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「もっともっと欲しい」の貪欲の経済から、「足るを知る」知足の経済へ。さらにいのちを尊重する「持続の経済」へ。日本は幸せをとりもどすことができるでしょうか、考え、提言し、みなさんと語り合いたいと思います。(京都・龍安寺の石庭)
堤清二の「市民の国家」論とは
政官財界は「没落」を回避できるのか 

安原和雄
 政官財界の内側にいて批判精神を失わないユニークな経営者として知られていた堤清二氏が亡くなった。若手経営者の頃から望ましい国家の姿として「市民の国家」論を唱え、それに耳を貸さない現状のままでは「産業界は没落の一途」を辿るほかないとも指摘した。政官財界は果たして「没落」を回避できるのかという問題意識は、今後も常に新鮮な問いかけとなるだろう。
 日本の著しい右傾化に熱心な安倍自民党政権に向かって、堤氏としては根底から批判するほかなかったに違いない。しかし寿命という自己管理しにくい制約のため、それを果たす機会を与えられなかった。堤氏にとっては無念であったと言うべきだろう。(2014年1月16日掲載。公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 朝日新聞(2013年11月29日付)は「経済人・作家 堤清二さん死去」の見出しで次のように報じた。
 セゾングループを率いた経済人であり、辻井喬(つじい・たかし)のペンネームで作家・詩人としても知られた堤清二(つつみ・せいじ)さんが死去した。86歳。小売業(西武百貨店など)に文化事業を融合させる一方、日本の戦後をみつめた文化人の死を悼む声が28日、相次いだ。西武百貨店を傘下に収めるセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長は「非常に感覚が鋭く、尊敬していた」とコメントした。

 『揺らぐ日本株式会社 政官財50人の証言』(毎日新聞社刊「毎日新聞経済部編」1975年刊)に堤 清二氏の証言(記事中の見出しは「″市民の国家″に改造を」、「経済界は没落の一途」)が収められている。政官財界人にインタビューしたのは主として私(安原=当時、毎日新聞東京本社経済部員で財界担当記者)だったが、多くの経済部員の協力を得た。当時の西 和夫・毎日新聞(東京)経済部長は、この長期企画の『証言』について次のように指摘している。
 「日本株式会社の重役たちが1974年から75年にかけて何を悩み、何を志向していたか、とくに一枚岩的な政・官・財複合体の亀裂が刻み込まれたことについていかに深刻な危機感を持ち、その打開策に眠られぬ夜をすごしたか ― を記録する証言として、昭和経済史に残る資料的価値を担うものと自負している」と。

 40年も昔のインタビュー記事だが、決して「単なる昔話」にとどまっているわけではない。むしろ21世紀の今の時点でもなお示唆に富む証言となっている。以下、その証言(大要)を紹介し、<安原の感想>を付記する。

(1)「市民の国家」に改造を
 問い:石油危機とインフレのなかで企業の社会的責任が問われたが、今日の企業の社会的責任はいかにあるべきだと考えるか。
 堤:生活にとって有用な製品を需要に応じて作り出していくのが重要な社会的責任だ。いいかえれば社会的ニーズに応えることだ。社会的ニーズのなかには物質的な豊かさだけでなく、最近では人間的豊かさが大きく出てきている。公害防止は当然のことだし、それに生きがいも企業が労働者に対して果たすべき社会的責任の重要な部分だ。
 問い:どうしてわが国では、あなたの指摘する意味での企業の社会的責任論が定着しなかったのか。
 堤:明治のころから道義的経営者はつねに少数派だった。その少数派の例として住友の別子銅山の公害対策がある。今日のカネに換算して500億円程度の巨費を投じて公害問題に取り組んだ。もう一つ、明治時代の公害事件として有名な足尾銅山があり、その公害反対運動のリーダーだった田中正造は「別子銅山は企業経営の見本だ」とほめた。米国では公害問題にその地域の経営者が先頭に立って取り組んでいる例がたくさんある。
 ところが戦後の日本の場合は一人もいない。あれはマスコミが悪いというステレオ・タイプ的発想になっている。明治時代の経営者に比べ格が落ちた。公害裁判に敗北して、しかもみんなに批判されてシブシブ従うというのが大部分だ。

問い:「社会的責任」が経営者の基本的行動様式になり得なかったのは、日本の産業風土の特殊性によるものか、それとも資本主義体制の本質的欠陥が出てきたものか。
 堤:それに答えるのは、実はこわい。資本主義が社会的有用性をもっていたころはプラスの役割を果たした。しかし現在、資本主義の社会的役割は一段階を終えたのではないかというイヤな予感がする。新しい時代の資本主義に関するビジョンが生まれない限り、今日みられるデメリット(欠陥)が出続ける危険性がある。公害、インフレ、資源問題などがそのデメリットで、これはケインズ経済学の破産にもつながっていく問題だ。
 公経済の分野がひろがって、それと私経済との混合による新しい資本主義になっているのに、日本の経営者はいまなおアダム・スミス当時の自由主義経済を頭に置いている。財界だけがタイム・カプセルに入って凍結されているわけだ。しかしアダム・スミスを読み直してみると、スミスさえ、自由競争には限界があるとして、企業家の自己抑制などの必要を強調している。どうも日本のえらい方は、自己流にスミスを読み違えているとしか思えない。とにかく自由にやらせるのが自由主義経済だといっていたのでは、大衆から見放される。
 問い:どの程度の公権力の介入ならよいと考えるか。
堤:その前提として国家の質をどうみるかだ。経営者は今の政府を明治の絶対主義政府という観念でしかみていない。常に自由を束縛する国家観しかないわけだ。しかしいまの国家は「市民社会のための装置」という認識をもつべきだ。市民社会のための政府であれば、介入も市民社会のための介入になるので、企業にとっても歓迎すべき介入になるはずだ。そして介入の仕方、分野、度合いについて介入を認める立場で注文をつけていく。

<安原の感想>「市民が主役」を取り戻すとき
 国家は「市民社会のための装置」という認識は今日の日本社会に浸透しているだろうか。現実はまるで逆ではないか。特に自民党の安倍政権が誕生してからは、むしろ「国家のための装置」として機能しつつある。そこでは平和・反戦と人権重視の現行憲法の理念は無視ないし軽視されている。軍事力行使も辞さないという姿勢すらうかがわせている。
 40年前の堤発言は、いま、読み返してみると、今日の日本政治の姿を予見していたかのように受け止めることもできる。市民が主役の「市民社会のための装置」という認識を取り戻さなければならない。そのためには安倍政権に一日でも早く引導を渡すときである。

(2)経済界は没落の一途
問い:介入する側の官僚と介入される側の経済界との間にギャップがあるのではないか。
 堤:市民社会のための政府であるべきだという意識で行動しているまじめな官僚は、最近の経済人の行動は理解できないのではないか。意識の面での両者の間のギャップは広がりつつある。しかも経済界は大衆からも見放されているのだから、これでは経済界は没落の一途をたどっていることになる。
 問い:自民党単独政権が長すぎるという意見は財界にも出ている。政権交代が必要だとは思わないか。
 堤:いい悪いは別にして、政権は必ず交代するものだ。世界史をみても100年も一つの政党が政権の座についていたことはない。変わるのが当たり前だ。必然だ。ただ変わり方にいろんなのがある。

 問い:自民党は国民の過半数の支持をすでに失っている。事実上保革逆転しているという見方は財界のなかにもある。つまり資本主義体制の守護者である自民党に対する国民の批判が強まっているわけで、このことは利潤追求を第一目的とするいまの資本主義体制そのものの是非が問われていることを意味するとは考えないか。
 堤:利潤それ自体が原則的に悪だとは思わない。何のために利潤を追求し、どういう方法で利潤を追求するか、この二点で利潤追求行為が悪であるかどうかが決まってくる。昔は利潤追求が経済の発展に役立ち、国民がこれを支持した。しかしいまは利潤追求の仕方が他の社会生活の分野をおかす場合には悪になっている。経済発展が国民の期待の最大公約数ではなくなっているからだ。
 問い:自民党の宮沢喜一氏は、「自由主義経済を死守する」といっている。どう思うか。
 堤:いまの体制を死守するというのは白虎隊と同じでロマンチックだけれども、問題はどういう体制にしなければならないかだ。第一次資本主義体制とでもいうべきこれまでの体制は変わらざるをえないでしょう。経営者も体制が変わることを率直に認めていかねばならない。死守される体制の方が迷惑するのではないか。
 問い:新しい体制はどういうものになると考えるか。
 堤:古典的資本主義はどこの世界にもない。米、英、仏、西独など各国いずれも特性を持っており、したがって典型的な新しい第二次資本主義体制というものはないと思う。日本も歴史、風土に合わせて経済運営が円滑に行われて国民のニーズに応えられさえすれば、これが資本主義であるかどうかわからなくなってもよい。

<安原の感想>行方定まらぬ日本資本主義
 自民党単独政権の末期、自由主義経済=資本主義体制そのものはどうなるのか、に関心が集まりつつあった。その一つは自民党・宮沢喜一氏(蔵相、首相を歴任)の「自由主義経済死守」論である。「死守」論に批判的姿勢で終始したのが堤氏で、「資本主義体制は変わらざるを得ない」と論じた。「死守される体制の方が迷惑する」と冷ややかでもあった。この考えは宮沢流の「死守」論とは180度異なっている。

 さて日本経済の現状はどうか。右翼的色彩の濃い安倍政権の登場とともにアベノミクス(大胆な金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略ーの「三本の矢」)という名の経済運営に転換した。しかし例えば大量の非正規労働者群をどう削減していくのか、その展望はみえない。恵まれない大衆への熱い関心は希薄のように見受けられる。安倍首相は政治家というよりは支配者・統治者の心情なのだろう。これでは経済の活性化もままならない。行方定まらない日本資本主義というほかない。
 毎日新聞社説(1月16日付)は春闘に関連して「若年層を中心にした非正規雇用の低賃金と生活不安の改善は急務」と主張した。賛成したい。








今の平和憲法を守るのが現実的だ
2013年憲法記念日と大手紙社説

安原和雄
 安倍政権の右傾化は、平和憲法に対するメディアの姿勢にどう影響しているか。メディア、特に新聞の役割は本来、権力批判にあるはずだが、安倍政権の登場とともに大きな変化をみせている。特に大手紙では平和憲法について堅持派、条件付き擁護派、改定派の三つに分けることができる。
 私(安原)の主張、立場は堅持派である。主見出しの「今の平和憲法を守るのが現実的だ」は堅持派の東京新聞社説の中から汲み上げた。言い換えれば、軍事力の強化によって国民の安全・暮らしを守ることはできないと考える。安倍政権の右傾化は国の在り方をも危うくするだろう。(2013年5月4日掲載。インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)

▽憲法記念日と大手紙社説

 2013年5月3日の憲法記念日に大手紙社説はどう論じたか。

 大手5紙の社説見出しはつぎの通り。
*東京新聞=憲法を考える 歴史がつなぐ知恵の鎖
*朝日新聞=憲法を考える 変えていいこと、ならぬこと
*毎日新聞=憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する
*讀賣新聞=各党は参院選へ具体策を競え 改正論議の高まりを生かしたい
*日本経済新聞=改憲論議で忘れてはならないもの
なお毎日新聞は5月4日付社説で「憲法と国会 違憲の府を再生しよう」という見出しで、論じているが、これは論評しない。

 昨年と違って今年は改憲派の安倍政権下にあるだけに新聞社説も改憲の流れと無関係ではない。そういう悪しき潮流の中で護憲派の立場を堅持する姿勢を見せているのが、上記の大手紙のなかでは東京新聞である。その主張の大要は後述する。

 さて朝日社説は「憲法には、決して変えてはならないことがある」としてつぎの諸点を挙げている。
・近代の歴史が築いた国民主権や基本的人権の尊重、平和主義などがそうだ。こうした普遍の原理は守り続けねばならない。
・安倍首相が憲法改正を主張している。96条の改正手続きを改め、個々の条項を変えやすくする。日本では両院の総議員の3分の2以上の賛成と国民投票での過半数の承認が必要だ。自民党などの改正論は、この「3分の2」を「過半数」に引き下げる。これでは一般の法改正と同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない。朝日新聞としては96条改正には反対する。

 毎日社説も「96条の改正に反対する」という大見出しでつぎのように指摘している。
・その時の多数派が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理を定めたのが憲法であり、改憲には厳格な要件が必要だ。ゆえに私たちは、96条改正に反対する。
・健全な民主主義は、権力者が「多数の暴政」(フランス人思想家トクビル)に陥りがちな危険を常に意識することで成り立つ。改憲にあたって、国論を分裂させかねない「51対49」ではなく、あえて「3分の2」以上の多数が発議の条件になっている重みを、改めてかみしめたい。

