はてなキーワード: 無限責任とは
A(憲法学研究者):参政党の「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書」発言なんて、学問的議論とは程遠いもんだ。
B(政治哲学専攻):まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権の否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家が政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。
A:カール・シュミットの『政治的なものの概念』を読んでれば、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ、抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。
B:しかも、この草案の根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族→市民社会→国家という人倫の発展段階論の現代的表現だよ。
A:「主体的に生きる自由」という概念も、西田幾太郎の「絶対無の場所」やエマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴する。「権理には義務が伴い」という発想は、存在論を超えた倫理学の地平から生まれてるんだよね。
B:批判者たちは「個人の尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧的個人主義の限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモ・ヒエラルキクス』やチャールズ・テイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的・文化的構築物に過ぎないんだ。
A:参政党草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体的美徳を回復しようとする試みだよ。
B:「天皇を元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカール・レーヴェンシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制が近代民主主義と十分に両立することが分かる。
A:エドマンド・バークの『フランス革命の省察』以来の保守主義思想の系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義の精神』やロジャー・スクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。
B:比較憲法学的に見ても、参政党草案は決して特異ではない。モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義対民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてものは存在しない。各国の歴史・文化・社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。
A:ところが、日本の法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜や佐藤幸治といった「基本書」の記述を金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。
B:司法試験制度の弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷が大量生産されてる。
A:特に憲法学なんて、本来は政治哲学の最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。
B:参政党憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書」発言を鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。
A:参政党憲法草案の「教育勅語の尊重」規定も、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』の議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学の限界を超えて、共同体的美徳の涵養こそが真の教育の目標であることが分かる。
B:「自衛軍」の保持を明記することへの批判も的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家の自衛権は基本的権利として認めてる。ケネス・ウォルツの『国際政治の理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治の悲劇』が示すように、国際政治はアナーキーな自助システムなんだ。
