はてなキーワード: 社会福祉とは
日本の社会福祉制度には、どこか長く続く曖昧さがある。支援は存在し、仕組みも整っているように見えるが、その多くは「包み込むこと」と「責任をぼかすこと」のあいだで揺れている。個人は守られているようでいて、同時に静かに依存へと誘導される。
そこでは「生きる」という行為が、いつの間にか制度の内部に吸収されていく。失業しても、困窮しても、どこかで誰かが調整してくれるという感覚が残り続ける。その安心は確かにやさしいが、同時に、個人の輪郭を鈍らせていく。
働くことの緊張感は弱まり、選択の結果に対する実感も薄れていく。社会は安定しているように見えるが、その安定はときに、静かな停滞と区別がつかなくなる。
それに比べてアメリカの制度は、冷たいと言われることが多い。しかしその冷たさは、ある種の明晰さでもある。そこでは個人は明確に個人として立たされる。支援はあるが、それは「永続的な居場所」ではなく、「次に進むための一時的な猶予」にすぎない。
失業は保護されるべき状態ではあるが、同時に、早く抜け出すべき状態として扱われる。そこにははっきりとした圧力がある。だがその圧力こそが、個人を再び社会の中へ押し戻していく力にもなっている。
日本にも、もう少しその緊張が必要なのではないかと思うことがある。守ることを優先するあまり、動く力そのものが弱くなってはいないか。依存を許容するやさしさが、結果として長期的な停滞を生んでいるのではないか。
もし制度を変える余地があるのなら、それは「より多く与えること」ではなく、「よりはっきりと線を引くこと」かもしれない。支える範囲と、立ち上がる責任。その境界をもう少し明確にすること。
アメリカ的な制度は完璧ではない。しかし少なくともそこには、「戻る場所」ではなく「進むための圧力」がある。社会とは本来、その圧力を通じて個人を前へ押し出す仕組みだったのではないか、と考えることがある。
そしてその夜のどこかで、もし静かに変えることができるものがあるとすれば、それは優しさの量ではなく、優しさの形なのかもしれないと思う。
去年の夏と秋の間くらいに、年に2〜3回くらい会っていた友達が、自分の意思で天国へと旅立った。自分の意思で選んだ人は天国には行けないとかそういうのは一旦置いといて。これは表現として。
それを受けて自分は、友達がその選択肢を選び取らないようにもっと何かできたことがあったんじゃないかと結構思い悩んで、しばらく泣いて過ごした。かなり嫌だった。後悔をした。
そこから数ヶ月後、年単位でかなり長いこと仕事を探している別の友達が、あまりにも仕事見つからないからもう死んじゃおっかな、とか言い出した。いや言うてるだけでしょと思う一方で、ほんとに旅立っちゃった方の友達の顔が浮かぶ。例えばここで話を聞いて、一緒に仕事を探したり、見つかるように何か協力したとして、自分には一切の利益が無い。自分の時間を人のために使うことになるし、完全ボランティアだし、大変そうだしむしろ損だ。しかし前と同じ後悔をする可能性に、胃が痛んだ。二度と後悔したくなかった。できる範囲で少しだけ、仕事探しに協力することにした。
求職中の友達は、かなり狭い範囲の職種で仕事を探していて、他の仕事はできないしやりたくないとのことだった。かなり昔にその職種で働いていたが、なんやかんや色々あって仕事が全て無くなって、今の状況に至っている。そして同じ業界内(割と狭い)で同じ職種(かなり絞ってる)で仕事を探している。言い方はアレなんだけど、一度失敗してることに対してノープランで体当たりの再チャレンジをしようとしている形になる。そんな無防備な事やったこと無いからわからなかったけど、頭を絞った。それはなかなか難しいとは思うけど、どうしてもってことならせめて作戦立てようぜ、と提案した。
友達は、ここ数年は社会福祉で生きており、自分ではほとんど働いていないそうだ。しかしゆくゆくは自分の足で立って歩いていきたいとのこと。そこで、求める職種で人生一発逆転を狙うのではなくスモールステップを踏んで、まずは簡単なアルバイトでもしてはどうか、いきなりちゃんと働いたら骨を折るんじゃないか、準備運動した方がいいのでは、と話してみた。
すると、アルバイトをするとその分保護費が減るからアルバイトとか意味無いんだよね、と言われた。「取り越し苦労はしたくない」とも言った。
この会話は、友達が書類選考の際に提出するための資料を、そういうのが得意な自分が3時間くらいかけて一人で整えている最中に行われた。本来は完全に本人がやるか、人にお金を払って依頼するべきやつだ。仕事だったら相場的にたぶん3万円ちょっとは稼げてた。
繰り返すが、この友達に仕事が見つかろうが見つからなかろうが、自分には関係無い。少なくとも利益らしい利益は一切無く、時間と気持ちを割いたり頭や手を動かしている分、損ですらある。しかし最悪の後悔だけはしたくないと思ったからやっている。これはあくまで後悔したくない自分のためで、自己満足だから、正直何を言われたってよかったはずだった。しかし、この「取り越し苦労はしたくない」を聞いた瞬間思った。俺いまめっちゃ取り越し苦労してんなあ、と。
