能登島・七尾
朝起きた時はやや雲が多かったですが、すぐに晴れてきました。窓の外には能登島が見えます。右手に能登大橋、左手にツインブリッジのとも見えます。
昨日撮り忘れたので部屋の中です。和室とベッドのある洋室です。
朝食は昨夜と同じレストランの個室です。朝からお腹いっぱいになりました。
今日は能登島、七尾を観光し帰宅する予定です。まずは和倉のお寺に行きました。青林寺です。
明治42年、当時皇太子だった後の大正天皇が北陸行啓をし、和倉に泊まりました。その際に建てられた宿泊用の建物(御便殿)の一部が昭和51年に境内に移築されています。
ご住職は気さくな方で、中に入ってご覧なさい、と案内してくださいました。今日は外国人のグループが座禅と写経に来るとのことで経机が準備されていました。「この角度から写真を撮るとインスタ映えするよ。」という写真がこれです。
こちらが大正天皇がお泊まりになったという部屋です。普段は誰も中に入らないそうです。
お隣の信行寺です。こちらには御便殿の一部で随行員の控え室だった部屋(供奉殿)が昭和35年に移築され書院となっています。
和倉を出て能登島へ行きました。公園から見た能登島大橋です。
能登島ガラス美術館です。
複雑な設計の建物で、いくつかの展示室が長い回廊で繋がれています。
内部は回廊など一部のみ撮影ができます。
ピカソやシャガールなどのデザインをもとにしたガラス作品など興味深い展示でした。屋外にもガラスの彫刻作品がありました。向こう側の建物は道の駅のとじまです。
のとじま水族館です。ここには人気のジンベエザメが2匹もいます。
入口にも撮影用のジンベエザメがいます。
うまく2匹一緒のところを撮れました。
最近はどこの水族館も演出が凝っています。
2011年の東日本大震災で被害を受けた松島の水族館で生き抜いたオオサンショウウオがいました。
クラゲに癒されます。見ていると時間が経つのを忘れてしまいそうです。
こんなイベントもやっているんですね。「第二回 カワウソゥ選挙」です。全国の動物園水族館で飼育されているカワウソの人気投票だそうです。公式サイトによると、全国39の動物園水族館から58組83頭のカワウソが立候補しているとか。のとじま水族館のカワウソは何位になるでしょうか。
能登島から七尾へは遠回りしてツインブリッジのとを渡りました。
この旅行中、刺身や魚料理をさんざん食べましたが、今日のお昼も海鮮料理です。道の駅能登食祭市場でいただきました。
最近できた花嫁のれん館へ行ってみました。
花嫁のれんというのは、能登地方で幕末・明治時代に始まった婚礼の風習です。婚礼の際に花嫁側が家紋や吉祥の絵柄の入ったのれんを用意して嫁ぎ先に持って行きます。嫁入りの時、嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐるそうです。
花嫁のれん館には婚礼の際の花婿側の家が再現され、ガイドの方が詳しく説明してくれました。実際に使われた花嫁のれんもたくさん展示されています。珍しい、婿入り時に男性側が用意するのれんもありました。
今年創建1300年とされる大地主神社です。「おおじぬし」ではなく、「おおとこぬし」と読むそうです。能登立国と同じなんですね。1300年を記念して今年は約70年ぶりの神事が行われたそうです。
神社の手前には弐の鳥居が今年再建されました。笠木の上に合掌型破風があり、山王鳥居というそうです。
七尾城資料館と懐古館飯田家です。なんと両方とも祝日の翌日は休館日でした。うかつでした。
気を取り直して七尾城跡へ行こうと車を走らせたところ、道路脇に看板があります。「七尾城跡方面には通り抜けできません」というようなことが書いてあります。(写真を撮り忘れました。)カミさんが市役所の担当課に電話したところ、9月の台風で崖崩れがあり復旧工事が終わっていないため、七尾城跡まで車で行くことはできないそうです。「登山道は通行可能です。徒歩で往復2時間半かかります。」と言われたよ、とカミさん。行きません。
最後は締まらないことになってしまいましたが、おかげで予定より早く帰宅することはできました。土産はたくさん買ってきましたが、これは輪島塗のぐい呑みです。左が私の「天の川の蒔絵仕上げ」、右がカミさんの「月に秋草の蒔絵仕上げ」です。どちらもきれいで使うのが楽しみです。(底に光が反射してしまいました。)
