憲法9条を生かし、非武装日本を
安原和雄
「Change(変革)」のスローガンを掲げるオバマ米大統領の登場によって世界の平和は確かなものになっていくのだろうか。米新政権はイラクから米軍を撤退させるが、アフガニスタンへはむしろ米軍増派の方針と伝えられる。平和は他者から与えられるものではない。主体的な国民の選択によって「平和をつくる」という姿勢が不可欠である。
では日本として平和をどうつくっていくか。いまや「世界の宝」として評価の高い憲法9条の理念(非武装、交戦権の否認)を生かし、戦略目標として「核廃絶・非武装日本」を掲げ、追求していくときだと考える。(09年1月18日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
私(安原)は「コスタリカに学ぶ会」(正式名称:「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」)の世話人の一人として、「平和をどうつくっていくか」をめぐって論議を深めたいと念願している。
ここでは安藤 洋氏(かしわ9条の会世話人)の「非核・非武装永世中立宣言」運動をすすめようという提案を紹介する。その構想(要旨)は以下のようである。(安藤氏の論文〈「非核・非武装永世中立宣言」運動を ― 「憲法を守る」を超える攻勢的構想」〉=ロゴス社隔月刊誌「もうひとつの世界へ」・2008年12月号に掲載=参照)
▽安藤構想(1)― 「非核・非武装永世中立宣言」運動を
「非核・非武装永世中立宣言」は、日本が国家として宣言する。日本国憲法には第9条があり、戦争放棄の証になっている。しかし「解釈改憲」の積み重ねによって、9条を実質的に切り崩し、世界第5位の戦力を有する自衛隊(軍隊)が存在し、沖縄をはじめ全国に広がるアメリカの軍事基地があり、イラク戦争に協力を続けている。こうして「条文」と「実体」がまったく乖離している。
もし日本が「非核・非武装永世中立宣言」をすれば、中国、北朝鮮、韓国などは憲法9条を信頼し、日本が〈平和国家〉であると信じるようになるだろう。
「憲法を活かす」ために、「非核・非武装永世中立宣言」をする政府を創ろうという戦略が明確になれば、いまの「9条を守る」運動の政治的弱点を必ず克服し、「9条派」の共通の闘争目的が鮮明になって、この旗の下に各党派各組織の連帯を大きく深めることができると確信する。
この構想のヒントになったコスタリカの実践について説明する。日本では解釈改憲によって「条文」と「実体」が乖離しているが、コスタリカはまったく逆である。コスタリカ憲法12条(常備軍の廃止)は現実政治のなかで実効性を発揮している。
コスタリカには8歳の子どもが憲法違反を訴えた実績もある憲法裁判所があり、2004年9月にはそれを活用して一大学生が憲法違反の訴えを起こした。当時のコスタリカ大統領が支持し、承認した、アメリカのイラク侵略に政策協力する共同リストにコスタリカの名前があるのは憲法違反だという訴えで、勝利の判決を勝ち取り、コスタリカの国名を共同リストからはずさせた。
なぜコスタリカには日本と違って「条文」と「実体」の乖離がないのか。
1983年、アメリカのレーガン大統領が、当時反米の旗を掲げていたニカラグアのサンディニスタ政権へ武力攻撃を加え、コスタリカを巻き込もうとした。その時、コスタリカのモンヘ大統領は、コスタリカの「永世中立宣言」を盾にして、侵略への加担を拒否した。モンヘ大統領は、直接国民にアンケートを出して、戦争と平和の論議を起こし、世論を喚起して、82%の支持を得て、「永世中立宣言」を出したのだ。
1984年には、干渉した張本人レーガンも「永世中立宣言」を認めざるを得なくなった。そして87年にアリアス・コスタリカ大統領が「平和の輸出戦略」で、周辺諸国の戦争を回避させて、ノーベル平和賞を受賞した。
▽安藤構想(2)― 「夢物語」という批判への反論
「宣言」の現実性と勝利の展望について「非核・非武装永世中立宣言」なんて「夢物語」という批判には、改めてつぎの事実を示したい。
①「非核3原則」と「憲法9条」は日本国の「国是」であり、すでに国民的権利意識となって広がっていて、正面からこれに反対できない国家理性である。(広辞苑:国家理性=国の政治は、まず自国の利益によって規定され、他のすべての動機は、これに従属せしめるべきだとする国家行動の基本準則)
②名古屋高等裁判所の判決(08年4月17日、航空自衛隊のイラクでの輸送支援活動について違憲の判断を下した)は、憲法前文の「平和的生存権」は、「核時代の自然権的本質を持つ基本的人権」と定義されていることに注目し、「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」、「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」、「他国に民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」、「平和を希求し、すべての人の幸福を追求し、そのために非戦、・非暴力平和主義に立って生きる権利」であることを認めている。この権利のすべてが、「非核・非武装の永世中立宣言」への権利的根拠であり、その国是化への行動を促しているように思う。
③なぜ「中立」か? 「非核3原則」と「9条」から生まれてくる未来国家は「中立」しかありようがない。この国是を守る限り、他国への戦争加担はあり得ない。
