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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
行き詰まり顕著な新自由主義
経済、人間、命を壊していく

安原和雄
 小泉政権時代に本格化した新自由主義路線の行き詰まりが顕著になってきた。新自由主義路線それ自体が経済そのものを、さらに人間、命をも壊していく現象が目立ってきたのだ。当時の小泉首相は「改革なくして成長なし」、「自民党をぶっ壊す」と叫んで、それなりの国民的支持を得たが、いまやその昔日の面影は消え失せた。もともと新自由主義路線に期待を抱くのは錯覚にすぎなかった。しかし今の福田政権にその打開策と新しい路線を期待することはできない。行き詰まった新自由主義路線に代わる路線をどう発見し、設定していくか。これは残された大きな課題である。(08年7月30日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽最近の悪しき国内ニュースから見えてくるもの

 ここ1週間ほどの間に伝えられたいくつかの悪しき国内ニュース、悲惨な事件を以下に再録し、紹介する。そこから見えてくるものは何か。

*正社員削減と非正規雇用拡大が労働生産性を停滞させ、労働意欲を低下させる
厚生労働省の08年版「労働経済白書」(7月22日発表)によると、もともと労働生産性(就業者一人当たりの〈付加価値額=賃金プラス利益〉)が低いサービス業での非正規雇用が急増し、就業者に占める非正規労働者の割合は24.6%(92年)から39.4%(07年)に拡大した結果、生産性上昇率は年1.9%から0.5%に低下した。

 一方生産性が高い製造業では正社員が削減された結果、製造業全体の就業者に占める非正規労働者の割合は17.7%から22.9%に増えた。しかし製造業全体の就業者数減少が加速したため、製造業の生産性上昇率は若干伸びた。白書は「(就業者一人当たりの)生産性上昇は就業者の削減により実現したもので、こういう生産性上昇は評価できない」としている。

 サービス業と製造業を含む全体の労働生産性の伸び(年率換算)は70年代4%、80年代3.4%、に対し90年代1%、00年代1.7%と低迷している。
 また「バブル崩壊後、企業が導入した業績・成果主義的賃金制度は正社員の働く意欲を低下させている」とも指摘した。

*景気回復の主因は輸出で、家計への波及はない
 08年度版「経済財政白書」(7月22日閣議に提出)は、02年2月に始まった景気拡大局面での実質GDP(国内総生産)の成長のうち6割強が輸出増加によると分析している。この6割強という輸出依存度は戦後の景気拡大局面では最も高い。このことは国内需要の大部分を占める個人消費の低迷を意味している。これは大企業が中心になって景気拡大の果実を手にしたが、一方で家計を左右する賃金は抑制された結果である。

*ライブドア社の元社長、2審も実刑
ライブドア社の粉飾決算で証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載など)に問われた元社長、堀江貴文被告(35歳)の控訴審判決で、東京高裁は7月25日、懲役2年6月の実刑を言い渡した1審を支持し、弁護側の控訴を棄却した。粉飾額は計53億円余にのぼる。無罪を主張していた元社長側は上告した。

 裁判長は判決で次の諸点を指摘した。
・「ライブドアは収益を実際の業績以上に誇示し、有望で躍進しつつあると社会向けに印象付け、自社の企業利益を追求しており、その戦略的意図には賛同できない。投資家保護に有用な有価証券報告書やディスクロージャー(情報開示)制度を根底から揺るがしかねない」
・「(粉飾行為について)監査法人や公認会計士を巻き込み、巧妙な仕組みを構築しており、悪質だ」
・「自己の犯行についての反省の情はうかがわれない。被告人の規範意識は薄弱で、潔さに欠ける」
 堀江元社長自身は、「悪いことをやったとは思っていない。なぜ悪いと言われるのか理解できない」と語っているという。

*相次ぐ無差別殺傷事件
 最近、悲惨な出来事が多すぎる。東京・秋葉原での17人無差別殺傷事件をはじめ、「相手は誰でもよかった」という殺傷事件が日本列島上で相次ぎ、日常茶飯事となっている。

*防衛利権パイプ役、ついに逮捕
 東京地検特捜部は7月24日、防衛関連企業から受け取ったコンサルタント料などを隠していた秋山直紀容疑者(58歳)を所得税法違反(脱税)容疑で逮捕した。同容疑者は社団法人「日米平和・文化交流協会」専務理事で、日米軍需関連企業や国防族議員らと緊密な関連をもつ「パイプ役」といわれる。調べによると、秋山容疑者は05年までの3年間に約2億3200万円のコンサルタント料(個人所得)などを申告せず、所得税約7400万円を脱税した疑い。

 日米平和・文化交流協会は、主に日本の国会議員、防衛省幹部らと、米国の国防関係者らの交流事業に携わっている。会長は瓦力・元防衛庁長官。
 前防衛事務次官、守屋武昌被告(63歳)の汚職(収賄)事件をきっかけに東京地検特捜部は防衛利権にメスを入れようとしてきた。今回の逮捕で防衛利権の解明がどこまで進むかが焦点である。

▽経済、人間、命を破壊する市場原理主義路線

 さて以上の数々のニュースは、相互に何の関係もないようにも見えるが、実はそうではない。相互に深く関連しあっており、その底に共通項として新自由主義路線(=市場原理主義と軍事力中心主義)を発見できるのではないか。この新自由主義路線の政治、経済、社会における具体的な現れ方は多様である。多くの場合、市場原理主義が猛威を振るうが、ときには軍事力が主役となる。

 例えば市場原理主義は、政治権力(政府)、経済権力(大企業)による無慈悲な弱肉強食のごり押し、さらに埋めようのない大きな格差(機会、職業、所得、いのちをめぐる格差、差別)をもたらす。それがどれほど大きな負の影響を招いているか。結論からいえば、いまや人間を単なるコストとして、あるいは利益稼ぎの手段としてしかみない市場原理主義によって経済はもちろん、人間を、そしていのちも壊わしつつある。

 その具体例が08年版「労働経済白書」の「正社員削減と非正規雇用拡大が労働生産性の上昇を停滞」、「働く意欲の低下」という事実である。正社員削減と非正規雇用拡大こそが市場原理主義の産物であり、それが経済の根幹をなす生産性を停滞させ、同時に労働意欲をも低下させていることは、経済の土台を破壊しつつあることを意味している。
 もう一つの具体例は、08年度版「経済財政白書」が分析している「景気回復の主因は輸出で、家計への波及はない」という現実である。いいかえれば「大企業は巨額の利益を貯え、法人税などの優遇策で肥え太り、一方、大多数の家計は、税・保険料負担増、物価高、収入低迷で痩(や)せ細る」という構図の定着である。このような多様な格差拡大をもたらしているのがほかならぬ市場原理主義であり、それが経済の姿を著しく歪め、経済を弱体化させている。

 市場原理主義の代表選手よろしく登場したのがライブドア社の堀江社長であった。その当時、「この世にカネで買えないモノはない」とうそぶいていたことはまだ記憶に新しい。拝金主義の典型といえる。私(安原)は「自分のいのちも両親からカネで買ったのか」と当時批判した。いくらカネを積んでもカネでは買えない貴重な価値がこの世に沢山あることを忘れてはならない。実刑判決の後も「悪いことをしたとは思っていない」と言い張っているところをみると、拝金主義と表裏一体の関係にある倫理観の喪失も際立っている。

 以上のような市場原理主義が横行し、その路線に組み敷かれて人間性を失ったとき、その被害者は何を思い、どういう挙動に出るか。その悪しき結末の一つの現れが現世に絶望し、憎しみ、怨みを引きづりながら刃を振るうという殺傷事件であり、それが日常化していく。秋葉原での無差別殺傷事件はその一例である。市場原理主義が起点となって、決して許されることではないが、被害者転じて加害者となった者とは縁もゆかりもない新たな命の犠牲者が累積し、墓標が立ち並んでいく。

▽防衛利権に群がる軍産政官複合体

 新自由主義の特質として市場原理主義と並んでもう一つ、軍事力中心主義を挙げることができる。軍事力をめぐる巨額の資金(日本の年間防衛費は約5兆円)、すなわち国防(防衛)利権に群がる軍産政官複合体(注)の存在が秋山容疑者の逮捕で浮かび上がってきた。この複合体の住人たちは、日頃、「小さな政府」、「増税による財政再建」を唱えながら、国民大衆の生活の土台である社会保障費を削減し、一方自らの利権がらみの防衛財源を確保することには余念がない。さらに自由、民主主義、法による統治などを語りながら、その実、これら現代社会の基本原理を足蹴にしてはばからない輩(やから)である。

