初の鳩山・オバマ会談が残した重荷
安原和雄
「非常にあったかーな雰囲気が、うれしかった」 ― 鳩山首相はオバマ大統領との初の首脳会談を終えた後、記者団に満面の笑みを見せながら語ったとメディアは伝えている。首脳会談の「首尾は上々」という含意だろうが、同じ席上で「日米同盟深化」を誓い合った。日米同盟(軍事同盟と経済同盟)のうち特に軍事同盟の深化は何を目指すのか。
改めて指摘するまでもなく、日米軍事同盟は日本列島上の巨大な在日米軍基地を足場とする戦争前進基地として機能している。そういう日米同盟の深化が鳩山政権のキャッチフレーズ、「友愛」と両立するとは考えにくい。初の首脳会談が残した重荷が、時の経過とともに首相の表情から笑みを奪い去っていくことのないように祈っておこう。(09年9月25日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
▽日米同盟は軍事同盟であり、経済同盟である
初の日米首脳会談(日本時間9月23日夜)では何が話し合われたのか。大手紙の伝えるところによると、首脳会談の主な内容は、日本側の説明ではつぎの通り。
*日米同盟
鳩山首相=日米同盟がこれからも日本の安全保障の基軸になる。いかに深化させていくかが大事だ。
オバマ大統領=日米は重要な同盟関係にある。両国の安全保障の基盤だけでなく、経済繁栄の基盤でもある。世界経済の危機を乗り越えるために緊密に協調していく。長いつきあいになる。ひとつ一つ解決していこう。
*核軍縮
首相=米国大統領が国連安保理で核軍縮、核不拡散のリーダーシップを取るということはかつてなかった。大変な勇気に感謝する。核のない世界を作るためにお互いに先頭切って走ろう。
両首脳=緊密に連携していくことで一致。
*地球温暖化防止
首相=産業界の中にはまだ問題があるが、政治的に解決していく必要がある。一緒に解決していこう。
大統領=大胆な提案(温暖化ガスの90年比25%削減)に感謝する。
*アフガニスタン・パキスタン支援
首相=日本として何ができるか真剣に考えたい。アフガニスタン、日米両国にとってもっとも良い方向、ネーションビルディング(国家再建)の問題や民政安定に関する農業支援、職業訓練など我々が得意な分野で貢献したい。
大統領=大変有難い。
*アジア諸国との地域協力
首相=日米同盟を基軸として、アジア諸国との信頼関係の強化と地域協力を促進していく。
両首脳=緊密に連携していくことを確認。
首脳会談に先立ち、岡田克也外相はクリントン米国務長官と会談し、つぎのようなやりとりがあった。
クリントン長官=日米同盟は米国外交の礎石だ。
岡田外相=日米同盟を30年、50年と持続可能で深いものにしたい。
〈安原の感想〉 ― 軍事同盟解体が時代の新潮流
初の首脳会談では首相は「個人的な信頼関係」を築くことを優先させたと伝えられる。しかし大統領は米国にとって肝心なことを確認することを怠らなかった。
それは日米同盟(現行日米安保条約=1960年締結=に基づく日米安保体制)の基本的特質についてである。オバマ大統領が「両国の安全保障の基盤だけでなく、経済繁栄の基盤でもある」と述べている点に着目したい。これは日米同盟は単なる仲良しクラブではなく、日米の軍事同盟であると同時に経済同盟であることを確認する発言といえる。
一方、岡田外相とクリントン長官との会談では外相が「同盟を50年と持続可能で深いものにしたい」と述べた。この発言の意図は何か。来(2010)年は現行日米安保条約の締結以来ちょうど半世紀を迎える。それからさらに50年といえば、100年も軍事同盟を続行することになる。その真意が不明である。まさか軍事同盟を仲良しクラブと勘違いしているわけではあるまい。
今や軍事同盟解体が時代の新しい流れである。一例を挙げれば、米国からの自立を求めて変革の波に洗われている中南米諸国のひとつ、エクアドルで9月18日、米軍が10年間使用してきた西部マンタの軍事基地から完全撤退した。その小国の外相は「米軍撤退は主権と平和の勝利だ。二度と外国軍隊は領土内に置かせない」と強調したと伝えられる。小国の外相の使命感、自立意欲、器量の大きさに注目したい。
▽鳩山内閣「基本方針」の読み方 ― 日米同盟と友愛
ここで鳩山内閣が初閣議(09年9月16日)で決めた内閣基本方針を紹介したい。これは内政はもちろん、外交、日米同盟も含めて鳩山政権としての基本方針を定めたものである。
まず外交、日米同盟についてつぎのように指摘している。
自立した外交により、世界の平和創造と課題解決に取り組む、尊厳ある国家を目指す。極端な二国間主義や、単純な国連至上主義ではなく、長期的な構想力と行動力を持った、主体的な外交を展開する。
緊密かつ対等な日米同盟を再構築するため、協力関係を強化し、両国間の懸案についても率直に話し合う。ここでいう対等とは、なにより、日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割と、具体的な行動指針を、日本の側から積極的に提言していけるような関係だ。
同時に日本が位置するアジア太平洋地域の国々からも、真の信頼を得られるような外交関係を形成する。(中略)
さらに地球温暖化、核兵器廃絶、南北間格差の解消など、世界の平和と繁栄の実現に積極的に取り組む ― と。
もう一つ、「友愛の社会」について以下のように述べている。
新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではない。国が予算を増やせば、すべての問題を解決できるというものでもない。
国民一人ひとりが、「自立と共生」の理念を育み、発展させてこそ、社会の『絆』を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができる。
国、地方自治体、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのない者と感じあえる、そんな「居場所と出番」を見いだすことのできる「友愛の社会」を実現すべく、その先頭に立って、全力で取り組んでいく ― と。
〈安原の感想〉 ― 日米同盟と友愛社会はどう両立するのか?
この「基本方針」の読み方はいろいろあっていい。ただ私の基本的な疑問点は日米同盟と友愛社会なるものがどのように両立するのかである。
基本方針は「対等の日米同盟」を打ち出している。その「対等」の意味について「日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割と、具体的な行動指針を、日本の側から積極的に提言していけるような関係」とわざわざ説明している。「日本の側から積極的に提言」が要点らしい。こういう感覚は自公政権時代にはうかがえなかった。
そういう目で首脳会談でのやりとりを読み直してみると、なるほど首相側の積極的な発言、提言が目立っている。たしかに会談スタイルは自公政権時代とは変化している。大統領が聞き役に回っている印象さえうかがえる。
しかし肝心の日米同盟、特に軍事同盟と友愛社会とはどう両立するのか、疑問は消えない。友愛社会のキーワードは「自立と共生」、「社会の絆」であり、かけがえのない「居場所と出番」である。
一方、日米軍事同盟の何よりの特色は、南は沖縄に始まって、佐世保(長崎県)、横須賀(神奈川県)、さらに北の三沢(青森県)に至るまで多数の巨大な米軍基地網が存在している。周辺住民との摩擦が絶えないだけではない。特に沖縄、横須賀などはかつてはベトナムへの侵略戦争、現在はイラク、アフガニスタンでの戦争のための出撃基地として稼働している。特に沖縄では人間殺傷のための軍事訓練が恒常化しているといわれる。
このような軍事同盟の光景と友愛社会とは、首相の頭の中ではどのように矛盾なくつながっているのか、理解に苦しむところである。
▽日米安保体制とは ― 「友愛」に逆らう暴力装置
さてここでは日米安保体制とは、いかなるものであるかに触れておきたい。多くのメディアは「日米同盟」という用語を無批判に前提して記事を書く傾向が最近目立っている。危険な兆候というべきである。あのかつての太平洋戦争開始の前年(1940年=昭和15年)に戦争のための日独伊三国同盟が締結されたが、当時のメディはそれを肯定し、戦争を煽った。戦後その反省に立ち、再出発したはずだが、今また軍事同盟を無批判に受け容れるという同じような過ちを繰り返しつつあるように見受けられる。
日米同盟に無批判な姿勢になる一因として、いわゆる安保世代(1960年の現行日米安保条約締結時に安保反対闘争に参加、あるいは見聞した世代)の現役記者はもはや誰一人としていないという事情もあるだろう。しかしそれは言い訳にはならない。
以下では日米安保体制のイロハについて解説しておきたい。
まず現行日米安保条約は「日米軍事同盟」と「日米経済同盟」という2つの同盟の法的根拠となっている点を指摘したい。結論を先にいえば、日米同盟は友愛精神に逆らう暴力装置となっている。
前者の軍事同盟は安保条約3条(自衛力の維持発展)、5条(日米共同防衛)、6条(在日米軍基地の許与)などによって成立している。特に巨大な在日米軍基地網は、米国の世界戦略上の前方展開基地として必要不可欠の機能を果たしている。
もう一つ指摘しておく必要があるのは、ここ10年来の「安保の再定義」によって安保の対象範囲が「極東の安保」から「世界の安保」へと自衛隊自体の行動範囲が地球規模に広がってきたことである。最近のその具体例が自公政権時代の末期に始まった東アフリカのソマリヤ沖海上での海賊対策という名の海外派兵である。状況によって武器使用も容認されており、従来の人道支援という名の海外派遣とは質的に異なってきている点は見逃せない。
以上は憲法9条の「戦争放棄、非武装、交戦権の否認」という理念と矛盾しており、9条の空洞化を進めてきた。しかし軍事力という暴力の行使によって平和(=多様な非暴力)をつくる時代では、もはやない。米国主導の軍事力によるテロとの戦いは失敗していることから見ても、軍事力行使は平和を壊す結果しかもたらさないことを認識したい。
後者の経済同盟は安保条約2条(経済的協力の促進)によって規定されている。2条では「自由な諸制度を強化する」「両国の国際経済政策における食い違いを除く」などをうたっている。これを背景に日米安保体制は米国主導の新自由主義(=市場原理主義)を強要し、憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を蔑(ないがし)ろにする暴力装置として機能してきた。
この新自由主義路線によって年間3万人を超える高水準の自殺、失業・貧困・格差の拡大、病気の増大、医療の質量の低下、社会保障費の削減、税金・保険料負担の増大 ― などがもたらされ、生活の根幹が脅かされている。その上、いのちが社会的にあまりにも粗末に扱われている。
