「日本人と資本主義の精神」(その2)

51rtIOab6GL_SL1200_.jpg 田中修「日本人と資本主義の精神」の2回目。

一昨日「1940年体制については明日の記事で」と書いたけれど、日本シリーズの記事を優先させたので一日遅れになった。悪しからず。


昨日は、「日本教」と「一揆」と「空気」の意思決定という、「精神」の部分に注目した。
そしてその精神の支えによって、というかそれと一体となった、日本の経済体制―社会主義的資本主義が生まれるわけだが、今日はその野口悠紀雄氏いうところの「1940年体制」についてもう少し補足しておこうと思う。

経済学・経済史に詳しい人には周知のことかもしれないが、私は1940年体制という言葉は本書で知った。
「昭和の妖怪」は総理大臣になるし、一旦解体された財閥はそれぞれ大コンツェルンとして復活した。
そのように戦後日本には戦前のものが多く残っていることぐらいは知識としてある。

しかし1940年体制とは、個別の事例における戦前・戦後の連続性を言うのではなく、構造として連続している、そして戦後の高度成長は、その構造によって可能になったという分析である。

本書では、野口悠紀雄氏の論説に従ってそのことをまとめている。その部分を引用しよう。
はじめに
 
第一部 経済危機と資本主義
第一章 なぜ経済危機は繰り返し起こるのか
世界経済危機の犯人
『バブルの物語』
資本主義の不安定性
知の巨人たちが見たアメリカ資本主義
企業経営と倫理
 
第二章 日本型資本主義のケース
    ―バブルと九七年危機
金融統制・金融鎖国
金融の自由化・国際化
バブルの発生
バブル崩壊以後
市場と社会
日本型資本主義の行方
 
第二部 日本型資本主義の史的考察
第三章 日本型資本主義の精神
    ─倫理と「士魂」
石門心学
―日本の歴史感覚の欠如はここから始まる
渋沢栄一と『論語』
―日本人の「忠誠と反逆」の論理
「戦士市民」と「経済騎士道」
―経済活動における「騎士道」とは何か
 
第四章 日本人の思考様式
    ―「日本教」論
日本教について
―「日本教徒はいかにあるべきか」という教育
五・一五事件と純粋人間
―法の前に、まず「日本教」の教えがある
「お前のお前」の関
係―「言わせておいて、片づける」問題解決法
日露戦争と太平洋戦争
―日本人の意思決定は「空気」の問題
不思議な「対話」の世界
―日本の「話し合い」とは何か?
「ゴメンナサイ」は責任解除
 
第五章 日本人の意思決定方式
    ―「一揆」と「空気」
日本には「直接民主制」があった
原始仏教の「多語毘尼」―最初の多数決
「貞永式目」の正統性論理―多数決の浸透
「一揆」という契約集団の成立
家臣が主君の行為を規定
土一揆―ボトムアップ型の意思決定方式
江戸時代の「押込」―ルール化された「下剋上」
日本人は優秀か?―「名人」に頼る日本
「空気」の研究―結論は「空気」が決める
10 「空気」と「水」―なぜ「財政再建」が難しいのか
 
第六章 高度成長の構造
    ―「戦時経済体制」の継続
経済統制の発動
経済・金融統制の強化
戦後復興と戦時経済体制の温存
高度成長のメカニズム
オイルショックへの対応
 
おわりに
「一九四〇年体制」とは?
 彼(野口悠紀雄)は、戦時につくられた経済体制は戦前期のそれとは異質なものであるとして、これを「一九四〇年体制」(以下「四〇年体制」と省略)と呼んでいます。彼は一般の説が「戦後の民主主義が経済の復興をもたらし、戦後に誕生した新しい企業が高度成長を実現した」とするのに対して、「戦時期につくられた国家総動員体制が戦後経済の復興をもたらし、戦時期に成長した企業が高度成長を実現した」という、「四〇年体制史観」を提起しているのです。
 軍需関連企業を所管し、航空機をはじめとする工業生産物資の調達を統制していた軍需省の役人たちは、占領軍進駐の直前に、役所の看板を「商工省」に架け替えてしまいました。こうして商工省は、占領下にほとんど無傷で存続することができました。その後、名称を通商産業省と改め、民間企業に対して強い影響力を行使することとなります。
 占領軍は、日本から戦争遂行能力を奪うため、日本の官庁や企業を改革しようと試みました。軍部が解体したのは当然ですが、 「官庁の中の官庁」と言われていた内務省も解体され、これらの省庁で戦時中指導的立場にあった者の多くが公職から追放されました。 しかし、大蔵省や商工省など経済官庁はほとんど無傷で残りました。野口は、このような結果となったのは、占領軍が日本の官僚組織の実態を理解せず、大蔵省や軍需省が戦時経済を動かしていたことを知らなかったからだとしています。
 一九四六年(昭和二一年)の公職追放令に続き、四七年には有力企業や軍需産業の経営陣も追放の対象となりました。 また三井・三菱・住友・安田などの大財閥の解体が進められただけでなく、日本製鉄・王子製紙などの大企業については「過度経済力集中排除法」により、企業分割が行われたのです。しかし、分割された企業は、占領が終了すると、多くが合併して元に戻ってしまいました。
 金融機関は、ほぼ無傷で残りました。これは占領軍が、戦時期に作られていた銀行中心の金融システムのことを知らなかったためです。すでに戦時中に所有と経営の分離が進んでおり、金融系列はそのまま残されたので、戦時経済体制の基本構造はそのまま維持されました。
 一九四七年から五〇年にかけて実施された農地改革は、生き残った革新官僚たちが仕組んだものでした。彼らは占領軍を誘導し、四五年に提出された「第一次農地改革」案では不徹底であるとの声明を発表させ、オリジナルの改革案に近い急進的な内容の農地改革を、四六年に「第二次農地改革法」として公布し、翌年から実行に移したのです。これにより、戦前の農村を支配していた大地主たちは土地を失うことになりました。
財閥が復活するのに対し、大規模農家は復活しない。農地改革は徹底的で分割された農地は既に自作農に分有されて戻せない。財閥解体は復活を望みながら(でないと近代的な産業の復興が難しい)、農地改革では全国各地でそれなりの層をなす大地主層を一掃して中産階級を創り出そうという意図が徹底したという。
進駐軍にやられた、というのは正確ではないらしい。

1940年体制というのは、そうした戦前から続く会社というような個別的な事象ではなく、戦時経済体制が確立し、その延長で(社会主義的)市場経済体制として、看板を掛けなおすことで、一気に集権的に経済発展を進めた体制である。

そしてそれが今瓦解しつつあるのは、「日本教」からすれば異質なもの―会社は社員のものではなく株主のものである、創意工夫で良い物を作るより賭け事(資金運用)で儲けるほうが賢い、儲けた者が勝ち、それらが自由にできない社会的制約は悪―という「新興宗教」が欧米から輸入されたからに違いない。

と本書が言っているわけではないし、「日本教」が復活したら経済がうまくいくというわけでもないだろう。
日本国は、一番悪い奴を親分に仰ぐ、ミニヨン戦略しかとれないのだろうか。


それにしても、山本七平、野口悠紀雄の両氏の論説をベースに、それらをまとめて著者の見識にした点、うまいものだと思う。
機会があれば、元になったほうの著作も見てみたいと思う。

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