はてなキーワード: 狭軌とは
京王電鉄の新宿西口再開発が未定になってしまったというニュース。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.watch.impress.co.jp/docs/news/2002365.html
ただ、この中心となる京王デパートの土地、そして南街区の一部というのは実は京王電鉄は購入してないのだ。デパートの下には京王線の駅があるんだが元々京王電鉄の駅はここじゃなかったのだ。購入してないのに所有権が移転したのでありますな。そして元々この土地を地上げして権利を得ていたのは実は東急の後藤慶太なのだ。
この棚ボタ土地ゲットには実は戦争が絡んでいるのだ。具体的には戦時統制と敗戦後の占領政策が関係している。
そこをさらっと紹介したいと思う。
明治以降、帝都東京府東京市には様々な鉄道会社が立ち上がり路線を伸ばしていった。そのうち、買収合併を繰り返して「路線網」を形成する会社が出来ていった。城東の東武鉄道、京成電鉄、城西の西武鉄道、目黒蒲田電鉄(後の東京急行)の4つ。
今では鉄道会社はお固い業種だが、当時はそういう訳でもなかった。というか、西武の堤(ピストル堤)、後の東急の後藤慶太(強盗慶太)はかなりヤクザっぽい。手口もそうだし堤はスーツもヤクザで見るからになのだ。一方、東武鉄道の社主、根津嘉一郎は日中の古美術品を収集する文化人で派手を嫌い茶人。美味しんぼに出てくるような文化的素養が高い経営者だ。
ビックカメラの歌が戦前に有ったら「不思議な不思議な電気鉄道、東が文化人で西ヤクザ」と言った処か。
東京西側のうち、中央線の北側は田舎で畑だらけ、人口密度も低かった。一方南側は都市化が進んでいて人口も多く、横浜などの人口が多い京浜地区にも近い。その為に中央線南側には沢山の鉄道会社の路線が引かれることになった。
日中戦争が激しくなると共にナチスドイツ、イタリアと枢軸を形成すると、統制経済に移行する。鉄道の場合、インフラなので資源の効率化と経営の安定の為の資本の強化策として陸上交通事業調整法が施行される事になった。これはバス鉄道会社を有無を言わさず大資本に吸収させるというものだ。東京の場合は、先の東武、京成、西武、東急に全部合併させる。
この時に沢山あった中央線より南の私鉄はほぼ全部東急となったのであった。いわゆる大東急である。
具体的には、帝都電鉄(井の頭線)、京王電鉄、小田急、現東急線(東横線、池上線、目蒲線、大井町線)、京浜急行が全部東急。
因みに、地下鉄銀座線の渋谷~新橋も東急が所有していたが、こっちは同法によって出来た帝都高速度交通営団に取られてしまった。
京王線だが、元は始発駅は新宿西口ではなかった。もっと繁華街に近い「新宿追分駅」が始発だったのだ。
https://maps.app.goo.gl/vR4k78vXPLoueEK99 (ビルの上にKEIOの社紋)
https://maps.app.goo.gl/hnwYN9uwZT783SuH9
にかけてが京王線始発駅だったのである。このビルにもKEIOの社紋があるのが分かるだろう。この二つは京王の所有なのだな。
で、この駅を出た電車はなんと甲州街道の真ん中に躍り出て、道路の真ん中を走っていた。陸橋を登って新宿南口の前の駅(殆ど電停だが)で停まり、坂を下ってそのまま甲州街道の真ん中を走り、文化服飾学園の前で専用の線路に入る。
https://tks-departure.sakura.ne.jp/keio-shinjuku.html
電車が道路から駅に入る写真があるが、今のこの場所がIKEAなのだから驚きだ。
戦争末期、東京を焼き尽くすB29が現れるようになると初台にあった変電所も被災してしまう。すると変電所から新宿までが遠くなり、電圧が落ちてしまい新宿南口の甲州街道陸橋を電車が登れなくなってしまった。
仕方ないので客が全部降りて陸橋の上まで空で走りまた乗ったり、それでも登れないので客が電車を押したりと危ない事をやっていたらしい。
結局モームリって事で、坂の下で運転を打ち切る様にしたが、路上で切符の販売とかどうすんだって話でもあるし、転轍機がある駅まで複線を逆走する事になるしで無理もいいところだ。当時京王線を所有していた東急は困ってしまった。
ところがこれには決定的な解決策があったのだ。
国策で一気に城西地区の鉄道王になってしまった後藤慶太と東急だが、ターミナル駅が散らばっているのが気になる。元京浜急行:品川、元東急と井の頭線:渋谷、元東急:目黒、五反田、小田急と京王:新宿だ。
官営鉄道が線路幅1,067mmの狭軌を採用したのでこの線路幅が日本の標準になっていた。
大東急が所有する中で、京浜急行と京王はこれよりも広い線路幅であるので互換性が無い。でもその他の路線は日本標準の線路幅なので乗り入れが可能だ。
であれば、共に幹線の東横線と小田急線を乗り入れで連絡したい。しかも新宿駅西口の改良計画がある。
って事で、東横線中目黒から分岐して小田急線代々木八幡駅付近で合流する線路の計画を立てた。この区間には現在山手通りがあるが、途中まで川筋があるので高低差が少なく、トンネルを掘る量が少なくて済む。
そこでまずは参宮橋駅付近から新宿駅までの小田急線線路脇の土地を地上げでゲット。ここは複々線化用地である。現在でもこの区間は線路脇に空き地が残っている。
ところが…
戦況が芳しくない。経済もどんどん窮乏してくる。戦争に取られて物資も労働力も無い。これでは工事どころではない。
だからこれら用地は新宿付近で押さえただけで放置されたままになってしまった。
そこに起きたのが先の空襲による京王線陸橋登れない事件である。
東横線新宿駅用地は折り返し地点になった陸橋下交差点のすぐそばだ。だったらそこに駅を臨時で作ってしまえば!?
