はてなキーワード: 睾丸とは
足を大きく広げて座るなどの態度は、「自分を強く、大きく見せたい」という心理的な虚勢からくる威嚇行動です。
これは、動物が体を大きく見せて相手を威嚇するのと同様の、原始的な行動として捉えられています。
このように虚勢を張る背景には、実際には以下のような身体的な弱さや筋肉の衰えが隠れている可能性があります。
特にPC筋の弱体化は、威嚇という「強がり」とは裏腹に、生理的なコントロールの喪失を意味します。この筋肉が弱ると以下のような事態を招くとされています。
つまり、足を広げて威嚇するような態度は、「舐められないように必死に強く見せようとしている」一方で、
その実態は「筋肉が弱り、排泄や性機能を制御できなくなっている」という、極めて哀れな状態の表れであると解釈されています。
そのため、周囲からは強そうに見えるどころか、「無様で滑稽」「キモい」といった否定的な視線で見られる要因にもなっています。
18~19歳のうちに20~24歳女性を狙う、20~24歳のうちに25~29歳女性を狙うなどすれば、
少子化が進んでおり「上の年齢階級ほど人口が多い」という傾向を持つ現在、多くの女性から選ぶことができるのに、
その逆をやり(10代~30代をゲームとネットだけやって時間をドブに捨て、40代50代弱者男性になって焦って20代前半有職女性を急に狙いだす)、
10代~30代を怠けて時間をドブに捨てた40代50代余り物中年が、
なぜ20代前半女性(しかも可愛い・経済的自立している)に対して「イケる」と思えてしまうのか。
20~24歳女性は大人気なのに311万人(45~49歳男性の6割の人数)しかいない。
なぜこんなに減ったかというと、20~24歳は45~49歳の子供世代だからだ。
45~49歳のうち結婚して子供を作った人の割合が低かったから20~24歳はこれだけ減った。
余り物の45~49歳男性が、まともな20~24歳女性に選ばれるわけがない。父親の年齢だ。
しかも、35歳を過ぎた睾丸で生産された精子はメチル化が起きやすく、子供の発達障害(ASD)率を上げる。
理解婚(生活費)を求めているメンヘラ貧困層などではない、まともな個体なら、±3歳以内の同年代婚をする。
夫大幅年上の結婚の割合が激減し、同年代婚の割合が激増しているのは、統計に出ている。
※1943年の結婚は平均4.5歳男性年上→2010年の結婚は平均1.7歳男性年上と、年齢差が縮小。
※婚姻数全体に占める「同い年結婚」の割合は1970年10%→2015年21%と倍増。
※婚姻数全体に占める「±3歳婚」の割合は1970年50%→2015年80%。男性年上婚は半減した。
若い女性が同世代と結婚したがっている以上、余り物中年男性は、もう手遅れなのだ。
どうして余り物の低スぺ中年男性が、レオナルド・ディカプリオのように中年になっても20代前半女性ばかり狙って、
彼女を取り換え続けることが、「自分にもできる」と考えるのだろう。ディカプリオのあれこそ「強者の戦略」なのに。
よくもまあ、世界のイケメンとして一世を風靡した一流のハリウッド俳優の「行い」を、低スぺ中年のまま真似できると考えられるものだ。
スペックに自信のない人間こそ、若いうちに「比較的競争率が低い場所」を血眼になって探して、
速やかに動いて、結婚のような固定的な関係に繋げる戦略をとらなければならないのに。
責任のない不安定な関係で得をするのは強者だけ。弱者は責任のない不安定な関係に切り捨てられる側だというのに。
低スぺが一夫多妻に夢を見ることにも呆れるほかない。一夫多妻こそディカプリオが妻を5万人作る制度だ。
上記のような理由で路上を歩いているときや調理中など不適切・不快なタイミングで触ってくる彼氏は存在するのだけど、
「あなただって急に股間を鷲掴みにされたら嫌だよね?」という共感アプローチをとってやめてもらおうとしても無駄です。
謎のタイミングで股間を鷲掴みにされてもいいと思っているから、謎のタイミングで胸やお尻を触るんです。
「ブスやババアにされたら嫌だけど、彼女にされるのは嬉しいよ?」という返しをされて、話は終わってしまいます。
共感アプローチをとらずに「私は、嫌だ。だからやめてほしい」と言い続けても無駄です。
「心が狭い」「彼氏なんだからいいだろ」「嫌だと思うほうがおかしい。女として間違った感性だから治すべき」と無視されます。何度言っても無駄です。
なので、男性とは付き合わないほうが良いんです。男性は他人をNPCと思っていて自分の欲を一方的に飲み込ませるように作られた性別だから対話不能だし、
その男性が若くても年寄りでも、付き合いたてでも熟年夫婦でも、どの条件でも一貫して対話不能だからです。彼らは「いつまでも少年の心でいたい」と言い張り、一生、何も変わりません。
男性が男性同士ケアしあえずに独身男性が早死にしているのもこれが理由です。
相手の意向を無視して自分の欲を一方的に飲み込ませるように作られた性別同士だから、コミュニケーションが「我の押し込みあい」になるんです。
睾丸と陰茎がついていて射精・生殖が可能な状態でありながらレズビアンを自認して、脱衣所・女湯などの女性スペースに入る権利を要求する親トランス法案を積極的に出していたのが中道・れいわ・社民・共産の議員。
左派のこういうところを憎んで、経済左派でありながらも自民に投票している女性たちとかいるからね。はてサには見えてないし、見えたとしたら「トランスヘイト!」で片づけるんだろうけど。
親トランス議員、全員落選しています。手術不要、自称女性ならそれは女性って、さすがにやりたい放題だったよね。射精するレズビアンって何?
