ほんとはこっちが最初だった諏訪行き。
高速から岡谷方面へ降りて、大通りから1本外れた通りの
この案内板につられてふらふら。
『おひぎりさま』=お日限りさま
日限地蔵尊をまつる平福寺という立派なお寺だった。
ここも中山道。
気持いいほど閑静な住宅街です。
通りの更に奥の小道を入ったところに『旧渡辺家住宅』。
味のある看板は地元の小学生の文字だそうで。
在郷の村に住み高島藩に仕えた散居武士の住居。
昔の岡谷の祖母んちと似た間取り。
(祖父母は商人系でしたが)
藩士の住居といっても城下町のそれとは違ってすごく土に近い。
まわりはいまでも畑がいっぱい。
きゅうり茄子トマトてんこもり。
この家から明治~大正時代に3人の大臣が出た。
渡辺千秋、渡辺国武、渡辺千冬。
、、う~
ぜんぜん知らなかった(汗
土間を隔ててこちらとは逆の板間はのちに寺子屋としても使用。
黒いツヤツヤな柱とか、懐かしいなあ。
何代目かの主は絵もたしなんでいたようで。
雀?きゃわいい。
家を保存するに当たって調べたら、襖の裏からいろいろ貴重な資料が出てきたそうだ。
昔の人は紙1枚でも大事に使ってた、と一部を見せてくれた。
でかっ
暑い日も家の中は涼しい風が通る。
は~~~
隣の家も古そうだった。
水路も年季あるなあ。
そこから少し歩いたところに『柴宮・東堀正八幡宮』。
なんかワカランが力強い、いいお宮です。
こののち諏訪ゲリラ豪雨の旅となるわけです。
こんなに晴れてたのにさー(汗
- 2014/09/02(火)|
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解体が決まった『旧山崎歯科医院』。
国登録有形文化財第1号。
明治21年に建てられたイギリス積みの煉瓦造り、2階建て。
去年のこちらの地震で大きな被害を受けて、修復不可能と判断。
解体前の見学会も終了。
署名や募金活動、応急処置も空しく消えゆくこととなった。
いつもブルーシートがかかっていて修復してるとばかり思ってたけど
残念、、あの角のあの赤い煉瓦の建物がなくなってしまうのか。
注)↑この画像はまったく違うものです。ひーすいませんっ
あたりまえのように存在していたので撮ってなかった(汗
こういうのもいかんのだろうな。
さようなら。
ありがとう忘れないよ。
■旧山崎歯科医院■外観
- 2012/08/25(土)|
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↓のちょっと前に長野市へ毎年恒例の用事。だから何の(笑
用を終えてふらふらしていたら、いつもなら車で通る大通りで気になっていた教会に気づいた。
『長野聖教主教会』
のぞいていたら、中もどうぞカメラもどうぞと言われておじゃました。
おーいめいっぱいボケてっぞ(汗
明治31年(1898)に建てられた煉瓦造平屋建で、聖教主教会というのは女王陛下も信徒の英国の宗派だそうです。
(キリスト教わからんので聞きかじりがうろ覚えかも;)
祭壇も素朴でやさしそう。
進行形のチラシ類やたくさんの告知、人の気配が沁み込む内部。
現役です。
小さいけれども大事にされてるんだろうなあ。。
おわ
ハープシコード(チェンバロ)じゃないか!
フランスから取り寄せて組み立てたそうです。
じゃあクラブサンといった方がいいかな。
そのうち男性が2名来て楽器のチューニングを始めた。
どうやらここで演奏会があるもよう。
一人はクラブサン、もう一人は弦楽器奏者の方でした。
鍵盤が弦をはじくいい音色がひびきはじめた。
好意に甘えて隣の建物で、歴代の牧師さんや伝道師の方々の写真を見せてもらった。
古い医院を改装した内部は教会活動の拠点となっているらしい。
(上の画像は違います)
お茶の時間にすいませんでした(汗
牧師さんは不在でしたが、奥様が松本の教会に勤務しているそうで。
お城の北の『松本聖十字教会』だって。えっそうなの?
