はてなキーワード: ヒューマとは
なんなら言葉遣いなんかため口でも何でもいいし見た目もどんだけぶっ飛んでてもいい。
まずSとMとLでやってるコーヒーチェーンとかあるけどあほだと思う
日本人の発音する「えす」 「えむ」 「える」は結構音が似ているし、
日本人はその辺の発音のエッジ効いてないし聞く側も聞き分ける耳もない
俺は前の職場でよく立ち寄るコーヒーショップがSMLシステムで
もうどんな速度やタイミングで「え!る!」と言っても「えるですね?(orえむですか?)」と聞き返されて(俺以外も頻繁に確認されてた)
システムと店員とその場全体の愚鈍さに気が狂いそうになったので「いちばん大きいサイズ」というようになった
つか英語圏でも聞き間違ったらまずい場面は「えーびーしー」ではなく「あるふぁぶらぼーちゃーりー」なわけじゃん
なので俺はコーヒーはもう「いちばん大きいサイズ」って言ってるどこでも
お互いにそういう無駄を省くために「いちばん大きいサイズ」っていう どこへ行ってもそれ
たとえレギュラーとラージのとこでもえすえむえるのとこでも「いちばん大きいサイズ」なら店員側も判断迷わないじゃん?
であるのに
このあいだローソンでアイスカフェラテ頼むとき「いちばん大きいサイズ」って言ったら「ラージですか?」って言われて
「いやこの店のアイスカフェラテの一番大きいサイズはメガじゃね?」っていうやりとりがあった
だから知恵を絞って一番聞き間違えも判断迷う余地もない・かつどの店でも使える注文方法をしてるのに
「いちばん大きいサイズ」って頼んで「ラージかメガか」って確認されるならどうすりゃいいんだ?
人手不足のおりコンビニ店員みたいな仕事は人間がやらんでよろしいAI仕事だといわれる
早く全面AIになってほしい
去年の初め頃に前オーナーが引退して店が新オーナーの物になり、従業員たちもまるっと好条件で再雇用された。以降、前オーナーの店だった頃の悪習が断たれて当店は売上を回復し、まぁまぁ平穏な店になった。
とはいえ、昼間の売上はいまいち伸びないらしく店長(オーナーの息子で準夜・夜勤担当)は頭を悩ませている。問題だらけだった夕方の売上は劇的に改善されたが、それは不真面目モンスターアルバイトが不正をしづらくなったことに見切りをつけ一度に去り、比較的真面目な奴らだけが残ったためであり、昼勤の人たちには加齢してみんなおばさんになった以外特に何も変わったことはないので、改善する余地は特にないから仕方ない。
昼勤の人達がメンバー交代せずみんなおばさんになったことは、男性客の入りにはちょっと影響がありそうではある。やっぱりピチピチの若い女の子の集客力はエグいし、美人で若く見えるアラフォーの女というのも男から見て気安い様で客を集めがち。ちなみに、単に若い女の子というのはあまり客を集めず、空気の様に存在感が希薄で顔も覚えて貰えないがち。それよりは癖の強めの若い男の子の方が、からかいがいがあるらしくおじさん・おばさんから人気があると思う。しらんけど(しらんのかい)
昼勤の人たちは、6年前私が当店に勤めだした頃は美人揃いだったが、全員だいたい同じ頃に一気に老けて誰? って感じになった。しかも派手めなギャルママ達だったのがお硬い接客業の女(フライトアテンダントとか古のデパートの案内係)みたいな感じに一斉に路線変更したので個体識別が難しくなり、ポケモンのジョーイさんとかジュンサーさんみたいに一族同一労働をしている・クローン人間ばりにゲノムと遺伝子の発現にブレのない人達がうようよしてるようになった。なお、私は元からそういう路線の女なので、昼勤の誰かと勘違いされて変なおじさんにダル絡みされるようになった。
正直言うと、ファッションを真似されたうえにしかもみんな私の上位互換ということにぐぐぬる気持ちは無きにしもあらずだが、基本的に昼勤の人達とは接点がないのでまあいいか。
気がつくと準夜で旧オーナー時代から残っているのは私と高専6年生だけになった。高専6年生は来月卒業でこの春から就職して社会人となるので、私が最後の準夜古株になる。私も高専6年生も特にお客様から好かれるタイプでもないのだが、不変な事に価値を置くお客様も少なからずいるので、高専6年生の卒業は残念に思われそう。
だが、去年から当店に勤めているスリランカ人が準夜のアイドルと化していてお客様たちからめちゃめちゃ愛されている。近年は外国人アルバイトはすっかりお客様たちから受け入れられているとはいえ、スリランカ人の愛されぶりは異常。天然自然に人たらしで、この人すごいなぁと感心する日々だ。
あとはちょっと残念な感じの高校生バイト3人組と、ダブルワークの30代男性が準夜のいつメンなのだが、ダブルワークの30代男性は今月一杯で辞めるらしいしコイツお気持ち繊細ヤクザで面倒臭いのでまあいいか別にいなくてもと個人的には思う。店長には痛手と思われているらしいが、人を見る目がないなと思う。お気持ち繊細ヤクザ、楽してお金をもらうのが信条で隙あらば仕事を手抜きし、下の者には偉そうにしてるけど?
