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はてなキーワード: 蕎麦屋とは

2026-05-11

香川ではカレーを食べなさい

カレーライスがなければカレーうどん

カレーうどんがなければうどん

こういう優劣がある

蕎麦屋カレーとも違う

2026-05-10

地方進学校から東大に行った私が、大学一年生に祈ること

地方進学校から東大に行った人間予後が悪い。

もちろん全員ではない。

ただ、少なくとも私はそうだった。

私にとって不幸だったのは、東大に入ったことではない。

自分天井を知るのが十八歳まで遅れたことだった。

十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。

十八歳まで勝ってしまたから、負け方を知らないまま大人になった。

私はどこで間違えたのだろう。

若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。

私は今、四十七歳になる。

はいない。子供もいない。

三度目の転職をして、今の会社に来てから二年が経つ。

前の会社は、私から見れば理不尽理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。

私は毎回、自分は正しかったと思っている。

今でも半分くらいはそう思っている。

ただ、半分はもう思っていない。

これから書くのは、その「半分」の話だ。

この文章を君に向けて書こうと思った理由を先に言っておく。

先日、ある雑誌に頼まれ大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。

東大卒の社会人として、若者メッセージを」というやつだ。

私は引き受けた。

引き受けながら、ふざけるなと思っていた。

社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。

地方公立高校から現役で東京大学法学部

就職先も誰でも知っている会社だった。

一行目だけは綺麗だ。

二行目以降は読まないほうがいい。

私は二日間、机の前に座った。

何も書けなかった。

自己啓発言葉が一文字も出てこなかった。

「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。

書けば嘘になる。

私は夢を持っていなかった。

努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。

あるいは、努力以外のすべてが私のほうから去っていった。

三日目に編集者電話して、原稿を断った。

その代わりに、誰にも頼まれていないこの文章を書き始めた。

これは雑誌には載らない。

たぶん誰にも届かない。

けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。

素直になれ。

それから性格をよくしろ

書きながら自分でも笑ってしまう。

よりにもよって私が言うことか。

私はずっと素直ではなかった。

性格も悪かった。

からこれは説教ではない。

懺悔だ。

懺悔は聞かなくてもいい。

ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。

第一部 正解者だった頃

私が育ったのは北関東県庁所在地だ。

地名は伏せておく。

人口三十万人ほどの、何の特徴もない地方都市だった。

父は地方銀行に勤め、母は小学校給食室でパートをしていた。

妹が一人いた。

家は古かったが、貧しくはなかった。

私の最初記憶は、小学校二年生の算数時間だ。

先生が黒板に問題を書いて、「わかった人?」と聞いた。

私はわかっていた。

手を挙げた。

当てられて答えを言った。

正解だった。

先生が褒めてくれた。

隣の席の女の子が「すごいね」と言った。

私は嬉しかった。

たぶんその瞬間が、私の人生最初ピークだった。

書きながら本当にそう思う。

あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。

小学校から中学校にかけて、私は常に学年で一番だった。

二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。

地方の小中学校で一番というのは、ほとんど何も意味しない。

後になって考えれば、競争相手絶対数が少ないだけのことだ。

けれど当時の私は、自分特別だと信じていた。

周りもそう扱った。

先生も、親戚も、近所のおばさんも。

「あの子東大に行く子だから

中学校とき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。

母は嬉しそうに笑っていた。

否定はしなかった。

私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。

中学まではまだ良かった。

授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。

活動もそれなりに楽しんでいた。

私はクラスで浮いていなかった。

しろ勉強ができる優等生としてちょうど良い位置にいた。

スポーツ普通にできた。

背は普通だった。

顔は、まあ、普通だった。

すべてが普通で、勉強けが少し抜けていた。

それは十三歳の少年にとって、ほとんど理想的な配分だった。

歪み始めたのは高校に入ってからだった。

私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。

OB地元選出の国会議員県知事がいる、というのが地元の自慢だった。

今思えば、それも大した自慢ではない。

けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。

入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。

最初中間試験で学年三位を取ったとき、私は少し焦った。

自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。

期末試験までの一ヶ月、私は本気で勉強した。

期末試験で一番を取った。

それから卒業まで、私は一度も学年一位の座を譲らなかった。

問題勉強以外で起こった。

高校一年の秋、文化祭があった。

私のクラスお化け屋敷をやることに決まった。

