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2024/11/30

1130:多摩センターで古街道と恋路稲荷神社

近所の街歩き仲間友人らと永山駅で待ち合わせ。

そこから、あれこれ多摩センターに残る歴史の残骸を散策しつつ


恋路稲荷神社と稲荷塚古墳へ。

パルテノン多摩で開催されている「恋路稲荷神社の秘密」展へ行く前に

実際の稲荷塚と神社を訪れておこうという趣向なのである。

地図を見ながら、名車墓場的なところを抜け、


恋路稲荷神社へ。奥に見えるのが稲荷塚古墳。


このあたり、古墳群があったのだ。

近くに臼井塚古墳があるようだから探してみようと和田さんがいうので

探してみると、臼井家の敷地らしい。

たまたま臼井家の方が外に出てらしたので声をかけてみると、

なんと古墳に案内してくれるという……削平されて古墳自体は残ってないけど、このへんでしたよと。臼井さん、おじさん3人組の突然の訪問にもかかわらずあれこれ説明してくれてありがとう。ここでお礼を。


話を伺うと、江戸時代に百草村から7軒の人たちが移住して開拓した、もともとは百草村の飛地で、その7軒のひとつが臼井家だそうな。旧家ですな。

さらに稲荷塚の話も教えてもらう。

集落で管理していた稲荷塚と恋路稲荷神社だが、多摩市へ管理を移管するにあたり、墳頂に宗教施設があっては引き受けられないってことで、稲荷塚から稲荷を下に降ろし、新しい社殿を設けたという。

なるほど。

良い話を聞けた。

ちなみに「恋路」というのはこのあたりのもともとの地名で、「恋路原」(こうじっぱら)といったらしい。


まあおそらく「恋路」ってのは当て字。元はどんな意味だったか。

臼井家を辞去してバス通りまで歩き、バスで多摩センターへ。


そこからパルテノン多摩。

「ここまでわかった古街道展」と


「恋路稲荷神社の秘密」展である。


古街道展は宮田先生の「歴史古街道団」のイベント。

各種研究成果の展示や講演で構成されている。

今回は「かわいい土木」で知られる三上さんも登壇されたと云うことで久しぶりに会う。

で、宮田先生と世間話しながら、恋路はもともとなんだったんでしょう?

と話を振ると、「あれは国府路ではないか」という。国府津は「こうづ」、国府路は「こうじ」と転訛するのはぽぴゅらーで、なるほど、国府路→こうじ→恋路となったと思えばしっくりくる。


で、もちろん国府路ってことは古道だったわけで、北上すると小野神社、一宮の渡し経由で府中へつながってた奥州古道だったんだそうな。

まさか、恋路が奥州古道までつながるとは思わなかった。

やはり第一人者の話は面白い。

でもね、それはそれとしておいといて、せっかくの「恋路稲荷」なんだから、縁結びの神様ってことにして、恋路まんじゅうとか恋路もなかとか恋路アクスタとか作って、古墳の上で告白するとうまくいくとか適当な都市伝説作ってやれば……←やめとけ