その打開策は、破綻した新自由主義路線と決別することから始まる。民主党連立政権の登場によって従来の新自由主義路線からどこまで転換できるのか。今後の行方を注視したい。
▽非核三原則と友愛を力説した鳩山演説
国連安全保障理事会(日本時間9月24日夜)は、核不拡散・核軍縮に関する初の首脳会議を開き、米国提案の「核兵器のない世界」を目指す決議を全会一致で採択した。非常任理事国・日本の鳩山首相も出席し、つぎのような決意を表明した。
世界の指導者に、ぜひ広島・長崎を訪れ核兵器の悲惨さを心に刻んでほしい。日本は核開発の潜在能力があるのに、なぜ非核の道を歩んだか。日本は核の攻撃を受けた唯一の国家だ。我々は核軍拡の連鎖を断ち切る道を選んだ。唯一の被爆国として果たすべき道義的な責任と信じたからだ。(中略)日本が非核三原則を堅持することを改めて誓う。日本は核廃絶の先頭に立たねばならない ― と。
一方、首相は国連総会一般討論(日本時間9月25日未明)で「友愛精神に基づき、東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の間で世界の架け橋となるべく全力を尽くす」と述べた後、日本が取り組むべきつぎの「5つの挑戦」を挙げた。
*世界経済危機への対処
市場メカニズム任せでは調整困難な「貧困と格差」問題、過剰なマネーゲームを制御するために共通のルール作りに役割を果たす。
*気候変動問題
日本は90年比で2020年までに温室効果ガス25%削減を目指す目標を掲げた。途上国に従来以上の資金、技術支援を行う。
*核軍縮・不拡散への挑戦
6者協議を通じ、朝鮮半島の非核化実現の努力を続ける。
*平和構築・開発・貧困
アフガニスタンが安定と復興に注ぐ努力を国際社会とともに支援する。
*東アジア共同体の構築
「開かれた地域主義」の原則で、地域の安全保障のリスクを減らし、経済的なダイナミズムを共有することは国際社会にも大きな利益になる。
以上のような国連安全保障理事会、国連総会一般討論でのいずれの発言も、大筋ではその言やよし、と評価できる。ただし肝心要の「日本の非核化」という一点を除いてである。国連安保理事会では「日本の非核三原則堅持」を誓いながら、現実には三原則、「作らず、持たず、持ち込ませず」のうち「持ち込ませず」は「米国の核の傘」に依存しているため空洞化しており、事実上二原則となっている。
また国連総会一般討論では朝鮮半島の非核化に言及しており、その実現を追求するのは当然である。ただ核の傘の下にある日本列島の完全な非核化、つまり名実ともに正真正銘の非核三原則をどう実現させていくかに触れないまま、相手国の核を一方的に「脅威」とみなすのは公平ではないだろう。
▽「友愛精神」を生かすには日米友好条約へ転換を
鳩山首相の折角の友愛精神を生かすには何が必要か。ここで重要な視点として指摘したいのは、上記の「5つの挑戦」を実現させていく上で、日米安保体制は必ずしも必要ではないということである。日米安保体制を土台にして主張しなければ、実現できないという性質のテーマではない。むしろ正味の非核三原則などは日米安保体制が足枷となって実現できなくなっている。どう対応していくべきか。
ここでもう一つの新たな挑戦的課題が浮かび上がってくる。それは現行日米安保条約を破棄して、新たな日米友好条約に切り替えることである。「友好」条約を土台にして「友愛」精神を世界に広めていく。こうして初めて対等な日米「同盟の深化」ではなく、対等な日米「関係の深化」へと脱皮できるのではないか。
この挑戦的課題に取り組むにはまず発想の転換が必要である。この世の事物はすべて「変化」から免れない。折しも米国では「チェンジ」(変革)を掲げたオバマ政権が登場し、日本でも民主党連立政権が新たな時代を切り開こうとしている。変化への挑戦である。そこには神聖不可侵の課題はあり得ないはずである。
つぎに日米安保条約10条(条約の終了)に着目したい。以下のように定めてある。
「いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は通告が行われた後一年で終了する」と。
つまり一方的な破棄が可能な規定である。もちろん国民の意思が前提になるが、多数派が安保条約から友好条約への変化を望めば、いつでも実現できることである。その変化の核心は在日米軍基地の撤去である。
鳩山首相にこういう感覚が芽生えつつあるのかどうかは知らない。しかし日米軍事同盟にこだわり、外国軍事基地の存続を認める限り、友愛精神とはどこまでも矛盾し、両立しないことを自覚するときである。首相が偉大な政治家として歴史に名を残すことができるかどうかは、この一点にかかっているといっても過言ではないだろう。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
「非常にあったかーな雰囲気が、うれしかった」 ― 鳩山首相はオバマ大統領との初の首脳会談を終えた後、記者団に満面の笑みを見せながら語ったとメディアは伝えている。首脳会談の「首尾は上々」という含意だろうが、同じ席上で「日米同盟深化」を誓い合った。日米同盟(軍事同盟と経済同盟)のうち特に軍事同盟の深化は何を目指すのか。
改めて指摘するまでもなく、日米軍事同盟は日本列島上の巨大な在日米軍基地を足場とする戦争前進基地として機能している。そういう日米同盟の深化が鳩山政権のキャッチフレーズ、「友愛」と両立するとは考えにくい。初の首脳会談が残した重荷が、時の経過とともに首相の表情から笑みを奪い去っていくことのないように祈っておこう。(09年9月25日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
▽日米同盟は軍事同盟であり、経済同盟である
初の日米首脳会談(日本時間9月23日夜)では何が話し合われたのか。大手紙の伝えるところによると、首脳会談の主な内容は、日本側の説明ではつぎの通り。
*日米同盟
鳩山首相=日米同盟がこれからも日本の安全保障の基軸になる。いかに深化させていくかが大事だ。
オバマ大統領=日米は重要な同盟関係にある。両国の安全保障の基盤だけでなく、経済繁栄の基盤でもある。世界経済の危機を乗り越えるために緊密に協調していく。長いつきあいになる。ひとつ一つ解決していこう。
*核軍縮
首相=米国大統領が国連安保理で核軍縮、核不拡散のリーダーシップを取るということはかつてなかった。大変な勇気に感謝する。核のない世界を作るためにお互いに先頭切って走ろう。
両首脳=緊密に連携していくことで一致。
*地球温暖化防止
首相=産業界の中にはまだ問題があるが、政治的に解決していく必要がある。一緒に解決していこう。
大統領=大胆な提案(温暖化ガスの90年比25%削減)に感謝する。
*アフガニスタン・パキスタン支援
首相=日本として何ができるか真剣に考えたい。アフガニスタン、日米両国にとってもっとも良い方向、ネーションビルディング(国家再建)の問題や民政安定に関する農業支援、職業訓練など我々が得意な分野で貢献したい。
大統領=大変有難い。
*アジア諸国との地域協力
首相=日米同盟を基軸として、アジア諸国との信頼関係の強化と地域協力を促進していく。
両首脳=緊密に連携していくことを確認。
首脳会談に先立ち、岡田克也外相はクリントン米国務長官と会談し、つぎのようなやりとりがあった。
クリントン長官=日米同盟は米国外交の礎石だ。
岡田外相=日米同盟を30年、50年と持続可能で深いものにしたい。
〈安原の感想〉 ― 軍事同盟解体が時代の新潮流
初の首脳会談では首相は「個人的な信頼関係」を築くことを優先させたと伝えられる。しかし大統領は米国にとって肝心なことを確認することを怠らなかった。
それは日米同盟(現行日米安保条約=1960年締結=に基づく日米安保体制)の基本的特質についてである。オバマ大統領が「両国の安全保障の基盤だけでなく、経済繁栄の基盤でもある」と述べている点に着目したい。これは日米同盟は単なる仲良しクラブではなく、日米の軍事同盟であると同時に経済同盟であることを確認する発言といえる。
一方、岡田外相とクリントン長官との会談では外相が「同盟を50年と持続可能で深いものにしたい」と述べた。この発言の意図は何か。来(2010)年は現行日米安保条約の締結以来ちょうど半世紀を迎える。それからさらに50年といえば、100年も軍事同盟を続行することになる。その真意が不明である。まさか軍事同盟を仲良しクラブと勘違いしているわけではあるまい。
今や軍事同盟解体が時代の新しい流れである。一例を挙げれば、米国からの自立を求めて変革の波に洗われている中南米諸国のひとつ、エクアドルで9月18日、米軍が10年間使用してきた西部マンタの軍事基地から完全撤退した。その小国の外相は「米軍撤退は主権と平和の勝利だ。二度と外国軍隊は領土内に置かせない」と強調したと伝えられる。小国の外相の使命感、自立意欲、器量の大きさに注目したい。
▽鳩山内閣「基本方針」の読み方 ― 日米同盟と友愛
ここで鳩山内閣が初閣議(09年9月16日)で決めた内閣基本方針を紹介したい。これは内政はもちろん、外交、日米同盟も含めて鳩山政権としての基本方針を定めたものである。
まず外交、日米同盟についてつぎのように指摘している。
自立した外交により、世界の平和創造と課題解決に取り組む、尊厳ある国家を目指す。極端な二国間主義や、単純な国連至上主義ではなく、長期的な構想力と行動力を持った、主体的な外交を展開する。
緊密かつ対等な日米同盟を再構築するため、協力関係を強化し、両国間の懸案についても率直に話し合う。ここでいう対等とは、なにより、日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割と、具体的な行動指針を、日本の側から積極的に提言していけるような関係だ。
同時に日本が位置するアジア太平洋地域の国々からも、真の信頼を得られるような外交関係を形成する。(中略)
さらに地球温暖化、核兵器廃絶、南北間格差の解消など、世界の平和と繁栄の実現に積極的に取り組む ― と。
もう一つ、「友愛の社会」について以下のように述べている。
新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではない。国が予算を増やせば、すべての問題を解決できるというものでもない。
国民一人ひとりが、「自立と共生」の理念を育み、発展させてこそ、社会の『絆』を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができる。
国、地方自治体、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのない者と感じあえる、そんな「居場所と出番」を見いだすことのできる「友愛の社会」を実現すべく、その先頭に立って、全力で取り組んでいく ― と。
〈安原の感想〉 ― 日米同盟と友愛社会はどう両立するのか?