昨日撮り忘れたので部屋の中です。和室とベッドのある洋室です。
朝食は昨夜と同じレストランの個室です。朝からお腹いっぱいになりました。
今日は能登島、七尾を観光し帰宅する予定です。まずは和倉のお寺に行きました。青林寺です。
明治42年、当時皇太子だった後の大正天皇が北陸行啓をし、和倉に泊まりました。その際に建てられた宿泊用の建物(御便殿)の一部が昭和51年に境内に移築されています。
ご住職は気さくな方で、中に入ってご覧なさい、と案内してくださいました。今日は外国人のグループが座禅と写経に来るとのことで経机が準備されていました。「この角度から写真を撮るとインスタ映えするよ。」という写真がこれです。
こちらが大正天皇がお泊まりになったという部屋です。普段は誰も中に入らないそうです。
お隣の信行寺です。こちらには御便殿の一部で随行員の控え室だった部屋(供奉殿)が昭和35年に移築され書院となっています。
和倉を出て能登島へ行きました。公園から見た能登島大橋です。
能登島ガラス美術館です。
複雑な設計の建物で、いくつかの展示室が長い回廊で繋がれています。
内部は回廊など一部のみ撮影ができます。
ピカソやシャガールなどのデザインをもとにしたガラス作品など興味深い展示でした。屋外にもガラスの彫刻作品がありました。向こう側の建物は道の駅のとじまです。
のとじま水族館です。ここには人気のジンベエザメが2匹もいます。
入口にも撮影用のジンベエザメがいます。
うまく2匹一緒のところを撮れました。
最近はどこの水族館も演出が凝っています。
2011年の東日本大震災で被害を受けた松島の水族館で生き抜いたオオサンショウウオがいました。
クラゲに癒されます。見ていると時間が経つのを忘れてしまいそうです。
こんなイベントもやっているんですね。「第二回 カワウソゥ選挙」です。全国の動物園水族館で飼育されているカワウソの人気投票だそうです。公式サイトによると、全国39の動物園水族館から58組83頭のカワウソが立候補しているとか。のとじま水族館のカワウソは何位になるでしょうか。
能登島から七尾へは遠回りしてツインブリッジのとを渡りました。
この旅行中、刺身や魚料理をさんざん食べましたが、今日のお昼も海鮮料理です。道の駅能登食祭市場でいただきました。
最近できた花嫁のれん館へ行ってみました。
花嫁のれんというのは、能登地方で幕末・明治時代に始まった婚礼の風習です。婚礼の際に花嫁側が家紋や吉祥の絵柄の入ったのれんを用意して嫁ぎ先に持って行きます。嫁入りの時、嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐるそうです。
花嫁のれん館には婚礼の際の花婿側の家が再現され、ガイドの方が詳しく説明してくれました。実際に使われた花嫁のれんもたくさん展示されています。珍しい、婿入り時に男性側が用意するのれんもありました。
今年創建1300年とされる大地主神社です。「おおじぬし」ではなく、「おおとこぬし」と読むそうです。能登立国と同じなんですね。1300年を記念して今年は約70年ぶりの神事が行われたそうです。
神社の手前には弐の鳥居が今年再建されました。笠木の上に合掌型破風があり、山王鳥居というそうです。
七尾城資料館と懐古館飯田家です。なんと両方とも祝日の翌日は休館日でした。うかつでした。
気を取り直して七尾城跡へ行こうと車を走らせたところ、道路脇に看板があります。「七尾城跡方面には通り抜けできません」というようなことが書いてあります。(写真を撮り忘れました。)カミさんが市役所の担当課に電話したところ、9月の台風で崖崩れがあり復旧工事が終わっていないため、七尾城跡まで車で行くことはできないそうです。「登山道は通行可能です。徒歩で往復2時間半かかります。」と言われたよ、とカミさん。行きません。
最後は締まらないことになってしまいましたが、おかげで予定より早く帰宅することはできました。土産はたくさん買ってきましたが、これは輪島塗のぐい呑みです。左が私の「天の川の蒔絵仕上げ」、右がカミさんの「月に秋草の蒔絵仕上げ」です。どちらもきれいで使うのが楽しみです。(底に光が反射してしまいました。)
- 関連記事
-
- 宮古・田老 (2018/11/24)
- 奥州・遠野 (2018/11/23)
- 能登島・七尾 (2018/10/09)
- 輪島・能登金剛 (2018/10/08)