ともあれ、さんざん堪能したのち、イルミネーションを撮って帰る。

京王プラザホテルが解体されて更地になったおかげで、背景がヌケていい感じのイルミネーション作例が撮れたのだった。


ここんとこバタバタしてて、このように仕事とは関係ない趣味のフィールドワークはしてなかったから楽しかったわー。


2024/11/16

1116:府中の日

ヨークカルチャーセンター府中店での街歩き講座。

府中本町から多磨霊園駅まで品川道(初期甲州街道)を寄り道しながら歩く。


天候も良く、予定より早く駅についたのでちょいと「かなしい坂」まで足を伸ばす。

午後は保護猫シェルターqueueで猫撮影。
カメラはZ50II。





2023/10/31

1031:東京古道散歩の下見で目黒界隈

次の「東京古道散歩」は中目黒からの鎌倉街道伝承。

個々のエリアは知ってるけど、今回設定したコースで通して歩いたことはなかったので

下見にいく。

ついでに、めぐろ郷土資料館にも久々にいっていい資料があったら買いたい。

でも中目黒いって郷土資料館いって下見もして、となると電車だとしんどいなあ。

自転車で行っちゃえ、

ってことで久しぶりに自転車の日。

ややこしい交差点

パイナップル馬頭観音

終末支線

高額5xズーム猫

今日は湧水なかった

めぐろ歴史資料館が学校っぽいのは学校だったから

単なる道標と思っていたら、庚申塔でもあった

芦毛塚

碑文谷八幡宮は久しぶり

久々にそれなりに走ったら疲れたー。

数ヶ月前、iPhone 14 Pro用に買ったスマホホルダーはPro Maxでもちゃんと使えたのでよかった。


資料作成は明日にしよう。

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自転車用スマホホルダーAiriar



2023/08/19

0819:亀戸から平井へ歩きつつトークイベントへ

平井の日。

平井駅前にある平井オープンボックスで開催される

「「暗橋」で楽しむ平井さんぽ ~平井の本棚・半径3㎞の新たな出会い展 開催記念トークイベント」

へ。

「「暗橋」で楽しむ東京さんぽ」なる本を書いた暗渠マニアックスのおふたりと、旧町名の本を書いた102so(じゅうにそう=十二社、と読むそうです)さんのトークライブで、

暗渠マニアックスのふたりはもともとの知り合いで、「「暗橋」で楽しむ東京さんぽ」のブックデザインやレイアウトを妻が手がけていることもあり、

妻が招待されたのでわたしもくっついていったのである。

で、イベントは17時から。それまで時間があるなってことで、ひと駅手前の亀戸で下車して街歩きしながら向かうことにしたのだが、炎天下は暑かった。

亀戸天神はスルーし、

亀戸駅から北上してまずは香取神社。

香取神社は下総国一宮であり、江戸時代に武蔵国に編入される前はここは下総国だったのだ。

隅田川以東に香取神社が多いのはもそのせいである。ここの香取神社は665年創建という。



香取神社には「亀の井」という亀戸の地名の起こりとされてる井戸があったそうである。

亀戸の亀は、亀の甲羅のような州があったのが由来といわれており、海に近く、真水が得られる井戸は貴重だったのだろう。

665年創建というのがある程度の史実を含んでいるのなら、当時はこのあたりが陸地の南端だったと思ってよさそうだ。

さらに北上してスカイツリーがよく見える北十間川を渡り、

吾嬬神社を抜ける。

吾嬬神社はその名の通り、日本武尊伝承がある土地。当時、浮洲の森があり、吾嬬の森と呼ばれていたそうである。

吾妻神社の辺りや香取神社の辺りは往古は中川の河口あたりにいくつもの州があったのだろう。


吾妻神社の裏を抜けて行徳道へ出る。

行徳と浅草を結んでいた古い街道なのだ。

たぶん、江戸時代より前からあったんじゃないかな。場所的に。

平井は室町時代からある地名だし。

そして東あずま(ひがしあずま。あずまといえば東のことなので何がなんだかな地名ではあるが、このあずまは「吾嬬」のあずまなのだ。漢字だと東吾嬬。記紀によると、日本武尊が走水で失った妻を嘆いて「あづまはや」と言ったのが、東国を「あずま」と呼ぶ語源とあり、あずまは「東」を指す言葉であるから、「ひがしあずま」は「東東」なのだ)駅前で踏切を渡る。


当初は「平井街道」駅だったが(行徳道沿いに駅があるからね)、戦後「東あずま」駅に名前が変わったのだ。吾嬬神社があることからこの辺は「吾嬬」と呼ばれており、吾嬬の東だから「東あずま」なのだろうけど、もやもやする。

ともあれ、駅前のあんみつのお店でクリームあんみつをたべてひとごこち。


行徳道沿いに大井戸稲荷あり。由来は傍らに井戸があって旅人のノドを潤していたからという。やはり海に近い街道で真水が貴重だったのだというのが偲ばれるわけである。


行徳道を辿り、平井橋で中川を渡り、


旧道沿いに、道標、諏訪神社、平井聖天として知られる燈明寺を参拝し、




平井駅へ。

駅前で熱中症らしき症状で倒れた人あり、近所の人が助けようとしてる。

手伝おうと119番にかけるが、一向につながらず。

やがて、駅前の交番からおまわりさんがやってきて助けてくれる。

倒れた人を最初に見つけた人が交番に走ってくれたそうである。

次々と近所のお店の人が氷をもってかけつけたりして

下町っぽさを感じる。彼は無事回復したろうか。

そうこうしてるうちに時間になったので平井の本棚2F にある平井オープンボックスへ行き、トークイベントを楽しむ。



会場にはなんと「東東京区区」(ひがしとうきょうまちまち)の作者かつしかけいたさんもいらしててびっくり。

「東東京区区」は東京低地を散歩するマンガなのだけど、登場人物の多国籍感も含めて非常に面白いのでおすすめ。

東京低地の古道ってなかなか行く機会がないので、炎天下でへろへろになりつつも歩いてみてよかったわ。海に近い低地ならではの歴史が隠れてるもの。今は海も遠くなって、海沿いって意識はないけれども。




