大震災、原発惨事から一年を経て
安原 和雄
東日本大震災、原発惨事から一年が過ぎて、被災地の再生をどう図っていくかが改めて論議の的になっている。単なる復興ではなく、やはり再生への新しい道をどう展望するかが問われている。
原発廃止はもちろんとして、脱原発後の「身の丈にあう幸せとは何か」を問い続けなければならない。反「新自由主義」の変革モデルをどう築いていくかも重要な課題である。東北全域を再生させる挑戦は、実は二十一世紀版自由民権運動だという認識も芽生えつつある。東北被災地再生の行方が日本列島全体の将来を左右することにもなるだろう。(2012年3月24日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
毎日新聞に連載(3月3日付から17日付まで10回)された「再生への提言」を読んで、その感想を述べたい。
▽登場人物10人とその多面的な提言
提言の見出しと登場人物10人の氏名、現職、略歴はつぎの通り。提言の見出しからも分かるように多面的な提言となっている。
・現場の泥臭さ生かせ=岡本行夫氏(外交評論家=外務省課長、首相補佐官など歴任)
・社会全体の底上げを=河田恵昭氏(中央防災会議・専門調査会座長=関西大教授、専門は巨大災害)
・指導者は強い姿勢を=石原慎太郎氏(東京都知事=作家、一橋大在学中に芥川賞)
・特区で持続的雇用を=武藤敏郎氏(大和総研理事長・元財務事務次官=日銀副総裁も歴任)
・身の丈にあう幸せを=津島佑子氏(作家=「黄金の夢の歌」で毎日芸術賞)
・全国から人材集めて=小林健氏(三菱商事社長=71年入社、10年6月から現職)
・自発的変革の気概を=ピエール・スイリ氏(ジュネーブ大教授・日本学科長=元日仏会館フランス学長・99~03年)
・東北をもっと知って=渡辺えり氏(劇作家・演出家・女優=1978年「劇団3〇〇」結成)
・生命優先 近代越えよ=オギュスタン・ベルク氏(仏国立社会科学高等研究院教授=元日仏会館フランス学長・84~88年)
・福島の「草の根」に希望=赤坂憲雄氏(「東北学」を提唱する福島県立博物館長=復興構想会議委員を務めた)
以下では10人の提言から選んで3人の提言(大意)を紹介し、感想を述べたい。
▽「身の丈にあう幸せ」とは何か
津島佑子氏の提言=身の丈にあう幸せを
戦後、多くの日本人はアメリカ文化に新しい自立、自由を感じ、金持ちになることがその手段だと思うようになった。戦前からの権力者たちは自らの戦争責任をあいまいにしたまま、技術立国だの経済成長だのと叫び始めた。私たちもみるみる豊かになる社会や生活にぼんやり満足してきた。その間、原発は「増幅」を続け、揚げ句の果てに福島第一原発事故が起きた。
これまで反原発の声が力を持つことはなかったが、事故のあと、原発廃止を求める人たちが国境を超え、手をつなぎ始めている。一方で国を担う人たちは経済発展を理由に原発を輸出したがっている。
原子力産業とは戦後、都市の電力供給のために地方が放射能のリスクを負うという、形を変えた植民地主義の産物だった、と今度の原発事故で知った。そんな原発はもう見捨てなければならない。今も原発を動かしたい人たちは、巨大な古代神にいけにえをささげ続ける神官たちのように見える。そのいけにえは、子共たちの未来なのだ。
戦争に負けても変わらなかったこの国の価値観と人間の身の丈にあった幸せとは何なのかを可能な限り問い直す責任が、今日本に住む私たちに課せられていると思う。
<安原の感想> 植民地主義の原発は見捨て、幸せを
「原子力産業とは戦後、都市の電力供給のために地方が放射能のリスクを負うという、形を変えた植民地主義」という指摘には新鮮な響きを感じる。たしかに日本版植民地主義の典型ともいうべき原発は廃止するときである。
同時に「身の丈にあう幸せとは何か」を問い続けなければならない。それは従来型の技術立国、経済成長主義、原発輸出 ― などという路線とは異質のテーマである。しかも「幸せ」は原発のように押し付けられるものではなく、自らの意志で創っていくものであるに違いない。
▽ 社会を変革させてきたダイナミズムを
ピエール・スイリ氏の提言=自発的変革の気概を
昨年、私は本紙で「日本では天災が世直しの契機でもあった」と指摘した。あれから1年。私は失望している。大きな復興を契機に、長期停滞の20年を再構築する気概も生まれてくると期待したが、無反応なままであるのに驚いている。
歴史家の目で見て、今の日本停滞の原因は、積極的に独自の未来モデルを創造してこなかったことにある。
戦後復興の後に、独自の対策を生み出す機会も十分あったに違いない。その後、新自由主義経済をモデルに取り入れたが、現在それが失敗であったことが分かっているのに、曖昧なままだ。第二次大戦の戦後処理からいつまでも解放されない。対米関係も、沖縄問題が象徴するように従属的な立場しか見えてこない。
日本には時代の課題に鋭く反応してきた伝統があり、江戸、幕末、明治、大正、戦後まで、自発的な変革のエネルギーが躍動していた。
それが1980年代ごろから消滅し始めた。各階層の指導者たるべきエリートたちが、社会変革の責任を果たしてこなかったのが原因だ。国家と民衆への裏切りと言ってもおおげさではないだろう。社会を変革させてきたダイナミズムの歴史の片りんを、近い将来に見ることができるだろうか。
<安原の感想> 「新自由主義」後の変革モデルへ
手厳しい批判である。「今の日本停滞の原因は、独自の未来モデルを創造してこなかった」こと、それは「国家と民衆への裏切り」とも断じている。示唆に富んでいるが、「変革の未来モデル」がないという指摘は、「親切な誤解」と受け止めたい。
反「新自由主義」の変革モデルをめざす独自の提案、構想、運動が日本で広がりつつある。脱原発はいうまでもない。内需主導型経済発展への転換構想、反「核」、反「日米安保体制」、反「沖縄米軍基地」、さらに地球規模で平和(=非暴力)構築をめざす地球救援隊構想(自衛隊の全面改組)などである。
▽ 現代の自由民権運動を求めて
赤坂憲雄氏の提言=福島の「草の根」に希望
復興の動きはあきれるほど遅い。国や県には将来へのビジョンが乏しいからだ。被災地はそんな国や県を見切り始めている。もはや受け身では何も動かないと、人々は痛みとともに気づいてしまった。
多くの人々が試行錯誤を繰り返しつつ、草の根レベルから声を上げている。そうした「下」からの動きこそ支援してほしい。
福島はかつて自由民権運動の土地だった。その記憶は今も生きている。シンポジウムの場などで、誰からともなく「自由民権運動みたい」という声が聞こえてくる。現実が厳しいからこそ人々は現代の自由民権運動を求めている。
他方、中央の東北への視線は相変わらずだ。原発事故当事者、東京電力の姿が福島ではほとんど見えない。十分に責任を果たしてきたとも思えない。それなのに東電批判の声はとても小さい。
10万人の「原発難民」を生んだ福島に、原発との共存はありえない。福島県には、30年間で約3000億円の交付金が下りたと聞く。小さな村の除染費用にすら足りない。
どんなに困難でも、自然エネルギーへの転換しかない。東北全域を自然エネルギーの特区にするような、大胆で将来を見すえた提案がほしい。
<安原の感想> 東北全域を自然エネルギーの特区に
