農業を棄てた自分の「今」を想う
安原和雄
田植えの季節がめぐってきた。野坂昭如の田植え観、さらに農業・製造業論、反原発論はなかなかユニークである。日本は農業を軽視し、棄てたからこそ、製造業も衰退へ向かっているという主張には納得できる。
私自身、農家の生まれでありながら、田舎での農業を棄てて、東京暮らしを続けている一人である。この選択が間違っていたとは思わない。しかし農業を棄てた、その埋め合わせを、「今」の自分として成し遂げつつあるのかと自問すれば、「さて」と心底揺らぐほかない。(2012年5月25日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
▽ 「農を棄て、製造業も衰退」へ
毎日新聞に連載中の野坂昭如の「七転び八起き」に「田植え」と題した記事(2012年5月12日付)がある。記事の主見出しは「農を棄て、製造業も衰退」である。私自身、農家の生まれで、小中学生の頃、当然のこととして田植えに励んでいた。それだけにこの記事を、我が人生のこれまでの来(こ)し方と重ね合わせて興味深く読んだ。記事の大要を以下、紹介する。
*食いものを粗末にしない、この当たり前
米づくりは田植えに始まり、稲穂垂れるまで続く。だが個人で出来ることではない。農全般、特に米づくりは集落の力が必要なのだ。水田の造成、管理、収穫の技術は代々伝えられる。田植えにしろ、収穫にしろ、土に拠(よ)って生きる者同士がそれぞれ知恵を出し合い、助け合って生きてきた。共同作業も多い。自然とのつきあい方、食いものについて粗末にしない。このあたり前が農と共にあった。
*都市中心の歪(いびつ)な姿を生んだ農の崩壊
昭和42年、お上(かみ)は日本に米が余ったと発表。日本人の米離れが言われ、減反政策が始まった。つまり米は作るな、米はいらないということ。この減反政策と生産調整が進むにつれ、農の崩壊が加速していく。戦争に負けて、食糧不足だ、農民は国民のため米を増産せよといわれ、作れば今度は作るなという。農民の気持ちを無視した政策がもてはやされた。農の崩壊は地域の過疎化を招き、都市中心の歪な姿を生んだ。
*製造業の衰退は農業の衰退から
それでも高度成長の頃は、農を放棄しながら経済大国日本を築いた。今、その経済はどうか。日本の要である製造業にも翳(かげ)りが見えている。ぼくは農業の衰退も無関係ではないと思っている。日本の製造業を支えてきたのは職人気質でもある。農から遠ざかり、手塩にかける技、創意工夫する力の育つ土壌が失われ、知恵の伝承が断たれる。製造業の衰退の危機はこんなところにも原因があるのではないか。
*放射能による作付け制限に消費者こそ危機感を
東北は日本の米づくりの基盤である。放射性物質による汚染の懸念から作付けが制限されている地域がある。水田は一度でも作付けしないと荒れて使い物にならなくなる。葦(あし)や葛(くず)、猛々(たけだけ)しい雑草のおい繁(しげ)る休耕田、耕作放棄地の姿ほど怖ろしく不気味なものはなかった。本来なら瑞々(みずみず)しい水田の季節に、放射能による作付け制限を、消費者こそ危機感をもって考える必要がある。
▽ <安原の感想> 消費者としての危機感に着目
田植えの季節である。60年以上も昔のこと、雨の中、蓑(みの)を着て、田植えに取り組む幼い自分の姿が浮かんでくる。小学生の頃から、家で飼っていた牛を使って田んぼを耕すことを父の教えで習い始めた。農家生まれの自分としては、農業を継ぐのは当然のことと思っていた。他の選択は夢にも考えたことはなかった。
しかし人生は分からない。小学4年生の頃、関節リュウマチという病魔に取りつかれたのだ。医者も「普通は老人病であり、子どもには珍しい」と首を傾げていたが、中学2年まで毎冬、この病に襲われた。医者の次の一言が私の人生行路を大きく変えた。「息子さんには農業は無理だな」と。
地元の高校へ進学、まず病弱な身体を鍛え直さなければならない。父の勧(すす)めもあり、戸外にあった井戸の水を使って毎朝、冷水摩擦を始めた。当時は冬になると、雪が多かったが、降りしきる雪の中でも上半身裸になって、冷水摩擦は欠かさなかった。
お陰で高校3年間、病気で休むことはなかった。しかしもはや農業への関心は失っていた。東京の大学へ進む道を選び、このとき私は農家生まれでありながら農業を棄てたのだ。
今でも年に一度は郷里へ帰省するが、その都度実感する。野坂の上述の指摘、「雑草のおい繁る休耕田、耕作放棄地の姿ほど怖ろしく不気味なものはない」を。この不気味さは、自分の目で観た体験がなければ理解できないだろう。
何よりも見逃せないのは、次の洞察である。
一つは「製造業の衰退は農業の衰退から」という認識である。高度成長の過程を経て、これまで「農業の衰退から製造業の興隆・発展へ」というイメージが広がり、常識になっていた。安い農産品は米国など海外から輸入すればよい、という安易な国際分業論である。この結果、食糧の自給率は4割という先進国では例をみないほどの危機的な低水準に落ち込んでいる。
生命(いのち)の源である農業を軽視するところに製造業(工業)も永続しない。しかも金融(マネー)重視の新自由主義(=市場原理主義)的路線が製造業の衰退に拍車をかけてもいる。
もう一つは「(原発)放射能による(水田の)作付け制限を、消費者こそ危機感をもって考える必要がある」という指摘である。ここに「消費者」が登場してくることに着目したい。経済用語である消費者は、購買力を持つ日本国民一人ひとりを指している。これに対し農業、製造業は産業別の分業の違いであり、それぞれに国民全員がかかわっているわけではない。
原発惨事が日本国民全体の生死にかかわっていることは今では「常識」として認識されつつある。しかし「消費者」としての日本国民全体の危機であるという野坂流の視点を打ち出したのは、平凡に見えて、実は優れた認識とはいえないか。消費者だからこそ消費と共に危険な放射性物質を体内に摂取せざるを得ないという運命的危機から逃れられないという含意を汲み取ることが出来る。これは「消費者としての日本国民よ、決起せよ」という野阪節の叫びでもあるだろう。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