<安原の感想> 平和共存こそ追求するとき
 憲法擁護派の朝日、毎日と違って、讀賣と日経は現行憲法批判の視点から平和憲法に風穴を開けようと考えているらしい。いうまでもなく「言論、思想の自由」は日本国憲法で保障されているのだから軍事力増強論を唱えることも自由ではあるだろう。しかし日本国憲法の前文の次の一節をいま一度玩味したい。

 「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と。
 つまり対立・抗争ではなく、平和共存こそ追求すべき「崇高な理想」であると同時に現実的な目標でもあるだろう。それに背を向けるかのように、安倍政権の登場とともに「力への依存症」が強まりつつあるのは危険というほかない。

▽ 平和憲法を守る方が現実的

 東京新聞社説(5月3日付)の大意を以下に紹介する。

 憲法改正を叫ぶ勢力の最大目的は、9条を変えることでしょう。国防軍創設の必要性がどこにあるのでしょうか。平和憲法を守る方が現実的です。
 選挙で第一党になる、これは民主的な手法です。多数決で法律をつくる、これも民主的です。権力が憲法の制約から自由になる法律をつくったら・・・。

*「権力を縛る鎖」という知恵
 日本国憲法の役目は、むろん「権力を縛る鎖」です。立憲主義と呼ばれます。大日本帝国憲法でも、伊藤博文が「君権を制限し、臣民の権利を保障すること」と述べたことは有名です。
 たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、鎖で縛ってあるのです。
 憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は「確かに国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているのです。それが今日の立憲主義の知恵なのです」と語ります。

 「国民主権といえども、服さねばならない何かがある、それが憲法の中核です。例えば13条の『個人の尊重』などは人類普遍の原理です。近代デモクラシーでは、立憲主義を用い、単純多数決では変えられない約束事をいくつも定めているのです」(樋口さん)

 自民党の憲法改正草案は、専門家から「非立憲主義的だ」と批判が上がっています。国民の権利に後ろ向きで、国民の義務が大幅に拡大しているからです。前文では抽象的な表現ながら、国を守ることを国民の義務とし、9条で国防軍の保持を明記しています。

*9条改正の必要はない
 しかし、元防衛官僚の柳沢協二さんは「9条改正も集団的自衛権を認める必要性も、現在の日本には存在しません」と語ります。旧防衛庁の官房長や防衛研究所所長、内閣官房の副長官補として、安全保障を担当した人です。
 「情勢の変化といえば、北朝鮮のミサイルと中国の海洋進出でしょう。いずれも個別的自衛権の問題で、たとえ尖閣諸島で摩擦が起きても、外交努力によって解決すべき事柄です」
 9条を変えないと国が守れないという現実自体がないのです。米国の最大の経済相手国は、中国です。日中間の戦争など望むはずがありません。
 「米国は武力が主な手段ではなくなっている時代だと認識しています。冷戦時代は『脅威と抑止』論でしたが、今は『共存』と『摩擦』がテーマの時代です。必要なのは勇ましい議論ではなく、むしろブレーキです」

 安倍晋三首相の祖父・岸信介氏は「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」のごとく批判しました。でも、憲法施行から66年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか。改憲論は長く国民の意思によって阻まれてきたのです。

<安原の感想> 安倍首相の思考は時代錯誤
 岸信介元首相の「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」という認識はいかにも彼らしいが、孫の安倍首相を理解するのに「なるほど、この祖父にして、この孫あり」とうなずくほかない。だからこそ安倍首相は戦後の民主主義的なるものをことごとく葬り去ろうとしているのではないか。祖父・岸信介の暗黙の遺言なのかも知れないが、時代錯誤の思考というほかない。
 東京新聞社説のように<憲法施行から66年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか>と疑問を提起したくなるのは当然であろう。

 ここで元防衛官僚3人組の「志」に注目したい。その3人とは、防衛省元幹部の箕輪登政務次官(1924年生まれ)、竹岡勝美官房長(1923年生まれ)、小池清彦教育訓練局長(1937年生まれ)で、共著『我、自衛隊を愛す故に、憲法9条を守る ― 防衛省元幹部3人の志』(かもがわ出版、2007年3月刊)が知られる。
 著作中の小見出しを紹介すると、「もう一つの疑義 米国追随」、「アジア・中東覇権のための米軍基地」、「安保条約を友好条約へ」、「平和な日本が続くことを願って」、「イラク派兵は戦争参加そのもの」、「自衛官は海外で戦争するために志願したのではない」、「過去の戦争を繰り返さぬために新憲法ができた」、「反対意見に耳を傾けたら戦争は起きない」、「戦争は惨めだ 軍事国家になってはならない」などが並んでいる。
 平和憲法支持の観点からの反戦思想そのものとはいえないか。安倍首相の時代錯誤の思考とは180度異質である。


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たるみきった自民党の組織
〈折々のつぶやき〉30

安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。
 今回は参院選(07年7月29日投票)で惨敗した自民党の「たるみきった組織」にまつわる話で、つぶやきとはいいながら、大声でのつぶやきである。〈折々のつぶやき〉30回目。(07年8月5日掲載、同月7日インターネット新聞「日刊ベリタ」に見出しなど一部を修正して転載)

 自民党が惨敗した、あの参院選が終わってから1週間ほどの8月4日(土)、日本記者クラブ(東京都千代田区)で開かれた新聞、テレビのジャーナリストたちの会合「テーマは〈参院選報道とこれから〉」に出席した。その折に同記者クラブで自民党機関紙『自由民主』(7月31日付=毎週火曜日、自民党本部発行)と民主党機関紙『民主』(8月3日付=第1・第3金曜日、民主党プレス民主編集部発行)を入手した。

まず投票日から2日後の日付である『自由民主』を広げてみた。自民党の惨敗をどのように総括しているかに関心があったからである。
第一面にはつぎのような大見出しが躍っている。

政治の不安定化を阻止せよ
「経済低迷」を招いた愚を繰り返すな

私はこの見出しは、勝利した民主党への対抗策として打ち出した選挙後の自民党の心構えと受け取った。
さらに記事の中見出しに「成長か停滞か」、「改革か逆行か」、「国民利益優先か政権獲得優先か」、「責任政党か無責任政党か」の4本が目立つ形で配されている。その意味するところは、例えば「成長か停滞か」では、前者の「成長」が自民党、後者の「停滞」が民主党の代名詞といいたいのだろうと思った。後の3つの対立語も同様である。つまり勝利した民主党の政策や政治姿勢は本当に国民にとって受け容れることができるものなのか―という疑問符を掲げて、自民党の逆攻勢が始まったと読んだ。

ここまではなるほどという印象だったが、記事を読んで驚いた。書き出しはつぎのような文章が並んでいる。

「参院選の投票日、7月29日が迫っている」。(ここで「えっ?」と思った)。つづいてつぎの文章である。
「仮に参院の主導権を譲り渡す事態となれば、政治は再び不安定となる。経済低迷は避けられず、ようやくここまで回復してきた景気が、逆戻りすることになりかねない。14年前、わが党が敗北したために、長い経済低迷を招いた愚を、再び繰り返してはならない。情勢は予断を許さない。・・・」と。

なんとこれは投票日前に書いた記事をそのまま印刷して投票日から2日後の日付で配布したものである。
2~3ページには「駆ける! 安倍総裁  響く! 改革の訴え全国に」という見出しで選挙運動中の安倍演説が掲載されている。まあ、これはこれで後日の参考資料にはなる。
さらに後半部分には4ページにわたって「比例代表公認候補者の一覧」が落選者も含めて顔写真付きでずらりと並んでいる。

全部を読み終えて、「やれ、やれ」という思いを抱くほかなかった。内部事情はいろいろあっただろう。しかしこれは一般紙でいえば、投票日前の土曜日の情報を載せた新聞を投票が終わって、勝敗の結果がはっきりしている月曜日に読者に届けるに等しい。これは誰が考えても通用しないし、読者の理解を得られるような話ではない。新聞としては何の価値もない。ところが自民党はそれが通用すると思っているのだろうか。

「記事作成、印刷手順からいってこうなるほかなかった」というのであれば、組織の惰性、怠慢であり、一方、「勝利するのだからこれでいい」と考えていたとすれば、組織としての傲慢といえよう。要するに「たるみきった自民党組織」というほかない。「開かれた組織」でもなければ、「説明責任」に心を配る組織でもない。

参考までに8月3日付の『民主』を紹介しておく。第一面にはつぎの見出しが並んでいる。

党 第1党に60議席獲得  逆転なる
ご支援に感謝 「国民の生活が第一」の政治を実現します
憲法改正より生活維新

3ページ目には「国民の生活が第一」を実現する担い手、というタイトルで当選者一覧(候補者一覧ではない)が顔写真付きで並んでいる。
別のページでは「女性躍進 生活者の視点で政治を変える」という特集面も組んでいる。

『民主』の紙面に躍動感があるのに比べて、『自由民主』は灰色に沈みきっている。民主党は勝つべくして勝ったようであり、一方、自民党は負けるべくして負けたというべきである。


(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
「大東亜戦争」と新聞の責任
「盲従の時代」再来を恐れる

安原和雄
 「安原和雄の仏教経済塾」に「財界人の戦争・平和観を追う―侵略戦争を認識した村田省蔵」を掲載した(07年6月16日付)。村田省蔵という財界人はかつての「大東亜戦争」を支え、推進する立場にあったが、敗戦後は「大東亜戦争は侵略戦争だった」と認識を180度改め、日本の侵略によって多くの犠牲を強いた中国との友好に尽力した異色の存在である。
 その大東亜戦争を国内外で体験した人は古稀(70歳)を過ぎた年齢層だから少数派となってきた。だからこそ大東亜戦争とはいったい何か、を問い直してみると、その陰に、いや堂々と侵略戦争を煽り、推進した新聞の責任が改めて大きく浮かび上がってくる。そして今、再びあの権力への「盲従の時代」の足音が聞こえはじめているのではないか、を恐れる。(07年6月29日掲載、7月1日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽大東亜共栄圏という名の植民地

 1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃による大戦開戦から4日後の12日、時の東条英機内閣は閣議で戦争の呼称について次のように決定し、情報局名で発表した。
「今次の対米英戦争は、支那事変も含め、大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味にあらず」(朝日新聞12月13日付)と。

 この情報局発表文に出てくる「大東亜」とは「東南アジアを含む東アジア」を指している。また「大東亜新秩序」とは、なにを意味するのか。「大東亜共栄圏」構想とほぼ同じで、大東亜地域に日本を盟主とする共存共栄の国際的新秩序を建設し、欧米諸国の植民地支配から東アジアを解放しようというスローガンを掲げた。大東亜戦争の大義名分とされたが、実体は、植民地解放どころか、銃と軍靴による植民地化そのものであった。

 大東亜戦争という呼称は、上記のように日本の戦争目的を表しているが、1945年8月の敗戦後、日本を占領統治した連合軍総司令部(GHQ)は、この呼称を公文書で使用することを禁止したという事情もあり、「太平洋戦争」(米英など連合国側の呼称)あるいは「アジア・太平洋戦争」と一般に呼ばれている。また「15年戦争」という呼称もある。日本の中国侵略が本格化する満州事変(1931=昭和6=年9月開始)から数えて敗戦(1945=昭和20=年8月)までの15年に及ぶ戦争期間による。

 上記の情報局発表文に関連して朝日新聞は次のように書いた。
 「一億国民はこの未曾有の大戦を戦ひ抜き勝利の栄光に到達しなければならない。かくてこそ日清、日露の両戦役によってもたらされた我が国運の発展に数倍する飛躍的興隆が帝国否十億大東亜民族の上に輝くであろう」と。
 ここには「権力の監視役としての新聞」という姿勢はかけらもない。「大東亜新秩序建設」のスローガンを無批判かつ積極的に容認し、戦争推進派の尻馬に乗って戦争を煽るという姿勢のみである。これは毎日新聞も同じであった。もっとも当時の新聞は国家権力の統制下にあり、今日のような「言論の自由」はなかった。

▽「食糧問題の前途洋々」―だがその前途に餓死が待っていた

 情報局発表文を載せた朝日新聞(12月13日付)に次のような見出しの記事が載っている。農相が放送で述べたことをそのまま記事に仕立ててある。
食糧問題の前途洋々
共栄圏は即ち糧秣庫
農相放送 自給の上、なほ余剰

 大東亜戦争を遂行する上で食糧問題には何の支障もない。大東亜共栄圏内で食料を自給した上、食料はなお余る―という趣旨のこの記事は果たして真実を伝えていたのか。
 15年に及ぶ戦争の犠牲者数は日本人310万人以上(内訳は軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲などによる死者50万人以上=1963年厚生省発表)で、そのうち軍人軍属の多くが戦闘による「名誉の戦死」ではなく、食料欠乏による餓死という「不名誉な犬死」であった。もっとも餓死という事実は戦後になって分かってくるのであり、戦争中はすべて「名誉の戦死」として処理された。