かつての自由民権運動(明治前期、藩閥政治に反対して国民の自由と権利を要求した政治運動)を連想させるところが見逃せない。福島の人々は痛みとともに多くのことに気づいた。草の根レベル、つまり「下」からの声こそ大切であること、一方、原発事故当事者である東電の存在が福島では見えないし、責任も果たしていないこと、などなど。
これでは「原発との共存はありえない」は腹の底からの叫びであるに違いない。だから「東北全域を自然エネルギーの特区に」という大胆かつ正当な構想も浮上してきた。そこに東北全域の再生がかかっている。この再生への挑戦が21世紀版自由民権運動である。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原 和雄
東日本大震災、原発惨事から一年が過ぎて、被災地の再生をどう図っていくかが改めて論議の的になっている。単なる復興ではなく、やはり再生への新しい道をどう展望するかが問われている。
原発廃止はもちろんとして、脱原発後の「身の丈にあう幸せとは何か」を問い続けなければならない。反「新自由主義」の変革モデルをどう築いていくかも重要な課題である。東北全域を再生させる挑戦は、実は二十一世紀版自由民権運動だという認識も芽生えつつある。東北被災地再生の行方が日本列島全体の将来を左右することにもなるだろう。(2012年3月24日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
毎日新聞に連載(3月3日付から17日付まで10回)された「再生への提言」を読んで、その感想を述べたい。
▽登場人物10人とその多面的な提言
提言の見出しと登場人物10人の氏名、現職、略歴はつぎの通り。提言の見出しからも分かるように多面的な提言となっている。
・現場の泥臭さ生かせ=岡本行夫氏(外交評論家=外務省課長、首相補佐官など歴任)
・社会全体の底上げを=河田恵昭氏(中央防災会議・専門調査会座長=関西大教授、専門は巨大災害)
・指導者は強い姿勢を=石原慎太郎氏(東京都知事=作家、一橋大在学中に芥川賞)
・特区で持続的雇用を=武藤敏郎氏(大和総研理事長・元財務事務次官=日銀副総裁も歴任)
・身の丈にあう幸せを=津島佑子氏(作家=「黄金の夢の歌」で毎日芸術賞)
・全国から人材集めて=小林健氏(三菱商事社長=71年入社、10年6月から現職)
・自発的変革の気概を=ピエール・スイリ氏(ジュネーブ大教授・日本学科長=元日仏会館フランス学長・99~03年)
・東北をもっと知って=渡辺えり氏(劇作家・演出家・女優=1978年「劇団3〇〇」結成)
・生命優先 近代越えよ=オギュスタン・ベルク氏(仏国立社会科学高等研究院教授=元日仏会館フランス学長・84~88年)
・福島の「草の根」に希望=赤坂憲雄氏(「東北学」を提唱する福島県立博物館長=復興構想会議委員を務めた)
以下では10人の提言から選んで3人の提言(大意)を紹介し、感想を述べたい。
▽「身の丈にあう幸せ」とは何か
津島佑子氏の提言=身の丈にあう幸せを
戦後、多くの日本人はアメリカ文化に新しい自立、自由を感じ、金持ちになることがその手段だと思うようになった。戦前からの権力者たちは自らの戦争責任をあいまいにしたまま、技術立国だの経済成長だのと叫び始めた。私たちもみるみる豊かになる社会や生活にぼんやり満足してきた。その間、原発は「増幅」を続け、揚げ句の果てに福島第一原発事故が起きた。
これまで反原発の声が力を持つことはなかったが、事故のあと、原発廃止を求める人たちが国境を超え、手をつなぎ始めている。一方で国を担う人たちは経済発展を理由に原発を輸出したがっている。
原子力産業とは戦後、都市の電力供給のために地方が放射能のリスクを負うという、形を変えた植民地主義の産物だった、と今度の原発事故で知った。そんな原発はもう見捨てなければならない。今も原発を動かしたい人たちは、巨大な古代神にいけにえをささげ続ける神官たちのように見える。そのいけにえは、子共たちの未来なのだ。
戦争に負けても変わらなかったこの国の価値観と人間の身の丈にあった幸せとは何なのかを可能な限り問い直す責任が、今日本に住む私たちに課せられていると思う。
<安原の感想> 植民地主義の原発は見捨て、幸せを
「原子力産業とは戦後、都市の電力供給のために地方が放射能のリスクを負うという、形を変えた植民地主義」という指摘には新鮮な響きを感じる。たしかに日本版植民地主義の典型ともいうべき原発は廃止するときである。
同時に「身の丈にあう幸せとは何か」を問い続けなければならない。それは従来型の技術立国、経済成長主義、原発輸出 ― などという路線とは異質のテーマである。しかも「幸せ」は原発のように押し付けられるものではなく、自らの意志で創っていくものであるに違いない。
▽ 社会を変革させてきたダイナミズムを
ピエール・スイリ氏の提言=自発的変革の気概を
昨年、私は本紙で「日本では天災が世直しの契機でもあった」と指摘した。あれから1年。私は失望している。大きな復興を契機に、長期停滞の20年を再構築する気概も生まれてくると期待したが、無反応なままであるのに驚いている。
歴史家の目で見て、今の日本停滞の原因は、積極的に独自の未来モデルを創造してこなかったことにある。
戦後復興の後に、独自の対策を生み出す機会も十分あったに違いない。その後、新自由主義経済をモデルに取り入れたが、現在それが失敗であったことが分かっているのに、曖昧なままだ。第二次大戦の戦後処理からいつまでも解放されない。対米関係も、沖縄問題が象徴するように従属的な立場しか見えてこない。
日本には時代の課題に鋭く反応してきた伝統があり、江戸、幕末、明治、大正、戦後まで、自発的な変革のエネルギーが躍動していた。
それが1980年代ごろから消滅し始めた。各階層の指導者たるべきエリートたちが、社会変革の責任を果たしてこなかったのが原因だ。国家と民衆への裏切りと言ってもおおげさではないだろう。社会を変革させてきたダイナミズムの歴史の片りんを、近い将来に見ることができるだろうか。
<安原の感想> 「新自由主義」後の変革モデルへ
手厳しい批判である。「今の日本停滞の原因は、独自の未来モデルを創造してこなかった」こと、それは「国家と民衆への裏切り」とも断じている。示唆に富んでいるが、「変革の未来モデル」がないという指摘は、「親切な誤解」と受け止めたい。
反「新自由主義」の変革モデルをめざす独自の提案、構想、運動が日本で広がりつつある。脱原発はいうまでもない。内需主導型経済発展への転換構想、反「核」、反「日米安保体制」、反「沖縄米軍基地」、さらに地球規模で平和(=非暴力)構築をめざす地球救援隊構想(自衛隊の全面改組)などである。
▽ 現代の自由民権運動を求めて
赤坂憲雄氏の提言=福島の「草の根」に希望
復興の動きはあきれるほど遅い。国や県には将来へのビジョンが乏しいからだ。被災地はそんな国や県を見切り始めている。もはや受け身では何も動かないと、人々は痛みとともに気づいてしまった。
多くの人々が試行錯誤を繰り返しつつ、草の根レベルから声を上げている。そうした「下」からの動きこそ支援してほしい。
福島はかつて自由民権運動の土地だった。その記憶は今も生きている。シンポジウムの場などで、誰からともなく「自由民権運動みたい」という声が聞こえてくる。現実が厳しいからこそ人々は現代の自由民権運動を求めている。
他方、中央の東北への視線は相変わらずだ。原発事故当事者、東京電力の姿が福島ではほとんど見えない。十分に責任を果たしてきたとも思えない。それなのに東電批判の声はとても小さい。
