西伊豆1日目
大型連休前半は今日から休みを取って、カミさんと2泊3日で西伊豆方面へ出かけます。昨夜はユーミンのコンサートに行ったので、今日はゆっくり出発です。
西伊豆へ行く前に、世界遺産となった韮山反射炉のある伊豆の国市へ向かいました。コースの関係でまずは反射炉近くのお寺へ。
願成就院です。吾妻鏡によると、文治5(1189)年、源頼朝の奥州平泉攻めの成功を祈って、北条時政が建立したお寺だそうです。その後も北条氏の一族によって伽藍の整備が進められましたが、戦乱によって当時の建物は失われてしまい、発掘調査で礎石などが見つかっているそうです。
大御堂には国宝の仏像が数体ありますが、阿弥陀如来坐像などの胎内名札には北条時政と運慶の名があり、運慶の数少ない真作とされています。この大御堂の入口には外人の方がいて、日本語で大御堂の中の仏像について説明してくれました。住職のことを「パパさん」と呼んでいました。
北条時政のお墓です。没後800年の供養として整備されたそうで、柵などが新しく設けられています。
真珠院です。
源頼朝のあとを慕って伊東から山を越えてきた八重姫は、頼朝の心変わりを知って、このお寺の前にある真珠ケ渕に身を投じて果てたという伝説があります。
こちらがその八重姫を祀る八重姫御堂です。この写真では分かりづらいのですが、御堂の階段の右側にはいろいろなサイズの小さなハシゴがたくさん奉納されています。「せめてハシゴがあれば八重姫を助けられたのに」という思いからだそうです。御堂の左手前にある石は願かけ石だそうです。
韮山反射炉です。品川沖に作られたお台場(砲台)に据えるための大砲を鋳造するため、韮山代官の江川英龍によって安政元(1854)年に建設が開始されました。元治元(1864)年の使用中止までに大小の大砲数百門を鋳造したそうです。反射炉とは、アーチ型の天井に熱を反射させて鉄の溶解温度を得る構造のものだそうです。
レンガの回りに鉄製のフレームがあり、これが韮山反射炉の特徴的な外観となっています。もともとこういう形で建設されたのかと思っていましたが、この鉄製フレームは保存の過程で、レンガの崩落を防ぐために追加されたそうです。反射炉として稼働していた時は外側は漆喰で塗られていたそうです。
ガイダンスセンター内に展示されている世界遺産の登録証です。反射炉が使われなくなった後も、破壊したりせずに保存されたのは幸運といえます。
伊豆の国パノラマパークです。
ここはロープウェイでかつらぎ山の山頂まで行くことができます。スキー場にあるようなゴンドラタイプです。天気はいまいちですが、せっかく来たので乗ってみました。
かつらぎ山の山頂です。晴れていれば富士山が見えるのですが、残念ながら今日は見えませんでした。ツツジがきれいでした。
伊豆の国市を出て土肥へ向かいました。土肥金山です。伊豆半島にはかつて金山がたくさんあったそうですが、土肥金山は佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山です。
佐渡金山と同じように、当時の坑道の一部を歩くことができますが、規模はやや小さめでした。
坑内には人形を使って当時の作業風景が再現されています。
資料館には、ギネスにも認定された世界一の250kgの巨大金塊が展示されています。これで12億円以上だそうです。すごいですね。
土肥には寺社がたくさんありますので、いくつかを参拝しました。
清雲寺です。土肥城主富永山城守の菩提寺で、西伊豆における日蓮宗の宗寺とされています。本堂には日蓮上人の一代記を描いた畳一畳ほどの極彩色の大きな絵が90枚ほど掲示されています。
安楽寺です。曹洞宗のお寺で、伊豆八十八ヶ所霊場巡りの札所になっています。