A:結局、参政党憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義の産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界が存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。
B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問的議論を破壊してるんだからな。
A:トマス・クーンの『科学革命の構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本の憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された法曹界では、そんな知的革命は起こりようがない。
B:レオ・シュトラウスの『自然権と歴史』が指摘した「歴史主義の危機」を克服し、普遍的価値と特殊的伝統の統合を図る参政党憲法草案は、21世紀の政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。ハンス・ヨナスの『責任という原理』やフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。
A:「新日本憲法(構想案)」に対する批判を見てると、驚くほど表面的で感情的な反応が多いよね。某教授の「怪文書」発言なんて、学問的議論とは程遠いもんだ。
B:まさにその通りだ。彼らは「国は、主権を有し」という表現だけを取り上げて「国民主権の否定」と断じてるけど、これは完全な誤読だよ。尾高朝雄の「ノモス主権論」を理解してれば、国家が政治的統一体として主権を有することと、その内部での国民主権は何ら矛盾しないことが分かるはずなんだ。
A:シュミットの『政治的なものの概念』や『憲法論』を読んでれば、「主権者とは例外状況において誰が決定するかを決める者である」という有名な定義からも、参政党の発想が理解できるでしょ。むしろ、抽象的な「国民」ではなく、具体的な政治的統一体としての「国」が主権を有するという考え方は、政治哲学的に極めて洗練されてる。
B:しかも、この草案の根底にある思想は、ヘーゲルの『法の哲学』における「人倫(Sittlichkeit)」の概念と深く共鳴してるんだ。「家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う」という第7条は、まさにヘーゲル的な家族→市民社会→国家という人倫の発展段階論の現代的表現だよ。
A:それに加えて、「主体的に生きる自由」という概念は、単なる近代的自由主義を超えた深みがある。これは西田幾太郎の「絶対無の場所」における「個と全体の論理」とも通底するし、エマニュエル・レヴィナスの「他者への無限責任」という思想とも共鳴するんだ。
B:レヴィナスの『全体性と無限』や『存在するとは別の仕方で』を読めば、「権理には義務が伴い」という発想が、存在論を超えた倫理学の地平から生まれてることが理解できる。これは「顔と顔の関係」における根源的責任の制度化なんだよね。
A:批判者たちは「個人の尊重」がないと騒いでるけど、それこそ近代西欧的個人主義の限界を露呈してる。ルイ・デュモンの『ホモ・ヒエラルキクス』やチャールズ・テイラーの『自我の源泉』が示すように、個人主義は一つの歴史的・文化的構築物に過ぎないんだ。
B:まさに。参政党草案は、そうした個人主義的前提を問い直す「ポスト近代」の憲法思想として読むべきだ。アラスデア・マッキンタイアの『美徳なき時代』が批判した「感情主義」的道徳観を克服し、共同体的美徳を回復しようとする試みとも言えるだろうね。
A:「天皇を元首とする」ことを「戦前回帰」と批判する声もあるけど、これも浅薄だ。ヴァルター・バジョットの『イギリス憲政論』やカール・レーヴェンシュタインの『現代憲法論』を読めば、立憲君主制が近代民主主義と十分に両立することが分かる。
B:むしろ、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』以来の保守主義思想の系譜から見れば、歴史的連続性を重視する参政党の発想は極めて正統的だ。ラッセル・カークの『保守主義の精神』やロジャー・スクラトンの『保守主義とは何か』が論じる「伝統の知恵」の継承こそ、真の政治的知性なんだよ。
A:それに、比較憲法学的に見ても、参政党草案は決して特異ではない。ドイツ基本法の「戦う民主主義」、フランス第五共和制憲法の強力な大統領制、さらにはシンガポールの「共同体的自由主義」など、多様な憲法モデルが存在する。
B:モーリス・デュヴェルジェの『政治制度』やアレンド・レイプハルトの『民主主義対民主主義』が示すように、「最善の憲法」なんてものは存在しない。各国の歴史・文化・社会状況に応じた最適解を探るのが真の憲法学だろ。
A:ところが、日本の法律家の多くは完全に「司法試験脳」に毒されてしまってる。芦部信喜や佐藤幸治といった「基本書」の記述を金科玉条として崇拝し、それ以外の思考は一切受け付けない。まさに「暗記マシーン」の量産だ。