10万人の「原発難民」を生んだ福島に、原発との共存はありえない。福島県には、30年間で約3000億円の交付金が下りたと聞く。小さな村の除染費用にすら足りない。
どんなに困難でも、自然エネルギーへの転換しかない。東北全域を自然エネルギーの特区にするような、大胆で将来を見すえた提案がほしい。
<安原の感想> 東北全域を自然エネルギーの特区に
かつての自由民権運動(明治前期、藩閥政治に反対して国民の自由と権利を要求した政治運動)を連想させるところが見逃せない。福島の人々は痛みとともに多くのことに気づいた。草の根レベル、つまり「下」からの声こそ大切であること、一方、原発事故当事者である東電の存在が福島では見えないし、責任も果たしていないこと、などなど。
これでは「原発との共存はありえない」は腹の底からの叫びであるに違いない。だから「東北全域を自然エネルギーの特区に」という大胆かつ正当な構想も浮上してきた。そこに東北全域の再生がかかっている。この再生への挑戦が21世紀版自由民権運動である。
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大震災から1年、いま論ずべきこと
安原 和雄
日本そのものが再生への道を模索しているときである。大震災から1年のこの機会に新聞メディアもありきたりの社説から脱皮して、再生日本を担うジャーナリズムとしての「責任」を自覚し、担ってほしい。そのキーワードとして新しい安全保障観「いのちの安全保障」を提唱したい。
この「いのちの安全保障」は既存の「軍事力中心の安全保障」、さらに最近の「人間の安全保障」とは異質である。「3.11」で無惨にも多くの「いのち」が奪われてから1年のこの機会に論じてみるに値するテーマではないだろうか。(2012年3月15日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
大手紙と被災地の地元紙は、大震災と原発惨事から1年を迎えて、社説でどう論じたか。それを追跡しながら、「いのちの安全保障」に言及したい。
(1)毎日新聞 ― 異色の連載社説
3月3日付から「震災1年」という共通タイトルの連載社説を掲載した。最終回⑧(3月12日付)までの社説の主見出しは次の通り。
①爪跡と再出発=私たちは何を学んだか
②放射能との闘い=福島の再興を支えたい
③多難な復興の歩み=再生へ壁を超えよう
④原発政策の転換=脱依存の道筋早く示せ
⑤エネルギー政策=国民本位への転換急げ
⑥首都直下地震=世界一のリスク克服を
⑦未来のために=「NPO革命」を進めよう
⑧世界と日本=手を差し伸べる国家に
<社説の骨子> 助け合いの絆と危機の連鎖
ここでは最終回⑧「世界と日本=手を差し伸べる国家に」の骨子を以下に紹介する。
大震災は、世界が二つの意味でつながっていることを教えてくれた。その一つは、国境を超えた助け合いの絆だ。災害を人ごとだと考えず、他国の苦難に積極的に支援の手を差し伸べるたくさんの国や人々がいるからこそ、被災国は立ち直ることができる。
もう一つは、危機の連鎖である。原発事故は国境を超えて放射能を拡散させる。また一つの国で大きな事故や災害が起きれば、世界経済は一時的にせよマヒしかねない。日本の震災、タイの洪水しかりである。危機を一国の中に封じ込めることはむずかしい。
助け合いの絆を考えるとき、私たちは日本国の特殊性を頭に置きたい。日本は経済大国であり、一方で地震や津波などの自然災害のリスクにさらされている先進国はない。
東日本大震災では年間750ドル(6万円)以下で暮らす最貧国のうち、25カ国から支援を受けた。感謝を胸に、今度は救う側の国として、世界で重きをなす国になりたい。「人間の安全保障」という考え方に血を通わせ、肉づけをする。それは震災の教訓を踏まえた日本だから可能な、共感される国家理念になるはずだ。
危機の連鎖への対応は、原発事故でも重要だ。事故の実態を世界に説明し、再び大事故を起こさないため努力することは、ヒロシマ、ナガサキに続きフクシマという放射能の悲劇を経験した日本の、国際社会に対する貢献にもなろう。
<安原の感想> 「人間の安全保障」から「いのちの安全保障」へ
連載社説はあまり前例のない新趣向といえよう。力作揃いだが、感想を述べるためにあえて最終回の「世界と日本」を選んだ。それは、震災後の再生をめざすべき日本が世界の中で何をどう貢献できるかをテーマにしていると読み取ったからである。当然とはいえ、このテーマを取り上げているからこそ、連載社説も読み応えのある作品となっている。
特に着目すべきは、「人間の安全保障」を「共感される国家理念」として打ち出している点である。ただあえて感想をいえば、間違ってはいないが、今ひとつ不十分な提案ではないかと考える。
私はここ数年来、「いのちの安全保障」を提唱してきた。この新しい安全保障は、①人間に限らず、自然、動植物を含めて、地球上の生きとし生けるものすべてのいのちを尊重すること、②軍事力神話の時代は終わったという認識に立って、非武装中立の立場を打ち出すこと、③平和をつくるための構造変革、すなわち「簡素な経済」をつくっていくこと ― などの6本柱からなっている。
安全保障観の推移を辿れば、日米安保体制に代表される「軍事力中心の安全保障」から「人間の安全保障」(国連報告)へと変化しつつあるが、真の平和(=いのちの尊重、非暴力)を構築するためには、「いのちの安全保障」が求められる。
特に「3.11」で人間に限らず、自然、動植物を含めて多くのいのちが無惨にも奪われた。だからこそ今、改めて「いのちの安全保障」が必須のテーマとなってきたと考える。
(参考資料・安原和雄〈「いのちの安全保障」を提唱する ― 軍事力神話の時代は終わった〉足利工業大学「東洋文化」第25号、平成18年)
(2)朝日新聞 ― 東電料金の値上げを批判
朝日新聞は3月10日付から12日付まで「大震災から1年、津波からの復興、福島の再建」という共通タイトルの連載社説を3回掲載した。社説の主見出しは以下の通り。
・3月10日付=もっと「なりわいの再建」を
・3月11日付=つながり取り戻せる方策を
・3月12日付=信なくば、復興は進まず
さらに3月13日付「東電値上げ 燃料費下げる努力は?」という見出しの社説である。ここでは連載社説ではなく、13日付社説と同日付投書「声」=「東電の怠慢 これ以上許すな」を紹介する。
<社説の大要> 「値上げは権利」ではない
まず社説「東電値上げ」(大要)は次の通り。
東京電力が、大企業向けに続き、家庭向けの電気料金も約10%の値上げをするという。平均的な家庭で月600円程度の負担増になる。値上げの理由は燃料費だ。原発が止まって、代わりに火力発電が急増した。燃料費は前年に比べ4割り増しになっているという。
燃料の多くは液化天然ガス(LNG)で、問題は、震災前から日本勢がこのLNGを「高値買い」し続けていることにある。天然ガス市場は今、大転換期を迎えている。先行する米国では劇的に値段が下がり、日本の輸入価格の6分の1ほどで流通している。
ところが日本勢が買うLNGは下がらない。原油価格に連動した値決め方式で買い続けているためだ。この方式は1970年代の石油危機を機に始まったが、40年経ち合理性はとうに薄れた。欧州勢は産油国と粘り強く交渉し、日本の7割前後の価格で仕入れつつある。
日本の電力会社も、ガス会社や商社と共同でLNGを買ったりする例はある。