田植えの季節がめぐってきた。野坂昭如の田植え観、さらに農業・製造業論、反原発論はなかなかユニークである。日本は農業を軽視し、棄てたからこそ、製造業も衰退へ向かっているという主張には納得できる。
私自身、農家の生まれでありながら、田舎での農業を棄てて、東京暮らしを続けている一人である。この選択が間違っていたとは思わない。しかし農業を棄てた、その埋め合わせを、「今」の自分として成し遂げつつあるのかと自問すれば、「さて」と心底揺らぐほかない。(2012年5月25日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
▽ 「農を棄て、製造業も衰退」へ
毎日新聞に連載中の野坂昭如の「七転び八起き」に「田植え」と題した記事(2012年5月12日付)がある。記事の主見出しは「農を棄て、製造業も衰退」である。私自身、農家の生まれで、小中学生の頃、当然のこととして田植えに励んでいた。それだけにこの記事を、我が人生のこれまでの来(こ)し方と重ね合わせて興味深く読んだ。記事の大要を以下、紹介する。
*食いものを粗末にしない、この当たり前
米づくりは田植えに始まり、稲穂垂れるまで続く。だが個人で出来ることではない。農全般、特に米づくりは集落の力が必要なのだ。水田の造成、管理、収穫の技術は代々伝えられる。田植えにしろ、収穫にしろ、土に拠(よ)って生きる者同士がそれぞれ知恵を出し合い、助け合って生きてきた。共同作業も多い。自然とのつきあい方、食いものについて粗末にしない。このあたり前が農と共にあった。
*都市中心の歪(いびつ)な姿を生んだ農の崩壊
昭和42年、お上(かみ)は日本に米が余ったと発表。日本人の米離れが言われ、減反政策が始まった。つまり米は作るな、米はいらないということ。この減反政策と生産調整が進むにつれ、農の崩壊が加速していく。戦争に負けて、食糧不足だ、農民は国民のため米を増産せよといわれ、作れば今度は作るなという。農民の気持ちを無視した政策がもてはやされた。農の崩壊は地域の過疎化を招き、都市中心の歪な姿を生んだ。
*製造業の衰退は農業の衰退から
それでも高度成長の頃は、農を放棄しながら経済大国日本を築いた。今、その経済はどうか。日本の要である製造業にも翳(かげ)りが見えている。ぼくは農業の衰退も無関係ではないと思っている。日本の製造業を支えてきたのは職人気質でもある。農から遠ざかり、手塩にかける技、創意工夫する力の育つ土壌が失われ、知恵の伝承が断たれる。製造業の衰退の危機はこんなところにも原因があるのではないか。
*放射能による作付け制限に消費者こそ危機感を
東北は日本の米づくりの基盤である。放射性物質による汚染の懸念から作付けが制限されている地域がある。水田は一度でも作付けしないと荒れて使い物にならなくなる。葦(あし)や葛(くず)、猛々(たけだけ)しい雑草のおい繁(しげ)る休耕田、耕作放棄地の姿ほど怖ろしく不気味なものはなかった。本来なら瑞々(みずみず)しい水田の季節に、放射能による作付け制限を、消費者こそ危機感をもって考える必要がある。
▽ <安原の感想> 消費者としての危機感に着目
田植えの季節である。60年以上も昔のこと、雨の中、蓑(みの)を着て、田植えに取り組む幼い自分の姿が浮かんでくる。小学生の頃から、家で飼っていた牛を使って田んぼを耕すことを父の教えで習い始めた。農家生まれの自分としては、農業を継ぐのは当然のことと思っていた。他の選択は夢にも考えたことはなかった。
しかし人生は分からない。小学4年生の頃、関節リュウマチという病魔に取りつかれたのだ。医者も「普通は老人病であり、子どもには珍しい」と首を傾げていたが、中学2年まで毎冬、この病に襲われた。医者の次の一言が私の人生行路を大きく変えた。「息子さんには農業は無理だな」と。
地元の高校へ進学、まず病弱な身体を鍛え直さなければならない。父の勧(すす)めもあり、戸外にあった井戸の水を使って毎朝、冷水摩擦を始めた。当時は冬になると、雪が多かったが、降りしきる雪の中でも上半身裸になって、冷水摩擦は欠かさなかった。
お陰で高校3年間、病気で休むことはなかった。しかしもはや農業への関心は失っていた。東京の大学へ進む道を選び、このとき私は農家生まれでありながら農業を棄てたのだ。
今でも年に一度は郷里へ帰省するが、その都度実感する。野坂の上述の指摘、「雑草のおい繁る休耕田、耕作放棄地の姿ほど怖ろしく不気味なものはない」を。この不気味さは、自分の目で観た体験がなければ理解できないだろう。
何よりも見逃せないのは、次の洞察である。
一つは「製造業の衰退は農業の衰退から」という認識である。高度成長の過程を経て、これまで「農業の衰退から製造業の興隆・発展へ」というイメージが広がり、常識になっていた。安い農産品は米国など海外から輸入すればよい、という安易な国際分業論である。この結果、食糧の自給率は4割という先進国では例をみないほどの危機的な低水準に落ち込んでいる。
生命(いのち)の源である農業を軽視するところに製造業(工業)も永続しない。しかも金融(マネー)重視の新自由主義(=市場原理主義)的路線が製造業の衰退に拍車をかけてもいる。
もう一つは「(原発)放射能による(水田の)作付け制限を、消費者こそ危機感をもって考える必要がある」という指摘である。ここに「消費者」が登場してくることに着目したい。経済用語である消費者は、購買力を持つ日本国民一人ひとりを指している。これに対し農業、製造業は産業別の分業の違いであり、それぞれに国民全員がかかわっているわけではない。
原発惨事が日本国民全体の生死にかかわっていることは今では「常識」として認識されつつある。しかし「消費者」としての日本国民全体の危機であるという野坂流の視点を打ち出したのは、平凡に見えて、実は優れた認識とはいえないか。消費者だからこそ消費と共に危険な放射性物質を体内に摂取せざるを得ないという運命的危機から逃れられないという含意を汲み取ることが出来る。これは「消費者としての日本国民よ、決起せよ」という野阪節の叫びでもあるだろう。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
「いのちの尊重」と「足るを知る」を
安原和雄
