二一世紀の「天上天下唯我独尊」
安原和雄
お釈迦様の誕生を祝う4月8日の恒例の花まつりが今年も巡ってきた。例年のこととはいえ、考えてみるべきことは、やはり釈迦の宣言として知られる「天上天下唯我独尊」に込められた意味合いであり、肝心なことはそれを実践していくことである。実践を伴わないただの知識で満足するのでは、お釈迦様も喜ばないだろう。
では21世紀の今、どう実践していくのが望ましいのか。それは「この世に生きるものは皆それぞれの価値があり、尊い」という釈迦の教えに学びながら、自分なりに「世のため人のため」に尽くす利他主義に努めることではないか。損得重視の自利・自己中心にこだわるのでは、しょせん心は晴れない。(2013年4月6日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
お釈迦様は今から約2500年前の4月8日、インドの北方ルンビニの花園で誕生された。この誕生を「花まつり」の名で各地で祝うのが恒例の行事となっている。浅草寺(せんそうじ=所在地・東京都台東区浅草)発行の月刊誌『浅草寺』(2013年4月号)は、貫首・清水谷 孝尚(しみずたに こうしょう)氏の<「仏性(ぶっしょう)への目覚め~「花まつり」にあたって~>と題する一文を掲載している。その大意を以下に紹介する。
お釈迦様は生まれて間もなく、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)、つまり「この世に生きるものには皆それぞれの価値があり、尊い」と宣言された。
このお話は永い間多くの人々によって語りつがれているだけに意味の深いものである。それはお釈迦様のご一代にわたる教えが、この宣言の中にこめられているからである。すなわちわれわれが本来持っている「仏(ほとけ)に成ることができる」という性質、つまり「仏性」(ぶっしょう)を自覚させるためのものといわれているからである。間違っても「自分だけが尊い」などと誤って理解してはならない。
むしろ仏に成るべき性質を与えられながら、自分は果たして「仏への道」を歩んでいるだろうかと反省することが、このお釈迦様の宣言におこたえすることになるのではないか。自己の内面を見つめて人間としての自覚を深めるのがお釈迦様の教えであるからだ。「花まつり」はこのような重要な意味をもった仏教行事と受け止めていきたい。
とはいえわれわれは、この本来持っている「仏性」に気付かずに日々を重ねてしまう。『法華経』(「妙法蓮華経」の略。大乗仏教の最も重要な教典のひとつ)の次の喩(たと)え話は、このことを巧みに言いあらわしている。それはある人がいて、親友の家を訪ね、酒に酔って眠ってしまった。親友は公用で外出するため、寝ている友人のために高価な宝石を、彼の衣服の裏に縫いつけてあげてから出掛けた。その彼は目を覚まして旅に出たが、旅費も底を尽き、大変苦労した。しかし少しでも得るものがあれば、それで十分だと考えていた。
ところが偶然、親友に出合い、生活に困っていることを訴えた。すると親友はあきれて、君が安楽に暮らせるように宝石を与えておいたのに、君はそれを知らずに憂い悩んでいるとは、なんと愚かなことだ。その宝石を生活に必要な物と換えなさい、と言ったというお話しである。
この酔った人とは私たち迷える者であり、親友とは仏様、そして宝石はわれわれが仏様から与えられている「仏性」なのだ。この話は今いかに愚かでも、いつの日か宝石に気づくことができるという可能性を指しており、仏性の在り方を示すものである。
道歌(どうか=道徳的な教えをわかりやすく詠み込んだ和歌)につぎの一首がある。
もとよりも 仏とおなじ 我ながら
なにとてかくは 迷いぬるらん
人間は本来、仏になれる性質を持っているはずが、どうしてこのように心の迷いに悩まされているのであろうか、と深い反省に立っての歌である。
お釈迦様が右手で天を指差しているのは、仏への道を歩み、少しでも近付こうと願う心をあらわすものであり、左手で地を指差しているのは、足許の現実をしっかりみつめ、日々善行を一つ一つ確実に行っていくことの大切さを示すものである。いいかえれば「願い」と「行い」による生活をいうものであり、これを実践することこそ「天上天下唯我独尊」の精神ではないだろうか。