だが本気で価格を抑えようとする機運はなかった。高値で仕入れても料金に転嫁して利益が出る制度に守られてきた。顧客を大切に考えるなら、まず燃料調達の原価を下げる交渉に努めるべきだ。
大震災で多くの工場が被害を受けた。大変な苦労で操業を再開している。だがコスト削減に努め、「値上げは権利」とは決して言わないだろう。そんなことをすれば客は他社を選ぶ。電力会社も、この厳しさを見習わなくては理解を得られない。
<投書の大要> 東電の怠慢 これ以上許すな
投書「東電の怠慢」(大要)はつぎの通り。投書者=保険コンサルタント 及川輝治 東京都葛飾区 82歳。
東電原発事故による被害は全国に及んでいる。この責任は東電にあるのに、その意識が全く感じられないことに驚く。被災地・被災者への補償も遅々として進まず、原子炉の制御も危険な状況を脱していない。自らの事故原因究明も行わず、民間事故調への協力さえ拒否している。
にもかかわらず、進んでいるのが電気料金の値上げである。企業17%、民間約10%という値上げが独り歩きし、既成事実化が進んでいるのにはあきれるほかない。
今後予想される膨大な補償と除染、廃炉の費用など、血税の投入は不可避とされつつある。いまなすべきことは発電所や送電線の売却に踏み切ることだ。そして発送電分離を実現し、電力の自由化を進め、新たな電気事業者の参入を促し、原発廃止への道を探る。これ以上、東電のサボタージュを許してはならない。
<安原の感想> 地域独占・東電の傲慢な体質
朝日新聞の上述の社説にも投書にも教えられるところが少なくない。そこには地域独占・東電の傲慢な体質が浮かび上がっている。
例えば社説の「本気で価格を抑えようとする機運はなかった。高値で仕入れても料金に転嫁して利益が出る制度に守られてきた」という指摘は見逃せない。長期間の「地域独占による無競争」という「甘えの構造」にどっぷり浸かって、その「甘えの構造」そのものに気づこうともしなかったということではないか。
一方、投書は「原発事故による被害の責任は東電にあるのに、その意識が全く感じられないことに驚く」、「料金値上げが独り歩きし、既成事実化が進んでいるのにはあきれるほかない」と指摘している。「驚くこと、あきれること」のみ多く、それが体質化し、自己変革力を失った組織の行方はいかにあるべきか。もはや解体して出直す以外に打開策はないというべきだろう。
(3)福島民報 ― 「英知集めふるさと再生」
毎日、朝日以外の大手紙は、東京新聞社説=3月10日付から「3.11から1年」の共通タイトルで「被災地に自治を学ぶ」、「私たちは変わったか」と題する二つの連続社説を掲載した。さらに読売新聞社説=3月11日付「鎮魂の日 重い教訓を明日への備えに」、日本経済新聞社説=3月11日付「しなやかな備えで災害に強い国へ」など。
ここでは甚大な被災地(福島、宮城、岩手の3県)の地元紙に目を向けたい。
*福島民報社説=3月11日付「〈3.11を迎えて〉英知集めふるさと再生」、12日付「〈長引く避難生活〉心のケアより重要に」、13日付「〈原発事故賠償〉法改正し支払い急げ」
*河北新報社説=11日付「大震災1年 沿岸漁業の再生/計画のスピードアップ図れ」
*岩手日報社説=11日付「鎮魂と心の復興 思い忘れず前に進もう」
被災3県のうち東電福島原発事故の被害を直接受けた福島県の地元紙、福島民報社説(11日付)の大意を以下、紹介する。
<社説の大意> 復興はようやく出発点に
巨大地震と大津波に加えて東電福島原発事故が本県を襲った。人類が初めて経験する複合災害は今なお進行中だ。あらためて犠牲者の冥福を祈るとともに、「うつくしま」の再生を誓う。
県内の死者・行方不明者は二千二百人余に上る。高い放射線量のため、捜索さえ手つかずの区域が残る。原発から遠く、家屋に被害のない住民までが古里から切り離された。現在約十六万人が避難生活を強いられる。県民の多くが不安を抱えて暮らす。
健康への心配、土壌や水域の汚染、農林水産物や観光業の風評被害、人や地域の分断など過酷な現実に直面してきた。いわれなき偏見や差別とも闘う。復興はようやく出発点に立ったばかりだ。美しく豊かな県土をよみがえらせるには長い年月を要する。心を一つに英知と力を集めなければならない。
原発の安全神話は崩れた。政治や行政への信頼も揺らぐ。再発を防ぐ国家的な態勢が急務だ。中央依存の地域づくりからの脱却が求められる。地方の真の自立を実現すべきだ。
〈福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで・・・それが私の夢なのです〉。昨年八月の全国高校総合文化祭で示された若者の願いが頼もしい。震災以降に一万三千人を超す新たな命が県内で誕生した。未来の福島を担う希望になる。
震災は絆の大切さを教えた。思いやり、助け合う心が苦難に立ち向かう活力となった。県民の財産だ。国内外からも支援や励ましが相次ぐ。人や地域の連帯とつながりを一層強め、笑顔を取り戻そう。
<安原の感想> 「地方の真の自立」と「いのちの安全保障」と
原発の安全神話が崩壊し、一瞬のうちに日常の暮らしに信じ難い激変をもたらしたのが一年前の「3.11」だった。この「過酷な現実」からどのようにして立ち上がり、再生を図っていくのか。社説も指摘しているように「地方の真の自立」をどう実現していくかにかかっている。いいかえれば「いのちの安全保障」をどう生かすかである。
多くの人間のいのちが奪われただけではない。自然、動植物のいのちも「高い放射線量」の犠牲になっている。「土壌や水域の汚染」も自然のいのちの汚染にかかわっている。
夢、希望、人と人との絆、思いやり、助け合う心、笑顔 ― などの大切さも忘れてはならない。それが苦難に立ち向かう活力として働くに違いない。そのことを社説は説いてやまない。考えてみれば、夢、絆、思いやり、笑顔などは「軍事力の安全保障」とは両立しない。むしろ「いのちの安全保障」に安心とふくらみを与えてくれる。
人間中心の「人間の安全保障」も重要だが、やはり広くいのちを視野に取り込み、打開策を実践していく「いのちの安全保障」という視点を共有したい。そうすることによってやがて「地方の真の自立」、「美しく豊かな県土」がよみがえってくることを心から願っている。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原 和雄
日本そのものが再生への道を模索しているときである。大震災から1年のこの機会に新聞メディアもありきたりの社説から脱皮して、再生日本を担うジャーナリズムとしての「責任」を自覚し、担ってほしい。そのキーワードとして新しい安全保障観「いのちの安全保障」を提唱したい。
この「いのちの安全保障」は既存の「軍事力中心の安全保障」、さらに最近の「人間の安全保障」とは異質である。「3.11」で無惨にも多くの「いのち」が奪われてから1年のこの機会に論じてみるに値するテーマではないだろうか。(2012年3月15日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
大手紙と被災地の地元紙は、大震災と原発惨事から1年を迎えて、社説でどう論じたか。それを追跡しながら、「いのちの安全保障」に言及したい。
(1)毎日新聞 ― 異色の連載社説
3月3日付から「震災1年」という共通タイトルの連載社説を掲載した。最終回⑧(3月12日付)までの社説の主見出しは次の通り。