 上記記事の見出しになっている「共栄圏は即ち糧秣庫」、つまり兵員の食料と軍馬のまぐさを確保できる糧秣庫(りょうまつこ)としての機能を共栄圏に期待したわけだが、大誤算に終わった。それもそのはずである。植民地解放という名目に反して、その実体は植民地支配だったのだから、現地での食料調達はもともと無理であった。そのうえ本国と戦地との間の兵器、物資、食料などの輸送支援能力(いわゆる「後方支援」)は輸送船舶の破壊沈没によって壊滅状態となっていた。兵士たちは戦闘能力はなくなり、ただ餓死するほかない無惨な選択を運命づけられていたといえば、酷にすぎるだろうか。

▽新聞が作った英雄物語「肉弾三勇士」

 戦争を煽るための英雄、美談物語が次々と作られていく。その典型例の一つが朝日新聞が連載中の「新聞と戦争」で取り上げた「肉弾三勇士」物語(2007年6月13日付)である。この物語は戦争中の教科書にも載るなどあの手この手で流布されたので、私自身(大東亜戦争が始まった1941年=昭和16年に国民学校一年生だった)、子ども心に記憶に残っている。朝日新聞の「肉弾三勇士」に関する真相究明記事は優れたレポートなので以下に要点を紹介しよう。

 担当の藤森研・編集委員は次のように書いている。
 1932年の上海事変で、国民的英雄が生まれた。「肉弾三勇士」だ。〝自爆〟で進撃路を開いた自己犠牲の美談に読者の寄金が相次ぎ、新聞社は三勇士をたたえる歌を競作した。だが、その元をたどれば、断片情報から美談を仕立てた報道姿勢に突き当たる。「物語づくりの物語」からは、新聞が戦争をあおった一つの断面が浮かび上がる。

 〈第一報〉新聞が仕立てた「英雄」―の見出しで次のようにいきさつをまとめている。
 第一報は1932年2月24日の新聞に載った。大阪朝日新聞の上海特派員は次のように書いた。「自己の身体に点火せる爆弾を結びつけ身をもって深さ4㍍にわたる鉄条網中に投じ、自己もろ共にこれを粉砕して勇壮なる爆死を遂げ歩兵の突撃路をきり開いた三名の勇士がある」と。
 この記事の核心は「あらかじめ自爆を決心して鉄条網に身を投げ、という自己犠牲の物語」として作られているところにある。この記事はさまざまな素早い反応をもたらした。
陸軍省はその日のうちに恩賞授与を決め、さらに教科書への掲載や「天皇陛下の上聞に達したい」と検討をはじめる。一方、感激した読者は続々と弔慰金を新聞社に寄せはじめた。
大阪朝日はわざわざ「日本精神の極致」と題する社説を掲載、大和民族の特質をたたえ、「肉弾三勇士の壮烈なる行動も、実にこの神ながらの民族精神の発露による」と書きたてた。
 さらに雑誌が追いかけ、映画、演劇も飛びついた。当時の2大新聞である毎日と朝日も競い合い、ついに歌の競作が始まった。朝日が「肉弾三勇士の歌」の懸賞募集を発表すると、同じ日に毎日も「爆弾三勇士の歌」の懸賞募集で応じた。「肉弾」と「爆弾」が違うだけの張り合いである。

▽英雄物語の真相はどうだったか?

 この英雄・美談物語の真相はどうだったのだろうか。朝日新聞の上記「肉弾三勇士」物語は、〈ほんとのこと〉自ら死を決意したかは疑問―という見出しで真相を解き明かしている。
 自己犠牲の美談の核心は、「あらかじめ、自ら、死を決意し」という3点にある。しかしこの3点とも根拠は薄弱だった。国立公文書館の内務省警保局保安課のつづりに「『爆弾三勇士』のほんとのこと」という短い文書がある。これは死んだ3人の工兵と同じ工兵隊に属する1人の兵卒から聞き取った話で、それによると、次のようである。

 「三勇士」とされた人は、破壊筒の導火線に火をつけ、走っていって(敵陣の)鉄条網に突っ込み、素早く帰ってくる予定だったそうだ。ところが途中で1人が倒れ、時間をとってしまったため、3人は逃げ帰りかけた。すると伍長が「天皇のためだ国のためだ行け!」と怒鳴りつけたので、3人はまた引き返した。破壊筒を抱えて鉄条網に着いたか着かぬかに爆発したそうだ。命令に背いて銃殺された例もあり、同じ死ぬならと思って進んだのだろう。全くかわいそうでならない。

 この1人の兵卒の証言通りであれば、美談どころではない。上官・伍長の怒鳴り声による命令で殺されたのに等しい。実はもう一組の三勇士がおり、こちらは鉄条網に破壊筒を挿入したあと後退して地面に伏せて無事だった。

▽美談はどのようにして作り上げられたか

 上記の朝日新聞は、〈新聞の体質〉特ダネ競い、美談作り―という見出しで、美談が仕立てられていった過程を追跡している。ことの始まりはこうである。

 1932年2月22日夜、日本人クラブで食事をしていた朝日や毎日の上海特派員は、前線から帰った将校から「今朝3人の工兵が爆弾を抱いて鉄条網に飛び込み、突撃路を作った」という話を聞いた。特派員たちは凄惨な死に方に興奮し、翌23日、現場に行かぬまま、第一報を東京本社に送った。特ダネ競争の最中であり、爆弾の形も突撃状況もわからないままに、「点火せる爆弾を身体に結びつけ」などと壮烈な自爆物語を作り上げたのだ―と。

 ここまでくれば、第一報が真実からほど遠いことが後になって分かっても、なかなか修正しにくい。藤森研・編集委員は次のように解説している。
 「すでに第一報で国民を感激させ、陸軍も面子(めんつ)が立ったと喜んでいる時に、今さら日本軍隊の絶対服従の精神に従って、命令のままに死地に赴いただけの話で、日本軍隊にはありがちなこととも書けない」と。さらに次のようにも指摘している。
 「現場の記者が大きなニュースに接する。事実確認が不十分なままに初報を書いたことは想像に難くない。それが予想以上の反響を呼んだため、もう後から〈針小棒大だった〉とは言いにくいので、そのまま押し通した―というところではなかったか」と。

 その背景には特ダネ競争もあった。もう一つ私(安原)はつけ加えたい。「国民の戦意高揚に貢献したい」という意識が働いていたのではないか、と。当時の従軍記者には反戦記者はいなかったはずであり、戦争推進派で固められていただろうからである。それにかりに反戦記事が書かれたとしても、それが紙面に載る可能性はゼロであった。

▽「盲従の時代」が再び始まる―行き着く先は「メディアの自殺」か

 大東亜戦争時代には、以上のような政府当局や軍部が提供する宣伝情報がそのまま、あるいはメディアがそれをさらに加工してウソの情報を国民に流し、それを読み、聞いて多くの国民は安心し、手を叩いて喜ぶという構図が定着していく。それを主導したのがいわゆる「大本営(戦時中の最高軍事統帥機関)発表」で、負け戦を勝ち戦のように捏造(ねつぞう)し、国民の多くは、それを信じ込むという無批判で「盲従の時代」を過去に経験したことを忘れてはならない。
 小学生だった私自身、「敵戦艦三隻撃沈など敵の損害は甚大、我が方の被害は軽微」などというウソ八百の大本営発表ニュースが毎日のように流され、その時はそれほど疑問に思わず、信じていた記憶がある。

 さてあの戦争終結から六〇年余過ぎて、「盲従の時代」の再来はないと安心していられるだろうか。結論からいえば、私は残念ながら「盲従の時代」が再び始まりつつあることを指摘したい。テレビも含めて大手メディアがそれに加担しつつあると私は認識している。なぜそういえるのか。テレビを含む大手メディアがいかに批判力を衰微させ、不公正な報道を繰り返しているか、その事実は否定できないからである。
 一方、地方紙は健在なり、という声が高いが、ここでは大手メディアだけが対象であることを断っておきたい。

 かつての明治憲法下での戦前、戦時中には「言論の自由」はなかった。しかし今日では平和憲法で保障されているはずの言論の自由、つまり権力批判の自由はどこまで生かされているのか、宝の持ち腐れになってはいないか。
 メディアと権力との親密感、癒着関係が進行しつつある。もちろん取材のためには接近する必要があるが、そこには一定の距離を保つことが求められる。そうでなければ、その行き着く先は、当事者が仮に無自覚であるにせよ、権力の事実上の代弁者となり、ジャーナリズムの責任放棄につながる。これは「メディアの自殺」とはいえないか、それを恐れる。良心的なジャーナリストたちの活躍に期待するところ大である。

▽不公正な報道の具体例―日米安保体制、核不拡散、新自由主義

 大手メディアによる不公正な報道の具体例を以下に挙げる。
*日米安保体制について
 軍事同盟としての日米安保体制は今や戦争策動の拠点となっており、平和憲法9条の理念(=戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)と真っ向から矛盾対立しているが、この日米安保を根本から批判する大手メディアは存在しない。積極的賛美論か消極的容認論かの違いはあっても、自由な批判精神を失っている点では同じである。
 大東亜戦争は日独伊3国軍事同盟(1940年9月調印)を後ろ盾にして突っ込んでいった。そういう苦い歴史的経験があるにもかかわらず、軍事同盟を「触らぬ神に祟(たた)りなし」とばかりにタブー視するのは危険である。

*核廃絶か核不拡散か
 北朝鮮の核実験、核保有が容認できないことはいうまでもないが、それにしても核不拡散のみに焦点を合わせた大手メディアの論調は公正ではない。これは核保有5大国(米英仏露中)、特に米国の利害に沿った論調であり、公正であるためには核保有国に対し、核廃絶を主張すべきである。核不拡散条約も核廃絶への方向を盛り込んでいることを忘れてはならない。

*新自由主義(=自由市場原理主義)について
 1980年代前半の中曽根政権時代から導入され、小泉・安倍政権時代に本格化した米国産の新自由主義への理解が一面的であり、批判の視点が弱すぎるのではないか。
 新自由主義の「自由」とは、多国籍企業など巨大企業の最大利益の自由な追求を意味している。いいかえれば自由化、民営化の推進(郵政の民営化はその一つの具体例)によって企業が最大利益を追求する自由な機会を保障し、広げることを指している。憲法で保障する「自由・人権」の自由とは異質である。だから新自由主義は弱肉強食の弊害、格差拡大、貧困層や自殺者の増大―などを必然的に生み出している。この実体を理解しないで、構造改革という美名に幻惑させられてはいないか。

 しかもこの新自由主義は軍事力重視主義と表裏一体の関係にあることを見逃してはならない。いいかえれば新自由主義のグローバル化のためには軍事力という後ろ盾が必要なのである。
 新自由主義導入の口火を切った中曽根首相は日米首脳会談(83年1月)のため訪米した際、「日米は運命共同体」、「日本列島不沈空母化・海峡封鎖」などと発言、日米安保=軍事同盟の強化路線を打ち出した。しかも現職首相として戦後初の靖国新春参拝(84年1月)にも踏み切った。
 そして今、安倍政権は憲法9条を改悪して正式の軍隊を保持し、「戦争のできる国・日本」の仕上げをめざしつつある。

しかしこの新自由主義は軍事力に支えられているからこそ、矛盾を広げ、市民や庶民の大きな抵抗を招かざるを得ないだろう。こういう視点がメディアには希薄すぎるとはいえないか。


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宮崎わかこ候補の3大改革宣言
東京・足立区長選挙で公約

 「都内の首長選で女性同士の一騎打ちは初めて」と大手各紙(2007年5月28日付)が報じた東京・足立区長選が始まった。告示日は5月27日、投票日は6月3日(日)。区長選の候補者は宮崎和加子さん(51歳、現職は看護師、元訪問看護ステーション統括所長、東大医学部付属看護学校卒)、その対立候補が近藤弥生さん(48歳、現職は税理士、元都議・警視庁警察官、青山学院大大学院卒)である。

 両候補とも無所属新で、宮崎候補は特定政党の推薦を受けずに幅広い支持層に呼びかけているのに対し、一方の近藤候補は自民、公明、民主3党が推薦政党となっている。5月26日現在の有権者数は51万8673人。以下に今回の区長選の争点は何か、を中心にまとめた。(安原和雄 07年5月28日掲載)

▽大手各紙は第一声をどのように報道したか

 まず両候補の第一声をはじめ遊説初日の行動について大手各紙東京版(5月28日付)の報道ぶりを紹介しよう。なお各紙とも最初に宮崎候補、つづいて近藤候補という順序で記事を書いている。

