『42年続いた「水戸黄門」としての半沢直樹』
『やられたらやり返す。倍返しだ』の決め台詞が大フィーバーしたドラマ半沢直樹ですが、内容的には実にシンプルで分かりやすい。
勧善懲悪の見本のような水戸黄門と、ストーリーの土台部分がそっくりなのです。
ちなみにTVドラマ水戸黄門は日本の高度成長期の1969年から3・11福島第一原発事故から半年後の2011年12月に終わるまで、42年間も続いていた人気番組で常に高視聴率を誇っていた。
日本が光り輝いていた時代を象徴する水戸黄門と同じで、ドラマ『半沢直樹』では何が『守るべき正義』で、何が『懲らしめる悪か』について、子供から大人まで誰が見てもわかるように描かれている。
物事の善悪や正誤の判断は見ている者がするのではない。すでに『正しい答え』が提示されているのである。
その上、正義を実行する(危険を冒す)のも自分じゃなく半沢(水戸黄門)なので、気持ちをドラマ主人公に入れ込むだけで良く、至極簡単でラクチン。『安全・安心。心配ない』のである。
現実社会では逆に自分で判断し実行するしかないが、善悪や正誤が複雑怪奇で実に判りにくいし、そもそも入試のペーパーテストのように『正解』が決まっているとは限らない。
しかも、此処が肝心なのだが成功時の成果だけでなく、手痛い失敗も甘受しなければならない。
『謝罪と懲罰がセットになっている国際基準の違和感』
銀行に限らず一般のサラリーマン社会では、上司の無法を告発するなど普通は行わないし、ましてや半沢直樹のように倍返し(懲罰、報復)するなど夢物語である。
そもそも謝罪した相手に対して懲罰を与えるとのグローバルスタンダードは日本では行わないのが普通である。
世界基準では罪と罰はセットであり、謝罪すれば当然『責任』を問われるのです。
謝罪と賠償は二つで一つになっているので、従軍慰安婦問題で日本政府が謝罪すれば自動的に賠償も行われると思われて当然なのです。
(アメリカの日系人強制収容は国家賠償だったので成功し、日本では金額面や内容的には同じなのに民間基金名目だったので失敗した)
世界基準とは違い、我が日本国では自分の罪を認めて許しを請う『謝罪』とセットになっているのは『罰』ではなくて通常は『ゆるし』(赦免)である。
だから日本人は(自分に非が有るか無いかには無関係に「礼儀」として)怒っている相手には簡単に謝罪する。
ところが外国人では色々言い訳をするが(自分に明らかな非があっても)逆に絶対に謝らないのである。
『水戸黄門のうそとまこと』
10月16日の東京新聞によると、幕末動乱期に国事殉難者として靖国神社に合祀された人々(祭神)の数は2900人で大部分は戊辰戦争の官軍側戦死者なのですが長州藩は700人超。これに比べて2倍、全戦死者数の5割以上の1460人は水戸藩出身者で、さらにその5割が農民や商工業者などの『平民』身分(長州の騎兵隊のような農兵)だった。
戊辰戦争の官軍の正体は薩長連合軍ではなくて、主体は徳川幕府の御三家の一つの水戸藩だったとは驚きである。
水戸藩といえば尊皇攘夷の原理主義である水戸国学の本拠地であり幕府の大老井伊直弼を暗殺したのも水戸藩浪士だった。
ドラマ水戸黄門では全国行脚して善政を施すが、実際の水戸藩は日本一過酷な年貢を取り立てていて不平不満など逆らう農民は全て撫で斬りにする最も残酷な政治を行っていたのである。
水戸藩は尾張藩や紀州藩に比べて格段に石高が低かったが御三家として同等の格式に拘って無理をした分、農民に皺寄せが行って年貢が高くなる。
しかも水戸藩だけは藩主とか側近の上級武士は参勤交代を免除され江戸住まいだった。藩主が一生涯お国入りしない。
日本中で水戸家だけは完全な不在地主だったので地元民無視の無慈悲な暴政を行うことが出来たのである。
人間の性として自分の行為によって苦しむ相手の顔を直接見ないで済む分、余計に残酷になれるのである。