(注)ここでの軍産政官複合体とは、米国版軍産複合体の日本版として私(安原)が名づけた。軍=自衛隊、産=兵器関連産業など、政=国防族などの政治家、官=防衛省などの官僚群 ― を中心に相互に癒着した複合体を指している。
 古典的な米国版軍産複合体は、軍人出身のアイゼンハワー米大統領が1961年、大統領の座を去るに当たって告別演説で初めて言及したことで知られる。同大統領は「軍産複合体(巨大な軍事組織と大軍需産業の結合体)という新しい現象が定着してきて、経済的、政治的、精神的に強力かつ不当な影響力を発揮し、米国の自由と民主主義を破綻させる重大な脅威となっている」と警告を発した。

 「防衛利権めぐるカネの解明を」と題する朝日新聞投書欄の「声」(08年7月29日付)を紹介する。
 「秋山専務理事が逮捕された。(中略)日本の軍事費は436億ドル(約5兆円)で世界5位とされる。巨額であり、様々な利権が絡むことは想像に難くない。軍事機密という壁もあり、解明は難しいだろう。それでも今回の事件を機会にどんな不正が隠されているのか、防衛費には無駄はないのかなどを明らかにしてほしい。現在、国の財政危機の中、社会保障の財源をめぐって無駄の排除や消費税増税という議論が浮上している。(中略)そのためにも納得のいく解明を強く要望したい」(調理師 東京都 74歳)と。

 日本の軍産政官複合体という一種の闇の世界に鋭いメスを入れて、巨額の血税を食い物にしている構造汚職を解明して欲しいというのが、この投書に限らず、多くの国民の声であるにちがいない。

 私(安原)は30年ほど前に毎日新聞「記者の目」(1980年8月13日付)で「軍拡大合唱の背後に 産軍複合体形成の芽を見た」という大見出しで次のように書いた。
 「青年の保守化、戦争体験の風化、軍拡への動き―など、右旋回への波が広がる懸念さえある。私は右旋回への底流として産軍複合体成長への危険な側面を軽視してはならないと考える。しかも最近の軍拡への動きは、国の安全、自由の擁護という大義名分のもとに自由を阻みかねない要素が大きいことにも目をつむってはならない」と。
 そして結びの言葉としてアイゼンハワー大統領の告別演説のつぎの一節を引用した。
 「分別ある敏感な市民のみが、巨大な軍産複合体に対し、安全と自由を守ることができるのだ」と。

それから約30年、日本版軍産複合体は日米安保体制下で米国版軍産複合体と連携を深めながら、逮捕者が出るほどに肥大化し、腐朽が進んでいる。

▽新自由主義路線からどう転換を図っていくか

 米国が主導し、日本が追随している新自由主義なるものの2本柱は市場原理主義と軍事力中心主義である。
 市場原理主義はグローバル化を背景に貿易・金融・資本の自由化、公営企業の民営化などを進めて多国籍企業を中心とする大企業の利益稼ぎの領域を広げていく。公的部門(政府、地方自治体)が主として担うべき社会保障、教育、環境などの分野を民間企業に開放し、効率第一で経営していく。「自由な市場メカニズムに任せれば、万事うまく運ぶ」という根拠なき市場万能主義的考えに支えられている。

 一方、軍事力中心主義は、米国主導の先制攻撃論と単独行動主義、その実戦体制としての日米安保体制、さらにそれを支え、操る日米連携の軍産複合体―からなっている。兵器の調達では市場メカニズムよる自由競争よりもむしろ馴れ合いの談合に依存しており、無駄な軍事費の増大によって「大きな政府」、増税へと傾斜していく。

 このような新自由主義は日本では1982年発足の中曽根政権時代に導入され、2001年の小泉政権時代からその負の多様な現象が顕著になってきた。目下その行き詰まりが多くの人の目にも明らかになっている。新自由主義そのものの内部崩壊、自壊作用が進行しつつあるともいえるのではないか。

 とはいえ、新自由主義路線が自動的に崩壊し、新たな体制、秩序にその席を譲るわけではないだろう。新自由主義をしっかりと封じ込め、そこからどう転換を図っていくかが課題である。ここで米国版軍産複合体の脅威を警告したアイゼンハワー米大統領の告別演説の一節にあやかり、つぎのように言い直したい。
 「分別ある敏感な市民のみが、悪しき新自由主義路線を撃退し、生活と自由といのちを守ることができるのだ」と。


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憲法9条を「世界の宝」に 
脱・日米安保体制へ質的転換を                         

安原和雄
 地球規模で吹き始めている新しい時代の風、「非武装」=「非軍事主義」という名の清新な風に目をふさぎ、耳を閉ざしてはならない。現在の日米安保体制は巨大な軍事的、経済的な暴力装置となっている。その自縄自縛に陥らないようにしようではないか。日米安保体制という時代遅れの閉塞状態からどう抜け出し、質的転換を図るかが緊急の課題となってきた。その軸となるのが「憲法9条を世界の宝に」という雄大な構想である。日本人としての智慧のありようが世界の注目を集め、試されようとしている。このことを我々日本人は自覚するときではないか。(08年7月23日掲載、8月1日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

憲法9条を「世界の宝」に ― の主な柱は以下の通り。
(1)世界に期待高まる憲法9条
(2)9条世界宣言の歴史的意義
(3)和平 ― 日本思想にみるその系譜
(4)「9条輸出立国」めざす日本新生計画
   脱「日米安保体制」へ質的構造転換を
(5)誇れる〈愛国心=愛球心〉を育むとき


(1)世界に期待高まる憲法9条

 憲法第9条の世界的意義は世界のさまざまな人びとによって高く評価されている。日本人の多くが考えている以上に日本国憲法の第9条堅持とその理念の積極的活用に対する海外の期待は大きい。以下にいくつかの具体例を紹介する

*9条世界会議とノーベル平和賞受賞者
 9条世界会議(08年5月、千葉・幕張メッセほか)にはノーベル平和賞受賞者が3人もかかわった。
 その1人は北アイルランドのマイレッド・マグワイアさん(1976年受賞)。「紛争は暴力ではなく、対話によって解決する。日本の9条はそのような世界のモデルになる」が持論で、初日の5月4日基調講演で「9条の世界的意義」を強調した。
 つぎはケニアの環境運動家で、日本語の「もったいない」を世界中で提唱しているワンガリ・マータイさん(04年受賞)。「戦争のない世界へ。すべての国が憲法9条を持つ世界へ」というメッセージを会議に寄せた。
 3人目はアメリカの地雷禁止国際キャンペーンのジョディ・ウイリアムズさん(05年受賞)。「地球市民の一人として、9条を支持する。9条を日本から取り除くのではなく、世界へ広げるキャンペーンをしていこう」というメッセージを会議に届けた。

*元B29爆撃機パイロットと「9条の会」
 第2次大戦中にアメリカのB29爆撃機パイロットだったチャールズ・オーバービー・オハイオ大名誉教授は、日本国憲法9条の条文を印刷した折り鶴を配り、戦争放棄を全米各地で訴え続けている。また「第九条の会」をつくり、「9条は人類の英知である。日本人はそのことを忘れないで欲しい」、「今こそ米国憲法も〈9条〉を持つべきだ」と語っている。(04年8月16日付『毎日新聞』)

*イラク女性医師の9条への期待
 ワカル・アブドゥ・カハルさん(イラク人の女性医師、疫学と地域医療を専門とする大学教授・医学博士。地域医療への戦争の影響を研究する分野の第一人者。2001年にアラブの女性では初めて国際アラブ賞を薬学の分野で受賞)は語った。
 「日本は9条と平和を守ることによって笑顔を保ち続けて欲しい。立派な憲法をなぜ変えようとしているのか、理解できない。平和は健康と同じで、健康だからこそ健康のありがたさがわかるように平和が続いてこそ平和のありがたさが分かる。9条と平和を守ることで笑顔をもちつづけられるようにしてほしい」と。(07年5月16日、東京霞ヶ関・弁護士会館で開かれた日本弁護士連合会主催第16回憲法記念行事にて)