*朝日新聞(主見出し=新顔女性一騎打ち 鈴木区政継承が争点)
宮崎=「泣いている人、支えられる行政を」の見出しで、次のように書いた。
「だれもが住みやすい街をつくっていきたい。そのためには政治の流れを変えていかないといけない」。
「(立候補を表明して以来)いろいろ泣いている人に会ってきた。病気になっても相談できないでいる人、学力テストで学校が低い評価を受け、子どもがやる気をなくして困っている親。泣かなければいけない状況にある生活を、(行政が)支えないでどうする。みんなが笑顔で生きていける足立にしていきたい」。
「病気になっても安心して暮らせるような、生活を大事にした施策を」と区政の転換を訴える。

近藤=「豊かで、さらに発展する足立に」の見出しで、次のように書いた。
「吉田万三・共産党区政にさんざん蹂躙(じゅうりん)された区が、鈴木区長の2期8年の骨身を削る努力でここまできた。区長の努力を無にするわけにはいかない。すべての人が安心して、豊かに足立区で生活できるように、さらに発展を呼び込まなければならない」、「10年にわたる都議会の経験はあるが、今回の区長選は私も相手も挑戦者。なんとしても勝ちたい」。
また「近年の発展の流れを止めず、さらに進め、より住みやすい区にする」と主張している。

*読売新聞(主見出し=女性対決 舌戦熱く)
宮崎=「どの政党にも属さず、皆さんからアイデアをもらい、新しい区政をつくりたい」と幅広い層の支援を呼びかけた。看護師としての約30年の経験も前面に出し、「国民健康保険料の引き下げや、小規模グループホームの増設などを実現する」と福祉分野を中心に訴えた。団地前など十数か所で「子育てしやすい区政を目指す」などと演説した。

近藤=「区民の皆さんの要望をしっかり受け止め、すべての人が安心して豊かに生活していけるような区に発展させていきたい。何としても勝ち抜く」と宣言した。
東武伊勢崎線竹ノ塚駅東口前では駅周辺の高架化事業の早期着工や、区の外郭団体の撤廃も含めた見直し、職員数の15%削減などの公約を訴えた。

*毎日新聞(主見出し=女性新人の一騎打ち)
宮崎=「地域密着の医療や福祉がまちの活性化につながる」と訴え、国民健康保険や介護保険の料金値下げなどを公約に掲げた。
近藤=「さらにスリムな行政を目指し、区の外郭団体全廃を視野に入れていく」と第一声を発した。

*産経新聞(主見出し=女性新人一騎打ち)
宮崎=「この日に向けて区内を回ってきたが、多くの区民から必死の訴えを聞いた。今の区政には医療介護や教育などの点で多くの問題がある。区民の声を区政に直接反映していきたい」、「まだ私の力は小さいが、区民の要望が高まっているのが感じられる。それを実現するには政治を変えなくてはならない」。
国民健康保険料や介護保険料の引き下げ、相互に助け合えるまちづくり、平和憲法の固持―などの公約を掲げている。

近藤=「3党の推薦をいただき、絶対負けられないという大きな責任が肩にのしかかっている。私も相手も挑戦者という意味では五分の戦い」。
竹ノ塚駅東口で同駅周辺の鉄道高架化推進を期限つきで約束し、「行政改革を進め、財政を捻出(ねんしゅつ)し、安心と豊かさを実感できるまちづくりを進める」と訴えた。

*東京新聞(主見出し=都内初の女性首長選)
宮崎=「政党、団体ではなく、市民ぐるみで戦いたい。区長は特定の方たちの意見でなく、大多数の区民の意見を聞き、区政に反映することが役割。笑顔あふれる足立区にしたい」と決意を語り、国民健康保険料や介護保険料の値下げ。地域密着の介護福祉医療の実現、憲法を生かす区政などを訴えた。

近藤=「多くの人が足立区の発展の基礎をつくってくれた。私たちの世代は、それをさらに大きくしなければならない。生まれ育ったふるさとのために立候補した。勝利の先には、今以上に羽ばたく足立区があると信じている」と訴えた。

 以上の各紙の報道からうかがえるように宮崎候補は「政治に変化を、そして大改革を」と主張している。一方の近藤候補は「発展」を繰り返しているが、それは「変化」でも「改革」でもない。実体は現職の鈴木区政を継承することを基本的な姿勢としている。ここが両候補の考え方、姿勢の大きな違いである。

▽ナースの3大改革宣言(公約)―やさしさが原点

 宮崎候補はなにをどのように改革しようとしているのか。

どっちが いいですか。 ナースの挑戦 !
ナイスfull ハート ADACHI

 上記の問いかけから始まる「足立区長選挙 法定ビラ1号」(=「ナイスfullハート!足立の会」=安原和雄会長:発行)を手がかりに紹介したい。
 A4版のビラの最上段に「ナースの3大改革宣言(公約)」の大きな活字が躍っている。ナースとは看護師のことで、この宣言の中身は以下の通りである。改革の3本柱は鈴木区政をどう転換させるかが中心テーマとなっている。
 「駅前集中再開発・豪華箱物主義」からの転換や活気あるまちづくり、さらに自転車優先道路づくり―などはその具体例である。ここには市民、庶民と同じ位置に立って喜びも苦しみも共感し合える心根の優しさが原点となっている。

●64万人の区民の代表をめざします。
*特定政党や団体に偏らず、区民すべての代表をめざします。
*区政の「体質改善」をはかり、国にも都にも区民の声を主張します。
*不正や汚職を許しません。

●地域密着型施設をつくります。
駅前豪華開発から転換します。
*「駅前集中再開発・豪華箱物主義」をやめ、区民のための小規模・地域施設づくりへの発想の転換をはかります。
*“医療福祉・中小企業活性化特区”をめざし、活気あるまちをつくります。
*何でも相談できる「ナイス!ステーション(地域のための看護ステーション)」をつくります。
*(区内の)舎人・花畑・綾瀬に自転車優先道路をつくります。

●家計の負担を軽くします。
保育料・介護保険料・国保料の値下げをめざします。
*国民健康保険証の取り上げをやめます。
*子どもの医療費の無料化を進めます。
*住民生活に大切な部門の財政削減をやめます。

▽両候補の特色を比べてみると・・・愛憲派の宮崎候補

 ビラの最下段に以下のような8項目に関する両候補の特色を一口メモ風に浮き彫りにした比較表が載っている。

〈政治路線〉宮崎=無所属、しがらみなし。近藤=特定政党の推薦候補、しがらみ継続

〈前身〉宮崎=日本の訪問看護のビッグマザー。近藤=警察官

〈開発〉宮崎=地域密着型。近藤=駅前集中型

〈財政・行革〉宮崎=サービス向上の効果的財政出動、訪問看護制度をつくり拡充してきた経営・経験をいかす、国民健康保険料の値下げ。近藤=サービス低下の「行革」推進、都から区への補助金削減に都議として賛成

〈介護保険〉宮崎=保険料の値下げ・サービスの拡充。近藤=一部の人に保険料の返金

〈子育て〉宮崎=保育料の値下げ。近藤=学童保育を「民間塾」と統合

〈まちづくり〉宮崎=看護師・心理士等によるナイス!ステーション。近藤=民間警備会社と警察OB等による「地域治安協議会」

〈憲法〉宮崎=いのちと平和を大事にする愛憲派。近藤=改憲を進める自民党元都議

 以上の比較表を眺めていると、さまざまなことが読めてくる。
 まず政治路線では宮崎さんは特定政党の推薦を受けないで、広く市民・庶民派としての区長をめざしている。これに対し、近藤さんは自民・公明・民主3党の推薦を受けており、安倍政権の新自由主義路線(規制緩和、民営化、弱肉強食と自由競争の奨励)と同一線上にあることがわかる。都議のときに都から区への補助金削減に賛成したのも、「やはりそうか」と推察できる。

 政治姿勢として明確に異なるのが改憲問題である。宮崎さんは「いのちと平和」のための愛憲派の立場を鮮明にし、それを誇りとしている。具体的には憲法9条(戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認)と25条(生存権、国の生存権保障義務)で、これを守り、生かすことが大切であると考えている。前者の9条は外交、安全保障上の「いのちと平和」、後者の25条は国民の日常生活上の「いのちと平和」にそれぞれつながっているからである。

 これに比べると、平和憲法を改悪しようとする改憲派としての近藤さんは「いのちと平和」をどう考えているのか、について語ろうとはしない。こういう人に区政をゆだねて安心できるのか、という不安が消えない。9条と25条は相互に深く関連しており、もし9条を中心に憲法が改悪されれば、身近な区政にも大きく影響してくるからである。
 宮崎候補は、区長に当選すれば、9条と25条を軸に据えた「足立モデル」を構想し、実践することになるだろう。

▽「足立に住んでいてよかった」「足立だから住みたい」に変えよう!

 選挙戦初日の5月27日夕刻、北千住駅西口広場で宮崎候補が区民の大勢の支持者たちに訴えた。その際、「足立モデル」にも言及した。それに先立ち私(安原)が「足立の会」会長として以下のような趣旨の挨拶を行った。

 皆さん、足立区長にはどういうタイプの人が望ましいと思いますか。手あかの付いた政治家はもはや足立区長にはふさわしくないでしょう。地盤、看板、カバンを売り物にする時代はとっくに終わっています。その点、宮崎さんは政治には素人です。新人です。しかし活力いっぱいで存在感のある人です。だからこそ新しい発想で思い切ったことが期待できる人です。

 宮崎さんが心から大事に思っていることが二つあります。「いのち」です。そして「平和」です。「いのちと平和」です。だから現在の日本国憲法を守り、生かすことを考えています。具体的には福祉です。医療・介護です。教育です。これらを充実させます。さらに中小企業を応援します。

 「足立区に住んでいてよかった」、「足立だから住みたい」、「足立だからこそ行ってみたい」と東京中で、そして全国あちこちで評判になる足立づくりを実行します。ぜひ皆さんの一票で宮崎さんを区長に押し上げましょう。そして生き生きとした魅力あふれる足立に変えましょう。


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宮崎わかこさん、足立区長選へ
ナースの体験を生かすために 

 新人・「宮崎わかこ」さん(51歳・無所属)が東京都の足立区長選挙(2007年6月3日投票)に出馬することになった。すでに記者会見で出馬を表明した。訪問看護の開拓者として20年以上の実績を積み重ねており、その体験を生かして、魅力あふれる「足立づくり」が始まることを期待している。
 カネがらみの既成政治家が群れをなしている現状で、宮崎さんのような清新で心根がやさしく、しかも活力あふれ、存在感のある人こそが区政を担うのに最適任だと思う。足立の政治に新しい風を巻き起こしてくれることを足立区在住の一人として願っている。(安原和雄 07年5月9日掲載)

宮崎わかこさんのサイトは次の通り。
http://www.miyazaki-wakako.jp/nice.html

沢山ある著書の一つ、『家で死ぬのはわがままですか 訪問看護婦が20年実践した介護の現場から』(ちくま文庫、02年6月刊)を手がかりに、宮崎さんの人柄とナースとしての考え方を以下に紹介したい。
 本書の題名をみて、なぜ「わがまま」のすすめなのかに少し疑問を感じるかもしれない。しかし読み進むにつれて、その「新鮮な発想」になるほどと納得できるはずである。
 ここでの「わがまま」は介護を受ける人にとっては「当たり前の生活の要求」であり、一方、介護する人のやさしさ、思いやりそのものの実践なのである。ここには宮崎さんの人柄がそのまま映し出されており、それを実感させてくれる作品となっている。

▽本当に「わがまま」はよくないことなのか

 著書『家で死ぬのはわがままですか』が訴えたいものは何か。宮崎わかこさんの心情を以下に紹介したい。

 「わがまま」っていったいなんだろう?
私は、そういう疑問をずうっと持ちながら、在宅ケアの仕事をしてきた。現場では「わがまま」という言葉が意識しないでよく使われる。「あの人はわがままなのよ」「わがままばかり言わないで」と言い、だから「がまんしなさい」「そんなぜいたく言える立場ではないでしょう」などという言葉が返ってくる。
 そして介護を受ける側が小さくなって、自分の望みや要求を口にすることすら認められていない現実がある。

 しかし、このような「わがまま」は本当に「わがまま」なのだろうか。家族、本人、近隣の人が、またサービス提供者、そして行政も、社会全体が「わがまま」といって片づけてしまっている中に、実は大事な宝がたくさん隠れているのではないか。