仏教者の集まりである全日本仏教会の「反原発」宣言文、「原子力発電によらない生き方を求めて」が話題を呼んでいる。そのキーワードは「いのちの尊重」と「足るを知る」である。悲惨な原発事故が「いのちの尊重」に反することは言うまでもない。
ではどういう生き方が望ましいのか。「もっともっと欲しい」という貪欲な生き方が原発推進と重なっていたことを考えれば、貪欲を否定する知足(足るを知る)の生き方へと転換していくほかない。知足は貧しさを意味しない。むしろ謙虚な充足感につながる、と理解したい。反原発は日常の暮らしのあり方にも自主的な新たな選択を促すだろう。(2012年5月14日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
月刊誌『世界』(岩波書店刊・2012年6月号)は「原発は仏の道とあいいれない 過ちへの反省から出発を」という見出しのインタビュー記事を載せている。語るのは河野太通(こうの・たいつう)全日本仏教会(全日仏)前会長(注)。
(注)河野僧侶は1930年生まれ。現在、臨済宗妙心寺派管長。「3.11」当時、全日仏会長のポストにあった。著書に『床の間の禅語』(禅文化研究所)、『闘う仏教』(共著、春秋社)など多数。
▽ 原発をめぐる全日本仏教会前会長との一問一答
以下、インタビュー記事の大要を紹介する。
*仏教者として発言をしなければ
問い:臨済宗妙心寺派として昨2011年9月、脱原発を求める声明を出し、さらに全日仏会長として昨年12月、「原子力発電によらない生き方を求めて」(別項・参照)という宣言文を出した。
河野:私は、仏の教えの基本は生命の尊厳と人権の尊重だと言ってきた。(中略)原発事故が起きて、現在も数万人以上の人々が故郷に帰れないままでいる。そこで、まず会長談話として原発によらない生活の創造を世に問うた。それから脱原発声明や宣言を出した。誰かが言うのを待つのではなく、気づいた者が勇気を持って言わなくてはならない。正しいことだと思っていても、周囲の目をうかがって、沈黙しているうちに戦争へ流れていった、かつてとの共通点を思う。
*時代の都合で変わらない生き方を求めて
問い:全日仏の宣言文に「誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければならない」とある。こうした考えと脱原発、あるいは過去の戦争を反省する姿勢は一体のものなのか。
河野:戦争中に一番、我々の尻を叩いて軍国主義を叩き込んだ先生が、(敗戦後)「これからは民主主義の時代だ」と言って、リンカーンの言葉を「ガバメント オブ ザ ピープル・・・」なんて英語で説く。その先生は戦争中、「(日本が)戦争に勝てばアメリカ人も日本語を話すようになる」なんて言っていた。それで教師を、大人を、信用できなくなった。
その先生はただその時代に置かれた立場、いわば都合があって、「英語なんて必要ない」と言っていたにすぎない。だから、また都合が悪くなれば、この先生はまた言うことが変わるのではないか。(中略)時代に翻弄されない生き方というものがあるのか、考えた。
もう一つ、自分にとって衝撃だったことがある。仏教は、ことさらに人命の尊重を説く宗旨である。人間のみならず、動物や一木一草に到るまでの生命の平等の自覚から出発した教えで、それを説く仏教僧が、生命を奪う鉄砲を担いで戦争に加わっていた。衝撃だった。私は生命を尊重する生き方を求めて仏の道に身を投じた。ところがその仏教団が戦争に加担し、若者たちの尻を叩いていた。私は僧になることを迷った。その迷いは長く続いた。
*いまなお原発を動かそうという人間の欲望は恐ろしい
問い:そうした戦争への反省があっての脱原発なのですね。
河野:私は、原発も戦争も同じだと思う。一握りだったけれど、国策としての戦争に勇気をもって警告し反対していた人たちがいた。しかしそれが多くの声にならず、大きな流れを作れずに破局へと向かっていく。その点で原発と戦争には同じ流れがある。
原発の危険性はもう誰もが分かっているはずなのに、「世界最高水準の安全性」などと言って再稼働させようとしている。原発で利潤を生んできた歯車を再び回そうとしている。 原子力発電は核発電です。ウランを使って電気を作れば、あとに、すさまじい放射能を帯びた汚染物が残る。これを無害無毒にする技術を人間は持っていない。事故によって未来にわたる大量の汚染物質という負の遺産を子孫に残していく。それが分かっていながら、まだ原発を動かそうと言う。人間の欲望は恐ろしいものです。
原発をつくる金や、「安全」にするために何千億円もかけるのであれば、それを再生可能な自然エネルギーの開発と研究と普及に使った方がよい。今回の事故の反省から出発して、世界一の自然エネルギー国にする。そうなればいい。
*若者よ、生命の尊厳という仏教の基本理念を腹に据えて
問い:脱原発という社会的な発言には勇気が必要ではないか。若い仏教者の方々はどうですか。
河野:生命の尊厳と人権の尊重という仏の教えの基本理念を、仏の道に入る若者はしっかりと腹に据えてほしい。何より勇気をもって発言と行動をしてほしい。戦時中だけでなく、今でも立場の都合で本当のことを言わなくなる人はいくらでもいる。
世間には言いたいことも言えない人はいっぱいいる。お勤めの人は大変です。上役の目もある。家族も養わないといけない。一番気にしなくていい仏教者がはっきりとものを言うべきだ。何を気にかけることがあるか、国法に触れる悪事を犯さないかぎり、住職になればずっと住職だ(笑い)。
生命と人権を守るために、正しいことを言うために、住職というものがあるのだと思ってほしい。
*「足るを知る」質素な生活に
問い:原発の再稼働に反対する世論が広がっているが、一方では「江戸時代に戻るのか」とか、「真っ暗な中で生活するわけにはいかない」という政治家もいる。
河野:真っ暗はおどかしだが、私なんか少々暗くても大丈夫ですな。なにしろ戦争中は灯火管制で真っ暗でしたからな。むしろ、昼間から電灯を煌々(こうこう)とつけている現在のほうが異常なのだ。
原子力発電の恐ろしさを知らずに、電気を使い放題に使ってきた私たちがまず、反省していかなければならない。江戸時代には戻らないにしても、なんぼか始末した、質素な生活になったほうがいいのではないか。仏教で言うところの「足るを知る」です。
▽ 全日仏の宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」
