「地政学で読む近現代史」
内藤博文「地政学で読む近現代史 : 対立する米中の「覇権の急所」はどこか」について。
以前、「地政学という言葉がよくわからない」と書いたことがある。
なぜわからないという感覚を持ったのかを内省すると、「学」という言葉に惑わされたかららしい。「学」というと何か体系的な学問を想起するのだけれど、地政学それ自身で何か理論が打ち立てられている感じはない。「地政学的に…」という用例はほとんどの場合、「地理的な条件から政治的含意を考えると…」と置き換えられると思う。
とはいえ、異なる地域において、地理的条件が似ているとその地域での国際関係も似たように推移することが多いと想像されるから、そのパターンを見出すことは学問的意義もあるかもしれない(博物学みたいなもの?)。また、どういう着眼点を持って国際関係を分析するかという実用的な知識とも言えるだろう。
「地政学」というものは、だいたいが実力(軍事力、経済力)をベースとした国際関係をテーマにするわけだから、軍事的な臭いのするもの(きな臭いもの)を嫌ってきた戦後日本ではあまり大きな顔ができなかったという話もあるらしい。(それで戦後の平和教育で育った私にはなじみがないということになる)
そのきな臭さというものが詰め込まれているのが本書である。
本書の著者は、地政学者あるいは政治地理学者というような学者ではなくて、どちらかといえばジャーナリスティックな仕事をされる人のようだ。
だからだろうと思うが、特定の地域をテーマに地政学を考えるといった研究者的態度ではなく、世界を広く見まわして、さまざまな係争地のそれぞれの地政学からの分析(というか解釈)が披露される。
そのどの一つをとっても私に分析の当否を判断する能力はないのだけれど、たしかに説得力がある。
ただ前から思っているのだけれど、なるほど近接しているとか、要所・要路にあるというような地理的条件は、精神的なことも含めて重大な要素だと思うのだけれど、陸・海・空につづく2つの戦場―宇宙とサイバー―から見た場合は必ずしも地理的条件だけではないように思う。
谷口長世「サイバー時代の戦争 」にGCHQ(政府通信本部)のことが書いてあるが、イギリスにあるこの本部が、ソマリアの海賊船の通信を傍受したものを分析しているという。
北朝鮮のICBMに米国が神経をとがらせるのも地政学の視点とは言えないだろう。
卑近なところでいえば、インターネットの利用では、DNSを例にとると、どこかのドメインが異なるアドレスに移設された場合、その情報がネット上で伝達されるまでそれなりの時間を要する。だから米国のどこかのサイトの引っ越しが全ネットに影響する場合もあるようだ。
東日本大震災では、大企業の支店も被害を受けているが、そうした支店の情報システムの本体は東北地方にはなく、東京やそのバックアップである他の地域にあったから、その部分は深刻な事態にならなかったという。
地政学的視点が重要だということに異論はないけれど、それだけでは国際関係は読み解けなくなっているという気もするのだけどどうだろう。
もちろん地政学にはまった問題も多いし、大きなものだ。ロシア-ウクライナにしろイスラエル-ガザ地区にしろ、隣国との係争である。
本書にはそうした問題を―これがまた世界中に数多い―を読み解くセンスを磨いてくれるかもしれない。
1章 中国大陸の地政学 ―統一中国は、なぜ膨張政策を進めるのか? | ||
統一中国の膨張政策の歴史 | ||
共産化後、領土を倍増させた中国 /冷戦下の地政学的地位を利用し、膨張を黙認させていた中国 /なぜ中華思想による地政学は、他国の文化・歴史を消していくのか? | ||
新疆ウイグル自治区の中国化を強行する背景 | ||
通商ルートとなる回廊地域にあり、中国を圧してきた東トルキスタン /なぜ中国は、東トルキスタンの独立をゆるさないのか? /ウイグル人圧迫と「一帯一路」構想の関係とは? | ||
チベットの制圧・中国化に固執する中国 | ||
なぜ歴代の中国大陸王朝は、チベットに苦しめられてきたのか? /インドと戦ってまで、チベットを手中にしたかった毛沢東 | ||
南モンゴルの中国化を早くから進めてきた中国 | ||
なぜモンゴルは、中国大陸に恐怖の記憶を植え付けたのか? /18世紀以後に激変した、モンゴル高原の地政学的な地位 | ||
中国東北部(満洲)が中国の潜在的不安要素である理由 | ||
中国大陸とも対抗しうる「大国」 /なぜ日本は、満洲国を建国し、中国大陸に侵攻したのか? /なぜソ連は、中国に満洲を明け渡したのか? /中国の首都が、中原から北京へと移った理由 | ||
清帝国の版図をなぞる中国の地政学的戦略 | ||
満洲族による中国大陸封鎖網を逆利用した現代中国 /中国に独裁国家が成立しやすい地政学的理由 | ||
2章 日本周辺国の地政学 ―東シナ海で中国は何を狙っているのか? | ||
台湾・東シナ海の支配を目指す中国の狙い | ||
