富山
しばらくぶりにカミさんとSLKで遠出しました。富山までです。早朝に出ましたがもう空は明るくなっています。関越道から上信越道、北陸道経由です。上信越道の横川SAに寄りましたが、まだ6時半と早いので釜飯は売っていませんでした。
朝からこってりしたラーメンです。富山ブラックとかいい、スープがかなり濃い色です。ナルトではなく、ナルト風のかまぼこが乗っていました。
魚津インターで高速を下り、魚津埋没林博物館へ向かいました。魚津は蜃気楼で有名ですが、その蜃気楼展望地に建てられています。魚津の埋没林は、約2000年前に起きた川の氾濫で流れ出た土砂によって杉林が埋められ、その後の温暖化で海水面が上昇して海底に沈んだということです。20世紀に入って魚津港の工事などで発見されたそうです。
海中で埋没林が発見された場所に博物館を建設し、一部の樹木はそのまま水中に沈んだ状態で展示されています。そのため館内の床面の一部は海水面下にあります。水中に沈んだ杉の大きな根はなかなか見応えがありました。
埋没林博物館の屋上からは魚津の海がよく見えます。残念ながら時期的に蜃気楼は見えませんでした。
埋没林博物館とセットで買ったので魚津水族館へも行ってみました。水族館って好きなんですよね。癒されます。地方の古い小さな水族館なので展示の目玉となるような魚はいませんが、ゲンゲなど地元の魚などいろいろ展示されていました。
ちょうどアザラシの給餌の時間でしたが、小さなプールで飼育員がエサをあげるだけで特に芸をするわけでもありませんでした。
魚津から富山に向かう途中の滑川にほたるいかミュージアムというのがあるので寄ってみました。ほたるいか漁のシーズン中は生きたほたるいかの展示があるそうで、ほたるいかが光るところを見ることができます。見てみたいですね。
ほたるいかミュージアムは道の駅に併設されていてレストランもあります。ほたるいかや白エビを使ったメニューがあったので入ってみました。
私は新メニューという螢烏賊バーガーでカミさんは白エビのかき揚げ丼です。螢烏賊バーガーはほたるいかのフライをパンに挟んでありますが、ほたるいかが若干生臭く生のトマトとミスマッチでしたもう少し味付けに工夫が必要でしょう。まあ話のタネに食べてみた、という感じです。
カミさんの食べた白エビのかき揚げ丼はテレビでも放映されたそうで、見た目から想像される味でまあまあでした。
滑川からは国道経由で来たので富山の市街地へ行く前に富山港へ行ってみました。富山港には北前船時代の琴平神社の常夜燈をモデルにしたという富山港展望台があります。常夜灯をモデルにしたため、頭でっかちで下から見上げると若干不安定な感じです。駐車場に管理人がいるだけで展望台は無料でした。天気はよかったのですが富山港周辺しか見えませんでした。
展望台から歩いてすぐのところに北前船廻船問屋森家というのがあります。北前船で儲けた森家が明治時代に3年かけて造った商家で国の重要文化財に指定されています。
屋久杉の板戸、能登の黒松の太い梁、小豆島の巨大な一枚岩を使った土間など日本全国から材料を集めた贅沢な建物です。ボランティアの方が内部を案内してくれました。
漆喰塗りの土蔵が2つあり、扉などのこて絵も見事です。
呉羽山にある富山市民俗民芸村へ向かいました。ここは民芸館、民芸合掌館、民俗資料館、考古資料館、陶芸館、売薬資料館などが集まっていて、遺跡での出土品や昔の農具、民芸品などを展示しています。
売薬資料館では江戸時代からの富山の薬売りが解説されています。実際に丸薬を手作りするビデオも上映されていてたいへん興味深かったです。本館から渡り廊下でつながっている旧密田家土蔵は、売薬商家の密田家から資料とともに移設されたものだそうです。
民芸合掌館は江戸末期に建てられた民家を移築したものです。豪雪に耐える太い柱や巨大な梁は見事です。江戸時代に作られた箪笥などの家具類も見事です。座敷にある囲炉裏は実際に火がついていて、夏場でも火をおこしておくそうです。
民芸館は明治時代初めに造られた板蔵です。板蔵としては大変大きなものだそうです。内部には当時使われていた日用品や生活用具が展示されています。
陶芸館には日本各地の普段使いの陶器が集められています。建物は明治時代に富山市内に建てられた豪農の家で、切妻造民家アズマダチの典型だそうです。
考古資料館には富山で発掘された土器などが展示されています。富山市内には1000か所以上の遺跡があるそうです。旧石器時代から平安時代までの出土品が時代の流れに沿って展示されています。
民俗資料館は江戸時代後期に建てられた茅葺き合掌造りの農家を移築したものです。当時の生活用具、農耕などの生産用具、祭礼用具などが展示されています。
民芸村には富山出身の水墨画家、篁牛人の作品を展示する篁牛人記念美術館があります。篁牛人は半分独学で水墨画を極め、渇筆画法という独特の画風を確立しました。日本や中国の故事、伝説などを主な画題とした迫力のある絵で、見ていると時間を忘れてしまいます。