*米国映画監督の「世界が9条に追いついてきた」
 ジャン・ユンカーマンさん(05年制作映画 「日本国憲法」で平和憲法の意義を描いている)は上記の憲法記念行事に参加し、以下の点を強調した。
・9条があるからこそ日本は国連安保理事会常任理事国入りをめざす資格がある。
・9条の理念は、世界の長い歴史の中で時代遅れではなく、今やっと世界がそれに追いついてきている。

*南米でも9条が評価されている
 07年3月ボリビア(南米の中部)のモラレス大統領が来日し、当時の安倍首相と会談したとき、「現在進めている憲法改正において、戦争放棄を盛り込みたい」(外務省ホームページから)と説明した。

(2)9条世界宣言の歴史的意義

 「日本国憲法9条を世界に広めよう」を合い言葉に08年5月4~6日、千葉市の幕張メッセを主舞台に開かれた「9条世界会議」は「9条世界宣言」を採択し、世界に向けて発信した。この世界会議は幅広い多数の市民に支えられた初めての試みである。9条の「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」という理念は事実上空洞化されてきているが、その理念をよみがえらせ、人類の共有財産にまで広めるための歴史的な第一歩を踏み出した。
 同宣言の骨子はつぎの通り。

 9条世界宣言=「日本国憲法9条は、単なる日本だけの法規ではない。それは、国際平和メカニズムとして機能し、世界の平和を保つために他の国々にも取り入れることができるものである。9条世界会議は戦争の廃絶をめざして、9条を人類の共有財産として、武力によらない平和を地球規模で呼びかける」

 同宣言の詳しい内容は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の08年5月7日付記事「武力によらない平和を地球規模で 戦争廃絶を願う〈9条世界宣言〉」をご覧下さい。

(3)和平 ― 日本思想にみるその系譜

 ここでは日本思想のなかに和平への願いが脈々と流れ、継承されてきたことを概観する。

*聖徳太子の17条憲法と和の精神
 聖徳太子(574~622年)が制定した17条憲法はつぎの通り。
第一条「和をもって尊しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ」(以下略)
第二条「篤(あつ)く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧なり。すなわち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり」(以下略)

 まず第一条で「和をもって尊しとし」と和の精神の重要性を説いている。つづいて第二条で仏教が生きとし生けるものすべての存在の根拠であり、すぐれた教えであることを強調している。つまり17条憲法の冒頭で仏教思想に立って和の精神を広めるべきであることを力説している。

*安藤昌益の武士団解体と平和論
 安藤昌益(1703~1762年)は、武士階級の存在しない農本民主主義を説いた。しかも「武士は社会的に何ら有用な機能を行わない単なる穀潰し」として武士団を排撃し、さらに「争う者は必ず斃(たお)れる。斃れて何の益があろう。故に我が道に争いなし。我は兵を語らず。我戦わず」と平和論を唱えた。

 安藤昌益の武士団解体=平和論は、ドイツの哲学者・カント(1724~1804年)の著作『永遠平和のために』(1795年に出版、常備軍の全廃を提唱)よりも半世紀近く前に打ち出された(当時は未発表)。

*明治の自由民権運動と小国主義 ― 植木枝盛、中江兆民
・植木枝盛(1857~92年)は、「日本国々憲案」で国内では人権、自由、平等を重んじ、国際間では今日の国連と国連憲章を連想させる「万国共議政府」常設と「宇内無上憲法」制定を唱えた。平和、軍備廃止を指向する小国主義であった。

・中江兆民(1847~1901年)は明治政府の富国強兵路線について「二兎を追う者は一兎をも得ず」と批判し、強兵を棄てて、富国を追求すべし、と説いた。「道義立国」の小国主義でもあった。

*大正、昭和の小日本主義と非武装論 ― 三浦銕太郎、石橋湛山
・三浦銕(てつ)太郎(1874~1972年)は東洋経済新報社で明治末期から大正時代へかけて大日本主義(領土拡大、軍備拡張、軍国主義、専制・国家主義)を批判し、小日本主義(領土拡大反対、小軍備、商工業の発展、自由・個人主義)を展開した。

・石橋湛山(1884~1973年、思想的骨格は日蓮宗の仏教哲学と欧米の自由主義)は大正時代、「朝鮮など植民地を棄て、シナ、シベリヤへの干渉を止めよ」と説いた。(『東洋経済新報』社説「大日本主義の幻想」・大正10=1921年)
 戦後の憲法改正案の中の9条(戦争放棄と非武装)については、世界に類例のない条項であること、全力を挙げて達成すべき高遠な目的であること、敗戦国から栄誉に輝く世界平和の一等国に転じたこと―という認識を示した。(『東洋経済新報』社論「憲法改正案を評す」・昭和21年3月16日号)
日米安保条約(=日米軍事同盟)と憲法(9条)との関係について「明らかに矛盾しているが、改正ができない限りは憲法を守るのが正当な態度である」と指摘した。(『朝日新聞』に寄稿「池田外交路線へ望む」・昭和35年8月8、9日付)

(4)「9条輸出立国」めざす日本新生プラン

①9条を輸出しよう!
この内容は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の08年7月17日付記事「憲法9条を世界に輸出しよう 〈9条大事に〉がアジアの願い」をご覧下さい。

②脱「日米安保体制」へ質的構造転換を

●「米国一極」から「無極」の時代へ=脱「軍事力」
 第2次大戦後、東西冷戦、米国一極の時代を経て、目下「無極」の時代、すなわアメリカ帝国凋落の時代が始まった。米国主導のアフガン、イラク攻撃の非正当性、大失敗にみられるように軍事力による打開力は無力化した。軍事力は地球環境保全にとっても有害であり、脱「軍事力」の時代をどう構築していくかが緊急の課題となってきた。

 「かつてのローマ帝国が滅びたようにアメリカも崩壊の過程に入っている」旨を演説で指摘したのは、今から30数年も前の1971年、当時のニクソン米大統領だった。同じ共和党でありながら現在のブッシュ米大統領に歴史的洞察力は皆無であり、世界の非難を集めている。そのことがアメリカ帝国の瓦解を早めており、墓穴を自ら掘りつつあることに大統領は気づいていないらしい。

●日本、コスタリカ憲法にみる先進的貢献=平和生存権と非武装中立
 日本国憲法前文は平和生存権をうたい、9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)は、「世界の宝」という評価に値する先進的な理念を掲げている。しかしどちらも現実には理念倒れで、空洞化している。
一方、コスタリカ憲法(1949年改正)12条(常備軍の禁止)は「常設の組織としての軍隊はこれを禁止する」と定めており、コスタリカはこれを守り、生かして、日本と違って一貫して非武装を堅持している。またコスタリカは非武装中立宣言(1983年11月)を打ち出している。
 この名実共に世界の先頭を走っているコスタリカに学び、実践に移すことが緊急の課題である。
 
●日米安保体制の解体と地球救援隊創設による国際貢献=非暴力と安心
*日米安保体制は軍事同盟であると同時に経済同盟であり、それがいまや巨大な暴力装置と化している。

・軍事同盟は日米安保条約第3条(自衛力の維持発展)の「武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させる」、第4条(随時協議=脅威に関する協議)、第5条(共同防衛)、第6条(基地の許与)を根拠に機能している。このため憲法に明記されている平和生存権(憲法前文)、非武装(9条)の空洞化をもたらしている。
・経済同盟は安保条約第2条(経済的協力の促進)の「締約国は、その自由な諸制度を強化すること、国際経済政策における食い違いを除くことに努め、両国の間の経済的協力を促進する」という規定によって性格づけられている。

 軍事的暴力装置としての安保とはどういう意味か。当初の「極東の安保」から今では「世界の中の安保」へと変質し、先制攻撃論にもとづく米国主導のアフガン、イラク攻撃のための日米軍事協力装置となっている。
 一方、経済的暴力装置としての安保とは、米国主導の新自由主義(=市場原理主義)による弱肉強食、つまり勝ち組、負け組に区分けする強者優先の原理がごり押しされ、そのため自殺、貧困、格差、人間疎外の拡大と深刻化が進んできた昨今の日本列島上の現実を指している。それを背景に殺人などの暴力が日常茶飯事となっている。

 重要なことは最高法規である憲法体制と条約にすぎない日米安保体制が根本的に矛盾しているにもかかわらず安保が優先され、憲法(前文の平和共存権と9条の非武装)が空洞化している現実である。つまり日本の国としてのありかたの土台が蝕まれているわけで、ここに日本の政治、経済、社会の腐朽、不正、偽装の根因がある。