はてサは一生、「トランスヘイト!」って言っているといいよ。そしてまた負けて、一切の権力・影響力を失い、滅びてください。
追記:MtFでした。そんでトランスヘイターのことをTERFというのね知らんけど。ずっとこのテーマを追っているわけではないので独特の用語に詳しくはありません。次々と英語ベースの略語できるし。とにかく睾丸と陰茎がついていて射精・生殖が可能な状態でありながらレズビアンを自認して女湯に入るのは頭がおかしい変態・犯罪者だとは引き続き主張していきますね。そもそも女性の体のままゲイを自認して男湯に入ろうとする人間がいない非対称の時点で、自称レズビアンの男体が性犯罪者であるのは明らかです。
32歳。不妊治療の末、此度、夫の精液のなかに精子がいないことが発覚した。
夫氏がショックを受けているのは明らかだったので、それ以上私は何も言えなかった。
子どもをほしいと思ったのは、ここ数年のこと。
朝起きる度に、昨日より肌のくすみがひどくなったり、目の周りのシワが濃くなったりと、老化を実感するなかで、 これからの生きる希望が欲しくなり、妊活をすることにした。 もともと生理周期は安定していたし、ルナルナで生理日は管理していたから、タイミングをはかるのは容易だった。
6ヶ月を過ぎた頃、夫婦で話し合い、不妊治療にかかることを決めた。
夫は38歳。年齢的には精巣の機能が衰え始める人もいるらしい。一刻も早く、医療を介入すべきと判断だった。
そうしていくつかの検査を経た結果、夫の精液のなかに精子がいないことが判明した。 色々割愛するが、話した結果残される方法としては、睾丸か
顔を合わせたことのある人間と話すのには勇気の要る内容なので、匿名ダイアリ―を利用させてもらう。
自身でもこれは危険な思想だと思っている。外部的なブレーキがほしい。助けてくれ。
前置き
筆者は26歳男、彼女がいたことはない。人を好きになったことならある。いずれもアタックに失敗している。
最近にも、職場の上司にメロってしまった。少人数でご飯というか遊びにというか行ったことならあったが、結局二人で飯に行くことは叶わず、他の遊びに誘うも断られ、好きバレしており、しかもバレた時にこちらがはぐらかしてしまった上にその後訂正することも叶わず。(やったことはないがギャルゲでいうところの「すべての選択肢を間違えた」と思っている。)
そんな感じで失敗しているため諦めるべきなんだろうなという考えはありつつ、習慣化してしまったその人を考える行為が忘れられずにいる。
......まあ非モテの勝手なストーカー紛いの好意なんてどうでもいいんだ。
結局性欲に支配されて他人にヨコシマな視線を向けて、挙げ句好きだった相手を不快にさせてしまうぐらいなら、性欲的な感情を可能な限り抑えたほうがいいんじゃないか。
ここまで、恋愛的に人と深く関わる事ができなかった人間が、今から誰かと関わろうとしても、中学生のおままごとみたいな程度の関わり方しか出来ないであろう事は用意に想像がつく。
今の年齢から、例えば現実的に将来性を見込めるであろう年齢(±5歳)の人間に対してあまりにも拙く失礼に値しそうで、将来性ごと捨て去りたい。
そこでちょっと思ったんだ。
・家系図が潰えること。
についてはもちろん考えは至っているし、だからこそかなり覚悟の要る内容だと思う。
ただただ性欲の発生源を、将来性の希望の源を、すべて潰したら諦めがつくんじゃないかって思っていて。
中二病の予後が悪く極論大好きマンになってしまった僕は、たとえ誰かと番えたとしても振り回して迷惑をかけるんだろうなと考えると、自分自身を極論に置いて静かに消えていったほうがいいんだろう。
独り身であれば50歳ぐらいが使用期限であろうか。死に方はふんわり考えている。
駄文失礼した。結構気分がダメなモードに入っており、考えを何処かに吐き出したくて、誰かにこういう話をしたくて、文字に起こした。
コメントをくれ。助けてくれ。
今、3歳児を育てていて、絵本やテレビでくまさんとかうさぎさんとかあーぷんとかミモモが「ハンバーグ」を食べてるんだよね。
お前らそれ、なんのミンチだよ。
豚も時々お友達みたいな顔してるよな?
