色々考えたけど、「やや熱された黄身」が極上だって知った。
少しでも熱くなるとそれはまた別の黄身。好きな君はそうじゃない。いつでも探しているんだ。本当の黄身を。
それは月見そばの君。うまく白身をくるんと取り払いそばつゆの熱であたためようと試みる。
それはスンドゥブチゲの君。あまり熱くならないように早めにごはんのほうに救済する。
それは目玉焼きの君。君だけを残したい、だからちまちまとまわりのベーコンや白身をへずって食べ君だけを残す。
だが君は裏切るんだ。
ぷつっ、とも言わず黄身のすべてをぶちまける。
ぼくがこんなにも大切にしたことなんて気にも止めないで。
黄身。
いとおしい。
「非嫡出子の差別」でググれば判るけど、まずもって本人が申告しない限り、周りには非嫡出子かどうかはバレない社会になっている。
戸籍を見てもわからなくなったし、学校としても提出を義務付けられなくなっている。
よって、差別は、自己申告しない限りはそもそも発生しない。言い聞かせない場合、子供が自分から言いふらす可能性はあるけれども。
あと、一応、女性側から妊娠させてくれと頼まれている立場だという事は最初から言っているのだけど、それ忘れてるコメントされてもな。
そうなんだ。ありがと。すきよ。
人を殺すことは罪になるのか?
罪にならない殺人が存在していたとしても、殺されるときはどんな人でも苦しむだろう。
人を殺し、苦しみを与えることに、一体どんな価値があるのだろうか?
謎は深まるばかりである。
ベン・ブルース・ブレイクニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年 - 1963年3月4日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人・法律家。東京裁判においては、東郷茂徳、梅津美治郎の弁護人を務めた。
開廷早々の管轄権問題では、国際法に戦争に関する法規があることから戦争は犯罪ではないと主張し、検察側立証段階では、有効な反対尋問を行った。
「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。
我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。
何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。
個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。
それは殺人罪ではない。
たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)
キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。
我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。
原爆を投下した者がいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。
その者達が裁いているのだ。
と発言、
1947年3月3日にも、イギリスとソ連のパリ不戦条約違反を主張するとともに、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第四項が禁止する兵器だと指摘した。
更に、太平洋戦争段階の外交部門の主任を務めた山本熊一を証人に立たせて、「近衛手記」や野村吉三郎電報を駆使し、日本が日米交渉に最後まで努力したことを立証しようとした。
また、米国議会の真珠湾攻撃調査の委員会での証言や、開戦当時諜報担当だったブラットン陸軍大佐を証人に立たせてアメリカの電報傍受の事実を指摘した。
上の文をGoogle翻訳:日本語→英語→日本語→英語→日本語→英語→日本語
アムロ:「私は父にとってもそれを打つことは一度もありません」
明るい「甘い人はどこですか?」
武満徹NHKでやってる。好きな男子と武満徹の話したから、武満徹は私の甘酸っぱい青春のメロディー。
と、同時に同じ車に乗ったのに久々に着たお気に入りの服から臭い匂いがしてたこととか、音痴なカラオケのこととか思い出して死にそう。
チノパンに襟付きシャツしか着ないのに、下着みたいな水着着てさあ、ぶよぶよの体で。死にそう。
あああああああ