 日米安保体制といえども、決して聖域ではない。不都合であれば、国民の意思によって終了させる以外に妙策はない。安保条約第10条(有効期限)に「条約は、終了させる意思を相手国に通告した後1年で終了する」と明記されていることを忘れないようにしたい。

*自衛隊の全面改組による地球救援隊の創設
 軍事力中心の時代は急速に終わりつつある。世界の巨額の軍事費(07年約1兆3000億ドル=約150兆円)は資金・資源の巨大な浪費そのものであり、これを世界の医療、教育、貧困・飢餓対策、持続的な社会づくりに回すときである。
 私(安原)は数年来、軍事分野の資金・資源の平和的有効活用策として、自衛隊の全面改組による地球救援隊(日本)の創設を提唱してきた。ここで改めて唱えたい。

その具体策(概略)はつぎの通り。
・兵器類の廃棄、自衛隊員(現在定員は約25万人)の縮小による年間5兆円の防衛予算の大幅削減
・地球救援隊(日本)の主任務は国内外の大型災害対策(地震、津波など)、医療、貧困=飢餓対策など
・「人道ヘリ」(武装ヘリからの転換)、輸送船、輸送機の平和利用。とくに「人道ヘリ」を大量保有し、内外の大型災害時に緊急派遣する。
     
 日本が率先して実行すれば、世界史に輝ける功績として記録されるに違いない。地球救援隊に衣替えした自衛隊(非武装化された状態)がノーベル平和賞の対象になることも夢ではないだろう。

③経済成長路線からの根本的転換=地球環境保全と脱「石油・原子力」(略)

(5)誇れる〈愛国心=愛球心〉を育むとき

 改憲派が主張しているような古いタイプの愛国心、すなわち戦争を肯定し、そのために死ぬことも厭わない、といった類の愛国心はいかにも今日の時代感覚からずれている。そういう旧型愛国心を克服して、時代が求める新しい愛国心、すなわち郷土、地域さらに日本という国を大切に思い、それぞれの個性を生かし、多様性を尊重する愛国心を育むときである。
 この愛国心は、かつての狭い自国中心の国益にこだわり、排外主義に流されやすい愛国心とは異質であり、同時に生存の基盤である地球・自然にも配慮し、地球市民として行動する新しいイメージ、「愛球心」と重なっている。

 以下の2本柱を中心に考える。
*憲法前文(平和生存権)、9条(戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認)、13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)、25条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を生かすことを誇りとすること
*地球市民(Planetary Citizenship)として連帯精神で行動すること


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憲法9条を世界に輸出しよう
「9条大事に」がアジアの願い

安原和雄
 日本国内はもちろん、世界中からもノーベル平和賞受賞者を含む心ある多くの人びとが馳せ参じた9条世界会議以降、「平和憲法9条を世界に輸出しよう」が新しい一つの合い言葉になってきた。そこには「軍隊なき世界」の実現も決して夢物語ではないという思いが込められている。だが憲法9条で軍備を棄てたはずの日本が強大な軍備を持っている。だから「9条は看板に過ぎない」という批判がある。その一方で、だからこそ「9条を大事に守ってほしい」が多くのアジアの人びとの願いともなっている。ともかく「武力で平和は実現しない」という認識がアメリカ主導のイラク攻撃の大失敗を背景に世界中に急速に広がりつつある。(08年7月17日掲載、同月19日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽「軍隊なき世界」の実現は可能だ

 「軍隊なき世界」の実現が可能であることを説く力作、吉岡達也著『9条を輸出せよ!』(08年4月、大月書店刊)を紹介したい。
 著者の吉岡さんは国際交流NGO「ピースボート」の共同代表。世界80カ国以上を訪問、07年国連総会にNGO代表の一人として公式出席。08年5月、千葉・幕張メッセで開かれた「9条世界会議」の共同代表を務めた。著作のあらすじは以下の通り。

 「いまこそ平和憲法9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)を輸出せよ。これこそが現実的な主張だ」という視点で本書は貫かれている。現実的といえるのはつぎの事実認識に基づいているからである。
 「イラク戦争の泥沼化によって、世界最強の軍隊でさえ、中規模程度の都市たったひとつの治安維持もできないということが明らかとなった。いま、私たちはこの事実認識に立ってこれからの安全保障を考えている」
 EU(欧州連合)本部の安全保障問題担当官のこの発言を、著者が06年秋、聞いたとき「ついに9条の時代が来たか」という感慨を覚えた。

 「世界最強の軍隊」、つまり米軍が「中規模程度の都市」、すなわちバグダッドの治安維持ができないという「事実認識」とは、「武力で平和は実現しない」ことを意味している。平和活動家でも、日本の護憲派でもなく、最前線の安全保障問題に日夜向き合っているヨーロッパのエリート官僚でさえ、「武力で平和は実現しない」という認識に変化した。この現実をふまえて著者は、「九条は非現実的」という議論こそがかなり「時代遅れ」であり、だから「いまこそ9条を輸出せよ!」と実感したのだ。

◆9条輸出のセールスポイント
 さて本書は国際社会へ9条を輸出するための9つのセールスポイントを挙げている。その柱はつぎの通りである。

①9条は日本の軍事大国化を抑止する。
②東アジアにおける紛争予防メカニズムである。
③紛争地域での非武装地帯建設など新しい平和構築メカニズムたりうる。
④武力によらない「人間の安全保障」を推進する。
⑤各国政府の軍事費を削減し、国連ミレニアム開発目標(貧困、飢餓の根絶など)達成に予算を振り向けるよう促す。
⑥アメリカ型の軍産複合体国家ではなく、非アメリカ型の非軍事産業によって経済発展する国家を創り出す。
⑦災害救援、人道支援といった国際社会が必要としている非軍事的国際貢献を推進する。
⑧日本の非核三原則や武器輸出三原則といった先進的平和政策を世界に広める。
⑨9条は平和で持続可能な地球社会実現に向けての「象徴」として機能する。

 9条を世界に輸出するためには、各国が自国の憲法に9条条項を採択しなければならない。最終的には国連憲章に9条条項を盛り込む必要がある。著者はクラスター爆弾禁止条約を実現させた軍縮交渉「オスロ・プロセス」から学び、世界規模での9条条項の採択を果たす「東京プロセス」として提案している。
 この「東京プロセス」が将来、成功すれば、本格的な非武装時代の幕開けとなる。そのための最低必要条件は何か。

◆日本とコスタリカの協力がカギに
 まず戦争で死ぬ側の市民が戦争の決定権を取り戻すことである。なぜなら「NGOのような権力を持たない市民の集まりが何もできない社会は、戦前の日本がそうだったように、戦争に対する抑止力が弱い。戦争で儲かる人に戦争の決定権があれば、確実に戦争は起こる」からである。「戦争で儲かる人をつくってはいけない」と著者は力説している。正論というべきである。

 つぎに軍事同盟である日米安保条約をどう改変するかという大きな課題がある。本書は9条を軸に据えた「日米〈人間の〉安全保障条約」に変えようと提案している。アメリカ人の多くは9条を知らない。しかしかつて「パールハーバー」と「カミカゼ」で辛酸をなめさせられた点では、日本の侵略で犠牲になった東アジアの人々と同一線上にある。
 だから9条をなくして日本が軍事大国化することを、アメリカ人もアジアの市民と同じように決して歓迎しないはずだというのが著者の期待である。「日米関係は大事である」、だからこそ9条改憲ではなく、9条を生かそう、という視点が本書の特色となっている。

 もう一つ、著者は日本(の市民)と中米の小国・コスタリカ(の政府と市民)との協力関係を強化するよう呼びかけている。コスタリカは1949年憲法改正で軍隊を廃止し、今日に至っている。「9条世界会議」が採択した「9条世界宣言」はつぎのようにうたっている。
 「日本国憲法(1947年施行)9条・・・につづいてコスタリカは軍隊を持たなくても国家は平和的に存在できるという例を示した」と。両国は軍隊廃止という憲法上の規定では世界の最先端を走っている。その2国の人々の緊密な協力こそが「9条輸出」にとって重要なカギになるだろう。

(以上は、〈「コスタリカに学ぶ会」つうしん・08年7月20日号〉に掲載の安原和雄の新刊紹介全文である。なお「コスタリカに学ぶ会」(略称)の正式名称は「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」)

