はてなキーワード: アラフィフとは
どうせ旅行とか行けないし、公立の特別支援学校だから中学受験とかしないし。
頑張って働くのも疲れた。
所得制限に引っ掛からなくなれば、国から都から区から、毎年200万くらい助成される。
(成人後は支給が止まるが、ほとんど変わらない額が障害年金になるので、それを使わせてもらう。
家を出ることなんかないだろうし)
ここ数年の実際からすると、600万も可処分があれば、住宅ローン返しながらでも余裕。
助成金の200万に加えて、1.3億を毎年400万ずつ切り崩して、ざっくり32年は生きられる。
その頃には年金も入ってくる。
あと1千万頑張るぞ
1.3億に意味はない。
あと数年働いて1.3億に到達させたいっていうのが本音。
単純に、下の子が小学校(特別支援学校)に入るまでは時短で働けるから。
時短にして所得を減らすと、貰える助成金が出てくる(助成金は色々合わせて200万くらいなんだが、それぞれ所得制限の上限が違う)。
それに、もしかしたら、下の子も小学校に入ったらフルタイム働けるかもわからん。
今は1人が保育園、1人が特別支援学校ってんだと、送りも迎えも2方向になってとても無理。
下の子が小学校になるまでは会社にしがみついて、社会との繋がりを保っとく。
しょうがないよ。
カネなんかあったって、誰が送り迎えするんだよ?
ぶっちゃけ、カネなんかあったって、時間的余裕がないと買い物ができないんだよ。
手のかかるのが2人いると、食料品や日用品の買い物だって1人で2人連れてはいけないし、留守番もできない。
親が2人そろわないと買い物にもいけない。
足りなくなったら生活レベルを下げるよ。
今だってワークマンで服買ってカインズホームの家具に囲まれて水道水飲む生活してるよ。
引越すタイミングにもよるけどさ、50歳近くなって住宅ローンは組めないだろうし、つうかローン組むためには定職が必要なんで、なかなか難しい気がする。
今の戸建てがたぶん、土地の価値だけで数千万にはなると思うから、今のままボロ屋になっても住み続けて最後は土地と建物を担保に借金する。
所得制限にかからないようにするためには、分離課税の株や投信にしとくしかないな。
減価償却が大きくなるように築古を買って減価償却が終わると同時に売却して、譲渡益(分離課税)にすればあるいはだけど、ちょっと難度が高い。
減価償却が終わったタイミングで買い手を見つけないと総合課税になる利益が出ちゃうし、空室が出ちゃうとキャッシュフローが痛むし買い手が付きにくくなる。
そりゃそうなんだけど、数年後にいったんやめて、またその数年後に復職って、アラフィフだよ?
50歳すぎてまともな求人ってなくね?
転職エージェントに管理職求人ばっかり見せられるけど、家庭優先でフルタイム働きたくないとかじゃ管理職なんか無理でしょ。
だからって、手足として使いたいなら、いい歳の経験者より若い未経験とるでしょ。
勤め人が無理なら起業!ってのはもっと無理で、創業期の自営業って雇われよりもっと忙しいじゃん。
普通の子持ちでも経験する、魔の2歳児がずっと続いてるような感じ。
ちょっと目を離すと、風呂を泡だらけにして遊び、排水口にいろんなものを詰め、壁に落書きとか、まあそんな感じ。
大変っちゃ大変だけど、普通の子持ちでも経験する。ただ、それが長い。
そんなわけで、外食とかできないし、買い物だけでも神経をすり減らすけど、普通に飯食って風呂入って寝るこたできる。
あれだよ、アメリカとかだと外出させたり留守番させたりすると逮捕なんだろ?
日本の子供は学校だって自分で歩いて登校できるし、勝手に学童から帰って留守番できるし、習い事だって一人でいってくるけど、本来ダメなんだろ?
むしろ残し過ぎた気すらある。
ジュニアNISAで2人に80万×5年で400万ずつで800万入れたんだけど、1500万くらいになっちゃってる。
1.2億のうちの1500万は子供名義。
これがやっかいで、18歳になるまでは引き出せないし、18歳過ぎたら子供が管理しないといけない。
定型児だって18歳で数百万管理しろって言われたらビビるだろうし、どうすっか。
あと、障碍児扶養共済っていって、俺が死んだら毎月2万円入る保険に入ってる。
子供は障害年金と、共済金からの2万と作業所の給料でグループホームで暮らせるはず。
グループホームの空きが慢性的にないから、空きが出たら中学卒業時点ででも入れないといけないってのが、親としてはつらい。
そういうのは、ぶっちゃけ運でしょ。
いいタイミングで株や投信を買ってて、そのなかに20倍になった銘柄があったのも運。
中古戸建とはいえ、地価が今より高くないタイミングで買ったのも運。これがマンションだったらもっと爆益だったけど、それも運。
お金よりも手間。
私はアウトドアが好きでコロナ禍に移動や宿泊先に困った頃から車中泊で遠くに出かける事が増えました。私は犬を飼っていません。
2020年のパンデミック以降、リモートワークが続き都市部の1人暮らしで人との接触が無くなり、ストレスを抱えている友人も少なくなく、そんな友人Aを誘って千葉の海に日帰りドライブに行ったところ、Aは凄く喜んでくれて、私も友人の明るい顔を見て楽しい休日を過ごしました。
Aは運転してくれたから費用は出すと申し出てくれましたが、高速代ガソリン代は割り勘でランチをご馳走して貰いました。
その後Aとは年に一度ほどドライブがてらハイキングに行くようになりました。
友人Bも同じ境遇で、Bは犬を飼ってコロナ禍をやり過ごしましたが、犬がいると旅行に行きづらいとも言っていたので同じように日帰りでドライブに誘いました。でもAとドライブに行ったときのように楽しい思い出にはなりませんでした。
始めはBの希望で「絶景動画でバズってた海岸のお花畑」に行きました。車の移動距離は往復で300km。
現地に到着すると私はBのスマホを渡され犬とBが遊ぶ動画を撮る係にされました。獲った動画を確認して満足がいかないと撮り直しになる事も何度もありました。
バズりポイントは車を下りてから少し丘を歩かなければ辿りつけず、犬が歩けなくなったら飼い主が抱えて歩くと話して、Bは「犬用のリュックを買ったから大丈夫」と言ってましたが当日は「リュックが重いから」と持って来ず、案の定少しぬかるんで足場の悪い傾斜では犬はおろか飼い主も足が止まってしまいました。
Bはバズりポイントに行って動画を撮って来て欲しいと泥だらけの犬を私に押し付けました。私が犬を抱えてBの手を引きサポートをしながら登りきりました、バズったせいか人が多く小さな子供も高齢の方でもひょいひょい歩けるイージーな斜面です。
友人Bも私もアラフィフで、10年以上の登山経験がる私に対してBは10年以上都会で犬の散歩の経験しかありませんが自分では「体力がある方」を自負しています。
車に戻ると、私が泥だらけの靴を履き替えたり犬を抱えてついた上着のドロを払っている間に、Bと犬はすぐに車に乗り込みました「車に乗る前に軽くでいいから犬の足拭いてね」と私が持ってきたタオルを渡しましたが「え?土禁?神経質だなー」と笑って取りあいません。
車の足元もシートの間も細かい砂と犬の毛だらけで後の掃除は大変でした。
車の中では私との会話はなく、Bはずっと愛犬としゃべりながら動画の編集に没頭し、道が分かりづらいから調べて欲しいと声をかけると「動画をアップするまで話しかけないで」、と言われました。運転は交代すると言いながら断りもなくランチでワインを2杯も飲むなどと、同行者の身勝手な行動が続いて私は機嫌が悪くなってしまいました。高速代とガソリン代を割り勘にする金額の話しを出すと「そっちだって犬と遊べたんだからいいじゃん」「車を出してくれるって事はガソリン代がかかるってことでしょ、ケチだなー」と出し渋ります。
帰り際に「来週は別の海に行こうよ」とBから誘ってきました。