決まる過程で、私は反対した。

お化け屋敷過去三年間、毎年どこかのクラスがやっていた。

もう新鮮味がない。

それに暗幕の手配や教室の改造に時間がかかりすぎる。

準備期間は二週間しかない。

私は別の案を提案した。

模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。

これは数字で示した。

前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。

私の提案却下された。

却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。

彼は私の数字を見もせずに言った。

「いや、お化け屋敷のほうが楽しいだろ、絶対

クラスの三分の二が彼に同意した。

私は食い下がった。

「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」

教室が少し静かになった。

誰かが小さく「うわ」と言った。

私はその「うわ」の意味が今ならわかる。

当時はわからなかった。

担任が温和な顔で言った。

「みんなで決めたんだから、それでいこう」

私は黙った。

黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。

そして二週間後、その思いは正しかたことが証明された。

私のクラスお化け屋敷は、案の定、準備が間に合わなかった。

当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。

客は数えるほどしか来なかった。

模擬店をやった隣のクラスには長蛇の列ができていた。

打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。

その代わり、最初に反対した男子が笑いながら言った。

「いやー、失敗したわ。けど、楽しかたからいいよな」

クラスの全員が笑った。

私は笑えなかった。

笑えない、というのは笑顔筋肉が動かないという意味ではない。

心が笑い方を覚えていない、という意味だ。

彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。

私は一人だけ間違えていなかった。

間違えていないのに、その輪の中にいなかった。

その夜、私は自分の部屋で長い時間考えた。

そして結論を出した。

人に合わせると間違える。

多数派は正しさを選ばない。

から自分で考えたほうがいい。

この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。

そして最悪のことに、それは半分は事実だった。

これが後で書くことのすべての始まりだ。

似たような出来事はその後何度もあった。

一つだけ、もう一つ書いておく。

高校二年の春、私は生物の授業で課題研究の班に入れられた。

班員は四人。

テーマは「学校近くの川の水質調査」だった。

私はすぐに気づいた。

このテーマでは、論文として何の新しさもない。

前の学年の先輩が、ほぼ同じテーマで発表していたからだ。

私は班員にそれを伝えた。

「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」

班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。

一人の女子が言った。

「うーん、でも、先生がこのテーマでいいって言ってたじゃん」

先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」

別に評価されるためにやってるわけじゃないし……」

そこで私は致命的なことを言った。

今でも覚えている。

評価されないものを、なぜやる必要があるんだ?」

教室空気がすっと冷えた。

そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。

けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。

今ならわかる。

彼女たちは別に手を抜きたかったわけではない。

ただ、四人で何かを一緒にやる時間のものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。

私はそれを「評価されない無駄」と切って捨てた。

私たち研究は、ありきたりな水質調査になった。

発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。

私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。

彼女たちも私を呼ばなくなった。

私たち最後まで、お互いの名前フルネームで言えるような関係にはならなかった。

その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。

そのほうが効率が良かった。

私の偏差値は上がった。

この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。

「言い方」という言葉が嫌いになった。

正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。

私には、それが奇妙な反論に見えた。

内容が正しければ、それでいいではないか

なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。

それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。

知性に対する侮辱ではないのか。

私はそう考えた。

そして、ますます内容で押し切ろうとした。

内容が正しければ、いずれ理解される。

理解されないのは、相手の知性が足りないからだ。

「言い方」を気にする人間は、内容で勝負できない人間だ。

これは私の中で信仰になった。

この信仰は、その後の三十年間、私を支配し、私を破壊した。

ここで君に一つだけ言わせてほしい。

「言い方」は装飾ではない。

内容を相手に届けるための、内容の一部だ。

届かない正論は、正論ではない。

ただの独り言だ。

私は四十歳を過ぎてから、ようやくそのことに気づいた。

三十年遅かった。