ってことで、東横線工事も進捗できないどころか戦争に負けそうな状態で最早それどころではない、だったら東横線新宿駅は諦めて臨時の駅を造り、交差点で急カーブさせてそこを終点にすればいい。交差点から追分駅までは廃止。
という事で、東急が押さえた土地に駅を作ってそこが終点になった。勿論工事をやったのも東急だ。だってその時は京王線は東急だったのだから。
空から現地を見てもらうと判り易い。
https://maps.app.goo.gl/9e6JNhFXD5Zt7Git8
京王デパートの下が今の京王線新宿駅だ。西新宿1丁目交差点から急カーブで入っていたのだね。
そして京王デパートから小田急線の踏切(地下に大江戸線が走る)までの区間の小田急線路寄りも東急が地上げで押さえた土地だ。
戦後にここは売りに出されて、国鉄が取得→国鉄本社→JR東本社という経緯を経ている。
日本は戦争に負けてGHQに占領された。戦中に合併した資本はファシズムを支えたものであるから解体されることになる。
過度経済力集中排除法が施行されて財閥は解体された。
後藤慶太も公職追放され、大東急も解体される事が目に見えていた。
そこで後藤は株主総会で大東急分社化を提案し自ら解体する事を選んだ。
こうして京王、小田急、東急、京浜急行の4つに分かれる今の形になったのである。
ところで井の頭線は京王が所有する事になった。ところが、井の頭線は元は帝都電鉄という私鉄で、それが小田急に買収→東急と来て何故か京王に付いて来てしまった。
戦争が終わって合併解除されたら、新宿駅にターミナルが出来てるし、新宿三丁目の繁華街に元の駅の土地が残ってるし、井の頭線も付いてきてる。なんかやたら京王だけ有利な条件で棚ボタが多すぎるんでありますな。
甲州街道の真ん中を大きい電車が走るという光景は1963年まで見られた。http://jorctk.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9299.html
駅は63年に地下化されたが、この上にデパートを建てる事が出来た。無償で得た土地の大活用である。
https://maps.app.goo.gl/QxcauHLWBichSbEr6
これは何かと言うと、京王線のトンネルの上に建っていたのだ。というか、トンネルと躯体が一体化していた。勿論所有者は京王電鉄である。(最初は地権者は別で地上権設定だったのを後に所有権を買い取った)
今は再開発の為に解体されてなくなっているが、上から見たら京王線のトンネルが見えるんだろうか?上から見る機会が無いので不明だが興味津々である。
ここの葵通りという道路。
https://maps.app.goo.gl/F6jK1GiTz9zGc1iA7
実はこの下には玉川上水が通っている。とすると、この突き当りにあるビルの下も上水なわけで、このビルの場所は2000年頃まで建物が建っていなかった。上水設備=東京都水道局管理地なので建てられなかったのだ。
では今は誰がこの土地を取得していたの?となるが、実はこのビルの所有者は東京都なのであった。
京王線新宿追分駅跡のIKEAの甲州街道反対側に新宿4丁目地区があるが、この一帯には安ホテルが数件ある。
実はここは元はドヤ街で、日雇い労働者向けの簡易宿泊所が密集していた。宿泊費は今の物価なら800~1200円ほど。
その後日本が豊かになって廃れ、一部は安ビジネスホテルとなって生き残った。新宿駅徒歩数分、三丁目から1分という好立地で一泊5000円程で泊まれる超絶穴場だが、どこも余りにもやる気が無く、営業してるかよく分らんところばかりなのである。実に勿体ない。だから宿泊の穴場と云うよりインバウンド客向けB&Bやホステル経営物件をゲットできる穴場と言えるかも。
鉄道史研究家の原田勝正氏によれば、維新政府の新橋横浜間鉄道開設の目的は、経済的実用性でも軍事的実用性でもなく、
1.「日本は鉄道を走らせる国力があるんだぞ」と列強にアピールして、不平等条約の改訂に繋げたい、
2.国内保守派に陸蒸気を見せ付けて、科学技術の凄さを肌感覚で判らせたかった。
なので、「とにかく陸蒸気が走りさえずれば」、乗客ガラガラでも、経済的にペイしなくても、
目的の大半は達せられる、ということになる。
走りさえずればよかったから、国際標準軌じゃなく狭軌で良かった、となる。
「2位じゃダメなんですか?」と問いかけるのは、維新政府に「馬車鉄道じゃダメなんですか?」と問うようなものだったんだろう。
アメリカのアポロ計画なんかは、まさに「国力、科学力の壮大な可視化」。
科学がよく判らない人でも、「月に人類が行った」と聞けば、「何かワカランけど、兎に角スゴイ」となる。
「総合的な科学技術力を一般人に可視化させる装置が不足」しているのでは?
個人が科学力を見て回るには、大学研究室を巡回したり、つくばを巡回したり、ビッグサイトを巡回したり、
手間ヒマかかるし、そもそも科学リテラシーが不可欠となる。
そう考えていくと、昔むかし、Win3.1(Win16)→WinNT/95(Win32)移行時や、
その昔の約5年毎にOSやマシンのアーキテクチャがガンガン変わっていた頃に、
「なんで互換性がないんじゃー」と、言いはしつつも数年で刷新できていたのに、
最近のWindowsXp依存や、64bit Windowsの普及が進まない理由が、
なんだか分かってきたような気がする。
あと、変にパソコンが業務用途に入りすぎたのも問題なのかなぁ。
昔のオフコン・スパコンなら、(ユーザは)採算度外視で、(メーカは)カモネギで、