なぜ中国は、ほぼ不可能にもかかわらず、台湾併合を声高に叫ぶのか? /海上封鎖に脆く、対処できないままだった中国王朝 /なぜ中国は、海洋政策で失敗をつづけてきたのか? /中国は台湾の重要性にいつ気づいたのか? /なぜ中国は、尖閣諸島の領有にこだわるのか? | ||
朝鮮半島が中国に支配されない理由 | ||
侵攻はできても、完全統治のむずかしい朝鮮半島 /なぜ朝鮮半島は、日本を巻き込んでの「大戦争」の場になりやすいのか? /なぜ北朝鮮は、ロシア、中国の従属国家にならないのか? | ||
日本と中国が対立する地政学的宿命 | ||
日中友好をむずかしくしている“世界の視線" /日本海軍殲滅を可能にした、アメリカの「海洋国家」 戦略とは? | ||
3章 アメリカ・太平洋の地政学 ―アメリカがいま、中国の封じ込めを開始した理由 | ||
中国の膨張政策を看過しないアメリカ | ||
なぜアメリカは、ユーラシア大陸のスーパーパワー誕生を阻止してきたか? /なぜアメリカは、モンロー主義を転換し、日米戦争をはじめたのか? | ||
アメリカ建国の歴史が決定づけた、その後の世界戦略 | ||
なぜアメリカは、モンロー主義を長くつづけてきたのか? /アメリカが分裂しなかった幸運な事情 /アメリカは何のために南北戦争をしたのか? /南部を完全屈伏させた海上封鎖作戦 | ||
アメリカが恐れる地政学的弱点 | ||
なぜパナマ運河は、アメリカの世界戦略を大きく変えたのか? /アメリカが中南米で「棍棒外交」にはしる理由 /なぜ「キューバ危機」が起きたのか? /なぜアメリカ対キューバは、中国対日本の構図に重なるのか? /ロシアや中国には、アメリカの「モンロー主義」は通用しない /ベネズエラのチャベス政権がとった、地政学的戦略とは? | ||
日米戦争におけるソロモン諸島の特殊な地位 | ||
なぜ日米戦争の事実上の「天王山」は、ソロモン諸島の戦いとなったのか? /なぜ日本は、ガダルカナル島を海上封鎖できなかったのか? /空母を犠牲にしてでもガダルカナル島の海上封鎖を解きたかったアメリカ /なぜニューギニアやソロモン諸島を、オーストラリアは放置できないのか? /ニューギニア攻防戦を分けた、日米の地政学観の相違 /なぜ中国は、ニューギニアやソロモン諸島への浸透を図っているのか? | ||
4章 ヨーロッパ・ロシアの地政学 ―イギリスは何を求めてEU離脱を決断したのか? | ||
ドイツの首都と、ポーランドの膨張主義の関係 | ||
東西統一後のドイツの首都が東のベルリンになった地政学的理由 /なぜドイツは、中国と蜜月であろうとするのか? /ドイツとロシアの「緩衝国」にはならないポーランド /ポーランドはひ弱な国ではなく、その本質は膨張型国家 | ||
フランスの首都パリがもつ地政学的意味- | ||
なぜフランスは、ヨーロッパの中で早くに統一国家になれたのか? /「バリ=フランス」の関係に気づかなかったゆえのナポレオンの敗北 | ||
ベルギーがヨーロッパの火薬庫である理由 | ||
EUの本拠がベルギーの首都・ブリュッセルに置かれている意味 /なぜイギリスは、ベルギーのために、第1次大戦に参戦する愚をおかしたのか? /第2次大戦の勝敗の鍵を握っていたベルギー | ||
イギリスが世界帝国を形成した地政学的背景 | ||
同じ島国でありながら、安全保障思想が異なるイギリスと日本 /大陸の政治や戦争に影響を受けつづけてきたイギリス /ヨーロッパに強大な国家を誕生させない戦略に移行したイギリス /なぜイギリスは、世界最強の海軍国となりえたのか? | ||
独立志向をもつスコットランドとイギリスの関係 | ||
なぜイングランドとスコットランドは、同じ島なのに文化が異なるのか? /なぜイングランドは、スコットランドとの統合を進めたのか? | ||
ヨーロッパの中心から後退したイタリアの地政学的地位 | ||
なぜイタリア半島に、強大なローマ帝国が興ったのか? /4世紀以降、独立性を失っていったイタリア半島 | ||
地中海制覇に欠かせないマルタ島の意義 | ||
なぜ大きなシチリア島より、マルタ島が要衝となるのか? /イギリスの繁栄に欠かせなかったマルタ島 /ロンメルの機甲師団の死命を制したマルタ島 | ||
ロシアがウクライナを執拗に抑圧する理由 | ||
モンゴル、ポーランド、ドイツ騎士団…ロシアに対する侵略の数々 /ロシア防衛の要・縦深戦略に欠かせないウクライナとベラルーシ | ||
5章 中東・アフリカの地政学 ―宗教対立だけではない、中東不安定化の要因 | ||
地政学的に見たイランの核武装願望の意味 | ||
なぜイラン高原から準世界帝国が誕生しやすいのか? /メソポタミアに進出できないイランの憤が、核武装にはしらせる | ||
イラクがたびたび戦争の当事国となる背景 | ||
なぜ中東世界は、争いごとが多く、混沌としやすいのか? /アメリカのイラク潰しが中東の勢力バランスを崩した | ||