参考までに河野太通氏が会長だった時の全日本仏教会の宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」(2011年12月1日付)を紹介する。その大要は以下の通り。
<宣言文>
東電福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、多くの人々が住み慣れた故郷を追われ、避難生活を強いられています。避難されている人々はやり場のない怒りと見通しのつかない不安の中、苦悩の日々を過ごされています。また、乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配し、「いのち」に対する大きな不安の中、生活を送っています。
広範囲に拡散した放射性物質が、日本だけでなく地球規模で自然環境、生態系に影響を与え、人間だけでなく様々な「いのち」を脅かす可能性は否めません。
日本は原爆による世界で唯一の被爆国であり、多くの人々の「いのち」が奪われ、また、一命をとりとめられた人々は現在もなお放射線による被曝で苦しんでいます。同じ過ちを人類が再び繰り返さないために、私たち日本人はその悲惨さ、苦しみをとおして「いのち」の尊さを世界の人々に伝え続けています。
全日本仏教会は仏教精神にもとづき、一人ひとりの「いのち」が尊重される社会を築くため、世界平和の実現に取り組んでまいりました。その一方で私たちはもっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。
だからこそ、私たちはこのような原発事故による「いのち」と平和な生活が脅かされるような事態をまねいたことを深く反省しなければなりません。
私たち全日本仏教会は「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません。
私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを宣言します。
2011(平成23)年12月1日
財団法人 全日本仏教会
▽ <安原の感想> 「いのちの尊重」、「足るを知る」を実践するとき
インタビュー記事と宣言文に盛り込まれているキーワードは二つある。「いのちの尊重」と「足るを知る」である。
例えばインタビュー記事に「生命の尊厳と人権の尊重という仏の教えの基本理念を、仏の道に入る若者はしっかりと腹に据えてほしい。何より勇気をもって発言と行動をしてほしい。戦時中だけでなく、今でも立場の都合で本当のことを言わなくなる人はいくらでもいる」とある。
ここには単に「生命の尊厳」を認識するだけでなく、その認識を生かすよう「勇気をもって発言し、行動してほしい」と実践の大切さを強調している。
「足るを知る」=「知足」も重要である。宣言文に「自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くすこと」とある。
「生命の尊厳」と同様に「知足」(「もうこれで十分」と受け止める謙虚な充足感)も日常の実践が重要である。
私が提唱している仏教経済学に八つのキーワード、すなわち<いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性>がある。これらのキーワードにはインタビュー記事、宣言文に出てくる「いのちの尊重」、「知足」も含まれている。
もう一つ見逃せないのは、戦争と原発の問題である。
インタビュー記事に「私は、原発も戦争も同じだと思う。一握りだったけれど、国策としての戦争に勇気をもって警告し反対していた人たちがいた。しかしそれが多くの声にならず、大きな流れを作れずに破局へと向かっていく。その点で原発と戦争には同じ流れがある」と。
この指摘にも同感である。原発でさらに破局を拡大させないためには、5月5日以来全面停止中の原発の再稼働を許さないことである。それは戦争の悲惨な犠牲を繰り返さない決意と重なっている。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
仏教者の集まりである全日本仏教会の「反原発」宣言文、「原子力発電によらない生き方を求めて」が話題を呼んでいる。そのキーワードは「いのちの尊重」と「足るを知る」である。悲惨な原発事故が「いのちの尊重」に反することは言うまでもない。
ではどういう生き方が望ましいのか。「もっともっと欲しい」という貪欲な生き方が原発推進と重なっていたことを考えれば、貪欲を否定する知足(足るを知る)の生き方へと転換していくほかない。知足は貧しさを意味しない。むしろ謙虚な充足感につながる、と理解したい。反原発は日常の暮らしのあり方にも自主的な新たな選択を促すだろう。(2012年5月14日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
月刊誌『世界』(岩波書店刊・2012年6月号)は「原発は仏の道とあいいれない 過ちへの反省から出発を」という見出しのインタビュー記事を載せている。語るのは河野太通(こうの・たいつう)全日本仏教会(全日仏)前会長(注)。
(注)河野僧侶は1930年生まれ。現在、臨済宗妙心寺派管長。「3.11」当時、全日仏会長のポストにあった。著書に『床の間の禅語』(禅文化研究所)、『闘う仏教』(共著、春秋社)など多数。
▽ 原発をめぐる全日本仏教会前会長との一問一答
以下、インタビュー記事の大要を紹介する。
*仏教者として発言をしなければ
問い:臨済宗妙心寺派として昨2011年9月、脱原発を求める声明を出し、さらに全日仏会長として昨年12月、「原子力発電によらない生き方を求めて」(別項・参照)という宣言文を出した。
河野:私は、仏の教えの基本は生命の尊厳と人権の尊重だと言ってきた。(中略)原発事故が起きて、現在も数万人以上の人々が故郷に帰れないままでいる。そこで、まず会長談話として原発によらない生活の創造を世に問うた。それから脱原発声明や宣言を出した。誰かが言うのを待つのではなく、気づいた者が勇気を持って言わなくてはならない。正しいことだと思っていても、周囲の目をうかがって、沈黙しているうちに戦争へ流れていった、かつてとの共通点を思う。