「花まつり」をよき縁として自己の「仏性」に目覚め、それによって「世のため人のため」に尽くすような立派な人間となるべく、日々自己内省につとめたい。
<安原の感想>利他主義の「幸せの大道」選択を
年に一度の「花まつり」(4月8日)がめぐってきた。子どものころ、田舎のお寺さんで甘茶をいただいた記憶が鮮明に残っている。その意味合いまでは理解がなく、子ども心にただ甘茶欲しさにお寺さんへ駆けつけたのではなかったか。
大事なことは、お釈迦様の宣言として知られる「天上天下唯我独尊」の含蓄を21世紀の今、どう理解し、実践していくかであるだろう。意見の分かれるところは後段の「唯我独尊」で、二つの解釈がある。
一つは「ひとりよがりのうぬぼれ、自分勝手」あるいは「世間において私が最も勝れたものである」という意。しかしこれは少数説で、ここでは上述の貫首・清水谷孝尚氏のもう一つの説を採りたい。すなわち少しでも「世のため人のため」に尽くすような生き方である。いいかえれば利他主義の実践である。
とはいえこの利他主義がなかなかの難物である。「言うは易く、行うは難し」である。人間の欲が災いとなるからである。とかく自分さえ良ければよいという自利主義、自己中心の誘惑に駆られやすい。しかしこれは目先、得(とく)をしたような気分にはなっても後味(あとあじ)が悪い。利他主義の実践こそが「こころ晴(は)れ晴(ば)れ」となる。自利主義の「損得という迷路」に足を取られるよりも、利他主義の「幸せの大道」を選択したい。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
お釈迦様の誕生を祝う4月8日の恒例の花まつりが今年も巡ってきた。例年のこととはいえ、考えてみるべきことは、やはり釈迦の宣言として知られる「天上天下唯我独尊」に込められた意味合いであり、肝心なことはそれを実践していくことである。実践を伴わないただの知識で満足するのでは、お釈迦様も喜ばないだろう。
では21世紀の今、どう実践していくのが望ましいのか。それは「この世に生きるものは皆それぞれの価値があり、尊い」という釈迦の教えに学びながら、自分なりに「世のため人のため」に尽くす利他主義に努めることではないか。損得重視の自利・自己中心にこだわるのでは、しょせん心は晴れない。(2013年4月6日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
お釈迦様は今から約2500年前の4月8日、インドの北方ルンビニの花園で誕生された。この誕生を「花まつり」の名で各地で祝うのが恒例の行事となっている。浅草寺(せんそうじ=所在地・東京都台東区浅草)発行の月刊誌『浅草寺』(2013年4月号)は、貫首・清水谷 孝尚(しみずたに こうしょう)氏の<「仏性(ぶっしょう)への目覚め~「花まつり」にあたって~>と題する一文を掲載している。その大意を以下に紹介する。
お釈迦様は生まれて間もなく、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)、つまり「この世に生きるものには皆それぞれの価値があり、尊い」と宣言された。
このお話は永い間多くの人々によって語りつがれているだけに意味の深いものである。それはお釈迦様のご一代にわたる教えが、この宣言の中にこめられているからである。すなわちわれわれが本来持っている「仏(ほとけ)に成ることができる」という性質、つまり「仏性」(ぶっしょう)を自覚させるためのものといわれているからである。間違っても「自分だけが尊い」などと誤って理解してはならない。
むしろ仏に成るべき性質を与えられながら、自分は果たして「仏への道」を歩んでいるだろうかと反省することが、このお釈迦様の宣言におこたえすることになるのではないか。自己の内面を見つめて人間としての自覚を深めるのがお釈迦様の教えであるからだ。「花まつり」はこのような重要な意味をもった仏教行事と受け止めていきたい。