 『大辞林』(三省堂刊)をみると、「我が儘、他人のことを考えず、自分の都合だけを考えて行動すること、身勝手・自分勝手、思い通りに贅沢をすること」と書いてあり、一般的にはいい意味では使われない。確かに社会一般では「わがまま」は、「自分勝手」「自己中心」「迷惑」など「悪」としてとらえられがちである。しかし、健康な人で自由に自分のことができる人にとってはそうかもしれないが、そうでない人にとってはどうだろうか。本当に「わがまま」は悪いことなのだろうか。

 本当にそうだろうかと感性を研ぎ澄まして考え直してみると、「わがまま」といわれていることはみな、実は「当たり前の生活の要求」「病気以前の普通の生活」であり、大事な「自己表現」「自己実現」である。「我がまま」の字のごとく、〈我のあるがまま〉ともいえる。

 以上のような考えに立って、本書ではさまざまな「在宅ケア」や「介護」の問題を「わがまま」というキーワードで見つめ直している。

▽こんな私はわがままですか

 本書から「小さなわがまま」の具体例をいくつか挙げてみる。
*わが家のおふろにタプンとつかりたい
*おむつに排尿するのはイヤ
*トイレでうんこしたい
*3度おいしい食事がしたい
*花屋への散歩なら行ってもいい
*酒のない人生なんてつまらない
*キスさせて、看護婦さん
*愛人宅で最期を迎えたい
*バラの香りに包まれて天国へ旅立つ
*家庭での介護者も週休2日制にして

 以上の見出しから、介護を受ける人の希望や心情がそれなりに想像できるだろう。なかには笑いを誘わずにはおかないような欲求もあるが、多くは「病気以前の普通の生活」であり、「当たり前の要求」にすぎない。決して「わがまま」とはいえない。

 「わが家のおふろにタプンとつかりたい」について宮崎さんは次のように書いている。
「看護や介護では、とかく体を清潔にすることだけを考えがちである。それだけでは十分ではない。ゆっくりおふろに入って、生き返るようだと感じたことはだれにもある。それがどんなに大きな喜びか教えられたような気がする。私たちが心しなければならないことだ。お湯につかってうれしそうにしていた顔が今も忘れられない」と。

「家庭での介護者も週休二日制にして」は32歳の女性の要求である。「母の介護は私がするけど、週末は自分の家族と一緒にのんびり過ごしたいので、介護は週休2日制にしたい。土、日の早朝からケアをお願いしたい」と。
 宮崎さんはこう答えている。「介護する人にも自分の人生があるのだ。わがままだといって無理をしていたら、介護も長続きしない。介護者の人生もわがままも大事にしなければならない。悪びれることなく、堂々と週休2日制を口にする若い世代に拍手を送りたい」と。

▽「わがまま」を「わがままでなくする」ために

 さて「それはわがままだ」という介護する側の勝手な思い込みをなくして、「わがまま」を「当たり前の生活の要求」にするためには何が必要だろうか。
 宮崎さんは次の4つの課題を挙げている。それぞれが当然の提案であり、特に4番目の「自己決定権の尊重」は、今後日本社会でのキーワードになるだろう。そして「わがままでいいじゃないか」と思ったときから、何かが始まるのではないか、と結んでいる。

1 行政サービスの充実
 まず行政の制度を見直してサービスの充実をはかること。
 お金のある人しか望むことができないとか、よく世話をする家族がいる人しか幸せになれないというのではなく、どういう条件の人でも、経済的に無理のない負担で望む暮らしができるようにするためには、行政の果たす役割は大きい。

2 市民の意識改革
 市民の側も「常識」を考え直し、意識改革をすること。
 現実はどんどん変化している。価値観も変化している。今まではそうだったかもしれないが、本当にそれでいいのだろうか、と問い直すことが必要ではないだろうか。

3 利用者のためのサービス
 サービス提供者は利用者の側に立って取り組むこと。
 「現在の状態を保持する」介護だけではなく、「改善」し、「望みをかなえる」ための技術の向上と熱意をつねに怠らないことが求められている。「利用者のために満足のいくケアをしたい」という、その初心につねに立ち返って、自らを見つめ直しながらケアしたいものである。

4 自己決定権の尊重
 何よりも重要なことは、ケアを受ける人が自己決定すること。
 自分で望むことは遠慮なく選択し、それをきちんと表現してもらいたい。言ってもらえれば、目標ができるし、それをかなえることもできる。自己決定権の尊重が非常に大事である。
 西洋の先人の言葉に「歴史の進歩とは、ただ一人の自由が全人類の自由に拡大されることである」がある。お金や権力を持っている人が「わがまま」を独占するのではなく、弱い立場の一人ひとりの市民が自由を獲得すべきだということだろう。

▽改革者・ナースが担う「足立づくり」

 大熊由紀子さん(元朝日新聞論説委員)は本書の解説で私の「理想のナース」として次の5つの条件を挙げている。
1 教科書から学ぶだけでなく、現場から、患者さんから学ぼうとするナース
2 常識をひっくり返す新鮮な発想をもったナース
3 「前例は破るためにある」と考え、行動するナース
4 行動を成功させるための説得力と表現力をもっているナース
5 目立つことをおそれない、度胸があるナース

つづいて以下のように書いている。

 宮崎さんはこの5つの条件を備えた、日本には珍しいタイプのナースです。「医者の言うことを素直に聞く、従順な女性」ではないのです。でも「白衣が似合う、綺麗な優しい女性」です。
 (中略)封建制度の化石がヤマほど残っている医療の世界では、ナースがわかこさんのように目立つことは、実に危険です。だからみんな臆病になってしまいます。でもそのようなスターがいて、ナースの仕事への一般の人々の理解も深まり、医師万能の医療の世界の改革にもつながるのだと思います。

 大熊さんの指摘するとおりである。宮崎わかこさんはこころ優しい改革者として足立区政を担おうとしている。「足立だから住みたい」「足立だから行ってみたい」「足立だから学ぶことが沢山ある」―と東京中から、いや日本列島ひいては海外のあちこちで評判になる「足立づくり」が始まる時がやってくることを期待したい。


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「社長の品格」を決める条件は
ライブドア拝金主義に実刑判決

安原和雄
粉飾決算で不正な利益を荒稼ぎし、罪に問われた拝金主義・ライブドアの被告に次々と実刑判決が言い渡された。企業の犯罪、不祥事は1980年代のバブル時代から絶えることがない。厳しく問われているのは、「企業の品格」、「社長の品格」であり、同時に企業をどん欲な利益追求に走らせる自由市場原理主義そのものである。(07年3月25日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

 東京地裁は07年3月16日、証券取引法違反に問われたライブドア(LD)前社長のホリエモンこと、堀江貴文被告(34)に懲役2年6月の実刑判決、つづいて同月22日、同じく証取法違反でライブドア前取締役の宮内亮治被告(39)にも懲役1年8月の実刑判決を言い渡した。さらに同月23日、公認会計士(42)に懲役10月の実刑判決となった。

 堀江前社長に対する判決文は、次のように拝金主義を厳しく批判している。
 「粉飾により株価を不正につり上げて、LDの企業価値を実態よりも過大に見せかけ、人為的にLDの株価を高騰させ、同社の時価総額を短期間で急激に拡大させた。一般投資家をあざむき、その犠牲の上に立って、企業利益のみを追求した犯罪で、強い非難に値する」

 「企業経営者には高い倫理観と順法精神が求められるのであって、企業利益のみを追求し、法を無視することは許されない。まして上場会社には廉直かつ公正な、透明性のある経営が要請されている。堀江被告らは見せかけの成長にこだわり、短期的な企業利益のみを追求したものであって、そこには上場企業の経営者としての自覚はみじんも感じられない」

▽実刑判決を大手メディアはどう受け止めたか

 堀江被告に対する実刑判決をメディアはどう受け止めたか。大手6紙の3月17日付社説(見出し)を紹介しよう。
読売新聞=金銭至上主義が断罪された
朝日新聞=断罪された「錬金術」
毎日新聞=ルール無き拝金が断罪された
日本経済新聞=実刑判決だけでは量れぬ堀江被告の「罪」
産経新聞=断罪されたのは「軽さ」だ
東京新聞=断罪された虚業の実態

 拝金主義への批判が各紙社説の基調にうかがわれるが、ここではその背景分析に広がりをもたせている毎日新聞社説の一部を紹介しよう。以下のように述べているところが目についた。

 堀江前社長は刺客候補として05年の総選挙に登場した。その際、自民党の幹事長が「わが息子、わが弟」とまで言って持ち上げた。信条は「稼ぐが勝ち」で、カネがすべてという人物をヒーローのように扱い、もてはやしたことについても反省が必要だ。
 勝ち組・負け組、格差社会と堀江前社長の存在は、裏腹の関係にある。金銭欲が人を突き動かすのは否定できない。しかし、まじめに働くよりマネーゲームがほめそやされるのは、決していいことではない。
 ルール無視のどん欲は通用しないことを、実刑判決は、改めて私たちに示した。

 以上のメディアの論評をまつまでもなく、ルール無視のどん欲なマネーゲーム、つまり拝金主義が批判されるべきであることはいうまでもないが、問題はこの拝金主義をどういう広がりでとらえるかである。ライブドア社に局限されるあだ花にすぎないのか、それとももっと根は深いのかを問わなければならない。

▽負の悪循環を招く自由市場原理主義

 実刑判決について国民新党の亀井静香代表代行(05年総選挙広島6区で堀江刺客候補を破った)が語った次のコメント(3月16日付毎日新聞夕刊)が興味深い。
 「私に刺客として(堀江被告を)送ってきた自民党の責任ってないのかね。小泉純一郎前首相や武部前幹事長は頭を丸めたらいい」、さらに「何をやってもおカネを握った方が勝ちという風潮を作ったのが小泉改革である。目的のために手段を選ばないということはホリエモン君のやってきた仕事と共通している」と。
 
これは単に自民党を批判するだけでなく、拝金主義を助長した小泉改革そのものにも批判を浴びせた発言であり、的確なコメントといえる。ここで改めて考えたいのは、小泉改革とは、一体何だったのか、である。
 その旗印はアメリカ主導の自由市場原理主義である。ここでの「自由」とは、企業が市場で自由に、つまり公的規制から自由にどん欲に企業利益を追求し、増やしていくことを奨励するという意味である。憲法が保障している多様な自由、例えば思想、良心、表現、学問の自由― などとは無縁であるだけでなく、基本的権利にかかわる多様な自由と対立する位置にあることを認識する必要がある。

 そういう企業利益を追求するための手だてが民営化、自由化、公的規制の緩和・廃止を軸とし、勝ち残りをめざす激しい競争のすすめである。これは弱肉強食、勝ち組・負け組の選別に伴う格差拡大、非正規社員の増大、長時間労働、精神的抑圧感、過労死、自殺―など多くの弊害と悲劇を拡大させずにはおかない。これが、目下進行しつつある現実である。

 この負の悪循環を招く自由市場原理主義は小泉政権から安倍政権に変わっても大筋では継承されていることを見逃してはならない。自由市場原理主義を土壌とする利益至上主義=拝金主義は決して一企業のみにみられるあだ花ではなく、日本列島を汚染し続けて止むことがない、といっても誇張ではないだろう。

▽「社長の品格」その1―自らの「業」が深いと気づいたとき

 自由市場原理主義の基本路線に変更がない限り、「拝金主義よ、さようなら」と告別することも容易ではない。しかし個々の企業の立場からみれば、露骨な利益追求、拝金主義はお客様、消費者から見放されることもまた事実である。どうすべきか。ここで問われるのは「企業の品格」、「社長の品格」である。
 月刊誌『BOSS』(07年5月号)の特集「社長の品格」を手がかりに考えてみる。

 読んでみて「なるほど」と感じる記事を2つ紹介したい。どちらも実践的品格論である。1つは古田英明・縄文アソシエイツ社長の「〈私利私欲〉は副社長まで―社長に求められる条件」(要旨)である。

 儲けるだけの野蛮な経営者は、品格がなくてもできる。(中略)生命力の強さ、私利私欲の強さについて、エネルギーレベルが高いなどという言い方を耳にすることもあるが、これは仏教でいう「業」が深いということではないか。自らの「業」が深いと気づいた時に品格が生まれ始める。私利私欲を抑える術を得たとき、ようやく品格ある人間になれるといえるのではないか。
 歴史ある大企業で、すばらしい会社は、「俺が俺が」という私利私欲は副社長や専務で終わりにさせておいて、品位品格を担保できる人を社長にするというシステムが機能している。
(企業の)継続力、復元力を考えた時、何が一番必要かというと、会社の品格である。別の言葉で言えば、徳をもつということ。徳のある会社であるためには、やはり会社を代表するリーダーに品格がなければならない。

▽「社長の品格」その2―「淡泊にあらざれば志あきらかならず」

 もう1つは、SBIグループ代表の北尾吉孝氏の「時空を超えて私淑できる人間を持つこと」(要旨)である。

 企業に限らず、教育の現場も含めて、リーダーとしての資質を磨くという風土が社会全体になくなってしまった。(論語に)「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」というが、この利を優先して、義を後回しにしてしまっている。あるいは志と野心とを勘違いしている。
 志は非常に壊れやすいものだから、この志をどうやって保っていくかというと、まず私利私欲をなくすことだ。諸葛孔明(181~234年、中国・三国時代の軍略家)は戦場から息子に送った遺書の中で「淡泊にあらざれば志あきらかならず」といっている。淡泊でないと志を持続していくことができないということだと思う。
 企業のトップはきちんとした企業観をもつべきだ。企業は社会があって初めて存在し得る。決して株主のためだけの存在ではない。お客さま、取引先、地域社会、役職員など企業を取り巻くすべての利害関係者があってこそ存在できるのに、株主だけをクローズアップして考えると間違ってしまう。

 以上2つの品格論に私は次のことをつけ加えたい。「私利私欲、拝金主義をそそのかす自由市場原理主義の前に大手を広げて待った、をかけること、これが品格の決め手とはいえないか」と。

▽あの雪印乳業はいまどうしている?