2023/08/12

0812:上板橋から下練馬までくずバーを食べつつ旧川越街道散歩の日

上板橋へ行く。

妻が上板橋にある「なかむら」のくずバーを食べたいというのだ。

せっかくなので、上板橋駅から東武練馬駅まで川越街道旧道散歩に付き合わせる。

駅前から南下してランチを食べ、現川越街道と旧川越街道の分岐点まで行き、

左が現川越街道、右が旧道

そこから旧川越街道を歩きつつくずバーのお店を目指す。

古い医院の建物やら銭湯やらを愛でつつ、



くずバーの店へ。



くずバーを食べながら歩き、

下練馬宿へ入り、庚申塔やら馬頭観音やら道標を愛でつつ、

板橋区と練馬区の境界にある庚申塔

川越街道下練馬宿

板橋区と練馬区の境界、しかも道路のど真ん中にある馬頭観音

大山道の道標

浅間神社で富士塚に上ったりしつつ、

浅間神社の富士塚山頂から

東武練馬へ。

ちなみに、川越街道下練馬宿は練馬区で東武練馬駅は川越街道旧道にほど近いのだけど、駅があるのは板橋区なのだった。ややこしい。

東武練馬の地蔵尊

地元の人しか通らない狭い通路を抜けようとしたら向こうからやってきたおばあさんが

バランスを崩して転んだので慌てて支え、

右足が痛いというのでどうしようかと思案していたところ、

後ろから追い抜いていったカップルの方が

こちらを振り返ってくれ、お手伝いしましょうかという顔をしてくれたので

お願いし、4人で介抱し、どうも立って歩けない風だったので救急車を呼んでくれたりなどする。

ちょっとしたハプニングでありました。

お手伝いくださったカップルの方、ありがとうございました。

無事だったろうか。

そうそう、

今日気づいたのだが、

「板橋」って

上板橋・中板橋・下板橋、さらに板橋本町に新板橋に板橋区役所前、そして板橋駅と

「板橋」がつく駅が7つもあるのだ。すごいね。

何がすごいって、この中に東西南北が付く駅が含まれてないことだ。

で、

来年の東京古道散歩で川越街道旧道を楽しむことにする

2023/04/09

0409:自転車で多摩川を越えた日

天気がいいのでe-bikeで出動。

途中で「そういえば出かける前にカメラにメディアが入ってたか確認してないぞ」と気づき、

停車してチェックしたら、空だ。がーん。

そんなこともあろうかと、財布に予備メディアを入れてるのだ……はいってない。

そういえば先日同じようなことがあって予備メディアを消費したまま補充してなかったのだ。だめじゃん。

だがしかし、運がいいことに今日のルートの途中にビックカメラ+コジマがあったのだった。

おもわずかけこんで64GBのメディアを1枚買う。


e-bikeの記事用に岡本三丁目の坂を上る。

さらに宇奈根方面へ足を伸ばす。

走りながら、そういえばここに庚申塔があったよな……ない! なんか家が建ってる。

ああ残念と思ったら、道路を少し入ったところに移設されてた。よかった。



さらに走り、多摩川を越え、腹が減ったので津久井道からちょっとそれて向ヶ丘遊園駅前へ行ったら……なんと更地になってた。がーん。

駅前にあった、多摩丘陵栗最中の和菓子屋さんはいずこへ。



登戸から向ヶ丘遊園駅まで全体をつぶして道路もつぶして作り直して大再開発をしてるのだなあ。これはびっくり。

あきらめて、某所で猫を愛でつつ休憩。


帰りは写真家の方が猫ボランティアをされてる某神社へ立ち寄り、しばし集まってる猫好きの方々と談笑しつつ撮影。

今日でバッテリーが切れるかなと思ったらまだ持つ。

100km超えてるのに。すごいな。

夜、ascii.jpの猫連載を書いてメール。