- 金沢・輪島 (2018/10/07)
輪島・能登金剛
今日は朝からいい天気です。窓の外には雄大な日本海、よく見ると小島がいくつか見えます。海上約20キロのところに浮かぶ七ツ島のようです。空気がきれいなので天気がいいと遠くまで見えるんですね。
朝食です。
食後はラウンジでコーヒー。カップも輪島塗です。
今日は輪島市内を観光し、能登金剛・厳門を見て和倉温泉に行く予定です。まずは宿の近く、白米千枚田へ向かいました。千枚田には道の駅が隣接していて、そこから千枚田を一望でき、階段を下れば千枚田まで行くこともできます。
階段を下りて途中まで行ってみました。
この千枚田は「あぜのきらめき」と称して、毎年秋から翌春にかけてライトアップをします。昨年は10月のこの連休からだったので、今年も連休からやるだろうと思っていました。ところが今年は次の週末13日からでした。残念です。
輪島市街に戻り朝市に行きました。朝市通りには輪島出身の漫画家永井豪の記念館があり、市内の観光案内には永井豪の絵が使われていました。
朝市通りを抜けて輪島塗会館へ行きました。ここは1階が売店で市内約60の漆器店の輪島塗を買うことができます。2階が輪島塗の資料館で、輪島塗の歴史や工程が詳しく解説され、輪島塗の銘品も展示されていました。
朝市でいろいろ買い物し、次は昨夜御陣乗太鼓の演奏を見たキリコ会館へ行きました。以前来た時は和風の建物でしたが、建て替えたようで現代的な趣になっていました。
キリコというのは能登のお祭で担がれる奉燈(御神燈)のことで、大きな物は4階建てビルほどの高さがあるそうです。キリコ会館ではキリコの歴史などの解説、実物のキリコが展示されています。キリコが担がれるお祭を見てみたいですね。
3階の展望室には輪島の大祭で燃やされる大松明があります。これは1階のショップから3階に達する大きなものです。
この後は市内の神社をいくつか回りました。重蔵神社です。もともとは海人の守り神でしたが、今では輪島塗や朝市の神様とされています。朝市はもともとは神社の祭礼日に境内に市が立ったのが始まりと言われ、平安時代から1000年もの歴史があるそうです。
近くには輪島工房長屋があります。
住吉神社です。古くから御神事太鼓が伝えられ、8月の輪島大祭ではキリコだけでなく御神事太鼓の演奏も行われるそうです。社殿は最近建て替えられたようできれいでした。
輪島前神社です。輪島港近くにあり、両側を民家に囲まれていますが、石段を上ると立派な社殿があります。鳥居そばにある由緒によると、もともとは天満宮だったのですが、熊野社、日吉社と合祀されて輪島前神社となったそうです。
奥津姫神社です。輪島沖50キロにある舳倉島の奥津姫神社が本社で、こちらは里宮にあたります。輪島港を望む高台にあり、石段を上ると社殿があります。新しいので最近建て替えられたのでしょうか。
8月に行われる輪島大祭はこれら4つの神社のお祭りの総称です。奥津姫神社以外の3社は夜にキリコが引き回されるそうです。次に輪島に来る時は大祭の時に来ようと思いました。
お昼を食べて輪島市街地を離れました。総持寺祖院です。元亨元年(1321年)創建の曹洞宗の大本山です。もともとは総持寺と呼ばれていましたが、明治時代の火災で本山は横浜へ移転し、総持寺祖院と改称され総持寺の別院となっています。
山門や境内は改修工事中でした。御朱印には能登立国1300年記念の印がありました。
阿岸本誓寺です。鎌倉時代に創建され、能登の浄土真宗のお寺としては最古といわれています。本堂は珍しい茅葺き屋根で、今年から3年かけて葺き替えをするそうです。
この後は能登金剛です。関野鼻から福浦港にいたる約30キロに渡り、日本海の荒波によって浸食された奇岩・断崖が連なっています。
関野鼻です。石灰岩などの水に溶けやすい岩石が波に侵食されてできたカルスト地形で、日本海側では珍しいそうです。
ヤセの断崖です。松本清張原作の映画「ゼロの焦点」のロケ地だそうです。逆光になってしまいました。
ここからは関野鼻が見えます。
増穂浦には世界一長いというベンチがありました。長さ460メートルだそうです。両側に果てしなくベンチが続いています。
機具岩です。正面からだと逆光だったので少し斜めから。
能登金剛の中心地、厳門です。ここは以前来た時も遊覧船に乗りました。
駐車場から遊覧船が見えます。
