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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
今こそ「小日本主義」を広めるとき
安倍首相の「危機突破内閣」に抗して

安原和雄
安倍首相が舵取り役の「危機突破内閣」が発足した。先の総選挙で自民党は大勝したとはいえ、内実は決して安泰ではない。タカ派のイメージが強すぎる。それをむしろ「よいしょ」と支える論調もある。
101歳という高齢でなお健在の日野原重明・聖路加国際病院理事長の苦言にむしろ耳を傾けたい。それは軍事力を棄てる「小日本主義」のすすめである。これは敗戦後間もない頃、首相の座にあった石橋湛山の持論で、日米安保体制下で軍事力重視の強国へと暴走しかねない安倍政権をどう抑え込むかが今後の注目点にならざるを得ない。民意による批判、監視の目を光らせる時である。(2012年12月27日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽ メディアは安倍政権発足をどう論じたか

まず大手紙(12月27日付)の社説を紹介しよう。
*朝日新聞=安倍内閣発足 再登板への期待と不安
*毎日新聞=第2次安倍内閣 「自民の変化」示す政治を
*讀賣新聞=第2次安倍内閣 危機突破へ政権の総力挙げよ 「強い経済」取り戻す知恵が要る
*日本経済新聞=安倍自民の力結集し政治の安定を
*東京新聞=第2次安倍内閣発足 謙虚さをいつまでも

上記の社説の見出しからそれなりに推測できるような内容の社説といえる。読まなくとも社説の筋は読み取れると言っては失礼だろうか。むしろ注目したいのは社説ではなく、讀賣新聞(27日付)一面に掲載された橋本五郎特別編集委員の署名入り記事、「拝啓 安倍晋三様 非情の宰相であれ」である。その骨子は以下の通り。

「政治とは可能性のアート(芸術・技術)である」。鉄血宰相、ビスマルクの言葉です。安倍さんには5年前、不本意にも退場せざるを得なかった挫折の経験がある。ならばこそ「芸術としての政治」を見せてほしい。
安倍さんには「タカ派」のイメージが付きまとっている。海外からも「右傾化」との指摘がある。そんな単純なレッテル張りを気にする必要はない。
国益を守ることには毅然とした「タカ派」でなければならない。その一方で決して一本やりの強硬路線ではなく、戦略的な「しなやかさ」が求められる。
心配なことは、安倍さんが優しいことで、マキャベリは、君主は「憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない」と書いている。
安倍さんが仕えた小泉純一郎さんの政治の特徴は「四つのない」にあった。一度決めたら「変えない」。事を決するにあたり「迷わない」。人の意見を「聞かない」。人に「頼まない」。小泉さんに倣い、確信したなら断固、非情に振る舞ってください。

<安原の感想> タカ派首相は平和憲法理念になじまない
我がニッポンもついに鉄血宰相、ビスマルク(1815~1898年、ドイツの政治家。1871年ドイツ統一を達成、帝国初代宰相となる。社会主義運動を弾圧する一方、社会政策を推進)を持ち上げる記事が登場する時代へと変化したのか、という思いが消えない。日本版ビスマルクの行動スタイルは、以下の4つに集約できる。
・「右傾化」というレッテル張りを気にする必要はないこと
・国益を守ることには毅然とした「タカ派」であること
・君主(日本では首相)は「恐れられる存在」になること
・元首相、小泉流の「非情の振る舞い」が重要であること

これら行動スタイルの勧めは、日本をどこへ誘(いざな)おうとしているのか。その一つは人権、平等、民主主義の否定あるいは一層の弱体化であり、それにとどまらない。平和、非戦への脅威も高まる。いずれも日本国憲法の基本理念の骨抜きに通じかねないだろう。安倍首相のタカ派ぶりがどこまで進むか、監視の目が離せない。タカ派首相は、日本国憲法の民主主義、平和などの基本理念とはどこまでもなじまないことを強調しておきたい。

▽ 日野原翁の「小日本主義」のすすめ

101歳の日野原重明・聖路加国際病院理事長(注)は毎日新聞朝刊(12月24日付、聞き手は伊藤智永記者)で「今こそ<小日本主義>を」と題して一問一答形式で安倍政権の選択すべき路線について注文をつけている。日本の敗戦(1945年)後、首相の座についた石橋湛山(1884~1973年)がこの記事で紹介されているが、その湛山は小日本主義につながる「小国主義」を唱えたことで知られる。一問一答の趣旨を以下に紹介する。
(注)日野原重明(ひのはら・しげあき)氏は、山口県生まれ。キリスト教牧師の家庭で育ち、京大大学院修了(医学博士)。聖路加国際病院長を歴任、予防医学や終末医療などの功績で文化勲章を受章。