江戸時代に始まった富山の土人形作りは一つ一つ手作りで素朴な味わいがあります。民芸村にあるとやま土人形工房ではその土人形を展示、紹介し販売もしています。かわいらしい土人形がたくさんありましたので、招き猫を買いました。
呉羽山の坂道を登ると長慶寺の五百羅漢があります。18世紀末から約50年の年月をかけて500体以上の羅漢像を作ったそうで、同じ顔の像はないそうです。
市街地へ向かい、富山城址公園にある富山市郷土博物館へ行きました。富山城は設計図や絵が残っておらず、発掘調査などの結果から江戸時代には天守閣は造られなかったようです。前在は石垣や堀の一部が残っており、お城を模した富山市郷土博物館があります。博物館では400年に及ぶ富山城の歴史を紹介しています。
富山城址公園の近くに富山市役所があります。ここには地上70メートルの展望台がありますが、市役所に展望台が設置されているのは珍しいのではないでしょうか。見晴らしもなかなかよく、近くには城址公園が、遠くには立山連峰までが見渡せます。
富山といえば江戸時代から続くのが有名な薬売りです。近くに廣貫堂という薬屋さんの資料館があったので行ってみました。製剤の道具類や行商で使った柳行李、懸場帳などの道具類などを展示しています。また、富山の薬売りの歴史や薬の製造工程を紹介するビデオも見ることができます。
富山駅前のCICという商業ビルの5階に富山の観光や物産を紹介する「いきいきKAN」があります。ここにも富山の昔の薬売りの資料が展示されていました。
富山では50年くらい前から毎年チンドン屋のコンテストが開かれているそうです。チンドン屋やコンテストに関する展示がり、人形が演奏をします。チンドン屋のコンテストがあるとは知りませんでした。
富山駅近くの「酒菜工房だい」という店に入りました。富山湾の新鮮な魚介類がお酒に合います。
ゲンゲの天ぷらもいただきました。ゲンゲは正式名称をノロゲンゲといい、水深数百メートルほどのところにいる深海魚です。最近では「幻魚」などという字が当てられ、高級魚のような扱いをされることもありますが、ゲンゲは元々は「下の下(げのげ)」、つまり雑魚の中の雑魚という意味からつけられた名前だそうです。かつては底引き網に大量に引っかかると浜辺にうち捨てられたそうです。現在でも底引き網漁の副産物で専門に捕る漁師はいないそうです。今朝水族館で見たグロテスクな姿とは裏腹に天ぷらは美味でした。
お土産は土人形工房で買った招き猫と地酒のセットです。置き薬の入れ物に見立てた箱に1合入りの日本酒が6本入っています。「いやしの薬箱」というネーミングがいいですね。
朝からこってりしたラーメンです。富山ブラックとかいい、スープがかなり濃い色です。ナルトではなく、ナルト風のかまぼこが乗っていました。
魚津インターで高速を下り、魚津埋没林博物館へ向かいました。魚津は蜃気楼で有名ですが、その蜃気楼展望地に建てられています。魚津の埋没林は、約2000年前に起きた川の氾濫で流れ出た土砂によって杉林が埋められ、その後の温暖化で海水面が上昇して海底に沈んだということです。20世紀に入って魚津港の工事などで発見されたそうです。
海中で埋没林が発見された場所に博物館を建設し、一部の樹木はそのまま水中に沈んだ状態で展示されています。そのため館内の床面の一部は海水面下にあります。水中に沈んだ杉の大きな根はなかなか見応えがありました。
埋没林博物館の屋上からは魚津の海がよく見えます。残念ながら時期的に蜃気楼は見えませんでした。
埋没林博物館とセットで買ったので魚津水族館へも行ってみました。水族館って好きなんですよね。癒されます。地方の古い小さな水族館なので展示の目玉となるような魚はいませんが、ゲンゲなど地元の魚などいろいろ展示されていました。
ちょうどアザラシの給餌の時間でしたが、小さなプールで飼育員がエサをあげるだけで特に芸をするわけでもありませんでした。
魚津から富山に向かう途中の滑川にほたるいかミュージアムというのがあるので寄ってみました。ほたるいか漁のシーズン中は生きたほたるいかの展示があるそうで、ほたるいかが光るところを見ることができます。見てみたいですね。
ほたるいかミュージアムは道の駅に併設されていてレストランもあります。ほたるいかや白エビを使ったメニューがあったので入ってみました。
私は新メニューという螢烏賊バーガーでカミさんは白エビのかき揚げ丼です。螢烏賊バーガーはほたるいかのフライをパンに挟んでありますが、ほたるいかが若干生臭く生のトマトとミスマッチでしたもう少し味付けに工夫が必要でしょう。まあ話のタネに食べてみた、という感じです。
カミさんの食べた白エビのかき揚げ丼はテレビでも放映されたそうで、見た目から想像される味でまあまあでした。
滑川からは国道経由で来たので富山の市街地へ行く前に富山港へ行ってみました。富山港には北前船時代の琴平神社の常夜燈をモデルにしたという富山港展望台があります。常夜灯をモデルにしたため、頭でっかちで下から見上げると若干不安定な感じです。駐車場に管理人がいるだけで展望台は無料でした。天気はよかったのですが富山港周辺しか見えませんでした。