ドラマの水戸光圀のイメージと、実際の水戸藩とは180度逆さまなのです。
『何故か主人公が成長しないあまちゃん』
今までのNHK朝ドラの主人公とは『カーネーション』に代表されるように常に向上心があり、成長を続けるのである。
ところが今回の『あまちゃん』だけは唯一の例外で、主人公も周りの人々も不完全なのに何故か成長していない。
ヒロインが歳をとらないのである。
その意味では毎回同じだった水戸黄門と同じ様に『変わらないことの安心感』を視聴者に与えたのであろう。
誰でも自分が慣れ親しんだ日本と言う社会とか環境、身近な家族や生活が今までどうりで少しも変わらず、『不変である』と信じたいのですよ。
自分の周りが、突然見知らぬ世界に変化しているなど、想像するだけでも恐ろしい。
『半沢が水戸黄門なら、あまちゃんはサザエさん』
長谷川町子原作の『サザエさん』の漫画本は日本敗戦の半年後。1946年の4月から始まっているが主人公は絶対に成長しない。歳をとらないのである。
三陸の海産物が風評被害で売れないとNHKのドラマの中で『あまちゃん』が言うが甘チャンにも程がある大嘘である。
津波被害で売れないのではない。
風評被害の中身とは、NHKは絶対に言わないが放射能被害での現実の深刻過ぎる危険な汚染への心配なのです。
福島第一原発事故から放出された放射能は、ドラマの舞台となった岩手県内でも年間1ミリシーベルト以上の汚染地域が広がっている。
『今までと変わらない』とのコンセプトでは、朝ドラの中止は当然な結果だった。
福島第一原発事故の2年後の2013年4月から9月までの5ヶ月間の短期間だけ放送されるが、人気絶頂なのに何故か唐突に打ち切られる。
67年前から始まって永久に終わらない『サザエさん』とは大違いなのです。
この部分だけは態度が正反対なのであるが、ドラマ『あまちゃん』を無理に続ければ、『現実との乖離』は決定的にならざるを得ない。
『放送打ち切り』決定は、仕方が無い成り行きなのです。
今まで我々が長年慣れ親しんだ、正しい答えがある『安全・安心。心配ない』日本社会は既に失われ、永久に帰ってこないのである。
今後の日本の行方ですが、もうすでに世界全体が誰も経験していない『危険で不安。予測不能』な未知の領域に入っているのです。
ところが、目の前の客観的事実が恐ろしすぎるので絶対に認めたくない。
多くの人々は世界の根本が変わる恐怖には、耐えられないのである。
『共産党化する自民党』
25年ほど昔の自民党ですが、共産党のような組織政党ではなくて個人政党と言うか、極右から護憲リベラルまでの幅広い個人個人が別々の意見を持っている政党だったのです。
党本部が原発推進でも自分が脱原発なら『党が割れる』などは無頓着で、堂々と独自の主張して譲らないのが、昔の自民党政治家だったので日本では圧倒的な多数の支持を得ていた。
ところが小泉郵政選挙では、反対派の現職自民党議員に対して非公認にするばかりか、刺客まで送って当選を阻んだのですが、これでは丸っきり自民党の共産党化現象である。
組織政党でない自民党の共産党化を可能にしたのは、20年前の小沢一郎の偽政治改革での小選挙区制の党公認権と政治資金の政党助成金による締め付け。
これで自民党が今のように(組織政党である共産党のような)党議拘束が可能になったのです。
世の中全体が病的に右傾化して、今では安倍自民党は保守政党ではなくて極右政党に様変わりして仕舞う。
結果的に加藤紘一や野中広務、古賀誠など元自民党幹事長経験者(元々の保守)の居場所が無くなって、何と天敵だった共産党機関紙の赤旗で発言する驚天動地の異常事態まで起きている。
自民党は1955年の保守合同以来同じ名前だが、大事な中身は完全に入れ替わっていてまったくの『別物』である。
自民党が変わっただけでは無い。
肝心の日本自体が、丸々『別物』に変わって仕舞った。
以前と見かけだけが『同じ』だがまったく別物の自民党.