牛も時々お友達みたいな顔してるよな??
保育園ではお芋掘りとかはおしえてくれる。いい保育園だ。にんじんもわざわざ育ててちまっとしたにんじんが育って、それを調理(は栄養士さんがされる)して食べるまでやってくれる。ありがたい。
しかし肉については誰も教えない。
「おにく」と「うしさん」は似て非なる。
屠殺場に行け。
子供の頃、同級生のちえちゃんの家の生業が養豚業で、親からは言われなかったが周りの同級生やらよく知らない大人は、あそこのお家にはあんまり近づいてはいけないよといったことを異口同音に言っていた。
嫌われていたとか差別されていたとかでは全くなく、近づいていいことはないといったふうだった。
なんとなく腑に落ちないままだったけど、大学のころ、授業の一環で豚の去勢をする機会があった。
同じクラスの女子達が絶対に無理というのでかってでたけど、あの時の豚の悲鳴はまだ耳の奥にこびりついている。
睾丸を切り取られる悲鳴。言葉が見つからないが、こちらの睾丸がぎゅーーーっとなるような、なんだろう。
あまり言わすな。
屠殺場ではあの悲鳴の、もっとすごいやつがこだましているんだ。
それも知らずハンバーグと簡単に言っていいんか?宗教感とか思想とかではなく、純粋に何を食ってるかは教えようよ。
自分も知らない。
それではだめだろう。軟弱にもほどがある。
植物を育てて食べる教育はすごく人間らしくて文明らしくて素晴らしいのでぜひやるべきたが、肉を喰らうのは文明ではないとでもいうのか?
まずは大人から始めよう。成人してる人間は1回全員食肉を見に行こう。
そのうえでおいしく食べよう。
「社会的弱者の男性がエッセイ漫画を描くとき、作者のアバター(主人公キャラ)を萌え美少女にする」――この現象は、単なる趣味や作画コストの問題だけでは説明しきれない。むしろ、作者がどのように社会的役割と結びついているか、そして読者の視線から自分をどう守り、どう語りたいか、という"語りの設計"に関わる問題として捉えると見通しがよくなる。
コミックエッセイ(実録・体験談ベースの漫画)では、作者はしばしば自分自身を作品内に登場させる。ここで作られる「作者アバター」は、単に似顔絵ではなく、読者に対して「誰が、どの立場から、どんな調子で語るのか」を瞬時に理解させる看板でもある。したがってアバターの性別・年齢感・デザインは、内容そのものと同じくらい強いメッセージを持ちうる。
一般向けに書籍化され流通しているコミックエッセイには、男性作者が男性アバターで描く例が多い。ここでは、ビジネスマン生活、夫婦生活、子育て、ペット、日常の小ネタなど、「男性として社会に参加している姿(役割を果たしている姿)」が語りの前提になりやすい。
具体的には、『ぼく、オタリーマン。』(よしたに)、『大家さんと僕』(矢部太郎)、『うちの妻ってどうでしょう?』(福満しげゆき)、『本当にあったお金の怖い話』(二ノ宮との)、『鴻池剛と猫のぽんた ニャアアアン! 』(鴻池剛)などが男性作者による男性アバター作品として確認できる。男性による育児エッセイ漫画についても、アバターキャラは男性である。
このタイプの作品では、性別変更をわざわざ行う必然性が小さい。むしろ「作者=そのままの自分」であることが、エッセイとしての信用・通りのよさ・説明コストの低さにつながる。福満しげゆきや桜壱バーゲンなど、実物が整っていても作中では自分を地味・冴えない・醜い側に寄せて描くことがあるが、これは「盛って見せる」よりも「弱く見せる」ほうが笑いと共感を取りやすく、後述するような反発も招きにくいというコメディの安全策として理解できる。
女性作者の場合、女性アバターは「画数が少なくて早い」「表情が描きやすい」など合理性からシンプル化されやすい(『ダーリンは外国人』など)。また自虐やコメディのために、あえて"女を捨てた"造形(『いかゴリラ』のような崩した自画像、『つづ井さん』のように自分を下げ気味に描き友人を美人に描くパターン)を選ぶこともある。ここまでは「女性が女性を描く」範囲の振れ幅と言える。
興味深いのは、女性作者が女性性を出したくないときに、「イケメン男子高校生に置き換える」方向へ行かず、白ハゲ的記号化や、人外・動物の方向へ行きやすい点である。
