はてなキーワード: サムいとは
ホロGTAっていう、箱の大半が参加してる企画がめちゃくちゃ面白いんだけど
台本がないのになんでここまで濃い展開になるのかが未だに不思議
ホロメンの1/3くらいの中心メンバーは常に「どうなったら面白いか」を考えてるようで
それはおままごととか女子校の悪ノリの延長線上ではあるんだけど
そもそもずっとロールプレイを何年もやってきてるからか上手いんだよね
中心的なエンタメに命かけてる勢が、それ以外のアイドル勢や真面目勢の行動パターンを崩していくことで余計に面白くなってる
思えばホロはこうやってエンタメ勢が悪ノリ企画を立てて、皆のロールプレイを剥いでいくことで可能性を広げてきた気がする、アイドルと芸人の間を反復横とびして上手くやってる
奇跡的だと思うのは、サムいやつ、空気読めないやつがあんま居ない(か、居たとしても周りがフォローしている)こと、あと運営がつまらない指示をしてないことだと思う
フワちゃんが言ったくらいの悪口は、幼い頃からずっとテレビで見せられてきたモノで、それがイヤでテレビを見なくなったくらいだから、今更大人らがあのくらいのことで大騒ぎしてんのはサムいし偽善的すぎて気色が悪い通り越して不可解だ。
普段テレビを見ないから、フワちゃんややす子のパーソナリティや関係性について何にも知らない中で、
はてぶで上がってきてる記事だけ見た感じ、
今回フワちゃんがお笑い芸人や関取なら誰でも言ってて誰もが笑って流してるようなただの悪口でこんなに炎上して色々降板させられてるのって、
「普段フワちゃんの無礼芸をイヤイヤ受け入れさせられてる"エライおじさんたち"が、ようやくフワちゃんのしっぽを掴めたから全力で引き摺り下ろしてる」
という状況で合ってるのかな?
フワちゃんが"エライおじさんたち"に失礼なことを言う場合、"エライおじさんたち"は笑って流さないと「無粋」「古臭い」「大人気ない」とバッシングされるでしょ?
でも、
フワちゃんがやす子に失礼なことを言う場合、オーディエンスは「かわいそう」「裏垢誤爆に違いない」と言って、いつもなら守られてるはずの、フワちゃん側を叩き始めるわけだ。
これだけ見ると、"エライおじさんたち"差別な感じもするけど、
ダウンタウン浜田が突っ込みで同じようなことを言うのは、"エライおじさんたち"は笑って喜ぶじゃん。
なんたら言う関取が「アホ●ね」ってツイッターでリプするのは、"エライおじさんたち"は笑って受け入れるじゃん。
浜田に「●ね」って言われて「傷ついた・・・」なんてい言う芸人がいたら、そっちが叩かれるのは目に見えてる。
だから、"エライおじさんたち"は、若い女差別主義をもっていて、でもそれが良くないことだとわかっているから普段は表に出さないようにしてるけど、今回はフワちゃんが足をすべらしたから、「いまがチャンスだ」と、ラジオ出演やテレビ出演やCMキャラクターを降板させてるのかな。
とか考えたけどこの界隈についてな〜〜〜〜〜〜〜んにも知らんから全部妄想と憶測です。
でも、関取やお笑い芸人が言う「しね」と、フワちゃんが言う「しね」って、健常者からしたら明確に善と悪に区別できることなんかな?