その時点で私はもうBとBの愛犬を車に乗せる気は失せていて「来週は別の予定がある」と断ると、「次の週は?」「来月は?」と食い下がってきます。
ぼやかしていてもキリがないと思い
「私は山登りとか自分のやりたい事で休日を過ごしたいから、暫くはBの犬の散歩には付き合えないよ。」とハッキリと断りました。
その愚痴を別の友人に聞いてもらうと「そのお友達はよっぽど楽しかったんだよ、リモートワークでおかしくなった人は多いから、友達だったらたまに付き合ってあげなよ」となだめられました。
確かにBは楽しかったと思います。BのSNSには「わんちゃん気持ちよさそー」「素敵な場所🎵お裾分けありがとう御座います」と好意的なコメントでちや。おまけに移動費もかからない。
その後もBから「また車で連れてって」攻撃が続きました。行き先はいつも「犬動画でバズってるから」「好きな犬ユーチューバーが紹介してるから」
その情報に目を通すと犬トレッキングや犬キャンプなど、Bはキャンプ経験もなく先のイージーな傾斜も歩けなかった犬と飼い主の運動神経では無理そうなところばかりでした。
「最低限まずBが1人でできないとダメ、1人で高尾山でも行ってからね」と断わると「高尾山なんいやだよ(笑)」
私が山登りに行った写真をSNSに上げると「きれいなとこだね、私と愛犬も連れてって欲しい」と言われる事が増えました。私の登山は中級レベルなので、BにはYouTube見て自分と愛犬が歩けるところを探しておいでと言いました。
それからBは、高尾山に登るのではなく、私でも恐怖感を覚えるような岩場を犬と歩くバズってる動画ばかりを送ってきては、こちらの都合も聞かずに勝手に宿を予約して「ねえ車で連れてって」と言うようになり、コミュニケーションを取るのが難しくなりました。
ちょっと自分勝手じゃないか?車を出すのは私でしょ?予約する前にこっちの意向を聞いて欲しいと指摘をすると、Bは自分でもリモートワークによる精神の影響は気づき始めて、犬インフルエンサーのオフ会など犬を通した外の交流も始めましたが「車で連れてって」は止まりませんでした。
車でオフ会に連れて行ってくれる「犬友」もできたそうですが「犬友」の車は軽自動車で乗り心地が悪いとか、移動中何時間も犬友や犬友の犬に気を使うのが嫌で途中で車を下りてバスで移動して大変だったと、また私のところに戻って来ました。
犬オフ会のハイキングの動画を見ましたが、Bの愛犬だけ途中で歩かなくなってしまい、Bが何度もなだめる繰り返しであまり楽しそうではありませんでした。
インスタで見つけた「イケメン犬アウトドアガイド」のスノボバックカントリーツアーに私の名前も入れて勝手に申し込みをしたから「車で行こうよ」と始まりました。
「私はスノボはやらない、この先もやらない、バックカントリーなんて素人には絶対無理だからよく考えな、行っても時間の無駄」と突き放しました。
Bの言い分がこうです。一般のバックカントリーツアーはスノボ中級者しか申し込み資格がないけど、「プライベート貸切ツアー」ならゲストのレベルに合わせてくれるから行けると思う、イケメンガイドは人気で予約が取れないから「スノボ経験あり」って事にしてイケメンガイドの予定だけ先に抑えた、でも金額聞いたら凄く高くて1人じゃ行けないから一緒に行こうよ、車があるなら一緒に行きたいっていう犬友もいるから割り勘にすれば安くなる
その先は読まずに「私はスノボはやらないって言ったよね?お互い共有できない事はやめよう。雪道の運転もしない、会ったこともない人の犬は乗せない。この話しはもうこれ以上しないでね。」と突き放すと「一方的じゃないじゃん、ちゃんと『付き合って』って言ってるよ、ダメって言われたら犬友には断るつもりでいたよ。
その時点で「スノボツアー」の場所や行き先も知らされていない。旅行に誘うのならせめて行き先位伝えるのがマナーでしょ?話しにならない、もう返事しません。とひたすら突き放す方向になってしまいました。
『行きたいとこあったら車出してあげる』って言ったのはそっちじゃん、そっちの要望に合わせてあげてアウトドアにしたんだよ」「人が多いゲレンデだと犬が落ち着かないから、人があまりいないバックカントリーにしてあげたんじゃん」そしてまた「イケメンガイドバズってるよ」とイケメンガイドのインスタばかり送ってくる。
私はアウトドアが好きでコロナ禍に移動や宿泊先に困った頃から車中泊で遠くに出かける事が増えました。私は犬を飼っていません。
2020年のパンデミック以降、リモートワークが続き都市部の1人暮らしで人との接触が無くなり、ストレスを抱えている友人も少なくなく、そんな友人Aを誘って千葉の海に日帰りドライブに行ったところ、Aは凄く喜んでくれて、私も友人の明るい顔を見て楽しい休日を過ごしました。
Aは運転してくれたから費用は出すと申し出てくれましたが、高速代ガソリン代は割り勘でランチをご馳走して貰いました。
その後Aとは年に一度ほどドライブがてらハイキングに行くようになりました。
友人Bも同じ境遇で、Bは犬を飼ってコロナ禍をやり過ごしましたが、犬がいると旅行に行きづらいとも言っていたので同じように日帰りでドライブに誘いました。でもAとドライブに行ったときのように楽しい思い出にはなりませんでした。
始めはBの希望で「絶景動画でバズってた海岸のお花畑」に行きました。車の移動距離は往復で300km。
現地に到着すると私はBのスマホを渡され犬とBが遊ぶ動画を撮る係にされました。獲った動画を確認して満足がいかないと撮り直しになる事も何度もありました。
バズりポイントは車を下りてから少し丘を歩かなければ辿りつけず、犬が歩けなくなったら飼い主が抱えて歩くと話して、Bは「犬用のリュックを買ったから大丈夫」と言ってましたが当日は「リュックが重いから」と持って来ず、案の定少しぬかるんで足場の悪い傾斜では犬はおろか飼い主も足が止まってしまいました。
Bはバズりポイントに行って動画を撮って来て欲しいと泥だらけの犬を私に押し付けました。私が犬を抱えてBの手を引きサポートをしながら登りきりました、バズったせいか人が多く小さな子供も高齢の方でもひょいひょい歩けるイージーな斜面です。
友人Bも私もアラフィフで、10年以上の登山経験がる私に対してBは10年以上都会で犬の散歩の経験しかありませんが自分では「体力がある方」を自負しています。
車に戻ると、私が泥だらけの靴を履き替えたり犬を抱えてついた上着のドロを払っている間に、Bと犬はすぐに車に乗り込みました「車に乗る前に軽くでいいから犬の足拭いてね」と私が持ってきたタオルを渡しましたが「え?土禁?神経質だなー」と笑って取りあいません。
車の足元もシートの間も細かい砂と犬の毛だらけで後の掃除は大変でした。
車の中では私との会話はなく、Bはずっと愛犬としゃべりながら動画の編集に没頭し、道が分かりづらいから調べて欲しいと声をかけると「動画をアップするまで話しかけないで」、と言われました。運転は交代すると言いながら断りもなくランチでワインを2杯も飲むなどと、同行者の身勝手な行動が続いて私は機嫌が悪くなってしまいました。高速代とガソリン代を割り勘にする金額の話しを出すと「そっちだって犬と遊べたんだからいいじゃん」「車を出してくれるって事はガソリン代がかかるってことでしょ、ケチだなー」と出し渋ります。
帰り際に「来週は別の海に行こうよ」とBから誘ってきました。
その時点で私はもうBとBの愛犬を車に乗せる気は失せていて「来週は別の予定がある」と断ると、「次の週は?」「来月は?」と食い下がってきます。
ぼやかしていてもキリがないと思い
「私は山登りとか自分のやりたい事で休日を過ごしたいから、暫くはBの犬の散歩には付き合えないよ。」とハッキリと断りました。
その愚痴を別の友人に聞いてもらうと「そのお友達はよっぽど楽しかったんだよ、リモートワークでおかしくなった人は多いから、友達だったらたまに付き合ってあげなよ」となだめられました。
