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ウエスト・サイド・ストーリーの2021年版

スティーブン・スピルバーグがウエスト・サイド・ストーリーを製作していたなんて全く知らず、と言うか、多分片耳で聞き流していたモンペリエっ子でしたが、人生とはよく出来たもので、昨晩偶然テレビで見つけました。

大昔に見たアーサー・ローレンツ/レナード・バーンスタインによる最初の作品の思い出は漠然と残っていますが、詳しいストーリーもほぼ忘れていたみたいです。それと比べると、何度も聴き直した音楽だけは耳に残っています。メイン・テーマはフルートでもよく吹いていました。

ダンスのシーンも、その後に現れた振付師たちに大影響を与えたので、舞台で見る踊りにウエスト・サイド・ストーリーの影響を感じたりすることもありました。そう言う意味で、全く古びていません。

人種・民族間の敵対は未だに続いているし、綯張り争いも終わる気配は見えません。永遠のテーマとしては、もっと快いものが一杯あると思いますが、ロメオとジュリエット話はまだまだ続きがありそうです。

上映時間が超長くて(156分)昨夜見終える時間がありませんでしたが、ちょっと名残惜しかったので、TV on demandで探したらありました。悲しい結末を見る機会でしたが、見られて良かったと思います。

批評などする気になれないほどノスタルジーに浸る今宵です。ダンスのシーンの迫力が素晴らしく、映画としての部分と歌われる部分が巧みに混じり、両立していたと感じました。シェルブールの雨傘、ロシュフォールの恋人たちもこんな感じでした。


「こんなふうに生きていけたらな」その2

何故昨日見た映画に惹かれたのか、はっきり言ってありませんでしたが、実を言うと主人公がThe Tokyo Toiletの従業員として公衆トイレの掃除夫をしているのが決め手でした。

一般的な見解としては、最後の最後に、どうしても仕方無いから、生き延びるためにやるしかない「汚い」仕事と映ると思います。どうせ汚くなるのだから、適当に清掃しておけば良い場所と思って取り組む人もいるかも知れません。

しかしながら、我が最愛の弟が、止むを得ず引き受けた一時凌ぎの仕事でもありました。彼の娘が筋無力症を発症したのは20歳の、これから花盛りと言う年でした。

日々悪化する症状に追いつかれながら、介護にかかる時間も増えるばかりでした。そのような状態で弟自身が定年に達し、年金が満額になるまで食い繋ぐ必要がありました。

介護と援助に必要な時間を確保できる仕事を探している内にみつけたのがトイレ掃除であったと言う次第です。今も続けているのか聴いていませんが、頑張り屋の彼なので、必要な限りやるべきことを続けていたと思います。

最近は少し楽になっているようなので安心していますが、親子とも立派だと感心せざるを得ません。姪は動けなくなっているのに、脳を働かせてネットビジネスを展開して、家賃を自分で稼いでいるそうです。

弟がしていたトイレ掃除の仕事がどんなものか、具体的に見たくて、この映画に見入りました。

その結果思ったことですが、映画の主人公が完璧な清潔さをもたらす様子を見ながら、汚い仕事は無いと確信しました。彼は仕事に身を入れることによって、不人気な職業とその成果を高貴なものにしています。

フランスだったら、清掃中と看板が立てられているトイレに押し入る人はいませんが、あたかも「私は高貴な人」と言いたげに踏み込んでくる利用者が醜く見えました。

一番不快な人物は、若い母親でした。子供を迷子にしたくせに、トイレで泣いている子供の手を取って母親探しに向かったトイレ清掃人に対して、ありがとうでもなく、殺菌ティッシュを取り出して手を拭くことしか考えない態度でした。

汚さの定義をし直す必要がありそうな世の中ですね。

この映画を観たおかげで、弟に対する尊敬が増しました。

「こんなふうに生きていけたなら」

今日は急に決心して、役所広司主演の映画Perfect Day(タイトルはキャッチコピーです)を観て来ました。夕方4時頃に始まって6時過ぎに終わる時間帯なので好都合でした。来週はもっと遅い時間帯なので、グズグズしていると見損なうと判断しました。

きっかけは運動療法士との会話でした。彼が世話している女性患者2人が、口を揃えて絶賛したと聞くと、行かずにいられなくなりますよね。

今年はクリスマスの義務が解かれたので、自由気侭に振舞えます。午前中はフルート。午後はピアノを弾き終えてからの楽しい外出でした。

ドイツ人のヴィム・ヴェンダース監督の映画ですが、これほど日本の精神に近付いていることに慄きを感じました。同時に何処か客観的な面もあるので、泥臭さ無しで日本らしさに浸りました。