▽海外から見た憲法9条 ― 外国ジャーナリストの視点

 上述の『9条を輸出せよ!』の著者、吉岡達也さんが共同代表を務めた9条世界会議(08年5月)では9条をめぐる多様なシンポジウム、討論会が行われた。その一つにシンポジウム:「海外から見た憲法9条 ― 外国ジャーナリストが語る」があった。シンポジストは符祝慧(フー・チューウェイ)さん(シンガポール「聯合早報」東京特派員)、ゲプハルト・ヒールシャーさん(ドイツ「南ドイツ新聞」元極東特派員)、ジャン・ユンカーマンさん(アメリカ「映画・日本国憲法」監督)の3人で、コーディネーターは、杉田明宏さん(大東文化大学講師・心理学)。
 このシンポジウムの詳細な内容をまとめた著作『海外から見た憲法9条』(08年7月、日本機関紙協会刊)を紹介する。ただ全文は膨大な量なので「アジアのジャーナリストの目」に限定し、以下ではシンガポール出身の符さんの発言(要旨)のみとする。

◆「9条を大事に守って」がアジアの願い
 朝日新聞(08年5月3日付)の調査では66%の人たちが「9条を変えさせたくない」とか、「変えるのに反対している」とか報道された。これは朗報である。私は20年間、日本に住んでいるが、憲法9条に関心を持ち始めたのは、1991年のこと、私が日本留学を終えてシンガポールに戻り、テレビ局のディレクターをしていた頃だった。その時、湾岸戦争に日本はどんな協力をするのかという議論があった。最終的には海上自衛隊の掃海艇を湾岸地域に派遣するということを知った。
 日本の自衛隊が中東に行く途中、シンガポールに立ち寄って、隊員が街で買い物をした際、その映像を撮って、ニュース番組で放映した。その後で聞こえてきた反応は、とくにお年寄りの反応は大変なものだった。たとえば私の祖母は、「日本軍がまた来た!」と言った。

 シンガポールでは「日本軍」は恐いものと受け止められている。かつての戦争で中国やシンガポールなど、アジアの国々を「日本軍」が侵略し、駐留して沢山の人々を殺した。あのような戦争を体験した人々にとって、「日本軍」というのは、非常に辛い思いがある言葉なのである。戦後ずっと長い間「日本軍」という言葉が消えていたのは、アジア諸国にとってはとても安心できることだった。
 私が言いたいのは、日本の憲法9条は戦争を放棄した世界で唯一の憲法である。それを大事に守っていただきたい。それがアジアの願いだということ。

◆9条に誇りを持つ日本を見たい
 8月15日は、日本では終戦記念日だが、日本に侵略されていたアジアの人たちにとっては「解放の日」である。中国に対する15年にわたる侵略戦争、その他のアジア諸国に対する戦争は、今でも一部の人たちが言っているような解放戦争では決してない。
 「憲法9条を変えてもいい」という人たちの多くは、日本による侵略戦争を知らないか、または深く考えていないと思う。

 9条が今の日本ではただの看板になってしまっていることがすごく残念である。とくに小泉元首相が任期中にやってきた様々なこと、アメリカでの「9.11」以降のことについて、9条があるにもかかわらず、日本は全然平和のために役に立っていないんじゃないかと、私自身、憲法9条を持つ日本に失望を感じた。 日本の憲法に対するアジア諸国からの関心は9条だけです。9条だけがアジアにかかわっているのだから。

 私は9条をどうやって日本のものにするのかがすごく大事だと思う。日本とアジア諸国の間に信頼関係を築こうとするのであれば、歴史問題、反省の問題、9条問題の3つを日本が自分のものにしなければならない。
 9条を世界に向かって誇りを持って宣言するという日本を見たい。憲法を改正して自衛隊を派遣するという日本ではなく、9条を持つ平和な国で、自ら戦争をしないといえる日本の誇りを見たい。

〈安原のコメント〉― 9条の理想と誇りを再認識すること
 シンガポール出身のジャーナリスト、符さんの発言、「9条が今の日本ではただの看板になってしまっていることがすごく残念」には日本人の一人として私(安原)もそう思う。9条の理念、非武装に反して強大な軍事力をすでに保有しているのだから、「ただの看板」と言われれば、返す言葉もない。
 問題は理念としての9条の「非武装」をいかにして現実に取り戻すかである。彼女も「9条を世界に向かって誇りを持って宣言する日本を見たい」と期待している。それに応えなければならないと考える。

 そのためには彼女も指摘しているように日本が「3つの問題」を無視しないで、自分のものにしなければならない。まず日本が侵略し、植民地にしたという歴史を認識する問題である。つぎはそれに対する心からの反省の表明である。そして9条を大切にしていく心構えとその実践である。
 いうまでもなくこの3つは相互に関連し合っている。過去の侵略への事実認識と厳しい反省がなければ、9条を大事に育てていこうという正しい姿勢は期待できないからである。

 歴史に無知であってはならないし、反省を拒否する傲慢さも棄てなければならない。その先に理想としての9条が輝いてくる。そこに誇り高き日本人が登場してくる。理想と誇りを抱けないまま、右往左往するのは、やはり悲しすぎる。その現状から脱出するためには、9条に込められている理想と誇りを「世界の非武装化」に向けて再認識することから出直す以外に秘策は見出せない。


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地球との共生能力失ったG8
あくまでこだわる市場原理主義

安原和雄
 08年7月9日閉幕した北海道洞爺湖サミットが残した課題は何か。焦点だった地球温暖化対策のための中期目標について数値を含めた具体策は打ち出せなかった。地球温暖化対策はすでに外交交渉の駆け引きの次元を超えている。その成否は地球と自然と人類の生存そのものが問われる未曾有の課題となっている。残念ながら今回のG8サミットは、地球との共生能力を失った姿をさらけ出したといえるのではないか。その背景には市場原理主義にあくまでこだわるという頑迷な姿勢がある。市場原理主義からの転換以外に未来は開けない。(08年7月10日掲載、同月12日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽肝心の中期の温室効果ガス削減目標数値はどこへ?

 北海道洞爺湖サミットでは、焦点の地球温暖化対策について何が決まり、何が決まらなかったのか。2日目の8日、主要8カ国(G8)首脳会議で採択した「G8首脳宣言」、最終日の9日、主要経済国会合(MEM=G8に新興8カ国が加わり、地球温暖化対策を話し合う会合)がまとめた「MEM首脳会合宣言」、さらに「議長総括」などから、要点を引き出すと、以下のようである。

*2050年までに世界の温室効果ガス排出量を半減させる長期目標について。
 G8(日米英独仏伊加露の主要8カ国)は「半減目標」を明記したが、新興8カ国(中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ、インドネシア、韓国、オーストラリアの8カ国)は「長期目標を共有する」という表現で、数値は掲げていない。この16カ国で全世界の温室効果ガス排出量の約8割を占める。
 決して各国の足並みが揃っているわけではない。例えば中国、インド、メキシコ、ブラジル、南アフリカの5カ国首脳は8日、「先進国は50年までに80~95%削減すべきだ」という宣言を出した。自国の排出量が多く、温暖化を進めた先進国こそが削減の責任を果たすべきだという考えからである。

*2020年までの排出量削減の中期目標について。
 G8首脳宣言は「野心的な中期の国別総量目標を実施する」と明記したが、数値目標は盛り込まなかった。一方、新興8カ国の場合、「国ごとに適切な削減行動を遂行する」という表現にとどまり、具体性はない。

〈安原のコメント〉― 福田首相の責任
 20年までの中期目標について数値をどう織り込むかが今回サミットの最大焦点となっていた。なぜなら40年も先の長期目標として「半減」を目指しても、10年先の中期目標に具体的な数値を掲げない限り、長期目標はただの夢物語にすぎないからである。
 積極的だったのはEU(欧州連合)で、事前に長期目標では「半減」を超える60~80%削減、中期目標では30%削減を明らかにしていた。しかし結果としてはそれが牽引力にはならなかった。肝心の中期目標の数値はどこかへ消え失せた。議長国、日本の福田首相が同盟国、アメリカの消極的な姿勢に配慮しすぎたためである。これは日本国内の経済界などの消極的な姿勢に応える道ともいえる。