階段を下りて遊覧船乗り場へ。ちょうど船が到着しました。夕方なので船は貸し切り状態でした。船は25年前とまったく変わっていないようでした。
出航してすぐに厳門が見えてきました。
船は厳門に近づいて行きます。
もちろん遊覧船は大きいので通り抜けることはできません。ここまでです。向こう側に遊歩道が見えます。
すぐ近くにはそそり立つ鷹ノ巣岩の絶壁が見えます。
船は陸地側と碁盤島との狭い間を通り抜けます。
さらに南に進み、旧福浦灯台沖まで行きました。中央に見える白い建物が旧福浦灯台です。ここで船は乗り場まで戻ります。コースも25年前と同じです。
遊覧船乗り場から少し歩くと厳門まで遊歩道で行けるのですが、カミさんは以前来た時に行ったし、階段を歩きたくない、と言うので今回は行きませんでした。せっかく来たのに。
遊覧船から見えた旧福浦灯台へ行ってみました。観光客向けの駐車場が整備されていましたが、そこから少し歩きます。
旧福浦灯台から海を見ていると遊覧船が次々にやってきました。夜は福浦港に係留するんですね。
今日の宿は和倉温泉のゆけむりの宿美湾荘です。部屋は最近改装された半露天風呂付きの和洋室です。到着時に写真を撮り忘れてしまいました。夕食はこちらも新しくできたレストラン「海」の個室です。
八寸、造り、蒸し物、焼き物、揚げ物、台の物、酢の物と進みます。
お酒も進みます。
もう少し飲もうということで肴を追加。能登の珍味、このわた、くちこ、さざえ麹漬けと能登牛の握りです。
最後はデザートで口直し。お腹いっぱいです。
朝食です。
食後はラウンジでコーヒー。カップも輪島塗です。
今日は輪島市内を観光し、能登金剛・厳門を見て和倉温泉に行く予定です。まずは宿の近く、白米千枚田へ向かいました。千枚田には道の駅が隣接していて、そこから千枚田を一望でき、階段を下れば千枚田まで行くこともできます。
階段を下りて途中まで行ってみました。
この千枚田は「あぜのきらめき」と称して、毎年秋から翌春にかけてライトアップをします。昨年は10月のこの連休からだったので、今年も連休からやるだろうと思っていました。ところが今年は次の週末13日からでした。残念です。
輪島市街に戻り朝市に行きました。朝市通りには輪島出身の漫画家永井豪の記念館があり、市内の観光案内には永井豪の絵が使われていました。
朝市通りを抜けて輪島塗会館へ行きました。ここは1階が売店で市内約60の漆器店の輪島塗を買うことができます。2階が輪島塗の資料館で、輪島塗の歴史や工程が詳しく解説され、輪島塗の銘品も展示されていました。
朝市でいろいろ買い物し、次は昨夜御陣乗太鼓の演奏を見たキリコ会館へ行きました。以前来た時は和風の建物でしたが、建て替えたようで現代的な趣になっていました。
キリコというのは能登のお祭で担がれる奉燈(御神燈)のことで、大きな物は4階建てビルほどの高さがあるそうです。キリコ会館ではキリコの歴史などの解説、実物のキリコが展示されています。キリコが担がれるお祭を見てみたいですね。
3階の展望室には輪島の大祭で燃やされる大松明があります。これは1階のショップから3階に達する大きなものです。
この後は市内の神社をいくつか回りました。重蔵神社です。もともとは海人の守り神でしたが、今では輪島塗や朝市の神様とされています。朝市はもともとは神社の祭礼日に境内に市が立ったのが始まりと言われ、平安時代から1000年もの歴史があるそうです。
近くには輪島工房長屋があります。
住吉神社です。古くから御神事太鼓が伝えられ、8月の輪島大祭ではキリコだけでなく御神事太鼓の演奏も行われるそうです。社殿は最近建て替えられたようできれいでした。
輪島前神社です。輪島港近くにあり、両側を民家に囲まれていますが、石段を上ると立派な社殿があります。鳥居そばにある由緒によると、もともとは天満宮だったのですが、熊野社、日吉社と合祀されて輪島前神社となったそうです。
奥津姫神社です。輪島沖50キロにある舳倉島の奥津姫神社が本社で、こちらは里宮にあたります。輪島港を望む高台にあり、石段を上ると社殿があります。新しいので最近建て替えられたのでしょうか。
8月に行われる輪島大祭はこれら4つの神社のお祭りの総称です。奥津姫神社以外の3社は夜にキリコが引き回されるそうです。次に輪島に来る時は大祭の時に来ようと思いました。