とはいえわれわれは、この本来持っている「仏性」に気付かずに日々を重ねてしまう。『法華経』(「妙法蓮華経」の略。大乗仏教の最も重要な教典のひとつ)の次の喩(たと)え話は、このことを巧みに言いあらわしている。それはある人がいて、親友の家を訪ね、酒に酔って眠ってしまった。親友は公用で外出するため、寝ている友人のために高価な宝石を、彼の衣服の裏に縫いつけてあげてから出掛けた。その彼は目を覚まして旅に出たが、旅費も底を尽き、大変苦労した。しかし少しでも得るものがあれば、それで十分だと考えていた。
ところが偶然、親友に出合い、生活に困っていることを訴えた。すると親友はあきれて、君が安楽に暮らせるように宝石を与えておいたのに、君はそれを知らずに憂い悩んでいるとは、なんと愚かなことだ。その宝石を生活に必要な物と換えなさい、と言ったというお話しである。
この酔った人とは私たち迷える者であり、親友とは仏様、そして宝石はわれわれが仏様から与えられている「仏性」なのだ。この話は今いかに愚かでも、いつの日か宝石に気づくことができるという可能性を指しており、仏性の在り方を示すものである。
道歌(どうか=道徳的な教えをわかりやすく詠み込んだ和歌)につぎの一首がある。
もとよりも 仏とおなじ 我ながら
なにとてかくは 迷いぬるらん
人間は本来、仏になれる性質を持っているはずが、どうしてこのように心の迷いに悩まされているのであろうか、と深い反省に立っての歌である。
お釈迦様が右手で天を指差しているのは、仏への道を歩み、少しでも近付こうと願う心をあらわすものであり、左手で地を指差しているのは、足許の現実をしっかりみつめ、日々善行を一つ一つ確実に行っていくことの大切さを示すものである。いいかえれば「願い」と「行い」による生活をいうものであり、これを実践することこそ「天上天下唯我独尊」の精神ではないだろうか。
「花まつり」をよき縁として自己の「仏性」に目覚め、それによって「世のため人のため」に尽くすような立派な人間となるべく、日々自己内省につとめたい。
<安原の感想>利他主義の「幸せの大道」選択を
年に一度の「花まつり」(4月8日)がめぐってきた。子どものころ、田舎のお寺さんで甘茶をいただいた記憶が鮮明に残っている。その意味合いまでは理解がなく、子ども心にただ甘茶欲しさにお寺さんへ駆けつけたのではなかったか。
大事なことは、お釈迦様の宣言として知られる「天上天下唯我独尊」の含蓄を21世紀の今、どう理解し、実践していくかであるだろう。意見の分かれるところは後段の「唯我独尊」で、二つの解釈がある。
一つは「ひとりよがりのうぬぼれ、自分勝手」あるいは「世間において私が最も勝れたものである」という意。しかしこれは少数説で、ここでは上述の貫首・清水谷孝尚氏のもう一つの説を採りたい。すなわち少しでも「世のため人のため」に尽くすような生き方である。いいかえれば利他主義の実践である。
とはいえこの利他主義がなかなかの難物である。「言うは易く、行うは難し」である。人間の欲が災いとなるからである。とかく自分さえ良ければよいという自利主義、自己中心の誘惑に駆られやすい。しかしこれは目先、得(とく)をしたような気分にはなっても後味(あとあじ)が悪い。利他主義の実践こそが「こころ晴(は)れ晴(ば)れ」となる。自利主義の「損得という迷路」に足を取られるよりも、利他主義の「幸せの大道」を選択したい。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
この記事へのコメント
世のため、人のために関し、日々、旅館業で様々な人に出会い、楽しい思い出を作って欲しいと思っていますが、なかなか満足の行く接客とはいきません。
あのようにすれば良かったなどと毎日反省しています。
日常でもこのような状態であり、人のためとは、なかなか難しいものです。
あのようにすれば良かったなどと毎日反省しています。
日常でもこのような状態であり、人のためとは、なかなか難しいものです。
