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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
もはや米国は「世界のリーダー」失格
日本は対米従属国家から脱するとき

安原和雄
今回の日米首脳会談(安倍・オバマ会談)は日米同盟と環太平洋経済連携協定(TPP)問題が主要なテーマとなったが、ここでは日米同盟を中心に取り上げる。従来型の強固な日米同盟関係の変容が始まった。必ずしもかつてのように足並みが一致しているわけではない。特に安倍政権になってからその一枚岩的協調関係が変化しつつある。
 もはや米国は世界のリーダーとしての大国とはいえない。世界を牛耳る力量を失いつつあるからである。しかし米国に代わる新しい世界のリーダーの登場を期待するのは時代遅れの感覚と言うべきである。中国にひそかな意図があるかも知れないが、期待するわけにはいかない。そこで日本に求められるものは何か。遠からず日米安保体制を解消し、米軍に巨大な軍事基地を提供する対米従属国家から脱して、新生日本をどう築いていくかが緊急の課題となってくるだろう。(2014年4月28日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽新聞社説はどう論じたか

 大手紙社説(4月25日付)は日米同盟をめぐる日米首脳会談をどの様に論評したのか。各紙の見出しを紹介する。
*朝日新聞=日米首脳会談 アジアの礎へ一歩を
*毎日新聞=日米首脳会談 地域安定への重い責任
*讀賣新聞=中国念頭に強固な同盟を築け TPP合意へ 一層歩み寄る時だ
*日本経済新聞=アジアの繁栄支える日米同盟に
*東京新聞=尖閣「安保」適用 対中信頼醸成に力点を

 以下、各紙社説(骨子)を紹介し、それぞれに安原のコメントをつける。
(1)朝日社説
 極めて異例の会談だった。日米首脳会談は、環太平洋経済連携協定(TPP)の協議がととのわず、共同記者会見に合わせて共同声明を発表するにはいたらなかった。一方、安全保障分野に限れば、首相は大統領からほぼ望み通りの「お墨付き」をもらったということなのだろう。だが大統領の発言の主眼は、日本側の期待とは少しずれていた。大統領は語った。「私が強調したのは、この問題を平和的に解決することの重要性だ。日本と中国は、信頼醸成措置を取るべきだ」と。首相がいくら米国との同盟をうたいあげようと、中国との間に太い一線を引いたままではアジア太平洋地域の安定はあり得ない。米国との関係にひとつの区切りをつけたいま、近隣諸国との関係改善への一歩は、安倍氏から踏み出さねばならない。

<安原のコメント>=安倍首相への懸念
 「極めて異例の会談だった」という朝日社説の書き出し自体が社説としては極めて異例といえるのではないか。朝日新聞流の安倍政権への懸念を率直に表明したものなのだろう。朝日新聞は経済社説では安倍政権に近いような印象があるが、政治社説ではかなり批判的である。「首相がいくら米国との同盟をうたいあげようと、中国との間に太い一線を引いたままではアジア太平洋地域の安定はあり得ない」という指摘は大手他紙にはうかがえない視点で、適切である。新聞社説は権力批判を軽視してはならない。政権支持を打ち出すようでは「メディアの自殺」と評しても過言ではない。

(2)毎日社説
 中国が軍備を拡張し、尖閣諸島を含む東シナ海や南シナ海で海洋進出を拡大させていることに対し、日米同盟の抑止力が強化されることを評価し、歓迎したい。日本にすれば、尖閣周辺での領海侵入など中国側の挑発的行動にさらされている同盟国に対し、米国の理解は不十分に見えた。日米同盟が漂流しかねない危機感がささやかれる状況で、対中政策でも日米の緊密な連携が確認されたことは有意義だ。日米同盟を強化し、中国の挑発的行動を抑止することは必要だ。だがそれだけでは十分とはいえない。中国との間で不測の事態を招かないような外交努力が肝心だ。日本は日米同盟強化で中国に対抗するだけでなく、大局的視点に立って、アジア安定に努力する必要がある。