④なぜ「永世」か? 改憲を許さない一票のために必死に戦っている「9条派」の人たちには、将来いつ変えられるかもしれないという不安から逃れることができない。このため私は、子々孫々に9条を変えてはならないという「9条遺言の会」を創り、運動を進めている。
またこの運動は、アメリカに対する基地撤廃要求とも重なる。「宣言」を出そうという運動が国民の中に大きく広がれば、「宣言」が出される前に、沖縄をはじめ日本国中で米軍基地の撤退は具体的な日程にのぼり、「日米安保条約」を「日米友好条約」に改変する動きも具体化される。いま世界に広がる米軍基地反対運動は、この闘いへの連帯と勝利の見通しに確信を与えてくれる。
従来は「安保条約破棄」、「軍事基地撤廃」を実現するためには、日米両政府がテーブルについて交渉するところから始めなければならないと考えられてきたが、「国家宣言」を出すのは、その国家の主権行使であり、これをアメリカがつぶすことはできない。
自衛隊をいつ、どの程度縮小するか、廃止するか否かは「宣言」成立後の戦術問題として、国民の合意を取り付けながら時間をかけて行うべきだろう。
以上のような趣旨の安藤構想は、きわめて示唆に富む刺激的な内容となっている。ただ説明が十分とはいえないところもあり、その点を含めて私(安原)の感想を以下に述べたい。
▽安原の感想(1)― 「非核」よりも「核廃絶」を
まず「非核・非武装の永世中立宣言」のうち「非核」は「核廃絶」の方が望ましいのではないかと考える。
非核3原則は、1967年12月の衆院予算委員会で当時の佐藤栄作首相が、日本社会党の成田知巳委員長の質問に答えて、示したもので、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という3原則を指している。さらにこの3原則は1971年11月の衆院本会議で行われた沖縄返還協定付帯決議に盛り込まれた。ただ3原則の一つ、「持ち込ませず」は米軍による日本への核兵器持ち込みを認めないという趣旨だが、現実には核兵器搭載の米国艦艇(原潜など)の日本寄港によって「持ち込ませず」には風穴が空いているという説が有力である。
もちろん「非核」というスローガンは間違ってはいないし、正しいが、いまではやや新鮮な印象に欠ける。
しかも最近では「非核」よりも「核廃絶」の方が緊急かつ切実な課題となってきた。たとえば北海道新聞社説(2008年12月28日付・要旨)は「核のジレンマ 日本こそ廃絶の先頭に」と題してつぎのように論じたことに注目したい。
核軍縮をめぐる世界の潮流は変化の兆しを見せている。
キッシンジャー元国務長官ら米政府の元高官が米紙に「核のない世界を目指して」と題する論文を発表したのは08年1月だった。6月には英国の元外相らが大幅な核兵器削減を主張する論文を英紙に掲載した。
もはや冷戦時代の核抑止論は有効性を失った。そんな冷徹な共通認識が背景にはある。
注目したいのは、オバマ次期米大統領が「核兵器全廃という目標を核政策の中心に据える」と明言していることだ。
日本としても最大限の協力と支援を惜しむべきではない。
たとえば、新大統領を広島、長崎に招いてはどうか。核廃絶の決意を強固にするため、被爆地ほどふさわしい場所はあるまい。
▽安原の感想(2)― 「安保条約破棄」は主体的な選択
安藤構想の中で若干気になるのはつぎの指摘である。
「宣言」を出そうという運動が国民の中に大きく広がれば、「宣言」が出される前に、沖縄をはじめ日本国中で米軍基地の撤退は具体的な日程にのぼり、「日米安保条約」を「日米友好条約」に改変する動きも具体化される ― と。
この指摘の真意はいまひとつ理解しにくいところがある。「宣言」を出そうという運動が大きく広がっても、それが自動的に米軍基地撤退や日米安保条約改変の動きにつながるとは言えないのではないか。
在日米軍基地は日米安保条約第6条(基地の許与)によって存在しており、その背景にはアメリカの世界戦略がある。次期米国務長官のヒラリー・クリントン上院議員は日米同盟について1月13日上院公聴会でつぎのような考えを示した。
「日本との同盟は米国のアジア政策の要石だ。アジア太平洋地域の平和と繁栄の維持に必要不可欠」と。
つまり日本での「宣言」(安保条約破棄を明示しない)にかかわる運動がいくら広がっても、米国側から日米安保条約を破棄し、米軍基地を撤退させる展望は今のところ描くことはできない。ということは日本側から安保破棄の明確な政治的意志を表明する政権を国民の多数意志によってつくる以外の選択肢はないのではないか。そこには国民多数の主体的な選択が求められる。
もう一つ指摘すれば、安保条約破棄、軍事基地撤廃を実現するために、「日米両政府がテーブルについて交渉すること」は必ずしも必要ではない。なぜなら一方的破棄が可能だからである。安保条約10条は「いずれの締約国も、相手国に条約を終了させる意思を通告することができ、その場合、条約は通告後1年で終了する」と定めている。この条項が多くの人に理解されることがまず必要である。
▽安原の感想(3)― 9条を生かして「核廃絶・非武装の日本」を
さて「平和をつくる」ための構想はどうあるのが望ましいだろうか。私なら、以下のように提案したい。(なお私は平和について「平和=非暴力(非戦も含む)」と広くとらえているが、ここでは「平和=非戦」という狭い平和観に限定して考える)
*戦略目標=「核廃絶・非武装の日本」をつくろう!
*戦略目標実現のための必要条件=平和憲法9条を生かし、日米安保条約破棄を!