この「基本方針」の読み方はいろいろあっていい。ただ私の基本的な疑問点は日米同盟と友愛社会なるものがどのように両立するのかである。
基本方針は「対等の日米同盟」を打ち出している。その「対等」の意味について「日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割と、具体的な行動指針を、日本の側から積極的に提言していけるような関係」とわざわざ説明している。「日本の側から積極的に提言」が要点らしい。こういう感覚は自公政権時代にはうかがえなかった。
そういう目で首脳会談でのやりとりを読み直してみると、なるほど首相側の積極的な発言、提言が目立っている。たしかに会談スタイルは自公政権時代とは変化している。大統領が聞き役に回っている印象さえうかがえる。
しかし肝心の日米同盟、特に軍事同盟と友愛社会とはどう両立するのか、疑問は消えない。友愛社会のキーワードは「自立と共生」、「社会の絆」であり、かけがえのない「居場所と出番」である。
一方、日米軍事同盟の何よりの特色は、南は沖縄に始まって、佐世保(長崎県)、横須賀(神奈川県)、さらに北の三沢(青森県)に至るまで多数の巨大な米軍基地網が存在している。周辺住民との摩擦が絶えないだけではない。特に沖縄、横須賀などはかつてはベトナムへの侵略戦争、現在はイラク、アフガニスタンでの戦争のための出撃基地として稼働している。特に沖縄では人間殺傷のための軍事訓練が恒常化しているといわれる。
このような軍事同盟の光景と友愛社会とは、首相の頭の中ではどのように矛盾なくつながっているのか、理解に苦しむところである。
▽日米安保体制とは ― 「友愛」に逆らう暴力装置
さてここでは日米安保体制とは、いかなるものであるかに触れておきたい。多くのメディアは「日米同盟」という用語を無批判に前提して記事を書く傾向が最近目立っている。危険な兆候というべきである。あのかつての太平洋戦争開始の前年(1940年=昭和15年)に戦争のための日独伊三国同盟が締結されたが、当時のメディはそれを肯定し、戦争を煽った。戦後その反省に立ち、再出発したはずだが、今また軍事同盟を無批判に受け容れるという同じような過ちを繰り返しつつあるように見受けられる。
日米同盟に無批判な姿勢になる一因として、いわゆる安保世代(1960年の現行日米安保条約締結時に安保反対闘争に参加、あるいは見聞した世代)の現役記者はもはや誰一人としていないという事情もあるだろう。しかしそれは言い訳にはならない。
以下では日米安保体制のイロハについて解説しておきたい。
まず現行日米安保条約は「日米軍事同盟」と「日米経済同盟」という2つの同盟の法的根拠となっている点を指摘したい。結論を先にいえば、日米同盟は友愛精神に逆らう暴力装置となっている。
前者の軍事同盟は安保条約3条(自衛力の維持発展)、5条(日米共同防衛)、6条(在日米軍基地の許与)などによって成立している。特に巨大な在日米軍基地網は、米国の世界戦略上の前方展開基地として必要不可欠の機能を果たしている。
もう一つ指摘しておく必要があるのは、ここ10年来の「安保の再定義」によって安保の対象範囲が「極東の安保」から「世界の安保」へと自衛隊自体の行動範囲が地球規模に広がってきたことである。最近のその具体例が自公政権時代の末期に始まった東アフリカのソマリヤ沖海上での海賊対策という名の海外派兵である。状況によって武器使用も容認されており、従来の人道支援という名の海外派遣とは質的に異なってきている点は見逃せない。
以上は憲法9条の「戦争放棄、非武装、交戦権の否認」という理念と矛盾しており、9条の空洞化を進めてきた。しかし軍事力という暴力の行使によって平和(=多様な非暴力)をつくる時代では、もはやない。米国主導の軍事力によるテロとの戦いは失敗していることから見ても、軍事力行使は平和を壊す結果しかもたらさないことを認識したい。
後者の経済同盟は安保条約2条(経済的協力の促進)によって規定されている。2条では「自由な諸制度を強化する」「両国の国際経済政策における食い違いを除く」などをうたっている。これを背景に日米安保体制は米国主導の新自由主義(=市場原理主義)を強要し、憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を蔑(ないがし)ろにする暴力装置として機能してきた。
この新自由主義路線によって年間3万人を超える高水準の自殺、失業・貧困・格差の拡大、病気の増大、医療の質量の低下、社会保障費の削減、税金・保険料負担の増大 ― などがもたらされ、生活の根幹が脅かされている。その上、いのちが社会的にあまりにも粗末に扱われている。
その打開策は、破綻した新自由主義路線と決別することから始まる。民主党連立政権の登場によって従来の新自由主義路線からどこまで転換できるのか。今後の行方を注視したい。
▽非核三原則と友愛を力説した鳩山演説
国連安全保障理事会(日本時間9月24日夜)は、核不拡散・核軍縮に関する初の首脳会議を開き、米国提案の「核兵器のない世界」を目指す決議を全会一致で採択した。非常任理事国・日本の鳩山首相も出席し、つぎのような決意を表明した。
世界の指導者に、ぜひ広島・長崎を訪れ核兵器の悲惨さを心に刻んでほしい。日本は核開発の潜在能力があるのに、なぜ非核の道を歩んだか。日本は核の攻撃を受けた唯一の国家だ。我々は核軍拡の連鎖を断ち切る道を選んだ。唯一の被爆国として果たすべき道義的な責任と信じたからだ。(中略)日本が非核三原則を堅持することを改めて誓う。日本は核廃絶の先頭に立たねばならない ― と。
一方、首相は国連総会一般討論(日本時間9月25日未明)で「友愛精神に基づき、東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の間で世界の架け橋となるべく全力を尽くす」と述べた後、日本が取り組むべきつぎの「5つの挑戦」を挙げた。
*世界経済危機への対処
市場メカニズム任せでは調整困難な「貧困と格差」問題、過剰なマネーゲームを制御するために共通のルール作りに役割を果たす。
*気候変動問題
日本は90年比で2020年までに温室効果ガス25%削減を目指す目標を掲げた。途上国に従来以上の資金、技術支援を行う。
*核軍縮・不拡散への挑戦
6者協議を通じ、朝鮮半島の非核化実現の努力を続ける。
*平和構築・開発・貧困
アフガニスタンが安定と復興に注ぐ努力を国際社会とともに支援する。
*東アジア共同体の構築
「開かれた地域主義」の原則で、地域の安全保障のリスクを減らし、経済的なダイナミズムを共有することは国際社会にも大きな利益になる。
以上のような国連安全保障理事会、国連総会一般討論でのいずれの発言も、大筋ではその言やよし、と評価できる。ただし肝心要の「日本の非核化」という一点を除いてである。国連安保理事会では「日本の非核三原則堅持」を誓いながら、現実には三原則、「作らず、持たず、持ち込ませず」のうち「持ち込ませず」は「米国の核の傘」に依存しているため空洞化しており、事実上二原則となっている。
また国連総会一般討論では朝鮮半島の非核化に言及しており、その実現を追求するのは当然である。ただ核の傘の下にある日本列島の完全な非核化、つまり名実ともに正真正銘の非核三原則をどう実現させていくかに触れないまま、相手国の核を一方的に「脅威」とみなすのは公平ではないだろう。
▽「友愛精神」を生かすには日米友好条約へ転換を
鳩山首相の折角の友愛精神を生かすには何が必要か。ここで重要な視点として指摘したいのは、上記の「5つの挑戦」を実現させていく上で、日米安保体制は必ずしも必要ではないということである。日米安保体制を土台にして主張しなければ、実現できないという性質のテーマではない。むしろ正味の非核三原則などは日米安保体制が足枷となって実現できなくなっている。どう対応していくべきか。
ここでもう一つの新たな挑戦的課題が浮かび上がってくる。それは現行日米安保条約を破棄して、新たな日米友好条約に切り替えることである。「友好」条約を土台にして「友愛」精神を世界に広めていく。こうして初めて対等な日米「同盟の深化」ではなく、対等な日米「関係の深化」へと脱皮できるのではないか。
この挑戦的課題に取り組むにはまず発想の転換が必要である。この世の事物はすべて「変化」から免れない。折しも米国では「チェンジ」(変革)を掲げたオバマ政権が登場し、日本でも民主党連立政権が新たな時代を切り開こうとしている。変化への挑戦である。そこには神聖不可侵の課題はあり得ないはずである。
つぎに日米安保条約10条(条約の終了)に着目したい。以下のように定めてある。
「いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は通告が行われた後一年で終了する」と。
つまり一方的な破棄が可能な規定である。もちろん国民の意思が前提になるが、多数派が安保条約から友好条約への変化を望めば、いつでも実現できることである。その変化の核心は在日米軍基地の撤去である。
鳩山首相にこういう感覚が芽生えつつあるのかどうかは知らない。しかし日米軍事同盟にこだわり、外国軍事基地の存続を認める限り、友愛精神とはどこまでも矛盾し、両立しないことを自覚するときである。首相が偉大な政治家として歴史に名を残すことができるかどうかは、この一点にかかっているといっても過言ではないだろう。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
脱「官僚依存」に不可欠な条件は
安原和雄
09年9月16日召集された特別国会の首相指名選挙で第93代首相に選ばれた鳩山由紀夫首相は同日夕、首相官邸で就任の記者会見を行い、決意を述べた。「とことん国民の皆さんのための政治を作る。そのためには脱官僚依存の政治を実践しなければならない」と。翌17日付各紙の一面トップ記事の見出しにも「脱官僚」の大きな文字が躍っている。
「脱官僚」とは正確に言えば、脱「官僚依存」を指している。いいかえれば主役はあくまでも政治家で、官僚は脇役でしかないという本来の望ましい姿に戻したいという意味であろう。脱「官僚依存」に必要不可欠な条件は何か。脱「官僚依存」を実践していく上で、その成否を早速試されるのが政権公約(マニフェスト)の実施である。ただし選別実施が望ましい。なぜなら中には賛成できない政権公約も少なくないからである。(09年9月18日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
▽大手紙の社説は脱「官僚依存」をどう論じたか
政治家は主権者である国民の投票によって選ばれたのであり、一方、官僚は、優秀であるとしても、国家公務員試験に合格したにすぎない。国民によって選ばれたのではない。当然といえば当然のことであるが、政治は国民のために行われるべきものであり、官僚のために政治があるのではない。