①爪跡と再出発=私たちは何を学んだか
②放射能との闘い=福島の再興を支えたい
③多難な復興の歩み=再生へ壁を超えよう
④原発政策の転換=脱依存の道筋早く示せ
⑤エネルギー政策=国民本位への転換急げ
⑥首都直下地震=世界一のリスク克服を
⑦未来のために=「NPO革命」を進めよう
⑧世界と日本=手を差し伸べる国家に
<社説の骨子> 助け合いの絆と危機の連鎖
ここでは最終回⑧「世界と日本=手を差し伸べる国家に」の骨子を以下に紹介する。
大震災は、世界が二つの意味でつながっていることを教えてくれた。その一つは、国境を超えた助け合いの絆だ。災害を人ごとだと考えず、他国の苦難に積極的に支援の手を差し伸べるたくさんの国や人々がいるからこそ、被災国は立ち直ることができる。
もう一つは、危機の連鎖である。原発事故は国境を超えて放射能を拡散させる。また一つの国で大きな事故や災害が起きれば、世界経済は一時的にせよマヒしかねない。日本の震災、タイの洪水しかりである。危機を一国の中に封じ込めることはむずかしい。
助け合いの絆を考えるとき、私たちは日本国の特殊性を頭に置きたい。日本は経済大国であり、一方で地震や津波などの自然災害のリスクにさらされている先進国はない。
東日本大震災では年間750ドル(6万円)以下で暮らす最貧国のうち、25カ国から支援を受けた。感謝を胸に、今度は救う側の国として、世界で重きをなす国になりたい。「人間の安全保障」という考え方に血を通わせ、肉づけをする。それは震災の教訓を踏まえた日本だから可能な、共感される国家理念になるはずだ。
危機の連鎖への対応は、原発事故でも重要だ。事故の実態を世界に説明し、再び大事故を起こさないため努力することは、ヒロシマ、ナガサキに続きフクシマという放射能の悲劇を経験した日本の、国際社会に対する貢献にもなろう。
<安原の感想> 「人間の安全保障」から「いのちの安全保障」へ
連載社説はあまり前例のない新趣向といえよう。力作揃いだが、感想を述べるためにあえて最終回の「世界と日本」を選んだ。それは、震災後の再生をめざすべき日本が世界の中で何をどう貢献できるかをテーマにしていると読み取ったからである。当然とはいえ、このテーマを取り上げているからこそ、連載社説も読み応えのある作品となっている。
特に着目すべきは、「人間の安全保障」を「共感される国家理念」として打ち出している点である。ただあえて感想をいえば、間違ってはいないが、今ひとつ不十分な提案ではないかと考える。
私はここ数年来、「いのちの安全保障」を提唱してきた。この新しい安全保障は、①人間に限らず、自然、動植物を含めて、地球上の生きとし生けるものすべてのいのちを尊重すること、②軍事力神話の時代は終わったという認識に立って、非武装中立の立場を打ち出すこと、③平和をつくるための構造変革、すなわち「簡素な経済」をつくっていくこと ― などの6本柱からなっている。
安全保障観の推移を辿れば、日米安保体制に代表される「軍事力中心の安全保障」から「人間の安全保障」(国連報告)へと変化しつつあるが、真の平和(=いのちの尊重、非暴力)を構築するためには、「いのちの安全保障」が求められる。
特に「3.11」で人間に限らず、自然、動植物を含めて多くのいのちが無惨にも奪われた。だからこそ今、改めて「いのちの安全保障」が必須のテーマとなってきたと考える。
(参考資料・安原和雄〈「いのちの安全保障」を提唱する ― 軍事力神話の時代は終わった〉足利工業大学「東洋文化」第25号、平成18年)
(2)朝日新聞 ― 東電料金の値上げを批判
朝日新聞は3月10日付から12日付まで「大震災から1年、津波からの復興、福島の再建」という共通タイトルの連載社説を3回掲載した。社説の主見出しは以下の通り。
・3月10日付=もっと「なりわいの再建」を
・3月11日付=つながり取り戻せる方策を
・3月12日付=信なくば、復興は進まず
さらに3月13日付「東電値上げ 燃料費下げる努力は?」という見出しの社説である。ここでは連載社説ではなく、13日付社説と同日付投書「声」=「東電の怠慢 これ以上許すな」を紹介する。
<社説の大要> 「値上げは権利」ではない
まず社説「東電値上げ」(大要)は次の通り。
東京電力が、大企業向けに続き、家庭向けの電気料金も約10%の値上げをするという。平均的な家庭で月600円程度の負担増になる。値上げの理由は燃料費だ。原発が止まって、代わりに火力発電が急増した。燃料費は前年に比べ4割り増しになっているという。
燃料の多くは液化天然ガス(LNG)で、問題は、震災前から日本勢がこのLNGを「高値買い」し続けていることにある。天然ガス市場は今、大転換期を迎えている。先行する米国では劇的に値段が下がり、日本の輸入価格の6分の1ほどで流通している。
ところが日本勢が買うLNGは下がらない。原油価格に連動した値決め方式で買い続けているためだ。この方式は1970年代の石油危機を機に始まったが、40年経ち合理性はとうに薄れた。欧州勢は産油国と粘り強く交渉し、日本の7割前後の価格で仕入れつつある。
日本の電力会社も、ガス会社や商社と共同でLNGを買ったりする例はある。
だが本気で価格を抑えようとする機運はなかった。高値で仕入れても料金に転嫁して利益が出る制度に守られてきた。顧客を大切に考えるなら、まず燃料調達の原価を下げる交渉に努めるべきだ。
大震災で多くの工場が被害を受けた。大変な苦労で操業を再開している。だがコスト削減に努め、「値上げは権利」とは決して言わないだろう。そんなことをすれば客は他社を選ぶ。電力会社も、この厳しさを見習わなくては理解を得られない。
<投書の大要> 東電の怠慢 これ以上許すな
投書「東電の怠慢」(大要)はつぎの通り。投書者=保険コンサルタント 及川輝治 東京都葛飾区 82歳。
東電原発事故による被害は全国に及んでいる。この責任は東電にあるのに、その意識が全く感じられないことに驚く。被災地・被災者への補償も遅々として進まず、原子炉の制御も危険な状況を脱していない。自らの事故原因究明も行わず、民間事故調への協力さえ拒否している。
にもかかわらず、進んでいるのが電気料金の値上げである。企業17%、民間約10%という値上げが独り歩きし、既成事実化が進んでいるのにはあきれるほかない。
今後予想される膨大な補償と除染、廃炉の費用など、血税の投入は不可避とされつつある。いまなすべきことは発電所や送電線の売却に踏み切ることだ。そして発送電分離を実現し、電力の自由化を進め、新たな電気事業者の参入を促し、原発廃止への道を探る。これ以上、東電のサボタージュを許してはならない。
<安原の感想> 地域独占・東電の傲慢な体質
朝日新聞の上述の社説にも投書にも教えられるところが少なくない。そこには地域独占・東電の傲慢な体質が浮かび上がっている。
例えば社説の「本気で価格を抑えようとする機運はなかった。高値で仕入れても料金に転嫁して利益が出る制度に守られてきた」という指摘は見逃せない。長期間の「地域独占による無競争」という「甘えの構造」にどっぷり浸かって、その「甘えの構造」そのものに気づこうともしなかったということではないか。
一方、投書は「原発事故による被害の責任は東電にあるのに、その意識が全く感じられないことに驚く」、「料金値上げが独り歩きし、既成事実化が進んでいるのにはあきれるほかない」と指摘している。「驚くこと、あきれること」のみ多く、それが体質化し、自己変革力を失った組織の行方はいかにあるべきか。もはや解体して出直す以外に打開策はないというべきだろう。