君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。

東京大学合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパス掲示板に紙が貼り出された。

私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。

三月十日だった。

寒い日だった。

自分の番号を見つけたとき、思っていたほど嬉しくなかった。

これは嘘ではない。

本当のことだ。

「やった」とは思った。

「これで人生最初の関門は越えた」とも思った。

けれど、それだけだった。

なぜなら私は、合格することを最初から知っていたからだ。

模試の判定はずっとAだった。

直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。

落ちる理由がなかった。

から合格は、驚きではなく確認だった。

掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族電話したりしていた。

私は誰にも電話しなかった。

電話する相手がいなかった、というのとは少し違う。

電話する相手はいた。

父にも母にも、塾の先生にも電話できた。

けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。

私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。

蕎麦はぬるかった。

それでも最後まで食べた。

蕎麦屋を出てから赤門のあたりをもう一度歩いた。

三月の風が冷たかった。

そのとき一つだけ、ふと思ったことがある。

この四年間、誰と過ごすんだろう。

不思議感覚だった。

喜びではなく、空白に近い感情だった。

私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。

誰も知らない

誰も私を「すごい」と言わない。

私の隣の席に座る人間は、たぶん私と同じくらい問題を解ける。

少しだけ怖かった。

けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。

「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」

そう自分に言い聞かせた。

これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。

その呪いに私は気づかなかった。

二十年以上、気づかなかった。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20260510234017

2026-04-10

anond:20260410130012

昔の日本蕎麦屋は1メートル以上のタワーを倒さず運んでいたんだから日本人ならそれくらい我慢しなさい

2026-03-16

蕎麦屋カレーってなんで美味いんだ?

AIよりは増田に答えてほしいわ

2026-03-09

sに会う予定だったんだけどなぁー

昼過ぎ4月にやめる予定の蕎麦屋バイトに行ってきた。かわいい子が2組来たんだけど、タイミング悪くてむさくるしい男の接客をすることになってしまった。かわいい子の接客をして連絡先交換したかったなー。あと久しぶりに同郷のmちゃんめしくえてよかった。お菓子の話で盛り上がった。バイト終わりは、群馬に帰って保育園で好きになって中学で付き合ったsとkと飲みに行く予定だったけどうまく人が集められなくて中止になってしまった。俺は三人でもよかったけど、ぐだっちゃったからかなー?会えなくて残念、同窓会迷惑かけたの軽く謝りたかったのによー。まあ、また今度ってなったしいつか会う機会もあるでしょ、てか作る。ふつうあいたいしね。でも、中学の時は返信が遅いとかそんなことはなかったのに、年月って人を変えるんかな、自分かわいいことを自覚して増長しちゃったのかなーって思って悲しくなった。昔は、かわいさを鼻にかけずに誰にでも優しくて八方美人過ぎて嫉妬することもあったんだけども、そんなところが本当に好きでいいところでもあったんだけどね。東京に出て、サークルバイトとかでよくない方向に曲がってしまったんかな。上京するっていいことばかりではないんだよね。って言ってるけど、よくない方向に曲がった云々は俺の妄想であって返信が遅いっていう一つの要因だけで、俺の経験したカス女と勝手に重ねてみていて、実際はどうなのかは本当はわかんないんだけどね。本当にひねくれてしまったのは、神奈川に出てきて治安悪い感じになってしまったおれのほうなんでしょうね。残念ではありましたが、時間は有限。とくに大学生のという人生の中で4年しかない貴重な時間の2年をもう使ってしまっているのだから、あと二年悔いのないように過ごしたい。決して中学高校時代のような、ゲーム三昧で振り返ってみれば何も残っていない、そんな生活はしたくない。であるから、暇な時間といえば、やはり学科教習にかぎる。はやく車の免許を取りたい。今となって考えるなら、高校卒業して大学入学してすぐに取っておけばよかったと後悔している。免許を取ってしたいことがあるかと聞かれれば、別にとくにあるわけではないんだけど、地元に帰ってきたとき女の子と車でデートとかなった時に女の子運転させるのがダサすぎるから、俺が助手席に乗って「もう、恋なんてしないなんて」の歌詞みたいに、別れた後に左に少し戸惑ってみたいね。これらのことより、一日でも早く免許を取って女の子を隣に乗せたいよね。まだ、乗せる女の子もいなければ、車もないんだけどな。しかし、ここ最近はもっぱら教習ばかり見ているから、趣味は何ですかって聞かれたら教習になるな。まったくもってちゃんと見てないんだけどね。教習見ながら「遺書公開」と「きさらぎ駅」見てしまったね。遺書公開は、結構おもしろかったし、いきなりクズに代わるときの表情とか演技はよかったと思うんだけど、コメントではやりすぎとかオーバーすぎるとかいコメントが多くて悲しかった。若い子が頑張るのはいいことだろ、老害邪魔だけはすんなよ。今日日記を始めようと思ったのも遺書公開で日記重要な手掛かりになっていたからなんだよな。もともとおれは、思い出を大切にするに人間から日記は初めてみたかったし、いいきっかけになった。これをいつか見返す日が来て懐かしくなって、書いてよかったなって思える日が着たらうれしいな。初めて書く日だから、こんなに長く書いたけど今後はもう 昔の話とか必要最低限で出来事とか感情メインで書いていくことをここに宣誓します。読んでくれてありがとう