確かにBは楽しかったと思います。BのSNSには「わんちゃん気持ちよさそー」「素敵な場所🎵お裾分けありがとう御座います」と好意的なコメントでちや。おまけに移動費もかからない。
その後もBから「また車で連れてって」攻撃が続きました。行き先はいつも「犬動画でバズってるから」「好きな犬ユーチューバーが紹介してるから」
その情報に目を通すと犬トレッキングや犬キャンプなど、Bはキャンプ経験もなく先のイージーな傾斜も歩けなかった犬と飼い主の運動神経では無理そうなところばかりでした。
「最低限まずBが1人でできないとダメ、1人で高尾山でも行ってからね」と断わると「高尾山なんいやだよ(笑)」
私が山登りに行った写真をSNSに上げると「きれいなとこだね、私と愛犬も連れてって欲しい」と言われる事が増えました。私の登山は中級レベルなので、BにはYouTube見て自分と愛犬が歩けるところを探しておいでと言いました。
それからBは、高尾山に登るのではなく、私でも恐怖感を覚えるような岩場を犬と歩くバズってる動画ばかりを送ってきては、こちらの都合も聞かずに勝手に宿を予約して「ねえ車で連れてって」と言うようになり、コミュニケーションを取るのが難しくなりました。
ちょっと自分勝手じゃないか?車を出すのは私でしょ?予約する前にこっちの意向を聞いて欲しいと指摘をすると、Bは自分でもリモートワークによる精神の影響は気づき始めて、犬インフルエンサーのオフ会など犬を通した外の交流も始めましたが「車で連れてって」は止まりませんでした。
車でオフ会に連れて行ってくれる「犬友」もできたそうですが「犬友」の車は軽自動車で乗り心地が悪いとか、移動中何時間も犬友や犬友の犬に気を使うのが嫌で途中で車を下りてバスで移動して大変だったと、また私のところに戻って来ました。
犬オフ会のハイキングの動画を見ましたが、Bの愛犬だけ途中で歩かなくなってしまい、Bが何度もなだめる繰り返しであまり楽しそうではありませんでした。
インスタで見つけた「イケメン犬アウトドアガイド」のスノボバックカントリーツアーに私の名前も入れて勝手に申し込みをしたから「車で行こうよ」と始まりました。
「私はスノボはやらない、この先もやらない、バックカントリーなんて素人には絶対無理だからよく考えな、行っても時間の無駄」と突き放しました。
Bの言い分がこうです。一般のバックカントリーツアーはスノボ中級者しか申し込み資格がないけど、「プライベート貸切ツアー」ならゲストのレベルに合わせてくれるから行けると思う、イケメンガイドは人気で予約が取れないから「スノボ経験あり」って事にしてイケメンガイドの予定だけ先に抑えた、でも金額聞いたら凄く高くて1人じゃ行けないから一緒に行こうよ、車があるなら一緒に行きたいっていう犬友もいるから割り勘にすれば安くなる
その先は読まずに「私はスノボはやらないって言ったよね?お互い共有できない事はやめよう。雪道の運転もしない、会ったこともない人の犬は乗せない。この話しはもうこれ以上しないでね。」と突き放すと「一方的じゃないじゃん、ちゃんと『付き合って』って言ってるよ、ダメって言われたら犬友には断るつもりでいたよ。
その時点で「スノボツアー」の場所や行き先も知らされていない。旅行に誘うのならせめて行き先位伝えるのがマナーでしょ?話しにならない、もう返事しません。とひたすら突き放す方向になってしまいました。
『行きたいとこあったら車出してあげる』って言ったのはそっちじゃん、そっちの要望に合わせてあげてアウトドアにしたんだよ」「人が多いゲレンデだと犬が落ち着かないから、人があまりいないバックカントリーにしてあげたんじゃん」そしてまた「イケメンガイドバズってるよ」とイケメンガイドのインスタばかり送ってくる。
順不同。異論は認めるよ。
次世代合気道不動のスタープレイヤー。卓越した技術とフィジカルで表現される美しく力強い演武は本当に革新だったよ。合気道が持つ胡散臭さを過去のものにしようとしてるし、その姿勢は業界の内外問わず多くのフォロワーを生み出してるよ。Youtubeの動画はしょぼい稽古やってるおっさんからすると「もう…もうやめて」ってなりがちだよ。
開祖最後の内弟子。美麗で柔軟なフォームは00年代に田舎のおっさんの道場でも話題になってたし、お手本にしてたよ。今は好々爺が忖度した弟子相手に人間バスケしてる感があるっちゃあるけど、やっぱり手足の裁きや位置取りを見てると、怖いなこの人って思うよ。
キレがすごい
大阪武育会のトップ。絶妙な間合いとタイミングのコントロールで、瞬時に相手を「取って」しまう技は圧巻。競技合気やってる昭道館との技術的な関わりも深いみたいで、合気会では失伝したようなレア技もバンバン出てくるから見てて勉強になるよ。
歩く教則本四代目。実直な演武や、メディア露出の少なさから白川竜次の後塵を拝していると揶揄されがちだけど、その下半身の尋常じゃない強さを活かした正確でしたたかな技はやっぱり見てて唸ってしまうよ。次期道主に対して失礼な感想かもだけど、類稀な合気道家だと思うよ。
5.ミハイ・ドブロカ(不明/横浜合気道・五段)※合気道を始めたのは2002年
白川竜次のYoutubeチャンネルにもちょいちょい出てくるフィジカルお化け。受けでも取りでもこの上なく綺麗なフォームで力強い合気道をするよ。動きが大げさでキライっていう人もいるけど、あんな動きマネできない事だけは確かだよ。
Explosive Aikido Movement — Power and Control!
6.岡本洋子(不明/京都合気道・八段)※合気道を始めたのは1978年
練り練りおばちゃん。男性がやる力強い合気道とは一線を画した練りに練って技を収斂させる、もはや発明にも近い合気道には驚愕するよ。木村二郎やクリスチャン・ティシエとおんなじタイミングで八段になったみたいだけど、国内での影響力は頭一つ抜けてるんじゃないかと思うよ。
合気道F-lab.の人。もともと福岡の祥平塾でやってらしたけど、今年からフリーになったみたいだよ。動きが柔らかく大きくて、時に鋭い技は本当に見ていて勉強になるし、多くの稽古者が言語化できなかった事を言葉にしてくれてるレクチャー動画は、初級上級問わず必携のコンテンツだよ。
タイパコスパ言うわけじゃないけど、熊澤さん世代のトップカテゴリにいる指導者は、「高段者は何をやっているのか」を言語化して説明できる能力が高い人が多いよ。その中でも熊澤さんに関しては説明めっちゃ上手いしフィジカル強いし、身体の柔軟さと合わせた技はホント見事だよ。
本部のやばたにえん修羅。白川竜次を凌駕するとも劣らないフィジカルを活かしたハイスピードでバッキバキの演武。もし合気道の事おじいちゃんが手をかざしたら弟子が飛んでいくもんだと思ってる人がいたら、この人の演武見てみてほしいよ。すごいから。暴力的に見えるから敬遠する人もいるけど、合気道の本質の一面はこれだからね、型稽古やってると忘れがちだよね。
白川竜次を輩出した合気道小林道場出身。一目見ただけでめっちゃやり込んでるって分からせられるフォームと鍛えられたフィジカルに裏打ちされた強くて柔軟な技がピカイチで、一時期めっちゃ参考にしてたけど、全然マネできなかったよ。
以上だよ。
作ってると「あ、あの人も」みたいになっちゃうのも結構あったよ。
やってる側からすると、やっぱり白川竜次がドーンと出てきた中、本部の振る舞いって結構ナイーブなのかなって思ってたりするんだけど、風の噂では本部道場にも「人を触れずに投げてはいけない」みたいなお達しがあるらしいし、全体的にフィジカルを活かした技をしていこうねって流れなのかもしれないね。
あ、あと合気道って何気にサンリオとコラボしてたりするんだけど、あんまり知られてないしTシャツとキーホルダーだけで道着がないの残念過ぎると思ってるよ。
ハローキティ道着作ろうね!ね!
