたいな作品も載ってるからそれに金を払うのがイヤなんじゃない?俺自身は、『セシルの女王』きっかけでビッグコミックオリジナル読み出して、他の作品もだんだん読み初めて今はほぼ全部読んでる。『ミワさんなりすます』『まるさんかくしかく』『んば!』とか面白いよね。世間一般では『釣りバカ日誌』『黄昏流星群』『三丁目の夕日』の雑誌と思われてるだろうけど。ただ、『昭和天皇物語』だけはダメ。何で今あんな昭和天皇擁護(というよりほぼ礼賛)マンガをかくのかね。特攻始まっちゃったけど。絵の人はあんなの描いててうれしいの?あと登場人物の顔が全員水野晴郎。「ナニそれ」って思うかもしれないが、実際全員水野晴郎だから。
(追記)
雑誌と言えば、『ガラスの仮面』の今ではなかったことにされてるアナザーストーリー、連載時に「花とゆめ」買って読んでたんだよね。雑誌は捨てちゃったんだけど、今めっちゃ後悔してる。とっときゃよかったよー。雑誌には希にこういうこともある。
蒸発するつもりだ。友人からそう打ち明けられたのは、私が彼女が何とか真っ当に生きられるような道を探している途中、私は私で真っ当に生きられるように道を探している途中で、築ウン年の我が家、ボロアパートのベランダで流星群を探して二人して煙草を吸っている時のことだった。
ただ漠然と、寂しいなと思った。
若い頃悪い男にいいようにペットにされて、不運に借金にまみれ、女はみんな彼女に寄生したがり、男はみんな彼女を足元に敷くカーペットにしたがる。
誰も私のことを知らない土地で、一人で何のしがらみもなく生きたい。
少し前まで「死ぬしかない」と言っていた彼女がそう言えたことは私にとっては福音にも近かった。
生きていてくれるならそれで良かった。
私の隣にいなくても、何処かで幸せになってくれるならそれで良かった。
私は徹底した個人主義者だ。血も涙もないと思われがちな人種だ。
それでも私に心残りがあるとするなら、彼女と一緒に泥まみれの中で苦しんでいた中から、私だけ救われてしまったことだ。
本当に些細な、しかし絶大なきっかけで、「私はこの場所で私であるまま一人で生きていく」ということを神様から許されてしまった。
じゃあ彼女は何故それが許されないの?
私と彼女に何の違いがあるの?
私は私で泥の中にいる時に、「何で友達は円満家庭に生まれて暴力も知らずに生きてきたのに、私はこんななんだろう。私と友達に何の違いがあるのだろう」と本気で苦しんでいた。
泥から抜けて熱いシャワーを浴びている間もそれに苦しみ、しかしふかふかのバスタオルで体を拭く頃にはまだ泥の中にいる彼女を振り返ることしかできない。
理性では「それが生きるということだ」と理解している。
弱肉強食は人間が文明社会を築くようになってからも明確な、しかし透明なルールとしてこの世の中に残っている。
私は生きるために弱者を食い物にすることを躊躇ってはいけない。しかし躊躇ってしまう。私も弱者だから。
計画を進めていると友人からぼんやり打ち明けられた。最近調子どう?と気軽なLINEをした時のことだった。
そうか。としか思えなかった。
一緒に泥の中にいられなくてごめん。そう思えなかった。
私はもうそういうことが出来なくなってしまった。そう思ってしまった。
私はここで生きるから、あなたはどうか何処かで生きて。それしか思えなかった。
私は薄情だ。
この世の中は薄情だ。
職場で流星群の話が出た。来週付近くらいで東の方角に流星群が降るらしい。
自家は新潟の田舎で、高校生時代はこういう情報は当時付き合ってた元カノが好きで教えてくれて、自分も流星群が好きだと思ってた。
別れたら情報もなくなってまるで見に行かなくなって、今日職場で話を聞いて、あの2人で見てる時間が好きだったんだと悲しくなった。
あの頃はよかったなあ
心が虚無で満たされると「黄昏流星群」を1巻から読む。大体話を覚えてないからいつだって新鮮な気持ちで読める。オムニバスなのでどこから読んでもいいので大河島耕作に比べて手に取りやすい。人の恋愛はどうでもいいけど、人生どうにかなるさねケ・セラ・セラ感が虚無で満たされた心にはいいのかもしれない。そんな虚無に効く漫画他にもあったら教えてください。
何を書こうか忘れてしまった。何かしら人生の目標のような、諦観のようなものだったと思う。
そのことを思い出そうと試みる。そのことを思っていた時はたしか車に乗っていて、退勤ラッシュなのに広い道路を法定速度で走るものだから、どんどんと大きい車がビュンと追い抜かしていって、なんだか流星群の中にいるみたいだとか、大きな蛇に丸呑みにされているようだとかそんなことを考えていた。肝心な内容は思い出せない。こうなるととっても意味のあるものだったような気がする。ポイを破った金魚をいつまでも目で追うように、こぼれ落ちたものを欲しがるのは悪癖だ。
こんなふうに寄り道に逸れていくから何も覚えていないんだと分かったことは良かったが、やっぱり思い出したい。
誰かに贈る言葉だった。そう、誰かに伝えたい言葉だった。自分以外の、人に言うほどのことではないことで落ち込んでいる誰かに。
何を書こうか忘れてしまった。何かしら人生の目標のような、諦観のようなものだったと思う。
そのことを思い出そうと試みる。そのことを思っていた時はたしか車に乗っていて、退勤ラッシュなのに広い道路を法定速度で走るものだから、どんどんと大きい車がビュンと追い抜かしていって、なんだか流星群の中にいるみたいだとか、大きな蛇に丸呑みにされているようだとかそんなことを考えていた。肝心な内容は思い出せない。こうなるととっても意味のあるものだったような気がする。ポイを破った金魚をいつまでも目で追うように、こぼれ落ちたものを欲しがるのは悪癖だ。
こんなふうに寄り道に逸れていくから何も覚えていないんだと分かったことは良かったが、やっぱり思い出したい。
誰かに贈る言葉だった。そう、誰かに伝えたい言葉だった。自分以外の、人に言うほどのことではないことで落ち込んでいる誰かに。
https://news.yahoo.co.jp/articles/06fb7953cbf2688b9cb0c3e16bb8e3e16f2b928e
素敵だ。
しかし子供のころは、なぜ一般的に言って星空の観察に冬が最適なのか意味不明だった。8、9割曇天と雪ではないか。
その後知識としては理解したけど、こういうのは非雪国人の感覚なんだって、そのあと引っ越して初めて体感した。太平洋側は冬は晴れていて、本当に空気が澄んでいるんだ。乾燥してるけど。
駅伝とかマラソンについても天気は晴れだし熱中症にはなりにくいし、箱根駅伝などのイメージもあってそう言われるんだろうな。
地元の陸上部は靴に何かスパイク的なものをつけて、ザックザック・カリッカリッと走ってた。