(1)「非戦」に徹すれば、誰も日本を攻撃しない
問い:大陸国家・中国は、経済大国になるにつれ海洋への軍事圧力を強めている。
日野原:湛山は帝国主義の時代に、領土・勢力拡張政策が経済的・軍事的にいかに無価値であるかを論証し、領土は小さい「小日本」でも、「縄張りとしようとする野心を棄てるならば、戦争は絶対に起こらない、国防も用はない」と喝破した。日本が軍備を完全になくせば、どこの国が攻撃しますか。湛山は「道徳的位置」の力と言っている。
問い:無防備で対処する?
日野原:そう、裸になることよ。
問い:沖縄の米軍基地も・・・
日野原:サイパンかグアムへ移す。資源もない丸裸の沖縄なら、世界の非難があるのに、誰が手出しできますか。できやしない。
問い:自衛隊は?
日野原:専守防衛に徹し、海外派遣は災害の救助に限定する。
問い:旧社会党の非武装中立論に似てますね。しかしあれは非現実的な政策だったとして、歴史的に否定された。
日野原:よく似ているけど、社会党は中途半端だった。もっと徹底してやるんだ。私は今また、そういう運動を世界中に起こしたいよ。ドイツの哲学者カントが晩年、「永遠平和のために」という本を書いたでしょ。そこで「非戦」という思想に到達している。休戦協定や平和条約で「不戦」を取り決めるだけでは不十分なんだ。

(2)湛山の「小国主義」は小欲を棄てて大欲をめざす途
問い:領土には心の問題も絡む。韓国人にとって竹島は、植民地化の記憶と重なる歴史認識問題のシンボルです。
日野原:日本側が純粋な心を示して解きほぐすしかない。それが愛というものよ。
問い:必要なのは、愛だと。
日野原:愛の徹底には犠牲がある。寛恕。自分が自分の過ちを許すように、相手の心も大らかに許す。今の政治や外交には愛がないね。損得条件の話ばかりで、精神がない。
問い:排外的なナショナリズムが勢いづいている。
日野原:日本も多民族国家になることが必要だ。中国、韓国、米国、インドなど世界中の人たちと血が混じり合っていかないと。民族のよろいを脱ぎ捨てて、裸になる。大和魂だけ言ったって、世界には通じない。
問い:小日本主義には、経済成長否定かと反発もある。
日野原:湛山の「小国主義」には、国内に縮こまるという意味では全然ない。外に領土や軍事力をひろげるのでなく、人材をどんどん輸出して世界に人も心も開いていく。日本の資源は人間だから。帝国主義時代に、「(植民地主義)の小欲に囚(とら))われ、(平和貿易立国の)大欲を遂ぐるの途を知らざるもの」と看破したんだから、偉いもんだ。全然古びていない。むしろ、今の政治の世界にこそ現れてほしい。

<安原の感想> 今こそ「小日本主義」を広めるとき
政治記者の首相会見での質問をテレビで見る限り、骨太さや鋭さにいささか欠けてはいないか。穏当な質問が目立つ。首相の心情としてタカ派的思考があることは明白なので、なぜそこにメスを入れる気構えで問いつめないのか、不満が残る。
「首相はドイツの鉄血宰相をどう評価するか」といささか意表を突く問いかけがあれば、なおおもしろい。安倍首相が平然と自身の「鉄血宰相論」を開陳すれば、賛否はさておき首相株は高騰したかも知れない。

小日本主義論にしても同様である。首相としてこれに同調する姿勢は想像できないが、質問してみる価値は十分ある。小日本主義論すなわち「小国主義」には二つの今日的視点がある。
その一つは不戦ではなく、非戦であること。ドイツの哲学者カントの徹底した「永遠平和論」がその源(みなもと)である。もう一つは植民地主義に囚われる小欲ではなく、平和貿易立国という大欲への途である。この大欲は軍事力を背景にしない。平和憲法の非武装という理念を生かす平和貿易立国の途であり、「小日本主義」を広める道である。
安倍政権はこれら小国主義には背を向けるだろう。半面、日米同盟すなわち日米安保体制の維持・拡充には異常な熱意を見せており、そのことが安倍政権の希望的願望に反して自らの寿命を縮めるほかないだろう。