(3)福島民報 ― 「英知集めふるさと再生」
毎日、朝日以外の大手紙は、東京新聞社説=3月10日付から「3.11から1年」の共通タイトルで「被災地に自治を学ぶ」、「私たちは変わったか」と題する二つの連続社説を掲載した。さらに読売新聞社説=3月11日付「鎮魂の日 重い教訓を明日への備えに」、日本経済新聞社説=3月11日付「しなやかな備えで災害に強い国へ」など。
ここでは甚大な被災地(福島、宮城、岩手の3県)の地元紙に目を向けたい。
*福島民報社説=3月11日付「〈3.11を迎えて〉英知集めふるさと再生」、12日付「〈長引く避難生活〉心のケアより重要に」、13日付「〈原発事故賠償〉法改正し支払い急げ」
*河北新報社説=11日付「大震災1年 沿岸漁業の再生/計画のスピードアップ図れ」
*岩手日報社説=11日付「鎮魂と心の復興 思い忘れず前に進もう」
被災3県のうち東電福島原発事故の被害を直接受けた福島県の地元紙、福島民報社説(11日付)の大意を以下、紹介する。
<社説の大意> 復興はようやく出発点に
巨大地震と大津波に加えて東電福島原発事故が本県を襲った。人類が初めて経験する複合災害は今なお進行中だ。あらためて犠牲者の冥福を祈るとともに、「うつくしま」の再生を誓う。
県内の死者・行方不明者は二千二百人余に上る。高い放射線量のため、捜索さえ手つかずの区域が残る。原発から遠く、家屋に被害のない住民までが古里から切り離された。現在約十六万人が避難生活を強いられる。県民の多くが不安を抱えて暮らす。
健康への心配、土壌や水域の汚染、農林水産物や観光業の風評被害、人や地域の分断など過酷な現実に直面してきた。いわれなき偏見や差別とも闘う。復興はようやく出発点に立ったばかりだ。美しく豊かな県土をよみがえらせるには長い年月を要する。心を一つに英知と力を集めなければならない。
原発の安全神話は崩れた。政治や行政への信頼も揺らぐ。再発を防ぐ国家的な態勢が急務だ。中央依存の地域づくりからの脱却が求められる。地方の真の自立を実現すべきだ。
〈福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで・・・それが私の夢なのです〉。昨年八月の全国高校総合文化祭で示された若者の願いが頼もしい。震災以降に一万三千人を超す新たな命が県内で誕生した。未来の福島を担う希望になる。
震災は絆の大切さを教えた。思いやり、助け合う心が苦難に立ち向かう活力となった。県民の財産だ。国内外からも支援や励ましが相次ぐ。人や地域の連帯とつながりを一層強め、笑顔を取り戻そう。
<安原の感想> 「地方の真の自立」と「いのちの安全保障」と
原発の安全神話が崩壊し、一瞬のうちに日常の暮らしに信じ難い激変をもたらしたのが一年前の「3.11」だった。この「過酷な現実」からどのようにして立ち上がり、再生を図っていくのか。社説も指摘しているように「地方の真の自立」をどう実現していくかにかかっている。いいかえれば「いのちの安全保障」をどう生かすかである。
多くの人間のいのちが奪われただけではない。自然、動植物のいのちも「高い放射線量」の犠牲になっている。「土壌や水域の汚染」も自然のいのちの汚染にかかわっている。
夢、希望、人と人との絆、思いやり、助け合う心、笑顔 ― などの大切さも忘れてはならない。それが苦難に立ち向かう活力として働くに違いない。そのことを社説は説いてやまない。考えてみれば、夢、絆、思いやり、笑顔などは「軍事力の安全保障」とは両立しない。むしろ「いのちの安全保障」に安心とふくらみを与えてくれる。
人間中心の「人間の安全保障」も重要だが、やはり広くいのちを視野に取り込み、打開策を実践していく「いのちの安全保障」という視点を共有したい。そうすることによってやがて「地方の真の自立」、「美しく豊かな県土」がよみがえってくることを心から願っている。
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あの「3.11」を境にして想うこと
安原和雄
あの「3.11」から丸一年となる。どういう想いで迎えたらいいのか。僧侶・瀬戸内寂聴と作家・さだまさしの対談を読んで感じるのは、日本再生のためにはやはり「原発ゼロ」を求めて行動するほかないということだ。
二人の対談は、日本人はなぜ辛いときに笑うのか、身代わりに命を捧げてくれた犠牲者たちに感謝すること、命や心など目に見えないものこそ大切であること、反対なら声を上げて行動するとき―など望ましい日本人論のすすめともなっている。実はこれは「3.11」を境に本来の日本人の心を今こそ取り戻すとき、という呼びかけでもある。(2012年3月4日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
作家・僧侶の瀬戸内寂聴とシンガーソングライター・作家のさだまさしの対談集『その後とその前』(2012年2月幻冬舎刊)の大意を以下、紹介する。タイトルの「その後とその前」とは、2011年のあの「3.11」(東日本大震災と原発大惨事)後とその前という意。
(1)日本人はなぜ辛いときに笑うのか
さだ:今回被災地を歩いて感じることは、家族をものすごく今改めて意識していますね、皆さん。何も問題がないときは、そんなに家族が大事だなんて思わなかった。だけど、あの後は、やはり家族というものがどれだけ大切かを感じるんでしょうね。
寂聴:そうですね、そうですね。
さだ:もうほとんどの人たちが家族を失ってるんですけども、失ってみて、「ああ、大事にしときゃよかった」と思うんですかね。いるときには腹も立つんでしょうけど、いなくなるとせつないんでしょうねえ。
寂聴:うん
さだ:それで、これは日本人の美徳と思いたいんですけど、辛いときに笑うんですよね。
寂聴:そうそう。
さだ:その笑い顔だけ見たら、彼らは元気って思ってしまうんだけど、それは要するに日本人独特の美徳であって、本当は泣きたいんですよね。
寂聴:そうそうそう。
さだ:僕と同世代の男性が、ふっと(周囲にいた)みんながいなくなったときに、僕の手を握ってポロポロと泣くんですよ。「おふくろを(津波に)持ってかれて、かみさん持ってかれて、孫、持ってかれて」って泣かれると、こっちもね、もう俺だったら耐えられないなと思います。そういう思いの人に、どんな言葉をかけたらいいんでしょう。
寂聴:そうねえ。人間ってやっぱり、自分が味わわないとね、つらいこととか貧乏とか、やっぱりわからないんです。だから想像力がとても大事。だけど想像力だけではわからないものがある。自分がガンにならないと、本当にガンになった人の怖さ、痛さはわからない。
さだ:それはそうですね。おっしゃるとおりですね。
寂聴:自分が火事で全部失わないと、火事でなくなった人の本当の不自由さってわからない。原爆で死んだ人の怖さ、そのあとのつらさなんて、それを味わってないわれわれ、頭では想像できるけど、やっぱりわからない。飢えてる人の気持ちも、自分が飢えなければわからないですよ。
<安原の感想> 目立つ想像力の不足
「想像力がとても大事。だけど想像力だけではわからないものがある」とは至言である。とはいえ現下の日本ではまず想像力の不足が目立ちすぎる。だから他人様の痛みにあまりにも鈍感になってはいないか。私事で恐縮だが、最近脚のしびれを日夜感じ、杖の助けを借りている。そのお陰(?)で、杖に頼って歩いている人がいかに多いかに気づいた。いささか遅すぎる気づきだが、私自身、「杖を友に」を心掛けたい。