*時代の都合で変わらない生き方を求めて
問い:全日仏の宣言文に「誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければならない」とある。こうした考えと脱原発、あるいは過去の戦争を反省する姿勢は一体のものなのか。
河野:戦争中に一番、我々の尻を叩いて軍国主義を叩き込んだ先生が、(敗戦後)「これからは民主主義の時代だ」と言って、リンカーンの言葉を「ガバメント オブ ザ ピープル・・・」なんて英語で説く。その先生は戦争中、「(日本が)戦争に勝てばアメリカ人も日本語を話すようになる」なんて言っていた。それで教師を、大人を、信用できなくなった。
その先生はただその時代に置かれた立場、いわば都合があって、「英語なんて必要ない」と言っていたにすぎない。だから、また都合が悪くなれば、この先生はまた言うことが変わるのではないか。(中略)時代に翻弄されない生き方というものがあるのか、考えた。
もう一つ、自分にとって衝撃だったことがある。仏教は、ことさらに人命の尊重を説く宗旨である。人間のみならず、動物や一木一草に到るまでの生命の平等の自覚から出発した教えで、それを説く仏教僧が、生命を奪う鉄砲を担いで戦争に加わっていた。衝撃だった。私は生命を尊重する生き方を求めて仏の道に身を投じた。ところがその仏教団が戦争に加担し、若者たちの尻を叩いていた。私は僧になることを迷った。その迷いは長く続いた。
*いまなお原発を動かそうという人間の欲望は恐ろしい
問い:そうした戦争への反省があっての脱原発なのですね。
河野:私は、原発も戦争も同じだと思う。一握りだったけれど、国策としての戦争に勇気をもって警告し反対していた人たちがいた。しかしそれが多くの声にならず、大きな流れを作れずに破局へと向かっていく。その点で原発と戦争には同じ流れがある。
原発の危険性はもう誰もが分かっているはずなのに、「世界最高水準の安全性」などと言って再稼働させようとしている。原発で利潤を生んできた歯車を再び回そうとしている。 原子力発電は核発電です。ウランを使って電気を作れば、あとに、すさまじい放射能を帯びた汚染物が残る。これを無害無毒にする技術を人間は持っていない。事故によって未来にわたる大量の汚染物質という負の遺産を子孫に残していく。それが分かっていながら、まだ原発を動かそうと言う。人間の欲望は恐ろしいものです。
原発をつくる金や、「安全」にするために何千億円もかけるのであれば、それを再生可能な自然エネルギーの開発と研究と普及に使った方がよい。今回の事故の反省から出発して、世界一の自然エネルギー国にする。そうなればいい。
*若者よ、生命の尊厳という仏教の基本理念を腹に据えて
問い:脱原発という社会的な発言には勇気が必要ではないか。若い仏教者の方々はどうですか。
河野:生命の尊厳と人権の尊重という仏の教えの基本理念を、仏の道に入る若者はしっかりと腹に据えてほしい。何より勇気をもって発言と行動をしてほしい。戦時中だけでなく、今でも立場の都合で本当のことを言わなくなる人はいくらでもいる。
世間には言いたいことも言えない人はいっぱいいる。お勤めの人は大変です。上役の目もある。家族も養わないといけない。一番気にしなくていい仏教者がはっきりとものを言うべきだ。何を気にかけることがあるか、国法に触れる悪事を犯さないかぎり、住職になればずっと住職だ(笑い)。
生命と人権を守るために、正しいことを言うために、住職というものがあるのだと思ってほしい。
*「足るを知る」質素な生活に
問い:原発の再稼働に反対する世論が広がっているが、一方では「江戸時代に戻るのか」とか、「真っ暗な中で生活するわけにはいかない」という政治家もいる。
河野:真っ暗はおどかしだが、私なんか少々暗くても大丈夫ですな。なにしろ戦争中は灯火管制で真っ暗でしたからな。むしろ、昼間から電灯を煌々(こうこう)とつけている現在のほうが異常なのだ。
原子力発電の恐ろしさを知らずに、電気を使い放題に使ってきた私たちがまず、反省していかなければならない。江戸時代には戻らないにしても、なんぼか始末した、質素な生活になったほうがいいのではないか。仏教で言うところの「足るを知る」です。
▽ 全日仏の宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」
参考までに河野太通氏が会長だった時の全日本仏教会の宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」(2011年12月1日付)を紹介する。その大要は以下の通り。
<宣言文>
東電福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、多くの人々が住み慣れた故郷を追われ、避難生活を強いられています。避難されている人々はやり場のない怒りと見通しのつかない不安の中、苦悩の日々を過ごされています。また、乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配し、「いのち」に対する大きな不安の中、生活を送っています。
広範囲に拡散した放射性物質が、日本だけでなく地球規模で自然環境、生態系に影響を与え、人間だけでなく様々な「いのち」を脅かす可能性は否めません。
日本は原爆による世界で唯一の被爆国であり、多くの人々の「いのち」が奪われ、また、一命をとりとめられた人々は現在もなお放射線による被曝で苦しんでいます。同じ過ちを人類が再び繰り返さないために、私たち日本人はその悲惨さ、苦しみをとおして「いのち」の尊さを世界の人々に伝え続けています。
全日本仏教会は仏教精神にもとづき、一人ひとりの「いのち」が尊重される社会を築くため、世界平和の実現に取り組んでまいりました。その一方で私たちはもっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。
だからこそ、私たちはこのような原発事故による「いのち」と平和な生活が脅かされるような事態をまねいたことを深く反省しなければなりません。
私たち全日本仏教会は「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません。