おしまい。
追記=================
半分以上わからなかったけど、生年を追記したよ。リサーチ不足で申し訳ないよ。
誰しもに当てはまる話じゃないんだけど、だいたい初段から五-六段に上がるまでに、15-25年かかるから、五-六段の人はアラフォー~アラフィフの人が多いよ。
ありがたいことに両親は健在で、正月は実家に家族が集まりました。
50代のおばさんの近況報告は場にそぐわないだろうと思い、
姉妹の子どもたち(私から見て姪・甥)を含めた家族の話を聞きながら、
私は一人で帰宅し、元旦でも開いているスーパーに寄って簡単な夕食。
その時ふと、「ああ、一人なんだな」と実感しました。
結婚や家庭を持たなかったことを後悔しているわけではありません。
30代・40代の頃は「一人最高」と思っていましたし、
ただ、50代になり、
「これからをどう生きていくか」「どんな心構えで過ごしていくか」を
改めて考えるようになりました。
また、不幸だとか寂しさを誰かに埋めてもらいたい、という気持ちでもありません。
同じように50代でおひとりさまの方が、
どんな目標や楽しみを持って日々を過ごしているのか、
心の持ちようや、60歳までにやっておいて良かったこと
やっておこうと思っていることなどがあれば、
私は、体が動くうちは旅行を楽しみ
消されちゃったけど、既婚者の二人飲みについて
アーカイブを拝見したけど、お父様は正直すぎるのよ
なぜ正直に女性と飲み行くことの許可をとるのか。版権ものと一緒。聞かれたらダメと答えるしかなくなる
正直「大事にならないレベルなら勝手にやれ。」という感じでしょ。お母様も。いちいち聞くからいけない
お母様も聞かれたら良い気はしないし、行っちゃダメって言うに決まってるんだからそういうのはだまって行けばいい
逆も然り
私も20年来の異性の飲み友がいるけど、その人と飲みに行くときは性別は言わない。逆に夫に飲みの予定が入っていても相手の性別は聞かない
知らないほうが良いこともある
長期間自宅を開ける準備をして、何度も戸締りを確認し、家を出る。万が一のための連絡先、パスワードを机の上に残す。
指定された10時に病院に行き、使い方も慣れてきた自動受付機に診察券を入れると予約なしとカードが戻されてしまった。戸惑っていると、初めて来たときに案内してくれた初老の男性が入院はこちらですと案内してくれ順番カードをとってくれた。荷物を見れば入院患者であることは一目瞭然なのだ。
マイナンバーカードの登録、レンタル着のサイズ、各種書類の確認後、病棟に向かう。
病棟で身長体重測定後、部屋に案内される。他の患者もいる大部屋だが妙に広い。希望タイプが今日は満室なので今日はここで、明日空き次第移動するという。希望していないタイプの部屋であるため、差額ベッド代はかからないとのこと。良かったと安堵するが、明日手術だよね、どうやって移動するんだと不安になる。
入院患者識別用の氏名年齢血液タイプバーコード付き耐水コーティング紙が手首にまかれる。退院まで取らないようにと注意される。手術の開始時間は11時。2件目の手術となるため、前の手術終了時間により前後するとのこと。足首、ふくらはぎの太さを測り、手術着と弾性ストッキングを渡される。10時までに着替えるようにと指示。LINEで母に手術開始予定時間を伝える。
主治医がベッドまで挨拶に来てくれる。手の甲に「左」とマジックペンで書かれる。エコー、CT画像の左右について確認をする。気管と甲状腺腫瘍の位置関係についてきくと、「そうです! 足元から写すので左右逆になります」
画像を思い出すと、気管が円となっていた。体の正面から撮れば、気管は上下に伸びる直方体となるわけで、円になっている時点で喉を垂直にスライスした画像だと気づくべきだった。
午後には、薬剤師がやってきて手術後から毎食後に服用する痛み止めと胃薬を渡される。看護師から首の手術跡を保護するためのテープを売店で買ってくるように指示を受け、病棟から売店に向かう。外来患者もゆきかう売店のあるエリアから入院病棟に戻るエレベータが満員でなかなか乗れない。車いすの入院患者が先に待っていたので、空いていたエレベータに乗るように促すが、後でいいと首を振られた。後日実感したが、入院中はあまりにも暇なので、急いでいる人がいればお先にどうぞどうぞ、という気持ちになる。早く病室にもどったところでやることはないのだ。外にいるほうが気がまぎれる。
何も他にすることがなく、持参した文庫本を三分の一まで読み進む。早々に読み切ってしまうのではと心配したが、その後しばらく本を読むような余裕はなかったので問題なかった。
昼食の量が多いな、と思っていたのだが夕食はさらに量が多かった。白米が茶碗ではなくどんぶりサイズで出てくる。食事トレイは可能であれば自分で返却してください、と言われていたので、半分を残し、自分でトレイをワゴンに下げにいくと、トレイにセロハンテープで留められている小さなメニュー票(氏名付き)は取らないように、と看護師に注意される。
すぐにわかったのだが、どれだけ食べたかはすべてチェックされ、完食できていない場合栄養士がやってきてどのような味、形状、硬さなら食べられるかを確認するのだ。これにはうかつな回答ができない。白米の炊き具合が自分にとって硬すぎると回答した老人が、その後おかゆと麺類のみとなり、退院したらもうしばらく麺は食べたくない、と嘆いているのが耳に入った。
翌日からしばらくシャワー禁止となるので、シャワーを浴び、念入りに頭を洗う。シャワー室は2つ、予約制で時間は20分。要介護の患者にも対応しているためか、シャワールームがかなり広い。
21時から手術前の絶食が開始となった。ベッドの上に氏名、絶食開始時間、絶飲開始時間を記載された紙がでかでかと掲示されている。
4人部屋は満室で、耳栓をして健やかに寝た。入院するまでの間、何か忘れていないか、準備に手落ちはないかと、落ち着かない緊張状態が長く続いていた。もはや自分にできることは何もない、まな板の上のコイとなり、墜落するように寝た。
早めに寝たため、朝5時に目覚める。起床時間は6時。同室者を起こさないようにトイレに行き、給茶機で水を飲む。6時半から絶飲となるので、最後の水だ。
7時の朝食時間経過後、看護師が各ベッドを巡回し、体温・血圧・血中酸素飽和度を記録する。手術前に移動する、というので荷物をまとめる。
9時半、落ち着かないので早めに手術着に着替え、弾性ストッキングをはく。すぐに看護師がやってきて点滴用の針を腕に刺し、チューブを固定する。更に他の看護師もやってきて、もうすぐ部屋が空きますから!という。前の患者の退院を待っている状態。
10時40分、空きました!と声がかかり、荷物をキャスター付き机にのせ、点滴スタンドとともに、机ごと部屋を移動する。移動先の部屋で、荷物を開け、手術直後に必要となりそうなもの(コップ、水筒、ティッシュ、マスク、タオル等々)を取りやすそうな位置に置く。
10時50分、手術室へ案内するという若い人懐こそうな看護師がやってきて、自分で歩いて移動を開始する。通常のエレベータを使おうとすると、大混雑中だったので、関係者専用のベッドが3台ほど乗りそうな広いエレベータにぽつんと二人だけ乗って手術フロアに移動する。
11時前、手術室の前で待機。緊張状態の患者に何くれとなく同伴の看護師が話しかけてくれる。誰かといる、ということが必要なケアであることが感じられる。手術フロアは、廊下があり得ないほど広い。ベッドに乗せられた患者が廊下のあちらからこちらからと行き交っても全く問題ない広さである。他の手術室から、朝一の手術が終わったと思われる患者が移動式ベッドでガラガラと運ばれていった。
ほとんど時間通りに手術室に招き入れられる。想像していたより3倍は広い。患者は一人なのに不釣り合いに感じる。医療漫画でみるように、ガラス窓の向こうには見学室のようなものもある。ここでベッドに乗る。小柄な私でも幅が狭いと思うベッドなので、体格の良い男性であれば大きくはみ出るだろう。麻酔をする前に、仰向けに寝て少し膝を曲げた態勢で手足が固定される。