(2)身代わりになる「代受苦」
寂聴:(大震災で)たくさんの人が死にました。なんであの人たちが死ななきゃならないか。亡くなった人はいい人ばっかりなのよね。
さだ:そうそう、本当ですよ。
寂聴:真面目なのね、つつましく生きて、いい人ばっかりで、われわれは悪いこといっぱいしてるのに残ってるじゃないですか。
さだ:おっしゃるとおりです。
寂聴:亡くなった人に対し、どうしたらいいですかっていっぱいお手紙が来るんですよ。「することがわからない」っていうけど、もう、そう思ってあげるだけで、それが供養になってるから。そして、その人たちはあなたの代わりに死んだことを考えて下さいって言うようにしている。
さだ:身代わりになった。
寂聴:そう。「代受苦」(だいじゅく=代わって受ける苦しみ)という言葉があって、人の苦しみを代わってあげようっていうこと。
さだ:身代わりに命を捧げてくれたんだと思えば、感謝が生まれますね。
寂聴:そう。だから知らない人でも、その人が私の命の代わりに死んでくれたと思えば、おろそかにできないからね。
<安原の感想> 「感謝の心」から日本再生へ
「代受苦」を強調した仏教思想家の一人に日蓮がいる。さてこの対談で見逃せないのは「身代わりに命を捧げてくれたんだと思えば、感謝が生まれます」という指摘である。最近の日本社会ではとかく「感謝の心」が薄らいではいないか。大惨事を境に「感謝の心」が広がっていけば、人間同士の絆も深まるだろうし、それが何よりの日本再生へのバネになるのではないだろうか。
(3)目に見えないものを大切にする
さだ:こういう大災害にあうと、人生は失ってしまうものに満ちていることにいやでも気がつく。すると、一番大切なものがはっきりしてくる。例えば人間同士とか友達とか。
寂聴:敗戦で焼かれて何もかもなくした。それで戦後まず亡くしたものを手に入れようとした。家、着る物、道具、みんなお金がないと手に入らない。拝金主義になって、目に見えるものだけが必要で大切になった。目に見えないものを信じない。だから目にみえないものに想像力がなくなった。神や仏、命も心も見えない。だけど目に見えないものこそ、この世の大切なものなの。
さだ:だから、想像する力を何かと引き替えに失っている、きっと。
司会:多分それが便利さとか、物欲だとか。
寂聴:目に見えるものは壊れる。いつかなくなる。目に見えないものはなくならない。お金で買えないものって、目に見えないもの。家、着物、宝石が欲しいってのは目に見えているものでしょう。本当に世の中を動かしていくものは目に見えないものなんですよね。
さだ:心の基準が物質だった。だけど被災者の人も、誰一人宝石類を惜しまない。津波に流されて自分の車がなくなったことを惜しいとは言わない。やっぱり惜しいのは命です。命ってことは人の心。
<安原の感想> 非経済的・非市場的価値こそ大切
重要な指摘は「目に見えるものは壊れる。いつかなくなる。目に見えないものはなくならないし、この世の大切なもの」である。私の唱える仏教経済学では「目に見えるもの」を経済的・市場的価値、「目に見えないもの」を非経済的・非市場的価値と名づけている。後者の具体例を対談から拾えば、家族、美徳、人間同士、友達、神、仏、命、人の心、想像力などで、いずれもお金を積んでも入手できるわけではない。しかしこれらの価値こそが生きていく上で大切なのである。
(4)「生きるとは行動すること」
司会:みんなが不愉快に思ってるのに黙って我慢していることと、原発でも自分は反対だと言わないという空気は似ている。
さだ:うん、よく似てる。
寂聴:黙っていることは、賛成ってことなんですよ。だから反対だったら、やっぱり言わなきゃいけない。それから行動しなきゃいけないの。行動しないことは賛成ってことなのよ。平塚らいてう(注)は「生きるとは行動すること」と言ってる。「和をもって尊しとなす」は、聖徳太子の十七条憲法の言葉だけれど、それはただ仲良しならいいということではない。その和をもって尊しとする和を作るために、やっぱりちゃんと声を上げなきゃいけないときもあるのよ。
(注)平塚らいてう(1886~1971年)は、評論家、婦人運動家。明治44年(1911)、女性文芸誌「青鞜」を発刊。のち市川房枝、奥むめおらと、女性の地位向上をめざす新婦人協会を結成して婦人参政権運動を行った。自伝「元始、女性は太陽であった」。
さだ:そうですね。何かを正しく恐れることとか、正しく怒ることってすごく難しいことだと思う。つまり原発に対して怒ることも、何をどう怒っていいか分からないからという気がする。「もしかしてあの地震が起きなければ大丈夫だったんじゃないの」という人が半分はいるわけでしょう? (中略)自分で手を挙げるとしたら、どこで手を挙げていいか人の顔色を見るんですよ、日本人って。自分の意見に自信がない程度しか学んでいないから、分からないんでしょうね。
<安原の感想> 「雄弁と行動こそ金」の時代へ
「沈黙は金、雄弁は銀」(西洋のことわざ)というが、このご時世ではこのことわざは時代遅れの感がある。筋の通った雄弁と行動こそ金というべきではないか。今こそ、婦人運動家の先がけ、平塚らいてうの「生きるとは行動すること」の含蓄を噛みしめ、行動したい。たしかに「行動しないことは賛成」にほかならないし、「正しく怒ることって難しい」が、あの「3.11」を境に変化しつつある。「原発ゼロ」を求めるデモなどの行動が日本列島上で日常化しているのだ。日本再生の新しいエネルギーとして大きく育っていくことを期待したい。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
あの「3.11」から丸一年となる。どういう想いで迎えたらいいのか。僧侶・瀬戸内寂聴と作家・さだまさしの対談を読んで感じるのは、日本再生のためにはやはり「原発ゼロ」を求めて行動するほかないということだ。
二人の対談は、日本人はなぜ辛いときに笑うのか、身代わりに命を捧げてくれた犠牲者たちに感謝すること、命や心など目に見えないものこそ大切であること、反対なら声を上げて行動するとき―など望ましい日本人論のすすめともなっている。実はこれは「3.11」を境に本来の日本人の心を今こそ取り戻すとき、という呼びかけでもある。(2012年3月4日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
作家・僧侶の瀬戸内寂聴とシンガーソングライター・作家のさだまさしの対談集『その後とその前』(2012年2月幻冬舎刊)の大意を以下、紹介する。タイトルの「その後とその前」とは、2011年のあの「3.11」(東日本大震災と原発大惨事)後とその前という意。
(1)日本人はなぜ辛いときに笑うのか
さだ:今回被災地を歩いて感じることは、家族をものすごく今改めて意識していますね、皆さん。何も問題がないときは、そんなに家族が大事だなんて思わなかった。だけど、あの後は、やはり家族というものがどれだけ大切かを感じるんでしょうね。
寂聴:そうですね、そうですね。
さだ:もうほとんどの人たちが家族を失ってるんですけども、失ってみて、「ああ、大事にしときゃよかった」と思うんですかね。いるときには腹も立つんでしょうけど、いなくなるとせつないんでしょうねえ。
寂聴:うん
