大塚北口診療所ではセカンドオピニオンを行っていますが、
その多くは、
「標準治療は受けたくない」という患者さんご家族からです。
何回も書いているとおり、
エビデンスに従った、
標準治療的に最大耐用量の細胞毒を注入する、
まさに拷問のような治療を、
自分や、自分の親には受けさせたくない、
という患者さんご家族からの依頼です。
あの拷問の実態を知っていれば、
あるいはデータだけでもアタマにあれば、
受けたくないのは誰しもが願うことだと思います。
標準治療では、
患者さんが副作用に苦しみ、
副作用の元凶である細胞毒の減量を懇願しても、
最大20%引きまで、
副作用などあまり変わらない、
80%の量は患者さんが拒否しても注入されてしまいます。
30%50%引きにしてくれと懇願しても、
「そんな量では効かない」と、
一蹴されてしまいます。
何故20%まで減量するのに、
30%以上はないのか。
それはすべて製薬会社が資金を提供して、
それに医者が群がり、
協同で作り出したエビデンスだからです。
エビデンスは莫大な資金が必要な大規模臨床治験などを経て、
作り出されます。
その数字の信憑性は、
昨日の「がん治療データの観かた」でも書いたとおり、
とても鵜呑みにできる数字ではありません。
その薬剤を使って欲しいと考えて、
治験を行い莫大な研究費をばら撒く製薬会社が望む方向に、
数字は自然にシフトしていくことは、
人の情だと思います。
それはともかく、
その人情が入っていなかったと仮定しても、
お粗末なデータです。
患者さんは納得できないであろう、
そのお粗末なデータをエビデンス・錦の御旗にして、
標準治療は執行されますが、
そのエビデンスを得るための治療の段階で、
開始時点ではすべての被験者となる患者さんに、
全員同一の量、間隔で薬剤注入が執行されますが、
当然、その中には、
その副作用に耐えられない患者さんも出てきます。
その時に白衣の閻魔様は、
渋々20%引きまでの許可を下します。
もしも、その20%引きでも、
副作用が容認できないような患者さんでは、
閻魔様から「根性無し」の烙印を押され、
その治験からは追放処分になります。
除外症例です。
すなわち、その治験のデータの一つにはなりません。
したがって、
あの患者集団から得られたデータは、
80%~100%の間で細胞毒の注入が執行され、
その苦痛に耐え抜いた、
云わばエリート患者集団でのデータです。
それ故、70%や50%の量で、
その薬剤を使った時のデータは存在しなくなります。
だから「そんな量では効かない」という言葉が、
簡単に出されてきます。
しかし冷静に考えてみてください、
そんな量でのデータが無いのですから、
「効かない」という断定は、
誰にもできないのです。
製薬会社も、
根性無しの離脱患者群を集めて、
「50%・30%の量で再試行してみましょう」
などとは絶対に言い出しません。
もしも、半量のほうで良い結果が出てしまったなら、
その薬剤の消費量、売り上げは半分になってしまいますから。
一方「100%の量で使えば確実に効く」という保証は、
まったくありません。
その拷問治療で、
延命効果どころか、
苦しんだ挙句、
敢え無く副作用死をされる患者さんも出ます。
あの臨床データは、
すべて何百、何千という数の患者群でのデータです。
千人の患者さんでは、
千通りの経過があります。
副作用も効果も千通りです。
一人の患者さんが、
1番から1000番の何処に位置するのかは、
実際に刑の執行を待たなければ分かりません。
延命効果が得られる患者さんも、
副作用死をする患者さんもいます。
ただ確実に約束されているのは、
人間が耐えられる最大量の細胞毒を注入された場合、
軽重差はあっても、
副作用が出ない患者さんは居ないということです。
本日は父親の命日です。
暑い暑い夏の日の夕暮れ時でした。
入院していた病院の主治医は呼ばずに、
最期は私が診ました。
親不孝者の息子は、
本日墓参りに行きませんでした。
しかし、千人の患者の中では、
かなりの特等席で人生を送ってもらうことはできたと思います。
お盆で、すでに戻ってきているかしら。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