ブッシュ米大統領は01年就任以来、軍事力中心の単独行動主義に走り、世界に混乱と破壊をもたらしただけではない。地球温暖化防止のための京都議定書(1997年採択)からも後に離脱し、環境破壊の推進役を担ってきた感が深い。その大統領の道理に反する我執ともいうべき単独行動主義に同調する福田首相の責任は小さくない。

▽WWF緊急声明 ― リーダーシップが欠けたG8首脳陣

 私(安原)は今から30年前のボン・サミット(1978年、西ドイツ)に福田首相の父、赳夫首相の同行記者として赴き、取材した。さらに翌79年、大平正芳首相が議長役を務めた東京サミットでも取材にかかわった。当時と今日とはサミットも今昔の感が深いが、昨今の特徴として3つ挙げることができる。まず過剰警備、つぎにNGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)などの積極的な参加、もう一つは市場原理主義の横行である。
 この3つは相互に関連している。市場原理主義の横行とともに市民、民衆の希望や期待から離れたサミットとなり、だからこそ過剰警備を首脳陣が求めるようになった。またサミット首脳陣との溝を埋めること、あるいは市民、民衆からの主張、要求を提示するためにNGOなどの民間組織が重要な役割を演じるようになった。

 今回の洞爺湖サミットも、その例外ではなかった。多くのNGOなどがサミット周辺に集まったが、その一つ、WWF(=World Wide Fund for Nature・世界自然保護基金、100を超える国々で活動する世界最大の自然保護NGO)の緊急声明(9日)を参考までに以下に紹介する。「排出削減に対し、G8首脳陣のリーダーシップが欠けている」などを力説している。

■WWF緊急声明
■主要経済国首脳会合は、全く時間の無駄だった

 9日の主要経済国首脳会合(Major Economies Meeting: 以下MEMと記す)は、前日のG8サミットにおいて、排出削減に対するG8首脳陣のリーダーシップが欠けた結果、全く意味を失った。ブッシュ大統領は、新興経済国に強い気候変動対策を要求しているが、その実現のためには、まず先進国側が、強力なコミットメントを示すことが大前提であるとWWFは考える。しかし、昨(8)日のG8の気候変動に関するコミュニケは、富裕国に必要とされる大胆な政策を全く示すことができないまま終了した。

 WWFグローバル気候変動イニシアチブのディレクターであるキム・カーステンセンは次のように述べている。「MEMは、全く成果がなく、中身のない結果で終了した。G8首脳陣が、途上国に対して多くのことを要求しながら、先進国自身はろくに対策をとる気がないわけであるから、当然の因果である。G8首脳陣は、過去にすでに発表した気候変動に関する合意を焼きなおして、まるで新たな合意であるがごとく見せ、世界を欺こうとした。今はG8側が行動を起こす番であり、インドや中国は、富裕国が野心的な目標を持つよう正しい主張をしている」

 WWFは、8日札幌でブラジル、中国、インド、メキシコ、南アフリカ共和国のG5カ国が共同で発表した「気候変動に関する国内対策を強化する」という建設的な提案を歓迎する。その代わりにG5カ国は、先進工業国が温室効果ガスの排出量を2050年までに80~95%削減することを求めており、その長期目標を達成する上で必要なエネルギー変革を促すために、2020年までに25~40%の範囲での中期目標が必要であると主張している。

 富裕国側が、人と自然が生き残れるかどうかが、彼らの肩にかかっているということを忘れて、交渉戦術に埋没している一方、途上国側は、温暖化の脅威を理解し、前向きに行動する強い意志を示している。昨(8)日のG5カ国の声明は、ここ数ヵ月の間にこれらの国々がそれぞれ発表した有望な政策提案を強調するものである。「途上国側が示している前向きな動きを、先進国はこれ以上無視することはできない」とカーステンセンは付け加える。

 洞爺湖ではほとんど進展はなかったが、WWFは、途上国が今後も協力的な志を持って、積極的に対策に取り組み続けることを強く望む。このMEMは直ちに終了させ、8月に予定されているガーナ・アクラ、及び年末のポーランド・ポズナンにおける気候変動に関する国連会合において、国際交渉を前進させるべきであると、WWFは考える。MEMは、G8のプロセス、及び気候変動の次期枠組交渉を前進させるどころか、混乱させただけであり、全くの時間の無駄であることが証明された。
 「MEMは、ブッシュ政権が、米国内にはめぼしい気候変動政策が全くないことから、目をそらさせるために、アメリカが主宰したものである。新興途上国を指差して、排出が急増していることを非難したところで、国際交渉は全く進まない。アメリカが、歴史的に大きな排出責任を負っており、一人当たりの排出量が世界で最も高いことから目をそらさせようとするのは、恥知らずな行為である」とキム・カーステンセンは強調する。

 以上の緊急声明は9日、WWFジャパンからのメールによって入手した。

▽市場原理主義をどう封じ込めるかが緊急課題

 8日採択された「G8首脳宣言」に何が書かれているかによって、今回のサミットの真の狙いを理解できる。外務省ホームページに掲載されている膨大な「宣言」の全文を読んだ。その結果、多くのメディアが伝えているサミットのイメージとはいささか異質の姿が浮かび上がってきた。それは日米と欧州との間に違いはあるにせよ、G8首脳陣が目指しているのが「あくまでこだわる市場原理主義」とでも評すべき路線である。これをどう批判的に受け止めるかが今回サミットの最大の焦点ともいえるだろう。

 まずいくつかの指摘を宣言から抽出する。

・グローバリゼーション及び開放的な市場は大きな機会を提供する。これらの機会を市民の利益及び世界の成長のために活用することに強くコミットしている。
・国際的な貿易及び投資に対するあらゆる形態の保護主義的な圧力に抵抗する。
・開放的な貿易及び投資政策は、経済を強化する。いかなる外国投資の規制も国家安全保障上の懸念に限定されたものであるべきだ。
・世界経済にリスクをもたらしている原油価格の急激な上昇に強い懸念を有する。供給面では短期的には生産量及び精製能力が増強されるべきだ。中期的には投資拡大のための努力が必要で、産油国は必要な生産能力の増強に資する透明性、安定的な投資環境を保障すべきだ。
・最も効率的な資源配分のメカニズムとして開放的な天然資源市場の重要性を確認する。(首脳宣言の「世界経済」から)

・排出量取引、税制上の規制、料金あるいは税金等の市場メカニズムは価格シグナルを提供し、民間部門に経済的インセンティブを与える潜在力を有する。各国の事情に従って促進する。(首脳宣言の「環境・気候変動」から)

・民間主導の成長の促進を含む一連の開発政策の主要原則に基礎を置く。
・成長と活力の継続に必要な民間資本の流入を増大させ、発展への前進を不可逆的なものにするために、アフリカ諸国が自らの投資環境を改善することを奨励する。(首脳宣言の「開発・アフリカ」から)

・食料安全保障には、食料及び農業のための堅固な世界市場及び貿易システムも必要だ。輸出規制を撤廃すること、さらに開放的で効率的な農産物及び食料市場の発展を促進する。
(「世界の食料安全保障に関するG8首脳声明」から)

〈安原のコメント〉― 地球、自然、人類が生き残る道
 学生向けの現代経済学教科書を無理矢理読まされたような読後感が残る。グローバリゼーション及び開放的な市場をすすめれば、効率的な資源配分のメカニズムが見事に働いて、民間企業主導の成長促進が達成される。「万事めでたし、めでたし」という希望に満ちた世界が出現されるという理屈である。自由な市場メカニズムにゆだねていれば、「万事OK」という市場原理主義賛美論といえる。

 しかし現実は極楽ではなく、地獄と化している。例えば食料価格の異常な高騰によって暴動が各地で起こっている。宣言ではさすがに原油価格の急騰には「強い懸念」を表明している。ではどういう新手の対策を打ち出すのかといえば、要請の強かった「投機マネーの規制」には見向きもしないで、産油国の生産能力増強のための投資拡大のすすめである。供給力を増やせば、それでOKという単純な需給バランス論である。原油の需要をまかなうだけの供給力を簡単には増やせない「ピークオイル」、つまり原油が枯渇し始めるという難問が控えていることには無関心なのか。G8の優秀な経済官僚達の作文とはいえ、いささかお目出度いのではないか。これでは地球との共生能力を失ったG8というほかないだろう。

 市場原理主義を封じ込めて、その路線からの大転換を図る以外に打開策は難しい。打開策のキーワードは食料では自給率を高めるための食料主権の確立、石油・温暖化では脱「石油」路線への転換、さらに軍事力中心主義からの転換も緊急課題である。もはや市場原理主義からの決別以外に地球と自然と人類が生き残ることはできない。


