幕末の1861年2月、対馬の浅茅(あそう)湾にロシアの軍艦ポサドニック号が現れ、船の修理と乗員の上陸を求めてきた。対馬藩が、ロシア側の申し出を信じて入港を認めると、彼らは勝手に兵舎や練兵場などを建て始め、租借権まで要求してきた。ロシア軍艦対馬占領事件である。
対馬藩が退去を申し入れるも、武力に勝るロシア側は聞き入れない。揚げ句は、ロシア兵が対馬藩士を拉致したり、略奪行為などを始めた。ロシアは、近代的な軍事力を持たない日本の抗議など一蹴したのである。
そんなとき、英国公使から江戸幕府に対し、英国の軍艦をもってロシアの軍艦を追い払う旨の提案があり、江戸幕府はその提案を受け入れた。
当時、世界最強の海軍力を誇る英国が軍艦2隻を対馬に差し向けるや、ユニオンジャックの旗を見たポサドニック号は、そそくさと対馬から退去したのだった。
このロシア軍艦対馬占領事件は、まさに「現代への教訓」そのものである。軍事力を背景にしない外交交渉だけでは、他国の侵略を阻止できない。当時の日本のように、非武装中立ではまったく自国を守ることができないのである。性善説に立って中国や北朝鮮との〝話し合い〟のみでは、彼らの軍事的恫喝(どうかつ)に対処することはできないのだ。
そして、国防には他国を味方につけておかねばならないことも、この事件から読み取れる。当時、強大な海軍力を持っていた英国の協力を、現代の米国に置き換えれば理解できよう。
このロシア軍艦対馬占領事件、現代の東シナ海の情勢にそっくりではないか。
米海軍を第一列島線と第二列島線の間の太平洋上で迎え撃ちたい中国は、沖縄や台湾をどうしても奪取したいが、強大な米軍のプレゼンスによって尖閣諸島を含む沖縄の島々、そして台湾に手が出せないでいる。
ただ、中国海警局船が尖閣諸島周辺の領海に侵入していることに、軍事力を背景にしない日本がいくら抗議しても、まったく聞く耳を持たない。
憲法9条は無意味
現代日本の安全保障は、対馬占領事件を教訓とすべきなのだ。
この事件は、戦争放棄をうたった憲法9条がいかに無意味であるかを、何より雄弁に物語っていよう。憲法上の「戦争放棄」など、耳に心地いい言葉の響きに日本人が自己陶酔するだけで、何の役にもたたないのである。
井上和彦
いのうえ・かずひこ 軍事ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒。軍事・安全保障・外交問題などをテーマに、テレビ番組のキャスターやコメンテーターを務める。産経新聞「正論」執筆メンバー。フジサンケイグループ第17回「正論新風賞」、第6回「アパ日本再興大賞」を受賞。著書・共著に『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)、『封印された「日本軍戦勝史」』(産経NF文庫)、『歪められた真実~昭和の大戦(大東亜戦争)』(ワック)、『今こそ、日台「同盟」宣言!』(ビジネス社)など多数。