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自己暗示の威力

時々目を通しているメルマガに次のような引用がありました。思い出すことがあったので掲載します。 

『妻に対して心がけていることが一つある。
   晩飯を一口、口にしたところで、
   「ああ、うまい!」と小声で叫ぶのだ。
   おいしかろうとまずかろうと、いつもそういう。
   これは、半分は自己暗示のためである。
   「うまい」と叫ぶと本当においしく思えてくるものなのだ。
   半分は妻への感謝である』 斎藤茂太

父のやり方にそっくりです。今は亡き父ですが、褒め上手だったと思います。料理が特別好きではなかった母を力づけるためだけでなく、子供にも新しい味覚を教える手段でした。子供が即座に食べたがらないような食材が食卓に出る時、父が率先して箸を運び、「旨いよ、食ってみろ」と号令をかけていました。「旨い」の連発に、何時か子供たちもその気になってしまい、皿が空になるのでした。苦手だったピーマンも何時の間にか好きになりました。

父による味覚教育は、その後、私の料理独学においても役に立ちました。新しい食材に出会う時、どうすれば美味しく食べられるか考えます。旨いものであると確信しているので、その食材の隠れた特性を引き出すために努力したくなるのです。一見とっつき難いものでも、次第にレパートリーに入っていきます。レシピーを読むと助けになりますが、参考にするだけで、自己流に仕上げるのが楽しみのひとつになりました。

これは自己暗示の威力ですが、何に関しても適用できるような気がします。嫌な仕事でも、その意味と、結果として得られる利点を考慮に入れると、次第に望ましいものに思えてきます。できが良いと、ひとりで「よくやった」と言ってみたりするのも励ましになります。

しかしながら、自己暗示にも限界があるようです。いくら努力しても、嫌悪感の残る食物に関しては無理しません。例えばカタツムリですが、何回か賞味してみました。ブルゴーニュ風だと、要するにニンニクとパセリ入りのバターの味しか感じられないので、かなりすんなり呑み込めますが、そのカタツムリがナメクジの仲間だと思うと吐き気がします。アワビも軟体動物だからとか考えると情状酌量の余地があるような気もしますが、やはり気味悪い存在のままです。と言うのも、ある日山奥の墓地で、20センチを超える、どでかいナメクジを見たことがあるからでしょう。これにはどんな努力をしても抵抗できません。