参考資料:安原和雄「二十一世紀版小日本主義のすすめ―大国主義路線に抗して」(足利工業大学研究誌『東洋文化』第24号、2005年1月)

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『風力発電が世界を救う』を読んで
エネルギー新時代とチャレンジ精神

安原和雄
 原子力発電が魅力も存在価値も失ったいま、頼りにすべきは、もはや再生可能エネルギー、すなわち風力、太陽光、小規模水力による発電、さらに農林畜産業の廃棄物によるバイオマス発電などである。なかでも著作『風力発電が世界を救う』は、エネルギー新時代の四番打者として「風力発電」をすすめている。
再生可能エネルギーの新時代を築いていくことは、もはや避けることのできない歴史の必然ともいえる。だからこそチャレンジ精神で新時代に向き合う以外に選択の余地は残されていない。(2012年12月4日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

牛山 泉(注)著『風力発電が世界を救う』(2012年11月、日本経済新聞出版社刊)を読んだ。「日本は潜在的な風力発電大国/ものづくり技術を結集せよ/年率20%強で成長するビッグビジネスの全貌を、第一人者が解き明かす」という触れ込みで、以下、その大意を紹介し、私(安原)の感想を述べる。
(注)牛山泉(うしやま・いずみ)氏は1942年長野県生まれ。71年上智大学大学院理工学研究科博士課程修了。2008年足利工業大学長、現在に至る。1970年代から一貫して風力発電の研究開発に携わっている。

▽「エネルギー新時代の四番打者」をめざして

*原発ゼロなら再生可能エネルギー60%が必要
日本政府による原発への討論型世論調査などで、国民の多くは「原発ゼロ社会」を望んでいることが明らかになった。
再生可能エネルギーの加速度的な普及拡大は、エネルギー安全保障戦略の上からもきわめて重要で、エネルギー自給率わずか4%という危機的な状況から抜け出すことにつながる。再生可能エネルギーが60%以上を占めることは風力も太陽光も、あるいは水力も地熱もバイオマスもすべてが国産だから、結果的にエネルギー自給率も60%以上になる。

*風力発電はいまや堂々たる主要電源
日本ではあまり知られていないが、2011年末現在、世界の風力発電の累積設備容量は2億5000万kwを超えている。これは原発250基分もの設備容量に相当する。2009年と2010年には、世界で約4000万kw、つまり100万kw級原発や大型火力発電40基分にも相当する風力発電が設置されている。世界の風力発電は2010年まで10年以上にわたって年率20%以上の伸びを続けてきた。風力発電はいまの時代の要請にかなっているからこそ、その導入量が突出しているのだ。
原発は世界で435基、約4億kwが運転中であるが、風力発電の累積設備容量はこの半分をはるかに超えている。この10年、発電技術の主役は風力発電であり、2020年には風力が原発の設備容量を抜き去っているはずである。風力発電は、もはや新エネルギーという範疇ではなく、堂々たる主要電源になっている。
風力は地球上どこにも遍在するエネルギーである。低コスト、建設の早さ、そして陸上から洋上への展開など、まさに再生可能エネルギーの本命で、世界が期待ずる「エネルギー新時代の四番打者」といえる。

<安原の感想> 「四番打者」を育てる責任
わが国には、自分たちの力では未来を変えることができないという無力感がある。講演の折にも、「将来はどうなるんですか?」という質問が多い。これに対し、私は「あなたはどうしたいんですか」と逆に問い返している。未来は予測するものではなく創りだすものなのだ。

以上は著作の「はじめに」で著者が力説している一節である。「未来は創りだすもの」という発想には私(安原)も大賛成である。我々日本人の多くは、もの知り、言い換えれば知識のレベルで生きている。しかしこれではしょせん傍観者の域を抜け出せない。重要なことは新しい時代をどう創り出していくのか、その変革の主体としてどう行動していくかであるだろう。著者が指摘する上述の「新時代の四番打者」を育てる責任を一人ひとりが自覚するときである。