手術を担当してくれる看護師や主治医が横たわった私に挨拶をしてくれる。よろしくお願いします。としか言えない。名前は右から左でとても覚えられない。全身が白く覆われ、目の部分しか露出していない看護師たちはやたら目力が強く、いつか見た中東のマッチングアプリの女性がならんだ画像が頭に浮かんだ。
麻酔のマスクが口に当てられると、その次の瞬間には手術が終わっていた。
名前を呼ばれ、終わりましたよ!と声を掛けられ目を開ける。周りを取り囲んだ3、4名の看護師たちに、手を動して、足を動かして、と立て続けに指示される。何か聞きたいかと言われ、今何時かと聞く。13時XX分ですよ(もはや記憶にない)。輸血はしたか、と聞くとしていませんと回答。その後も足を動かしてみたりと確認が続く。とりわけ目力の強い看護師が笑顔で大丈夫ですか、何かききたいことはありますかと聞いてくれる。気管は切りましたか、と尋ねると、笑顔が固まってそれは先生に聞かないとわからないという。え?そうなの?
冷静に考えると、術後の意識レベルの確認をされている患者が聞くことではなかった。しかし、意識が飛ぶようなつまらない会議でも意見を求められたら瞬時に適切な意見を述べる反射神経が鍛えられているので、何かありますか、と聞かれたら、ついつい意味のある質問をしなくては!と反応してしまうのだ。
そこで記憶は途絶え、気が付くと病室にいた。
鼻から酸素チューブが伸び、点滴スタンドから手首に点滴が行われ、首からは透明の管(以下、ドレーン)が出ている。
おそらくは手術から30分経過。意識の確認、体温、血圧、血中酸素飽和度が測られる。
その後、1時間置きにバイタル、痛み、しびれ、麻痺を確認される。痛みは感じないが、口がカラカラだと訴えてもそれは仕方ないとスルーされる。起き上がってはいけない。絶対安静。断続的に睡眠と覚醒を繰り返す。自分で体を動かすことができない。
15時ごろ主治医がベッドサイドにやってきて、気管は切らなかったと教えてくれた。
16時半、看護師がやってきてベッドから起き上がるようにと指示をする。鼻から酸素チューブを抜く。水を口に含んで飲むと、大きくむせる。「むせてますね」すかさずパソコンに記録される。生理食塩水に加え、抗生物質が点滴される。首のドレーンの先はシャンプーを入れるような透明なプラスチック容器で、赤い液体が少したまっていた。点滴スタンドを押して、歩行可能であることを確認する。トイレは自力で行くということだなと理解する。母親と友人にLINEで手術終了、意識回復を連絡する。倒れるように横になるが、自分で体をずらして体位を動かせるようになった。
17時頃、主治医がやってくる。傷口、ドレーンをチェックして「順調ですね」と満足げに帰る。
手術後少しそれこそ10歩ほど歩いただけなのに力尽きて横になっていると、18時すぎに流動食が運ばれてきた。まったくお腹が空いていない。しかし、食べるべきだろうと体を起こす。体に力がない。全くない。エネルギーが完全に切れているのだ。トレイのメニュー票には、重湯、スープ、栄養ジュースの他、手書きで「牛乳」が追加されていた。これは「君なら飲めるよね?」という挑戦なのだろうか。おお、飲んでやろうじゃないか。と気合を入れる。しかし、少し重湯を数口入れるだけで胃が重い。少し食べては横になって休憩をし、時間をかけて食べ続ける。水分ばかりでお腹がちゃぽちゃぽ限界を感じたので、カロリーのありそうなものを優先し、無色透明のスープを半分残し、あとは完食した。食後の痛み止めの服薬を開始する。
19時ごろ、主治医が見慣れない若い女性を伴ってやってきた。研修医だという。退院まで回診などに来るという。いかにも生真面目で肩に力が入っている。よろしくお願いしますと挨拶をする。
しばらくのち、トイレに立ち、ふと病室の入り口にある洗面台の鏡を見て、愕然とする。首の左に手術の傷口があるのかと思えば、首のど真ん中に真っ赤な一文字がひかれていた。やや左が長い。切開痕から更に左へ三センチほどずれたところから透明な管、ドレーンが出ている。透明なボンドで留めてあるので傷口が丸見えなのだ。まるでフランケンシュタインだ。ただ、高さは想定よりかなり低く鎖骨の直上ぐらいであり、襟足の短いハイネックでも十分隠せるだろうというのが慰めだった。
初めて目にする赤い傷跡は、衝撃だった。
夜間、点滴、ドレーンの確認見回りにくる看護師の懐中電灯に何度か起こされるも、十分に眠れた感覚をもって起床時間前に目覚める。明らかに前日の夕方より体力が回復している。
起床時間後、看護師が巡回し入院患者のバイタルチェック、お通じ確認などが行われる。前日濃い紅だったドレーンの液体が、透明なオレンジ色になっている。質問をすると「おー、順調ですね!」と言われる。出血が止まってきたサインだという。プラスティック容器に、本日の日付の印がマジックペンで記載される。メモリがあり何mlたまっているかわかる仕組みになっている。
7時過ぎに朝食がくる。おかゆ、牛乳、バナナ。量が多くないですか? とにかく回復のために気合を入れて食べる。気持ちは完全にフードファイター。
トイレ、給水で廊下を歩くたびにすれ違う人を傷あとでビビらせている気がする。傷口をこれだけさらしている患者が他に見当たらない。しかしドレーンの管が皮膚に張り付けられており、隠すことも難しい状況だ。そもそも見た目を取り繕い、整えようとする気力がない。
9時すぎから、入院患者の診察が始まる。入院フロアにある診察用の部屋に順番に呼ばれる。呼びに来たのが昨日の手術室で会った目力つよつよ看護師だった。診察は初顔の中年男性の医師だった。手術をした三人のうちの一人だろうか、年齢的に主治医の上司だろうと推測する。傷口、ドレーンを念入りに確認し、鼻から内視鏡を入れる。声帯を動かしてチェックをする。「水でむせていたらしいですが、左の声帯が動いていないですね」という。手術で声帯のまわりをひっぱったので、一時的な麻痺で戻る可能性は高いという。
そうか、手術の影響がでているか、と少し落ち込む。声帯機能の低下により、声がかすれる、割れる、嚥下がしづらくなるという事前のリスク説明は確かにあった。
12時すぎに昼食。おかゆ、魚、カボチャ、サラダ、お吸い物とやはり完食するにはかなり気合が必要な量がやってくる。とにかくおかゆの量が多い。
食後、抗生物質の点滴が始まる。これが終われば、生理食塩水の点滴が残っていても点滴は終わりになるという。これだけ食べていれば点滴でエネルギーを補給する必要はないだろう。
大部屋の病室内でトラブルが発生する。80を軽く超えている老女の大切な持ち物が紛失したという。入院期間が長く、別のフロアからの移動もあった。不機嫌で怒りが爆発している老女を4、5人の看護師がなだめながらあらゆる引き出し、荷物を開けてゆく。更に老女の怒りの声が響き渡る。クレームの内容は持ち物から、病院、看護師、訪問看護師、息子、嫁と際限なく広がっていく。
通常であれば、トラブルの現場から遠ざかればよいのだが、ほとんど動く力がない。他の同室者はとっくに出ていった。あきらめの極致で聞くとはなしに聞いていたが、だんだんとこの老女は寂しいのだな、と理解した。一人暮らしで人工肛門で訪問看護を受けていて、普通の会話では相手にしてもらえない。クレームであれば、立場の弱いものが応対せざるを得ない。
15時すぎ、母が見舞いにくる。携帯を指定したのに、手術後病院から携帯ではない家電話に連絡があり、父親が対応したらしい。私が受けるつもりだったのにとぷりぷり怒っている。さらに、数日前家族がけがをして救急車で運ばれていたのだと、新事実を知る。何か色々話したいことが溜まりすぎているようで話が止まらない。座った姿勢で話を聞き、うん、うん、と相槌を打ちながらドレーンを見ると、赤い液体が出てきている。やばいのでは。