お昼を食べて輪島市街地を離れました。総持寺祖院です。元亨元年(1321年)創建の曹洞宗の大本山です。もともとは総持寺と呼ばれていましたが、明治時代の火災で本山は横浜へ移転し、総持寺祖院と改称され総持寺の別院となっています。
山門や境内は改修工事中でした。御朱印には能登立国1300年記念の印がありました。
阿岸本誓寺です。鎌倉時代に創建され、能登の浄土真宗のお寺としては最古といわれています。本堂は珍しい茅葺き屋根で、今年から3年かけて葺き替えをするそうです。
この後は能登金剛です。関野鼻から福浦港にいたる約30キロに渡り、日本海の荒波によって浸食された奇岩・断崖が連なっています。
関野鼻です。石灰岩などの水に溶けやすい岩石が波に侵食されてできたカルスト地形で、日本海側では珍しいそうです。
ヤセの断崖です。松本清張原作の映画「ゼロの焦点」のロケ地だそうです。逆光になってしまいました。
ここからは関野鼻が見えます。
増穂浦には世界一長いというベンチがありました。長さ460メートルだそうです。両側に果てしなくベンチが続いています。
機具岩です。正面からだと逆光だったので少し斜めから。
能登金剛の中心地、厳門です。ここは以前来た時も遊覧船に乗りました。
駐車場から遊覧船が見えます。
階段を下りて遊覧船乗り場へ。ちょうど船が到着しました。夕方なので船は貸し切り状態でした。船は25年前とまったく変わっていないようでした。
出航してすぐに厳門が見えてきました。
船は厳門に近づいて行きます。
もちろん遊覧船は大きいので通り抜けることはできません。ここまでです。向こう側に遊歩道が見えます。
すぐ近くにはそそり立つ鷹ノ巣岩の絶壁が見えます。
船は陸地側と碁盤島との狭い間を通り抜けます。
さらに南に進み、旧福浦灯台沖まで行きました。中央に見える白い建物が旧福浦灯台です。ここで船は乗り場まで戻ります。コースも25年前と同じです。
遊覧船乗り場から少し歩くと厳門まで遊歩道で行けるのですが、カミさんは以前来た時に行ったし、階段を歩きたくない、と言うので今回は行きませんでした。せっかく来たのに。
遊覧船から見えた旧福浦灯台へ行ってみました。観光客向けの駐車場が整備されていましたが、そこから少し歩きます。
旧福浦灯台から海を見ていると遊覧船が次々にやってきました。夜は福浦港に係留するんですね。
今日の宿は和倉温泉のゆけむりの宿美湾荘です。部屋は最近改装された半露天風呂付きの和洋室です。到着時に写真を撮り忘れてしまいました。夕食はこちらも新しくできたレストラン「海」の個室です。
八寸、造り、蒸し物、焼き物、揚げ物、台の物、酢の物と進みます。
お酒も進みます。
もう少し飲もうということで肴を追加。能登の珍味、このわた、くちこ、さざえ麹漬けと能登牛の握りです。
最後はデザートで口直し。お腹いっぱいです。
- 関連記事
-
- 奥州・遠野 (2018/11/23)
- 能登島・七尾 (2018/10/09)
- 輪島・能登金剛 (2018/10/08)
- 金沢・輪島 (2018/10/07)
- 箱根 (2018/09/16)
金沢・輪島
この連休は火曜も休みを取って、カミさんと金沢・能登に来ています。能登は25年ぶりです。昨日お昼頃出て、夕方金沢に着きました。車はE400です。
金沢駅近くのホテルに泊まり、夕食を食べにホテルを出たら、駅前にある鼓門の前で音楽の演奏とプロジェクションマッピングをやっていました。
朝の鼓門です。駅前広場にある木造の巨大な門で、金沢の伝統芸能の能や素囃子などで使用される鼓の胴にある「調べ緒」をモチーフにデザインされているそうです。
鼓門から駅に向かうと広大なドーム空間が広がっています。金属とガラスが美しく、鼓門の木造と対照的です。
今年は能登の国立国1300年だそうです。記念の御朱印帳があり、金沢駅の観光案内所「のとデスク」で販売されています。カミさんが実物を見てみたい、というので行ってみましたが、金澤神社社の御朱印帳の方がよさそう、と言っていました。
今日は金沢市内を観光して夕方輪島へ行く予定です。まず金沢城へ向かいました。小雨が降り出しましたが、すぐに止んでくれました。
金沢城は以前来た時とは比べものにならないくらいきれいに整備されていて、以前はなかった櫓なども再建されていました。これは五十間長屋です。金沢城では、倉庫と防壁を兼ねた建物を長屋と呼び、その長さを付けて呼んでいます。
河北門です。奥に見えるのは五十間長屋に続く菱櫓です。