 2000年6月から7月にかけて近畿地方を中心に発生した過去最大の集団食中毒事件(被害認定者数は13000人超)で苦境に追い込まれた雪印乳業は、今どうなっているのか。
 事件後の02年6月、長年の消費者運動の経験を生かして社外取締役に就任、雪印乳業の経営建て直しに取り組んできた日和佐信子氏は、「危機管理と広報」というテーマでの講演(経済広報センター発行の『経済広報』07年3月号に掲載)で企業不祥事の原因として次の諸点を挙げている。
①〈社会の常識〉と〈企業の常識〉が乖離(かいり)していること
②安全性よりも利益が優先されること
③リスクを隠したがること

同社は信頼回復のために〈社会の常識〉をどう社内に取り入れるかという視点に立って、企業倫理委員会によるチェック機能の導入など多様な試みを実施しているが、問題は〈社会の常識〉とは何を指しているのか、であろう。
 経済広報センターの「生活者の企業観に関するアンケート」調査(06年11月実施)結果(上記の『経済広報』に掲載)によると、生活者(消費者)が企業評価基準として「非常に重要」と考える上位3つは次の通りである。
①商品・サービスの高い質を維持している
②企業倫理が確立され、不祥事が起きにくい
③不測の事態が発生した際に的確な情報発信をしている

▽自由市場原理主義に歯止めをかけること

 以上のような〈社会の常識〉に対し、依然として利益を優先し、不祥事のリスクを隠したがるようでは適切な対応は不可能である。重要なことは、企業として自由市場原理主義に翻弄(ほんろう)されないことである。
 同氏が講演で次のように述べた点に着目したい。これは雪印乳業に限らず、すべての企業への適切な助言と受け止めたい。

 「雇用環境の変化をみると、正規社員が減り、非正規社員が増えている。つまり何か不満があれば、すぐに告発される環境にあるということで、だから企業経営は誰からみられても、どんな場合でも絶対に大丈夫、という正しいやり方、ルールに従ってきちんとやっていなければならない。そして今、企業倫理が問われている。法律さえ守っていればいいわけではない。そこがかつての社会状況と全く違っている」と。

 ここには自由市場原理主義路線の下で企業がどん欲な利益を追求する結果、低賃金の非正規社員が増大し、その非正規社員による告発―良質の告発であることが必要条件―が企業の野放図な利益追求を阻むという構図が浮かび上がってくる。
 自由市場原理主義に歯止めがかかれば、それは企業社会が企業倫理を取り戻し、健全な発展を遂げていくためにはむしろ歓迎すべきことである。


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「9条守る」防衛省元幹部の志
自衛隊を愛す故の「内部告発」

安原和雄
 著作『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る―防衛省元幹部3人の志』(かもがわ出版・2007年3月刊)を読んだ。著者は小池清彦(元防衛庁教育訓練局長)、竹岡勝美(元防衛庁官房長)、箕輪 登(元防衛庁政務次官)の3氏で、対米追随の軍事政策、自衛隊のイラク派兵、憲法9条改悪の動き―などを厳しく批判し、「憲法9条を守ろう」と主張している。
 3氏は防衛庁(現防衛省の前身)の要職にあった人物であるだけに、その「憂国の士」らしい気概ある発言は「内部告発」のような性格をもっており、傾聴に値する重みがある。以下に3氏の主張の要点を紹介し、私(安原)のコメントをつけた。(07年3月20日掲載、同日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)

▽日本中でひろがる「九条の会」

 本書は「はじめに」で編集部の想いを次のようにつづっている。その要旨を紹介しよう。

 いま、憲法9条を守ろうという運動が日本中にひろがっている。加藤周一氏ら9名がよびかけた「九条の会」は全国で軽く6000を超え、日々勢いを増している。
 この運動には平和をどう考えるかについて様々な立場の人々が参加している。9条を守るということでは一致しているが、他の問題では必ずしも意見が同じではない。

 なかでも自衛隊をめぐる問題は、とりわけ意見の違いが大きい分野である。9条への熱い想いは同じでも、自衛隊・軍隊を全否定する9条論もあれば、9条は自衛権と自衛隊を当然のこととして認めているという立場もある。
 それでも9条を守ろうという運動がひろがっているのは、自衛隊についての立場の違いが脇に置かれているからである。この運動が自衛隊を認めるかどうかという見地をお互いに押しつけあうことなく、9条改憲のねらいは自衛隊の海外派兵を恒常化することにあるのだと見抜き、「海外で戦争する国づくり」に反対することを共通の目標としてかかげているからである。

 本書に登場するのは、自衛隊を認知するどころでなく、誰よりも国の行く末を想い、自衛隊とその隊員を愛しているが故に、なんとしても9条を堅持したいと決意し、奮闘している防衛省元幹部のみなさんである。

 自衛隊を認めたら護憲ではなくなると考えている方々はびっくりし、護憲の立場で頑張っている人々には、運動の幅をひろげる観点を提供するに違いない。自衛隊を認めるから改憲は当然だという立場の方々には、大きな衝撃を与えるかも知れない。迷っている人々には決断を促すはずである。

▽小池清彦氏の主張―国民の血を流さない保障が憲法9条だ

 (小池氏は防衛庁防衛研究所長、教育訓練局長を歴任し、1992年退官。1995年新潟県加茂市長に当選し、現在3期目)

 小泉前総理がテロを許さないとか、国民の精神が試されているなどと、ヒトラーのようなことを言って(イラクへの)出兵を強行したことは正気の沙汰ではない。思慮の浅い軍事外交戦略であり、国を危うくし、国民を不幸にするものである。兵を動かすことを好む者は滅ぶ、は古今兵法の鉄則である。日本は海外派兵中心の防衛政策を改め、平和憲法のもとに、祖国防衛中心の防衛政策に立ち返るべきである。

 もしこの憲法9条がなかったら、まず朝鮮戦争(1950~53年)の時から日本は出兵させられている。現に朝鮮戦争の時に旧帝国海軍の軍人が集められて掃海活動をやらせられて、戦死者まで出た。9条がなかったら、ベトナム戦争(1965~75年)にも出兵させられていた。湾岸戦争(91年)も憲法9条がなかったら即座出兵だ。そして今ごろは徴兵制、間違いない。

 外国の方々は9条を極めて高く評価している。私の親友のイラク外交官も「日本はいいね。平和主義でいいね。本当に平和な国でいいね」と言っていた。そういう高い評価がある。日本は原爆を2発落とされた特別の国だから、世界平和の先兵としてやっていってこそ、日本の地位の高まりがある。世界も「ああ、日本は素晴らしい国だ」と。

 イラクへの自衛隊派兵は「国際貢献」ではなく「対米貢献」である。「安全確保支援活動」という重大な使命がイラク特措法に書いてある。これはイラクでの米英軍の軍事活動を「支援するために我が国が実施する措置」のことで、後方支援すなわち兵站(たん)補給である。この兵站補給は戦闘行為の中で一番大事な部分で、戦争になると、お互いにたたくのは兵站補給である。これを国民に言わずに、もっぱら「人道支援活動」と言い続けて、2007年初頭の現在も派遣が継続している航空自衛隊がこの活動をやっている。

 「剣は磨くべし、されど用うべからず」、これが古今兵法の鉄則であり、日本武士道の本義に合致する。剣聖、上泉信綱(室町時代末期の剣客・兵学家、新陰流の祖。秀綱を後に信綱に改名)が到達した世界は「無刀」、すなわち剣を捨てた形であった。武の本質は和である。これが日本の、東洋の武の鉄則である。総理たる者は渾身の力を振るって直ちにイラクから撤兵すべきである。

▽竹岡勝美氏の決意―憲法九条改定論を排す

 (竹岡氏は防衛庁人事教育局長、官房長、調達実施本部長を歴任後、1980年退官)

 個々の人間、生命こそが天賦(てんぷ)のものであり、これに替わるべき価値はない。国家といえども、、人間がお互いの命を守るための人為の二次的価値にすぎない。まして人工の旗や歌にすぎない日の丸や君が代に人間が頭を下げる理などない。
 個々の生命に至高の価値があるならば、これを殺し合う戦争こそ、避けるべき人類最大の愚行であるといわねばならない。

 日本、極東さらにはアジア、太平洋、中東に至るまでの米軍の軍事覇権確立に自衛隊が隷属し、これにまとわりつくような共同作戦や後方支援の具体化が、閣議や国会で討議されることもなく、「在日米軍再編」の名のもとに進行している。
自衛隊はガードマンのごとく米軍基地を警護し、宅配業者のごとく国内外の米軍基地間の輸送、さらには米艦艇へのガソリンスタンド役まで引き受ける。これでは自衛隊員が哀れである。それほどまでして守ってもらわねばならぬ「日本有事」とは何か。

 日本有事とは、在日米軍を含む米軍と日本周辺国家との戦争に巻き込まれる波及有事のみである。万一にも米軍が一方的に北朝鮮を崩壊させようとした時、北朝鮮のノドン・ミサイルが日本海沿岸に濫立する十数基の原発を爆砕するかも知れない。
 有事とは「国土の戦場化」のみである。この小さな島国で1億2000万人の国民は、8000万台の自動車、53基の原子炉、巨大な石油化学工場、石油やガスの一大備蓄基地、乱立する大都市の超高層ビルらと共存している。いかに米軍の支持があろうとも、本格的な国土戦は戦えないというのが偽らざる実態ではないか。同時にそれは起こり得ない虚構でもあるだろう。

 独立国・日本の安全と名誉のために、南北朝鮮や中台の和平確立に日本も貢献し、その成果として日米安保条約を日米友好条約に切り替え、在日米軍の縮小から撤収への道を切り開くべきではないか。

 改憲勢力が現在の憲法では米国や多国籍軍に十分な支援ができないと改憲をほのめかすのは、歴代政権が一貫して国是として誇ってきた「専守防衛」の枠を外そうとするからである。米国を除く世界は日本にそのような要求はしていない。なせ日本国民が自制し続けてきた自衛隊が「軍」でなければならないのか。国家が「軍」一色に変貌した時が恐ろしい。日本では戦前も今も、政治家も経済人も、とりわけマスコミが軍に弱い。
 今「平和憲法」「専守防衛」の金看板を廃棄するのは、我が国の安全保障と徳義のため、かつ周辺隣国への影響からも余りに惜しい。改憲に何のプラスがあるのか。

▽箕輪 登氏の遺言―命をかけて自衛隊のイラク派兵阻止を訴える

 (箕輪氏は衆議院議員として8期連続当選、1990年に政界から引退。2004年1月、自衛隊イラク派兵は憲法9条と自衛隊法に違反することを理由に派兵の差し止めを求める訴訟を起こした。以下は06年2月札幌地裁における証言(要旨)である。同氏は同年5月死去、この証言が遺言となった)

 重装備をもっていくのは、今回のイラク派兵が初めてである。軍事行動ではないというけれど、航空自衛隊は何をやっているか。米軍が使う武器、弾薬の輸送をやっている。旧陸軍の輸送兵の役をやっている。これは戦争参加ですよ。日本は米軍の輸送兵の役をやるのか。そのために自衛隊はできたのか。
 こんなことを許しておいたら、これが違法だと言えるのは法律しかない。そんな気分で訴訟を起こした。

 自衛隊法第3条が定める自衛隊の任務(自衛隊の主任務として直接侵略と間接侵略への防衛を挙げている)の中に外国の治安維持、人道支援、復興支援は、入っていない。イラク派兵は米国の言う通りやっているだけではないか。その米国は、国際法違反のイラク戦争だとアナン国連事務総長(当時)が言い切っている。
 パウエル米国務長官(当時)が(イラクの大量破壊兵器保有に関する)情報は間違いだったと言った。情報の間違いで多くの国民を殺すことを許すのか。こんなばかなことは、だれだって分かり切ってる。