展望台から歩いてすぐのところに北前船廻船問屋森家というのがあります。北前船で儲けた森家が明治時代に3年かけて造った商家で国の重要文化財に指定されています。
屋久杉の板戸、能登の黒松の太い梁、小豆島の巨大な一枚岩を使った土間など日本全国から材料を集めた贅沢な建物です。ボランティアの方が内部を案内してくれました。
漆喰塗りの土蔵が2つあり、扉などのこて絵も見事です。
呉羽山にある富山市民俗民芸村へ向かいました。ここは民芸館、民芸合掌館、民俗資料館、考古資料館、陶芸館、売薬資料館などが集まっていて、遺跡での出土品や昔の農具、民芸品などを展示しています。
売薬資料館では江戸時代からの富山の薬売りが解説されています。実際に丸薬を手作りするビデオも上映されていてたいへん興味深かったです。本館から渡り廊下でつながっている旧密田家土蔵は、売薬商家の密田家から資料とともに移設されたものだそうです。
民芸合掌館は江戸末期に建てられた民家を移築したものです。豪雪に耐える太い柱や巨大な梁は見事です。江戸時代に作られた箪笥などの家具類も見事です。座敷にある囲炉裏は実際に火がついていて、夏場でも火をおこしておくそうです。
民芸館は明治時代初めに造られた板蔵です。板蔵としては大変大きなものだそうです。内部には当時使われていた日用品や生活用具が展示されています。
陶芸館には日本各地の普段使いの陶器が集められています。建物は明治時代に富山市内に建てられた豪農の家で、切妻造民家アズマダチの典型だそうです。
考古資料館には富山で発掘された土器などが展示されています。富山市内には1000か所以上の遺跡があるそうです。旧石器時代から平安時代までの出土品が時代の流れに沿って展示されています。
民俗資料館は江戸時代後期に建てられた茅葺き合掌造りの農家を移築したものです。当時の生活用具、農耕などの生産用具、祭礼用具などが展示されています。
民芸村には富山出身の水墨画家、篁牛人の作品を展示する篁牛人記念美術館があります。篁牛人は半分独学で水墨画を極め、渇筆画法という独特の画風を確立しました。日本や中国の故事、伝説などを主な画題とした迫力のある絵で、見ていると時間を忘れてしまいます。
江戸時代に始まった富山の土人形作りは一つ一つ手作りで素朴な味わいがあります。民芸村にあるとやま土人形工房ではその土人形を展示、紹介し販売もしています。かわいらしい土人形がたくさんありましたので、招き猫を買いました。
呉羽山の坂道を登ると長慶寺の五百羅漢があります。18世紀末から約50年の年月をかけて500体以上の羅漢像を作ったそうで、同じ顔の像はないそうです。
市街地へ向かい、富山城址公園にある富山市郷土博物館へ行きました。富山城は設計図や絵が残っておらず、発掘調査などの結果から江戸時代には天守閣は造られなかったようです。前在は石垣や堀の一部が残っており、お城を模した富山市郷土博物館があります。博物館では400年に及ぶ富山城の歴史を紹介しています。
富山城址公園の近くに富山市役所があります。ここには地上70メートルの展望台がありますが、市役所に展望台が設置されているのは珍しいのではないでしょうか。見晴らしもなかなかよく、近くには城址公園が、遠くには立山連峰までが見渡せます。
富山といえば江戸時代から続くのが有名な薬売りです。近くに廣貫堂という薬屋さんの資料館があったので行ってみました。製剤の道具類や行商で使った柳行李、懸場帳などの道具類などを展示しています。また、富山の薬売りの歴史や薬の製造工程を紹介するビデオも見ることができます。
富山駅前のCICという商業ビルの5階に富山の観光や物産を紹介する「いきいきKAN」があります。ここにも富山の昔の薬売りの資料が展示されていました。
富山では50年くらい前から毎年チンドン屋のコンテストが開かれているそうです。チンドン屋やコンテストに関する展示がり、人形が演奏をします。チンドン屋のコンテストがあるとは知りませんでした。
富山駅近くの「酒菜工房だい」という店に入りました。富山湾の新鮮な魚介類がお酒に合います。
ゲンゲの天ぷらもいただきました。ゲンゲは正式名称をノロゲンゲといい、水深数百メートルほどのところにいる深海魚です。最近では「幻魚」などという字が当てられ、高級魚のような扱いをされることもありますが、ゲンゲは元々は「下の下(げのげ)」、つまり雑魚の中の雑魚という意味からつけられた名前だそうです。かつては底引き網に大量に引っかかると浜辺にうち捨てられたそうです。現在でも底引き網漁の副産物で専門に捕る漁師はいないそうです。今朝水族館で見たグロテスクな姿とは裏腹に天ぷらは美味でした。
お土産は土人形工房で買った招き猫と地酒のセットです。置き薬の入れ物に見立てた箱に1合入りの日本酒が6本入っています。「いやしの薬箱」というネーミングがいいですね。
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