上記の戦略目標について安藤構想と異なるのは、「非核」を「核廃絶」にしていることもあるが、むしろ「永世中立」宣言にこだわっていない点である。
戦時・平時に関係なく国際的な中立を外交上の立場とする「中立」は、「武装中立」と「非武装中立」に大別できる。前者はたとえばスイスであり、後者はコスタリカである。
コスタリカは1949年の憲法改正(12条)で常備軍を廃止し、それから30年余の後の1983年に中立宣言を行った。コスタリカの中立宣言には非武装中立、永世中立、積極中立 ― という3つの特色がある。
非武装中立は、常備軍の廃止にとどまらない。加盟している集団安全保障体制(国連、米州機構、米州相互援助条約)から常備軍保有などを要求されないことも含む。永世中立は読んで字の如く、暫定的な中立ではないこと。積極中立は国際的紛争の平和的解決のためなどに活動する権利を持つことを意味している。
このようなコスタリカの中立政策に学ぶとすれば、まず軍隊廃止が不可欠であり、中立宣言はその後の内外情勢の推移に依存するという考え方もあり得ることを指摘しておきたい。軍隊廃止とは、私案では武装した自衛隊から非武装の「地球救援隊」(仮称)への全面的改組を意味する。その内容については数年来提案してきたので、ここでは割愛する。
戦略目標実現の必要条件として9条の理念(非武装、交戦権の否認)を生かすことと日米安保の破棄をあげている。私は両者は切り離せない課題として認識している。なぜなら日米安保条約3条は「日米両国の自衛力の維持発展」を明記しており、それが憲法9条の非武装の理念を骨抜きにしているからである。歴代の日本保守政権が解釈改憲によって憲法9条を空洞化させた元凶は、ほかならぬ安保条約3条である。
さらに安保条約5条「日米共同防衛」、6条「米軍への基地許与」の規定があり、このため日本列島に広大な米軍基地網が張りめぐらされ、アフガニスタン・イラク攻撃などの戦争基地となっている。しかも日米の軍事一体化が進み、日米共同軍事演習が頻繁に行われ、軍事費という名の財政資金の浪費と環境破壊をもたらしている。
戦略目標として非武装を目指す以上、安保廃棄に目を向け、憲法9条の理念を取り戻し、生かしていくこと以外の妙策はあり得ないとはいえないか。
いまや変革の時代である。既成概念、既存の枠組み、さらに特定の政党党派に囚われているときではない。特に「平和をどうつくるか」という視点に立つとき、このことは必要不可欠にして緊急の課題となっている。もちろんタブー(批判を許さぬ聖域)をつくってはならない。安藤構想を前向きに発展させる方向で論議が深まることを期待したい。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です)
安原和雄
「Change(変革)」のスローガンを掲げるオバマ米大統領の登場によって世界の平和は確かなものになっていくのだろうか。米新政権はイラクから米軍を撤退させるが、アフガニスタンへはむしろ米軍増派の方針と伝えられる。平和は他者から与えられるものではない。主体的な国民の選択によって「平和をつくる」という姿勢が不可欠である。
では日本として平和をどうつくっていくか。いまや「世界の宝」として評価の高い憲法9条の理念(非武装、交戦権の否認)を生かし、戦略目標として「核廃絶・非武装日本」を掲げ、追求していくときだと考える。(09年1月18日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
私(安原)は「コスタリカに学ぶ会」(正式名称:「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」)の世話人の一人として、「平和をどうつくっていくか」をめぐって論議を深めたいと念願している。
ここでは安藤 洋氏(かしわ9条の会世話人)の「非核・非武装永世中立宣言」運動をすすめようという提案を紹介する。その構想(要旨)は以下のようである。(安藤氏の論文〈「非核・非武装永世中立宣言」運動を ― 「憲法を守る」を超える攻勢的構想」〉=ロゴス社隔月刊誌「もうひとつの世界へ」・2008年12月号に掲載=参照)
▽安藤構想(1)― 「非核・非武装永世中立宣言」運動を
「非核・非武装永世中立宣言」は、日本が国家として宣言する。日本国憲法には第9条があり、戦争放棄の証になっている。しかし「解釈改憲」の積み重ねによって、9条を実質的に切り崩し、世界第5位の戦力を有する自衛隊(軍隊)が存在し、沖縄をはじめ全国に広がるアメリカの軍事基地があり、イラク戦争に協力を続けている。こうして「条文」と「実体」がまったく乖離している。
もし日本が「非核・非武装永世中立宣言」をすれば、中国、北朝鮮、韓国などは憲法9条を信頼し、日本が〈平和国家〉であると信じるようになるだろう。
「憲法を活かす」ために、「非核・非武装永世中立宣言」をする政府を創ろうという戦略が明確になれば、いまの「9条を守る」運動の政治的弱点を必ず克服し、「9条派」の共通の闘争目的が鮮明になって、この旗の下に各党派各組織の連帯を大きく深めることができると確信する。
この構想のヒントになったコスタリカの実践について説明する。日本では解釈改憲によって「条文」と「実体」が乖離しているが、コスタリカはまったく逆である。コスタリカ憲法12条(常備軍の廃止)は現実政治のなかで実効性を発揮している。
コスタリカには8歳の子どもが憲法違反を訴えた実績もある憲法裁判所があり、2004年9月にはそれを活用して一大学生が憲法違反の訴えを起こした。当時のコスタリカ大統領が支持し、承認した、アメリカのイラク侵略に政策協力する共同リストにコスタリカの名前があるのは憲法違反だという訴えで、勝利の判決を勝ち取り、コスタリカの国名を共同リストからはずさせた。
