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2025/01/04

0104:怒濤の仕事始め

仕事はじめは「目黒学園カルチャースクール」の「東京古道散歩」。

3が日開けなので参加者も少ないだろうなと油断してたら……なんと当初予想の倍以上。

ありがたすぎて泣けます。

想定外だったのがもうひとつ。それは蛇窪神社。

巳年なので品川道から少しはずれた蛇窪神社(上神明天祖神社。蛇窪神社は通称。上蛇窪村の鎮守だった)もコースにいれよう、と組んだのだが……参拝の行列は長くとも、境内を散策するくらいはできるだろうと思っていたのだが……なんと入場規制で境内に入れず。

その代わり、一の鳥居前には遙拝所が設けられていたほど。

ただかなり厳しく帰省していたようで、境内はさほど混雑していないのでありました。



そして品川道を東へ進み、光学通りを歩いて(ニコン前の道標はもちろん欠かさない)大井町駅へ。

そこで解散したのち、大井町から品川経由で渋谷へ。

渋谷カルチャーカルチャーの「スリバチナイト 19」へ向かうのである。

今回のテーマは「Y字路からの挑戦状」。

「Y字路はなぜ生まれるのか」を書かれた京大の大学院生重永氏をゲストに迎えてのイベント。

わたしは2024年秋に、東京スリバチ散歩と多摩武蔵野スリバチ散歩の2冊と同時に発売された「古地図で訪ねるあの頃の東京」の著者として呼ばれたわけであるが、

「Y字路」がネタとあっては、あれを潜り込ませないわけにはいかない。

2020年に刊行した「東京『多叉路』散歩」である。

というわけで、持ち時間10分のうち、半分を江戸時代のY字路が六叉路に増えていった話を中心に多叉路の話をし、後半は新刊の話という構成に。

休憩ののち、HOVER AIR X1Sを飛ばして記念撮影(会場の許可は取ってます)。

さすがにあれだけ暗い会場だと写りがアレですな

後半はスリバチ学会のおふたりとわたしでそれぞれお気に入り「Y字路」を映し出してそれを重永さんが論評するという面白い趣向なのだった。

そして懇親会。

帰宅すると思いのほか疲れていることに気づき、

これはさっさと寝ないとヤバいなと思っていたら急に寒気がして発熱。

熱が38.6度まで上がり、喉が腫れて臥せってしまったのだった。


2024/11/02

1102:世田谷で東京古道散歩の日

 「東京古道散歩」の日。この日だけ雨模様。がーん。

用賀駅集合なので、1時間1〜2本のバスで用賀へ。

小雨交じりの中、用賀から世田谷、駒留八幡まで歩いて若林駅で解散なり。

参加してくださったみなさま、ありがとうございました。


2024/07/06

0706:「東京古道散歩」の日

 夏の「東京古道散歩」は1回だけやることに。

7月初旬ならまだ真夏の一歩手前だし、梅雨も明けてないだろうから暑さより雨が心配だよなという感じで計画したのだけど、

暑いやんけ。んが。

京橋駅銀座口に集合し

稲荷と近代建築と銀座の歴史の散歩。

まずは京橋川の護岸跡……ってこれ誰もきづかんやろ。わたしもつい最近知りました。




そこから水谷橋跡とか奧野ビルとか銀座跡とか朝日稲荷とか(屋上へものぼりました)歌舞伎稲荷とか、地下の木挽町広場で休憩とか、宝童稲荷とか(宇井野さんがいてくださったので挨拶)、