私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを宣言します。
2011(平成23)年12月1日
財団法人 全日本仏教会
▽ <安原の感想> 「いのちの尊重」、「足るを知る」を実践するとき
インタビュー記事と宣言文に盛り込まれているキーワードは二つある。「いのちの尊重」と「足るを知る」である。
例えばインタビュー記事に「生命の尊厳と人権の尊重という仏の教えの基本理念を、仏の道に入る若者はしっかりと腹に据えてほしい。何より勇気をもって発言と行動をしてほしい。戦時中だけでなく、今でも立場の都合で本当のことを言わなくなる人はいくらでもいる」とある。
ここには単に「生命の尊厳」を認識するだけでなく、その認識を生かすよう「勇気をもって発言し、行動してほしい」と実践の大切さを強調している。
「足るを知る」=「知足」も重要である。宣言文に「自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くすこと」とある。
「生命の尊厳」と同様に「知足」(「もうこれで十分」と受け止める謙虚な充足感)も日常の実践が重要である。
私が提唱している仏教経済学に八つのキーワード、すなわち<いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性>がある。これらのキーワードにはインタビュー記事、宣言文に出てくる「いのちの尊重」、「知足」も含まれている。
もう一つ見逃せないのは、戦争と原発の問題である。
インタビュー記事に「私は、原発も戦争も同じだと思う。一握りだったけれど、国策としての戦争に勇気をもって警告し反対していた人たちがいた。しかしそれが多くの声にならず、大きな流れを作れずに破局へと向かっていく。その点で原発と戦争には同じ流れがある」と。
この指摘にも同感である。原発でさらに破局を拡大させないためには、5月5日以来全面停止中の原発の再稼働を許さないことである。それは戦争の悲惨な犠牲を繰り返さない決意と重なっている。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
平和憲法施行から65周年を迎えて
安原和雄
2012年5月3日、あの敗戦後の廃墟と混乱の中で施行された現行平和憲法は65年の歳月を重ねた。大手紙の憲法観は乱れ、護憲派、改憲派に分かれている。しかし戦争放棄と共に人権尊重を掲げる優れた憲法理念は、あくまで守り、生かさなければならない。
特に強調すべきことは、憲法18条(奴隷的拘束からの自由)をどう生かすかである。現下の政治、経済、社会状況は多くの若者や労働者を事実上の奴隷状態に追い込んでいる。これがかつての経済大国ニッポンの成れの果てと言えば、誇張に過ぎるだろうか。今こそ「奴隷状態」に「さようなら」を告げるときである。(2012年5月4日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
2012年5月3日付の大手紙社説は憲法施行65周年を迎えて、どう論じたか。主要5紙社説の見出しを紹介する。
*東京新聞=人間らしく生きるには 憲法記念日に考える
*朝日新聞=憲法記念日に われらの子孫のために
*毎日新聞=統治構造から切り込め 国のかたちを考える ⑤論憲の深化
*読売新聞=憲法記念日 改正論議で国家観が問われる 高まる緊急事態法制の必要性
*日本経済新聞=憲法改正の論議を前に進めよう
以上の見出しからも察しがつくように、本来の憲法理念をどう生かすかを中心に論じている「理念尊重」派が東京、朝日である。一方、読売と日経は明らかに現行憲法に不満を抱く改憲論に立っている。両派に比べ中立の立場を匂わしながら、「論憲」という名の改憲姿勢であるのが毎日といえよう。
私(安原)自身は、「理念尊重」派に属している。観念的な「理念尊重」ではない。21世紀、特に「3.11」(2011年3月の大震災と原発大惨事)以後の日本再生は、「理念尊重」をどう具体化していくかにかかっている。憲法理念を軽視するようでは日本再生は正道を踏み外すことになるだろう。
▽ 人間らしく生きる ― 憲法25条の生存権
ここでは「人間らしく生きる」視点を重視する東京新聞社説の大要を以下に紹介する。
哲学書としては異例の売れ行きをみせている本がある。十九世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーが著した「幸福について」(新潮文庫)だ。次のようにも記されている。
《幸福の基礎をなすものは、われわれの自然性である。だからわれわれの福祉にとっては健康がいちばん大事で、健康に次いでは生存を維持する手段が大事である》
生存を維持する手段。まさしく憲法の生存権の規定そのものだ。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した第二五条の条文である。
大震災と原発事故から一年以上も経過した。だが、岩手・宮城のがれき処理が10%程度というありさまは、遅延する復旧・復興の象徴だ。原発事故による放射能汚染は、故郷への帰還の高い壁となり、今なお自然を痛めつけ続けてもいる。
肉体的な健康ばかりでなく、文化的に生きる。主権者たる国民はそれを求め、国家は保障の義務がある。人間らしく生きる。その当然のことが、危機に瀕(ひん)しているというのに、政治の足取りが重すぎる。
生存権は、暮らしの前提となる環境を破壊されない権利も含む。当然だ。環境破壊の典型である原発事故を目の当たりにしながら、再稼働へと向かう国は、踏みとどまって考え直すべきなのだ。
国家の怠慢は被災地に限らない。雇用や福祉、社会保障、文化政策、これらの社会的な課題が立ちいかなくなっていることに気付く。例えば雇用だ。
◆50%超が不安定雇用
若者の半数が不安定雇用。こんなショッキングな数字が政府の「雇用戦略対話」で明らかになった。二〇一〇年春に大学や専門学校を卒業した学生八十五万人の「その後」を推計した結果だ。
三年以内に早期離職した者、無職者やアルバイト、さらに中途退学者を加えると、四十万六千人にのぼった。大学院進学者などを除いた母数から計算すると、安定的な職に至らなかった者は52%に達するのだ。高卒だと68%、中卒だと実に89%である。予想以上に深刻なデータになっている。