さて脱「官僚依存」について大手5紙の社説(9月17日付)はどう論じたか。まず大手5紙の社説見出しを紹介する。
*朝日新聞=鳩山新首相に望む 「変化」実感できる発信を
*毎日新聞=鳩山政権発足 果敢に「チェンジ」貫け まず行政の大掃除を
*読売新聞=鳩山内閣発足 進路を誤らず改革を進めよ
*日本経済新聞=鳩山首相は政権交代への期待に応えよ
*東京新聞=鳩山新政権スタート 「説得責任」果たせ
5紙の社説を一読した印象では、朝日と東京は脱「官僚依存」という視点から十分に論じているとは言えない。残りの3紙のうちでも脱「官僚依存」という問題意識では濃淡さまざまなので、ここでは毎日新聞社説の大要を以下に紹介する。
〈毎日新聞社説の大要〉
鳩山新首相は初の記者会見で「脱・官僚依存の政治を今こそ実践していかなくてはならない」と強調した。
政治主導を目指すという鳩山内閣の布陣は、副総理兼国家戦略担当相に菅直人代表代行、外相に岡田克也前幹事長、国土交通相には前原誠司副代表と歴代代表を起用するなど、党内バランスと安定感を重視した。(中略)
大切なのは具体的に何を実行していくかだ。まず、旧来の行政の悪弊を絶つことが新政権の役目だと考える。つまり行政の大掃除である。
目に余る税金の無駄遣い。「省あって国なし」の縦割り行政。前例踏襲主義。政治家、官僚、業界のもたれ合い。ここからの脱却は既得権益とはしがらみのない新しい政権だからこそ可能であり、政権交代の大きなメリットでもあるからだ。
カギを握るのは国家ビジョンや予算の骨格を作るという国家戦略局だ。従来の予算編成は各省庁ごとに積み上げる縦割り型で、しかも、既得権にとらわれ毎年、ほとんど配分は変わらなかった。これを首相らの主導で総合調整するというものだ。
閣議を事前におぜん立てしてきた事務次官会議を廃止する点も注目したい。会議は全員一致が原則で一省庁でも反対すれば成案が得られず、改革が進まない要因と指摘されてきた。廃止されれば首相や閣僚の権限は間違いなく強まるはずだ。
戦略局が本格始動するのは10月の臨時国会で戦略局に権限を付与するための法案が成立した後となり、当面は国家戦略室としてスタートさせる。さっそく前政権が5月に成立させた今年度補正予算の見直しに取り組むことになる。ここを足場に政策の優先順位を明確にし、めりはりの利いた政権運営をしてほしい。
戦略局と車の両輪の役目を担うのが行政刷新会議だ。税金の無駄遣いや行政の不正を洗い出し、政策の財源を確保するという組織だ。隠れた無駄はまだあるのではないか。同じ事業を執行するにしても、これまで高額になり過ぎていなかったのか。この見直し作業がマニフェスト実現の成否を決するといっていい。
省庁が公表してきたデータを疑っている国民は多いはずだ。岡田外相の課題となる米艦船の核持ち込みをめぐる日米密約の検証などを含め、これまでは表に出ることがなかった情報や資料を公開していくのも政権の責務である。
官僚の抵抗を排することができるかどうかは鳩山首相のリーダーシップにかかっている。
来年7月にはもう参院選が待っている。鳩山政権に必要なのは、それまでに一つでも二つでも「政治は明らかに変わった」と国民が感じられる実績を示すことである。
以上、毎日新聞社説の大要をやや長めに紹介した。そのコメントは以下に述べる。
▽〈安原のコメント〉 ― 腰を据えて取り組むべき「行政の大掃除」
上記の毎日新聞社説は、新政権が直面し、メスを入れることになる課題にバランス良く、目配りを利かせた社説である。見出しに〈果敢に「チェンジ」貫け〉をうたっているからには、もう少し過激な色彩があってもいいように思うが、毎日新聞らしい「穏当な良識」を絵に描いたような社説といえる。政権交代とともに時代も大きく変化しつつあることを十分にうかがわせる社説と評することもできよう。
さて脱「官僚依存」のための具体的な柱としてどこに注目すべきか。毎日社説は「行政の大掃除」としてつぎの諸点を挙げている。いずれも腰を据えて取り組むべき課題である。
・目に余る税金の無駄遣い、「省あって国なし」の縦割り行政、前例踏襲主義、政治家・官僚・業界のもたれ合い(いわゆる政官業の癒着関係) ― などの是正.解消、廃止をすすめること
・閣議を事前におぜん立てしてきた事務次官会議を廃止すること
・税金の無駄遣いや行政の不正 ― などを洗い出して、政策財源を確保すること
・米艦船の核持ち込みをめぐる日米政府間の密約(注)などを含め、隠された情報や資料を公開すること
(注・安原)日米密約にはつぎの4つがあるとされている。(イ)1960年の日米安保条約改定時の「核兵器持ち込み」に関する密約、(ロ)朝鮮半島有事における「戦闘作戦行動」に関する密約、(ハ)1972年の沖縄返還時に交わされた「有事の際の核兵器持ち込み」に関する密約、(ニ)沖縄返還時の「原状回復補償費の肩代わり」に関する密約。
以上のような多様な行政の不始末は、官僚だけの責任ではない。長年の自民党単独政権、近年の自公政権の責任も大きい。「官僚依存」の習性は政治の側に、それを打破するだけの力量が不足していたからだろう。ひとりの官僚(元外務省外務審議官・田中均氏)のつぎの一文(毎日新聞9月7日付夕刊=東京版)を紹介したい。
今回の総選挙で国民が示した「見識」を見誤ってはならない。
第一に過去数年のこの国の「リーダーシップ」が十分ではなかったことへの国民の強い憤りである。政治リーダーの基本的な資質は「使命感、胆力、構想力」にあると思う。信念を貫くどころか、その都度のパフォーマンスで国民の人気を求めるようでは理想のリーダー像からほど遠い。
第二に、自民党政治が培ってきた統治の仕組みに対する国民の不満である。民主党の政策に期待したというよりも、既得権に縛られた自民党政治を壊したくて国民は民主党に投票したのだ。自民党の下で既得権に縛られた政策では、日本の置かれた困難な状況を打開することはできない ― と。
政治リーダーの基本的資質として「使命感、胆力、構想力」の3つを挙げている。同感である。自分にこの基本的資質を備えるべく、日々鍛錬怠りないと自負できる政治家であるかどうか、自問自答してみてはいかがか。
▽新閣僚が実施を次々と明言した政策方針
鳩山内閣の新閣僚は17日午後までに就任記者会見などでマニフェストなどの政策実施を次々と明言した。その主な内容は以下の通り。
*菅直人副総理兼国家戦略担当相=国家戦略局で予算の骨格を決定、官僚主導の政治から脱却
*原口一博総務相=国の出先機関の原則廃止など
*千葉景子法相=取り調べの全面可視化
*岡田克也外相=日米間の密約について調査し、11月末までに報告するよう命令
*藤井裕久財務相=来年度予算案の概算要求基準(シーリング)の全面見直し、09年度補正予算の執行停止で数兆円の財源を捻出、消費税引き上げより無駄遣い根絶を優先
*川端達夫文部科学相=高校授業料の実質無償化を来年4月から実施
*長妻昭厚生労働相=後期高齢者医療制度の廃止、年金記録問題の実態を徹底解明
*赤松広隆農相=農家への個別所得補償制度を11年度から実施、コメ減反の見直し、天下り団体への補助金カット
*直嶋正行経済産業相=2020年までに温室効果ガスの25%削減(1990年比)を目標に排出量取引などの具体策検討、自由貿易協定(FTA)を積極推進
*小沢鋭仁環境相=温室効果ガス25%削減を実行、温暖化対策税(環境税)を4年以内に創設、温室効果ガスの排出量取引市場を11年度に創設
*前原誠司国土交通相=八ツ場ダム(群馬県)、川辺川ダム(熊本県)の建設中止。建設中または計画段階の全国143カ所のダム事業の見直し。高速道路無料化を段階的に実施
*北沢俊美防衛相=海上自衛隊によるインド洋での米軍などへの給油活動は延長せず、海自を撤退
*平野博文官房長官=事務次官会議の廃止
*亀井静香金融・郵政担当相=郵政民営化を見直す株式売却凍結法案、郵政改革基本法案を秋の臨時国会で成立。日本郵政の西川社長に自発的辞任を求める。中小企業の融資返済を3年程度猶予するモラトリアム法案を秋の臨時国会に提出
*仙石由人行政刷新担当相=行政刷新会議で縦割り行政、補助金、天下りの構造を徹底的に総括
以上のような政策方針が自公政権では何故にできなかったのか、という感慨が今さらのように湧いてくるのを抑えがたい。自公政権は時代の新しい足音に耳をふさぎ、歴史の歯車を逆転させることに忙しく、一方民主党連立政権は、時代の新しい声に耳を傾けようと努力しつつある、その結果といえるのではないか。
▽〈安原のコメント〉 ― 「選別実施」に発想の転換を
以上、明らかにされた限りでの各閣僚の政策方針には、大筋では賛成であり、積極的に推進することを期待したい。ただいくつかの疑問点については見直しを求めたい。つまり実施すべき政策とは別に止めるべき政策は思い切って止める、あるいは修正するというマニフェストの選別実施へ発想の転換を求めたい。
マニフェストで公約したからといって、ごり押しすることは民主党のためにもならないだろう。民主党に一票を投じた有権者といえども、民主党マニフェストのすべてを無条件で賛成しているわけではないことを強調しておきたい。
「マニフェストで公約したことは実施する」と金切り声で叫んでいる民主党議員があちこちで散見されるが、未熟な政治姿勢というべきである。見直すべき政策はしっかり見直さなければ、折角、民主党に向けられた貴重な票がつぎつぎと背を向けていく ― ことに気づかないのだろうか。
疑問点は2つある。ひとつは、直嶋正行経済産業相が明言した「自由貿易協定(FTA)の積極推進」である。特に対米FTAにはコメの自由化の促進も含まれるといわれる。日本の農業、農村、田園が直面している課題は、いかにして食料自給率(カロリーベース=現在40%程度で先進国では最低)の向上、さらに田園(水田、里山、森林、河川など)が持つ多様な外部経済機能(国土・生態系、自然環境の保全機能など)の維持発展 ― を図るかである。こういう見地に立てば、食料自給率向上、田園が持つ外部経済機能の維持発展に反するような単純な自由貿易促進論は容認できない。
もうひとつは、前原誠司国土交通相が指摘した「高速道路無料化の段階的実施」である。このテーマに関する視点は2つある。ひとつは高速道利用者の負担を軽減するかどうかであり、もうひとつは、日本全体の総合交通体系をどう設計していくか、である。
前者の負担軽減にだけ視点を限れば、無料化は望ましいという結論に直結する。誰だって負担は少ない方が良いに決まっているからである。しかし率直に言って、この考えは視野が狭すぎる。
今こそ考慮すべきことは、日本全体の総合交通体系の設計である。かつてはこのテーマもしきりに議論された記憶があるが、最近は高速道の広がりを背景に車社会が定着したという感覚なのだろうか。しかしこの感覚はすでに時代遅れといわざるを得ない。
第一に今日は地球環境保全優先時代である。温暖化を進める二酸化炭素(CO2)を大量に排出する自家用車中心の交通体系の根本的転換が急務である。
第二は自家用車中心の交通体系は悲劇、弊害が多すぎる。年間100万人を超える交通事故死傷者(死者は約6000人)、自然環境の汚染・破壊、さらに交通麻痺・混雑による大きな経済的損失など。