僕は違いがわからないし、ここまでは冗談だからセーフで、これ以上は悪意だからアウトだとか、発言者でも裁判官でもないのに、かってにジャッジできない。
それに仮にそんな線引きが本当に存在したとしても、しねはしねじゃん。冗談でも本気でも。僕個人はどっちもイヤだし受け入れられない。だからテレビを見るのをやめた。
まあでも、はてぶでもわりとみんな「これはアウト」「ライン間違えたね」など言われてて、
で、浜田のシネとか関取のシネと違って、捌かれるべき悪なんだな。
わかんね〜〜〜〜。やっぱり僕は発達障害なのかな〜。って考えて、まじ鬱。
けっこう前に見に行った舞台に出ていたへっぼこ役者の愚痴が今さらふつふつと再沸騰したので吐き出し。
推しが「ハンサム落語」というシリーズ企画の舞台に出たので見に行った。事前発表のビジュアル写真も衣装も素敵で、落語を俳優二人組の掛け合いで演じるというコンセプトも気になった。
舞台当日は推しのいろいろな側面や、様々な役を演じ分ける演技力の高さや、好みのビシュをバッチリ堪能した。その舞台ならではの企画もあり、舞台そのものはとても楽しめたし行って良かった。演出と音楽と美術もすべてが最高だった。
ただ、共演者に何人かへっぼこ役者がいたことだけがずっともやもやしている。悪ふざけが過ぎる連中だった。その場のノリで悪ふざけをして姑息に場を引っ掻き回せば「ウケる」と思っている連中だった。
彼らの演目は酷かった。舞台のコンセプトとして落語を演じる以上は、その元ネタに敬意を払って欲しかった。
古典芸能には「守破離」があり、習熟度に応じて型を守る、型を破る、型から離れる、という段階がある。その舞台シリーズに何度も出演経験があるらしいへっぼこたちは、「今さら真面目に演じてもサムいだけ」とでも考えていたのだろうか。それとも生来の悪ふざけ好きなのだろうか。
とにかく落語の登場人物を茶化し、その型を破ることに腐心していた。
そしてその悪ふざけはあまりにもサムかった。古典芸能は、洗練されているがゆえに古典となっている。長い年月を経ても消えなかった落語たちを、小手先で姑息にイジって面白くなるわけがない。そのイジり方で面白くなるのであれば、先人たちがすでにそうしている。それでは面白くないからこそ、今の型で伝承されてきているのだ。
古典という根のしっかり生えた樹齢数百年の大木を相手に、枝葉を追って笑いを誘うような真似はあまりにも無様であり、気分が悪かった。
リハーサルと異なる演技をしたり、女性役をオッサン風に演じてみたり、悪ふざけのすべてが「出オチ」でしかなく、出オチで一瞬の笑いを取った後はひたすらに寒かった。
私の推しは初心者らしくしっかりと型を守って演技をしていて、生真面目なその役者としての在り方を見てまずす好きになった。
そしてさすがは落語、見よう見まねでも初心者でも、きちんとやればそれなりに面白くなる。役者さんが演じるから演技はうまい。しかも企画が素晴らしく、掛け合いを二人組で演じるところがミソで、初心者の役者でもちゃんと落語として見られる仕上がりになる。
真面目に演じればそれだけできちんと面白いものになる舞台だ。しかも落語にはさまざまな登場人物が出る。推しが一舞台でいくつもの役を演じ分ける様を見られたのは大満足だった。
へっぼこたちはそんな推しを巻き込んでくだらない悪ふざけをした。そしてへっぼこたちの演目は余りにもつまらなかった。
だから推しの活躍には満足しつつ、ずっとがっかり感を抱えている。推しが良かったんだからいいじゃないか、と思う一方で、古典落語を粗末に扱うへっぼこ役者を目の当たりにしたのが残念だった。
舞台のコンセプト、企画、演出、脚本、美術、音楽、衣装もグッズもなにもかも素晴らしかった。和洋折衷の色っぽい衣装も、演目を切り替えるときの演出も、お洒落な照明も、客入れの案内からグッズ販売のスタッフまで感じが良かった。
だからこそ、悲しい。
へっぼこ役者たちはこの舞台の常連らしい。つまりあれだけの舞台を作り上げられる企画グループが、あのへっぼこ役者たちの悪ふざけを良しとして、繰り返しオファーしているのだ。
私は「あのへっぼこ役者さえいなければ素晴らしかったのに」と思っているが、へっぼこ役者たちの悪ふざけが企画者の本意ならば、この舞台に関しては私の方こそ「お門違い」なのだ。
あの素敵な舞台から「お前はうちの客じゃない」と言われた気がした。好きになったから、悲しかった。