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軍事同盟と環境対策は両立しない
サミットに場違いな日米首脳会談

安原 和雄
 7日から開幕した洞爺湖G8サミットに先立ち、6日開かれた日米首脳会談に関連して福田首相は「安全保障面で日米同盟は飛躍的に強化した」と評価、さらに日米同盟の「一層の強化で一致した」とも述べた。一方、今回のサミットの最重要テーマである「2050年までの温室効果ガス半減」については明確な姿勢を表明しなかった。日米同盟強化には明確かつ積極的な姿勢を示しながら、肝心の地球温暖化問題では腰が引けている印象を与えた。もともと軍事同盟と地球環境対策とは両立しない性質のものであり、サミット前日に「軍事同盟強化」路線を打ち出すとは、いかにも場違いな日米首脳会談となった。(08年7月7日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽日米首脳会談からみえてくるもの―軍事同盟強化路線

 各紙(7月7日付)報道によると、日米首脳会談後に行われた福田首相とブッシュ米大統領の共同記者会見の主な内容は以下の通り。

*福田首相
・ブッシュ政権が発足した2001年から7年間、日米同盟が飛躍的に強化されたことを確認し、これを強化していくことで一致した。
・安全保障面では9.11テロとの戦い、イラク復興支援などでの協力、米軍再編の着実な実施、ミサイル防衛での迎撃実験の成功など、日米間の協力が一層固くなった。
・北朝鮮の拉致問題の解決は重要であり、そのために協力したいと述べると、ブッシュ大統領は私の意見に同意した。
・気候変動問題は人類が直面する最も深刻な挑戦の一つであり、子孫に美しい地球を残すことがわれわれの責務である。そのためG8に向け引きつづき協力していこうというのが共通の意識である。

*ブッシュ米大統領
・朝鮮半島全体の非核化のために努力していく。
・日本国民の皆さんが、拉致問題が無視されないよう切望していることも分かっている。この問題に関して、米国は日本を見捨てたり、置き去りにすることはない。
・イラクやアフガンにおける日本の貢献に関しても協議した。日本政府にも日本国民にも、他の国々が自由という恩恵に浴せるよう協力していることに感謝する。
・環境に関しては私たちの共通の相手との戦いである。いま石油に依存している。これからは、そういうことではなく、いろいろ新技術を開発していきたい。そういう課題を協力して進めていきたい。

 日米首脳会談には必ずといっていいほど、公表されずに隠された部分があるが、それはさておき以上の記者会見での発言内容について2つの疑問点を指摘したい。

 第一に、これが平等対等の立場でのやりとりなのか、という印象が消えない。
 例えば拉致問題についてブッシュ米大統領はこう言った。「米国は日本を見捨てたり、置き去りにすることはない」と。
 大統領の英語でのスピーチに対するこの日本語訳が適切かどうかは知らないが、これは上位にある人間が下位の人間に向かって吐くもの言いであろう。逆に考えれば、福田首相がブッシュ大統領やメリカ人に向かって「日本は米国を見捨てたり、置き去りにすることはない」と言うだろうか。また言えるだろうか。

 第二は、日米軍事同盟の強化路線と地球温暖化対策とは両立しない、どころか真っ向から対立する。だからこそ地球環境問題が重要テーマであるサミットに臨んで、軍事同盟強化を目論むのは場違いそのものの日米首脳会談というほかない。

まず強大な軍事力をもつ軍事同盟の存在そのものが、地球温暖化をはじめ地球環境問題への適切な対策と対立する。巨費を軍事費に充てることは、無駄そのものであり、環境対策をそれだけおろそかにする。
 それに軍事同盟は日常的な軍事訓練・演習を求める。それが大量の石油を浪費し、温暖化の原因であるCO2(二酸化炭素)を排出するからである。一例を挙げれば戦車1台が一定の距離を走るのに浪費する石油は自家用車に比べ数十倍に及ぶ。

 さらに現実に軍事力が行使されると、浪費される石油量は膨大な規模に達する。また石油が供給されなければ、実戦は不可能である。日本が米国のイラク戦争のために石油を補給しているのは、文字通り米国主導の戦争への熱い支援となっている。
 ブッシュ大統領は上記の記者会見で「イラクやアフガンにおける日本の貢献、(中略)協力に感謝する」と述べたのは、決してお世辞ではない。これが軍事同盟推進派が評価する「軍事同盟の証(あかし)」というものなのであろう。

福田首相は「子孫に美しい地球を残すことがわれわれの責務である」と言っている。本音でそう思うのであれば、地球を汚す軍事同盟強化を持ち上げているときではないだろう。

 以上のような視点を一般メディアの論調から発見するのは、むずかしい。以下に大手4紙(7月7日付)の社説の見出しを紹介する。見出しからも推測できるように、福田首相が力説した日米軍事同盟そのものに批判的に言及した論調はうかがえない。

*読売新聞=日米首脳会談 北に核・拉致の「行動」を促せ
*朝日新聞=日米関係 ブッシュ時代の夕暮れ
*毎日新聞=洞爺湖サミット 日米連携の真価が問われる
*東京新聞=日米首脳会談 言行一致で拉致解決を

▽異質の論調 ―「G8サミット」派兵抗議声明

 一般のメディアの論調からはとてもうかがえない異質のメールが届いたので、参考までに紹介する。送り主は杉原浩司(核とミサイル防衛にNO!キャンペーン)で、以下のような抗議声明を7月6日、首相官邸、石破茂防衛相、増田好平防衛事務次官などにファックスしたという。
 G8サミットの「G8」を「ギャング8」と読み替えるところなどなかなかのユーモアと受け止めた。

【抗議声明】
「G8=ギャング8」会議を利用した戦争訓練をやめ、自衛隊の撤収を!

 戦争と環境破壊と貧困拡大と食糧危機の元凶である「主要国」の首脳らが集まり、傲慢にも「サミット」と称される会議を口実として、恐るべき軍事化が企てられている。防衛省・自衛隊は、7月7日から始まる「北海道洞爺湖サミット」の警備を名目として、陸海空の各自衛隊による前例のない異常な軍事展開を行いつつある。

 「テロ対処」名目で創設した陸自・中央即応集団の化学防護隊、第1ヘリコプター団等の初投入、昨年12月にハワイ沖で約60億円をかけて迎撃実験を行い、弾道ミサイル迎撃能力(SM3ミサイルを搭載)を持つとされる「こんごう」(佐世保基地所属)を含む2隻のイージス艦と護衛艦約10隻の派遣、対航空機・巡航ミサイル用の迎撃ミサイルPAC2の配備、浜松基地所属の空中警戒管制機(AWACS)とE2C早期警戒機による24時間態勢の空中警戒などに加えて、F15、F2の各2機の戦闘機による会場上空の旋回警戒飛行(CAP)さえもが強行されようとしている。首都圏を中心に各自衛隊駐屯地の警備も強化され、「司令塔」となる防衛省地下の作戦室には、通常より5割増の50人の職員が詰めるという。
 
 これにより、自衛隊は事実上「G8防衛軍」という恥ずべき姿をさらすことになる。戦争マニアの石破茂防衛相による指揮官気取りの「戦争ごっこ」の本質は、臨戦態勢の予行演習ではないだろうか。とりわけ中央即応集団とイージス艦「こんごう」の初派兵には重大な意味があるだろう。中央即応集団が担うとされる「対テロ」軍事作戦が国内治安出動という危険な側面を持つことが明確に示された。また、こんごうの実戦配備以降初の展開は、配備区域から見てもまさしく対北朝鮮を想定したミサイル防衛の軍事演習そのものだ。
 
 今回の軍事展開の法的根拠に関する問い合わせに対して、防衛省広報は、「自衛隊法第8条に基づく防衛大臣による通常の警戒監視の一般命令によるもの」としたうえで、「妨害しようとする勢力に漏えいするとまずいので、命令の具体的内容は公表できない」と述べた。命令の内容はおろか、軍事展開を命じる根拠となる情勢判断さえも一切示さないままに軍隊を動かすことは、「シビリアン・コントロール(文民統制)」原則に対する重大な挑戦に他ならない。少なくとも、ロシア、中国の首脳が参加し、米朝関係の外交的改善が進行する最中で、弾道ミサイルによる攻撃などあり得ないはずだ。
 