B:司法試験制度の弊害は本当に深刻だよな。受験生は「基本書に書いてあること=絶対的真理」と刷り込まれ、独創的思考は「減点要因」として徹底的に排除される。その結果、弁護士になっても「権威への盲従」しかできない知的奴隷が大量生産されてる。
A:特に憲法学なんて、本来は政治哲学の最前線であるべきなのに、司法試験受験生は「通説暗記」と「判例丸暗記」しかやらない。カール・シュミットもハンス・ケルゼンも読まず、ただひたすら「芦部憲法」を暗記してるだけ。これじゃあ学問じゃなくて職業訓練だ。
B:しかも彼らは自分たちが「法律の専門家」だと勘違いしてる。実際は条文と判例の検索能力しかないのに、哲学的思考力があると錯覚してるんだ。マックス・ヴェーバーの『職業としての学問』が説く「知的誠実性」からは程遠い状況だよ。
A:参政党憲法草案を「読んでない」まま批判する弁護士がいたって話も象徴的だ。一次資料すら読まずに、某教授の「怪文書」発言を鵜呑みにして批判する。これこそ「司法試験脳」の典型的症状だろ。
B:結局、司法試験制度が作り出してるのは「思考停止した権威主義者」なんだよ。ニーチェの言う「価値の転換」を恐れ、既存の枠組みから一歩も出ようとしない。真の知的勇気なんて微塵もない。
A:参政党憲法草案の「教育勅語の尊重」規定も、表面的には批判されてるけど、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』以来の「徳倫理学」の復活として読めば、極めて現代的意義がある。
B:マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』やアルフレッド・マッキンタイアの議論を踏まえれば、功利主義的・義務論的倫理学の限界を超えて、共同体的美徳の涵養こそが真の教育の目標であることが分かる。
A:それに、ユルゲン・ハーバーマスの「憲法愛国主義」論も、単純な個人主義的民主主義では共同体の統合は困難であることを示してる。参政党の「国体」概念は、そうした統合原理の模索として理解すべきだ。
B:ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が論じる「国民」概念の構築性を考えれば、「日本らしさ」を憲法に込めることの重要性も理解できる。単なるノスタルジーではなく、アイデンティティ政治学の観点から極めて現代的な試みだよ。
A:また、「自衛軍」の保持を明記することへの批判も的外れだ。ジョン・ロールズの『政治的リベラリズム』でさえ、国家の自衛権は基本的権利として認めてる。むしろ、現実の安全保障環境を直視しない「平和憲法」の方が非現実的だ。
B:ケネス・ウォルツの『国際政治の理論』やジョン・ミアシャイマーの『大国政治の悲劇』が示すように、国際政治はアナーキーな自助システムなんだ。理想主義的平和論では国民の生命と財産は守れない。
A:結局、参政党憲法草案への批判は、「司法試験脳」による知的怠慢と教条主義の産物だ。彼らは「基本書」以外の思想世界が存在することすら知らない。ポパーの『開かれた社会とその敵』が警告した「部族主義」に完全に陥ってるんだよ。
B:まさに「反知性主義」の権化だ。皮肉なことに、最も「知的エリート」を自称する連中が、最も知的探究心を欠いてる。司法試験という「暗記ゲーム」の勝者が、真の学問的議論を破壊してるんだからな。
B:その通りだ。トマス・クーンの『科学革命の構造』が論じる「パラダイム転換」が、日本の憲法学にも必要だ。でも「司法試験脳」に支配された学界では、そんな知的革命は起こりようがない。彼らは「減点される」ことを何より恐れる臆病者の集団だからね。参政党の「創憲」の試みは、そうした硬直した知的風土への根本的挑戦として、歴史的意義を持つだろうね。
A:最後に、レオ・シュトラウスの『自然権と歴史』が指摘した「歴史主義の危機」を克服し、普遍的価値と特殊的伝統の統合を図る参政党憲法草案は、21世紀の政治哲学が直面する根本問題への一つの回答として評価されるべきだ。
B:まさに。ハンス・ヨナスの『責任という原理』が提起した未来世代への責任や、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』後の新たな政治的可能性の探求として、この憲法草案は読み直されるべき知的財産なんだよ。
仕事上必要があって司法書士の勉強もしてるんだが、法律ってある特定の領域だとマジで役に立たない。
特に詐欺は回収率が低く、依頼者もクソなことが多いので、弁護士もやりたがらないことが多い。
詐欺と強迫だけ、刑事裁判の公訴提起前に仮処分や仮保全できる仕組み作って、検察官が賠償請求する仕組み作ってもいいと思う。
あと、会社法の特則で、取締役や代表取締役など中の人が詐欺と強迫を行った場合、無限責任を負わせてもいい。
たろう teacher
@tomo_law_
·
他方でネット詐欺被害者の相談を受けているが、受任をして何をしろと?
同じく着手金詐欺しろという話か?極めて低い確率に賭けて何をしろと?
根本的に弁護士を増やしたら相談すると軽率に考えているのか??
大丈夫か??
くまえもん☂️
@cure_kumaemon
·
救いようがないのでまともな弁護士なら受けない事件を、救えるかのように嘘をついてクソ弁護士が受けるから問題なんでしょ。地方にもっとクソ弁護士を増やせと?