労働力調査でも、完全失業者数は三百万人の大台に乗ったままだ。国民生活基礎調査では、一世帯あたりの平均所得は約五百五十万円だが、平均を下回る世帯数が60%を超える。深刻なのは、所得二百万円台という世帯が最も多いことだ。生活保護に頼らざるをえない人も二百万人を突破した。
とくに内閣府調査で、「自殺したいと思ったことがある」と回答した二十代の若者が、28・4%にも達したのは驚きだ。「生存を維持する手段」が瀬戸際にある。もはや傍観していてはならない。
一九二九年の「暗黒の木曜日」から起きた世界大恐慌で、米国は何をしたか。三三年に大統領に就任したルーズベルトは、公共事業というよりも、実は大胆な失業救済策を打ち出した。フーバー前政権では「ゼロ」だった失業救済に、三四年会計年度から国の総支出の30%にもあたる巨額な費用を投じたのだ。
当時、ヨーロッパでも使われていなかった「社会保障」という言葉自体が、このとき法律名として生まれた。「揺りかごから墓場まで」という知られたフレーズも、ルーズベルトがよく口ずさんだ造語だという。
翻って現代ニッポンはどうか。社会保障と税の一体改革を進めるというが、本音は増税で、社会保障の夢は無策に近い。「若い世代にツケを回さないため」と口にする首相だが、今を生きる若者の苦境さえ救えないのに、未来の安心など誰が信用するというのか。ルーズベルトの社会保障とは、まるで姿も形も異なる。
◆現代人は“奴隷”か
十八世紀の思想家ルソーは「社会契約論」(岩波文庫)で、当時の英国人を評して、「彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイ(奴隷)となり、無に帰してしまう」と痛烈に書いた。
二十一世紀の日本人は“奴隷”であってはいけない。人間らしく生きたい。その当然の権利を主張し、実現させて、「幸福の基礎」を築き直そう。
▽ <安原の感想> 脱「奴隷」から日本の再生は始まる
東京新聞社説の末尾の指摘は「刺激的」であり、かつ「挑発的」でもある。<二十一世紀の日本人は“奴隷”であってはいけない。人間らしく生きたい。その当然の権利を主張し、実現させて、「幸福の基礎」を築き直そう>と。
憲法18条(奴隷的拘束からの自由)に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とある。この憲法の条項をどれだけの人が理解し、脳裏に刻みつけているだろうか。「刺激的」とは、「えっ? そんなことが憲法に書いてあるの」と驚く人が少なくないだろうからだ。一方、「挑発的」とは、黙っていていいのか。変革のために立ち上がれ、と促しているとも理解できるからだ。
何をどう変革するのか。上記の社説にそのデータが満載である。変革とは、少なくとも以下のような悪しき現実を改善することだ。
・若者の半数が不安定雇用
・完全失業者数は三百万人の大台に乗ったまま
・一世帯あたりの平均所得(約五百五十万円)を下回る世帯数が60%超
・生活保護に頼らざるをえない人も二百万人を突破
・「自殺したいと思ったことがある」二十代の若者が、28・4%にも
多くの人は今や「豊かさ」よりも「幸せ」を求めて生きている。その幸せを実現させるための第一歩は「自分は奴隷に甘んじているのではないか」と自覚することから始まるにちがいない。つまり脱奴隷への道を見すえることだ。
そのための必要条件として、脱原発との連携が不可欠であるだろう。考えてみれば、原発推進のための原発複合体(政官財のほか学者、メディアなどが構成メンバー)そのものが民衆・市民を奴隷的拘束状態に閉じ込める装置として機能してきた。当初から反原発の少数派は別にして、原発容認の多数派は、奴隷状態に置かれていることに無自覚であった。
しかし「3・11」を境に反原発の少数派が多数派に成長した。つまり脱奴隷への道を着実に歩みつつある。もはや逆流はあり得ないだろう。いったん自覚した奴隷が再び無自覚の奴隷へと転落することはあり得ない。ここから日本の再生が始まる。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
2012年5月3日、あの敗戦後の廃墟と混乱の中で施行された現行平和憲法は65年の歳月を重ねた。大手紙の憲法観は乱れ、護憲派、改憲派に分かれている。しかし戦争放棄と共に人権尊重を掲げる優れた憲法理念は、あくまで守り、生かさなければならない。
特に強調すべきことは、憲法18条(奴隷的拘束からの自由)をどう生かすかである。現下の政治、経済、社会状況は多くの若者や労働者を事実上の奴隷状態に追い込んでいる。これがかつての経済大国ニッポンの成れの果てと言えば、誇張に過ぎるだろうか。今こそ「奴隷状態」に「さようなら」を告げるときである。(2012年5月4日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
2012年5月3日付の大手紙社説は憲法施行65周年を迎えて、どう論じたか。主要5紙社説の見出しを紹介する。
*東京新聞=人間らしく生きるには 憲法記念日に考える
*朝日新聞=憲法記念日に われらの子孫のために
*毎日新聞=統治構造から切り込め 国のかたちを考える ⑤論憲の深化
*読売新聞=憲法記念日 改正論議で国家観が問われる 高まる緊急事態法制の必要性
*日本経済新聞=憲法改正の論議を前に進めよう
以上の見出しからも察しがつくように、本来の憲法理念をどう生かすかを中心に論じている「理念尊重」派が東京、朝日である。一方、読売と日経は明らかに現行憲法に不満を抱く改憲論に立っている。両派に比べ中立の立場を匂わしながら、「論憲」という名の改憲姿勢であるのが毎日といえよう。
私(安原)自身は、「理念尊重」派に属している。観念的な「理念尊重」ではない。21世紀、特に「3.11」(2011年3月の大震災と原発大惨事)以後の日本再生は、「理念尊重」をどう具体化していくかにかかっている。憲法理念を軽視するようでは日本再生は正道を踏み外すことになるだろう。
▽ 人間らしく生きる ― 憲法25条の生存権
ここでは「人間らしく生きる」視点を重視する東京新聞社説の大要を以下に紹介する。
