「おじさんの哲学」(続き)

Kotenkaiseki.jpgMoriTsuyoshi.jpeg昨日に続いて、永井朗「おじさんの哲学」で紹介されている文化人のうち、私が直接会ったことのあるもう一人、森毅先生について。

森先生は、数学志望の学生にとっては、大学に入る前から良く知られた先生だった。
当然、先生の著作も何冊かは読んでいる。「現代の古典解析」(表紙はネットで拾った写真、私が読んだ本は装丁が違ったように思う)「現代数学とブルバキ」というような教養的な数学の本、社会人になってからは、いくつかのエッセイ類。

最初に森先生に会ったのは、大学入学直後に、学生グループが企画した教官と話そうというような催しに森先生が来ていて、有名人だから見に行こうということで参加。何の話だったかあんまり記憶にないが、こんなことをおっしゃっていたのを覚えている(他の機会に聴いたことかもしれないが)。当時、有吉佐和子「恍惚の人」がベストセラーになっていたのだが、森先生曰く、「わしは恍惚の人志願や。周りは大変かもしらんが、本人にはそういう意識はないんやから、苦しんで死ぬよりええやんか」。
(しかし先生は自宅で料理中に火が服にうつって大火傷を負い、厳しい闘病の後にお亡くなりになったと報道されている)
Bochner.jpg
その後、2年生の時に「自然科学史ゼミ」という半年で1単位という、それこそ冗談みたいなというか、冗談そのものの授業があって、これに出てみることにした。
この授業は、ゼミと言うけれど、実態は、森先生と井上健先生(物理学の大先生!ノーベル賞候補にもなってたらしい)の2人が掛け合いで、自然科学史の話題について雑談するだけのもので、学生といっても私を含めて2、3人。真面目な理系学生が来るところではないわけ。

雑談はとりとめないから雑談だが、さすがに何らかのネタがないと始まらないので、森先生がボホナー「科学史における数学」という本を話題にして、井上先生がそれに相鎚を売ったり突っ込みを入れる。学生もテキトーに感想を言うような感じ。今でもいくつかは覚えている。

○ギリシャ数学はスゴイとみんな評価するけど、あいつらは掛け算の記号を持ってないから、なんでも比を使って説明するんや。わしらから見たらやっとられんわ。
○小学校で1個10円のリンゴを5個買いましたというのを、10円×5と書かせるけど、10円/個×5個と書かせるべきや。(dimension概念を教えるべきという話)
○底角が等しい三角形は二等辺三角形という有名な「ロバの定理」やけど、この証明をコンピュータにやらせたら、「△ABCと△ACBにおいて」とやったらしいんや。人間にはなかなか思いつかんことや。

こういう雑談が延々と続く。

GendaiOngaku.jpgで、最後の授業で、「去年までは勝手な自主ゼミやったが、今年からは正規の授業として1単位認めてもろたので、単位を出さなあかん。そこで、単位が欲しい人はその意思表示をしてもらうことにしたので、要るんやったら何でもええからレポートを出して」ということに。
ただし、1単位というのは通常アリエナイ単位数。卒業とか必修とかの単位はみんな偶数で、他に奇数単位を出す授業がなければハミ子になる運命である(そしてやっぱりこの奇天烈な授業以外に奇数単位のものはない。だからマジメな学生はレポートを出してなかったように思う)。

出しましたよ、レポート、題して「現代音楽の数学的構造」、原稿用紙十数枚。(といっても実はタネ本がある。ゴレア「現代音楽の美学」。セリー、トーン・クラスター、電子音楽、チャンス・オペレーションについて語った異様な本)

ところで、私が良く使う、この稿でも使ってる「アリエナイ」という表現は森先生のマネである(この手のカタカナ書きが森流かも)。
もともと、「アリエナイ」(impossible)、「アタリマエ」(clear or trivial)などは数学屋が多用する語。
ちなみに、物理屋は、“なんで数学の奴はメチャメチャ考えてあげくの果てに「アタリマエ」て言うんや、そんなに考えなワカラヘンのやったらアタリマエちゃうやろ”、と言う。
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