長屋や櫓は内部を見学することができます。五十間長屋です。木が美しいですね。
菱櫓は内部の木材がすべて斜め(菱形)に切られています。うまく写真が撮れませんでしたが、柱の斜めの接合部などが見えるようになっていました。すごい技術ですね。
三十間長屋です。江戸時代末に造られたままの状態で今に至っており、内部も時代を感じさせるものでした。
加賀藩歴代城主によって整備されてきた玉泉院丸庭園です。明治時代に荒廃してしまったものを10年前から整備復元を始め、平成27年に完成したそうです。
広い金沢城をゆっくり見て、兼六園に入る頃には青空も出てきました。兼六園はすでにものすごい人出です。
兼六園の象徴、徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
眺望台からの眺めです。
兼六園は入場券を見せることで出入りが自由にできます。私たちは桂坂口から入って、東側半分を見て小立野口から外へでました。近くには成巽閣、金澤神社などがあります。兼六園側から直接入ることもできますが、表玄関側から入ることにしました。
成巽閣です。13代藩主前田斉泰の母堂の隠居所として建てられたもので、木造2階建て、寄棟造りの中は贅美の限りを尽くしています。
金澤神社です。11代藩主前田治脩によって藩校明倫堂の鎮守社として創建されました。かつては歴代藩主の個人的な祈願所で、一般の参拝はできなかったそうです。
兼六園に戻り、梅林を通って時雨亭へ向かいました。
時雨亭はお茶会で貸し切りとなっていて中へは入れませんでした。
真弓坂口から兼六園を出て、石浦神社へ行きました。金沢で一番古い神社だそうです。
鳥居にはなぜかハートが。縁結びの神社だからでしょうか。
拝殿脇にはおみくじがぎっしりと。石浦神社のおみくじは「福福福」から「凶」まで15段階もあるそうです。
石浦神社の公式キャラクター「きまるちゃん」。これは写真ですが、縁日などでは着ぐるみがいるそうです。
再び兼六園に戻り、瓢池、噴水を見て最初に入った桂坂口へ戻りました。
金沢は金箔で有名ですが、最近はいろいろなお店で金箔ソフトクリームを売っています。使っている金箔の量が違うのでしょうか、お店によって値段がだいぶ違います。カミさんは有名な箔一で買いました。一口食べてみましたが、金箔は味がしませんね。当たり前ですが。
お昼を食べて、妙立寺へ行きました。
ここは別名忍者寺と呼ばれていますが、実際には忍者とは関係ありません。前田家の祈願所として歴代藩主自らが参詣し、武運長久と庶民の安穏を祈願したそうです。また、万一の場合の出城としての役割を持たせたと言われており、建物全体が迷路状となり極めて複雑な構造となっています。そのため、忍者寺と呼ばれるようになったそうです。
拝観・見学は予約制ですが、当日予約もできるようです。見学予約は30分刻みですが、各組数十名はいるようです。それを5グループに分け、各グループごとに1人のガイドが付きます。私たちのグループには外国人がいましたが、彼らにはガイドの説明が英語で書かれた厚いファイルが渡されていました。
残念ながら内部は写真撮影禁止です。賽銭箱を兼ねた落とし穴や隠し階段など22の部屋と29の階段があるそうです。ガイドさんの案内のもと、1時間弱、あっという間でした。
金沢最後は尾山神社です。加賀藩祖前田利家と正室お松の方を祀り、明治時代に創建されたそうです。
神門は和漢洋の三様式を混用した珍しい形式です。拝殿側から見ると第三層のギヤマンがきれいです。
以前来た時は輪島まで一般道しかありませんでしたが、現在はのと里山海道という無料の自動車専用道路が金沢から穴水まで通っています。途中、海岸を走れる千里浜なぎさハイウェイに出ることができますが、台風直後で波風が強く千里浜なぎさハイウェイは通行禁止でした。千里浜なぎさハイウェイは25年前に来た時にはすでにあり、その時は海辺の砂浜を車で走りました。
羽咋でのと里山海道を下り氣多大社へ向かいました。氣多大社は万葉集にもうたわれる古い創建で能登国の一の宮です。
近くには妙成寺があります。能登で一番大きいといわれる大伽藍があり日蓮宗の本山です。五重の塔も北陸一の規模だそうです。妙成寺の御朱印には能登立国1300年記念と入っていました。
再びのと里山海道を経由し、輪島に着いたのは夕方でした。道の駅輪島ふらっと訪夢があったので寄ってみました。ここはかつての輪島駅で、駅前のロータリーもそのままです。
