いよいよ協奏曲に取り組むことにした
私がフルートのレッスンを受け始めたとき、先生から「何か演奏したい曲は?」と聞かれて、「ト長調の協奏曲 K.313が目標」と答えている。そしてときどきやってみてはまだムリだなと先送りしていた。
先日、NHKの「クラシック音楽館」でN響定期公演が放送され、第2番(ニ長調K.314)がN響首席の神田寛明氏のソロで演奏されていた。
番組ではソロの神田氏のインタビューがあったが、それによると、モーツァルトは特別練習しなければならない難曲というわけではないけれど、16分音符の連続で滑ったり転んだりしがちと仰っていた。
フルートのレッスンでは、モンティのチャルダッシュ、ボルンのカルメン幻想曲、バッハの無伴奏などをやってきて、しばらく前はフルート四重奏曲ニ長調K.285を見てもらっていたが、K.285がだいたいOKということでだろう、K.313をやってみたらと仰る。
神田氏の言葉を待つまでもなく、まともな演奏にするには基本的なテクニックがしっかりそろっていなければどうにもならない。
粒だった16分音符のシリーズ、第1オクターブ←→第3オクターブの跳躍、いずれも初心者を泣かせるものである。とりわけ跳躍は初心者では特に低音が鳴らず曲にならない。
冒頭に書いたように、私がまず挑戦するのは、そして今までもときどき試してきたのは、第1番ト長調 K.313のほうである。
その理由は、2番ニ長調 K.314はハ長調のオーボエ協奏曲(ケッヘル番号は同じくK.314)を当時のフルートトラヴェルソの音域になるようニ長調にして少し書き換えたものなので、「真正な」フルート協奏曲は1番 K.313だけというわけだから。
そして、この曲はマイナスワンの音源を持っていて、これに合わせると大変気持ちが良いから。
K.313は第1楽章はとにかく輝かしいけれど、このソロの入りがなかなかうまくいかない。この最初の5つの音で私の演奏など、もう聴く気にならなくなるだろう。「はい、結構です、お帰りください」
技術的に難しいのは、やはり16分音符連続で、タラタラタラタラと上がったり、下がったりするフレーズが頻出することだろう。
第2楽章はたっぷりと吹くものでテクニカルには大したことはないと思う。とにかく綺麗な音、綺麗な繋ぎを意識して。
第3楽章はいきなりソロがオケと一緒に出るが、この最初の3音を綺麗に鳴らすことがなかなか難しい。なんということのない4分音符が3つ並ぶだけなのに。第1楽章の入りと同様。これがモーツァルトの恐ろしいところ。
やはりテクニック的に難しいのは16分音符でのスケール。これはタタタタタタタという並びなのでできればシングルタンギングでやりたいところだが間に合わないのでダブル。そうなるとダブルをいかに滑らかにできるかという問題が起こる。
タラタタタラタタの厳しい16分音符もある。第1オクターブの低音をしっかり鳴らすのは難しい。
下の譜例は第1主部からで属調(D)になっているが、再現主部では主調(G)に戻って五度低くなる。
フルートを吹かない人にはなんのこっちゃという話かもしれないが、フルート吹きならみなさん同感するに違いないと思う。
ところで、モーツァルトはフルートのことを「我慢のならない楽器」と手紙に書いていて、それを根拠にフルートが嫌いだったいう説が流布している。これについて、フルートを使った素晴らしい楽曲を書いているから、フルートの音色が嫌いだったちわけではないだろうという意見や、協奏曲を依頼したフルーティストが下手くそだった説とかがあるが、この協奏曲は、どう見ても下手くそに演奏できるようなしろものではないし、フルート協奏曲としては空前絶後の名曲だ。
(ただ難しいだけの曲ならいっぱいあると思うけど)
しかし、現代のベーム式フルートでも難しいのだから、当時のトラヴェルソだったらとんでもない超絶技巧だったんじゃないだろうか。よくもまあこんな凄い曲を書いたもんだと思う。
他人に聞かせるわけではないので、自分が納得すればそれで良いとも思うのだが、自分ではできてないことがはっきりわかるから、いつまでも完成とはならない。
今までやってきたチャルダッシュにしろカルメン幻想曲やバッハも、先生がOKを出しても、自分ではここができてない、ここが情けないという思いを持ち続けている。レパートリーを増やすこと=自分が吹けない曲を増やすこと、という気がしてならない。
K.313で先生が「だいたいできたね」ということになれば、次はK.314かなと思うけど、これも私としてはかなりテクニカル(特に第3楽章)。先はまだまだ長い。(死ぬまでに吹けるようになるかな)
先日、NHKの「クラシック音楽館」でN響定期公演が放送され、第2番(ニ長調K.314)がN響首席の神田寛明氏のソロで演奏されていた。
番組ではソロの神田氏のインタビューがあったが、それによると、モーツァルトは特別練習しなければならない難曲というわけではないけれど、16分音符の連続で滑ったり転んだりしがちと仰っていた。
おそらく、すべてのフルート吹きが同感するだろう、当然私もである。