更に追い打ちをかけるように診察の案内がやってくる。母を待たせて診察室に行く。またもや初顔の中年女性の医師。手術対応の3人目だろうか。年齢的にこの人も主治医の上司に見える。傷口を確認し、腫れていないですね、と頷く。ドレーンの先のボトルを見て、明日抜くのは無理かな、ちょっと多いなとコメント。ええ、さっきからいけてない気がしていました。
この日手術結果のチェックに来たような中年医師2名と手術室の看護師は、その後会うことはなかった。
とにかく退院するには、ドレーンを抜く必要がある。起き上がると体液が出やすくなる、と理解する。可能な限り横になって過ごすこととする。ベッドに横たわったままドレーンと、声帯についてスマートフォンで調べ続けた。ドレーンがあるためシャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。
今まで頭を占拠していた手術の結果が良好だったため、仕事の心配が始まる。
定例会議の日程、今月の予定、必要な連絡などが頭をぐるぐるする。早く退院しなくてはと焦りだす。
16時過ぎ、主治医が病室にやってくる。再度内視鏡を入れて声帯を見たいという。一時的に麻痺していても三か月ぐらいで大抵は戻るのだが、手術で神経には触らなかったので、状況を確認したいという。おそらく、手術については自信があったのだろう。手術の結果一時的にしろ麻痺が発生した、という判定は不服なのだと思われた。
頻繁に確認されるのだが、不思議なほどに首の手術のあとは痛まない。私は8時間以上寝ると頭の重みで頭痛になる。この24時間で21時間ぐらい横になっているのにまったく頭痛がしない。鎮痛剤ってすごいな、と感心する。
新たに同じ病室入ってきたアラサー女性は、救急車で病院に担ぎ込まれたらしく、平静を装っているが自分の重大な病気をまだ受容できていない。時折上ずる声が痛々しくアラフィフおばさんの胸が痛む。
病室内の空気が重すぎる。看護師がバイタルチェックや食事を運んできたときに、意識して明るく大きな声で「ありがとうございまーす」と返事をする。よどみすぎている空気を軽くしたい。
首都圏ではない政令指定都市在住、独身アラフィフ独居女性の甲状腺がんの治療体験記。
長年のはてなユーザーであるため、がん治療はRTAと知っていました。
恐ろしいほどの長文となってしまったので、お急ぎの方は概要と最後のまとめのみどうぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20251226195323 (3/2)
https://anond.hatelabo.jp/20251226195436 (3/3)
| 日数 | 概要 | 説明 |
|---|---|---|
| 0日目 | しこりの発見 | 内科診療所において、超音波検査でしこりが見つかる。 |
| 2日目 | 紹介状受け取り | 内科診療所にて、がん拠点病院の予約票、紹介状を受け取る。 |
| 3日目 | 生検 | がん拠点病院にて、細胞診検査を受ける。 |
| 17日目 | がん告知 | 生検の結果としてがんの告知を受け、治療方針を決定する。 |
| 19日目 | 手術日決定 | 手術日程を決め、入院の事務手続きを行う。 |
| 24日目 | 手術説明 | キーパーソンとともに、手術内容の説明を受ける。 |
| 32日目 | 手術 | がんを取り除く手術を受ける。<治療開始日> |
| 37日目 | 退院 | 病院から自宅に戻る。 |
| グッズ名 | 概要 | 説明 |
|---|---|---|
| ドライシャンプー | 頭皮と髪に液体をかけふき取る | シャワー禁止期間の頭のかゆみ、フケ対策に。 |
| 耳栓 | 遮音性が高いもの | 大部屋で寝る際に。睡眠の深さで回復力が変わる。 |
| パンツ型ナプキン | 夜用紙パンツ型生理用ナプキン | 使い捨てパンツの代わりに。ドラッグストアで買える。 |
| 貼るカイロ | 使い捨てのカイロ | 冷え性対策。室温は変更不可のため。 |
| 洗濯ばさみ | ベッド柵に挟む大サイズ | 濡れたタオルを干す。ごみ袋をかけるなど。 |
| 魔法瓶水筒 | 400ml入るもの | 給茶機からお湯、冷水を入れてベッドサイドへ持ち込む。 |
| ウォークマン | ノイズキャンセリング機能付き | 気力ゼロで横たわって時間を過ごす際に。 |
内科診療所にて、一か月前に予約した頸動脈の超音波検査(以下、エコー)を受ける。
健康診断の結果、高コレステロールであった。BMI、生活習慣(食事、運動、睡眠)に問題がないため、内科医からは投薬をすすめられたが、ネットの記事で高齢女性の高コレステロールは薬を飲む必要が少ない、心配なら頸動脈エコーで確認をという記事を読んだことがあり、薬を飲みたくないがために動脈硬化が進んでいないことを確認するために頸動脈エコーを希望した。
エコーを行う医師(診療所に定期的に来る)が検査を行っている最中に「甲状腺の検査を受けたことはありますか」と尋ねる。「ありません」と回答。検査を受けながら横目で見る頸動脈は、素人目には狭窄もプラークもなく、そら見たことか、と思っていた。
その後、内科医が診察で「甲状腺にしこり(腫瘍)があるので、大きい病院で検査をしてください。どこが良いですか」と近隣の病院を3、4候補に挙げる。近年、重大な病気疑いが発生し、精密検査で問題なしとなることを繰り返していたので、正直またか、と思った。そのうちの一つに乳がん定期検査に通っていたためそこを希望すると、内科医がその場でネット検索し、耳鼻咽喉科が休診になっているという。そのため、他の候補で自宅から最も近い病院を希望する。まったく知らなかったが、そこは厚生労働省指定の地域がん診療連携拠点病院だった。コレステロールの話はどこかに行った。
内科診療所からがん拠点病院に予約を入れるので、どの日程がよいか悪いかを書いてその日は帰宅する。
内科診療所から予約票と、紹介状の受け取りにくるようにと連絡がある。
紹介状がA3用紙を三つ折りにしたサイズなので怪しいと思いエコーの結果は入っているのかと受付に確認するが、入っていますと頸動脈の薄いプラークの位置が記載された紙を示される。それではないと思うが、面倒なのでそのまま出る。この時点であまり深刻に考えていなかったのだ。
大きな病院の入口で戸惑っていると、還暦を軽く通り越している案内係の男性が「初診ですか」と声をかけてくれて、必要なカウンターに連れて行ってくれた。番号札をとるのもやってくれた。
病棟を長く歩いて耳鼻咽喉科の前で1時間ほど待つ。予約をしていても待つ。診察室に入ると、30代と見える女性の医者から話を聞かれ、やはり紹介状に問題があり、エコーをやり直す必要がある、血液検査も必要と言われた。今日、時間はありますか。あるなら生検までやりましょう、とちゃきちゃき話が進む。この医師が主治医となり最後まで対応をしてくれた。病院中のあらゆる科の患者が集まる検査エリアに送られる。エコーの長い順番待ちと血液検査の結果待ちでさらに2時間経過。ようやく呼ばれた診察室で、画像と血液検査結果を見た医師から今から細胞診検査(生検)を行う旨を告げられる。医師のほか、細胞診検査のためにやってきた担当者二名がエコーをしてモニターを見ながら、二回ほど首に針を刺し、問題のしこりから細胞を取り出した。針の太さのせいか、注射よりはやや痛い。
事前にネットで甲状腺のしこりの大部分は良性である、という知識を仕入れていた私は気軽に医師に尋ねた。「悪性である可能性はどれぐらいなんでしょうか」医師はあっさりと答えた。「うーん、形が悪性らしい感じなんですよね。良性だとつるっとしているんですが、そうじゃないので」確かに画像ではしこりの境界線がぼやけていた。境界のはっきりしたつるっとした形ではない。足がでたキャンサーか。
ここで初めてがんかもしれない、という実感がわく。良性のしこりだと大丈夫だと自分では思っていたのだが、楽観的に過ぎた。いきなり世界が反転する。