第三に自動車の主要な石油エネルギーのような再生不能資源は枯渇に向かいつつある。その限界を自覚するときである。
そこで21世紀における総合交通体系は、鉄道、バス、路面電車、自転車など大量輸送が可能であるか、または石油エネルギーの浪費とは縁のない交通手段が中心となるほかない。自動車は脇役の地位に退くときである。欧州ではそのための試みに熱心である。目下の課題はこのような新しい総合交通体系をどう実現させていくかであり、高速道の無料化ではない。
無料化は自家用自動車の高速道の利用を増やす結果になり、鉄道、バスなどの公共交通に重点を置き換える総合交通体系への移行に反する。歴史的に観て、すでに「くるま時代」の終わりが始まりつつあることを自覚するときであろう。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
09年9月16日召集された特別国会の首相指名選挙で第93代首相に選ばれた鳩山由紀夫首相は同日夕、首相官邸で就任の記者会見を行い、決意を述べた。「とことん国民の皆さんのための政治を作る。そのためには脱官僚依存の政治を実践しなければならない」と。翌17日付各紙の一面トップ記事の見出しにも「脱官僚」の大きな文字が躍っている。
「脱官僚」とは正確に言えば、脱「官僚依存」を指している。いいかえれば主役はあくまでも政治家で、官僚は脇役でしかないという本来の望ましい姿に戻したいという意味であろう。脱「官僚依存」に必要不可欠な条件は何か。脱「官僚依存」を実践していく上で、その成否を早速試されるのが政権公約(マニフェスト)の実施である。ただし選別実施が望ましい。なぜなら中には賛成できない政権公約も少なくないからである。(09年9月18日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
▽大手紙の社説は脱「官僚依存」をどう論じたか
政治家は主権者である国民の投票によって選ばれたのであり、一方、官僚は、優秀であるとしても、国家公務員試験に合格したにすぎない。国民によって選ばれたのではない。当然といえば当然のことであるが、政治は国民のために行われるべきものであり、官僚のために政治があるのではない。
さて脱「官僚依存」について大手5紙の社説(9月17日付)はどう論じたか。まず大手5紙の社説見出しを紹介する。
*朝日新聞=鳩山新首相に望む 「変化」実感できる発信を
*毎日新聞=鳩山政権発足 果敢に「チェンジ」貫け まず行政の大掃除を
*読売新聞=鳩山内閣発足 進路を誤らず改革を進めよ
*日本経済新聞=鳩山首相は政権交代への期待に応えよ
*東京新聞=鳩山新政権スタート 「説得責任」果たせ
5紙の社説を一読した印象では、朝日と東京は脱「官僚依存」という視点から十分に論じているとは言えない。残りの3紙のうちでも脱「官僚依存」という問題意識では濃淡さまざまなので、ここでは毎日新聞社説の大要を以下に紹介する。
〈毎日新聞社説の大要〉
鳩山新首相は初の記者会見で「脱・官僚依存の政治を今こそ実践していかなくてはならない」と強調した。
政治主導を目指すという鳩山内閣の布陣は、副総理兼国家戦略担当相に菅直人代表代行、外相に岡田克也前幹事長、国土交通相には前原誠司副代表と歴代代表を起用するなど、党内バランスと安定感を重視した。(中略)
大切なのは具体的に何を実行していくかだ。まず、旧来の行政の悪弊を絶つことが新政権の役目だと考える。つまり行政の大掃除である。
目に余る税金の無駄遣い。「省あって国なし」の縦割り行政。前例踏襲主義。政治家、官僚、業界のもたれ合い。ここからの脱却は既得権益とはしがらみのない新しい政権だからこそ可能であり、政権交代の大きなメリットでもあるからだ。
カギを握るのは国家ビジョンや予算の骨格を作るという国家戦略局だ。従来の予算編成は各省庁ごとに積み上げる縦割り型で、しかも、既得権にとらわれ毎年、ほとんど配分は変わらなかった。これを首相らの主導で総合調整するというものだ。
閣議を事前におぜん立てしてきた事務次官会議を廃止する点も注目したい。会議は全員一致が原則で一省庁でも反対すれば成案が得られず、改革が進まない要因と指摘されてきた。廃止されれば首相や閣僚の権限は間違いなく強まるはずだ。
戦略局が本格始動するのは10月の臨時国会で戦略局に権限を付与するための法案が成立した後となり、当面は国家戦略室としてスタートさせる。さっそく前政権が5月に成立させた今年度補正予算の見直しに取り組むことになる。ここを足場に政策の優先順位を明確にし、めりはりの利いた政権運営をしてほしい。
戦略局と車の両輪の役目を担うのが行政刷新会議だ。税金の無駄遣いや行政の不正を洗い出し、政策の財源を確保するという組織だ。隠れた無駄はまだあるのではないか。同じ事業を執行するにしても、これまで高額になり過ぎていなかったのか。この見直し作業がマニフェスト実現の成否を決するといっていい。
省庁が公表してきたデータを疑っている国民は多いはずだ。岡田外相の課題となる米艦船の核持ち込みをめぐる日米密約の検証などを含め、これまでは表に出ることがなかった情報や資料を公開していくのも政権の責務である。
官僚の抵抗を排することができるかどうかは鳩山首相のリーダーシップにかかっている。
来年7月にはもう参院選が待っている。鳩山政権に必要なのは、それまでに一つでも二つでも「政治は明らかに変わった」と国民が感じられる実績を示すことである。
以上、毎日新聞社説の大要をやや長めに紹介した。そのコメントは以下に述べる。
▽〈安原のコメント〉 ― 腰を据えて取り組むべき「行政の大掃除」
上記の毎日新聞社説は、新政権が直面し、メスを入れることになる課題にバランス良く、目配りを利かせた社説である。見出しに〈果敢に「チェンジ」貫け〉をうたっているからには、もう少し過激な色彩があってもいいように思うが、毎日新聞らしい「穏当な良識」を絵に描いたような社説といえる。政権交代とともに時代も大きく変化しつつあることを十分にうかがわせる社説と評することもできよう。
さて脱「官僚依存」のための具体的な柱としてどこに注目すべきか。毎日社説は「行政の大掃除」としてつぎの諸点を挙げている。いずれも腰を据えて取り組むべき課題である。
・目に余る税金の無駄遣い、「省あって国なし」の縦割り行政、前例踏襲主義、政治家・官僚・業界のもたれ合い(いわゆる政官業の癒着関係) ― などの是正.解消、廃止をすすめること
・閣議を事前におぜん立てしてきた事務次官会議を廃止すること
・税金の無駄遣いや行政の不正 ― などを洗い出して、政策財源を確保すること
・米艦船の核持ち込みをめぐる日米政府間の密約(注)などを含め、隠された情報や資料を公開すること
(注・安原)日米密約にはつぎの4つがあるとされている。(イ)1960年の日米安保条約改定時の「核兵器持ち込み」に関する密約、(ロ)朝鮮半島有事における「戦闘作戦行動」に関する密約、(ハ)1972年の沖縄返還時に交わされた「有事の際の核兵器持ち込み」に関する密約、(ニ)沖縄返還時の「原状回復補償費の肩代わり」に関する密約。
以上のような多様な行政の不始末は、官僚だけの責任ではない。長年の自民党単独政権、近年の自公政権の責任も大きい。「官僚依存」の習性は政治の側に、それを打破するだけの力量が不足していたからだろう。ひとりの官僚(元外務省外務審議官・田中均氏)のつぎの一文(毎日新聞9月7日付夕刊=東京版)を紹介したい。
今回の総選挙で国民が示した「見識」を見誤ってはならない。
第一に過去数年のこの国の「リーダーシップ」が十分ではなかったことへの国民の強い憤りである。政治リーダーの基本的な資質は「使命感、胆力、構想力」にあると思う。信念を貫くどころか、その都度のパフォーマンスで国民の人気を求めるようでは理想のリーダー像からほど遠い。
第二に、自民党政治が培ってきた統治の仕組みに対する国民の不満である。民主党の政策に期待したというよりも、既得権に縛られた自民党政治を壊したくて国民は民主党に投票したのだ。自民党の下で既得権に縛られた政策では、日本の置かれた困難な状況を打開することはできない ― と。
政治リーダーの基本的資質として「使命感、胆力、構想力」の3つを挙げている。同感である。自分にこの基本的資質を備えるべく、日々鍛錬怠りないと自負できる政治家であるかどうか、自問自答してみてはいかがか。
▽新閣僚が実施を次々と明言した政策方針
鳩山内閣の新閣僚は17日午後までに就任記者会見などでマニフェストなどの政策実施を次々と明言した。その主な内容は以下の通り。
*菅直人副総理兼国家戦略担当相=国家戦略局で予算の骨格を決定、官僚主導の政治から脱却
*原口一博総務相=国の出先機関の原則廃止など
*千葉景子法相=取り調べの全面可視化
*岡田克也外相=日米間の密約について調査し、11月末までに報告するよう命令
*藤井裕久財務相=来年度予算案の概算要求基準(シーリング)の全面見直し、09年度補正予算の執行停止で数兆円の財源を捻出、消費税引き上げより無駄遣い根絶を優先
*川端達夫文部科学相=高校授業料の実質無償化を来年4月から実施
*長妻昭厚生労働相=後期高齢者医療制度の廃止、年金記録問題の実態を徹底解明
*赤松広隆農相=農家への個別所得補償制度を11年度から実施、コメ減反の見直し、天下り団体への補助金カット
*直嶋正行経済産業相=2020年までに温室効果ガスの25%削減(1990年比)を目標に排出量取引などの具体策検討、自由貿易協定(FTA)を積極推進
*小沢鋭仁環境相=温室効果ガス25%削減を実行、温暖化対策税(環境税)を4年以内に創設、温室効果ガスの排出量取引市場を11年度に創設
*前原誠司国土交通相=八ツ場ダム(群馬県)、川辺川ダム(熊本県)の建設中止。建設中または計画段階の全国143カ所のダム事業の見直し。高速道路無料化を段階的に実施
*北沢俊美防衛相=海上自衛隊によるインド洋での米軍などへの給油活動は延長せず、海自を撤退
*平野博文官房長官=事務次官会議の廃止
*亀井静香金融・郵政担当相=郵政民営化を見直す株式売却凍結法案、郵政改革基本法案を秋の臨時国会で成立。日本郵政の西川社長に自発的辞任を求める。中小企業の融資返済を3年程度猶予するモラトリアム法案を秋の臨時国会に提出
*仙石由人行政刷新担当相=行政刷新会議で縦割り行政、補助金、天下りの構造を徹底的に総括
以上のような政策方針が自公政権では何故にできなかったのか、という感慨が今さらのように湧いてくるのを抑えがたい。自公政権は時代の新しい足音に耳をふさぎ、歴史の歯車を逆転させることに忙しく、一方民主党連立政権は、時代の新しい声に耳を傾けようと努力しつつある、その結果といえるのではないか。
▽〈安原のコメント〉 ― 「選別実施」に発想の転換を