哲学書としては異例の売れ行きをみせている本がある。十九世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーが著した「幸福について」(新潮文庫)だ。次のようにも記されている。
《幸福の基礎をなすものは、われわれの自然性である。だからわれわれの福祉にとっては健康がいちばん大事で、健康に次いでは生存を維持する手段が大事である》
生存を維持する手段。まさしく憲法の生存権の規定そのものだ。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した第二五条の条文である。
大震災と原発事故から一年以上も経過した。だが、岩手・宮城のがれき処理が10%程度というありさまは、遅延する復旧・復興の象徴だ。原発事故による放射能汚染は、故郷への帰還の高い壁となり、今なお自然を痛めつけ続けてもいる。
肉体的な健康ばかりでなく、文化的に生きる。主権者たる国民はそれを求め、国家は保障の義務がある。人間らしく生きる。その当然のことが、危機に瀕(ひん)しているというのに、政治の足取りが重すぎる。
生存権は、暮らしの前提となる環境を破壊されない権利も含む。当然だ。環境破壊の典型である原発事故を目の当たりにしながら、再稼働へと向かう国は、踏みとどまって考え直すべきなのだ。
国家の怠慢は被災地に限らない。雇用や福祉、社会保障、文化政策、これらの社会的な課題が立ちいかなくなっていることに気付く。例えば雇用だ。
◆50%超が不安定雇用
若者の半数が不安定雇用。こんなショッキングな数字が政府の「雇用戦略対話」で明らかになった。二〇一〇年春に大学や専門学校を卒業した学生八十五万人の「その後」を推計した結果だ。
三年以内に早期離職した者、無職者やアルバイト、さらに中途退学者を加えると、四十万六千人にのぼった。大学院進学者などを除いた母数から計算すると、安定的な職に至らなかった者は52%に達するのだ。高卒だと68%、中卒だと実に89%である。予想以上に深刻なデータになっている。
労働力調査でも、完全失業者数は三百万人の大台に乗ったままだ。国民生活基礎調査では、一世帯あたりの平均所得は約五百五十万円だが、平均を下回る世帯数が60%を超える。深刻なのは、所得二百万円台という世帯が最も多いことだ。生活保護に頼らざるをえない人も二百万人を突破した。
とくに内閣府調査で、「自殺したいと思ったことがある」と回答した二十代の若者が、28・4%にも達したのは驚きだ。「生存を維持する手段」が瀬戸際にある。もはや傍観していてはならない。
一九二九年の「暗黒の木曜日」から起きた世界大恐慌で、米国は何をしたか。三三年に大統領に就任したルーズベルトは、公共事業というよりも、実は大胆な失業救済策を打ち出した。フーバー前政権では「ゼロ」だった失業救済に、三四年会計年度から国の総支出の30%にもあたる巨額な費用を投じたのだ。
当時、ヨーロッパでも使われていなかった「社会保障」という言葉自体が、このとき法律名として生まれた。「揺りかごから墓場まで」という知られたフレーズも、ルーズベルトがよく口ずさんだ造語だという。
翻って現代ニッポンはどうか。社会保障と税の一体改革を進めるというが、本音は増税で、社会保障の夢は無策に近い。「若い世代にツケを回さないため」と口にする首相だが、今を生きる若者の苦境さえ救えないのに、未来の安心など誰が信用するというのか。ルーズベルトの社会保障とは、まるで姿も形も異なる。
◆現代人は“奴隷”か
十八世紀の思想家ルソーは「社会契約論」(岩波文庫)で、当時の英国人を評して、「彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイ(奴隷)となり、無に帰してしまう」と痛烈に書いた。
二十一世紀の日本人は“奴隷”であってはいけない。人間らしく生きたい。その当然の権利を主張し、実現させて、「幸福の基礎」を築き直そう。
▽ <安原の感想> 脱「奴隷」から日本の再生は始まる
東京新聞社説の末尾の指摘は「刺激的」であり、かつ「挑発的」でもある。<二十一世紀の日本人は“奴隷”であってはいけない。人間らしく生きたい。その当然の権利を主張し、実現させて、「幸福の基礎」を築き直そう>と。
憲法18条(奴隷的拘束からの自由)に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とある。この憲法の条項をどれだけの人が理解し、脳裏に刻みつけているだろうか。「刺激的」とは、「えっ? そんなことが憲法に書いてあるの」と驚く人が少なくないだろうからだ。一方、「挑発的」とは、黙っていていいのか。変革のために立ち上がれ、と促しているとも理解できるからだ。
何をどう変革するのか。上記の社説にそのデータが満載である。変革とは、少なくとも以下のような悪しき現実を改善することだ。
・若者の半数が不安定雇用
・完全失業者数は三百万人の大台に乗ったまま
・一世帯あたりの平均所得(約五百五十万円)を下回る世帯数が60%超
・生活保護に頼らざるをえない人も二百万人を突破
・「自殺したいと思ったことがある」二十代の若者が、28・4%にも
多くの人は今や「豊かさ」よりも「幸せ」を求めて生きている。その幸せを実現させるための第一歩は「自分は奴隷に甘んじているのではないか」と自覚することから始まるにちがいない。つまり脱奴隷への道を見すえることだ。
そのための必要条件として、脱原発との連携が不可欠であるだろう。考えてみれば、原発推進のための原発複合体(政官財のほか学者、メディアなどが構成メンバー)そのものが民衆・市民を奴隷的拘束状態に閉じ込める装置として機能してきた。当初から反原発の少数派は別にして、原発容認の多数派は、奴隷状態に置かれていることに無自覚であった。
しかし「3・11」を境に反原発の少数派が多数派に成長した。つまり脱奴隷への道を着実に歩みつつある。もはや逆流はあり得ないだろう。いったん自覚した奴隷が再び無自覚の奴隷へと転落することはあり得ない。ここから日本の再生が始まる。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
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