2026-02-24

ざるそばは「海苔がのっているそば」、もりそばは「海苔がのっていないそば」 ← デマ

ざるそば海苔あり」「もりそば海苔なし」という区別は、現代蕎麦屋では一般的ルールとして定着していますが、歴史的本質的視点で見れば、海苔の有無は本来の決定的な違いではありません。

なぜ、この「海苔ルール」が絶対的な違いであるかのような誤解(あるいは単純化された定義)が広まったのか、その主な原因を紐解きます

1. 差別化のための「後付け」の記号

江戸時代中期、蕎麦品質提供方法で差をつけるために「ざるそば」が誕生しました。

当時の違い: もともとは、竹ざるに盛られ、「御膳粉」という真っ白で高級な蕎麦粉を使い、さらにコクのある特別なつゆ(みりんを多く使った辛汁など)を添えたものが「ざるそば」でした。

海苔の登場: 明治時代以降、さらに高級感を出すためのトッピングとして「海苔」が載せられるようになりました。

しかし、戦後食糧事情コスト管理の中で、蕎麦粉の質やつゆの作り分けをする店が減り、「見た目で一番わかりやす海苔」だけが区別基準として残ってしまったのが最大の原因です。

2. メニュー表の簡略化と合理化

飲食店側にとって、客に「粉の質が違います」「つゆの出汁が違います」と説明するのは手間がかかります

視覚的な納得感: 「海苔がのっているから100円高い」という図式は、客にとっても店にとっても非常に分かりやす差別化でした。

一般化: この商習慣が全国に広まった結果、消費者の間で「海苔あるかないか」が唯一の定義であると誤認されるようになりました。

3. 辞書メディアによる「便宜上定義

百科事典や初期のグルメ紹介記事などで、複雑な歴史的経緯を省き、「現在一般的海苔の有無で分けられる」と解説されたことも、この説を固定化させる一因となりました。

本来の違い(おさらい)

歴史的定義に基づくと、本来の差は以下の通りです。

項目 もりそばざるそば本来
せいろ・皿 竹ざる
蕎麦並粉(挽きぐるみ更科粉(真っ白な高級粉)
つゆ 一般的なつゆ コクの強い「御前つゆ」
トッピングなし 海苔明治以降付加価値

結論として:

海苔の有無」は、本来の「品質の差」を簡略化した代用記号に過ぎません。現在ではその代用記号の方が有名になりすぎてしまい、本来定義を飲み込んでしまったというのが真相です。

2026-02-06

蕎麦屋とかの飲食店やべえな

原価率50円とかの十割そばを1300円で売ってる

さすがにやりすぎだわ

2025-12-28

立食い蕎麦屋って絶対からねえか??