通った高校の近所だ。あれまー
言われてみるとあそこも味のある教会だ。(幼稚園だと思っていた。実際そうだけど)
そちらも通りがかったら寄ってみよう。
■長野聖教主教会
- 2012/06/06(水)|
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再び飯田行き。
別の知人に『菱田春草没後百年記念特別展』の話をしたら誘われた。
いや行ったし、でも展示入れ替えアリで再度行きたいとか
ノープランなことをここでほざいたなそういや。
雨降ってゆっくり歩けなかったな。
入場料安い、、おっしゃもう1回リベンジ!何のリベンジ(笑
美術博物館の途中にある気になってたこれ。
市役所か警察署かと思って近づいたら小学校だった。
『飯田市立追手町小学校』昭和4年開校。
ふと見ると小学校の一角になにやら怪しげな入口と看板が。
「化石標本室」うきゃー
一般でも見ていいの?えっほんと。
内装は新しかった。
もっと古いのを期待してた、おもしろかったからいいや。
それにしても立派な小学校だなあ。。
菱田春草もここ(当時は飯田学校)を卒業したらしい。
もちろんこの校舎じゃないですが。
いったい教室がいくつあるんだ。
赤い柵がいいアクセント。
中も古そう。
見たい。
小学校は木造校舎だったけど、こんな昇降口もいいなあ。
校舎のまわりを歩いてたら、水引や紫苑の中からいきなり黒き猫出現。
どこ行くんすか急いで。
「天空の城」は天然温泉の大きな旅館でした。
はい見に行きました(笑
近くの坂の途中のお稲荷さん。
石榴がいっぱい生ってた。
裏に回って校庭。
色あせた時計台がいい味出してます。
体育館も外壁は新しいけど、よく見ると修復されているだけだった。
飯田は起伏のある町だ。
■飯田市立追手町小学校
- 2011/10/07(金)|
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大雨の前に諏訪へ行った。
帰りがてら諏訪大社の下社春宮へ久しぶりに寄り道した。
諏訪大社は全部で4つあって
諏訪湖のむこうがわに上社前宮・上社本宮
こっちがわに下社春宮・下社秋宮がある。
上社前宮:
一番小さくて素朴、けど諏訪信仰発祥の地で周りをとりまく空気がなにか違う。
そっち系にまったく無感覚な私でも畏怖を感じるような。
上社本宮:
諏訪神社の総本社。16本ある御柱で最も大きなものが「上社本宮 一の柱」。
御柱の年はどの地区もこの柱の曳行を願って抽籤式(柱の割り当てをくじで引く儀式)に臨む。
下社秋宮:
上社本宮が渋い荘厳さとすれば、こちらはにぎやかな雰囲気。
周辺は神社を中心に栄えた宿場町で、昔からのお土産物屋や古い温泉街がある。
塩羊羹の『新鶴』はココです。
超勝手な個人的感想がビキバキ入ってます悪しからず。
この下社春宮は上の3社に比べるととてもおとなしい佇まいに思える。
住宅街の奥にあって、おだやかな感じがするのは名前のせいでもあるのかも。
参拝客は私ら以外に女性が一人。境内は静かでほっとできる。
今年は御柱の年(申、寅)で、ピカピカの新しい柱が4本立っていた。
ここを参拝して横道から川沿いを歩くこと数分、というかおとなり。
『万治の石仏』岡本太郎氏絶賛の石仏だそうです。
畑のどまんなかにでかい石仏が一体。
TVで紹介されて、こっちの方が観光客が多いんですが(笑
この胴体の模様は袈裟衣装だと思ってたら
日、月、雲、雷、星などを掘ってあるらしい。神社の横で宇宙を感じるんだぜ。
参拝方法の説明板があった。参拝方法?そんなの前あったっけ??
ついでに下社御柱の「木落とし坂」にも寄る。
おお、ここは初めてだー!
急斜面を柱が下るクライマックスの場所。
…あれ?ぜんぜん狭いんですけど。
人の数と熱気で映像ではものすごい広場に見えてた。
普通の山の斜面だ。
けどやっぱり急でこわい((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル ←坂道恐怖症
それから駅前通りに出て蔵元
『宮坂酒造』のショップで買い物の予定が
数日前に店舗に車が玉突きで突っ込んでそれどころではない状態。
お見舞い申し上げます。
た、竹中缶詰のかき燻製油漬と真澄の生酒。。(そっちかーい!)
夕方になったので峠越えて帰った。
以前に諏訪大社4社を1日ご朱印頂戴巡礼した時のもの。
最後の前宮で記念に諏訪大社のお菓子(落雁)もらっちゃった♪
念願だったご朱印(ここと
うめぴょん寺ともう1この某神社)揃えて満足して
あとは細々していったという不届き者。
諏訪大社はどれも好きだけど、一番好きなのは上社前宮です。
- 2010/07/21(水)|
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飛行場の続き。
となりの総合球技場『Alwin(アルウィン)』。
地元には
『松本山雅』というサッカーのクラブチームがあって(あるんですよ~!)
ホームスタジアムにもなっている。
チームカラーはグリーン。
無人のスタジアムってちょっと気分が高揚する。
なぜかって?自分だけの貸切っぽく思えるんで、まあ思うのは勝手さね。
もちろん中には入れません。
静かででかいと荘厳だ。
飛行場を含むここらへん一体が信州スカイパークという広域公園。
めちゃくちゃ広い。公園も休憩場所もトイレもある。
ウォーキングやサイクリングやマレットゴルフを楽しんでる人たちがいる。
いいな~、ここらへんの人。
今度ランチ持ってゆっくり来ようかなと
セスナ機が飛ぶ青空を見上げて思った。
ただし蒸し暑くない時に限る。
- 2010/06/20(日)|
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