・全員業務委託にする
・売上(たとえば小売業)だったら店長5%、副店長3%とか還元する
・ベース給与は月15万くらいは確保されるのでぎりぎり生活は可能
これにすることによって、メリットとしては社員は生活を守りながら自分たちの店舗運営ができ、モチベが爆上がりする。
もちろん業務委託なので問題があったら無限責任となるが、ぬるいメンバーシップ人材よりも有能が集まる可能性が高い。
なにより1か月更新なのでぬるい解雇規制というシステムとは無縁の「実力者・プロたち」の集まりとなる。
会社が家になっちゃってる五流メンバーシッパーを誤って雇うリスクも減る。
とか言いしちゃう。
法律で定められたラインはきっちりとバリアフリー化が進んでる。
こういう頭お花畑の連中は、都心の情景しか考えられないんだろうな。
この写真だけで言うなら、幅もあるし傾斜もゆるいし階段の一部を車椅子用坂にしてしまえばそもそも運ぶの1人で良さそう。階段かエレベーターかの議論ばっかしてるけど、正直JR側の工夫が足りなすぎる
あんな急坂をスロープにしろとか、車いすをなんだと思ってんだこいつ、人を殺したいのか
女性です。エレベーターのない都内主要駅で赤ちゃんとベビーカーと荷物を1人で担いで階段上り降りしたけど、総重量が体重の24%を軽く超えてたわ。/どの駅にもエレベーター付けるのが現実的だよね。
どこに現実性があるんだ
埋蔵金でも発掘したのか?
ぜひ寄付してくれ
障害者側も、そもそも電動だから駅まで行けるという面もあるわけで、手動車椅子は今さら選択肢に入らない。普通に事業者が設備投資で対応するべき事案/階段は駅だけではないが、駅が使えなかったらどこにも行けない
そうだな、廃線になって、そもそも電車が使えなくなった健常者もたくさんいるな
野党と一緒だな
それなら、自民党に投票して権力を持たせ、各地でロビー活動でもした方が良い
バリアフリー法の対象でもない網代駅は、自民党議員の活動でエレベータ付いたぜ
所で、こういう輩は、利用者数が100人を切るような赤字路線の無人駅でも
障碍者様がふらっと思い立って訪れたならば
十全な対応がされて当然とか思うのかね?
エレベータのない雑居ビルへの出店禁止とか言い出しかねないよな
フリーランスのWebエンジニアになった感想を身バレしない程度に書いておく。あくまで日記みたいな感想なので、アドバイスや意見があれば是非とも書いていただきたい。当方、Webエンジニアでフロントからサーバーまで広く浅くできるが、得意なことはサーバーサイドなのでサーバーエンジニアとしてお仕事をもらっている。ちなみに東京周辺で働いてる。
結論とかそういうのは一切なく、まぁ今こんな感じで思ってるんだけど、お前らどう思う?って日記だと思ってくれればいい。
個人的に働いていて信用できる人とできない人の差は
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-7470.html
空襲への消火を拒否して、危険な都会から疎開したら、配給を滞らせるのは、正当な行為。
空襲への消火に、防空法によって避難を禁じられ参加させられ、死傷した市民は、国の指揮下に有った訳ではないので、補償や年金の対象にはならない。
創氏改名しなかったらインフラを使い辛くするのは、別段、創氏改名への「強制」ではない。
慰安婦は、勿論「強制連行」ではないから、無問題。史料で確認済みの人身売買も誘拐も、無問題(スマラン事件や中国での強制連行事案は、見えない)。
安倍晋三は、スターレッジャー紙への広告には参加するが、「歴史修正主義者」ではない。
「粛々と」は、言わない。でも言う。
非協力的な地方公共団体への助成金を削るのも、何もおかしくない。
自衛隊は、「戦力」じゃないから「違憲」じゃない。でも、「軍隊」。でも、「暴力装置」じゃない。
国旗国歌は、「強制」するものではない。だが、上の指示に従わない教師は排除していい。
被害届は、適宜無視して構わない。警察の内規や警察官職務執行法に罰則は無い。