蕎麦冷凍でいいし、出汁も粉のやつでいいじゃん

割り箸発泡スチロールのお椀なら洗い物もしなくていいし

注文あったら蕎麦ゆでて出汁かけて一杯200円ってしてさ

原価と光熱費合わせて100円くらいだろ?一杯で100円の儲け

作るの2分くらいでできるからさ、1時間で30杯作れるんだな

まり1時間で3000円の儲けが出る

時給3000円だよヤバク!?

朝、昼、夜の各1時間ずつ営業で日給9000円

1ヶ月で月給27万

これさ、普通にサラリーマンならフルタイムクタクタになるまで働いてこれくらいな

それがさ、1日三時間蕎麦茹でて出汁かけるだけの単純作業であとの21時間は遊んでていいんだぜ?

やべーーーー

蕎麦屋になるわ

2025-12-26

anond:20251226083835

え、蕎麦屋にもそういうのいるよ。たしかラーメン率は異常だけど。

anond:20251226143209

寿司屋はいいとこは半お任せみたいな感じだし

蕎麦屋は店主から見えるとこで食べない

anond:20251226083835

寿司屋で卵から頼まない、蕎麦屋一口目は塩を振ってから食べないと怒って「出ていけ!」っていう店主はいないはず

これは普通にいるだろ

anond:20251226083835

寿司屋で卵から頼まない、蕎麦屋一口目は塩を振ってから食べないと怒って「出ていけ!」っていう店主はいないはず

追い出されはしなかったが田舎のこだわりの蕎麦屋みたいな店で注文したら「店が初めてならこっちにしておきな!」って常連っぽい人が口出ししてきて、店主も「こっちに変更でいいかい?」みたいに聞かれたことはある。

面倒だからOKしてそのまま食った。店主と常連っぽい人が「どうだうまいだろう他の店との違いがわかるよな」って講釈垂れてたけど味は普通だった。

anond:20251226083835

一時期ラーメンブームてのがあって

立場強くなった一部の店主が増長したのよ

寿司屋だって蕎麦屋だって立場が強くなれば一部の店主はそうなるよ

客に食い方指示したり独特ルールに異常に厳しい店主ってなんでラーメン屋なんだ

スープから飲めと言ったり、喋ったり、水を飲んだり、店のルールを守らないと怒って強制退店させるような狂った店主がいる店って何故かラーメン屋

寿司屋で卵から頼まない、蕎麦屋一口目は塩を振ってから食べないと怒って「出ていけ!」っていう店主はいないはず

何故ラーメン屋には狂った店主がいるというイメージなのか

実際にいたからなんだろうけど、それなら何故狂人ラーメン屋やるのか、ラーメンが人を狂わすのか?

2025-12-20

今やってる仕事給料付きの研修だと思え

その間やるべきことは、今やっていることの非効率なことクソみたいなこと無駄なことを観察しろ

そしてどうすればそれを無くせるか考えろ?

それがわかったら仕事をやめて起業しろ

自分がよく知っていることで起業するんだ。

間違っても蕎麦屋なんてするんじゃない。

君が蕎麦屋で働いているのでなければ蕎麦屋なんてするな。

2025-12-17

〇〇駅そば ランチで調べると蕎麦屋ばっかり表示される

いやまあ当たり前でしょ?と思われるかもしれんが、「近く」の意味で「そば」と入力していた。

これも方言なんだよな。

2025-11-23

初めて蕎麦屋ビールを飲んだ

からやってみたかった、昼間から1人で蕎麦屋に入ってお酒を飲むこと。

なかなか勇気が出なかったけど、近所のお蕎麦屋さんでざると中瓶を頼んだ。

ビールってこんなに美味しいんだと初めて知った。

ビール蕎麦湯お腹がたぷたぷ。

キドキしたけど、これからもやってみたいことをやってみようと思う。

2025-11-16

ネイチャージモン (漫画)