 (自衛隊のイラク派兵)が前例となって、米国のやる戦争(への協力)は、日米同盟を結ぶ日本にとってこれからも起きるかも知れない。そのときは米国と一緒に戦えるよう、憲法を改正しようとするのではないか。やっていることが間違っている。

 過去に日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争などいずれの戦争も、自衛のためという理由だった。私は、そういう戦争をしては駄目だということで、日本の新憲法ができたのだと思っている。

 なぜ戦争不可能な現憲法を戦争可能な憲法に直すのか。日本人としての良心にかんがみて、平和がいいなら平和がいいと言ったらいい。それが男らしいのではないか。
 政権をあずかる者は、反対意見に耳を傾けるべきではないか。過去の戦争でも、戦争反対の意見の日本人は沢山いた。ところがそれを口に出すと、特高(特別高等警察の略。敗戦の1945年まで当時の内務省直轄で思想・社会運動を取り締まった警察)に捕まってブタ箱行きだ。だから反対意見を言えなくなる。
 しかし今はそうじゃない。反対意見に耳を傾けたら、2度と戦争は起きないよ。

〈コメント・その1〉―3氏主張の共通点は「憲法9条と専守防衛を守れ」

 箕輪氏は2004年11月、オランダ・ハーグ国際司法裁判所における「中東の正義と平和のための国際会議」に招待されたが、高齢でもあり、自宅で転倒して負傷したため、出席できなくなり、用意されていた原稿が代読された。その趣旨は以下のようである。

 みなさんと同じように私もまた日本で「誤った権力」に抗(あらが)う小さな勇気を示している。イラクに自衛隊を出すことは自衛隊法、日本国憲法に違反することを理由に小泉首相を相手に提訴している。
 米国のイラク戦争は、何の大義もない、覇権的先制攻撃、すなわち侵略戦争だと思っている。その米国に加担する日本は侵略戦争の「共犯者」である。自衛隊法には「自衛隊は、祖国日本の防衛のために行動せよ」と書いてあるが、「侵略戦争に加担せよ」とは書いてない。日本国憲法は、すべての侵略戦争を固く禁じている。

 また同氏は同年11月、札幌地裁で次のような意見陳述(要旨)を行った。

 自衛隊は専守防衛を任務とするものであり、そのために志願して若い人が入隊した。それを侵略戦争の共犯者にするのか。小泉首相はあんまりだ。裁判官には公平な裁判をお願いしたい。

 以上(佐藤博文・北海道訴訟弁護団事務局長の「解説」から)のような箕輪氏の米国批判、侵略戦争拒否、専守防衛堅持―という心情は、本書に登場する小池、竹岡両氏も共有するところである。こういう心情は当然のことに「憲法9条を守れ」という声になるほかない。そこには憲法9条の理念から言えば、侵略戦争は容認できないが、専守防衛の枠組みは容認できるという理解がある。こういう認識は昨今の平和勢力、護憲派の中では多数派を占めるともいえるのではないか。

〈コメント・その2〉―「日本国土の戦場化」は現実無視の危険な想定

 以下の諸点にも注目したい。

 「人道支援活動」という名のもとに今なお続けている後方支援、すなわち兵站(たん)補給(航空自衛隊による米軍向けの武器、弾薬の輸送など)は参戦、すなわち軍事行動を意味している(小池、箕輪氏)― 後方支援も実は軍事行動だという認識は、軍事に関する国際常識である。ところが我が国ではその理解が軍事専門家を除くと、少なすぎるという印象がある。「人道支援活動」という名目に惑わされないようにしたい。

 人工の旗や歌にすぎない日の丸や君が代に人間が頭を下げる理などない(竹岡氏)―この考えに立てば、特に東京都の場合のように君が代の斉唱などに同意しない学校教員を処分することに理はない。

 米軍が一方的に北朝鮮を崩壊させようとした時、北朝鮮のノドン・ミサイルが日本海沿岸に濫立する十数基の原子力発電を爆砕するかも知れない(竹岡氏)―この指摘は重要である。北朝鮮の核の脅威がしきりに喧伝されているが、核兵器ではなく、通常兵器で原発が攻撃された場合、放射能汚染も含めて日本列島にどういう惨状が現出するか、想像力をめぐらせる必要がある。「日本国土の戦場化」という日本有事がいかに現実無視の危険な想定であるかに気づきたい。日本はもはや戦争できる国柄ではないのである。

 日米安保条約を日米友好条約に切り替え、在日米軍の縮小から撤収への道を切り開くべきではないか(竹岡氏)― 私は今や「世界の中の安保」と化した日米安保条約=軍事同盟体制こそが世界の平和を脅かす「諸悪の根源」だと考える。だから日米安保解体説を唱えているが、その場合、軍事的な現日米安保条約を軍事色のない日米友好条約に切り替えることは有力な選択肢となる。 


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笑顔にまさる化粧なし
〈折々のつぶやき〉28

安原和雄
 「笑顔にまさる化粧なし」という趣旨の一文を隣組の評判高い寿司屋さんでお土産としていただいた。今回のお土産話は第7話。〈折々のつぶやき〉28回目。(07年3月11日掲載)

 以下のように日常の平凡な言動の中に感動があり、幸せが潜んでいることを、この一文は示してくれる。平凡なこととはいえ、これを実行するのはなかなかむずかしい。できることなら本日ただ今からその気になってみたいですね。

笑顔・感動の輪を広げよう

 わたしが笑えば、あなたも笑う
 わたしが怒れば、あなたも怒る
 わたし自身が変わらなければ
 あなたを変えることは出来ない

 気にくわないだろうが
 そのふくれ顔がまわりを暗くする

「笑顔に まさる 化粧なし」
心のゆたかさは感動する心から生まれる

考えない、感じない
考えることは上手だが
感じることは下手
そんな人が多い世の中です
物事に感じないようでは
心のゆたかな人にはなれません

手を合わせる、それは花のつぼみのよう
あなたの人生は、合掌で花ひらく

人生は感激の絵巻である


〈安原のコメント〉笑顔こそお布施の実践

 「わたし自身が変わらなければ、あなたを変えることは出来ない」。たしかにそうです。ところが現実には「あなたが変わらなければ、わたしも変わらない」と人任せにする考え方、あるいは自分の非を人のせいにする怠惰な思いが横行しています。これではいつまでも「笑顔にまさる化粧なし」という境地には手が届きません。

 ここでちょっと考えてみたいのは仏教のお布施(ふせ)のことです。お布施には大別して法施(法=真理の施し)、財施(モノ、カネの施し)、無畏施(むいせ=人に安心を与えたり、不安や恐怖を取り除く施し)の3つがあります。
 しかし現実には寺への財施のことしか念頭にない場合が多いでしょう。これはとんでもない誤解です。まずお坊さんたちがもっと法施を説かなければなりません。残念ながら手抜きをしているお坊さんが少なくありません。

 多くの人の感覚にないのが無畏施です。この無畏施を広く理解すれば、電車の中で座席を譲るのも無畏施のひとつです。「お陰様で」、「有り難う」、「済みません」という日常用語もそうです。なによりも笑顔こそ無畏施の実践です。
 財施は貨幣価値(=市場価値)重視のお布施であり、拝金主義につながります。しかし無畏施はお金では買えない非貨幣価値(=非市場価値)です。笑顔を振りまいて「お金を寄こせ」という人はいないでしょう。だからこそ笑顔には無上の価値があり、「笑顔にまさる化粧なし」といえるのでしょう。


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「反戦の思い」に導かれて
〈折々のつぶやき〉22

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉22回目。(06年9月15日掲載)

 実母が96歳で現世に別れを告げてから半年、今度は叔母(父の妹)が95歳でこれまた天寿を全うしてこの世を去った。私は立て続けに喪主として2人を送ったことになる。
 2人には教えられ、導かれることが多かった。ここでは06年8月末に「創価学会の友人葬」として行われた叔母のお別れ会(広島県福山市にて)で述べた私の挨拶(趣旨)を以下に紹介したい。

 皆様のご参列に心から厚く御礼申し上げます。ここ数年、養護施設でお世話になり、寝たきりになることもなく、元気でした。「急性心不全」でした。

 私がここへ駆けつけるのにいささか手間取り、ご迷惑をお掛けしました。お許し下さい。
 実は4日間の日程で京都で開かれている「世界宗教者平和会議の第8回世界大会」に参加していました。
 この大会には仏教はもちろん、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など世界各国のさまざまな宗教のリーダーたちを含む約2000人が集まり、討議しています。テーマは「平和のために集う諸宗教―あらゆる暴力をのり超え、共にすべてのいのちを守るために」です。開会式に小泉首相も参加し、歓迎のことばを述べました。

 私は4日間の日程すべてに参加するつもりでしたが、2日目の夜「叔母急逝」の報が届き、3日目早朝の「のぞみ」でいったん東京の自宅に帰り、折り返しここへ駆けつけたような次第です。

 また私はちょうど今頃海外へ行っていて、日本にはいない可能性もありました。というのは国民の幸福度が世界一高いという評判のデンマーク(ヨーロッパ)を訪問する話が持ち上がり、最初は参加するつもりになっていたからです。
 しかしそのうちどうも気が進まなくなり、京都大会の参加へと切り替えました。今にして思うに叔母が「ヨーロッパには行くなー、行くなー」と耳もとでささやいていたためではないかという気がしています。デンマークを訪ねていれば、ここで皆様にご挨拶する機会はなかったわけです。

 さて叔母の生涯について若干お話しする時間をお許し下さい。あの戦争が61年前に終わったとき、私は小学5年生でした。その頃から叔母のことはよく知っております。戦後何年経っても、叔母の人生は幸せではなかったと思います。
 夫が戦地のフィリピンで戦死したためです。こころおだやかではなく、笑顔をみることもほとんどありませんでした。

いうまでもなく叔母はあの戦争の犠牲者の1人なのです。私は悲しみに暮れる叔母の姿をみながら、無数の人々を悲劇のどん底に突き落とす戦争は2度と絶対に起こしてはならないと考えるようになりました。その反戦の思いはやがてひとつの信念となり、それに導かれながら今日に至っております。

 その叔母も人生の後半には様変わりに変化したように思います。それは信心、信仰のゆえです。こころ安らかになり、笑顔も増えました。他人様にささやかながら施しをすることに喜びを感じるようにもなったと思います。これもひとえに生前叔母をご支援いただいた皆様のお陰によるものです。本人ともども、ここに深く感謝申し上げます。

 以上が挨拶の概要である。
 挨拶例集に載っているような型どおりの挨拶は私の好みに合わない。今にしてやっと叔母には無言のうちに大切なことを教えられ、導かれていたことに気づくところがある。
 「あの世の極楽でも笑顔を絶やさないようにして下さい」―とこころより祈らずにはいられない。
 わが家は宗派でいえば、真言宗なので、父母の墓に叔母の遺骨を納めることもままならず、いずれ学会創設の納骨堂に納めたいと考えている。
南無妙法蓮華経


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「おかげさまで」と暮らしたい
〈折々のつぶやき〉20

 安原和雄
 このごろ想うこと、感じたこと、ささやかに実践していること―などを気の向くままに記していきたい。〈折々のつぶやき〉20回目。(06年9月1日掲載)

 近隣の繁盛しているお寿司屋さんで手に入れたA4判大の紙片に「おかげさまで」と題した次のような文言が記してある。「どうぞ自由にお持ち帰りを」とお客さんにすすめている一風変わったおみやげである。

   おかげさまで

夏が来ると冬がいいと言い、冬になると夏がいいと言う
太るとやせたいと言い、やせると太りたいと言う
忙しいと暇になりたいと言い、暇になると忙しい方がいいと言う

自分に都合のいい人は善い人だとほめ
自分に都合が悪くなると悪い人だとけなす

衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満に明け暮れ
隣を見て愚痴ばかり

親のおかげ、友のおかげ
お客様のおかげ、会社のおかげ

おれが、おれがを捨てて
おかげさまで、おかげさまでと暮らしたい

以上の言葉一つひとつは平凡だが、この俗世の日常の真理をついている。ああ、その通りだ、これまでの自分が恥ずかしいと思う人は、ハッと気づいたわけで、心の安らかさへ大きく近づいている。そういう人には希望と未来がある。
 明日はまた元の木阿弥になるかもしれないが、それはそれでいいではないか。まあ、お互い、その繰り返しだからね。