 軍事展開は、「環境サミット」の欺まん性をも象徴している。例えば、戦闘機1機は自動車約1万台分の二酸化炭素を排出する。莫大な燃料を消費する1隻1400億円に及ぶイージス艦などの展開も含めて、今や軍事展開は石油の大量浪費以外の何物でもない。サミット会場上空を、二酸化炭素をまき散らしながら戦闘機が旋回する。この会議の、地球と人間に対する暴力性をこれほど明瞭に示す構図もないだろう。
 
 暴力の元凶たちによる被害から守られなければならないのは、私たちの方だ。自衛隊は今すぐ撤収せよ。警察は過剰警備と不当弾圧をやめよ。G8は解散せよ。

2008年7月6日 核とミサイル防衛にNO!キャンペーン

[連絡先](TEL・FAX)03-5711-6478
(E-mail)[email protected]
http://www.geocities.jp/nomd_campaign/   

 以上は、「 みどりのテーブル」(環境政党をめざす市民グループ)の情報交換MLから入手したキャンペーンである。


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いま、東洋の循環思想の出番だ
洞爺湖G8サミットに向けて(続)

安原和雄
 宗教者達は地球環境問題や平和にどう対応しようとしているのか。世界宗教者平和会議(WCRP=World Conference of Religions for Peace)日本委員会(庭野日鑛理事長)という宗教団体のメンバーが、7月7日から始まる北海道・洞爺湖G8サミット(先進8カ国首脳会議)に向けて提言を行っている。
 今回は前回の環境・平和論(6月17日掲載)に次ぐ続編で、発信者としてキリスト者が登場、「いま、東洋の循環思想の出番だ」と強調している。キリスト者による仏教的発言という色彩もあり、ユニークな主張となっている。(08年7月3日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 WCRPは仏教、神道、儒教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教など世界の諸宗教をメンバーとしている。第1回世界大会(1970年)は「非武装・開発・人権」をテーマに京都で、さらに最近の第8回世界大会(2006年)は「あらゆる暴力を乗り超え、共にすべてのいのちを守るために」をテーマにやはり京都で開かれた。
そのWCRP日本委員会発行の『WCRP』(月刊)は08年1月号から「平和をめざして~G8北海道・洞爺湖サミットに向けて~」を連載している。今回はその中から前島宗甫・日本キリスト教協議会元総幹事(WCRP日本委員会評議員)の「人は自然と向き合えるか ― 循環思想に学ぶ」(『WCRP』・08年5月20日号から)と題する主張を紹介する。

▽人は自然と向き合えるか ― 循環思想に学ぶ

 「地はお造りになったものに満ちている。・・・ご自分の息を送って彼等を創造された」(聖書・詩編104)。
 聖書は宇宙・自然が神の創造物(被造物)であることを語り教える。人間もその中に含まれていることはいうまでもない。地球の生命は50億年。人間の登場は600~700万年前にすぎない。その新参者の人間が「神がご自分の息を送って」創造されたものを傷つけてきた。考えてみれば、人間は自らの生存のために被造物を必要とするが、人間以外の被造物はその生存のために人間を必要とはしない。

 聖書に学んでいる私たちキリスト者は、この神の創造を想うことが乏しかった、想像力が弱かったと反省せざるをえない。必ずしも自然を共生のパートナーとは受け止めてこなかった。聖書のキーワードは「愛」なのだが、それも人間中心に理解され、他の被造物を愛の対象とは受け止めなかった。その限り、キリスト者は聖書の教えに忠実ではなかったと言わざるをえない。

 私は環境問題は人権問題と同じレベルの問題と考えている。つまり弱い立場へのケアーである。先日街角で「動物もつらい時はつらいのです」という動物クリニックの看板を見て納得した。しかし動物は声を出すが、土や水、空気は声を出せない。環境異変の中に、私たちはその叫び声を聞かなければならない。
 「人を造ろう・・・そしてすべてを支配させよう」。聖書の最初にある創世記の一節である。この「支配」と訳されている言葉「ラーダー」は、元来王が統治することを表す意味を持っていた。その王は人びとの福祉・平和に責任を負う役割を担う存在と考えられていた。聖書の翻訳の過程で長らくこの「ラーダー」は「rule over;支配する」と訳されてきた。最近使われている「新共同訳・英語版」では「in charge of;役割を担う、責任を負う」と訳されている。人間はすべての被造物をケアーする責任を担うことにより人間らしくあり続けることができる、このことが明確に意識される翻訳になったと思っている。

▽「虫も悲しいんだね!」と ― 虫の視点でも考える

 私は20年を超えてフィリピン・ネグロス島の自立支援活動にかかわってきた。砂糖産業の崩壊による飢餓状態から、農業による自立を求める活動を立ち上げ支援してきた。バナナを日本の生協と協力して輸入してきたが、ある時バナナ畑に異変が生じた。日本人がバナナを購入することに気を良くした農民が生産を増加させるため作付け面積を拡大した。そのため連作障害を起こし、生態系のバランスを崩してしまった。
 その現地を調査したとき、バナナを販売する生協の専務理事であった兼重正次さんが「虫も悲しいんだね!」とつぶやいた。連作障害で異常発生した「害」虫の駆除を考えていた私には衝撃的な言葉だった。人間中心の視点ではなく虫の視点でも考えること。このことが自然の中で暮らし、自然を共生の相手としなければならない人間に求められているのではないかと気づかされた。

 この経験からネグロスの自立活動に新しい一頁が加えられることになった。循環型農業の創造である。ネグロス島の飢餓は砂糖産業依存に起因したもので、違う型でバナナに依存しては何も教訓を生かせないことになる。東洋に根付いている循環思想から学ぶことになった。

 「初めがあって終わりがある」という直線的思考。そして経済的、技術的進歩の度合によって優劣が決まる価値観。このダーウィニズム的成長主義が人間の知性を衰退させてきたともいえる。いま、東洋の循環思想の出番ではないかと思う。包括的な平和を目指して、東洋にある宗教者がメッセージを発信することが期待されている。

〈安原のコメント〉― 循環思想に立つ生命中心主義こそ肝要

 私(安原)は、上記の前島さんの文章を読んで、中世史家(カリフォルニア大学歴史学教授)、リン・ホワイト(1987年没)の指摘を想い出した。ホワイトは旧約聖書の中の「創造」のくだりに言及して、次のように書いている。
 「神は人間の利益と統治のためという明白な目的のために人間以外のすべての存在をお創りになられた。すなわちいかなる自然の創造物も人間の目的に奉仕する以外の目的をもっていなかった。(中略)このようにキリスト教は人類史上でもっとも人間中心主義的な宗教なのである」と。(ロデリック・F・ナッシュ著/松野 弘 訳『自然の権利―環境倫理の文明史』=ちくま学芸文庫、1999年=参照)

 ここでは人間は、自然と、そこに生きる人間以外の生き物の支配者として描かれている。多くのキリスト者はこういう人間観を共有してきた。この人間観は、前島さんの「人間と自然は共生のパートナー」、「人間は自らの生存のために被造物を必要とするが、人間以外の被造物はその生存のために人間を必要とはしない」、「人間中心の視点ではなく虫の視点でも考えること」という自然との共生観とは異質である。
 同じキリスト者でありながら、天地の違いが浮き出ている。一方は傲慢であり、他方は謙虚である。また一方の人間中心主義に対し、他方は自然を重視する循環思想に立つ生命中心主義(人間と自然双方の生命を上下ではなく、平等対等に認識すること)と位置づけることもできる。地球環境問題に的確に対応するには循環思想に立つ生命中心主義でなければならない。

 洞爺湖サミットに参集する欧米の首脳者はキリスト教信仰者である。一人ひとりを〈傲慢=人間中心主義〉派か、それとも〈謙虚=生命中心主義〉派か、に分類してみると、示唆に富む答えを引き出すことができるかもしれない。
 はっきりしているのはブッシュ米大統領だろう。〈傲慢=人間中心主義〉派の典型ではないか。いや、正確にいえば、彼は人間を「悪魔」と呼び捨てたりするのだから、自然だけではなく、人間に対しても傲慢である。いいかえれば、彼自身が支配者のつもりであり、生命中心主義とはおよそ無縁な存在である。地球環境問題への正しい対応を期待すること自体、そもそも無理といえるかもしれない。


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