線路やホームなども一部残されていました。
今日の宿は輪島市街から少し離れた、ねぶた温泉海游能登の庄です。
輪島のキリコ会館で夏の間はほぼ毎日、10月は毎週末、御陣乗太鼓の演奏が行われています。夕食を早めに食べれば御陣乗太鼓を見ることができるとのことで、私たちは見に行くことにしました。料理の一部です。
2時間ほどしかありませんでしたが、しっかりお酒もいただきました。料理の器、酒器はすべて輪島塗だそうです。
宿のバスで御陣乗太鼓を見に行きました。バスに乗ったのは私たちを含めて5組ほどです。キリコ会館に着いたらもうすでに人でいっぱいでした。幸い、ほぼ正面の席に座ることができました。
御陣乗太鼓というのは、戦国時代、上杉謙信が能登半島に侵攻した際、名舟の村人たちが夜中に面をかぶって太鼓を打ち鳴らし上杉勢を退散させた、という伝承に基づいています。日本国内だけでなく、海外でも公演を行っているそうです。
御陣乗太鼓の演奏はキリコ会館の外に作られたステージです。
演奏が始まるとステージ奥のシャッターが開き、中のキリコが点灯されました。演者はキリコ会館の中から次々に出てきます。太鼓のリズムに合わせて、面をかぶった踊り手が舞台を跳ね回り見得を切ります。踊り手も太鼓のバチを持っていて、交代で太鼓を叩きます。
最後は全員で乱舞です。
公演は20分ほどでしたが、大音量の太鼓と踊りの迫力に圧倒されました。見に行ってよかったです。
金沢駅近くのホテルに泊まり、夕食を食べにホテルを出たら、駅前にある鼓門の前で音楽の演奏とプロジェクションマッピングをやっていました。
朝の鼓門です。駅前広場にある木造の巨大な門で、金沢の伝統芸能の能や素囃子などで使用される鼓の胴にある「調べ緒」をモチーフにデザインされているそうです。
鼓門から駅に向かうと広大なドーム空間が広がっています。金属とガラスが美しく、鼓門の木造と対照的です。
今年は能登の国立国1300年だそうです。記念の御朱印帳があり、金沢駅の観光案内所「のとデスク」で販売されています。カミさんが実物を見てみたい、というので行ってみましたが、金澤神社社の御朱印帳の方がよさそう、と言っていました。
今日は金沢市内を観光して夕方輪島へ行く予定です。まず金沢城へ向かいました。小雨が降り出しましたが、すぐに止んでくれました。
金沢城は以前来た時とは比べものにならないくらいきれいに整備されていて、以前はなかった櫓なども再建されていました。これは五十間長屋です。金沢城では、倉庫と防壁を兼ねた建物を長屋と呼び、その長さを付けて呼んでいます。
河北門です。奥に見えるのは五十間長屋に続く菱櫓です。
長屋や櫓は内部を見学することができます。五十間長屋です。木が美しいですね。
菱櫓は内部の木材がすべて斜め(菱形)に切られています。うまく写真が撮れませんでしたが、柱の斜めの接合部などが見えるようになっていました。すごい技術ですね。
三十間長屋です。江戸時代末に造られたままの状態で今に至っており、内部も時代を感じさせるものでした。
加賀藩歴代城主によって整備されてきた玉泉院丸庭園です。明治時代に荒廃してしまったものを10年前から整備復元を始め、平成27年に完成したそうです。
広い金沢城をゆっくり見て、兼六園に入る頃には青空も出てきました。兼六園はすでにものすごい人出です。
兼六園の象徴、徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
眺望台からの眺めです。
兼六園は入場券を見せることで出入りが自由にできます。私たちは桂坂口から入って、東側半分を見て小立野口から外へでました。近くには成巽閣、金澤神社などがあります。兼六園側から直接入ることもできますが、表玄関側から入ることにしました。
成巽閣です。13代藩主前田斉泰の母堂の隠居所として建てられたもので、木造2階建て、寄棟造りの中は贅美の限りを尽くしています。
金澤神社です。11代藩主前田治脩によって藩校明倫堂の鎮守社として創建されました。かつては歴代藩主の個人的な祈願所で、一般の参拝はできなかったそうです。
兼六園に戻り、梅林を通って時雨亭へ向かいました。
時雨亭はお茶会で貸し切りとなっていて中へは入れませんでした。
真弓坂口から兼六園を出て、石浦神社へ行きました。金沢で一番古い神社だそうです。
鳥居にはなぜかハートが。縁結びの神社だからでしょうか。
