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2024/07/25

0725:狛江古墳めぐりの日

真夏の自転車日和。

ちょいと狛江古墳群の記事を書くのにいくつか写真を追加したく、

自転車で出動する。

近いところから、土屋塚古墳……あ、なんか整備されて古墳公園になってる。

墳頂には上れないけど、亀塚、猪方小川塚に続いて狛江市の古墳公園化第3弾はここだったか。

次は白井塚のはずだけど、いつになるやら。

そういえば以前土屋塚の上に稲荷が祀られていたけど、なくなってる。

古墳公園化にともなって遷したか(白井塚がそのパターン)。

で、土屋塚古墳の向かいに古い農家っぽい大きな敷地の家があるのだけど、

その片隅にあやしい一角発見。こそっと覗いて見ると、小さな祠が2つ鎮座しておりました。

屋敷神なのか路傍の石仏なのか。



どんな神様を祀ってるのかはしらないけどいい感じの妖しさですな。

さらに古道を辿り、清水塚を見ようと思ったけど、民家敷地にあり、草茫々で相変わらず分からず。せっかくだからと普段通らない道へ行くと、角に庚申塔発見。多摩川低地に向かってちょっと下る途中にあった。元からここにあったか、以前はもうちょっと高台にあったか。

暑くて詳細は不明。iPhoneも悲鳴。



猪方小川塚古墳へ向かう途中、台地の橋に小さな稲荷発見。ここも古墳があったといわれてる場所らしいが、今の「東京都遺跡情報」のページには記載されてない。


昭和35年の調査で古墳があるとされていたところのようで(1979年発行の「狛江市の古墳 1」に記述有り)、古墳があってもおかしくなさそうな場所ではある。

狛江あたりってかなり走り回ったけど、まだ見逃してた歴史の痕跡あったのだな。

この先はまあ何度も訪れてるのであとはさらっと、前原塚とか亀塚とか兜塚とか飯田塚とか松原東稲荷塚とか東塚とか駄倉塚とか。

狛江市民センターや市役所で新しいいい資料ないかなと物色するモノこれといってなく。

まあ涼めたからよしとしよう。


そこから北上し、仙川駅を抜けて、北烏山でちょいと猫を愛でて


他にもいろいろ回りたかったけど、夕立が来そうな空になったので慌てて帰宅。

久しぶりの夏自転車でありました。

そうそう、スーパー地形のログにいつの間にか矢印が付くようになってた。

個人的には不要だけど、まあ面白いのでオンにしておく。



2023/05/31

0531:自転車と呑みの日

土曜日の配布資料を仕上げてメール。

自由が丘まで記事ように借りていたe-bikeを返却すべく自走する。

当然寄り道込み。

長谷川町子記念館から南下して深沢へ。

深沢不動尊などをチェックしつつ自由が丘へ。




返却後、東横線直通で新宿三丁目へ。

新宿駅まで歩き、ちょっと作例を撮り、

ライター仲間と合流して新宿でちょいと呑んでから帰宅する。





2023/05/27

0527:ご近所自転車散歩の日

近所の街歩き仲間とつれだって代田の斎田記念館へ。



ブラタモリ出演記念で、お茶の特集やってた。

明治初期から後期の短い間だったけど、茶葉を生産して輸出してたのだ。

でも、明治時代に日本茶を欧米に輸出して向こうの人が飲んでたってのは聞いたことない。

ブラタモリでもその辺はつっこまれてなかった。

学芸員さんに聞いてみると、輸出してたのは我々がよく知る、煎茶などの日本茶だったのだという。欧米の人がどう呑んでいたかはわからないけど、烏龍茶などの中国茶はすでに入っていただろうから、そんな感覚だったんじゃないかという。

確かに、中国茶のバリエーションみたいな感じで飲まれてたってのはありそう。

小さな陶磁器で何煎もいただけるし。

面白いですな。

ついでにぶらぶらと自転車散歩。


大きな旧家宇田川家(吉良家家臣のひとつで、帰農した)がいくつもあり、そのうちのひとつの畑におばあさまが居たのでいたので友人を声をかけてくれた。

彼が何のきなしに「江戸時代から代々この辺に?」と尋ねると瞬時に「江戸時代よりもっと前ですよ」と返ってきたのが面白い。

そして友人宅で呑みつつのんびりすごす。


2022/07/29

0729:阿佐ヶ谷自転車散歩の日

さらに自転車の日。

下高井戸から永福町経由で大宮八幡宮。

ここでは茅の輪くぐりではなく笹の輪くぐりらしい。

なぜ茅ではなく笹なのか、気になったがよくわからない。


さらに北上してちょいと裏道をくねくねして阿佐ヶ谷へ。

阿佐ヶ谷村の名主だった相澤喜兵衛宅(代々相澤喜兵衛なのだ)をみると

もうすっかり更地になっていたのであった。


確か、相澤家の屋敷跡にそれにほぼ隣接している河北総合病院が移転するという計画だ。

詳細はこちらに→https://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/039/693/sannsyakyouteikai.pdf

現河北総合病院の跡地へは小学校が移転し、

小学校の跡地には商業施設がはいるのだそうな。

小学校は阿佐ヶ谷駅前からまっすぐ伸びる中杉通り沿いにあって、

駅からの近さも考えると商業施設にし、

小学校は車の多い大通りから1本奥へ移る、というのは理に叶ってはいるけれども。

相澤家は?