それと同じで、人々が今まで良く知っていると思っていた世の中が、今では土台ごとすっかり変わっているのです。
『自民党化する共産党』
『黄泉の国から』ブログから『1955年以来共産党は不変の裏切り行為を続けている!』との記事をTB頂いたのですが、『裏切り』なら共産党よりも55年体制から脱却できずに消滅寸前の社民党(旧社会党)と書くべきですね。
記事の趣旨とは整合性が無く、何で突然共産党が出てくるのか不明。若かった昔に民青に苛められたトラウマから未だに一歩も抜け出せないとは情けない。
若者が極左などの恥ずかしい行動に走るのは一面では仕方がない。子供時代に誰でも一つや二つは恥ずかしいバカなことをしているものです。
しかし阿呆を繰り返す子供達も心の中では、『大人になったらまともになるんだ』の希望がある。
そんなお馬鹿連中の心にある希望を、こなごなに打ち砕くと言える、
『バカはいくつになってもバカなんだよーん、お前らは大人になっても賢くはなれないんだよーん。ほーら実例がここにある』的な発言は厳に謹んで頂きたい。
日本ですが、ジョージ・ソロスが言うように『25年間も穏やかに死につつある』が、実は日本共産党も同じだった。
以前は選挙の度に倍々ゲームで必ず勝っていたのですが、25年前からは穏やかに死につつあった。1955年時点の共産党と今の共産党が同じなど、勘違いもはなはだしい。
昔の共産党は世間の空気とは無関係に、死に掛かっているヒロヒト天皇の戦争責任キャンペーンを行うような政党だった。
ところが、今の共産党は25年前とは180度様変わりしていて、世間の空気を読むことを優先する穏健な保守政党に変化している。
今まで良く知っていると思っていた共産党が見かけや名前は以前とまったく同じなのですが、中身が正反対に変わっているのである。
『今まで絶対的だった権力や権威が突然崩壊する恐怖』
『日本社会の土台部分』が全層崩壊する未曾有の恐怖。
今の日本ですが、1945年8月15日の少し前に酷似していて、少しも違いが無い。
中卒(高校中退)の山本太郎以外の自民党から共産党までの全国会議員が挙国一致の大政翼賛会状態なのである。
福島第一原発事故から9年後の最悪の2020年に東京で何ごとも無くオリンピックが開催されるなど有り得ない。
『放射能でお・も・て・な・し』など、到底笑えない悪質なブラックジョークである。
今日本中が『挙国一致』『一億一心』で目の前の放射能汚染の現実を忘れて浮かれ騒ぐが、薄々は全員が日本の悲惨な敗北(崩壊)に気が付いている。
実は全員が悲惨な現実(迫り来る無条件降伏)を一時でも良いから忘れたいのです。
だから山本太郎以外の全員が必死になって、目の前の日本の現状を否定する。
『77年で寿命が尽きた大日本帝国。68年で崩壊寸前の日本国』
260年続いた江戸幕府が崩壊した明治維新と、同じく77年間続いた大日本帝国が崩壊した敗戦と同じ様な『前例がない特殊な事柄』(未曾有の大変革)が、実はもうすでに2011年3月11日の日本に起きていた。
ところが、人々は社会の根本が崩壊している事実に『未だ気がついていない』ふりを何故かしているのですから不気味である。
いま日本人全員が、地獄の釜の蓋の上で踊っている状態なのである。
荘子の無用の用のパラドックスと言うかフロイトの無意識の意識(本音)と言うか、以前に自分の書いた記事を読み返してみたら、何と、大日本帝国が『90年続いた』と間違って以前の『逝きし世の面影』ブログ記事に書いてあるのを見つける。
大日本帝国は1868年から1945年までですから77年間である。
計算上絶対に90年にはならない。