細胞診検査の結果は一週間後にわかるが、来週医師が休みなので、二週間後の予約となる。ワークライフバランスは大切だ。がんだとしても、急ぎのものではないのだな、と理解する。病院のあちこちに掲示されている「緩和ケア」「がん支援センター」「がん患者、家族の相談に乗ります」のお知らせがやたらと目についた。
二週間の間に、がんなのだろう、という受容が進んでいた。友人に会うたびに、「なんかさー、がんかもしれないんだよねー」と自分で話をすることで、自分自身が受け入れやすくなっていた。人と話す、ということの大切さを感じた。
会社で孤立無援で追い込まれメンタルをやられていたときに比べると、守秘義務もなく何でも話してしまえるので、心の負荷はましだった。重い抑うつ状態に苦しみ世界から孤立した経験が、今の自分を助けてくれているということに不思議を感じた。あのときに比べれば地獄レベルがまだ浅い。だから平気を装える。「神と和解せよ」とは現実をそのままに受け入れろ、ということだ。
長い待ち時間後に、診察室で医師に細胞診検査の結果「甲状腺の乳頭がん」であることを告げられる。転移していないかを調べるためにCTを、甲状腺機能を確認するための追加の血液検査、尿検査を行うこととなる。
CTの前に説明担当職員からCTについて説明され、同意書にサインを求められる。拒否をする選択肢はないと思う。検査前には、造影剤でおしっこに行きたい気がするかもしれませんが大丈夫ですから、と何回か複数の検査技師に念を押される。確かに造影剤を投与されるとすぐに膀胱が熱くなり、漏らしたか、と焦った。どういう仕組みなのかよくわからない。
2時間ほど経過後、診察室で医師と向き合う。CTの画像からはリンパへの転移は見当たらないため、甲状腺ががんの原発、ステージ1と判定された。甲状腺ホルモン値は正常、他の血液、尿検査値も問題なし。1cm以下であれば経過観察もありうるが、腫瘍の最大径が1.3cmなので、手術で甲状腺を半分切除し、目に見えないがん細胞があるかも知れないのでそれにつながるリンパをとる、という治療方針になる。どこまで切るかはチームで確認する、という。また腫瘍の場所が気管に近いため、浸潤していたら気管もスライスする必要があるかもしれない。これは開けてみないとわからないという。
事前に「国立がん研究センター」の甲状腺がん情報を読み込んでおり、その方針が乳頭がんの標準医療であることを理解していたため、他に方法はとかは特に質問もしなかった。甲状腺がんの種別では乳頭がんが一番おとなしく予後がよいものなので最悪のパターンでなくてよかった、という気持ちだった。
手術で甲状腺を半分切除しがんを取り除く、という治療方針に同意し、次回、手術・入院日程を決めることとする。次回は一週間後にするかと聞かれたが、できるだけ早くと依頼する。
割合に人生の重大事のはずなのだが、あっさり淡々と進んでいく。
血液検査の結果の紙を見ると、コレステロールは基準値内だった。
耳鼻咽喉科で主治医と面談。チームで画像を確認した。左甲状腺につながるリンパはすべてとるのではなく、半分ぐらいとれば良いとなったとのこと。
手術の日程の相談をする。入院期間は約1週間。医師から今月が良いか、来月が良いかと聞かれる。最短で依頼する。まず手術説明をして、その後に入院となる。分厚い手術台帳というものを医師が持ってきてパラパラとめくる。患者に渡す紙以外徹底して電子化している病院なのだが、これは紙の台帳なのか、と不思議に思う。「じゃあ、X/X(二週間後)はどうでしょうか」「ではそれでお願いします」。手術説明を次週に行い、手術はその次の週となった。
薬の説明部署で、服用している薬がないか、アレルギー、お薬手帳などの確認、問診、入院中に持参する薬など厳しいチェックが行われる。
入院説明部署で、入院生活の心得のビデオ視聴、レンタル品申込書や同意書、キーパーソン・親族・連絡先の記入。日頃の生活状況のアンケート、退院後の生活支援の要否、がん患者向けの就労支援の要否など確認、書類への署名が続く。特養や老人ホーム、介護事業者のパンフレットが地域別にずらりと用意されている。自覚症状のないステージ1、5年生存率95%である種別のがん患者には特に支援の必要はなかった。
入院部屋タイプは第二希望まで記載するようにとされていたが、最も安い大部屋のみの希望とする。差額ベッド代の問題をうっすらと知っていたのだ。これが後で効いてくる。
心電図、レントゲン検査を行い、耳鼻咽喉科の診察室で順番を待つ。キーパーソンとなる家族、近隣に住んでいる後期高齢者の母親に同伴してもらった。これまでの診察は午前だった。この日は午後。診察室の前で待っている人は格段に少ない。みんな手術説明対象者だろうか。
一人で来ている老人、老夫婦、そして私と母親と年齢層が高い中、一組だけ若い家族がいた。30ほどの女性と小学生低学年の子供、幼稚園児らしき子供、そして会社から直行したようなスーツ姿の30代らしき男性。小さな子は退屈しきっている。子供の病気はつらいな、とアラフィフの胸が痛む。
1時間ほど待機したあと、診察室に呼ばれる。母を紹介し、主治医の説明が始まる。
これで手術に必要な検査はすべて実施済みとなったとのこと。結果は特に問題ないという。前回の血液・尿検査結果もすべて基準値内だった。がんがあることのぞけばまったくの健康体である。
机の上のモニタにエコー画像を表示しながら、これが気管で、これが甲状腺でここに腫瘍が、と主治医が私と母に説明をする。
「……左ですよね」
お互いに左の首に手を置いて、うなづきあう。
手術でまれに起こる危険性の説明がある。首の反回神経が近いため、声帯麻痺の可能性、副甲状腺が損傷してしびれ、麻痺の可能性の説明がある。同意書を渡され、入院時に持参を依頼される。
手術は2時間から3時間かかり全身麻酔となる。終わったらキーパーソンに電話をする、自宅の電話番号でよいかと聞かれ、携帯電話の番号でと依頼する。可能性は低いが出血が多かったら輸血をするので、同意書に署名をしておいてほしいと言われる。手術の開始時間はまだ未定だという。
先生が執刀してくれるのですかと主治医に確認すると、他の先生もいて3人でやるとのこと。よろしくお願いしますと目を見て気持ちを込めてお願いし、頭を下げる。頼むよ、先生。うまくやってね!と祈る。医者にとっては毎週のように行う手術だろうが、患者には一生に一度かもしれない重大事なのだ。患者としてはお願いするしかない。
麻酔科に回される。全身麻酔をした際に、まれに起こる危険性についての大変に事務的な説明があり、同意書を渡される。入院時に持参するようにと言われ、「先生が麻酔をしてくれるのですか」と聞く。「んー、まだ担当は決まってはいませんねー」「……そうですか」ファンシーなタンブラーが机に置かれ、ペンも軸がカラフルで、なかなかにふてぶてしいねーちゃん先生だった。
入院病棟で手術の流れの説明ビデオの視聴後、看護師と面談をする。入院生活上の注意、服用している薬やアレルギーの確認、心配事がないか、と聞かれる。とにかく全身保湿をして肌のコンディションを整えてくるようにと注意を受ける。売店にヒルドイドも売ってる、なんなら買って帰れという。病棟、乾燥しすぎだろう。風邪をひいたり、インフルエンザ、コロナウィルスに感染したら入院・手術は延期、手続きはすべてやり直しになる、と警告を受ける。それは避けたいので、万全の体調管理に努めると誓う。
しばらくは行けなくなるであろう美容院で髪を切り、入院グッズなどを用意する日々の中、夜、ベッドで横になったとき、突然エコー画像を思い出し「がんがあるのは右甲状腺では?! 医療事故になるのでは?!」と飛び起きる。画像中の気管と甲状腺の位置から右甲状腺に腫瘍があるように思えた。とにかく寝なくてはと横になりつつ、病院に電話して確認するべきかなど考える。不安で胸がドキドキする。
しばらくしてふと、細胞診検査で左の首に針を刺したことを思い出した。
あ、左だった。左だったよね?!