境内の奥にはかつて金を採掘した坑道があります。金を採掘中に坑道から湯が湧きだし、この湯に入ったところ病気が治った、という言い伝えがあります。この湯は土肥温泉発祥の湯とされ、「まぶゆ」と呼ばれています。「まぶ」とは坑道のことで別名「医王泉」「鉱山の湯」「砂金風呂」などとも呼ばれ、昔は多くの人が薬効を求めて入浴したそうです。現在は入浴できませんが、浴槽の脇に湯かけ地蔵が祀られ、病気治癒を願いながら地蔵に温泉をかけると効果があるといわれているそうです。
土肥神社です。土肥城主富永氏によって鎌倉鶴岡八幡の分霊を勤進し建立されたそうです。毎年10月には大祭が行われるそうですが、今日は平日のためか誰もいませんでした。
妙蔵寺です。ここは通りから少し離れていて、お寺までの道がけっこう狭かったです。参道の両脇にはシュロが植えられています。
境内には白いパゴダがあります。世界平和を祈るために建立されたそうです。
土肥達磨寺です。ここは達磨寺として名高い京都法輪寺の分院です。
本堂には不死身達磨大師と命名された高さ5m、重さ3トンの日本最大の達磨大師坐像が安置されています。回りには色とりどりの小さなダルマが奉納されています。ダルマには奉納した人の名前などが書かれた紙が貼られていますが、有名な俳優やタレントの名前もありました。
このように、ダルマの色によってご利益が違うようです。
今日は堂ヶ島に泊まりますが、堂ヶ島へ向かう途中に恋人岬があります。
「晴れている日はこのような景色が望めます」とありますが、残念ながら富士山は見えませんでした。
堂ヶ島に着きました。堂ヶ島では明日、トンボロを見る予定です。瀬浜海岸にはトンボロについての説明がありました。
瀬浜海岸から見た三四郎島です。明日はここでトンボロが見えます。
泊まったのはアクーユ三四郎という旅館です。部屋からは瀬浜海岸と三四郎島が見えます。
夕食時にレストランからの景色です。雲っていなければきれいな夕日が見えたことでしょう。明日は晴れるといいのですが。
西伊豆へ行く前に、世界遺産となった韮山反射炉のある伊豆の国市へ向かいました。コースの関係でまずは反射炉近くのお寺へ。
願成就院です。吾妻鏡によると、文治5(1189)年、源頼朝の奥州平泉攻めの成功を祈って、北条時政が建立したお寺だそうです。その後も北条氏の一族によって伽藍の整備が進められましたが、戦乱によって当時の建物は失われてしまい、発掘調査で礎石などが見つかっているそうです。
大御堂には国宝の仏像が数体ありますが、阿弥陀如来坐像などの胎内名札には北条時政と運慶の名があり、運慶の数少ない真作とされています。この大御堂の入口には外人の方がいて、日本語で大御堂の中の仏像について説明してくれました。住職のことを「パパさん」と呼んでいました。
北条時政のお墓です。没後800年の供養として整備されたそうで、柵などが新しく設けられています。
真珠院です。
源頼朝のあとを慕って伊東から山を越えてきた八重姫は、頼朝の心変わりを知って、このお寺の前にある真珠ケ渕に身を投じて果てたという伝説があります。
こちらがその八重姫を祀る八重姫御堂です。この写真では分かりづらいのですが、御堂の階段の右側にはいろいろなサイズの小さなハシゴがたくさん奉納されています。「せめてハシゴがあれば八重姫を助けられたのに」という思いからだそうです。御堂の左手前にある石は願かけ石だそうです。
韮山反射炉です。品川沖に作られたお台場(砲台)に据えるための大砲を鋳造するため、韮山代官の江川英龍によって安政元(1854)年に建設が開始されました。元治元(1864)年の使用中止までに大小の大砲数百門を鋳造したそうです。反射炉とは、アーチ型の天井に熱を反射させて鉄の溶解温度を得る構造のものだそうです。