都会の蕎麦屋は麺はマズいがツユが美味くて、田舎蕎麦屋は麺が美味くてツユが不味い。

から俺はツユを店に持ち込んで食う!みたいな描写漫画であったけど、多分実話。同じ人種が居て良かったね。 anond:20251116124933

2025-11-13

ランチ予算1500円〜の地域で働く社会人に何が起こるのか

まず、ランチ難民になる。

金がないというか、店がない。

勤務中の休憩時間にさっと食えるような店がない。

俺は中途入社したのだが、面接で事前に伝えられる程度にはない。

で、どんな店があるかっていうと、

夜は会食やデートに使えそうな居酒屋か、洒落臭いカフェ、昼からコースが出てくるレストランが8割。

あとは古ぼけた蕎麦屋とか町中華

でも正直言って商売っ気が感じられず入りにくい雰囲気。そんな感じ。

普段は白米をレンチンしてコンビニ惣菜を食う。

だってコンビニで全部買ったら500円は楽に超えてしまう。

大抵人にはコンビニの好みっていうのがあるが、俺は隣にあるコンビニの飯が全然美味いと思えない。

毎日コンビニ飯食ってる同僚がいるが正直理解できない。

まずいものに金を払っているという感覚が嫌なんだよな。


でも毎日レンチンは飽きる。

今日はなんかいける気がして、近所の小洒落居酒屋ランチに行ってみた。

レビュー見ても並びは覚悟しろと書いてあるし、実際に行列を目にしたこともある。

でも今日は並んでなかった。ラッキー

人気店らしいが、っていうか選択肢がないんだから結果的に人気にもなるだろう。

シンプル定食が出てくる。日替わりで焼き魚だった。

これで千円札2枚出してちょろっとお釣りが来るくらいかぁ。まあ3割はショバ代だろうな。

そんな感じ。

でもコンビニよりは遥かにマシだ。

実は焼き魚にあまり有り難みを感じないタチなので、白米の美味しさが一番有り難かった。

大盛りにすべきだった。


なんてことを考えているうちに、隣の席の客が入れ替わる。

椅子に白い布が掛けてあるような店だからスタバよりはゆとりのあるカウンター席だ。

別に隣にどんな客がいようが関係がない。

でもそれは違ったんだ。

隣に座ったおっさんは、軽めのクチャラーだった。

っていうか、

ハムッ ハフハフ、ハフッ!!

みたいな感じだった。

正直すげえ気になる。俺はわざわざ金払って高いランチ食いにきたのに。

さもしいコンビニ弁当で荒む心をセルフケアするために、ちょっといい店に来たのに。

でも仕方ないよね。店がないのが悪いんだよ。

そうこうしている間にもおっさんはハフッ!!

焼き魚ジュウジュウ 大根おろしショリショリッ

ハムッ ハフハフ、ハフッ!!


正直松屋にでも行ってろよと思った。

っていうか、松屋がこういうおっさんの受け皿なんだな。

俺は松屋、そしてすべての定食系チェーンに心から感謝した。

その隣で茶碗の米粒をカッカッカッ!!と音を立てて食うおっさん

俺はさっさと食って退店するべきなのだが、

残念ながらおっさんと張り合えるほどの早食いではなかった。

あとこの手のやつにありがちなんだけど、

左手テーブルの下にして片手食いするやつってなんなの?

もしもお国柄だった場合は、すまない。

音を立てて食わなければ横目で見たりすることもないんだけどな。


やっぱり松屋必要だよ。

こはちょっとお高めのランチで歓談するセレブが主役の街なのかもしれないけどさ、

こういうおっさんはどこにでも出現するのだから

2025-11-09

anond:20251109154546

ロボット調理機がなかなか伸びない

いや実際には大阪王将とかリンガーハットでしっかり活躍してるし、JR東日本蕎麦屋でも着実に増えてる

でも爆発的な伸びは無い

もっとノビシロはあるのに

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