どんな漫画もドラマも小説も舞台も、自分が楽しめなければ悪いのは自分だと思っている。ただ、Not for meなだけだ。作品に「私好みじゃなかったんですけど!」と言っても意味はない。ただ去るのみだ。
多分もう見に行かないと思う。すくなくともあのへっぼこ役者が出ている回は。
今日たまたま配信で見た舞台作品に、一番へっぼこに悪ふざけが過ぎた役者が出ていた。やっぱり悪ふざけしていて、そのくせ声量がなくてダサくてやっぱり寒かった。第一印象が悪すぎてもうよく見えることはなさそうだ。
わたしは自分のことを完全に松本信者と言い切れるが、松本がメディアを去ると聞いて、怒りや寂しさを感じるよりも、何というかとても安心してしまった。
これでようやくこの息苦しさから解放される。そんな気がして何かとてもホッとしたのだ。
松本は、笑いの達人であるが、同時に警察でもある。つまらない笑いや、サムい笑いを取り締まり、人の行動や仕草、見た目にまで鋭く目を光らせ、ツッコミどころを探している。
30年近くそんな松本警察の監視下にあったのがこの国だと思う。たかがいちお笑い芸人にそんな影響力があるものかと言う人もいるだろうけど、私はそう思う。
私は、元々お笑いや面白いことが好きで、それゆえに松本に心酔してたわけだけど、松本警察の監視下のもと、気付けば「面白い」じゃなく「つまらなくない」を目指す人間になっていた。
それは今にして思えば、ずいぶんと窮屈で息苦しい世界観であったと思う。
松本が、性加害を行ったかどうかは分からない。裁判で勝つか負けるか分からない。でも、松本が笑いと芸能の頂点に返り咲くことはもうないように思う。
なぜなら、わたしと同じように、心の底では彼の退場を歓迎してる人が、思いのほか多いように思うからだ。
そして、いちお笑いファンとしては、この先、多様性を許容する優しくて、そして腹を抱えて笑えるような新しいお笑いが誕生することを願っている。
今は右を見ても左を見ても「ゲゲゲの謎」。一大ムーブメントでいわゆる「覇権」だ。
にくい。憎すぎる。
見る度に手足の温度が冷えていくような、薄ら寒い憎しみが湧いてくる。
関連ワードを全てミュートにしているのに、自分で検索してはその盛況ぶりに「にくい…」となってる。
ちょうど「怒りは二次感情」で、「怒り以前の感情の分析がアンガーマネジメントに有用」みたいな記事を見たし。
①みんなが楽しそうにしてるところに入れなくて羨ましい
ゲ謎の映画をみたが、みんなが言うほど主人公に萌えなかった。むしろ事前にタイムラインでみんな萌え狂っていたので、なんか若干覚めた目で見てしまった。
映画自体の出来は普通だった。飛び抜けていいとも感じられず。もしかしたら事前情報なし、嫉妬心なしでみたらハマれたかもしれないが、もう歪んだ色眼鏡をかけてるせいで文句しか湧いてこない。
なので、単純にみんなが楽しそうにしてる輪に入れなくて羨ましくて憎い。
②自分の客を取られて焦る
私は二次創作をしていて、絵を描けば少なくとも4桁のイイネは来る程度に中堅の絵師だ。なのに、みんなゲ謎に行っちゃったら誰が私をチヤホヤしてくれるんだ!?
一次創作でやれとか、それは元々原作の力だとか、そんな正論求めてない。
承認欲求が満たされない。今のジャンルの絵を描いてても、「あーでもこれ…ゲゲゲの絵なら3倍のイイネもらえるやんけ…」と思うとやる気が出ない。
ピクシブのランキングもゲゲゲばっかり。私だってゲゲゲでチヤホヤされたい!なのに心が追いつかない!
③好きな作家がとられて悔しい
好きだった絵描きも字書きもみんなゲゲゲに行ったしまった。もう好きな作者が書く好きなCPの絵も文も見れない。それ私が享受するはずだった萌えなのに。楽しみをとられた。
④とにかく憎い
上記の嫉妬心が混ざりに混ざって、私の中で「こじつけの怒り」まで吹き上がってくる。
・フォロワーがネタバレしなきゃ私もハマれたかもしれないのに!
・オタク構文の大袈裟な感想まじてサムいんだよ!なにが「救いがない」だよ!全然あっただろ!賢しらな考察ぶらさげて、結局オタクが萌えてるたけだろ!
・「今も○○ジャンル好きです」とか言って両方にいい顔すんな!片手間な落書きいらねーんだよ!
・主人公のこと嫌いじゃなかったのに総受け二次創作のせいで原作まで嫌いになりそう!
書いてるうちに自分の怒りの正当性のなさ、論理破綻に気づきました…と〆るつもりだったのに、全然燃え盛ってきた。全然まだムカつく。
どうすればいいの。こんなことで悩みたくない。