お気持ち繊細ヤクザが辞めるにあたって、新しい人員が補充された。この春から近場の大学に進学する高校3年生の男の子なのだが、初見の仕事仲間たちが口を揃えて「三十代かと思った」と言う、謎に老成した言動をする人だ。二十歳前後の男子の見た目が何歳くらいか紛らわしいのはよくあることだが(何故かアラサーよりも老けて見える二十歳前後の子って、よくいるよねー)喋り方がナチュラルボーン営業マンなのは珍しい。
入店初日と二日目は、先輩風吹かしまくりのお気持ち繊細ヤクザから「俺のいる間に完璧に仕上げてやる」とか言われて大人しくアヒルの子の様にあとをついてまわりしごかれていた。だがお気持ち繊細ヤクザは元々勤務時間が他のバイトよりも短く、私や高専6年生やスリランカ人よりも担わされている仕事は少なく特別なことはやっていないのだから、別に今直ぐにお気持ち繊細ヤクザのコピーになる必要は別にないのだ。
みんな、わけの分からない状態から半分ずつ仕事を覚えて相方と役割を交代交代しつつ出来る仕事を増やしていくので、一度に何もかも覚える必要なんかない。
お気持ち繊細ヤクザの手が空かないときに私が高校3年生の面倒を見ることになったが、案の定一度に沢山詰め込まれてテンパっており、さっきお気持ち繊細ヤクザから教えられていた事がもう頭から抜けて出来なくなっていた。それを私が復習させているとお気持ち繊細ヤクザが戻って来て、「それはもうさっき教えたから今度はこっちやるぞ」と呼ばれて高校3年生はわたわたと繊細ヤクザを追いかけていった。
辞めるまで当店に残るか怪しい感じがする。大学ではどの学部に入るの? と暇な時に聞いたら経済なんとか学部と言っていたが、なんとなく無益なことも嬉々としてやるタイプじゃなさ気な進路選択をする人っぽいけど、当店はこの人に選ばれるのだろうか。
私の公休日に高校3年生が3回目の出勤で、お気持ち繊細ヤクザにまたまたしごかれていた様だが、21時を回った頃にクソ客が現れた、とお気持ち繊細ヤクザ談。接客対応をしたのはお気持ち繊細ヤクザだったが、クソ客なお客様から
「ホットのS」
と頼まれてその時の対応の仕方が拙くてクソ客なお客様を激怒させたらしい。お気持ち繊細ヤクザはわざわざクソ客なお客様に
「あったりめーだろテメェ。一々ンなこと確認すんなや」
と言われて、
「当フランチャイズにはコーヒーはSもМもLもなく、レギュラーとラージの2種類になりますので、間違いのないよう一応確認させていただきました」
と無自覚的にクソ客なお客様を煽り倒してブチギレさせ、新人の前でそんなくだらない事で長時間のお説教を喰らうという恥ずかちい事になったのだが、お気持ち繊細ヤクザはそれを恥と思わず「クソ客の言い方が酷くて傷ついた」と思い、反省もなく高校3年生に「世の中には嫌な客もいるから気をつけろよ」などと言ったらしい。
と注文されたら
「は〜い、ホットコーヒーのSですねぇ〜、お待たせしましたぁ〜」
でいいし、
「フランクフルト一本」
と注文されたら
なんか間違え過ぎてて何が欲しいのか分からんっていう時は、一旦探しに行って戻って
「すいません、忘れちゃったんでもう1回言って貰っていいですか?」
と再度言って貰うか、あたし耳が遠くてぇ、と言いつつお客様について来てもらい指差しで注文して貰えば舌打ちされるくらいで済む。
