”魔法少女まどか☆マギカ新編 叛逆の物語”を見に行ってきました。
朝最初の回で、開館前は雨が結構降っていた上に想像を超える長蛇の列。
しかし、思っていたより映画館が早く開館したので助かりました。
入場特典・物販等。↓
中央。パンフレットは初回生産限定のものです。凝ったデザイン。
左下。ランダム5種 入場特典の色紙、貰ったのは一番スタンダードな感じの絵柄。記念に。
他は先行販売のガチャポンからグリーフシード・スマホスタンドのキュウべえ。
砂時計が欲しかったけれど既になかった・・・。流石、今回の目玉商品。
ここからネタバレ有り。
鑑賞後の閲覧を推奨します。
・始まり最初はミュージカルのようなアニメーション。
大学の授業で見た昔の外国産アニメのような印象を受けました。
ある意味では、アニメーションの歴史的な意味で原点回帰。
これまでの物語における魔女空間の演出が、あらゆる場面で
ふんだんに使われていました。
・・・と今書いていて思ったけれど、それ自体が後の展開の伏線だったのか。
OPは、サビの辺りでほむら以外の4人が楽しく踊っている中
ほむらだけが中央で俯いているのが印象的。
最終回後の展開となると、そうなるのは分からなくもない。
・前半の展開何故か5人皆が生きている世界観で、一緒に戦っているという
不可解な映像が展開されていき、その理由が段々解き明かされていく訳ですが、
幻の見滝原市・幻の生活を作り上げている魔女の正体がほむら自身だったという衝撃の展開。
しかもその全てがほむらのソウルジェムの内側での出来事。
これらが劇中で宣言されるまでに、鑑賞者が「魔女=ほむら」を気づくポイントが幾つか
あるのですが、それが残酷と言うか、作り手の巧妙さを感じると言うか・・・。
自分は、ほむらとさやかの会話での「この状況を望んでいる人物こそ魔女の正体」という下りで気づきました。
本編が終わってから既に2年以上、色々な媒体で、この”まどかマギカ”という作品を見かける機会があったけれども、
だからこそ、多くの人に馴染み深いほむらが魔女になってしまったことを、鑑賞者にこうして先に悟らせてしまうのは凄く酷なこと。
ここが本作最大の涙腺が緩むポイントだと思う。もちろん悲しい意味で、ということにはなりますが。
・後半の展開更なる真相として、ほむらはキュウベえの実験台とされている、キュウべえは、ほむらの心の中に残っている手がかりを頼りにまどかの存在を探りたい、
その為、ほむらの心の中の世界を具現化する必要があった。それ故、こういう事態になったと言うのが明かされますが、そこで未完全な魔女状態?
のほむらが、まどかの存在の秘密を守るために自ら完全に魔女化して自殺しようとした?ということでいいのだろうか。
これもまた、何とも切ない展開。ほむらの顔がかなりグロテスクな表現で崩れていったりしている。
そして、魔女化したほむらを救うために、これまでに出てきた魔女とか魔法少女が総登場して戦い、結果救い出す。
だけれど、現実のほむらのソウルジェムがもう崩壊寸前の状態になっていて、円環の理に導くために例の女神化したまどかがでてくる、
というところで、ほむらが実際に円環の理に導かれて終わっていたら感動の超名作となっていたと思うのですが・・・。
1回だけ見た自分の個人的な感想としては、絶対にそれで終わったほうが良かったと思っている。
でも、そこで、ほむらがまどかの円環の理の機能の一部を奪い取って?まどか本体を強引に取り戻したために
また世界が再編されて、結果ほむらが悪魔的な存在になったという結末でした。
この、ほむらの行動原理について。
本作中盤の辺りで、幻の世界でのまどか本人が「ひとりでいるのは悲しい」的なことを言っていて、本当は円環の理的な存在になることを前向きには考えていなかった??
