数日前、各媒体に一斉にmacOSの新バージョンの記事が載る。
これがおすすめ。
この秋に出るバージョン、ポジティブな評価はよいとして、
ネガティブなところで2つ。
・32bitアプリが動かなくなる
・Apertureがとうとう動かなくなる
である。
まあどっちも予告されていたことなのだけど、
今一度大声で言わないとやばい気がする。
何はともあれ「Catalina」では32ビットアプリは動かなくなります。
うちでは
・Media Pro
すでにディスコン。アップデートされない。
画像カタログソフトで、図版の管理に使ってる。
たとえば、猫連載で使った画像をずらっと並べて過去に使ったものを再使用しようとしてないかチェックするとか。
指定したフォルダ内のファイルをサブフォルダも含めて一覧できる画像閲覧アプリがあるとなんとか代替できる。普通の画像ブラウザだとフォルダ単位でしか視られないのでダメ。サブフォルダ内の画像や映像もスキャンしてくれないと。
・Ascent
Mac用のGPSログ管理ソフト。昔、Garmin Edge 705のGPSログを管理するのに使ってた。GPSログを残したいので、ちまちまと、ログをgpxファイルに書き出し中。それが終わったらもう捨ててok。
ただ、複数のログをまとめてgpx書き出しする機能がないのでめんどくさい。
・Synchronize! Pro X
むかーしから使ってるファイル同期ソフト。ファイルのバックアップに使ってる。
アプリとしての使い勝手はちょっと前時代的だけど、ずっとそれでやってるので。
開発元のサイト見たら、64ビットアプリに対応する予定はないよ、ってしれっと書いてあったので代替ソフト探し中。ひとつ見つけたのだがいまひとつスピードに難ありなんだよなあ。
・エプソンの各アプリ
まあ、使ってるかといわれると微妙なのだが、アップデートする気あるんだろうか。
・オリンパスデジタルカメラアップデーター
オリンパスのカメラはこのアプリを使ってUSB接続してファームアップしなきゃいけないのだ。はやく64ビット対応してもらわないと。
・Android File Transfer
Android機をUSBケーブルで繋いで、中のファイルを管理できるソフト。Android機のレビューの際、スクリーンショットや撮った画像・映像をMacに吸い上げるのに使ってる。
これ、全然バージョンアップしてないんだよなあ。
・そのたもろもろ
まあ普段使ってないのも含めていっぱいあるのであった。
ちなみに32ビットアプリかどうかの判断はこれでわかります。
・Apertureのライブラリ
これはもう小さいライブラリは「写真」ライブラリに変換するか「Lightroom」化するか。大きなライブラリでそれやると死ねるので(数100GB以上とかざらにある)、その辺はApertureライブラリを捨てて、別途バックアップ用に確保してある元画像ファイルからあらたにLightroomカタログ作って対処だな。
いやはや、どうしましょうねえ。
古くからMac使ってる人ほど、意外なとこに32ビットアプリが沈殿してるというわけで、
とりあえず最善の手は
「今使ってるマシンはそのままにしといて、
新しいMacを買ってクリーンな状態から使い始める」
なんだけど、30万円飛んできます。いやはや。
そろそろ買い換え時期といえばそうなのだけど。
2019/06/30
2019/05/25
山王日枝神社にある謎の土塁?トンネル?祠?の謎
「まいまい東京」で訪れた赤坂の「日枝神社」(山王日枝神社。山王さま)だが、
以前からずーっと気になってるとこがあったのである。
で、調べてみたのでここにメモ。
明暦の大火後、松平忠房邸(深溝松平家。神社がここにきたころは、福知山藩藩主)があったこの地に遷座した。
今は赤坂駅からちょっと東へあるいて外堀通りを渡り、2000年に完成した巨大鳥居をくぐってエスカレーターに乗ればすぐだ。
これは「まいまい東京」の当日に配布したお散歩の友となる配布資料の一部。
こういうのがお好きな方、ぜひ、ご参加を。
で、右にあるのが
寛文10年(1670年)の地図。遷座した11年後だ。
その、
日枝神社、中央に回廊に囲まれた社殿があり、
その北側に山王稲荷などの摂社がある。
山王稲荷はもともとここに屋敷を持っていた松平家の屋敷神だったようだ。
気になるのはそのさらにその北側、
フェンスがあって立ち入れない空間に謎の土塁っぽい塁とトンネルと祠があるのだ。
「これ謎です」ですませるのも悔しいので
FBで尋ねてみた。
これが土塁っぽい盛りとトンネル。
これがトンネルの右手にある祠。
山王日枝神社は昔「星が岡」と呼ばれていて、
中世に「星が岡城」があり、その名残の土塁だという伝承があるようだが、
調べても、星が岡城があったという古い資料が出てこない。
個人的には昔誰かが地形的にそうなんじゃないかといいだしただけで、
何の根拠もないんじゃないかなと思ってる。
まあ、砦をつくるにはよい場所だし、渋谷から江戸城を攻めるときに
一ツ木原(赤坂の一ツ木通りに名前が残る。四ッ谷から赤坂あたりの地名だったもよう)の合戦もあったわけで、
渋谷城から赤坂御所あたりを抜けて麹町へ至る古道を思うと
可能性はないことはないだろうけど。
ちょっとひっかかるので、城には触れないことにしてる。
それ以上に興味深かったのが古墳だった説。
東京を見てまわってたくさんの古墳を発見した鳥居龍蔵博士がこのあたりを巡検して古墳だといったそうで。