 私は近頃「いただきます」、「もったいない」と並んで、この「おかげさまで」を日常生活のなかに復活・普及させることができないものだろうかと、つらつら考えている。
 おかげさまで忙しい毎日である。しかし忙しいから暇になりたいとも、暇になると忙しい方がいいとも思わない。忙しいのもおもしろいし、暇は暇でまたおもしろい。楽しいというよりおもしろいのである。

さて「楽しい」と「おもしろい」とはどう違うの? これはまた別の機会に。


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安原和雄著『平和をつくる構想』(新刊)
小泉改革とは異質の路線を選ぶとき

安原和雄
この記事は私自身の新著『平和をつくる構想―石橋湛山の小日本主義に学ぶ』(2006年6月中旬、澤田出版刊)の自己PRとさせていただく。

平和をつくる構想―石橋湛山の小日本主義に学ぶ 平和をつくる構想―石橋湛山の小日本主義に学ぶ
安原 和雄 (2006/06)
澤田出版

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新著は小泉改革なるものへの批判を踏まえて、日本が選択すべきもう一つの路線を提案している。脱「石油浪費経済」のすすめ、日米安保体制=日米軍事同盟の解体、自衛隊の「非武装・地球救援隊」への全面改組―などが提案の具体例である。しかも世界最大のテロリスト集団はアメリカ国家権力であり、そのアメリカと日本との軍事同盟は世界の中で孤立への道を進みつつあるという視点を打ち出している点に特色がある。

以下に新著の〈はじめに〉、〈目次〉の主な項目、〈あとがき〉、さらに〈澤田出版〉の電話番号などを紹介したい。(06年7月6日更新)

◇〈はじめに〉

 小泉純一郎内閣が誕生(二〇〇一年四月)した直後に出版された中曽根康弘(元首相)、石原慎太郎(東京都知事)共著『永遠なれ、日本』の中で中曽根は小泉首相について次のように述べている。
 「小泉総理のしようとしていることは、いままで私がいってきたことの同一路線にある。憲法改正、首相公選、集団的自衛権行使の容認、靖国神社の公式参拝など私がいってきたことをすべて実現しようとしているのだから、こんなにありがたい人はいない。だからぜひ応援しようと思っている」

 これを読んで私は、当時華々しく登場してきた「小泉改革」なるものに危険な臭いを察知した。大方の予想を超えて政権の座を獲得した小泉首相は「自民党をぶっ壊す」などと自民党員らしからぬ言辞を弄していたこともあり、「小泉改革」にこれまでとは異なる改革路線を期待した人が多かった。なぜなのか。有り体にいえば、小泉改革の内実、真相、もう一歩進めていえば、その危険な意図が当時は必ずしも理解されていなかったからである。
 中曽根は同じ著書の中でこうも言っている。「私は戦後政治の総決算を唱えてやったが、小泉総理は第二次総決算をやって、ぜひ私の後を継いでもらいたい。(中略)確かに小泉総理と私の考え方は一致している。たぶん私と小泉総理さらに石原さんも同じ〈政治のDNA〉を持っているのではないかと思う」と。さらに「小泉総理には二十一世紀の日本の軌道をつくっていく捨て石になって欲しい」と激励し、大きな期待をかけもした。
 「同じ政治のDNA」とはいかにも中曽根流の表現だが、これに何を託しているのか。また小泉首相に期待する「二十一世紀の日本の軌道」とは何を意味しているのか。DNAとはいうまでもなく遺伝子本体のことだから、同じ政治のDNAとは、政治思想、政治に取り組む姿勢が共通していることを指している。問題はどういう内容の「日本の軌道」を設定しようとするのかである。一九八〇年代の中曽根政権時代(八二年~八七年)を振り返ってみれば、そこに答えを発見することができる。

 それは新保守主義であり、その一つは自由化・民営化路線である。これは弱肉強食の競争を推し進める自由市場原理主義の導入でもある。もう一つは軍事力増強路線である。これは日米軍事同盟強化を意味してもいる。小泉改革なるものは、この中曽根流新保守主義路線を継承発展させようとする目論見である。特に中曽根が期待したのは後者の日米軍事同盟強化の路線であった。冒頭に紹介した『永遠なれ、日本』はこのことをズバリ明示していた。

 こういう本質をもつ小泉改革がめざしたものは、一口にいえば小泉流新保守主義であり、悪しき大国主義路線であり、なりふり構わない対米追従路線である。小泉首相自身は二〇〇六年九月の自民党総裁任期終了とともに退陣するが、その自民党後継者が推進する路線も小泉路線をほぼ継承することになるだろう。
 その路線が平和憲法の改悪によって平和国家としての先導的役割を投げ捨てて、軍事国家としての性格を強めていくことは、二十一世紀における日本の路線選択として決して望ましいこととはいえない。新保守主義、大国主義、対米追随路線は暴力と戦争への道であり、道理に反し、世界から孤立し、かつての富国強兵の日本帝国が滅びたように再び亡国の運命をたどるほかない道である。

 それでは望ましい日本の路線選択はなにか。悪しき大国主義、「日米運命共同体」路線が挫折を余儀なくされるとすれば、それとは一八〇度異質のもう一つの路線を選択する以外に道はない。それは二十一世紀版小日本主義のすすめである。元首相で、ジャーナリストの大先達でもある石橋湛山は戦前から戦後にかけて小日本主義を唱えたことで知られる。その小日本主義の理念と精神を今日の時代にふさわしく継承発展させることが必要不可欠である。

 その二十一世紀版小日本主義は、同時に二十一世紀の新たな「平和をつくる」ための構想であり、その理念は「非暴力」であり、「簡素な経済」(=脱「石油浪費経済」)である。これは従来の暴力(=戦争、資源浪費、不公正、不平等など)、浪費経済、地球環境の汚染・破壊型へのアンチ・テーゼであり、地球と人類にとって和解と共生への道である。
 武村正義・元蔵相(元「新党さきがけ」代表)は、次のような心境を吐露している。
 「明治からずっと(日本は)大国主義でやってきた。軍事大国、そして経済大国として。でも、人口減となったいま、大国主義よサヨウナラ、小さくてもキラリと光る国へカジを切らないと。いよいよ真剣にそう思う」(〇六年三月十七日付『毎日新聞』・「特集 WORLD」)と。

 私自身、こういう心境に近い距離に立っているように想っている。 
 本書は、いわゆる小泉改革路線への批判から出発し、石橋湛山の小日本主義論に学びながら、平和(=非暴力)の世界をどうつくっていくか、その構想を試みた作品で、これからの日本の針路を見定めるうえで、一つの提言としてお役に立つことができれば、と心から願っている。(文中敬称略)
二〇〇六年 陽春    安原 和雄

◇〈目 次〉の主な項目

第一章 アメリカ「帝国」に未来はない
 一 『大国の興亡』から
 二 『帝国以後ーアメリカ・システムの崩壊』から
 三 『資本の帝国』から
 四 世界最大のテロリストは誰か?

第二章 小国主義こそ人類、地球の救世主
 一 軍隊を捨てた小国コスタリカ
 二 近代日本と小国主義の系譜
  
第三章 石橋湛山と小日本主義
 一 戦前編
 二 戦後編

第四章 二十一世紀版小日本主義と平和の創造
 一 反大国主義路線のすすめ
 二 「持続的発展」のすすめ
 三 「簡素な経済」のすすめ
 四 安保解体と「東アジア平和同盟」のすすめ

第五章 平和貢献と仏教のすすめ
 一 いのちの尊重と非暴力のすすめ
 二 知足、共生、中道と平和路線
 三 空観に立つ構造変革のすすめ
 四 「いのち尊重」の仏教経済学のすすめ

第六章 自衛隊を改組し、非武装「地球救援隊」をつくろう
 一 なぜ非武装の地球救援隊なのか
 二 地球救援隊構想の概要
 三 仏教と憲法の平和思想を生かして
 四 宮沢賢治の慈悲と利他の心

◇〈あとがき〉 

 本書には多くの日本人にとって目下、常識と思われていることとは異質の発想、視点、構想が盛り込まれている。それは次の八つの柱からなっている。
(1)アメリカ帝国は崩壊過程に入っており、世界で孤立を深めつつあること
(2)世界最大のテロリスト集団は軍産複合体を含むアメリカ国家権力であること
(3)日米安保体制=日米軍事同盟は、日本の安全保障に寄与するどころか、逆に世界にとって脅威となってきており、その解体が必要であること
(4)「平和を守る」という従来の平和観を超えて、「平和をつくる」という二十一世紀版平和観に立つこと
(5)大国主義を排し、小日本主義をすすめるときであり、軍隊を保持しない中米の小国コスタリカの非武装中立平和主義に学ぶこと
(6)石油浪費経済は暴力=戦争へと走りやすい傾向があり、簡素な経済・暮らしこそが平和をつくることに貢献すること
(7)日本国憲法の平和理念を活かすために自衛隊を全面改組し、非武装の「地球救援隊」(仮称)を創設すること
(8)いのちを軽視する現代経済学は、事実上破産しており、それに代わる新しい経済思想としていのちを尊重する仏教経済学(思想)の確立が急務であること

 われわれ日本人の多くは、とかく「アメリカの窓」―米国のメディアに依存した世界のニュース、アメリカ的価値観、日米間の政治・外交・経済上の緊密な相互関係など―を通して世界そして日本のかたちを考え、行動する癖がついている。しかしこれでは二十一世紀という時代がなにを求めているのか、世界はどの方向に進みつつあるのか、日本としてまた日本人の一人ひとりとしてどういう針路、生き方をめざすべきか、その肝腎なところがみえてこない。それだけではない。当のアメリカ国家権力が何を画策しているのか、そのこと自体も霞んでいてみえにくい。

 どうしたらよいだろうか。私はアメリカの窓への先入観、思い込み、執着心を一度捨ててみて、その束縛から自由になることが必要ではないかと考える。アメリカの窓とは異質の世界に目を向け直してみることである。そういう風に思い直せば、アメリカはたしかに巨大な存在ではあるが、同時に地球上の一つの存在でしかないことがみえてくる。

 私自身のささやかな体験を語ってみたい。
 東西冷戦のシンボルでもあった「ベルリンの壁」が崩壊したのは一九八九年暮れのことである。私はその前年の暮れに西ドイツを訪ねる機会があり、政府関係者らに東西ドイツ統一の可能性を問いただした。答えは異口同音に「近い将来にその可能性はない」であった。しかし一年後にベルリンの壁は崩れ、やがてドイツ統一が実現した。私は大方の予測を超える「歴史の激変」なるものを実感せざるを得なかった。そのドイツはアメリカのイラク戦争に「ノー」と協力を拒否し、いま独自の道を歩みつつある。

 ここ数年は途上国や小国を訪ねる機会が多い。
 二〇〇〇年暮れにネパールで開かれた日本・ネパールの仏教経済学研究者らによる「国際仏教経営フォーラム」に参加したときのことである。ネパールの若き仏教経済学徒が「二十一世紀には仏教経済思想のグローバル化をめざさなければならない」と言ってのけたのである。小国の気概というべきだろうか。多くの日本人にとってグローバル化とは、アメリカ主導のグローバル化しか念頭にないだろう。私は「日本人にこういうネパール人のような大胆な思考が可能だろうか」と内心舌を巻いたものである。
 二〇〇三年一月に中米の小国コスタリカを訪ねた。コスタリカは一九四九年の憲法改正で常備軍としての軍隊を廃止したことで知られる。その後、中立宣言を行うなど積極的な平和外交を展開し、アメリカの圧力に屈服することもなく、軍隊廃止を堅持してきた。そのユニークな平和追求路線には学ぶべき点が少なくない。
 〇五年三月には「ベトナム解放三〇周年記念ツアー」一行のひとりとしてベトナムを訪問し、ベトナム戦跡を歩いた。アメリカ軍による極悪非道の残虐行為として胸に焼き付いたのは、ベトナム中部のソンミ村における幼子を含む大虐殺であり、また全土で猛毒ダイオキシンのいわゆる枯れ葉剤が撒布され、多数の犠牲者たちがいまなお脳性マヒなどで苦しむ現実である。

 以上からいえることは、世界にとってアメリカ一国のみがすべてではなく、アメリカとは異質の国々が健在だという事実である。アメリカにとっては非常識なこれらの国々からみれば、アメリカこそ歴史感覚からずれた非常識な国に映っているのではないか。アメリカにとっての非常識は、実は世界にとっては次第に常識になりつつあるともいえる。二十一世紀初頭のいま現在は、そういう時代ではないだろうか。

 冒頭に掲げた八項目はアメリカ的視点にこだわれば、非常識と映るに違いない。しかしその非常識が新しいまっとうな姿となって、やがて世界や日本の常識になっていくだろうと私は考えている。歴史とは非常識が常識へと転回していく波乱と活力に満ちた道程とはいえないだろうか。              著者  安原和雄


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