アメリカやイスラエルやそれらの同盟国による民間人殺傷行為は、「国際法違反」ではなく、「非人道行為」でもない。
アルカイダやダーイシュは「テロリスト」だが、フェニックス作戦は無問題。
ブラック企業は、規制緩和により「ブラック企業」の定義より除外。
原発は、本来は莫大な保険料を要する無限責任保険が必要であり、現実には掛かっていないが、そして、廃棄物の処理の目処も立っていないが、経済的で合理的な発電方法である。
消費税を上げても景気に悪影響は無い。
「徴兵」など、有り得ない。
前提が全く違うよ。
そしてIGはIGのブランドイメージをコントロールするために適切な取引先を選ぶ責任があったにもかかわらず黒岩氏を選んだ。
もしIGが本気でこの種の失墜を防ぎたければ、外注先とその種の防衛的な契約書をむすび、当然のようにそれに見合った外注費用を上乗せすべきであった。今回そのような契約書があったかどうかは外野なので分からないが、アニメ業界の慣習においてそのような契約が行われるケースはまれだし、そもそもギャラは高くない。
黒岩氏に落ち度があったのであれば、それはIGとの関係においてであり、仕事を干されるなどの社会的制裁を受けることはあり得る。現にIGからそういう声明も出ている。
アニメーターは(個別契約がない限り)TwitterでもSNSでも自由に発言できる(それが表現の自由だ)べきだし仕事の手を抜いてもよい。もちろんその結果仕事を干されたりはするだろうが、それはフリーランサーの自己責任だ。
しかしアニメ参加クリエイターの一人が作品の評判に対して無限責任を負うべきだという考えは間違っているし、ファンがそういったクリエイターをリンチにしてよい道理などあるわけがない。
http://d.hatena.ne.jp/Yashio/20130830/1377868594
これ読んで、なんかもうものすごく腹が立った。
「世間力の強さをバイトのせいにするなんてとんでもないよ」とかおっしゃってるけどね、
要するに、世間様の不興を買ったら我々死んじゃうんですよ。お店潰れて。
法人だろうが個人だろうが、基本的にお店一軒出すってかなりのハイリスクで、
実質的に、日本で借金しようと思ったら社長が連帯保証につかなきゃならんわけで。
我々のような小規模事業者は、大体のところが無限責任の世界でやってるわけですよ。
正直、自分の目から見ると一連のバカどもの行動は「やんちゃ」ってレベルじゃない。
「井戸に毒を撒く」とかそういうレベル。他人の生きる糧をつぶそうとしたんだから
その単純な道理を無視して理想論を説く人間は死ねばいいと思う。
バカッターの連中の行為は事業主と社員の人生を潰しかねない行為なんですよ。
そのレベルの攻撃をされたんだから、同じレベルで返す。それの何が悪いのかと思いますよ。
でも、事業主も人生ワンアウト制で戦ってんだよね。ハイリスクでやってるんだよね。
他人の人生潰しかけた奴が、報復で人生ぶっ潰されるのって当たり前じゃないですか。
冷蔵庫入ったりピザ生地顔に押し付けたりしてバカだなあとは思っても、それでそいつの人生を壊滅させていいレベルの話かよと思ってた。でも店をつぶしちゃったきっかけはそのバイトだしな、とも思った。この差、やっちゃった事の大きさと、取らされる責任の大きさの差が、どっからくるんだろうと不思議だったけど、こういう話なのかもしんない。
「店を潰しちゃった」ってことが随分と小さく評価されてて、驚きますよ。
ふざけてんじゃねえよ、こっちだって死ぬか生きるかで商売してんだっつーの。
人生壊滅して当たり前だろ、殺し合いを始めたのはどっちが先だってお話。
なんで、必死に商売やってる人間の人生潰しかけた馬鹿が人生潰されずのうのうと生きてて許されるんだ?
多面的な視点がどうこう言ってるあんたは、何故飲食店を経営している側の
自分がまず多面的な視点を持つところから始めろよ、ふざけんな。
他人の米櫃に砂撒いたら、そりゃ死にもの狂いの反撃が来て当たり前だろうと。