あづま稲荷とか、宝珠稲荷とか豊岩稲荷とか八官神社とか、

新橋とか。

で、新橋駅で解散。

数人で飲みに行ったら、突然のゲリラ豪雨。

無事雨を避けることができて幸いでありました。

そしたら、フルートとギターの学生さんふたりが流しをやってますってんで席にきたのでみんなで一曲お願いする。

フルートってのがめずらしい。


なんとか電車に乗り、最寄り駅に着いたらもう雨は上がっていて平和。

にしても、この季節の街歩きは予想以上にしんどいですな。

みなさまお気をつけを。


2024/06/01

0601:東京古道散歩の日

東京古道散歩の日。

早めに出かけ、以前から気になっていた「レストラン東洋」でドイツ風ライス。

何がドイツ風かよく分からないけれども、オムライスに近い感覚。




日本橋から京橋へ歩き、そこから東へ向かって八丁堀へ行って解散。

というルート。

終了後、数人で「本の森ちゅうおう」へ立ち寄り

デジタル化はいいけど、もうちょっと「資料のディテールを楽しむ」という観点でなんとかならんかの郷土資料館、



そして屋上からの眺めなどを楽しむ。


2024/05/27

0527:「東京古道散歩」下見の日

天気が悪そうだけど、

そろそろ土曜日の「東京古道散歩」の下見に行かねばなっってことで行く。

行ったことあるエリアでどこで何を紹介していくかある程度頭にあるからそこを街歩きのコースに設定するのだけど、

実際に案内するという前提で歩いてみないとわからんことあるし、

東京は数ヶ月でそこにあったものがなくなった、ってことが頻出するので

下見は必要なのだ。ついでにレビュー用の作例も撮れるしね。

てなわけで、

日本橋から京橋へ。

そういえば髙島屋の屋上には行ったことなかったなと行ってみる。

笠森稲荷あり。髙島屋増築の際、そこにあった稲荷を屋上へ遷したものだそうな。

旧日本橋区から旧京橋区へ。

そこで寄り道して久安橋に立ち寄ろる。

実際に行ってみると、ちょっと冗長かな、特に何があるってわけじゃないので

そこはスルーしよう、と思う。

京橋から八丁堀へ。

途中、道路を渡るための無駄な遠回りをさせられる。まあ古道散歩あるある。

八丁堀跡は東京都下水道局の敷地になっててポンプ所とかあるのな。


中ノ橋のあたりで「本の森ちゅうおう」に立ち寄る。

郷土資料館とか郷土資料コーナーがあるし雨宿りもできる。

作りも立体的で面白く、屋上庭園の展望台からの眺めもそれなりによし。



京橋図書館兼郷土資料館といった風で、

「中央区沿革図集」もまだお安く売っております。

めちゃくちゃ面白いので東京の歴史を地図資料で辿りたい人はぜひ購入を。

3冊セットで買うと重たいけどね←持って帰るのに苦労した

京橋図書館のリニューアルにともない、在庫整理のために特価販売するのだと

言われていたけど、はたしてそうだったのか。でもまあさもありなん。

休憩したら、鉄砲洲稲荷へ参拝し、南高橋から江戸湊発祥の碑をチェック。

ついでに亀島川河口であたりで野鳥作例撮ろうと思ったら……全然いない。

以前来たときは山ほどユリカモメいたのに……季節の問題か。

困ったけどいないものはしょうがない。

日比谷稲荷に立ち寄り(もともと日比谷にあり、江戸城拡張にともなって日比谷村自体が芝口……今の新橋駅近くに移転し、日比谷神社もそれに伴って遷座したものの、氏子から日比谷神社は海沿いになきゃだめだという主張があって、日比谷稲荷がここに建てられたそうな)、

八丁堀駅から地下鉄に。

そして帰りは水道橋で降りて写真展に立ち寄る。




2024/05/04

0504:「東京古道散歩」で日本橋から人形町の日

目黒学園カルチャースクール「東京古道散歩」の日。

日本橋北詰に集合し、按針町、常盤稲荷神社を経て、荒布橋(跡)を渡り、江戸橋を渡り、旧三菱倉庫、〒発祥の地から楓川沿いを南下、海運橋を渡って、渋沢栄一の足跡を辿る感じで近代建築を愛でつつ、鎧橋を渡る。




小網神社は相変わらず大行列なのでスルーして、人形町の元吉原跡へ。

ぐるっと回って水天宮から箱崎へ行って解散。

数人でちょいと反省会というか打ち上げしようってんで人形町方面へ、

裏通りを歩いて行くと、随所に看板建築や昔の商家建築が残っていてよい。

実はこれらは、中央区の「中央区の近代建築物調査」でピックアップされたものだ。

まずは「伍徳」。「町家から看板建築に移行する過渡期を示す、関東大震災前の店舗併用住居」だそうである。大正3年築→ 伍徳

右が伍徳。

こちらは「間瀬家住宅」。「築地仲買人が建てた、日本橋蛎殻町の専用住宅建築」だそうである。昭和6年築→間瀬家住宅


こちらは「京粕漬魚久」。「老舗粕漬屋が活用する、角地型モルタル塗り看板建築の代表例」だそうである。昭和10〜20年頃→京粕漬魚久
今、人形町には魚久が3軒あり、ここが一番古いようだが、もう営業はしてないっぽい。
残りはレストランを兼ねた本店と、人形通り沿いの人形町店だ。


こちらは詳細不明の看板建築。人形町通り沿い。時計店は平日なら営業してるかも(詳細不明)。紅虎餃子房は打ち上げの場所。建物の古さを味わいつつ餃子を食う。


古い建物があったとおぼしき場所が駐車場になっている土地も多く、人形通り沿いにもそれは顕著で、維持管理が大変になった古い木造建築の運命かもしれない。この佐野時計店と紅虎餃子房の周りもいつのまにか更地になっており、この2軒だけが残っている状態だ。

歴史の痕跡が失われるのは寂しいけれども、かといってそこに住んでいる人にとっては古くて不便な家で、それをメンテナンスして住み続けるにも金がかかるわけだし、代替わりの際の相続の問題もあるだろうし、場所柄、更地にしてビルにすればテナントからの収入も見込めるだろうし、一概に残せというのは難しいよなと思う。