2013/04/06(土) 19:48:17 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
> 「花まつり」の一文が掲載されている上述の『浅草寺』(4月号)に教化部執事・壬生真康(みぶ・しんこう)氏の「待つ間」と題する随想が載っている。その大意は以下のようである。
>
> 人は待っているものです。正岡子規(まさおか・しき)の随筆に「飯待つ間」(明治32年)がある。食いしん坊で知られる子規は毎日昼飯を待ちかねている生活を送っていたが、ある日もう午砲(ごほう)が鳴ったのにまだ、飯を出してもらえない。仕方なく庭を眺めていると、近所の三人の子共たちが一匹の子猫を追い回している。小さな騒ぎの後、どこかへいってしまった。しかし「飯はまだ出来ぬ」状態です。今度は庭の花を見やり、籠の鶉(うずら)も昼飯をもらえずにいる有様を観察する。見るものが無くなって、空の雲の動きを見ていると、またさきほどの子供たちが帰ってきた。猫をいじめていると大人に叱られ、暫(しばら)く静かになった。そして、「かっと畳の上に日がさした。飯が来た。」で終わる小品です。
> 別段、重大な事などは起こっていない。それでいて、ゆったりとした時の流れを読者も追体験できる写生の文章力が印象に残る。
>
> 近年の私たちの生活を振り返ることにする。鷲田清一氏の『「待つ」ということ』に、「現代は、待たなくてよい社会になった。待つことができない社会になった。」という指摘がある。現在ではそもそも文字通りの「待ち合わせ」が少なくなってきた。約束の時間に相手が来なければ、その人と携帯電話で事後策を相談して先に移動してしまうことが多い。「待つ」ことは時間の無駄でよくないことだという価値判断のもとに、極力待たないようにすることを私たちは選んでしまう時代になっている。
> 本当に待つことができないのだろうか。
> (中略)
> 私たちの人生はみな、「待つ間」の出来事である。(以上)
>
> <コメント> 結びの「人生はみな、待つ間の出来事」というさり気ないが、含蓄のある指摘を大切に受け止めたい。
>
> 人は待っているものです。正岡子規(まさおか・しき)の随筆に「飯待つ間」(明治32年)がある。食いしん坊で知られる子規は毎日昼飯を待ちかねている生活を送っていたが、ある日もう午砲(ごほう)が鳴ったのにまだ、飯を出してもらえない。仕方なく庭を眺めていると、近所の三人の子共たちが一匹の子猫を追い回している。小さな騒ぎの後、どこかへいってしまった。しかし「飯はまだ出来ぬ」状態です。今度は庭の花を見やり、籠の鶉(うずら)も昼飯をもらえずにいる有様を観察する。見るものが無くなって、空の雲の動きを見ていると、またさきほどの子供たちが帰ってきた。猫をいじめていると大人に叱られ、暫(しばら)く静かになった。そして、「かっと畳の上に日がさした。飯が来た。」で終わる小品です。
> 別段、重大な事などは起こっていない。それでいて、ゆったりとした時の流れを読者も追体験できる写生の文章力が印象に残る。
>
> 近年の私たちの生活を振り返ることにする。鷲田清一氏の『「待つ」ということ』に、「現代は、待たなくてよい社会になった。待つことができない社会になった。」という指摘がある。現在ではそもそも文字通りの「待ち合わせ」が少なくなってきた。約束の時間に相手が来なければ、その人と携帯電話で事後策を相談して先に移動してしまうことが多い。「待つ」ことは時間の無駄でよくないことだという価値判断のもとに、極力待たないようにすることを私たちは選んでしまう時代になっている。
> 本当に待つことができないのだろうか。
> (中略)
> 私たちの人生はみな、「待つ間」の出来事である。(以上)
>
> <コメント> 結びの「人生はみな、待つ間の出来事」というさり気ないが、含蓄のある指摘を大切に受け止めたい。
2013/04/08(月) 18:07:54 | URL | 安原 和雄 #-[ 編集]
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