拝殿脇にはおみくじがぎっしりと。石浦神社のおみくじは「福福福」から「凶」まで15段階もあるそうです。
石浦神社の公式キャラクター「きまるちゃん」。これは写真ですが、縁日などでは着ぐるみがいるそうです。
再び兼六園に戻り、瓢池、噴水を見て最初に入った桂坂口へ戻りました。
金沢は金箔で有名ですが、最近はいろいろなお店で金箔ソフトクリームを売っています。使っている金箔の量が違うのでしょうか、お店によって値段がだいぶ違います。カミさんは有名な箔一で買いました。一口食べてみましたが、金箔は味がしませんね。当たり前ですが。
お昼を食べて、妙立寺へ行きました。
ここは別名忍者寺と呼ばれていますが、実際には忍者とは関係ありません。前田家の祈願所として歴代藩主自らが参詣し、武運長久と庶民の安穏を祈願したそうです。また、万一の場合の出城としての役割を持たせたと言われており、建物全体が迷路状となり極めて複雑な構造となっています。そのため、忍者寺と呼ばれるようになったそうです。
拝観・見学は予約制ですが、当日予約もできるようです。見学予約は30分刻みですが、各組数十名はいるようです。それを5グループに分け、各グループごとに1人のガイドが付きます。私たちのグループには外国人がいましたが、彼らにはガイドの説明が英語で書かれた厚いファイルが渡されていました。
残念ながら内部は写真撮影禁止です。賽銭箱を兼ねた落とし穴や隠し階段など22の部屋と29の階段があるそうです。ガイドさんの案内のもと、1時間弱、あっという間でした。
金沢最後は尾山神社です。加賀藩祖前田利家と正室お松の方を祀り、明治時代に創建されたそうです。
神門は和漢洋の三様式を混用した珍しい形式です。拝殿側から見ると第三層のギヤマンがきれいです。
以前来た時は輪島まで一般道しかありませんでしたが、現在はのと里山海道という無料の自動車専用道路が金沢から穴水まで通っています。途中、海岸を走れる千里浜なぎさハイウェイに出ることができますが、台風直後で波風が強く千里浜なぎさハイウェイは通行禁止でした。千里浜なぎさハイウェイは25年前に来た時にはすでにあり、その時は海辺の砂浜を車で走りました。
羽咋でのと里山海道を下り氣多大社へ向かいました。氣多大社は万葉集にもうたわれる古い創建で能登国の一の宮です。
近くには妙成寺があります。能登で一番大きいといわれる大伽藍があり日蓮宗の本山です。五重の塔も北陸一の規模だそうです。妙成寺の御朱印には能登立国1300年記念と入っていました。
再びのと里山海道を経由し、輪島に着いたのは夕方でした。道の駅輪島ふらっと訪夢があったので寄ってみました。ここはかつての輪島駅で、駅前のロータリーもそのままです。
線路やホームなども一部残されていました。
今日の宿は輪島市街から少し離れた、ねぶた温泉海游能登の庄です。
輪島のキリコ会館で夏の間はほぼ毎日、10月は毎週末、御陣乗太鼓の演奏が行われています。夕食を早めに食べれば御陣乗太鼓を見ることができるとのことで、私たちは見に行くことにしました。料理の一部です。
2時間ほどしかありませんでしたが、しっかりお酒もいただきました。料理の器、酒器はすべて輪島塗だそうです。
宿のバスで御陣乗太鼓を見に行きました。バスに乗ったのは私たちを含めて5組ほどです。キリコ会館に着いたらもうすでに人でいっぱいでした。幸い、ほぼ正面の席に座ることができました。
御陣乗太鼓というのは、戦国時代、上杉謙信が能登半島に侵攻した際、名舟の村人たちが夜中に面をかぶって太鼓を打ち鳴らし上杉勢を退散させた、という伝承に基づいています。日本国内だけでなく、海外でも公演を行っているそうです。
御陣乗太鼓の演奏はキリコ会館の外に作られたステージです。
演奏が始まるとステージ奥のシャッターが開き、中のキリコが点灯されました。演者はキリコ会館の中から次々に出てきます。太鼓のリズムに合わせて、面をかぶった踊り手が舞台を跳ね回り見得を切ります。踊り手も太鼓のバチを持っていて、交代で太鼓を叩きます。
最後は全員で乱舞です。
公演は20分ほどでしたが、大音量の太鼓と踊りの迫力に圧倒されました。見に行ってよかったです。
- 関連記事
-
- 能登島・七尾 (2018/10/09)
- 輪島・能登金剛 (2018/10/08)
- 金沢・輪島 (2018/10/07)
- 箱根 (2018/09/16)
- 新潟 (2018/09/01)