なぜコスタリカには日本と違って「条文」と「実体」の乖離がないのか。
1983年、アメリカのレーガン大統領が、当時反米の旗を掲げていたニカラグアのサンディニスタ政権へ武力攻撃を加え、コスタリカを巻き込もうとした。その時、コスタリカのモンヘ大統領は、コスタリカの「永世中立宣言」を盾にして、侵略への加担を拒否した。モンヘ大統領は、直接国民にアンケートを出して、戦争と平和の論議を起こし、世論を喚起して、82%の支持を得て、「永世中立宣言」を出したのだ。
1984年には、干渉した張本人レーガンも「永世中立宣言」を認めざるを得なくなった。そして87年にアリアス・コスタリカ大統領が「平和の輸出戦略」で、周辺諸国の戦争を回避させて、ノーベル平和賞を受賞した。
▽安藤構想(2)― 「夢物語」という批判への反論
「宣言」の現実性と勝利の展望について「非核・非武装永世中立宣言」なんて「夢物語」という批判には、改めてつぎの事実を示したい。
①「非核3原則」と「憲法9条」は日本国の「国是」であり、すでに国民的権利意識となって広がっていて、正面からこれに反対できない国家理性である。(広辞苑:国家理性=国の政治は、まず自国の利益によって規定され、他のすべての動機は、これに従属せしめるべきだとする国家行動の基本準則)
②名古屋高等裁判所の判決(08年4月17日、航空自衛隊のイラクでの輸送支援活動について違憲の判断を下した)は、憲法前文の「平和的生存権」は、「核時代の自然権的本質を持つ基本的人権」と定義されていることに注目し、「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」、「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」、「他国に民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」、「平和を希求し、すべての人の幸福を追求し、そのために非戦、・非暴力平和主義に立って生きる権利」であることを認めている。この権利のすべてが、「非核・非武装の永世中立宣言」への権利的根拠であり、その国是化への行動を促しているように思う。
③なぜ「中立」か? 「非核3原則」と「9条」から生まれてくる未来国家は「中立」しかありようがない。この国是を守る限り、他国への戦争加担はあり得ない。
④なぜ「永世」か? 改憲を許さない一票のために必死に戦っている「9条派」の人たちには、将来いつ変えられるかもしれないという不安から逃れることができない。このため私は、子々孫々に9条を変えてはならないという「9条遺言の会」を創り、運動を進めている。
またこの運動は、アメリカに対する基地撤廃要求とも重なる。「宣言」を出そうという運動が国民の中に大きく広がれば、「宣言」が出される前に、沖縄をはじめ日本国中で米軍基地の撤退は具体的な日程にのぼり、「日米安保条約」を「日米友好条約」に改変する動きも具体化される。いま世界に広がる米軍基地反対運動は、この闘いへの連帯と勝利の見通しに確信を与えてくれる。
従来は「安保条約破棄」、「軍事基地撤廃」を実現するためには、日米両政府がテーブルについて交渉するところから始めなければならないと考えられてきたが、「国家宣言」を出すのは、その国家の主権行使であり、これをアメリカがつぶすことはできない。
自衛隊をいつ、どの程度縮小するか、廃止するか否かは「宣言」成立後の戦術問題として、国民の合意を取り付けながら時間をかけて行うべきだろう。
以上のような趣旨の安藤構想は、きわめて示唆に富む刺激的な内容となっている。ただ説明が十分とはいえないところもあり、その点を含めて私(安原)の感想を以下に述べたい。
▽安原の感想(1)― 「非核」よりも「核廃絶」を
まず「非核・非武装の永世中立宣言」のうち「非核」は「核廃絶」の方が望ましいのではないかと考える。
非核3原則は、1967年12月の衆院予算委員会で当時の佐藤栄作首相が、日本社会党の成田知巳委員長の質問に答えて、示したもので、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という3原則を指している。さらにこの3原則は1971年11月の衆院本会議で行われた沖縄返還協定付帯決議に盛り込まれた。ただ3原則の一つ、「持ち込ませず」は米軍による日本への核兵器持ち込みを認めないという趣旨だが、現実には核兵器搭載の米国艦艇(原潜など)の日本寄港によって「持ち込ませず」には風穴が空いているという説が有力である。
もちろん「非核」というスローガンは間違ってはいないし、正しいが、いまではやや新鮮な印象に欠ける。
しかも最近では「非核」よりも「核廃絶」の方が緊急かつ切実な課題となってきた。たとえば北海道新聞社説(2008年12月28日付・要旨)は「核のジレンマ 日本こそ廃絶の先頭に」と題してつぎのように論じたことに注目したい。
核軍縮をめぐる世界の潮流は変化の兆しを見せている。
キッシンジャー元国務長官ら米政府の元高官が米紙に「核のない世界を目指して」と題する論文を発表したのは08年1月だった。6月には英国の元外相らが大幅な核兵器削減を主張する論文を英紙に掲載した。
もはや冷戦時代の核抑止論は有効性を失った。そんな冷徹な共通認識が背景にはある。
注目したいのは、オバマ次期米大統領が「核兵器全廃という目標を核政策の中心に据える」と明言していることだ。
日本としても最大限の協力と支援を惜しむべきではない。
たとえば、新大統領を広島、長崎に招いてはどうか。核廃絶の決意を強固にするため、被爆地ほどふさわしい場所はあるまい。