江戸時代初期からの名主屋敷の痕跡がなくなるのは寂しい。

相澤家裏手の少し低いところに弁財天がある。以前は片隅に小さく残っているだけで知る人ぞ知る存在だったけど、入口に立派な鳥居が建てられ、きれいな神社に整備されてた。




訪問すると、奥に真新しい稲荷が鎮座している。

もしやこれは相澤家の屋敷神だったのが、屋敷内からこちらへ遷座したのではと思ってFBで尋ねると、杉並区に詳しい方が確かにそうだという。なるほどそれなら納得。

阿佐ヶ谷駅前に残る天祖神社と相澤家は江戸時代からの痕跡を今に残していただけに残念ではある。

帰途、

馬橋庚申塔に何気なく立ち寄ったら、その向かいになんか碑が立ってる。

庚申塔はもともとこっちにあったのだ、というのだ。

何らかの事情で道路の反対側の三叉路に移ったけど、旧地の首長はしたいということらしい。

面白い。



右手前が旧地の碑。奥に見えるのが現庚申堂。

この庚申塔があるのは、青梅街道から分かれて馬橋を経由して阿佐ヶ谷の天祖神社&相澤家につながる古道で、村尾嘉陵も阿佐ヶ谷の天祖神社を訪問する際、ここを歩いてる。

日が暮れそうになってきたのでちょっと慌てて、

昔住んでいた成田東のアパートなんかをチェックしつつ帰宅。

思ったより遠くまで行けなかったが、その理由は簡単。

昔に比べると、ちょっと何かみつけては止まって写真を撮っちゃうから

やたら時間がかかるのだ。ロードバイクの意味なし、である。


2022/07/27

0727:ご近所自転車散歩の日

 妻のロードバイクを整備して下高井戸までランチを食べに行く。



帰り、AQUOS R7を持ってあれこれ作例を撮りつつ戻る。



暑い。

「大人のためのe-bike入門」とか「50歳過ぎてはじめるe-bike」という企画、

どこかのっかりませんでしょうか?


2022/03/12

0312:電動アシストロードで走る日

ランチを食べに出たついでに

景気づけに自転車で撮影散歩に行く。

よく晴れてあたたかだったからね。

今日の自転車はなんと電動アシストロード。

2016年に出たYAMAHAのYPJ-R。電動アシスト偉大だ。

しかも自転車自身もバッテリーも軽いので、

アシストが効かない24km/hオーバー時も電動アシスト自転車ならではの急に重くなる感があまりない。まあ、モーターとバッテリーがある分、ロードバイクとしては重いのだけど、

そこまでガチで走るわけじゃないので問題じゃないのだ。


バッテリーが小さい分、ストップ&ゴーが多い走り勝たしてるとめちゃヤバいんだけどね。

で、開通したという東八道路に行ってみるかと中央道の側道にでたら

初見の庚申塔発見。ああ、中央道の側道なんて避けてたからな、気づかなかったわけだ。

たぶん、玉川上水沿いの路傍に立ってたんだろう。

中央道(このあたりは玉川上水とかぶってる)沿いの庚申塔発見。

さらに庚申塔や神社や猫をチェックしつつ走る。

もちろんα7Cに90mm F2.8をつけていったんだが、

猫がここまで寄ってくると、α7Cを出してる場合ではなく

結局iPhoneで撮ってたりするのだった。




2021/08/11

0811:作例撮りに下北沢自転車散歩

自転車で Nikon Z fcの作例撮りに出発。

豪徳寺は非常事態宣言中ということで門が閉まってるので、

数年ぶりに下北沢でも行くかと東へ向かう。

世田谷代田駅から下北沢まで線路跡が整備されたというのでそちらから。

線路跡が遊歩道&遊興施設に

途中途中に飲食エリアがあって、賑わってるとは言い難いけど(平日だしな)、それなりの散歩道になってる。

下北沢へ数年ぶりに来たので、茶沢通りの庚申堂を見に。

履き物屋さん(もうお店はやってないそうだけど)のおばあさんが出てきてたので

声をかけて世間話する。冷房の冷気で冷えたので、外の空気に当たりながら車をみてたそうな。



そのまま茶沢通り(旧道)を南下して線路跡を渡り、

線路跡が遊歩道に

北澤庚申堂。

北沢川まで下り、川沿いに少し上り、鎌倉橋から北上。

この「鎌倉橋」が謎で、ここを通る南北の道が鎌倉街道とされているのだが、明治の地図を見ると、橋なんてないのだ。


でも、江戸時代の絵図(目黒筋御場絵図。1805年)を見ると、確かに南北の道と橋がある。


FBに書いたら、江川達也さんから江戸末期から明治にかけて北沢川の氾濫かなにかで道が失われたんじゃないか説。

なるほど、それはあるかも。

ちなみにこの道が南下して世田谷通りにつながれば、あとは世田谷宿→用賀経由で鎌倉にいける。

その後、適当に写真撮りながら走って帰宅する。