お客様の注文の微妙な間違いには気づかなかったフリをして言われたとおりに復唱して正解を出す。これがコンビニ接客のコツの一つである。コンビニ店員は何でも出来る馬鹿だと思われており店の格が奈落の底だからこれでいいのだ。
お気持ち繊細ヤクザから、ちょっとの事で回避出来るトラブルを悪い客に当たった不運の招く不可避なものとしてふき込まれた高校3年生が、それをそのまま頭に刷り込んでいないことを願うが、そもそも接客対応をしたのが高校3年生だったら同じことを言ってもお客様はそんなに怒らなかったんじゃないかという気もする。
何しろ高校3年生はナチュラルボーン営業マンみたいな奴で、細かいことをくどくど説明するのがサマになりそうだしなんとなく雰囲気だけで相手を納得させそうだ。一方お気持ち繊細ヤクザは図体のでかくて緩んだパリピの成れの果てみたいな見た目なので、そんな奴がかしこぶってくどくど喋りだしたら半数くらいのお客様は腹を立てるだろう。私だったら勿論、お客様達からは量産型ヒューマロイドの一体でしかないと思われているので、流れる様に注文を捌けなかった時点でこのポンコツ! と物を投げられてもおかしくない。
やっぱり、人には人の接客態度ってあると思う。とはいえ、人類の半分くらいは単に「説明される」というだけの事自体に傷ついてしまうグラスハートなので、正論だからといってみだりにお客様に要らぬ「ご説明」はしないのが無難だろう。
「ヨーグルトで虫歯菌や歯周病菌が9割減ったという研究もある」
みたいなことを言っていた。
私は思った。
腸内環境を整える以外にもそんないいことがあるのか。すごい。
俺もヨーグルト習慣始めよう。
1日1回ヨーグルトを食べよう。嫌いじゃないし。
でも、いつ食べるのがいいんだろう。
たしか、口内細菌がさかんに繁殖するのは主に夜、寝ている間だ。
だとすると寝る前に食べるのがいいのかな。
でも寝る前って歯磨きするよね。
せっかく乳酸菌をお迎えしても歯磨きで洗い流してしまったのでは効果が薄い気がする。
だとしたら歯磨き後か。
歯を磨いた後に食べるのだとしたら、砂糖とか果肉とか果汁が入ったようなやつはだめだよね。口内細菌の繁殖を逆に助けてしまいそう。
決まった。完全プレーンタイプのヨーグルトを夜寝る前歯磨き後に食べる。
つーわけで日々のヨーグルト習慣を始めてしばらくたったのだが、やっぱりちょっと心配になって調べてみた。
ヨーグルトは口内環境にも善いのか。善いとしたらいつ食べればよいのか。
ぐぐってみたら、上で私が考えたのとまったく同じことを歯医者さんが書いていた。
ビンゴ!と言いたいくらい符号していて、クイズを鮮やかに解いた時のような快感だった。
俺の科学リテラシーもまんざら捨てたものじゃないなと自惚れた。
みんなも始めよう、ヨーグルト習慣。
★:リアルタイムor録画して欠かさず見る。
●:よく見る。19~20時台は食事しながら、他は録画して適当に流したり気になる回は見たり。
▲:内容or気分次第。録画はせず特定のコーナーだけ見たり、チャンネル変えながら興味があれば。
●X年後の関係者たち
▲激レアさんを連れて来た
★ヒューマニエンス
★100カメ
★水曜日のダウンタウン
★笑わない数学
▲それって!?実際どうなの課
▲しあわせ気分のドイツ語
●サラメシ
●ヤギと大悟
▲キントレ
▲ドッキリGP
▲新しいカギ
●ダーウィンが来た!