▽安原の感想(2)― 「安保条約破棄」は主体的な選択
安藤構想の中で若干気になるのはつぎの指摘である。
「宣言」を出そうという運動が国民の中に大きく広がれば、「宣言」が出される前に、沖縄をはじめ日本国中で米軍基地の撤退は具体的な日程にのぼり、「日米安保条約」を「日米友好条約」に改変する動きも具体化される ― と。
この指摘の真意はいまひとつ理解しにくいところがある。「宣言」を出そうという運動が大きく広がっても、それが自動的に米軍基地撤退や日米安保条約改変の動きにつながるとは言えないのではないか。
在日米軍基地は日米安保条約第6条(基地の許与)によって存在しており、その背景にはアメリカの世界戦略がある。次期米国務長官のヒラリー・クリントン上院議員は日米同盟について1月13日上院公聴会でつぎのような考えを示した。
「日本との同盟は米国のアジア政策の要石だ。アジア太平洋地域の平和と繁栄の維持に必要不可欠」と。
つまり日本での「宣言」(安保条約破棄を明示しない)にかかわる運動がいくら広がっても、米国側から日米安保条約を破棄し、米軍基地を撤退させる展望は今のところ描くことはできない。ということは日本側から安保破棄の明確な政治的意志を表明する政権を国民の多数意志によってつくる以外の選択肢はないのではないか。そこには国民多数の主体的な選択が求められる。
もう一つ指摘すれば、安保条約破棄、軍事基地撤廃を実現するために、「日米両政府がテーブルについて交渉すること」は必ずしも必要ではない。なぜなら一方的破棄が可能だからである。安保条約10条は「いずれの締約国も、相手国に条約を終了させる意思を通告することができ、その場合、条約は通告後1年で終了する」と定めている。この条項が多くの人に理解されることがまず必要である。
▽安原の感想(3)― 9条を生かして「核廃絶・非武装の日本」を
さて「平和をつくる」ための構想はどうあるのが望ましいだろうか。私なら、以下のように提案したい。(なお私は平和について「平和=非暴力(非戦も含む)」と広くとらえているが、ここでは「平和=非戦」という狭い平和観に限定して考える)
*戦略目標=「核廃絶・非武装の日本」をつくろう!
*戦略目標実現のための必要条件=平和憲法9条を生かし、日米安保条約破棄を!
上記の戦略目標について安藤構想と異なるのは、「非核」を「核廃絶」にしていることもあるが、むしろ「永世中立」宣言にこだわっていない点である。
戦時・平時に関係なく国際的な中立を外交上の立場とする「中立」は、「武装中立」と「非武装中立」に大別できる。前者はたとえばスイスであり、後者はコスタリカである。
コスタリカは1949年の憲法改正(12条)で常備軍を廃止し、それから30年余の後の1983年に中立宣言を行った。コスタリカの中立宣言には非武装中立、永世中立、積極中立 ― という3つの特色がある。
非武装中立は、常備軍の廃止にとどまらない。加盟している集団安全保障体制(国連、米州機構、米州相互援助条約)から常備軍保有などを要求されないことも含む。永世中立は読んで字の如く、暫定的な中立ではないこと。積極中立は国際的紛争の平和的解決のためなどに活動する権利を持つことを意味している。
このようなコスタリカの中立政策に学ぶとすれば、まず軍隊廃止が不可欠であり、中立宣言はその後の内外情勢の推移に依存するという考え方もあり得ることを指摘しておきたい。軍隊廃止とは、私案では武装した自衛隊から非武装の「地球救援隊」(仮称)への全面的改組を意味する。その内容については数年来提案してきたので、ここでは割愛する。
戦略目標実現の必要条件として9条の理念(非武装、交戦権の否認)を生かすことと日米安保の破棄をあげている。私は両者は切り離せない課題として認識している。なぜなら日米安保条約3条は「日米両国の自衛力の維持発展」を明記しており、それが憲法9条の非武装の理念を骨抜きにしているからである。歴代の日本保守政権が解釈改憲によって憲法9条を空洞化させた元凶は、ほかならぬ安保条約3条である。
さらに安保条約5条「日米共同防衛」、6条「米軍への基地許与」の規定があり、このため日本列島に広大な米軍基地網が張りめぐらされ、アフガニスタン・イラク攻撃などの戦争基地となっている。しかも日米の軍事一体化が進み、日米共同軍事演習が頻繁に行われ、軍事費という名の財政資金の浪費と環境破壊をもたらしている。
戦略目標として非武装を目指す以上、安保廃棄に目を向け、憲法9条の理念を取り戻し、生かしていくこと以外の妙策はあり得ないとはいえないか。
いまや変革の時代である。既成概念、既存の枠組み、さらに特定の政党党派に囚われているときではない。特に「平和をどうつくるか」という視点に立つとき、このことは必要不可欠にして緊急の課題となっている。もちろんタブー(批判を許さぬ聖域)をつくってはならない。安藤構想を前向きに発展させる方向で論議が深まることを期待したい。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です)
この記事へのコメント
安藤洋さん(かしわ9条の会世話人)が提唱する「非核・非武装永世中立宣言」運動について、安原さんの分析と感想がとても参考になりました。
ただ、現在の憲法9条の文言は、今のままで「非核・非武装」を求めるものであり、2004年6月に大江健三郎さんら9人が「九条の会」を立ち上げてから、わずか4年半で日本の各地域・職場に、8千もの賛同する「○○九条の会」ができ、現在も増えつつあります。しかも、「九条の会」の運動には政党・イデオロギー・宗教の垣根を越えて、いろいろな立場の人々が参加をしています。このような現状で、なぜ「非核・非武装永世中立宣言」運動というような新たな市民運動の旗揚げをする必要があるのか、私には理解できません。