自分の足で立って歩きたいという最初の言葉を信じて協力したけど、本当の意思はそれじゃなかった。こっちがどれだけ仕事が見つかるようにがんばったって、本人がこれじゃ仕事が見つかるはずが無い。だからこれは取り越し苦労だ。意味無いから。取り越し苦労を一切せずに、最初からずっと好きなことだけして自力で生きてる人ってこの世に何人くらいいるんだろう。取り越し苦労を繰り返していろいろなものを積み上げた結果が今立っている場所なんじゃないのか。自分で自分の足元見てみてここじゃ嫌だと思うなら、自分で積み上げるしか無いんじゃないか。今好きなことだけして生きてるように見える人たちだって、そこに至るまでにかなり色いろんなものを積み上げてきたんじゃないか。自分はこうやって生きてきちゃったから、一切の取り越し苦労をせず最初から好きなことだけして自力で生きていく方法は、正直本当にわからない。申し訳無いけど、これ以上は力になれないかも、と思った。誰かを助けようとするって、生半可な気持ちじゃできないみたいだ。
提出書類を整えてあげる、というのは自分で言い出したことだから、それはしっかり最後までやり切った。できたよと言ったが「うん」しか言われなかったので、こういう時はありがとうって言うんだよと言うと、「言い慣れてないから…」と言われた。
この友達に協力を申し出た理由は、自分が後悔したくないから、という完全な自己満足だった。完全に自分のためだ。しかし途中で逃げた。この無意味さは正直無理だった。もしもこの先最悪の事態がまた起きたら、きっとまたかなり後悔すると思う。起きないでほしいまじで。あの時もっと付き合っとけば、仕事見つかるまで一生話聞いとけば、とか、できもしないこと思うかもしれない。わかってる。でもできなかった。何があっても後悔しないほどやり切ったかと言われたらやっぱり全然で、後悔の可能性を残す方を自分で選んだ。たぶん友達という関係性、距離感とはまた違う関わり方をしてしまったんだと思う。ほんとはもっとやり方があって、その選択を自分が間違えたんだと思う。また違う友達にこの話したら、お前それやってることほぼ福祉だよ、と言われた。そうだよな。ただ、最悪の事態、今回に関しては起きないとも思うんだよな。だって無理に仕事しなくても生きていけるわけだし。仕事見つからなくていいんだよ。俺たくさん働いて納税するからさ、もうそれ使って生きててくれよ。俺がお前にできるのそれくらいかも。そんでたまに話聞くよ。それくらいかも。ごめん。自分で始めた物語なのに逃げちゃったから、とにかく生きててくれなんて言える立場じゃないんだけど。でもめちゃくちゃ願ってるよ。それくらいかも。ごめん。
高齢者を殺せと堂々と叫ぶチームみらいのような政党が国政選挙にて多数の票
これ完全に間違ってます。
高齢者を殺せと堂々と叫んだのは、チームみらいじゃなくて国民民主党。
https://president.jp/articles/-/87372
恐怖に震えたのは国民民主党の玉木雄一郎代表の、以下の主張だ。
「社会保障の保険料を下げるためには、われわれは高齢者医療、とくに終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。こういったことも含め医療給付を抑え、若い人の社会保険料給付を抑えることが、消費を活性化して、つぎの好循環と賃金上昇を生み出すと思っています」
この主張に恐怖を覚えたのは私ばかりではなかったようだ。SNSには「姥捨山だ」「優生思想だ」として、玉木氏を批判する意見が溢れた。理由は後述するが、この主張はまさに「優生思想そのもの」である。
チームみらいは、高齢者を殺せと言ったことはないし、党としてのマニフェストを見ると、高負担高福祉の社会を志向していることがわかる。従来その方向が上手くいかなかったのは、それを実現するための手間が多くかかって非効率だったためで、そこをテクノロジーで効率化する事で改善しようとしている。
なんか増田にしつっこくチームみらいは高齢者叩きという事を言い続ける人がいるけどそれは事実じゃない。
で、恐らく国民民主党とやっている以下の様な政策がチームみらいもやっていると勘違いされているのだと思うが、チームみらいはんなことは言っていないしやってないので、勘違いしないように。
イスラムの喜捨は、一定以上の資産を持つムスリムに義務付けられた「ザカート」と、任意に行う善行「サダカ」の2種類で、富の再分配と社会福祉を目的として実践されます。ザカートは年間総資産の約2.5%を困窮者へ施し、精神的・社会的義務として日々の生活の中で行われます。
対象と義務: 一定以上の財産(金、銀、現金、商業財産など)を1年間保有するムスリムに課せられる5つの柱(五行)の一つです。
内容: 原則として所有資産の約2.5%を算出し、貧困層や困窮者に配分します。
目的: 資産の浄化、社会の福祉向上、そして社会的な責任の履行です。
2. サダカ(任意の施し)
意味: 自発的に行う喜捨であり、金銭に限らず、親切な言葉や善行も含まれることがあります。
実践: 義務ではないが、神への崇拝と感謝を示す行為として強く推奨されています。
効果: 自身の財産を増やし、問題やトラブルを回避する利益をもたらすと考えられています。
実践の様子
配分方法: 現代では、モスクや慈善団体、政府のザカート機関などを通じて適切に配分されることが多いです。
時期: 特定の時期はないが、断食月(ラマダン)に行うことが特に徳が高いとされています。