確かに、明治から戦前の地図を見ると、ちょうどこの位置に「2つの塚」が描かれてるのだ。
それが削られて一部だけが土塁のように残ったというのが正しいかも。
追記
鳥居龍造博士の記述を国立国会図書館デジタルコレクションで発見。
トンネルが穿ち、とあるので同じものをさしてるはずである。
「上代の東京と其周囲」
以前からずーっと気になってるとこがあったのである。
で、調べてみたのでここにメモ。
明暦の大火後、松平忠房邸(深溝松平家。神社がここにきたころは、福知山藩藩主)があったこの地に遷座した。
今は赤坂駅からちょっと東へあるいて外堀通りを渡り、2000年に完成した巨大鳥居をくぐってエスカレーターに乗ればすぐだ。
これは「まいまい東京」の当日に配布したお散歩の友となる配布資料の一部。
こういうのがお好きな方、ぜひ、ご参加を。
で、右にあるのが
寛文10年(1670年)の地図。遷座した11年後だ。
その、
日枝神社、中央に回廊に囲まれた社殿があり、
その北側に山王稲荷などの摂社がある。
山王稲荷はもともとここに屋敷を持っていた松平家の屋敷神だったようだ。
気になるのはそのさらにその北側、
フェンスがあって立ち入れない空間に謎の土塁っぽい塁とトンネルと祠があるのだ。
「これ謎です」ですませるのも悔しいので
FBで尋ねてみた。
これが土塁っぽい盛りとトンネル。
これがトンネルの右手にある祠。
山王日枝神社は昔「星が岡」と呼ばれていて、
中世に「星が岡城」があり、その名残の土塁だという伝承があるようだが、
調べても、星が岡城があったという古い資料が出てこない。
個人的には昔誰かが地形的にそうなんじゃないかといいだしただけで、
何の根拠もないんじゃないかなと思ってる。
まあ、砦をつくるにはよい場所だし、渋谷から江戸城を攻めるときに
一ツ木原(赤坂の一ツ木通りに名前が残る。四ッ谷から赤坂あたりの地名だったもよう)の合戦もあったわけで、
渋谷城から赤坂御所あたりを抜けて麹町へ至る古道を思うと
可能性はないことはないだろうけど。
ちょっとひっかかるので、城には触れないことにしてる。
それ以上に興味深かったのが古墳だった説。
東京を見てまわってたくさんの古墳を発見した鳥居龍蔵博士がこのあたりを巡検して古墳だといったそうで。
確かに、明治から戦前の地図を見ると、ちょうどこの位置に「2つの塚」が描かれてるのだ。
それが削られて一部だけが土塁のように残ったというのが正しいかも。
追記
鳥居龍造博士の記述を国立国会図書館デジタルコレクションで発見。
トンネルが穿ち、とあるので同じものをさしてるはずである。
「上代の東京と其周囲」
2019/05/17
等々力陸上競技場は東京と神奈川の旧府県境にたっていた!
そうそう、等々力陸上競技場の小ネタ。
等々力陸上競技場がある広大な公園は多摩川が作り出した低地で、
多摩川の旧流路跡なのである。
いつ流路がかわったのかは調べてないけど、
明治時代後期までは江戸時代の境界がそのまま残っていて、
旧流路が「府県境」だったのである。
(江戸時代に旧流路が境界だったということは、江戸時代のどこかで今の流路にかわったのですな)
だから、「等々力」という世田谷区側の地名が川崎市側に残っているのだ。
で、明治時代の府県境がついてる地図を重ねてみると、
こんなことに。
ちなみに赤い線はGPSログです。
つまり、
ホーム側自由席(フロンターレのゴール裏応援席)は
明治後期までの「東京府」、
アウェイ側自由席(アウェイチームのゴール裏応援席)は
明治時代から「神奈川県」
だったのである。
いやだからどうということはないけど、
これが「多摩川クラシコ」(川崎フロンターレvsFC東京)だったりすると、
旧東京府側に川崎、昔からの神奈川県側に東京のサポが陣取るという
ちょっと面白いことになるわけである。
これが逆だったら、
かつてスタジアム上にホームとアウェイの境界線があり、
東京側vs川崎側の境界ダービーという
面白いネタになってたかもしれない。
等々力陸上競技場がある広大な公園は多摩川が作り出した低地で、
多摩川の旧流路跡なのである。
いつ流路がかわったのかは調べてないけど、
明治時代後期までは江戸時代の境界がそのまま残っていて、
旧流路が「府県境」だったのである。
(江戸時代に旧流路が境界だったということは、江戸時代のどこかで今の流路にかわったのですな)
だから、「等々力」という世田谷区側の地名が川崎市側に残っているのだ。
で、明治時代の府県境がついてる地図を重ねてみると、
こんなことに。
ちなみに赤い線はGPSログです。
「スーパー地形」より |
つまり、
ホーム側自由席(フロンターレのゴール裏応援席)は
明治後期までの「東京府」、
アウェイ側自由席(アウェイチームのゴール裏応援席)は
明治時代から「神奈川県」
だったのである。
いやだからどうということはないけど、
これが「多摩川クラシコ」(川崎フロンターレvsFC東京)だったりすると、
旧東京府側に川崎、昔からの神奈川県側に東京のサポが陣取るという
ちょっと面白いことになるわけである。
これが逆だったら、
かつてスタジアム上にホームとアウェイの境界線があり、
東京側vs川崎側の境界ダービーという
面白いネタになってたかもしれない。
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