むしろ、「九条の会」の運動の高まりに水をさしかねないのではないかと懸念します。大きな目標は間違っていないと思いますが、戦術として上手くないのではないかと思います。
ただ、現在の憲法9条の文言は、今のままで「非核・非武装」を求めるものであり、2004年6月に大江健三郎さんら9人が「九条の会」を立ち上げてから、わずか4年半で日本の各地域・職場に、8千もの賛同する「○○九条の会」ができ、現在も増えつつあります。しかも、「九条の会」の運動には政党・イデオロギー・宗教の垣根を越えて、いろいろな立場の人々が参加をしています。このような現状で、なぜ「非核・非武装永世中立宣言」運動というような新たな市民運動の旗揚げをする必要があるのか、私には理解できません。
むしろ、「九条の会」の運動の高まりに水をさしかねないのではないかと懸念します。大きな目標は間違っていないと思いますが、戦術として上手くないのではないかと思います。
2009/01/18(日) 20:02:20 | URL | 四倉面子 #-[ 編集]
ちきゅう座から来ました。
「9条」を持つ国として日本は積極的に非暴力で世界の平和構築に関与していくべきです。
日米安保体制を破棄し在日米軍基地を返還させます。嘉手納基地は国連緊急平和サービス(UNEPS)の基地にしましょう。
自衛隊は段階的縮小・廃止して日本は平和省をつくります。
平和省国際貢献局は植林・農業支援・公害防止技術移転・難民支援・武装解除・井戸掘り・地雷除去・選挙監視など青年海外協力隊がやってきたようなことを大掛かりにしたイメージです。
平和省災害救助局は国内外の災害に駆けつけます。
これらの活動を通じ「感謝される国・日本」として国際社会を泳いでいくべきです。
「9条」を持つ国として日本は積極的に非暴力で世界の平和構築に関与していくべきです。
日米安保体制を破棄し在日米軍基地を返還させます。嘉手納基地は国連緊急平和サービス(UNEPS)の基地にしましょう。
自衛隊は段階的縮小・廃止して日本は平和省をつくります。
平和省国際貢献局は植林・農業支援・公害防止技術移転・難民支援・武装解除・井戸掘り・地雷除去・選挙監視など青年海外協力隊がやってきたようなことを大掛かりにしたイメージです。
平和省災害救助局は国内外の災害に駆けつけます。
これらの活動を通じ「感謝される国・日本」として国際社会を泳いでいくべきです。
四倉面子さん、初めてコメントをいただいたように思います。
かなり率直なご意見だと思います。重要な論点がいくつか含まれています。
一つは、「憲法9条の文言は、今のままで〈非核・非武装〉を求めるもの」という指摘です。もともと9条は「戦力を保持しない」と宣言しているわけですから、ご指摘の通りです。それを解釈改憲によって、本来の非武装の理念をねじ曲げて軍事強国に仕立て上げてきたのが、米国の要請に沿ってきた歴代保守政権です。だから9条を「守る」(この表現は、9条の文言を守るという意味なら結構ですが、それ以上の意味はありません)にせよ、「生かす」にせよ、9条の理念を大切に思う立場からすれば、ともかく「非武装日本」をつくることを目指すほかないと思います。
つぎに「〈九条の会〉の運動には政党・イデオロギー・宗教の垣根を越えて、いろいろな立場の人々が参加」しているという点を重視する必要がある、というご指摘もその通りです。多様な幅広い自由な考えの人々が参加する市民運動だということですね。ただその場合でも、「九条の会」ですから究極目標、つまり戦略として非武装を目指す点では一致する必要があります。
多様な意見を認めるからといって、軍事力・武装必要論者が「九条の会」のメンバーになって奮闘されては混乱します。多様な意見は、あくまでも非武装を実現していく上での戦術にかかわる話です。
非武装日本をつくることは歴史的大事業です。近代史上では恐らく明治維新、敗戦と平和憲法制定につぐ第三の新しい日本歴史を創造する歴史的営みとなる性質のものです。それだけに戦術面では多様な意見・主張があって当然です。
非武装を軸に据えるのであれば、「永世中立宣言」を含む平和運動もあっていいのではないでしょうか。考えてみると、最近は憲法9条の理念の原点に還って、非武装日本を創造していくという発想が少ないように思います。お互いに思い込みにこだわらず、論議を交わし、出直す時かも知れません。
宮坂亨さん、以前にもコメントをいただいたように思います。
自衛隊を廃止して、平和省をつくり、国際貢献局、災害救助局を設置するとは、具体的な改革案です。そのうえ、「感謝される国・日本」として国際社会でのイメージを高めようというアイデアも素敵です。
これが将来実現すれば、いまや二流国に転落した感の深い日本の再生も夢ではありません。
冷遇されている憲法9条もさぞかし喜ぶことになるに違いありません。
かなり率直なご意見だと思います。重要な論点がいくつか含まれています。
一つは、「憲法9条の文言は、今のままで〈非核・非武装〉を求めるもの」という指摘です。もともと9条は「戦力を保持しない」と宣言しているわけですから、ご指摘の通りです。それを解釈改憲によって、本来の非武装の理念をねじ曲げて軍事強国に仕立て上げてきたのが、米国の要請に沿ってきた歴代保守政権です。だから9条を「守る」(この表現は、9条の文言を守るという意味なら結構ですが、それ以上の意味はありません)にせよ、「生かす」にせよ、9条の理念を大切に思う立場からすれば、ともかく「非武装日本」をつくることを目指すほかないと思います。