レンガの回りに鉄製のフレームがあり、これが韮山反射炉の特徴的な外観となっています。もともとこういう形で建設されたのかと思っていましたが、この鉄製フレームは保存の過程で、レンガの崩落を防ぐために追加されたそうです。反射炉として稼働していた時は外側は漆喰で塗られていたそうです。
ガイダンスセンター内に展示されている世界遺産の登録証です。反射炉が使われなくなった後も、破壊したりせずに保存されたのは幸運といえます。
伊豆の国パノラマパークです。
ここはロープウェイでかつらぎ山の山頂まで行くことができます。スキー場にあるようなゴンドラタイプです。天気はいまいちですが、せっかく来たので乗ってみました。
かつらぎ山の山頂です。晴れていれば富士山が見えるのですが、残念ながら今日は見えませんでした。ツツジがきれいでした。
伊豆の国市を出て土肥へ向かいました。土肥金山です。伊豆半島にはかつて金山がたくさんあったそうですが、土肥金山は佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山です。
佐渡金山と同じように、当時の坑道の一部を歩くことができますが、規模はやや小さめでした。
坑内には人形を使って当時の作業風景が再現されています。
資料館には、ギネスにも認定された世界一の250kgの巨大金塊が展示されています。これで12億円以上だそうです。すごいですね。
土肥には寺社がたくさんありますので、いくつかを参拝しました。
清雲寺です。土肥城主富永山城守の菩提寺で、西伊豆における日蓮宗の宗寺とされています。本堂には日蓮上人の一代記を描いた畳一畳ほどの極彩色の大きな絵が90枚ほど掲示されています。
安楽寺です。曹洞宗のお寺で、伊豆八十八ヶ所霊場巡りの札所になっています。
境内の奥にはかつて金を採掘した坑道があります。金を採掘中に坑道から湯が湧きだし、この湯に入ったところ病気が治った、という言い伝えがあります。この湯は土肥温泉発祥の湯とされ、「まぶゆ」と呼ばれています。「まぶ」とは坑道のことで別名「医王泉」「鉱山の湯」「砂金風呂」などとも呼ばれ、昔は多くの人が薬効を求めて入浴したそうです。現在は入浴できませんが、浴槽の脇に湯かけ地蔵が祀られ、病気治癒を願いながら地蔵に温泉をかけると効果があるといわれているそうです。
土肥神社です。土肥城主富永氏によって鎌倉鶴岡八幡の分霊を勤進し建立されたそうです。毎年10月には大祭が行われるそうですが、今日は平日のためか誰もいませんでした。
妙蔵寺です。ここは通りから少し離れていて、お寺までの道がけっこう狭かったです。参道の両脇にはシュロが植えられています。
境内には白いパゴダがあります。世界平和を祈るために建立されたそうです。
土肥達磨寺です。ここは達磨寺として名高い京都法輪寺の分院です。
本堂には不死身達磨大師と命名された高さ5m、重さ3トンの日本最大の達磨大師坐像が安置されています。回りには色とりどりの小さなダルマが奉納されています。ダルマには奉納した人の名前などが書かれた紙が貼られていますが、有名な俳優やタレントの名前もありました。
このように、ダルマの色によってご利益が違うようです。
今日は堂ヶ島に泊まりますが、堂ヶ島へ向かう途中に恋人岬があります。
「晴れている日はこのような景色が望めます」とありますが、残念ながら富士山は見えませんでした。
堂ヶ島に着きました。堂ヶ島では明日、トンボロを見る予定です。瀬浜海岸にはトンボロについての説明がありました。
瀬浜海岸から見た三四郎島です。明日はここでトンボロが見えます。
泊まったのはアクーユ三四郎という旅館です。部屋からは瀬浜海岸と三四郎島が見えます。
夕食時にレストランからの景色です。雲っていなければきれいな夕日が見えたことでしょう。明日は晴れるといいのですが。
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