▽ 風力発電が日本経済を支える

*風力産業こそ「日本の希望」の一つ
日本では若者の働き口が少ない。文部科学省の調査では、2012年3月に大学を卒業した学生の4人に1人に当たる約12万8000人が安定した職に就いていない。「大手企業を中心に採用は減り、高学歴の人でも就職が厳しくなっている。上位校の学生ほど、中小企業を敬遠して就職浪人を選択するから、就職率は下がる」とは大学の就職担当者の話。
12年版厚生労働白書には、「若者は前世代が築いた社会資本から恩恵を受けており、高齢者の現役時代より恵まれている」などと書かれているが、前世代が作ったインフラ(道路、通信情報施設、学校など)は若い世代がメンテナンス(維持)しなければならない。前世代は膨大な借金を作り、増税や原発のツケまで回してくる。その面倒を見るのは若い世代なのだから、恵まれているどころか、ますます悲観的な状況というのが本質ではないか。
では日本に希望はないのか。これを救う手だての一つがまさに再生可能エネルギー産業、特に風力発電産業なのだ。

*裾野の広い機械組み立て産業
火力や原子力などの大型発電所と比べると、風力発電は小さくてかわいらしいイメージを抱きがちである。しかし大型の風力発電機は部品点数が2万点に近い工業製品である。したがって風力発電機は自動車と同様の組立産業による生産物である。しかも自動車は3万点ほどの小さな部品が多いのに対し、風力発電は部品が大きくて種類も多い。高度な工業力が必要な上に労働集約的な組立工程を必要とする。
東日本大震災と津波、福島原発事故によって宮城・福島・茨城各県の漁民は失職したり、転職を考えている人もいる。洋上風力発電が本格化すれば、洋上風車の建設補助をしたり、メンテナンス要員を安全確実に輸送す漁民の操船技術が生きるはずである。
秋田県には2012年現在、108基の風車が設置されており、道県別では7位である。近年、秋田県沿岸に1000基の風車を設置しようというNPOの活発な動きがある。今後は風力発電関連の大企業を秋田に誘致する希望もある。
日本海側に巨大な洋上風車群ができて、そのための風車製造と保守部品の製造が連続して行われれば、風車の寿命が来たときには、更新用風車の量産が期待できる。
これから地域分散型のエネルギーシステムが構築され、スマートコミュニティーが各地に展開されていくだろう。地域のエネルギー源として、また開発途上国用のコミュニティー電源として秋田発や福島発の中小型風車を供給できるだろう。

*最大50万人の雇用波及効果
再生可能エネルギーへの期待が高まっている。エネルギー構造を変えることは、日本経済に大きな負担をかけるという懸念もあるが、決してそんなことはない。
日本では20年以上も「人余り経済」が続いており、代替エネルギーの導入によって他産業の人手が不足するような状況ではない。それどころか代替エネルギー開発は新規雇用を産み、デフレ圧力や雇用不安を和らげ、消費が刺激される効果が期待される。
現実の「人余り経済」の下では、他産業の生産力を犠牲にしないから、ある試算によれば、新産業の導入による雇用創出とその波及効果で、雇用が30万~50万人、消費が1兆~2兆円拡大すると見込まれる。
再生可能エネルギーは、休耕地における太陽光・風力発電、水路を使った小規模水力発電、農林畜産業の廃棄物によるバイオマス発電など、いずれも農業と親和性が高い。電気は生野菜と同様、保存が難しく、送電ロスもあるから、近隣で利用するほうが望ましい。エネルギー構造を転換することは農村地域での雇用拡大になる。

<安原の感想> チャレンジ精神で立ち向かうとき
もちろん産業構造の転換は苦痛を伴うであろう。しかし日本企業は過去何度もピンチをチャンスに変えてきた。排ガス規制や石油危機は、小さくて省エネ効果の高い日本製品を躍進させる契機になった。日本で初めてアメリカの自動車殿堂入りしたのは、不可能とまでいわれた世界一厳しいカリフォルニアの排ガス規制をCVCCエンジンをクリアしたホンダのシビックではなかったか。それを想起すれば、不況のいまこそチャレンジ精神を発揮すべきである。

以上は著者が本書で強調している一節である。たしかにエネルギーと産業構造の転換の渦中で悲運に頭を抱える企業、人々も少なくないに違いない。しかし進む方向が間違っているわけではない。再生可能エネルギーの新時代を築くことは、もはや避けることのできない歴史の必然と理解すべきである。だからこそチャレンジ精神で立ち向かう以外に選択の余地は残されていない。


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