つぎに「〈九条の会〉の運動には政党・イデオロギー・宗教の垣根を越えて、いろいろな立場の人々が参加」しているという点を重視する必要がある、というご指摘もその通りです。多様な幅広い自由な考えの人々が参加する市民運動だということですね。ただその場合でも、「九条の会」ですから究極目標、つまり戦略として非武装を目指す点では一致する必要があります。
多様な意見を認めるからといって、軍事力・武装必要論者が「九条の会」のメンバーになって奮闘されては混乱します。多様な意見は、あくまでも非武装を実現していく上での戦術にかかわる話です。
非武装日本をつくることは歴史的大事業です。近代史上では恐らく明治維新、敗戦と平和憲法制定につぐ第三の新しい日本歴史を創造する歴史的営みとなる性質のものです。それだけに戦術面では多様な意見・主張があって当然です。
非武装を軸に据えるのであれば、「永世中立宣言」を含む平和運動もあっていいのではないでしょうか。考えてみると、最近は憲法9条の理念の原点に還って、非武装日本を創造していくという発想が少ないように思います。お互いに思い込みにこだわらず、論議を交わし、出直す時かも知れません。
宮坂亨さん、以前にもコメントをいただいたように思います。
自衛隊を廃止して、平和省をつくり、国際貢献局、災害救助局を設置するとは、具体的な改革案です。そのうえ、「感謝される国・日本」として国際社会でのイメージを高めようというアイデアも素敵です。
これが将来実現すれば、いまや二流国に転落した感の深い日本の再生も夢ではありません。
冷遇されている憲法9条もさぞかし喜ぶことになるに違いありません。
2009/01/19(月) 16:53:22 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
個人的にはヒラリー上院議員の考えは、本当にアジアのためという感じはしません。
裏には、アメリカの利益のみを見ているようにしか思えません。
裏には、アメリカの利益のみを見ているようにしか思えません。
2009/01/19(月) 21:30:26 | URL | 赤坂亭風月 #-[ 編集]
赤坂亭風月さん、度々のコメント有り難う。
指摘されている点に同感です。彼女はたしかイラク開戦に上院議員として賛成の1票を投じました。アメリカ的覇権主義の体現者と言ってもいいと思います。
ただし「君子は豹変する」と言います。彼女を君子と呼ぶのは適切ではないかも知れませんが、米国務長官としてどこまで変化を見せるか。オバマ新米政権に過剰な期待が寄せられていることも否めないところです。特にブッシュ政権の国防長官が留任するところが要注意です。しばらくは冷静に見守りましょう。それから断を下しても遅すぎるということはないと思いますが、いかがでしょうか。
指摘されている点に同感です。彼女はたしかイラク開戦に上院議員として賛成の1票を投じました。アメリカ的覇権主義の体現者と言ってもいいと思います。
ただし「君子は豹変する」と言います。彼女を君子と呼ぶのは適切ではないかも知れませんが、米国務長官としてどこまで変化を見せるか。オバマ新米政権に過剰な期待が寄せられていることも否めないところです。特にブッシュ政権の国防長官が留任するところが要注意です。しばらくは冷静に見守りましょう。それから断を下しても遅すぎるということはないと思いますが、いかがでしょうか。
2009/01/20(火) 11:41:04 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
安原さんの「日刊ベリタ」記事を読まして頂いて、私の「非核.非武装・永世中立」を「核廃絶・非武装の永世中立宣言」に衣替えして、九条遺言「新憲法世代を生きて」をのなかで、全面改訂しました。
第一部が自分史。第二部第1編が若者たちへのメッセージ。第二部第2編が「核廃絶・非武装・永世中立宣言」構想としました。
いまはじめて、このホームページを開らかせて頂いて、皆さんから沢山「核廃絶・非武装・永世中立宣言」についての、ご講評を頂いていることを知り、感謝しています。
ぜひ私の九条遺言「新憲法世代を生きて」の新版をお読み下さい。アドレスは
下記ですから、ご遠慮なくご請求下さい。
[email protected]
すこし長くなりましたが、ここでは一言だけ。
四倉面子さんの「このような現状で、なぜ「非核・非武装永世中立宣言」運動というような新たな市民運動の旗揚げをする必要があるのか、私には理解できません。 むしろ、「九条の会」の運動の高まりに水をさしかねないのではないかと懸念します。大きな目標は間違っていないと思いますが、戦術として上手くないのではないかと思います。
大変貴重なご指摘です。
9条の1票を増やす運動と、「9条の衣をまとった軍事大国日本」を 無くすための運動を、同じ磁場で進めることはむしろ問題なのではないでしょうか。私自身9条をヨコの組織化で広める「九条の会」に併行して、一人でも出来るタテの「九条遺言」運動を、83才の先輩と二人で立ち上げたですが、これは、いつ改憲の暴挙が国会で提案されるかわからない厳しい闘いの中での「永遠の一票運動」と考えるからです。
その一票が負けられない勝負の「磁場」に、「核廃絶・非武装・永世中立宣言」を持ち込んだら、自民党支持者でも参加を呼びかけている「九条の会」運動に、それこそ水をかける事になると考えています。この一票運動の邪魔をしないでそれはそれでドンドン進める。しかし別の「磁場」で、「九条の衣をまとった軍事大国日本」の条文と実態の乖離を解消する運動として「核廃絶・非武装・永世中立宣言」運動を広げなければならないと考えています。仔細は私の「9条遺言」を読んで頂いて、厳しいご批判を仰ぎたいと存じます。
2009/03/5(木) 16:53:22 | 安藤洋