宗教対立だけではない、パレスチナ問題の深層- | ||
なぜパレスチナは、中東の要衝なのか? /なぜパレスチナでキリスト教が誕生したのか? | ||
ロシアが中央アジア制圧に固執する理由 | ||
北カフカスを放棄できないロシアの地政学 /ロシアを意固地にさせる、アフガニスタン撤退の屈辱 | ||
南アフリカが大陸で突出した地位にある背景 | ||
喜望峰の存在と疫病の少ない風土が、南アフリカを押し上げた /なぜアフリカに大国は生まれないのか? | ||
6章 インド・東南アジアの地政学 ―インドと中国は、なぜ対立するようになったのか? | ||
インドとパキスタンが対立する地理的要因 | ||
自然国境に囲まれたはずの大インドの弱点となるカイバー峠 /ムガル帝国は、インドに侵攻したモンゴル帝国の再来であった | ||
インドと中国が対立するようになった背景 | ||
中国のチベット支配によって、インドと中国の対立がはじまった /中国はいかにしてインド包囲網を築いていったのか? | ||
中国が南シナ海の実効支配を目指す理由 | ||
中国による南シナ海の「内海化」は、日本を締め上げることになる /日本の大東亜共栄圏構想を彷彿させる中国の戦略 | ||
共産主義同士で対立する中国とベトナムの関係 | ||
中国に対する縦深戦略のために選ばれた首都・ホーチミン /なぜ歴代中国王朝は、ベトナムを完全に支配できなかったのか? |
なぜわからないという感覚を持ったのかを内省すると、「学」という言葉に惑わされたかららしい。「学」というと何か体系的な学問を想起するのだけれど、地政学それ自身で何か理論が打ち立てられている感じはない。「地政学的に…」という用例はほとんどの場合、「地理的な条件から政治的含意を考えると…」と置き換えられると思う。
というようなことを考えていたが、地政学の本家本元のドイツでは、Geopolitikというそうだ。英語にしてもgeopoliticsで、そこには-logyというものは含まれない。
とはいえ、異なる地域において、地理的条件が似ているとその地域での国際関係も似たように推移することが多いと想像されるから、そのパターンを見出すことは学問的意義もあるかもしれない(博物学みたいなもの?)。また、どういう着眼点を持って国際関係を分析するかという実用的な知識とも言えるだろう。
「地政学」というものは、だいたいが実力(軍事力、経済力)をベースとした国際関係をテーマにするわけだから、軍事的な臭いのするもの(きな臭いもの)を嫌ってきた戦後日本ではあまり大きな顔ができなかったという話もあるらしい。(それで戦後の平和教育で育った私にはなじみがないということになる)
そのきな臭さというものが詰め込まれているのが本書である。
本書の著者は、地政学者あるいは政治地理学者というような学者ではなくて、どちらかといえばジャーナリスティックな仕事をされる人のようだ。
だからだろうと思うが、特定の地域をテーマに地政学を考えるといった研究者的態度ではなく、世界を広く見まわして、さまざまな係争地のそれぞれの地政学からの分析(というか解釈)が披露される。
そのどの一つをとっても私に分析の当否を判断する能力はないのだけれど、たしかに説得力がある。
願わくば他の地政学に詳しい人から見て、適切な分析かコメントが欲しいところだ。
むしろ恐ろしいのは、この分析が絶対的に正しいと信じ込むことのような気もする。
ただ前から思っているのだけれど、なるほど近接しているとか、要所・要路にあるというような地理的条件は、精神的なことも含めて重大な要素だと思うのだけれど、陸・海・空につづく2つの戦場―宇宙とサイバー―から見た場合は必ずしも地理的条件だけではないように思う。
谷口長世「サイバー時代の戦争 」にGCHQ(政府通信本部)のことが書いてあるが、イギリスにあるこの本部が、ソマリアの海賊船の通信を傍受したものを分析しているという。
北朝鮮のICBMに米国が神経をとがらせるのも地政学の視点とは言えないだろう。
卑近なところでいえば、インターネットの利用では、DNSを例にとると、どこかのドメインが異なるアドレスに移設された場合、その情報がネット上で伝達されるまでそれなりの時間を要する。だから米国のどこかのサイトの引っ越しが全ネットに影響する場合もあるようだ。
東日本大震災では、大企業の支店も被害を受けているが、そうした支店の情報システムの本体は東北地方にはなく、東京やそのバックアップである他の地域にあったから、その部分は深刻な事態にならなかったという。
地政学的視点が重要だということに異論はないけれど、それだけでは国際関係は読み解けなくなっているという気もするのだけどどうだろう。
もちろん地政学にはまった問題も多いし、大きなものだ。ロシア-ウクライナにしろイスラエル-ガザ地区にしろ、隣国との係争である。
本書にはそうした問題を―これがまた世界中に数多い―を読み解くセンスを磨いてくれるかもしれない。