以上、明らかにされた限りでの各閣僚の政策方針には、大筋では賛成であり、積極的に推進することを期待したい。ただいくつかの疑問点については見直しを求めたい。つまり実施すべき政策とは別に止めるべき政策は思い切って止める、あるいは修正するというマニフェストの選別実施へ発想の転換を求めたい。
マニフェストで公約したからといって、ごり押しすることは民主党のためにもならないだろう。民主党に一票を投じた有権者といえども、民主党マニフェストのすべてを無条件で賛成しているわけではないことを強調しておきたい。
「マニフェストで公約したことは実施する」と金切り声で叫んでいる民主党議員があちこちで散見されるが、未熟な政治姿勢というべきである。見直すべき政策はしっかり見直さなければ、折角、民主党に向けられた貴重な票がつぎつぎと背を向けていく ― ことに気づかないのだろうか。
疑問点は2つある。ひとつは、直嶋正行経済産業相が明言した「自由貿易協定(FTA)の積極推進」である。特に対米FTAにはコメの自由化の促進も含まれるといわれる。日本の農業、農村、田園が直面している課題は、いかにして食料自給率(カロリーベース=現在40%程度で先進国では最低)の向上、さらに田園(水田、里山、森林、河川など)が持つ多様な外部経済機能(国土・生態系、自然環境の保全機能など)の維持発展 ― を図るかである。こういう見地に立てば、食料自給率向上、田園が持つ外部経済機能の維持発展に反するような単純な自由貿易促進論は容認できない。
もうひとつは、前原誠司国土交通相が指摘した「高速道路無料化の段階的実施」である。このテーマに関する視点は2つある。ひとつは高速道利用者の負担を軽減するかどうかであり、もうひとつは、日本全体の総合交通体系をどう設計していくか、である。
前者の負担軽減にだけ視点を限れば、無料化は望ましいという結論に直結する。誰だって負担は少ない方が良いに決まっているからである。しかし率直に言って、この考えは視野が狭すぎる。
今こそ考慮すべきことは、日本全体の総合交通体系の設計である。かつてはこのテーマもしきりに議論された記憶があるが、最近は高速道の広がりを背景に車社会が定着したという感覚なのだろうか。しかしこの感覚はすでに時代遅れといわざるを得ない。
第一に今日は地球環境保全優先時代である。温暖化を進める二酸化炭素(CO2)を大量に排出する自家用車中心の交通体系の根本的転換が急務である。
第二は自家用車中心の交通体系は悲劇、弊害が多すぎる。年間100万人を超える交通事故死傷者(死者は約6000人)、自然環境の汚染・破壊、さらに交通麻痺・混雑による大きな経済的損失など。
第三に自動車の主要な石油エネルギーのような再生不能資源は枯渇に向かいつつある。その限界を自覚するときである。
そこで21世紀における総合交通体系は、鉄道、バス、路面電車、自転車など大量輸送が可能であるか、または石油エネルギーの浪費とは縁のない交通手段が中心となるほかない。自動車は脇役の地位に退くときである。欧州ではそのための試みに熱心である。目下の課題はこのような新しい総合交通体系をどう実現させていくかであり、高速道の無料化ではない。
無料化は自家用自動車の高速道の利用を増やす結果になり、鉄道、バスなどの公共交通に重点を置き換える総合交通体系への移行に反する。歴史的に観て、すでに「くるま時代」の終わりが始まりつつあることを自覚するときであろう。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
むしろ公明、共産党の対応に注目
安原和雄
新政権を担う3党連立合意(09年9月9日)は、先の衆院総選挙で民主圧勝、自民惨敗の結果、歴史的な政権交代が既成事実となった今、どういうわけか新鮮味と驚きに欠ける。3党連立は民主党のご都合主義、つまり衆院議席では圧倒的多数だが、参院では過半数に足りないという議会運営上の悩みへの「お助けマン」でしかないからだろう。
第2党の自民党はもはや論外として、関心の的は、第3党の公明党と第4党の共産党の存在である。公明党は本来の「平和と生活の党」として自民党と縁を切って、出直すことができるのか、一方、共産党は「建設的野党」としてどういう活躍を見せるのか。両党の対応こそが今後の注目点ではないか。(09年9月12日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
▽3党連立合意を大手紙社説はどう論じたか
09年9月9日、民主・社民・国民新の3党が連立政権を組むことで合意した。これを受けて大手5紙の社説(9月10日付)はどう論じたか。各紙社説の見出しと要点を紹介しよう。
*朝日新聞=連立合意 政権に加わることの責任(見出し、以下同じ)
総選挙で示されたのは、政権交代を望む民意の熱いうねりだ。社民、国民新の両党もそう主張して現在の議席を得た。つまり、政権交代で誕生する新政権を維持し、国民の期待に応えられるように運営していく責任も両党は担うということだ。
民意は必ずしも民主党の政策を全面支持しているわけではない。朝日新聞の世論調査では、民主党の政策に対する有権者の支持が総選挙大勝の大きな理由とは「思わない」という人が52%に達した。両党が政権に入ることで政策がより複眼的になれば、有権者の期待に応えることにもなろう。 民主党も巨大議席に慢心せず、聞く耳を持つ態度を求めたい。
*毎日新聞=3党連立合意 民意に沿う政権運営を
社民党内には連立政権の中で埋没しかねないとの懸念がある。無論、民主党は連立政権を組む以上、連立相手の声に十分耳を傾けなければならないが、社民党も今後、抑制的な対応が必要となる。
3党合意文書の冒頭には「政権交代という民意に従い、国民の負託に応える」とある。今後もことあるたびにそれを確認し、政権運営を進めてもらいたい。期待されているのは何を具体的に変えてくれるかだ。それができなければ待っているのは「しょせん数合わせ」の批判である。
*読売新聞=3党連立合意 日米同盟の火種とならないか
政策合意の文書は、消費税率据え置き、郵政事業の抜本的見直しなど10項目で構成されている。
焦点の外交・安全保障政策では、社民党の求める「米軍再編や在日米軍基地のあり方の見直し」や「日米地位協定の改定の提起」が盛り込まれた。民主党は難色を示していたが、国民新党も社民党に同調し、押し切られた。
鳩山内閣は対米外交で、この連立合意に一定の縛りを受ける。将来の火種となりかねない。(中略)日米同盟の信頼関係も傷つく。
*日本経済新聞=連立政権で政策をゆがめない配慮を
連立に参加する以上、社民党がこだわりのあるテーマで発言権の確保を目指して不思議でない。しかし日本外交の基軸は日米同盟だ。同盟関係に直接影響を及ぼす重要課題について、民主党が少数党の主張に引きずられて妥協を重ねるようなことがあれば本末転倒だ。
外交・安全保障のほか、経済政策でも3党の主張は一致しているとは言い難い。景気の先行きがなお予断を許さないなか、調整に手間取り政策運営が遅れると、企業や家計に負の影響を及ぼしかねない。国民生活という基本を忘れてはならない。
*東京新聞=連立合意 妥協の色濃く火種残る
合意文書は抽象さが否めない。火種は、やはり残る。
週末を挟んでほぼ一週間をかけた三党の連立協議は、いずれ合意は成るはず、と見られていたせいか、もう一つ切迫感を欠いた。
連立参加の社民は、来年夏の参院選で少なくとも現有勢力を維持するようでないと存在の意味がなくなる。国民新も同様だ。民主の側にはもう、参院の単独過半数を実現すれば両党への遠慮は無用だとの声がある。
▽〈安原の感想〉― 社民、国民新は存在感を出せるか
5紙社説を読んで、その感想を述べる。社説の力点の置き所は何か、について大まかにいえば、2つある。ひとつは「日米同盟は基軸」に言及しているかどうかであり、もう一つは3党連立はうまく機能するのか、という懸念である。
前者は読売と日経である。読売は「日米同盟の火種」、さらに「日米同盟の信頼関係も傷つく」とまで表現し、日経は「日本外交の基軸は日米同盟」と強調している。日米同盟については民主党も同じ考えであり、両紙は何を懸念しているのか。ワシントンから懸念の声も聞こえてくるが、両紙はワシントンの代弁者のつもりなのか。
改めていうまでもないことだが、民意が「日米同盟は疑問」となれば、それに従うのが当然だ。ただ今回の総選挙にみる民意は、そこまで進んではいない。外交、安全保障には継続性が必要だという暗黙の思いこみがメディアにも根強い。つまり変化への抵抗である。しかし外交、安保といえども、時代の流れに沿って歴史の歯車を前へ進めようとする変革を押しとどめるような姿勢は間違っている。外交、安保も批判を許さぬ聖域ではない。
もう一つの3党連立運営のあり方はどうか。「運営していく責任」(朝日)、「しょせん数合わせ」の批判(毎日)、「もう一つ切迫感を欠いた」(東京)― など表現は多様だが、そこには期待と懸念が混在している。
むしろ気になるのは、朝日社説のつぎの指摘である。
民意は必ずしも民主党の政策を全面支持しているわけではない。朝日新聞の世論調査では、民主党の政策に対する有権者の支持が総選挙大勝の大きな理由とは「思わない」という人が52%に達した ― と。
この事実を踏まえて、朝日社説は、つぎのように主張している。
両党(社民、国民新)が政権に入ることで政策がより複眼的になれば、有権者の期待に応えることにもなろう。 民主党も巨大議席に慢心せず、聞く耳を持つ態度を求めたい ― と。
東京社説の以下の指摘も軽視できない。
民主の側にはもう、参院の単独過半数を実現すれば両党への遠慮は無用だとの声がある ― と。
この声が生き続ける限り、来年の参院選後には社民、国民新は「用済み」として除外される懸念もあるということだ。かりにこうなるとすれば、民主の傲慢というほかないだろう。一方、社民と国民新としては、連立政権内でいかに存在感を出すことができるかが勝負所ともいえる。大いに期待したい。
▽公明党 ― 惨敗から再生への展望は
公明党は、先の総選挙で太田昭宏・党代表、北側一雄・党幹事長、冬柴鉄三・元国土交通相ら首脳陣の落選とともに議席数も31議席から21議席へ10議席減となり、自民党同様に惨敗した。過去10年間に及ぶ自民中軸の連立政権への参加も終わりを告げた。
同党は9月8日、新代表に山口那津男氏(前政調会長)を選出し、出直すことになった。山口代表は就任挨拶で来年夏の参院選について「どんな困難に直面しようとも断じて勝ち抜ける強じんな党の構築を急ぐ」と強調したと伝えられる。
惨敗から再生への展望をどう描くのか。総選挙敗因の総括が曖昧(あいまい)なままでは、再生も期待できない。敗因は自公政権時代の自民党との癒着に尽きる。権力に狎(な)れすぎて、けじめを失った。いかえれば「平和と生活の党」としての初心を投げ捨てたためではないか。その初心をよみがえらせるためには何が必要か。
矢野絢也・元公明党委員長が公明党に贈るつぎのような忠言を紹介したい。自公政権時代の「濁流に身をゆだねた姿勢」から「庶民を第一に考える清流」への転換を促している。