荒川弘の牛。出身が北海道の酪農家であることと結びつけて説明されることが多い。吾峠呼世晴のワニ、通称「ワニ先生」としても知られている。ひうらさとるは『御かぞくさま御いっこう』では自身をデフォルメされた「もぐら」として描いている。
男性と違い、女性がアバターキャラを若く美形の異性に設定する例を見たことがない。この「女性は性別を薄める/人外化するが、イケメン化はしにくい」という傾向は、「弱者男性が美少女化する」現象と、鏡像の関係にあるように見える。
一方で、男性作者が美少女アバターを用いる例も確かにある。観察上、ここには偏りがある。たとえば以下のようなテーマが集まりやすい。
また、この種の作品は書店で「棚の中の本」として出会うより、SNSでバズって「突然視界に入ってくる」経路になりやすい。すると作者は、最初の数秒で読者に「これは攻撃していい対象ではなく、読んでいい語りだ」と理解させる必要がある。美少女アバターは、その導入装置として非常に強い。
ここで重要なのは、「美少女が主役だから内容が軽い」という意味ではない。むしろ逆で、重い・気まずい・生々しい内容を"読める形"に整形するために、美少女というフィルターが使われている可能性がある。
ここまでの観察を、ひとつの仮説にまとめる。
ここでの美少女化は、自己否定でも現実逃避でもなく、「語り手の身体」を作り直して語りを成立させる編集技法、と位置づけられる。
美少女アバターが睾丸の病気や前立腺の病気、風俗ルポなど男性器関係のテーマを扱う頻度が高い理由についても、仮説を立てることができる。
男性器や男性特有疾患の話題は、当事者男性がそのまま男性の姿で語ると、「気持ち悪い」「下ネタ」などの嫌悪的な受け取り方を誘発しやすい。そこで美少女アバターは、内容を"説明可能な苦痛"へ変換する緩衝材になる。つまり読者にとっては、「男性の生々しさ」ではなく「キャラクターの災難」として入口が開き、作者にとっては「言っていい形」に梱包できる。
さらに踏み込めば、ここには一種の願望も混ざる。「男性特有の苦しみ」を、社会的に庇護されやすい存在(美少女)に引き受けさせることで、苦痛の正当性や悲惨さを"理解されやすい形"にしたい、という欲望である。これは、男性妊娠をテーマとしたフィクションや、男性に電気ショックを与えて生理の苦痛を分からせる装置など、女性特有の苦しみを男体に分からせる試みを好む人がミサンドリー女性に多いのと同じで、男性特有の苦しみ(男性器の疾患や、過剰な性欲と性的需要の無さなど)を美少女に分からせたいというミソジニー的な願望が、男性器関係の苦痛を味わう美少女アバターとして表現されているのではないか。
アバター戦略には"かわいくする/人外化する"だけでなく、"美形化しない"という消極的選択も含まれる。同性の美形アバターは、実像が露呈した瞬間に「理想と現実の落差」が嘲笑へ転化しやすい。
星見蒼人という人物が、ネット上で"イケメン"方向の自己像で活動していたが、都青少年健全育成条例違反(淫行)の疑いで逮捕され顔がテレビニュースで公開されたときに、実物とイケメンアバターとのギャップが酷かったため嘲笑の的となった。
女性側でも、自己像を美化した(と受け取られた)自己語りが「全身アルマーニ(全ア)」と揶揄されているように、「同性美形アバターキャラ」は男女問わず露呈時の吊し上げと接続しやすい。
アバターキャラを同性の美形にすると、実物の実態がバレたときには男女問わず激しい嘲笑やつるし上げを受けるという要素も、アバター選択の重要な制約条件として機能している。
ただし、この仮説は万能ではない。美少女アバターには「美少女しか描いてこなかったのでこれしか描けない」「読まれるためのマーケティング」といった要因も混ざるし、個々の作者の意図は作品ごとに違うはずだ。
それでも、「どの領域で、どんな語りのときに性別変更が起きやすいか」を並べてみると、アバターは自己表現ではなく"読者との交渉"の結果として選ばれている面が見えてくる。美少女化は、その交渉を一気に成立させる強力な道具であり、同時に「男性のまま語ることが難しい」状況の反映でもある。