はてなキーワード: 太閤とは
刀を狩ったなぁ(太閤)
ここ数日例の文科省官僚のツイートに端を発した議論が続いている。今良く目につくのが池内恵のツイートで、「官僚に理解してもらっていない研究者が悪い」的な意見を批判して回っている。これについては反論も絶えないが、池内は完全に正しい。
池内が論破?したツイートの一つに「うちは官僚に物理の楽しさを知ってもらっている」から予算が十分にある、なんてのがあるが馬鹿じゃねーのかとしか思えない。官僚が面白かったから予算出るのかよ。アホかと。研究者が研究の実用化だとか一般社会への説明責任を果たすのは当然だろうけど、役人の私情に訴えかけるのは違うだろう。
研究者の感覚は時代遅れだと言いたがるやついるけど、そもそもな、有力者の機嫌をとって不透明な過程で予算をつける昭和の自民党的やり方は(現実どこまで無くせてるかはさておき)良くないってのがここ20年くらいの全国民的合意じゃないの?
そういう自制をもたず、有力者に「自分の研究の価値を理解してもらう」ことのうまい研究者として例えばアンジェスで有名な森下竜一教授がいる。彼は一見風采が上がらず、株クラなどから馬鹿にされまくっているが実のところ武蔵高→阪大医→スタンフォード大という難関をクリアしている知的エリートである。彼の如き頭脳であれば高々東大法以下の官僚・政治家に「ご説明」することは造作もないのだろう。その結果アンジェスは75億の補助金をゲットしたが、株クラ医クラが当初から千度言ってたようにワクチン開発は頓挫し、終了した。そういうわけで彼は一部から白眼視されているが、今も大阪万博プロデューサーとして活躍している。まあ彼は法に触れることは(おそらく)何一つやっていないのだから当然であろう。
ここから先はかなり失礼な話になるが、何が彼をそうさせたかというと、一つには容貌があると思う。彼が関西弁でいうところのシュッとした、山中伸弥のような外見ならば、正論を堂々と世に問うことで支持を求めたのではないかと想像する。例えるなら外見と体格に恵まれなかった木下藤吉郎が、人たらしとして世に出る道を選んだ如く、である。(そう考えると森下はある種今太閤みたいなものかもしれない)
一方で堂々と自らマラソンに出てまで世論に訴えかけた山中教授がどうなったかというと、不倫で週刊誌を賑わした官僚の不興をかって、恫喝のあげく資金を打ち切られた、というニュースところは諸兄の記憶に新しいところであろう。さて、森下と山中どちらが学術を進歩させただろうか?どちらが日本のためになることをしただろうか?そう考えるとやはり池内恵は正しいのである。
農民B「農民出身なのに関白にまで出世して、今や太閤だもんなぁ」
農民A「オラたち農民も見習って、頑張って武士になって出世するっぺ」
豊臣秀吉「あぁそうだ、おめぇーらぁー」
豊臣秀吉「身分統制令を出したから農民が武士になるの禁止な。違反したら成敗だからな」
農民D「日本最南端の田舎藩の下級武士だったのに倒幕して、今や筆頭参議だもんなぁ」
農民C「オラたち田舎者も見習って、いざとなったら外国勢力と手を組んで、腐敗した権力を打破するくらいの気概を見せるっぺ」
西郷隆盛「あぁほうじゃ、おぬしらぁー」
温泉むすめどころか、そもそもの発端に遡るならだいぶ遡らなきゃいけないのが難しいよなあ。
・吾妻鏡が成立
(室町幕府滅亡)
・文民の中で貧しい農民の出からのし上がってきた田中角栄が今太閤と呼ばれる
・田中角栄がロッキード事件で逮捕されるも田中真紀子が越後国の権勢を継承(ここが豊臣秀頼にはできなかった部分)
・田中角栄死去
・米山隆一(尊敬する政治家は田中角栄)、越後における衆議院議員選挙で田中真紀子に連敗する
・新潟県知事選挙における泉田氏の不出馬により米山新潟県知事の成立(2016年)
ドラマが50回あるとして、最初の10回ぐらいまでで上の1185~2016年の日本史上の出来事を、越後国メインでどうにかまとめる。
次に、フェミニズムの今日の流れを社会福祉とも絡めながら、11~20回を平塚らいてう~市川房江、矯風会、RBG、マルクス主義フェミニズムと上野千鶴子思想、ポストモダン、人工知能学会表紙、秋葉原奪還計画、トランプ政権、woke運動と今日のラディカル・フェミニズムの確立までに費やして、2016年頃までの出来事としてまとめる。
ここに安倍氏の全盛期と衰退、米山-室井夫妻の確立、インターネット上における社会学-フェミニズム運動の全盛期(フェミニズム社会学における上野学派の系譜、農林、海女、みかん、第一次VTuber-フェミニズム論争、宇崎、シュナムル氏、マルクス作品、シュナムル-マルクス論争)などを入れる。
特に室井氏の周りの論戦と、温泉むすめと草津温泉、松戸論争(第二次VTuber-フェミニズム論争)でこれまでの流れの伏線回収を終わらせる。暇空氏とシュナムル氏の確執もこの期間のサブテーマで取り上げられる。
脚本家の腕の見せ所。この10回分の期間に安倍氏暗殺を含め、約一年間の出来事(anond:20221230152020)を取捨選択して描き切る。第1章での米山隆一、第2章での上野千鶴子といった以前の中心人物の歴史的な流れが全てここに集まり、視聴者に了解される。
どこの番組か忘れたが、
「選挙の勝敗はどれだけ多くの有権者と握手したかで決まるといわれます」
と当たり前のように言っていて、卒倒しそうになった。
というのが率直な意見であった。
(注:私は現代政治は詳しくないけど政治史は興味あるおじさんです)
彼の秘書だった早坂氏の記録が興味深い。
選挙前に農村に選挙カーが入るときには、はだしで田んぼに入って、
農作業をしている奥さんやおばあさんに、泥だらけになりながら駆け寄って
このような平民目線に近い行動は、票集めに絶大な効果があった。
一方対照的なできごとがあった。
今回の安倍氏暗殺事件で、「女子高生2人の状況説明がうますぎる」
と、ツイッターで少しバズったのである。(現在は動画は削除されたか)
という興味深い記事があった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220707/k10013706251000.html
データ処理に基づく冷静な判断を求めている証左ではないだろうか?
