はてなキーワード: 以心伝心とは
健常者のほうがLLM的だよね、みたいな議論ツイートを見かけたんだ。
エンジニアや研究者に賢いASDが多いから気づいていないだけだよね、みたいな。
そうなの?逆じゃない?というのがきっかけ。
かねてからのASDのような立場からいうと、健常者は魔法使いやエスパーのように見えるんだよね。
自分からはさっぱり分からない言外の情報をなぜか読み取って以心伝心通じ合いながら会話しているかのように見えるんだ。
だから疎外感を感じるよ。自分だけが読み取れない未知のチャンネルで情報をやり取りして文脈を共有しながら、それ前提で会話しているように見えるから。そこに参加することも難しい。
しかし自分にはそのスキルがないので、自分が使うことのできる限られた情報チャンネルである「言葉」のみで「この場合はこれを言えば社会的にマトモらしい(何故だか知らないけど)」を学習し、データベース的に社会適合しようとするんだよね。ASDにとってのSSTとか健常者エミュレーターとかいうのがこういう状況なんだ。この振る舞いはまさしくLLMだよね。
言い換えれば、健常者エミュレーター事例集Wikiは発達障害者というLLMにとっての学習すべきデータセットなんだ。
このような認識ってのは自分だけでなく他の人も同じことを言ってるんで、たぶん業界あるあるなんだと思う。共通認識みたい。
雑談は音ゲーだ!制限時間以内にタイミングよく連想して正しいボタンを押せ!というゲームなんだけど
健常者は9割GREATが取れるけど、発達障害者はタイミングがズレていたり押すボタンが違ったりしてFAILを連発して責め立てられる。ブーイングの嵐さ。
しかも社会がそのゲームから逃げるな!と強制してくるのでその状態から逃げることもできず詰んでいる。
ASDのような立場から目線で見ると、健常者の使う魔法やエスパーといったスキルは神秘的に見えるんだけれど、しかしあくまでコンテキストを補強しているだけであって健常者もまた同じLLMなのかい?
健常者って発達障害者に比べてただコンテキストが多いだけの同じLLMなの?
音ゲーの喩えからすると同じゲームで遊んでいるのだからプレイヤーは同じ動作をしているはずではあるね。
逆に言うと健常者から見た発達障害者はCLAUDE.mdを与えられていないエージェントみたいなものってこと?
表情や顔色や声色や身振り手振りといった、ノンバーバル・コミュニケーション・MCPサーバーに接続してないエージェントみたいな感じ?
例えば、ネガティブな評価をされがちな発達障害の学生たちのポテンシャルを毎日新聞は10年前から高く買っていたよ。
当時の「余禄」本文はネット版から削除されちゃったけど、それの残骸を引用しているまとめサイトからうかがい知れる。
不思議に思われるにちがいない。超難関大学に合格し在学中の成績も優秀なのに就職試験に落ち続ける。
就活に苦戦している若者は珍しくないが、発達障害のある学生にとって就活はとりわけ厳しい
▲「今日はいい天気だね」。あまり意味のない会話が苦手だ。「あなたの長所は?」。それに答えるとどのようなメリットがあるのかを聞きたくなる。以心伝心、言外の意味、周囲の空気を読む、ということがとても苦手な障害なのである
▲けっして少数ではない。文部科学省の調査では学校で何らかの発達障害が疑われる児童は全体の6・3%に上った。毎年大学を卒業する人のうち発達障害のある人は数千人規模でいるとの指摘もある。親の育て方や環境のせいではない。
先天的な要因で起きるが、外見ではわかりにくいせいもあって誤解される
▲知的な遅れのある人は多いが、びっくりするほど知的能力の高い人もいる。
最近、歯科医師や公認会計士の資格を持つ人が「障害者枠」で企業に採用されたと聞いた。
「筆記試験は点数が取れても面接で落ち続けたらしいのです」。人事担当者は大いに驚いていた
▲高性能の工業製品を大量生産して成長する分野に貢献できる人材が求められると、彼らは苦しい。しかし、均質で間違いの少ない人材よりも、独創性や深い洞察力・執着心が評価される時代になるとどうだろう
伝わっていない場合もある。
そんなことわざわざ言わなくても、わかりあえているだろう、
と感じている人は少し注意が必要かも。
コミュニケーションにはお互いの気持を伝え合うという重要な役割がある。
これをこまめにしていないと「気持ちが積もってしまう」場合がある。
少しだけ気持ちを伝えるためだけのコミュニケーションを増やしてみればいいと思う。
気持ちを伝えるというのは怒ったり悲しんでいることを「態度で示すのではなく」て、
ごく淡々と事実として、それはあまり好きではないかも、と言語化して相手に伝えることだ。
でも、あまりに比喩的・抽象的にあるいは皮肉として相手に伝えて、
それが相手に伝わらなかった場合に怒り出すのは愚かな行為であるのは忘れないで。
気持ちは言葉にしないと伝わらない、伝わる場合もあるけれど過度にそれに期待しない、
言葉にするのが苦手なら態度ではなくて行動で示すことを心がけています。
察するのを期待するのではなくて、伝える。
欧米人なんかは割とこれが得意ですね。
昔の父はかなり無口なほうだった。
両親が二人っきりのときでも静かだから、喋りたがりの母からそのことで時々軽い愚痴を聞かされた。
母からお出かけに誘われても、ちょっとめんどくさいから留守番じゃだめか?って断ることが多かった。
でもけっして仲が悪いわけじゃない。
むしろ以心伝心、なんでもだいたい伝わっててお互いに思いやりがあって、喧嘩は一回も見たことなかった。
今の父はよく喋る。
さすがに今は控えてるけど、スーパーでも郵便局でも活発な母にくっついてとにかく頻繁にあちこち出かけるようになったようだ。
母に電話をかけるとだいたい父が横にいて、たまに会話に入ってくる。
それと二人で季節ごとに小旅行するようになったらしい。
母はlineに旅先の風景とか食事の写真がよく載せるようになった。
父は半年に一回くらいめちゃくちゃテンション上がったっぽい時にだけ、家族のグループチャットにビジネスメールばりのかたい文面で報告を上げる。
でもさ、年1回か2回、それも数時間とか1日とかしか会わなくて普段は写真とかメッセージばっかりだと、これらの変わりっぷりを実際に目の当たりにするのってほぼないんだよね。
子供はみんな巣立ったし定年で家にいる時間も増えたんだから、そりゃあ大きく変化するはずだと理解はしている。