はてなキーワード: 美味しんぼとは
喩えるなら美味しんぼで海原雄山と山岡士郎が「白米のお供対決」を毎週やってるようなものでは?
そして毎回のように山岡士郎の視野狭窄が敗因で勝敗が決するような感じ。
やり取りの根源的なレパートリーに乏しいよね。
最近は多数の恋愛を同時に描く作品もあるけど、それでも組み合わせは基本的に一緒なんだよね。
カップルA・カップルB・カップルCがあって順番に回をやるだけでシャッフルとかは特にないっていうか。
ルーチンに固執するサラリーマンが「月曜は松屋、火曜はサイゼ、水曜は松屋、木曜はロイホ、金曜はココイチ」って決めてグルグルループさせてるだけみたいな。
一個人の日常なら問題ないけど、面白さを摂取するのが目的のコンテンツでそういうルーチンワークをやられるのは微妙かな。
バトル漫画だったら戦いの組み合わせが次々変化するし、ヒューマンドラマだったら本当にいつ何が起こるかわからないし、探偵は事件毎に登場人物が丸っと入れ替わるし、恋愛モノぐらいなんだよね同じようなことずっと繰り返してるの。
ストーリーや設定やパロディネタで盛り上がる以前に、動きや演出って大事なんだよな
日本の量産型って顔アップで口と目しか動かさないゆっくりアニメばかりでしょ?
手足使って歩くことすら放棄してるし、単純な描写すら省くことしか考えてない
ふるーいアニメ見てるとわかるが、ちゃんとアニメーションしてるからくだらない内容でも楽しめたりする
単なる立ち絵の差分見ていても、そんなのゆっくり動画の方がマシなんだよ
包丁やガラスに写った顔で表情伝えたり、料理の美味しさの表現とか工夫している
たぶん日本の作画は止め絵だけ力入れて、演技や演出は声優に重きを置きすぎなんだよ
AI漫画驚き屋のノリを見ててなんか違和感があると思っていたら、なんか漫画というものを全部バクマンのノリで(頭でっかちに)理解してる感じがあり、まあそういう世代かと思う。
そもそも、AI漫画の出る前から、ツイッターでよくわからない自称編集者の根拠のないアドバイスが拡散されていたり、『漫画』というものに対する認識はだいぶ歪んでいた。
もはや『バクマン』後と言っても10年以上経ってしまっているので、誰もその前なんか覚えてないかも知れない。
でも『バクマン』が漫画を広告代理店みたいなノリで語りだす前は、漫画はもっとエモーショナルなものだった。
漫画の中心は「キャラ」だった。漫画の「キャラ」は「キャラクター」とは違うんだという評論があった。
それは絵とセリフが生み出す不思議なマリアージュで、設定や理屈ではなかった。ひとつの表情、ひとつの漫符のニュアンスが「キャラ」を変えた。
人情を感じさせる関係性や、ハラハラと次回への展開を期待させるヒキだった。
漫画は絵があるところがメリットなんだから、文字数にあらわれるような「情報量」を求める読者は誰一人いなかった。
美味しんぼみたいな情報漫画でさえ、大事なのは「面白いポイントだけ」を要約してセリフにまとめることだった。
小説やエッセイから抜き出して来たような、文章語のセリフを読みたい読者は一人もいなかった。
今や、そんな漫画は皆無である。ほんとうに、完全になくなったと言って良い。
みんなセリフが無駄に長い。口語の歯切れの良さはなく、修飾が多くて突っ込まれないように書くネットの投稿みたいだ。
口に出して読もうとするととにかく一息が長いので、アニメになると声優がずっと喋ってて演出の余地もない。
絵はデジタルで綺麗になったが、すべてコピペみたいな均一な顔で、一コマ一コマ感情を込めて描いたことが感じられる表情なんか皆無。
「感情的になっている」表現ですら、教科書どおりの記号を並べましたみたいな、場面場面の微妙なニュアンスの違いなんか一切感じられない、みんな同じ顔。
そして同じコマ割り。
バクマンが漫画を頭でっかちなものにし、受験勉強とゲームしかやってこなかったような文化的感受性ゼロなサラリーマンがそれをマニュアルにしてしまった。
もはや「ここにこの絵が欲しかったから」だけで理屈なく漫画を描ける漫画家志望者もどこにもいない。それを評価する市場もない。
AIには、いやそれ以前に、デジタルのトレスとコピペで全てを描く世代の漫画には、資料がないものを「ここにこの絵が必要だ」と感じて悩む感性すらない。