と言う本音がほむらに伝わってしまったことが、きっかけとなっている。ひとりの世界から、皆がいる世界に引き戻してあげたということ。
というのが色々な方々の考察や感想で分かったので、それは確かに脚本上、納得のできる筋書きになっているとは思います。
でも、ラストシーン近辺の映像としての表現方法はどうなのだろうか。
自分とて偉そうに語れる程、映像表現は上手くないですが、
しかし、正直言ってあれはどうなのだろうかと、思ってしまうところがいくつか。
まず、ほむらの行為を作り手が肯定的に描いているのか否定的に描いているのかが分かりづらい。
その原因は、宇宙空間をバックにキュウべえと悪魔化したほむらが会話しているところのBGMが
テレビ版最終話でまどかが円環の理になった時と
同じ同じではないけど似た感じの、終焉を感じるような心地よい音楽なので肯定的に描いているように感じる。
・・・にもかかわらず、ほむらはやたら悪そうな表情を繰り返ししていることからすると、否定的に描いているようにも見える。
だから、自分はそこが分からなくて結末に困惑してしまった。
(念のために言うと、物語上の正義・悪と、作り手にとっての肯定・否定は別の話。)
それに、生き返った?さやかが自由に
魔女になれる魔女形態を繰り出せる超人的な存在になっていてギャグっぽく見えてしまう。
あと、ほむらは確かに色々超越した存在になったのかもしれないけれど、教室のシーンで浮いていて中二病とか己に酔ってる人のように見えてしまう。
10分前のあのシーンまではほむらの心情に対して共感できる部分が多々あるのに、
そこから先は全然共感できないのが何とも・・・。追記:色々考えているうちに分かってきました。むしろ、一度でも共感できないなんて書くべきではなかったかも。ということで、
結末については何ともいい難い感じです。でも、そこまでの展開を考えてみると、とてつもなく物凄い完璧な作品だったので、自分としては見てよかったと思っています。
終了10分前の場面までなら100点満点中の100万点の作品と言っても過言ではないくらい。
追記:最後の10分も含めて良いかもしれないと思えてきました。良くないと思ったのは部分的な映像表現のみ。起承転結の”承”と”転”が秀逸な作品。
よくよく考えてみれば、テレビ版もある意味そうだったかもしれない。
今回はその傾向が強く作品に表れたということかも。
・余談・ネットで色々感想を見ていると、あのシーンで終わるより、このエンディングで良かったと言っている人も多くて意外。
※その理由が理解できました。下記訂正を参照。・これ以上、登場人物の死では鑑賞者の心に訴えかけられない、というのは制作側も分かっていたのだろうか。今回は死者なし。
むしろ、生き返ってしまったことが悲痛な結末として描かれているようにも思える。
・昨日の更新で、ほむらが願いを保ち続けたまま終わるのか否か、とは書いたけれど、まさかこうなるとは。
・映像のクオリティは物凄かったです。
・新キャラは出番が少なかったけれど、ミスリードを誘うためのものだったのだろうか。
最後に。この作品がこれまで見たテレビアニメの中で最も面白いと考えている自分としては、この映画そのものに対しては絶賛したいです。
終わり方で唖然としても、そこに至るまでの展開を改めて思い返してみた時の物凄さは、きっと誰にとっても評価に値するものだと思ってます。
1度見ただけでは理解しきれないことも多いので、もう1回くらい近いうちに見に行ってきます。
今まで同じ映画を2回以上見に行ったことはないのですが、今回ばかりは2回見たい。
少し訂正。
他の人達の感想を更に見て少し結末に対する印象が変わってきました。
よく考えてみれば、ほむらが自分で自身を悪魔と言っているということは、
後ろめたいことをしているという自覚があるということか。
客観的な意味での悪ではなく、主観的に見て悪というのは珍しい展開。
ようするに、まどか1人の幸せのために苦しみを背負い込んで己が悪となる最大の自己犠牲。
本当に何とも切ない話なんだろうか・・・。
映画を見た後の印象だと「悪に堕ちたほむら」という印象が強すぎて
そこまで考えが回らなかった感じはあります。
だとすると、変わらない、ぶれない心のあり方としては良く描けているのかも。
テーマ:魔法少女まどか☆マギカ - ジャンル:アニメ・コミック
- 2013/10/27(日) 01:13:34|
- アニメ
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