<安原のコメント>=抑止力強化志向は疑問
 どうも最近の毎日新聞社説は安倍政権に肩入れしようという姿勢が目立つ。その典型例は「中国が軍備を拡張し、尖閣諸島を含む東シナ海や南シナ海で海洋進出を拡大させていることに対し、日米同盟の抑止力が強化されることを評価し、歓迎したい」という社説の認識である。明らかに朝日社説とは対照的な姿勢を打ち出している。このような日米同盟の抑止力強化志向は「場合によっては軍事力行使も辞さず」という姿勢である。国家権力に向かって危険な火遊びをそそのかすような主張は禁物である。日本国憲法の平和理念を学習し、再認識する必要があるだろう。

(3)讀賣社説
 安倍政権の「積極的平和主義」と、米オバマ政権のアジア重視のリバランス(再均衡)政策が、相乗効果を上げることが肝要である。日米両政府は緊密の政策調整すべきだ。注目すべきは、オバマ大統領が尖閣諸島について「日米安保条約第5条の適用対象となる」と初めて明言し、対日防衛義務の対象と認めたことである。日本外交の大きな成果と言えよう。大統領は会談で、安倍政権による集団的自衛権の憲法解釈の見直しを歓迎し、支持した。憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能にすることは、日米同盟を強化するうえで、極めて有効な手段となろう。政府・与党は、来月の有識者懇談会の報告書を踏まえ、必要最小限の集団的自衛権に限って行使を容認する「限定容認論」の合意形成を急がねばならない。

<安原のコメント>=好戦派が唱える集団的自衛権
 讀賣社説で軽視できないのは「憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能にすることは、日米同盟を強化するうえで、極めて有効な手段となろう」という主張である。集団的自衛権という安全保障概念が最近盛んに軍事専門家の間で飛び交っている。テレビでもしばしば放映される。これは分かりやすく言えば、日本本土が直接攻撃されなくとも、軍事同盟の米国が攻撃される場合、これを日本自衛隊が軍事行動によって助けるという軍事概念である。好戦派が最近しきりに主張している。平和憲法の根本理念に反するだけではない。巨大な悲劇を避けるためにも幼児のような危険な火遊びは厳に慎みたい。

(4)日経社説
 アジア太平洋地域にとっていちばんの課題は、中国の台頭を受け止め、地域の安定と成長に向けた協力を引き出していくことだ。そのためには日米が結束し、中国に向き合っていくことが大切である。安倍首相とオバマ大統領の会談は。その意味で成果があった。両首脳は日米同盟をさらに深めていくことで一致し、安全保障から経済まで幅広い分野で協力を強める道筋を敷いた。安全保障分野では目に見える進展があった。とりわけ大きいのは、尖閣諸島をめぐり、日米が結束を強めたことだ。中国は尖閣諸島への揺さぶりを続けている。この状況を踏まえ、米大統領として初めて、尖閣諸島には日米安保条約が適用されると表明した。米軍の最高司令官である大統領が言明した重みはとても大きい。

<安原のコメント>=日経紙のはしゃぎすぎ
 「はしゃぐ」(燥ぐ)という日本語がある。「調子にのってふざけ騒ぐ」という意だが、日経社説を読みながら、失礼ながらこの言葉を想い出した。「米大統領として初めて、尖閣諸島には日米安保条約が適用されると表明した。米軍の最高司令官、大統領が言明した重みはとても大きい」という指摘を目にしたときである。大統領の発言にそこまではしゃぐ必要が果たしてあるだろうか。米軍によるかつてのベトナム侵略と、その挙げ句の果ての敗退は、歴史に残る傲慢な悲劇そのものといえる。仮にもその愚を繰り返すようでは米大統領には新しい正当な歴史を創出する能力、見識は期待薄という認識が世界中に広がらないだろうか。

(5)東京社説
 大統領は首脳会談後の記者会見で「日本の施政下にある領土、尖閣も含めて安保条約第5条の適用対象となる」と述べた。尖閣が条約適用の対象だと明言した米大統領はオバマ氏が初めてだという。同5条は「日本国の施政下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃」に「共通の危険に対処するように行動する」ことを定める。首相は会談で「集団的自衛権の行使」の容認に向けた検討状況を説明し、大統領は「歓迎し、支持する」と述べたという。集団的自衛権の問題は国論を二分する大問題である。米大統領の支持という「外圧」を、憲法改正手続きを無視した「解釈改憲」の正当化に悪用してはならない。