ショーとしては成り立っているものの、
そこでなんらかの「結論」が導かれることはない。
また、テレワークが普及し2年が経ち、
「事前に資料を共有したり、時間を決めて会議するようになった」
「顔を交えて議論しないと進まない」と感じる人も多いようだ。
「胸襟を開いて」「心を通わせて」といった表現を好むのも、
ここにあるのは、老人は決定プロセスに感情を必須としていることである。
もちろん、個々人の行動は感情をもとにしているのが当然で、
服を買うときのような、ジュースを選ぶときのようなものとは違う。
そこに、これまでの日本人の投票行動の未熟があったのではないだろうか。
有名人の認知度、という「親しみ」という感情をもとに判断しやすく、
それを実現するために提言した結果立候補する、というなら歓迎である。
しかし、
権力基盤があって、それの広告塔としてタレントが採用されるのであれば、
理想・構想のない人間が国会の椅子に座る意味とは?という純粋な疑問である。
ブラウン管を通じて、感情を動かされた人に、親しみを感じたのである。
しかし多くの日本人は、それを判断できなかった、ということもあるのではないか。
このような蒙昧で前時代的なシステムに立脚している選挙に、価値はあるのだろうか。
もはや、すべてオンライン投票でいいのではないか?とすら思う。
票を入れる前に、候補者の思想・政策を何千文字くらいで詳細に読めるようにする。
経歴だとかは細かくはいらない。
「どんな業種で、長年従事してきた、〇〇のプロである」が分かればいい。
そこで判断すればいいと思う。
これはデジタル学習に長けた若者にとっても歓迎されるのではないか。
断っておきたいが、私は田中角栄氏が嫌いではない。
「おーっ!奥さん!よろしく!」と握手をしに行ったエピソードが好きである。
「その時代において」「もっとも適切に・合理的に票を獲得する」方法を、
つまりその時代にあった方法を、常に探り続ける、というのが重要なのだ。
違うところを挙げるほうが難しいのではないだろうか。
そういうことである。
ダルマに目を入れたり、赤いバラを当確者の名前に張り付けることが悪いわけではない。
「今、この方法が最適なの?」「街頭で無防備に叫んで、握手することが必要なの?」
と問うことが重要なのではないだろうか。
外国によっては、その「問うこと」自体が禁止されている国もある。
民主主義を最大化する、そのためには、
歴史を見ても、老人が意思決定すると、独裁・強圧的な国家が生まれる。
戦国時代を終わらせるきっかけとなった桶狭間の戦いのとき、信長は20代であった。
天安門に集まり、戦車の前に立ちはだかったのも、若者であった。
もはや取引先からの選択対象から外れ、成長が困難な時代になっている。
という企業は潰れていく。
逆に、若い社員にまかせて企画したり、SNSを通じて発信するような企業は、伸びている。
デジタル世代が急速に育っていて、ポテンシャルの高い人材が生まれている。
彼らを押しつぶすことのないよう、彼らの才能を最大限活かして、
鹿児島市にある県歴史・美術センター「黎明館」に預けられた島津家一族の資料の中から、豊臣秀吉が妻の北政所に宛てて書いた自筆の書状が見つかりました。
書状は、朝鮮半島に兵を出した文禄・慶長の役の際に、秀吉が城を築いた現在の佐賀県の名護屋から北政所に宛てて書かれたものです。
天正20年(1592年)6月3日に書かれたと推定されています。
手紙には、「当年中には唐国、明を取り唐国に遷ったら迎えを遣わせる」と書かれ、文末には「まんどころ殿太閤」と記されています。
東京大学史料編纂所の協力を得て、筆跡などの研究を進め、秀吉の自筆の書状だと確認したということです。
この書状は5月31日から「黎明館」で開かれる企画展で展示されます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220530/k10013649561000.html