創価学会は社会から虐(しいた)げられた人、見捨てられた人の精神的支柱となって組織を拡大した。公明党もまた、庶民、大衆の政党として存立意義を保ってきた。今、格差社会が訪れ、無情な派遣切りや高齢者医療の切り捨てがまかり通っている。公明党もそれに手を貸してきた。
公明党は出来たての頃、小さくとも清流だった。汚濁した大河に、微力ながら清らかな水を注ごうと、われわれは懸命に働いた。決して自らが大河になることが目標ではなかった。今は、政界の汚れた大河と合流し、自身も濁流となって流れている。私は公明党が大きな清流となる日が来ることを信じている ― と。
(上記の忠言は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に09年8月27日掲載の〈創価学会による「日本占領計画」― 総選挙後の公明党の去就に注目〉から再録)
▽共産党 ― 「建設的野党」としてどう活躍するか
共産党は従来の9議席を保持した。志位委員長は9月10日、国会内で鳩山由紀夫・民主党代表と会談し、鳩山新政権には「建設的野党」の立場で臨むことを伝えた。「建設的野党」とは最近、共産党が打ち出した新路線で、政権に対し国民の利益にかなった良いことでは協力し、一方、悪いことには反対する、あるいは問題点をただす ― という姿勢である。共産党といえば、「何でも反対」という印象がかなり広がっているが、この誤解をただそうという試みでもあるだろう。
これに対し、鳩山氏は、「良いことには協力するというのは、ありがたいことで感謝する」と表明したと伝えられる。
では「建設的野党」としての具体的な主張の中身は何か。
・民主党マニフェスト(政権公約)のうち、良いことで協力する具体例
労働者派遣法の改正、後期高齢者医療制度の撤廃、障害者自立支援法の「応益負担」の廃止、生活保護の母子加算の復活、高校授業料無償化など。
・悪いことで反対する具体例
日米FTA(自由貿易協定)交渉の促進、衆院比例定数の削減、消費税増税(民主党は「今後4年間は増税しない」と表明しているものの、その後の増税に含みを残している)、憲法改悪など。
・問題点をただす具体例
高速道路の無料化、庶民増税と抱き合わせでの「子ども手当」など。
さらに志位氏は、「財界中心」、「日米軍事同盟中心」という政治のゆがみを大本からただす必要があるとして、「これについては大いに論戦したい」と述べた。このほかつぎのようなやりとりがあったと伝えられる。
・温室効果ガスの中期削減目標について
志位氏「鳩山代表が温室効果ガスの中期削減目標で〈1990年比25%減〉を宣言したことを歓迎する」
鳩山氏「大変嬉しい。協力して乗り越えていかなければならない課題がある」
志位氏「財界が抵抗の声を挙げているが、私たちは道理に立った論陣を張っていく」
・「日米核密約」問題(注)について
志位氏「鳩山代表が選挙中の党首討論で〈密約を調査し、核兵器を持ち込ませない方向で米国と交渉する〉と述べたことは重要な言明だ。真相究明と密約廃棄のために協力したい」
さらに共産党が米国で入手した核密約に関する公文書を資料として鳩山氏に手渡した。
鳩山氏「真相究明が大切だ。資料を提供していただいてありがたい。何よりも事実が大切だ」
(注)核兵器積載の米艦船などが日本に寄港することを現行日米安保条約(1960年締結)上の事前協議の対象外として自由に認めるという日米政府間の密約。この密約の存在によって、日本の非核3原則(=核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず)のうち「持ち込ませず」が事実上空洞化して、非核2原則に改変されている。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
安原和雄
新政権を担う3党連立合意(09年9月9日)は、先の衆院総選挙で民主圧勝、自民惨敗の結果、歴史的な政権交代が既成事実となった今、どういうわけか新鮮味と驚きに欠ける。3党連立は民主党のご都合主義、つまり衆院議席では圧倒的多数だが、参院では過半数に足りないという議会運営上の悩みへの「お助けマン」でしかないからだろう。
第2党の自民党はもはや論外として、関心の的は、第3党の公明党と第4党の共産党の存在である。公明党は本来の「平和と生活の党」として自民党と縁を切って、出直すことができるのか、一方、共産党は「建設的野党」としてどういう活躍を見せるのか。両党の対応こそが今後の注目点ではないか。(09年9月12日掲載、公共空間「ちきゅう座」、インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
▽3党連立合意を大手紙社説はどう論じたか
09年9月9日、民主・社民・国民新の3党が連立政権を組むことで合意した。これを受けて大手5紙の社説(9月10日付)はどう論じたか。各紙社説の見出しと要点を紹介しよう。
*朝日新聞=連立合意 政権に加わることの責任(見出し、以下同じ)
総選挙で示されたのは、政権交代を望む民意の熱いうねりだ。社民、国民新の両党もそう主張して現在の議席を得た。つまり、政権交代で誕生する新政権を維持し、国民の期待に応えられるように運営していく責任も両党は担うということだ。
民意は必ずしも民主党の政策を全面支持しているわけではない。朝日新聞の世論調査では、民主党の政策に対する有権者の支持が総選挙大勝の大きな理由とは「思わない」という人が52%に達した。両党が政権に入ることで政策がより複眼的になれば、有権者の期待に応えることにもなろう。 民主党も巨大議席に慢心せず、聞く耳を持つ態度を求めたい。
*毎日新聞=3党連立合意 民意に沿う政権運営を
社民党内には連立政権の中で埋没しかねないとの懸念がある。無論、民主党は連立政権を組む以上、連立相手の声に十分耳を傾けなければならないが、社民党も今後、抑制的な対応が必要となる。
3党合意文書の冒頭には「政権交代という民意に従い、国民の負託に応える」とある。今後もことあるたびにそれを確認し、政権運営を進めてもらいたい。期待されているのは何を具体的に変えてくれるかだ。それができなければ待っているのは「しょせん数合わせ」の批判である。
*読売新聞=3党連立合意 日米同盟の火種とならないか
政策合意の文書は、消費税率据え置き、郵政事業の抜本的見直しなど10項目で構成されている。
焦点の外交・安全保障政策では、社民党の求める「米軍再編や在日米軍基地のあり方の見直し」や「日米地位協定の改定の提起」が盛り込まれた。民主党は難色を示していたが、国民新党も社民党に同調し、押し切られた。
鳩山内閣は対米外交で、この連立合意に一定の縛りを受ける。将来の火種となりかねない。(中略)日米同盟の信頼関係も傷つく。
*日本経済新聞=連立政権で政策をゆがめない配慮を
連立に参加する以上、社民党がこだわりのあるテーマで発言権の確保を目指して不思議でない。しかし日本外交の基軸は日米同盟だ。同盟関係に直接影響を及ぼす重要課題について、民主党が少数党の主張に引きずられて妥協を重ねるようなことがあれば本末転倒だ。
外交・安全保障のほか、経済政策でも3党の主張は一致しているとは言い難い。景気の先行きがなお予断を許さないなか、調整に手間取り政策運営が遅れると、企業や家計に負の影響を及ぼしかねない。国民生活という基本を忘れてはならない。
*東京新聞=連立合意 妥協の色濃く火種残る
合意文書は抽象さが否めない。火種は、やはり残る。
週末を挟んでほぼ一週間をかけた三党の連立協議は、いずれ合意は成るはず、と見られていたせいか、もう一つ切迫感を欠いた。
連立参加の社民は、来年夏の参院選で少なくとも現有勢力を維持するようでないと存在の意味がなくなる。国民新も同様だ。民主の側にはもう、参院の単独過半数を実現すれば両党への遠慮は無用だとの声がある。
▽〈安原の感想〉― 社民、国民新は存在感を出せるか
5紙社説を読んで、その感想を述べる。社説の力点の置き所は何か、について大まかにいえば、2つある。ひとつは「日米同盟は基軸」に言及しているかどうかであり、もう一つは3党連立はうまく機能するのか、という懸念である。
前者は読売と日経である。読売は「日米同盟の火種」、さらに「日米同盟の信頼関係も傷つく」とまで表現し、日経は「日本外交の基軸は日米同盟」と強調している。日米同盟については民主党も同じ考えであり、両紙は何を懸念しているのか。ワシントンから懸念の声も聞こえてくるが、両紙はワシントンの代弁者のつもりなのか。
改めていうまでもないことだが、民意が「日米同盟は疑問」となれば、それに従うのが当然だ。ただ今回の総選挙にみる民意は、そこまで進んではいない。外交、安全保障には継続性が必要だという暗黙の思いこみがメディアにも根強い。つまり変化への抵抗である。しかし外交、安保といえども、時代の流れに沿って歴史の歯車を前へ進めようとする変革を押しとどめるような姿勢は間違っている。外交、安保も批判を許さぬ聖域ではない。
もう一つの3党連立運営のあり方はどうか。「運営していく責任」(朝日)、「しょせん数合わせ」の批判(毎日)、「もう一つ切迫感を欠いた」(東京)― など表現は多様だが、そこには期待と懸念が混在している。
むしろ気になるのは、朝日社説のつぎの指摘である。
民意は必ずしも民主党の政策を全面支持しているわけではない。朝日新聞の世論調査では、民主党の政策に対する有権者の支持が総選挙大勝の大きな理由とは「思わない」という人が52%に達した ― と。
この事実を踏まえて、朝日社説は、つぎのように主張している。
両党(社民、国民新)が政権に入ることで政策がより複眼的になれば、有権者の期待に応えることにもなろう。 民主党も巨大議席に慢心せず、聞く耳を持つ態度を求めたい ― と。
東京社説の以下の指摘も軽視できない。
民主の側にはもう、参院の単独過半数を実現すれば両党への遠慮は無用だとの声がある ― と。
この声が生き続ける限り、来年の参院選後には社民、国民新は「用済み」として除外される懸念もあるということだ。かりにこうなるとすれば、民主の傲慢というほかないだろう。一方、社民と国民新としては、連立政権内でいかに存在感を出すことができるかが勝負所ともいえる。大いに期待したい。
▽公明党 ― 惨敗から再生への展望は
公明党は、先の総選挙で太田昭宏・党代表、北側一雄・党幹事長、冬柴鉄三・元国土交通相ら首脳陣の落選とともに議席数も31議席から21議席へ10議席減となり、自民党同様に惨敗した。過去10年間に及ぶ自民中軸の連立政権への参加も終わりを告げた。
同党は9月8日、新代表に山口那津男氏(前政調会長)を選出し、出直すことになった。山口代表は就任挨拶で来年夏の参院選について「どんな困難に直面しようとも断じて勝ち抜ける強じんな党の構築を急ぐ」と強調したと伝えられる。
惨敗から再生への展望をどう描くのか。総選挙敗因の総括が曖昧(あいまい)なままでは、再生も期待できない。敗因は自公政権時代の自民党との癒着に尽きる。権力に狎(な)れすぎて、けじめを失った。いかえれば「平和と生活の党」としての初心を投げ捨てたためではないか。その初心をよみがえらせるためには何が必要か。