<安原のコメント>=批判精神を取り戻すとき
 東京新聞社説の次の指摘に注目したい。<集団的自衛権の問題は国論を二分する大問題である。米大統領の支持という「外圧」を、憲法改正手続きを無視した「解釈改憲」の正当化に悪用してはならない>と。問題の本質をついた正当な指摘と言うべきである。残念なのは東京新聞以外の社説がなぜもっと的確な論説を掲げないのか、である。それが不思議なのである。国家権力への気兼ね、遠慮でもあるのか。これではかつての大東亜戦争中に全面的に戦争推進に協力する翼賛新聞へと堕した時代が再現されないという保障はない。日米安保依存症を克服しようという感覚と無縁であり続けるようでは、時代認識が古すぎる。本来のジャーナリズムの批判精神を取り戻して欲しい。「メディアの自殺」は何としても避けたい。


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17年ぶりの消費増税と新聞社説
批判の視点を失わない東京新聞

安原和雄
 17年ぶりの消費増税である。これを大手紙社説はどう受け止めているのか。残念ながら増税容認の姿勢が多数である。明確な批判の姿勢を堅持しているのは東京新聞のみである。讀賣と日経は以前から国家権力の側に身を寄せてきたので、いまさら驚かないが、わが目を疑うほかないのは、朝日の変質ぶりである。かつての批判精神はどこへ消え失せたのか。残念というほかない。
 安倍政権の対米従属と軍事力増強、つまり右傾化路線を支えるのが増税にほかならない。だから日本の今後の針路を左右するのは増税を容認するかどうかにかかっている。財政難という国家権力側の言い訳に誤魔化されないようにしたい。(2014年4月2日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 社説掲載日は2014年3月末から4月初めまでで、一様ではない。掲載日順に社説の見出しを以下、紹介する。
*毎日新聞(3月30日)=消費税8%へ 増税の原点、再確認せよ
*讀賣新聞(3月31日)=あす消費税8% 社会保障安定への大きな一歩
*日経新聞(同  上)=17年ぶり消費増税、転嫁着実に乗り切れ
*朝日新聞(4月1日)=17年ぶり消費増税 改革の原点に立ち返れ
*東京新聞(同  上)=国民の痛みに心を砕け きょうから消費税8%


 以下では東京新聞の社説(大意)を 紹介し、私(安原)の感想を述べる。。

 消費税率が8%に引き上げられた。物価が上昇する中、社会保険料などの負担増も相次ぐ。景気対策ばかりでなく、弱者対策にもっと目配りすべきだ。
 目いっぱい詰まったレジ袋を三つ四つ抱えるお年寄りも目についた。高額の家電製品やブランド品ばかりでなく、こうした十円単位の節約につなげる生活品のまとめ買いは、十七年ぶりの消費税引き上げに身構え、わずかでも生活防衛をとの切実な思いが伝わってくる。

◆本格的な負担増時代
 消費税率3%の引き上げで国民負担は約八兆円増える。これまでの税制改正は増税と減税をセットで行い、痛みを和らげるのが基本であった。しかし、今回は所得税などの減税はなく、増税のみだ。
 それだけではない。厚生年金の保険料率は毎年上昇し、国民年金の保険料も上がる。復興増税として十年間、住民税に年一千円の上乗せも始まる。一方で、公的年金の支給額が0・7%引き下げられる。円安で広く物価が上がってきたところに追い打ちをかける負担増の数々である。

 消費税は所得が低い人ほど負担が重くなる逆進性が特に問題だ。みずほ総合研究所の試算で、年収三百万円未満世帯は今回の増税で年間の消費税負担は約五万七千五百円増え約十五万三千円となる。
 収入に対する負担率は6・5%に上昇、年収六百万~七百万円未満世帯の3・9%、年収一千万円以上世帯の2・7%を大きく上回る。負担率の格差は、税率が上がるほど拡大する。
 低所得者の増税負担を和らげるため、住民税がかからない人に現金一万~一万五千円を配るが、この程度の給付一度きりでは「焼け石に水」である。

