はてなキーワード: 原チャとは
タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。
当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピース、フリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボン。かわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。
発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。
昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。
すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。
母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。
ほんとうに驚いたとき、人間は悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメやドラマ(刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。
「かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。
プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族も問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。
私の地元は田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。
学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。
車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしか分からなかった。親や学校の先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。
喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。
水筒のお茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。
今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかいう選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。
少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わずに自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。
この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいか分からないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。
これも小学校中〜高学年頃。
私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。
例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書は卒業していたので、見る本棚は一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくりと本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。
ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。
図書館の本棚は上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校でミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。
何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。
じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいか分からなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。
この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子のモノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってからは飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちがフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯の近未来バイオサスペンス(引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。
この体験は一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。
4度目は小学校高学年。
さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。
私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習は体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。
それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットしたかった。車通りはやはり少ない。
この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性が小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。
相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。
習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手の効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。
そういうわけで、私が小学生のときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。
もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。
どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものだから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。
一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。
中学にあがってから、路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかったからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手の風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。
おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所を地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合、被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達に2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父の趣味にハーレーがあったので、バイクを中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。
そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。
ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。
初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。
今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかに育つべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。
この文章は、職場の男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。
電車通学が珍しい地方の小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。
住む物件決めて不動産屋にハンコ押しに行くときに初めて川崎駅について、通りのすき家で朝飯食ってたら
汚いジジイが店員の女の子にキレて小銭ぶん投げて警察が来た。もうこの時点で嫌すぎる街だなって思ってたんだけど
住み始めてまずほぼ毎朝マンションのゴミ箱をホームレスが漁っている。
通勤で高架の下を通ると「糞尿禁止!」の張り紙がある。座り込みとかペットの糞とかじゃなくて糞尿禁止ってなんだよ当たり前だろ。
会社の向かいの公園では朝から夕方までロング缶とタバコ片手にジジイがおしゃべり会。その横で子供たちが遊具で遊んでる。なんで共存できてんの?
チャリンコは堂々と車道の真ん中走ってるし、夜はライトついてねえし
原チャはすり抜けしまくってるし(神奈川県内どこでもそうだけど)
キャッチの取り締まりやってるジジイとキャッチが仲良くタバコ吸いながら談笑してるの意味わからんし
根本的には、女性が財布をポケットに入れることが一般化するか、男性が財布をセカンドバッグに入れることが一般化すれば、女性差別としてのひったくりは無くなると思われる。
女性がひったくりにあう理由は、単に女性はバッグに財布を入れるのが一般的だからだ。
歩車分離 要するに歩道を設ける。
ひったくりの手口で多いのは、原チャ2ケツで後方から歩行者や自転車に接近し、バッグをひったくるというもの。
歩道を作れば、ひったくり犯は歩道を走行せざるをえなくなるので、犯行が困難になる。
防犯カメラなどを設置して、犯行や逃走経路などを見られるようにする。
バッグは壁側に持つ。
バッグはたすき掛けにする(転倒や引きずられるリスクがあるが)
女性差別と言えなくはないけど、荻上の言っていることは明らかにミスリード。元専門家として苦言を呈しておく。
荻上:直接的に女性をターゲットにしたと動機では語られない。でも統計とか構造に注目をすると明らかに女性の方がリスクが高いということが言える。
例えば、ひったくりは女性差別と言ったときに、多くの人がポカーンとするんじゃないかと思います。でも、統計的に見ると女性の方が狙われやすい。なぜ?とうことを考えると身体的な差もあるけど、女性の方が追いかけてこないとか、反抗しないだろうという一定のステロタイプがある。
もちろん、女性は抵抗されにくいというのはゼロじゃないんだろうけど、そんなことよりもっと単純で決定的な理由がある。
単純に、多くの男性はポケットに財布を入れているのに対して、多くの女性はバッグに財布を入れているから。バッグはひったくることができるが、ポケットの中のものはひったくれない。
そもそも、原チャ2ケツで、歩行者を狙うタイプの一番多い手口のひったくりは、たとえボブ・サップでも追いかけることも反抗することも、できない。
で今のところ神奈川のいいところが「鎌倉方面にフラッと行ける」「静岡山梨にドライブする時首都高通らないで済む」ぐらいしかないからいいとこ教えてくれ。
珍走が多い。予想より断然多い。千葉とか北関東馬鹿に出来ないレベルの30年ぐらい前から飛ばされたのかってぐらいの珍走が多い。
んで大体原チャがイキってるのが本当に悲しい。お金ないのかな悲しいなひもじいな。学がないとああなっちまうんだな。単独起こして下半身不随にでもなって欲しい。
相模原辺りに住んでる知人が「コロナの影響でコンビニで円陣組んでる馬鹿共がソーシャルディスタンス取って円陣してた」って話してて滅茶苦茶笑った。猿人でも配慮できる頭はあるんだな。
坂が多い。平地がなさすぎる。移動がしんどいめんどくさい。
俺が巨人のドシンなら真っ先に平らにしてやるくらい坂が多い。都市開発ミスってんだろこれ。リセットしろリセット。
国道134がバカみたいに混んでる。神奈川県民様は海を見たことないのか?ブーブで行っちゃ駄目だわ秒で大後悔したわ。
誰か片側二車線にしてくれよあそこ。狭いよ。
A.マジで通じる
空港・メジャー観光地・ホテルは勿論、三越とか行くと店内放送が普通に日本語で流れてくる
コンビニとかは流石に通じないけど你好と谢谢と適当な英語(this oneとか)言えればどうとでもなる
切符ではなくて金がチャージされたプラスチックのコイン(IC内蔵)が出てくる
中国からPM2.5が流れてきて一時間原チャ乗ると顔が真っ黒になるらしい(ガイドさん談)ので台湾人はめちゃくちゃ美容パックするとのこと
台湾どこにでもこのパック置いてある
機内持ち込みは2枚まで(ガイドさん談)
台湾人は機内でもよくパックするとのこと
絶え間なくお茶を注がれる
小籠包で有名な鼎泰豊で飲んだジャスミンティーが美味しくて帰りのお土産屋さんで「ジャスミンティーありますか?」って聞いたら「あれはお茶ではない」って言われました
そっか…
日本のお祭りの屋台+通路中央に更にお店があるので道がスゲー狭い
フルーツがめちゃくちゃ美味い
台湾はスーパーで肉買うと高いからみんな外食するらしいので現地の人もいる
小さい子がめちゃくちゃいるので治安の良さが伺えるね
フルーツが美味しい
休日に当たってしまうと乗り換えが増えたりして面倒なのでツアーで行くべし
階段が急で狭い
60%の確率で雨が降るらしいけど傘なんぞさしたら地獄なのでカッパ持っていきましょう
日本のキャラものが売ってあったけど著作権という単語が頭をよぎる
台湾入国するときに健康状態・電話番号・滞在先とか色々紙に書いて提出
日本の入国はサーモで一瞬見られるだけでええんかこれで…と思った
観光地・お店に入る前は必ず手指消毒をされる
こんな時期に旅行を決行してしまって申し訳ない気持ちがあったけどガイドさんが「こんな時に来てくれてありがとうね!」って言ってくれてちょっと和らいだ
台湾の人みんな親切でした
ご飯もおいしい
行ってよかった!
また行きたいです
だいぶ昔に俺がブラック企業勤めでしんどい記事を酔った勢いで拙い文でここに投げた気がする。
まあ結局辞めて未払い残業代を毟り取って他の法違反も全部チクって去ったからいいんだけど。転職先にいくまでの間に実家に戻ったら、いるわけですよ。年金受給世代が。
うちの祖母なんですけどね、俺が仕事辞めたことに関して超カンカンだったんですよ。まあ実家に辞める話一切しないで(実際にはしたけど最低でも3年って抜かすから全部無視しただけ)帰ってきたからわかるけどね。
辞めるまでの経緯、残業代は未払いだし業務の一環で書類の改ざんとか法違反の部分が多々あって嫌気が刺したと懇切丁寧に説明したんだけど、祖母が一言「でも給料よかったでしょ?」
「ん?いや平均以下だよ?年収(手取りじゃない)で250万も行ってなかったけど?」
祖母「え?そんなわけないでしょ中卒でもないのに」
いやいやいや…。
いくらか日が流れ
学生時代お世話になってたバイク屋に行った(無職なので金がないから学生時代の原チャの自賠責を取って使おうと思った)ら、そこの店主とも仕事の話をして、祖母と同じように経緯を話をしたら
「それでどんぐらい貰ってたの?25とか30とか?」
いやいやいや…半分も貰ってないですって
「でもボーナスは弾むでしょ~」
いや存在しなかったけど?
バイク屋のおっちゃんドン引きしてたよね。おっちゃんが大昔に勤めてた時より酷いって聞いて涙出ちゃったよ。
無職はつらいから転職先で働くまでの間に油を売る仕事してたんだけど、そこのおじいちゃんにも
「若けえのと話することってあんまねえから聞くけど前の仕事どんなんだったのよ」って聞かれたから答えましたよ。
「高給取りじゃねえの、原チャなんて乗ってねえでナナハンでもなんでも買えばいいじゃねえか」
いやいやいや…手取りこんなもんでしたよ。
「うっそーwwwここの時給と変わんねえでやwww」
変わんないんだよねマジで
若者の○○離れってめっちゃ言われてるけど、老人達ってマジでそう思ってて若者は稼いだ金を使わないか遊んで無駄遣いしてるって思ってるらしい。マジで。
本当に稼いでないんだが?
老人は経済は常に上向きで賃金は常に上昇してるって思っているらしいけどそんなことないんだが?
いま俺は少なくとも前職より全然稼げるというか同世代の平均くらいの至って普通の会社に勤めることができたから底辺を脱出できた(?)けど周りはまだまだゴミみたいな稼ぎの奴らいるし、この認識の差が埋まらない限りいつまで経っても不幸なままというか、現実がどこかに行ったまま政治が進んでいきそうだよねって感じ。