簡単な小学校の算数を間違えた原因ですが、1922年創設の日本共産党の歴史と、大日本帝国の崩壊との別々の二つが(頭の中で無意識の内に)『絶対的権威の突然の崩壊』と言う同一のカテゴリーの中にあるので、混同していたらしいのですよ。なんとも恐ろしい話である。
関連記事
4年前の「政権選択選挙」の挫折、今回はもっと重い「体制選択」の選挙
2013年07月23日 | 政治
「ありのままの自分を受け入れて欲しい」
「今のままの君で居てほしい」
という具合の、現状肯定・自己不変の世界観なのでしょうか。
ライトノベル(若者向け萌え小説)やアニメでも、ヘタレで根暗な主人公がクラスの女子からモテまくるハーレム作品がヒット。
これは私の主観ですが、主人公が積極的に人生を切り開くのでは無く、周りが用意してくれる、そんな作品が増えたと思います。
(もし違ったらごめんなさい。)
終身雇用の崩壊や、非正規雇用の増大で自尊心が保てなく成った人が増えたのでしょうか。
ネット上で韓国中国に激昂してる謎の怒れる人々といい、社会全体がプライドと自己愛ばかりが高い「思春期」のような気がします。国としては死にかけの老人ですが。
何時もの『逝きし世の面影』ブログの返答コメントは必ず倍返し、とんでもなく長いのですが、ところが今回は投稿コメントが秀逸すぎて付け加えることが無く『まったく、その通りですね。』と極端に短い。
あえて何かを付け加えるとすれば、『あまちゃん』の場合には、ドラマの内容よりも、5ヶ月間短期間で2013年9月28日に終わったことが、多分一番意味があるのですよ。終わった時期が一番の問題なのです。
去年9月に一人目の小児甲状腺がんが発症。
二ヵ月後に二人目が発症して野田佳彦が自爆解散する。
安倍晋三に代わった今年2月には10人が発症。
6月発表に続きて8月の時点では44人ですよ。
そして今は10月も終わりなので、福島県検討委による6回目の発表が直近に予定されている筈なのです。
今までは挙国一致の大本営発表の嘘八百で隠し通して来たが、もうそろそろ限界に近い。
いま、日本全体の崩壊が目の前に迫りつつあります。
今の日本全体が制度疲労を起こしているのは誰の目にも明らかですよ。
昔の大日本帝国は77年で崩壊し、今の日本国は68年で寸前で辛うじて踏み止まっているが矢張り近い将来の崩壊は避けれないでしょう。
歴史とは過酷で例え民主主義と言えど、根本的な制度疲労を起こした場合には天地返しが必要なのです。
日本人は敗戦で酷い目に合ったので、戦争に負ける恐ろしさを身にしみて知っている。平和の大切さを知っているがが、
対照的に自国が戦場になったのが150年前の南北戦争のアメリカでは、未だに気が付かない。
似た例では欧州では例外的にスイスだけは250年間戦争をしていないので、当たり前ですが敗戦を経験していない。
スイスがサウジアラビアなどのイスラム圏の保守的な王国を除けば最後まで婦人参政権を認めなかった不思議の国だったように、実は欧州唯一の公的医療保険が無い国家なのですね。
小国なので超大国アメリカのように軍事侵攻をしないが国民皆兵で普通の家庭にまで武器が溢れている。スイスとかアメリカの問題点の原因ですが、敗戦していないので天地返しが行われず、古い昔の悪い部分が丸々残っているのです。
アメリカとかスイスですが天地返しが必要なのです。敗戦ですが、実は最悪ではなくて進歩の上では一番大事な事柄かも知れ無いのですよ。
1950年代の話ですが、『もう一回戦争が起きたら、今度は騙されずに上手く立ち回って、大金持ちになるのだ』と言う困った大人が大勢いたのですね。
敗戦とは、今までの絶対的な権威や正義や常識が突然180度逆の極悪に変わることなのですよ。
今までの経験や知識が、少しも役に立たないのです。
歴史は繰り返すが、同じ歴史は二度と繰り返さないのです。