第一部が自分史。第二部第1編が若者たちへのメッセージ。第二部第2編が「核廃絶・非武装・永世中立宣言」構想としました。
いまはじめて、このホームページを開らかせて頂いて、皆さんから沢山「核廃絶・非武装・永世中立宣言」についての、ご講評を頂いていることを知り、感謝しています。
ぜひ私の九条遺言「新憲法世代を生きて」の新版をお読み下さい。アドレスは
下記ですから、ご遠慮なくご請求下さい。
[email protected]
すこし長くなりましたが、ここでは一言だけ。
四倉面子さんの「このような現状で、なぜ「非核・非武装永世中立宣言」運動というような新たな市民運動の旗揚げをする必要があるのか、私には理解できません。 むしろ、「九条の会」の運動の高まりに水をさしかねないのではないかと懸念します。大きな目標は間違っていないと思いますが、戦術として上手くないのではないかと思います。
大変貴重なご指摘です。
9条の1票を増やす運動と、「9条の衣をまとった軍事大国日本」を 無くすための運動を、同じ磁場で進めることはむしろ問題なのではないでしょうか。私自身9条をヨコの組織化で広める「九条の会」に併行して、一人でも出来るタテの「九条遺言」運動を、83才の先輩と二人で立ち上げたですが、これは、いつ改憲の暴挙が国会で提案されるかわからない厳しい闘いの中での「永遠の一票運動」と考えるからです。
その一票が負けられない勝負の「磁場」に、「核廃絶・非武装・永世中立宣言」を持ち込んだら、自民党支持者でも参加を呼びかけている「九条の会」運動に、それこそ水をかける事になると考えています。この一票運動の邪魔をしないでそれはそれでドンドン進める。しかし別の「磁場」で、「九条の衣をまとった軍事大国日本」の条文と実態の乖離を解消する運動として「核廃絶・非武装・永世中立宣言」運動を広げなければならないと考えています。仔細は私の「9条遺言」を読んで頂いて、厳しいご批判を仰ぎたいと存じます。
2009/03/5(木) 16:53:22 | 安藤洋
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2009/03/05(木) 04:09:40 | | #[ 編集]
安藤洋さん、本欄に登場していただいて感謝します。多様な平和の作り方、運動があっていいと思います。その自由は尊重すべきだと思います。
ただ日本の平和のあり方を考えるためには、日米安保体制から目をそらしては、それこそ画竜点睛を欠くことになるだろうというのが私の率直な考えです。
永世中立宣言についていえば、安保破棄後に具体的な課題として登場してくるのではないでしょうか。日米安保という軍事同盟を前提にして、中立宣言を実現できるという考えだとすれば、それはいささか非現実的ではないでしょうか。
保身と打算のために安保破棄から目をそらせる人々がいることは承知しています。その心情も無視はできません。その人のしがらみや特定のイデオロギーへのこだわりに自縄自縛に陥っているわけで、同情はしますが、肯定はできかねます。これは人間としての器量にもかかわる次元の問題でもあるだろうと思っています。
平和をどうつくっていくかは、個人の趣味、嗜好の問題ではありません。権力とどう向き合うかというテーマでもあり、その人の生き方にもかかわってきます。この権力とは軍事力、警察力、それに徴税権を保持しているのが特徴です。それと向き合って平和を作っていくのですから、内輪もめをしているヒマはないはずですが、とかく内輪もめに走り勝ちなのが弱点です。
戦略目標はあくまでも非武装の平和日本をどう築いていくかです。安保破棄も中立宣言もその手段ではないでしょうか。
ただ日本の平和のあり方を考えるためには、日米安保体制から目をそらしては、それこそ画竜点睛を欠くことになるだろうというのが私の率直な考えです。
永世中立宣言についていえば、安保破棄後に具体的な課題として登場してくるのではないでしょうか。日米安保という軍事同盟を前提にして、中立宣言を実現できるという考えだとすれば、それはいささか非現実的ではないでしょうか。
保身と打算のために安保破棄から目をそらせる人々がいることは承知しています。その心情も無視はできません。その人のしがらみや特定のイデオロギーへのこだわりに自縄自縛に陥っているわけで、同情はしますが、肯定はできかねます。これは人間としての器量にもかかわる次元の問題でもあるだろうと思っています。
平和をどうつくっていくかは、個人の趣味、嗜好の問題ではありません。権力とどう向き合うかというテーマでもあり、その人の生き方にもかかわってきます。この権力とは軍事力、警察力、それに徴税権を保持しているのが特徴です。それと向き合って平和を作っていくのですから、内輪もめをしているヒマはないはずですが、とかく内輪もめに走り勝ちなのが弱点です。
戦略目標はあくまでも非武装の平和日本をどう築いていくかです。安保破棄も中立宣言もその手段ではないでしょうか。
2009/03/06(金) 12:08:58 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
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3/4、船橋での千葉県生協連主催の伊藤真塾塾長講演会へ参加して来ました。 「人間は戦争してはならない。この1点はどうしても譲れない。」 「憲法前文に示された理想。人権と平和をまもる為に、国民主権という手段を取り、国民がこれを確定した。」
2009/06/19(金) 07:55:42 | 平和つむぎブログ
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