そんなこともあってか、多くのオーケストラでモーツァルトの協奏曲を入団試験でやらせるとか。
なおピアノ弾きは「モツレルト」と言うらしい。同じことだろう。
同日の別プログラムでもオーケストラのフルートを担当されてたのには驚いた。
フルートのレッスンでは、モンティのチャルダッシュ、ボルンのカルメン幻想曲、バッハの無伴奏などをやってきて、しばらく前はフルート四重奏曲ニ長調K.285を見てもらっていたが、K.285がだいたいOKということでだろう、K.313をやってみたらと仰る。
もちろんど素人相手に言うことだから、どの曲も完成しているわけではないと思う(自覚もしている)。専門の学生相手だったら、まだまだ直されるに違いない。
神田氏の言葉を待つまでもなく、まともな演奏にするには基本的なテクニックがしっかりそろっていなければどうにもならない。
粒だった16分音符のシリーズ、第1オクターブ←→第3オクターブの跳躍、いずれも初心者を泣かせるものである。とりわけ跳躍は初心者では特に低音が鳴らず曲にならない。
冒頭に書いたように、私がまず挑戦するのは、そして今までもときどき試してきたのは、第1番ト長調 K.313のほうである。
その理由は、2番ニ長調 K.314はハ長調のオーボエ協奏曲(ケッヘル番号は同じくK.314)を当時のフルートトラヴェルソの音域になるようニ長調にして少し書き換えたものなので、「真正な」フルート協奏曲は1番 K.313だけというわけだから。
他にフルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299もあるけど。
そして、この曲はマイナスワンの音源を持っていて、これに合わせると大変気持ちが良いから。
この音源はウィーンへ行ったとき有名な楽譜店のドブリンガーで見つけて購入(上)。
Boguslaw Dawidow/Polish chamber philharmonic orchestraが伴奏している。
なお「マイナスワン」のことをあちらでは"Play-along"と表現しているようだ。
K.313は第1楽章はとにかく輝かしいけれど、このソロの入りがなかなかうまくいかない。この最初の5つの音で私の演奏など、もう聴く気にならなくなるだろう。「はい、結構です、お帰りください」
技術的に難しいのは、やはり16分音符連続で、タラタラタラタラと上がったり、下がったりするフレーズが頻出することだろう。
第2楽章はたっぷりと吹くものでテクニカルには大したことはないと思う。とにかく綺麗な音、綺麗な繋ぎを意識して。
第3楽章はいきなりソロがオケと一緒に出るが、この最初の3音を綺麗に鳴らすことがなかなか難しい。なんということのない4分音符が3つ並ぶだけなのに。第1楽章の入りと同様。これがモーツァルトの恐ろしいところ。
やはりテクニック的に難しいのは16分音符でのスケール。これはタタタタタタタという並びなのでできればシングルタンギングでやりたいところだが間に合わないのでダブル。そうなるとダブルをいかに滑らかにできるかという問題が起こる。
タラタタタラタタの厳しい16分音符もある。第1オクターブの低音をしっかり鳴らすのは難しい。
下の譜例は第1主部からで属調(D)になっているが、再現主部では主調(G)に戻って五度低くなる。
第三楽章はロンドの名前で、多くの解説がロンド形式としているが、この主題が終わり近く、二度目に出てくるときは主調に戻るところから判断すると精確にはロンドソナタ形式だと思う。
フルートを吹かない人にはなんのこっちゃという話かもしれないが、フルート吹きならみなさん同感するに違いないと思う。
ところで、モーツァルトはフルートのことを「我慢のならない楽器」と手紙に書いていて、それを根拠にフルートが嫌いだったいう説が流布している。これについて、フルートを使った素晴らしい楽曲を書いているから、フルートの音色が嫌いだったちわけではないだろうという意見や、協奏曲を依頼したフルーティストが下手くそだった説とかがあるが、この協奏曲は、どう見ても下手くそに演奏できるようなしろものではないし、フルート協奏曲としては空前絶後の名曲だ。
(ただ難しいだけの曲ならいっぱいあると思うけど)
しかし、現代のベーム式フルートでも難しいのだから、当時のトラヴェルソだったらとんでもない超絶技巧だったんじゃないだろうか。よくもまあこんな凄い曲を書いたもんだと思う。
他人に聞かせるわけではないので、自分が納得すればそれで良いとも思うのだが、自分ではできてないことがはっきりわかるから、いつまでも完成とはならない。
今までやってきたチャルダッシュにしろカルメン幻想曲やバッハも、先生がOKを出しても、自分ではここができてない、ここが情けないという思いを持ち続けている。レパートリーを増やすこと=自分が吹けない曲を増やすこと、という気がしてならない。
K.313で先生が「だいたいできたね」ということになれば、次はK.314かなと思うけど、これも私としてはかなりテクニカル(特に第3楽章)。先はまだまだ長い。(死ぬまでに吹けるようになるかな)