▲ニノさん
▲有吉eeeee!
★球辞苑
★漫道コバヤシ
★理想的本箱
●フランケンシュタインの誘惑
ほぼ全文あった
種族って何ですか?私たちは姿は違っていても、楽しいときは笑い、悲しいときには涙を流します。
私は思うんです。身体なんて、人の心を入れるためのただの入れ物でしかない。
もし、種族というものがあるのなら、私たちはガジュマでもヒューマでもなく、大地に生きる人というひとつの種族なんだって。
思い出して下さい。私たちには共に笑い、泣き、悲しみ、喜べる時間があったはずです。
親切にしてもらったとか、一緒に美味しい物を食べたりとか。
私が知っている村では,おばさんがパイを焼くたびに皆が集まって、ヒューマやガジュマもなく、皆が美味しい美味しいって食べるんです。
死ぬのが怖くて言っているんじゃありません。大好きな人たちと憎み合って生きるのは、死ぬのと同じくらい辛いことだと思うから。
どうか、私の最後のお願いを聞いて下さい。
皆さんはパイを、ピーチパイを食べることがあったら一度だけ目を閉じて、考えて下さい。
ガジュマ=獣人
コレを種族対立やばいとき、獣人の王女と中身が入れ替わってしまった人間の村娘が、死刑寸前で言うんだからメンタル化け物すぎるわ
BS契約してるので月々2,000円ちょっとの負担だけど、気分的にはお釣りが来る。
「岩合光昭の世界ネコ歩き」+「日本縦断こころ旅」だけでも2,000円で全然惜しくない内容だけど、それ以外にも楽しい番組が多すぎて、我が家はBSPどっぷりである。
名作のほまれ高い「シャーロック・ホームズの冒険」「名探偵ポワロ」がデジタルリマスターな画質で見られるのもうれしいし、「ヒューマニエンス」「ワイルドライフ」「コズミックフロント」みたいな科学教養番組も質がとても高い。
「世界ふれあい街歩き」「世界の居酒屋」はボーッと見てるとすぐに時間が過ぎ去ってしまうし「ヨーロッパ・トラムの旅」はものの数分で意識が飛ぶ。
平日昼下がりに放送される洋画も往年の名作からわりと最近の娯楽ファミリー作品までおいしいチョイスでついつい録画予約してしまう。
これで2,000円/月だぞ?????
正直なところNHKが腰を据えて作ったドキュメンタリーや情報番組に体が慣れてしまうと、民法が粗製乱造しているタレントにおんぶにだっこなヤッツケ仕事の番組なんか見てらんなくなる。
逆に、はてブでNHKを必死でこき下ろしてる人々を見ると「お前ら番組見とらんの?」と思ってしまう。まあたぶん、ジャンクフードの食べ過ぎで味覚が死んじゃってるんだろうなー。
NHKの番組は楽しんで見ていながら受信料ブーブーとか言ってるなら馬鹿じゃねーのと思う。あの内容の番組をCM収入で作れるわけがないことは今の民法の体たらくを見てればわかるだろ。それとも税金使って国営放送にしろとでも言うのか。
ま、そういうお馬鹿さんもきちんと受信料を払ってくれてるおかけで私はじゅうぶんに受信料のモトが取れてるので、見ても見なくてもいいけど受信料だけはきちんと払いましょう。
ヒューマニエンスでチームラボの猪子寿之が「歴史に残るアートは美を拡張したもの。いまのところAIにはそれはできない」って、おおざっぱにはそんなことを言っていた
確かにそうなんだよね
印象派にしろポップアートにしろ、初期はさんざん批判の対象だった
AIはこれまでの人類の営みを学習するだけなので、全く新しい価値を創造することはできない
一方でAIは、「それなり」のものを作るのはすごく得意だし、それなりのものが多数流通している現在、それなりの人はやっぱ要らなくなるのかもな
とそれなりの人として思う
それなりの人の代わりをAIが務めてくれて、それなりの人が働かなくてもいいようになればいいけど、そうはならないんだろうな
風呂に入りながら、小学校の低学年時分の失敗をふと思い出してしまった。自分は担任の先生をたびたびお母さんと呼んでしまっていた。
間の悪いことに、こういう言い間違いは同級生の前でこそ言ってしまうもんで、子どもながらに結構はずかしい思いをしたことを覚えてる。
少し話は変わるけど、ちょっと前にNHKのヒューマニエンスって番組で文字の特集をやっていた。