朝起きてから、Geminiに聞く。エコー画像は左右が逆に見えるので左甲状腺でしょう。と回答を得て安堵する。画像の端に「L」か「R」の文字はありませんでしたかと聞かれ、見ていなかったなと反省する。
職場は家じゃねーんで、そういうのは家でやってくんない??
自分の思い通りに行かないような量の仕事が溜まってたりするとイライラして物に当たったり人に当たったりするタイプの人間が職場にいるんだが(一人は還暦過ぎた女性のパートさん、一人はアラフィフ独身こどおじ。基本的にどっちも性格悪いというか文句が多くて友達いなそう)、よくよく聞いてみると、「人間なんだからイライラしたら機嫌が悪くなるのは当たり前」って考えなんだよね
いや待てと
そもそもお前ら、なんで忙しい時にイライラしてるのが自分だけだと思ってんの?
みんなピリピリしてるけど表に出さないだけだよ、大人なんだから
身近で見てて思ったけど、こういう人たち、基本的に『自分以外の人間は雑で適当な事ばかりやってる』『そのせいで自分は割を食わされてるから八つ当たりする権利がある』と思ってんだよね
いやいやいや、自己評価高すぎだし、他人の状況に対する想像力なさすぎなのでは
みんな忙しい中できる事やってるのよ
そしてお前が他人に文句を付けるのを我慢しない一方、お前に対する十倍の文句をみんな飲み込んでるわけよ
家じゃねえから
家族にはギリギリそういうわがままも許されるかもしれないが、周囲の他人にまでそれを要求するのはモンスターなのよ
気付いてくれ、『俺/あたしがいなきゃこの職場回らないんだから!』と言うお前らは、八つ当たりしても黙ってスルーしてくれる周りに甘えている側だということを
自分で言うのも何だけど周りからも運転技術、マナーに定評がある。
結果としては事故にはならなかった。
というか踏み間違いは起こっていなかった。
にも関わらず、車が想定と違う挙動をしたとき、自分の行動が正しいはずだという考えを改めることができなかったことがとても恐ろしく感じてしまった。
いつもは知っている社員数名とその時のゲストを拾って行くのだが、色々と偶然が重なってほとんど喋ったことのない別の会社のオーナーさんだけを乗せていくことになった。
ただでさえ人見知りな上に、この人に何かあった日には取引にも大きく影響があると、嫌でも緊張を強いられる運転だった。
それでも高速道路をスムーズに危なげなく抜け、ゴルフ場直前のコンビニに寄ろうとしたときのことだ。
郊外特有の広い駐車場で、入口に近い駐車位置にバックで入れるために車を転回させた。
いつも通りミラーとモニターを交互に見ながらブレーキとアクセルを交互に操作して、さぁ、あとはまっすぐ下がるだけという状況になった。
車止めにぶつかる衝撃が起こらないように、ブレーキを甘く踏む。
その時だった。
自分の操作とは反するように、車が突然後ろ向きに加速したような気がした。
おかしいと思いブレーキを緩めて踏み直してみたが、車は一向に下がることを止めないように感じた。
そのたった一瞬で軽いパニックになり、そのままブレーキを強く踏み込んでしまった。
頭の中では、自分は正しい操作をしているのだからそれで止まらないのは踏み込みが足りないか車の不具合が起きているに違いないとしか考えることができなかった。
もしこれが踏み間違いなら後ろ向きで店に突っ込んでしまうかもしれない。そう思って全身に力が入ったのはその後のことだった。
ブレーキを踏んだのに後ろに加速したと感じた理由は、左隣の車がちょうど出発したからだった。
左隣の車両は少し小さめのトラックで、こちらがちょうど駐車場に収まると同時くらいに出発した。
左側のミラーで縦方向の収まりを確認しようとしていたときに、風景が前方向に流れたために車が下がっていると勘違いしてしまったのだ。
これ自体は本当に大したことのない話であって、別に読む人を騙したかったわけではない。
しかし怖いのは、そうして車が加速し始めていると感じたにもかかわらず、自らが行っている行動=ブレーキを踏むということを一ミリも間違っているとは考えずにブレーキを強く踏み込んでしまうことだった。
とてもではないが、この数秒間でブレーキとアクセル操作を間違っているかもしれないとは思えなかった。
車が自分の意に反して動いていると感じたとき、人はまずその車を止めようとする。
そして、止めようとする手段とはブレーキを踏むことであって、ペダルを踏んでも止まらないからと言ってそれがブレーキではないという考えには至ることができなかった。
ブレーキを踏んでも止まらないなら、ブレーキが効かなかったかもしれないと何度も踏んだり強く踏もうとしてしまうのだ。
今まで踏み間違いのニュースを見てきて、動き出したなら踏んでいるのはアクセルなんだから踏み直せばいいだなんて簡単に考えていたが、とてもじゃないがそんな余裕はなかった。
車という大きな物体が、自分の意とは反してた動きをしただけでパニックになるのだ。
相手が機械だから、機械が誤動作していると決めつけてしまうのだ。
その結果、正しいと思っている自分の行動の延長線にあることをより力強く行ってしまうのだ。
実際に自分の体で体験してみてはじめて感じることのできた恐怖だった。
今回は実際にブレーキを踏んでいたから何事もなかったが、これがもし、ブレーキだと信じてアクセルを踏んでいた場合はどうだっただろうか。
それを考えると、踏み間違い事故が急に身近なものに感じられてしまった。
この辺りの心のメカニズムを擬似体験できればもしかしたら踏み間違い事故減少のヒントになったりしないだろうか。
想定するフィードバックが得られなかったときの人間の行動をパターン化してみたりすると何かが得られそうな気がしないでもない。