2024/04/29

0429:東京古道散歩下見の日

週末の「東京古道散歩」の下見がてら日本橋へ。

日本橋→江戸橋→荒布橋→海運橋→思案橋→親父橋→元吉原大門→人形町→箱崎

という感じのルート。








にしても、小網神社はすごいな。いついっても行列だ。

小網町から人形町に残る看板建築はどんどん減ってるな。行くなら今のうちだ。

帰宅して土曜日に配付する資料を作り始めるが、

あれこれ細かい事が気になって調べ始めるのでなかなか終わらぬ。

山二証券は昭和11年、フィリップ証券は昭和10年築だそうな。

2024/04/06

0406:「東京古道散歩」で日本橋から浅草橋まで歩く日

 予想外の満開桜に出会えた「東京古道散歩」。

雨が不安だったけど、なんとか降られずにすみました。

ありがたや。





参加してくださったみなさまありがとうございました。

ちょっと打ち上げして帰宅したら夜桜だった。



2024/04/02

0402:古道散歩下見で、日本橋から浅草橋へ歩く日

週末の「東京古道散歩」の下見。

三越前駅から日本橋北詰に出る。

日本橋を渡り、江戸時代から続く老舗の「黒江屋」。元禄期から漆器一筋の超老舗だ。

お店はビルの2Fでちょっとハードルが高いのだけど、

なんとこのお店は1658年製造の、江戸時代に使われていた日本橋の擬宝珠を所蔵しており、誰でも見ることができるというのだ。

これはちょっと観ておきたい、ということで2Fへ。




黒江屋と擬宝珠は関係あるの? と尋ねると、うちは昔から漆器専門なので、擬宝珠を作ったわけじゃない、ただ、日本橋の古い擬宝珠が見つかったとき、見つけた人が橋のすぐ前にある黒江屋に持ってきたのだという。それがいつの話かは聞くの忘れたけど、かなり昔だろう。日本橋を何回架け直したか調べないとわからない。今の日本橋は明治44年のものだけど、その前の木造時代は何度も燃えてるからね。

とりあえず、1657年の明暦の大火で焼失し、翌1658〜59年に橋を架け直した、ってのは「武江年表」にあるので、そのときの擬宝珠だろう。ガチで貴重なものじゃないか。

ついでに漆器もあれこれ見せてもらう。漆の赤っていいよねえ。

さらに、その隣にある榮太樓総本舗。こちらも江戸時代から現在地で営業している超老舗。

昔から作っているものといえば、飴と金鍔と甘納豆。

とりあえず、缶入りの飴と土産に金鍔、さらに歩きながら食べようってことで日本橋餅を買う。




そこから一石橋(工事中で渡れなかった)へ行き、新しく作られた公園を抜けて常磐橋御門跡から常磐橋を渡る。


日銀前の桜がいい感じで、この分だと東京古道散歩当日は満開になりそうだ、うひひ、と思いつつ本町通りへはいる。


本町通りが旧日光街道にして旧奥州道。

途中、福徳神社に立ち寄ったり、貝新で佃煮を買ったりしつつ、


本町通りを東へ向かい、地下道で首都高を越え、小津。

今日は時間があるので、小津本館の3階にある資料館を訪問。

撮影不可なのがつくづく残念。実にガチの歴史が埋まってて面白いのだ。

ここも、江戸時代から紙商なのである。


すぐ近くに宝田神社もある。江戸城前にあった宝田村が、江戸時代初期、城の拡張に伴って神社ごとこちらに移転したというのだ。

さらに椙森神社(平安時代創建といわれる。江戸三森のひとつだったそうな)に立ち寄り、続いて、伝馬町牢屋敷跡(十思スクエアにある模型は必見)へ。ここの十思スクエアは休憩場所にいいなってことでここでトイレ休憩を入れることにする。



そういえば、コムロミホさんの写真展が今日から小伝馬町で開催されてるな、ここから近いはず、ってことを思い出し、場所を地図で調べ、ギャラリーへ。

龍閑児童遊園の近く。ここ、浜町川跡の上に作られた公園で、浜町川と龍閑川の丁字路。龍閑川はここと内濠をつないでいたのだ。そこに竹森神社がある。

さきほど訪れた「椙森」は江戸三森のひとつといわれたそうな。椙森と烏森(新橋に烏森神社がある)と柳森(秋葉原駅近く、神田川沿いに柳森神社がある)で三森。

さらに4つ増えた「七森」ってのもあるそうで、竹森神社がある「竹森」はそのひとつ。

六地蔵とか七氷川とは八八幡とか、江戸っ子はそういうの好きですな。

残り3つは、初音の森(馬喰町。初音森稲荷がある)、あずまの森(向島。亀戸の方にあづまの森、吾嬬神社があるのでそのあたりか)、笹森(入谷。入谷のどこだろう。笹森の名がついた神社は見つからず)。


ともあれ、竹森神社に参拝。

そして、コムロミホさんの写真展「猫のよう」を訪問。



なかなかの盛況。

尾道でライカで撮影したモノクロのスナップ写真がずらりと並び、当然猫の写真もあり、

猫がジャンプする瞬間というライカでそれ撮るか? 的な写真もあれば、

眼下に広がる街と島を見つめるおばあさんの写真もあり、

どれもすごく眼差しがいい。

良い写真展を見せていただきました。

旧日光街道に戻り、横山町を抜け、


初音森稲荷。初音の森(の跡)自体はちょっと離れてるけど、いろいろあって神社は浅草橋近くに遷座してるのだ。

両国橋広小路、浅草橋を経由して浅草橋駅から帰宅。


で、「東京古道散歩」の配布資料に取りかかる。