さだ:それで、これは日本人の美徳と思いたいんですけど、辛いときに笑うんですよね。
寂聴:そうそう。
さだ:その笑い顔だけ見たら、彼らは元気って思ってしまうんだけど、それは要するに日本人独特の美徳であって、本当は泣きたいんですよね。
寂聴:そうそうそう。
さだ:僕と同世代の男性が、ふっと(周囲にいた)みんながいなくなったときに、僕の手を握ってポロポロと泣くんですよ。「おふくろを(津波に)持ってかれて、かみさん持ってかれて、孫、持ってかれて」って泣かれると、こっちもね、もう俺だったら耐えられないなと思います。そういう思いの人に、どんな言葉をかけたらいいんでしょう。
寂聴:そうねえ。人間ってやっぱり、自分が味わわないとね、つらいこととか貧乏とか、やっぱりわからないんです。だから想像力がとても大事。だけど想像力だけではわからないものがある。自分がガンにならないと、本当にガンになった人の怖さ、痛さはわからない。
さだ:それはそうですね。おっしゃるとおりですね。
寂聴:自分が火事で全部失わないと、火事でなくなった人の本当の不自由さってわからない。原爆で死んだ人の怖さ、そのあとのつらさなんて、それを味わってないわれわれ、頭では想像できるけど、やっぱりわからない。飢えてる人の気持ちも、自分が飢えなければわからないですよ。
<安原の感想> 目立つ想像力の不足
「想像力がとても大事。だけど想像力だけではわからないものがある」とは至言である。とはいえ現下の日本ではまず想像力の不足が目立ちすぎる。だから他人様の痛みにあまりにも鈍感になってはいないか。私事で恐縮だが、最近脚のしびれを日夜感じ、杖の助けを借りている。そのお陰(?)で、杖に頼って歩いている人がいかに多いかに気づいた。いささか遅すぎる気づきだが、私自身、「杖を友に」を心掛けたい。
(2)身代わりになる「代受苦」
寂聴:(大震災で)たくさんの人が死にました。なんであの人たちが死ななきゃならないか。亡くなった人はいい人ばっかりなのよね。
さだ:そうそう、本当ですよ。
寂聴:真面目なのね、つつましく生きて、いい人ばっかりで、われわれは悪いこといっぱいしてるのに残ってるじゃないですか。
さだ:おっしゃるとおりです。
寂聴:亡くなった人に対し、どうしたらいいですかっていっぱいお手紙が来るんですよ。「することがわからない」っていうけど、もう、そう思ってあげるだけで、それが供養になってるから。そして、その人たちはあなたの代わりに死んだことを考えて下さいって言うようにしている。
さだ:身代わりになった。
寂聴:そう。「代受苦」(だいじゅく=代わって受ける苦しみ)という言葉があって、人の苦しみを代わってあげようっていうこと。
さだ:身代わりに命を捧げてくれたんだと思えば、感謝が生まれますね。
寂聴:そう。だから知らない人でも、その人が私の命の代わりに死んでくれたと思えば、おろそかにできないからね。
<安原の感想> 「感謝の心」から日本再生へ
「代受苦」を強調した仏教思想家の一人に日蓮がいる。さてこの対談で見逃せないのは「身代わりに命を捧げてくれたんだと思えば、感謝が生まれます」という指摘である。最近の日本社会ではとかく「感謝の心」が薄らいではいないか。大惨事を境に「感謝の心」が広がっていけば、人間同士の絆も深まるだろうし、それが何よりの日本再生へのバネになるのではないだろうか。
(3)目に見えないものを大切にする
さだ:こういう大災害にあうと、人生は失ってしまうものに満ちていることにいやでも気がつく。すると、一番大切なものがはっきりしてくる。例えば人間同士とか友達とか。
寂聴:敗戦で焼かれて何もかもなくした。それで戦後まず亡くしたものを手に入れようとした。家、着る物、道具、みんなお金がないと手に入らない。拝金主義になって、目に見えるものだけが必要で大切になった。目に見えないものを信じない。だから目にみえないものに想像力がなくなった。神や仏、命も心も見えない。だけど目に見えないものこそ、この世の大切なものなの。
さだ:だから、想像する力を何かと引き替えに失っている、きっと。
司会:多分それが便利さとか、物欲だとか。
寂聴:目に見えるものは壊れる。いつかなくなる。目に見えないものはなくならない。お金で買えないものって、目に見えないもの。家、着物、宝石が欲しいってのは目に見えているものでしょう。本当に世の中を動かしていくものは目に見えないものなんですよね。
さだ:心の基準が物質だった。だけど被災者の人も、誰一人宝石類を惜しまない。津波に流されて自分の車がなくなったことを惜しいとは言わない。やっぱり惜しいのは命です。命ってことは人の心。
<安原の感想> 非経済的・非市場的価値こそ大切
重要な指摘は「目に見えるものは壊れる。いつかなくなる。目に見えないものはなくならないし、この世の大切なもの」である。私の唱える仏教経済学では「目に見えるもの」を経済的・市場的価値、「目に見えないもの」を非経済的・非市場的価値と名づけている。後者の具体例を対談から拾えば、家族、美徳、人間同士、友達、神、仏、命、人の心、想像力などで、いずれもお金を積んでも入手できるわけではない。しかしこれらの価値こそが生きていく上で大切なのである。
(4)「生きるとは行動すること」
司会:みんなが不愉快に思ってるのに黙って我慢していることと、原発でも自分は反対だと言わないという空気は似ている。
さだ:うん、よく似てる。
寂聴:黙っていることは、賛成ってことなんですよ。だから反対だったら、やっぱり言わなきゃいけない。それから行動しなきゃいけないの。行動しないことは賛成ってことなのよ。平塚らいてう(注)は「生きるとは行動すること」と言ってる。「和をもって尊しとなす」は、聖徳太子の十七条憲法の言葉だけれど、それはただ仲良しならいいということではない。その和をもって尊しとする和を作るために、やっぱりちゃんと声を上げなきゃいけないときもあるのよ。
(注)平塚らいてう(1886~1971年)は、評論家、婦人運動家。明治44年(1911)、女性文芸誌「青鞜」を発刊。のち市川房枝、奥むめおらと、女性の地位向上をめざす新婦人協会を結成して婦人参政権運動を行った。自伝「元始、女性は太陽であった」。
さだ:そうですね。何かを正しく恐れることとか、正しく怒ることってすごく難しいことだと思う。つまり原発に対して怒ることも、何をどう怒っていいか分からないからという気がする。「もしかしてあの地震が起きなければ大丈夫だったんじゃないの」という人が半分はいるわけでしょう? (中略)自分で手を挙げるとしたら、どこで手を挙げていいか人の顔色を見るんですよ、日本人って。自分の意見に自信がない程度しか学んでいないから、分からないんでしょうね。
<安原の感想> 「雄弁と行動こそ金」の時代へ
「沈黙は金、雄弁は銀」(西洋のことわざ)というが、このご時世ではこのことわざは時代遅れの感がある。筋の通った雄弁と行動こそ金というべきではないか。今こそ、婦人運動家の先がけ、平塚らいてうの「生きるとは行動すること」の含蓄を噛みしめ、行動したい。たしかに「行動しないことは賛成」にほかならないし、「正しく怒ることって難しい」が、あの「3.11」を境に変化しつつある。「原発ゼロ」を求めるデモなどの行動が日本列島上で日常化しているのだ。日本再生の新しいエネルギーとして大きく育っていくことを期待したい。
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