その多くは、
「標準治療は受けたくない」という患者さんご家族からです。
何回も書いているとおり、
エビデンスに従った、
標準治療的に最大耐用量の細胞毒を注入する、
まさに拷問のような治療を、
自分や、自分の親には受けさせたくない、
という患者さんご家族からの依頼です。
あの拷問の実態を知っていれば、
あるいはデータだけでもアタマにあれば、
受けたくないのは誰しもが願うことだと思います。
標準治療では、
患者さんが副作用に苦しみ、
副作用の元凶である細胞毒の減量を懇願しても、
最大20%引きまで、
副作用などあまり変わらない、
80%の量は患者さんが拒否しても注入されてしまいます。
30%50%引きにしてくれと懇願しても、
「そんな量では効かない」と、
一蹴されてしまいます。
何故20%まで減量するのに、
30%以上はないのか。
それはすべて製薬会社が資金を提供して、
それに医者が群がり、
協同で作り出したエビデンスだからです。
エビデンスは莫大な資金が必要な大規模臨床治験などを経て、
作り出されます。
その数字の信憑性は、
昨日の「がん治療データの観かた」でも書いたとおり、
とても鵜呑みにできる数字ではありません。
その薬剤を使って欲しいと考えて、
治験を行い莫大な研究費をばら撒く製薬会社が望む方向に、
数字は自然にシフトしていくことは、
人の情だと思います。
それはともかく、
その人情が入っていなかったと仮定しても、
お粗末なデータです。
患者さんは納得できないであろう、
そのお粗末なデータをエビデンス・錦の御旗にして、
標準治療は執行されますが、
そのエビデンスを得るための治療の段階で、
開始時点ではすべての被験者となる患者さんに、
全員同一の量、間隔で薬剤注入が執行されますが、
当然、その中には、
その副作用に耐えられない患者さんも出てきます。
その時に白衣の閻魔様は、
渋々20%引きまでの許可を下します。
もしも、その20%引きでも、
副作用が容認できないような患者さんでは、
閻魔様から「根性無し」の烙印を押され、
その治験からは追放処分になります。
除外症例です。
すなわち、その治験のデータの一つにはなりません。
したがって、
あの患者集団から得られたデータは、
80%~100%の間で細胞毒の注入が執行され、
その苦痛に耐え抜いた、
云わばエリート患者集団でのデータです。
それ故、70%や50%の量で、
その薬剤を使った時のデータは存在しなくなります。
だから「そんな量では効かない」という言葉が、
簡単に出されてきます。
しかし冷静に考えてみてください、
そんな量でのデータが無いのですから、
「効かない」という断定は、
誰にもできないのです。
製薬会社も、
根性無しの離脱患者群を集めて、
「50%・30%の量で再試行してみましょう」
などとは絶対に言い出しません。
もしも、半量のほうで良い結果が出てしまったなら、
その薬剤の消費量、売り上げは半分になってしまいますから。
一方「100%の量で使えば確実に効く」という保証は、
まったくありません。
その拷問治療で、
延命効果どころか、
苦しんだ挙句、
敢え無く副作用死をされる患者さんも出ます。
あの臨床データは、
すべて何百、何千という数の患者群でのデータです。
千人の患者さんでは、
千通りの経過があります。
副作用も効果も千通りです。
一人の患者さんが、
1番から1000番の何処に位置するのかは、
実際に刑の執行を待たなければ分かりません。
延命効果が得られる患者さんも、
副作用死をする患者さんもいます。
ただ確実に約束されているのは、
人間が耐えられる最大量の細胞毒を注入された場合、
軽重差はあっても、
副作用が出ない患者さんは居ないということです。
本日は父親の命日です。
暑い暑い夏の日の夕暮れ時でした。
入院していた病院の主治医は呼ばずに、
最期は私が診ました。
親不孝者の息子は、
本日墓参りに行きませんでした。
しかし、千人の患者の中では、
かなりの特等席で人生を送ってもらうことはできたと思います。
お盆で、すでに戻ってきているかしら。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。