◆でたらめの景気対策
 政府の対応を見るかぎり、重視するのは弱者への配慮よりも、もっぱら景気の先行きであり、いかに消費税率10%へ再増税する環境をつくるかだと思ってしまう。

 政府は、増税前の駆け込み需要の反動減で景気の落ち込みは避けられないとして、二〇一三年度補正予算で五・五兆円もの景気対策を決めた。いわば「増税のために巨額の財政出動をする」という泥縄対応の愚かさもさることながら、許せないのはその中身である。政府の行政改革推進会議が一四年度当初予算の概算要求から「無駄」と判定した事業の多くを補正予算で復活させていた。

 こんなでたらめな予算の使い方をするのは、消費税収で財源に余裕が生まれると判断したためだ。これでは何のための増税かというのが国民の率直な思いであろう。

 そもそもが大義のない増税であった。天下りするシロアリ官僚の排除や国会議員の定数大幅削減など国民に増税を強いる前提だった「身を切る」約束も実行していない。増税の目的であった社会保障制度改革は、所得など負担能力に応じて給付削減といった抜本的見直しが必要なのは明らかなのに議論の先行きは不透明なままだ。

 「先に増税ありき」の財務省の論理にのるから次々と齟齬(そご)を来す。今また、来年十月に消費税率を10%に引き上げる「次なる増税」を確かなものにしようと財務省は躍起である。

 前回一九九七年の3%から5%への引き上げでは、景気が大失速し、今に続く「十五年デフレ」のきっかけとなった。
 景気の腰折れを防ぎ、デフレ脱却を急ぐことに異論はないが、増税でかえって財政規律が緩む現政権の経済政策をみせられると、景気対策の名の下に公共事業の大盤振る舞いや政官業癒着で予算を食いものにする「何でもあり」がまかり通りそうだ。これは納税者への裏切り行為以外の何ものでもない。

 アベノミクスは勢いを失いつつあり、景気の失速懸念が強まると日銀の追加金融緩和が予想される。その時、財政規律に疑念が生じれば、意図せぬ金利上昇を招きかねないし、無理に増税を断行すれば、消費不況から景気腰折れ、デフレ悪化のリスクに直面する。でたらめの財政運営が許される状況ではない。

◆10%の判断は慎重に
 安倍政権は企業活動を活性化させることで経済成長を目指すが、格差や貧困などへの目配りがなさすぎる。消費税増税の対応には、それが如実に表れている。
 10%への引き上げは慎重にすべきだ。今回の増税後の経済情勢を踏まえ、時期や税率の引き上げ幅、低所得者や年金生活者への配慮を十分に検討する。GDP(国内総生産)の数値だけでなく、声なき声に耳を傾け、国民の痛みに心を砕いてほしい。

<安原の感想>朝日新聞と対照的な東京新聞の批判的姿勢
 「きょうから消費税8% 国民の痛みに心を砕け」という東京新聞社説の見出しは分かりやすい。民衆に寄り添い、国家権力を批判するのが本来のジャーナリズム精神であるだろう。東京新聞社説はそういう批判的視点を見失っていない。これと対照的なのが朝日新聞社説とはいえないか。国民は苦難に耐えなければならない、と言いたいらしい。「忍耐と我慢」を強いるお説教である。

 朝日社説はつぎのように指摘している。
・消費税率が、5%から8%に引き上げられた。国民にとっては、つらい負担増である。だが、借金漬けの日本の現状を考えればやむを得ない選択だ。
・先進国の中で最悪の水準に落ち込んだわが国の財政難を考えれば、増税と予算改革を同時並行で進めるしか道はない。
・膨れあがった予算を抜本的に見直し、削減につなげる。それが消費税率を10%に上げる前提である。

 ほんのちょっぴり政府への批判的視点をのぞかせながら、要するに増税やむなし、を説いている。以前の朝日社説は批判的姿勢を失っていなかったように想うが、国家権力への批判精神を衰微させる新聞メディアに未来はない。朝日新聞に限らない。マスメディアにとって深刻な試練の時である。


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