小さい子供は脳が未熟なせいで、鏡文字をよくよく書いてしまうのだそうだ。脳のさまざまな部位を連動させるような、複雑な行動処理が上手くいかないんだって。
当時の自分も、脳が発達しきってなかったから、学校の先生お母さん問題を起こしてしまっていたのだ、ってね。たぶん。
本題はここから。
子どもの頃、自分がお母さん呼ばわりしてしまった先生は女性で、幼いころに相手する大人の女性の代表格と言えばお母さんだから、脳がバグったんじゃないかって考えてる。
んでもって疑問なのが、当時の先生が男性だったのならどうだったのだろうってこと。自分はお父さん呼ばわりしていたのかな、なんて居心地悪く想像しちゃってる。
脳がバグった経緯を考えれば、当然お父さん呼ばわりしてしまいそうなんだけれど、あんまりそんなふうになってないような気がするんだよね。
なんて言うか、学校の先生はお母さんと呼ばれる割合の方が多い気がするんだ。
ここからは考えが飛躍しちゃうけど、もしかして小学校低学年の先生は女性が担当することが多かったりするのかしらん。
あるいは自分の思い違いで、男性の先生だったらお父さん呼ばわりしてしまうものなのかなあ。
はたまた、男性の先生であってもお母さん呼ばわりしてしまったりして。
どうなんだろう。ちょっと気になる。
SFでクローンに人格・記憶を転送して延命する技術ってわりとあるよな。例えば
・映画で言うと:シュワルツェネッガーのシックス・デイ
・漫画でいうと:からくりサーカス(転送とかいてダウンロードだっけ?)、銃夢、アンパンマン
で、そういうので転送元の旧ボディ・人格を円満に(?)処分している描写って無くない?
結局、旧ボディ側の視点では死の恐怖を免れてないよなぁと思ってしまう。(アンパンマンを挙げたのはそんなWeb漫画を観たから)
この問題に焦点を当てたり、うまいこと解決してる作品があったら観てみたい。
それと、現実に記憶の転送が可能になったとして、最初にその恩恵を受けであろう権力者は古いボディをどうするんだろう?
やっぱバックアップのために取っておくのかな。何かの事故で目覚めちゃったら悲劇だよな。(まんま、からくりサーカスであった展開だけど)
ユヴァル・ノア・ハラリのホモ・デウスに「右脳と左脳とは別人格を持ってるけど、脳梁で繋がって何とか一つになってる」的なこと書いてあった気がする。
そのノリで新・旧ボディを同期させた状態で、自分の意思で旧ボディ側をシャットダウンできたら一番恐怖を味わなくて済むなぁとという無駄な願望を抱いてしまう。
##追記
これってよく考えると当たり前だ。
円満に済んだらお話のギミックにならないのでさらっと流されるか、何も言及されない。
ドラえもんのどこでもドアとか、スタートレックの転送とシステムとか。
(スタートレックでは事故でライカー副長が二人になってた気もするけど)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718247167480028386/comment/zkq
(続き)こんなことを書いても、自分が理解できるところまで対象を落とし込んだものについて考察して理解した気になってるだけと思われるのがオチだな。
それはもはや対象から変質してししまっていて、対象を理解するという目的からは乖離しているのに、理解した気になってるだけという感じ。
かりに当たっていたとしても、提唱者本人始め高校数学の概念で理解できるものだと思ってないから、高校数学の用語しか使ってないと文面からわかった段階でちゃんと読もうとしないというわけだ。
そういうものにも耳を傾ける気にさせる場がほしいということだな。真剣に聞いてあげざるを得ないということになる状況の設定というか、舞台のお膳立てというものが必要。
たとえばNHKのヒューマニエンスという番組では織田裕二の素人考えにも専門家は真剣に考えざるをえなくなっているが、ああいう場に権威ある人間を引きずり出す(実際にはそうなるように仕向けるだけ(自作自演))必要がある。単にメールで自分の考えを書いてもスルーされるのがオチ。