秒刻みで同じことが繰り返されているように見える生活描写が進みますが、細やかな感受性、優しさ、言葉にならない思いがひしめいている感じがしました。全てアナログな世界に留まる主人公を見ながら、最初は1980年代以前の舞台設定かと思いましたが、現代です。

久し振りに見るカセット・テープ、それから流れる音楽など、様々な要素が、知らず知らず、観る者を過去に追い戻しています。

2時間15分近く続いた長い映画でしたが、役所さんの優しい目つきに惹かれて、時間が経つのを忘れていました。

嫉妬・失望と呼べそうな気持ちに苛まれて、自棄酒、自棄煙草と呼べるものを買った主人公が「競争相手」から真実を知る場面で、初めてこの人にも密かに成長していた情熱があったのだと実感させられます。可愛らしさ、人間性に触れて微笑んだモンペリエっ子です。

街の中心にあるDiagonalと言う映画館では、字幕付きで原語の映画を観られるので、来週も多分日本映画を鑑賞する機会が持てそうです。

ちょっと思い出しただけ...

仏語タイトルが「東京のランデヴー」となる日本映画「ちょっと思い出しただけ」を観て来ました。全く予定していなかったお出かけですが、友人から声がかかったので、軽い足取りで向かいました。

全く先入観も予備知識も無しで観た映画ですが、良い印象が残っています。

一見不器用に見えるのですが、構造がよく考えて組み立てられていて、単調な繰り返しが嫌と言いたくなるほど使われています。主役の誕生日の周囲で数年が示されます。

毎年同じように見える背景と時間設定の中ですが、時と出来事が、あるカップルの出会いと破綻を決めて行く様子を見守ります。

映画にある程度の重みを与えるのは、ダンスに捧げる情熱ですが、主役が事故で踊れなくなることにより、人間関係そのものが全て見直されて行くことが、ドラマにある程度の深みを与える助けになっています。

カレンダーが頻繁に表示されますが、曜日だけが変わっていて、年が違うと教えてくれます。愛し合っていた筈なのに、何時の間にか歯車がずれて行き、擦れ違って行く理由を時を遡りながら探しますが、答えはNo returnみたいです。

尻切れトンボ風と言えなくもありませんが、ハッピイ・エンドなどお伽噺の世界の話になっている今日なので、不条理な世界への入り口を見た思いになるしかありません。

かと言って絶望感も無く、人生のひとコマを描くならこんなものでしょうか、と言う自嘲も遠くないような気がします。

まだ若い監督なので、もっと希望に満ちたモノを書けば良いのに、と思うのは年寄りの余計なお世話であり、それなりのメルフェンの世界に誘い込む巧みさもあると感じました。

記憶に残る名言は、タクシー運転手になったヒロインが、「何処も行きたいと思う場所が無いので、タクシーに乗る客を行き先に送ることで旅した気になれるからこの仕事が好きだ」と言うくだりでした。

音楽好きな音痴の話

今晩はテレビのON DEMANDEプログラムで「マルグリット」と言う映画を観ています。相当な音痴なのに音楽がこの上なく好きで、舞台に上がるのが夢。実話(Florence FosyerJenkins)に基づいた映画化ですが、カトリーヌ・フロと言う女優がオペラ歌手として熱演しています。

ここまで書いて、映画を観終える暇が無かったので放置したのが3日前のことで、昨日と今日合わせてやっと2時間ほどの映画を観終わりました。

自分も音楽をやっているので反省させられる面もありますが、幸いにもモンペリエっ子の周辺には、このように煽て上げるハイソサエティも山師もいません(苦笑)。お金が無いと全てシンプルになります。笑

逆に、滅多に褒めない人ばかりの世界なので、こきおろされる方が普通です。下手に煽てられると、下心は何?と疑ってしまうほどシビアです。笑

さて、映画の終末に主役のマルグリットがやっと本当に歌えるように聞こえるシーンに至るのですが、そこで彼女が吐血し、病院で目が覚めた後は、狂気に走るように見えます。

はっきり表現されてはいませんが、マルグリットが歌で自己主張するのは、無視している夫に認めてもらいたいからだと想像が付きます。愛されたいから歌っているのに、旦那さんは醜いシーンを避けるために逃げ回り、愛人も作っていました。

マルグリットを支える忠実な僕の存在も忘れられません。彼女に惚れ込み、蜃気楼のような成功を支える陰の役者になっています。

映画批評と言うにはあまりに貧しいコメントばかりですが、今晩は映画を1時間以上観た後なので、あまり書く時間が残っていません。ゆっくり見直して、また新たな発見をしたいと思うような映画です。