矢野絢也・元公明党委員長が公明党に贈るつぎのような忠言を紹介したい。自公政権時代の「濁流に身をゆだねた姿勢」から「庶民を第一に考える清流」への転換を促している。
創価学会は社会から虐(しいた)げられた人、見捨てられた人の精神的支柱となって組織を拡大した。公明党もまた、庶民、大衆の政党として存立意義を保ってきた。今、格差社会が訪れ、無情な派遣切りや高齢者医療の切り捨てがまかり通っている。公明党もそれに手を貸してきた。
公明党は出来たての頃、小さくとも清流だった。汚濁した大河に、微力ながら清らかな水を注ごうと、われわれは懸命に働いた。決して自らが大河になることが目標ではなかった。今は、政界の汚れた大河と合流し、自身も濁流となって流れている。私は公明党が大きな清流となる日が来ることを信じている ― と。
(上記の忠言は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に09年8月27日掲載の〈創価学会による「日本占領計画」― 総選挙後の公明党の去就に注目〉から再録)
▽共産党 ― 「建設的野党」としてどう活躍するか
共産党は従来の9議席を保持した。志位委員長は9月10日、国会内で鳩山由紀夫・民主党代表と会談し、鳩山新政権には「建設的野党」の立場で臨むことを伝えた。「建設的野党」とは最近、共産党が打ち出した新路線で、政権に対し国民の利益にかなった良いことでは協力し、一方、悪いことには反対する、あるいは問題点をただす ― という姿勢である。共産党といえば、「何でも反対」という印象がかなり広がっているが、この誤解をただそうという試みでもあるだろう。
これに対し、鳩山氏は、「良いことには協力するというのは、ありがたいことで感謝する」と表明したと伝えられる。
では「建設的野党」としての具体的な主張の中身は何か。
・民主党マニフェスト(政権公約)のうち、良いことで協力する具体例
労働者派遣法の改正、後期高齢者医療制度の撤廃、障害者自立支援法の「応益負担」の廃止、生活保護の母子加算の復活、高校授業料無償化など。
・悪いことで反対する具体例
日米FTA(自由貿易協定)交渉の促進、衆院比例定数の削減、消費税増税(民主党は「今後4年間は増税しない」と表明しているものの、その後の増税に含みを残している)、憲法改悪など。
・問題点をただす具体例
高速道路の無料化、庶民増税と抱き合わせでの「子ども手当」など。
さらに志位氏は、「財界中心」、「日米軍事同盟中心」という政治のゆがみを大本からただす必要があるとして、「これについては大いに論戦したい」と述べた。このほかつぎのようなやりとりがあったと伝えられる。
・温室効果ガスの中期削減目標について
志位氏「鳩山代表が温室効果ガスの中期削減目標で〈1990年比25%減〉を宣言したことを歓迎する」
鳩山氏「大変嬉しい。協力して乗り越えていかなければならない課題がある」
志位氏「財界が抵抗の声を挙げているが、私たちは道理に立った論陣を張っていく」
・「日米核密約」問題(注)について
志位氏「鳩山代表が選挙中の党首討論で〈密約を調査し、核兵器を持ち込ませない方向で米国と交渉する〉と述べたことは重要な言明だ。真相究明と密約廃棄のために協力したい」
さらに共産党が米国で入手した核密約に関する公文書を資料として鳩山氏に手渡した。
鳩山氏「真相究明が大切だ。資料を提供していただいてありがたい。何よりも事実が大切だ」
(注)核兵器積載の米艦船などが日本に寄港することを現行日米安保条約(1960年締結)上の事前協議の対象外として自由に認めるという日米政府間の密約。この密約の存在によって、日本の非核3原則(=核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず)のうち「持ち込ませず」が事実上空洞化して、非核2原則に改変されている。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
仏教経済思想の視点から吟味する
安原和雄
民主党政権の新政策はどういう展開をたどるのだろうか。マニフェスト(政権公約)から判断する限り、子育て・教育の支援、ダム建設の中止、後期高齢者制度の廃止、地球温暖化ガスの削減など、自民・公明政権とは異質で、評価に値する政策も多い。その半面、疑問も少なくない。憲法9条の改悪志向、軍事同盟・日米安保体制の堅持などは、自公政権と変わらない。それだけではない。話題を呼んでいる高速道路の無料化は、自公政権に比べむしろ悪政といえるのではないか。仏教経済思想の視点に立って吟味する。(09年9月8日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
9月7日、東京・千代田区内幸町のプレスセンタービル内で開かれた仏教経済フォーラム(寺下英明会長)月例会で私(安原・同フォーラム副会長)は「民主党の政権公約を吟味する 仏教経済思想生かす変革の視点から」と題して講話した。その大要は以下の通り。
〈噛みしめたい二つの言葉〉
まずわれわれが心すべき言葉に触れておきたい。
今から17年も前の1992年、ブラジルのリオで開かれた国連主催の第一回地球環境サミットで当時12歳の少女が各国首脳の前でスピーチをした。
「もし戦争のために使われているお金を全部、貧しさと環境問題を解決するのに使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけど、そのことを知っています」と。
この少女の夢と希望を実現させるにはどうすればいいのか。純真な子どもたちには分かっていることを、知恵もあるはずの大人たちはなぜ理解しようとしないのか。理解し、実現に向けて努力を重ねなければ、日本も世界も、地球も人類も救われないだろう。
もう一つ、在インド43年の僧侶・佐々井秀嶺さん(注)が最近日本に半世紀ぶりに一時帰国して観た「今の日本」に関する印象を紹介したい。僧侶はこう語っている。「宗教がどこか敬遠されるような雰囲気が社会にある。日本の仏教は何をしているのか。民衆がついていこうと思うような姿を見せているのだろうか.」と。
佐々井さんは「インドでは最近の経済発展が貧しい人の暮らしにますます影を落としている。真のインドを知るためには、もっと貧しい人たちに目を向けなければならない」と訴えてもいる。(『一人一寺 心の寺』98号、編集者・米山 進=2009年8月発行・参照)
(注)ささい・しゅうれい=1935年岡山県生まれ、インド国籍を取得し、仏教徒代表としてインド政府少数者委員会委員を務める。
私は佐々井さんのこの記事を読んで、佐々井さん流に言えば、「民衆がついていこうと思うような姿を仏教経済学は見せているだろうか」と感じている。仏教経済のあるべき姿を追求しているこの仏教経済フォーラムとしても、「自戒のことば」としたい。
講話の主な柱はつぎの通り。
Ⅰ.仏教経済学の八つのキーワード ― 菩薩精神の実践
八つのキーワード=いのち尊重、非暴力、知足、共生、簡素、利他、持続性、多様性=は21世紀の菩薩精神の実践を意味する。
(1)英国の歴史家、アーノルド・J・トインビー(1889~1975年)の洞察
「21世紀は大乗仏教が説く菩薩精神を持った人間が要請される」
(2)道元(曹洞宗の開祖・1200~1253年)の菩薩四摂法(ぼさつししょうぼう)の実 践
・布施=お坊さんへの金一封は重視しない。貪(むさぼ)らないこと。権力に諂(へつ)らわず、富貴に頭を下げず、毅然として法(道理)を施すこと
・愛語=慈愛の心をおこし、人を赤子のように思いなして言葉を発すること
・利行=まず相手の利を図ること、すなわち利他は、結局自分をも利すること
・同事=自他ともに不違、つまり協力し合う関係にあること。自他一如ともいう
(臨済宗妙心寺派31代管長・西片擔雪老師の『碧巌録提唱』参照)
Ⅱ.民主党のマニフェスト(政権公約)を吟味する ― 仏教生かす変革構想に立って
(1)憲法9条を改定するのか
(2)日米同盟はどうするのか
(3)高速道路の無料化は疑問
さて以下では「Ⅱ.民主党のマニフェストを吟味する」に重点を置いて考える。
民主党のマニフェストの中では子育て・教育の支援、ダム建設(川辺川ダム・熊本県、八ツ場ダム・群馬県)の中止、後期高齢者制度の廃止、温暖化ガスを2020年までに25%削減(1990年比) ― など評価に値する政策も多い。一方、税制面での扶養控除廃止などは疑問である。さらに憲法9条改悪志向、日米同盟堅持は自公政権と変わらず、賛成できない。また高速道路の無料化は自公政権よりもむしろ悪政というべきである。
ここでは9条改悪、日米同盟堅持、高速道路無料化 ― の3つについて吟味する。
(1)憲法9条を改定するのか ― 浮かび上がる改悪志向
「民主は9条をどうするのか」と題する朝日新聞投書(8月21日付、66歳の男性・東京都)を紹介する。趣旨はつぎの通り。
民主党にはぜひ、9条への見解を有権者に明示してほしい。(中略)軍事力に軍事力で対抗することは平和を保障しない。核対核では人類の存続すらおぼつかない。民主党には世界に誇れる9条をもって世界平和を推進することを、はっきり約束してほしい ― と。
投書の意見は至極もっともである。民主党の見解はどうか。マニフェストに「国民の自由闊達な憲法論議を」とうたっているところをみると、改憲も辞さないということだろう。ここでは首相に就任する鳩山由紀夫民主党代表の9条改憲論(新憲法試案・2005年)を紹介する。結論からいえば、「9条改定、自衛軍の保持、集団的自衛権の容認」である。その骨子は以下の通り。
・日本国の独立と安全を確保するため、自衛軍を保持する。
〈安原のコメント〉これは、現行平和憲法9条2項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の否定である。
・外交政策における選択肢を狭め、国益を損なうことのないように、集団的自衛権の制限的な行使を容認する。
〈コメント〉軍事同盟国の米国が攻撃された場合、日本が直接攻撃されなくとも、海外での武力行使ができるという「集団的自衛権」の行使を容認するもので、従来の自民党政府も、憲法上禁じられていると判断していた原則を転換させることを意味する。
・国連決議による多国籍軍、あるいは将来編成されるかもしれない国連常設軍への参加などを容認する。
〈コメント〉武力行使をともなう国連の軍事活動への参加を意味する。
以上は憲法9条の平和=非戦の理念を「欺瞞的」と批判しながら根底から覆(くつがえ)そうとするほどの改悪案である。民主党新政権が発足して、直ちに以上の9条改悪論が浮上して来ないとしても、要注意である。というのは、来年(2010年)5月から憲法改正国民投票法が施行されるからである。
〈憲法に「持続的発展」条項の追加導入を〉
私(安原)はこのような平和理念を否定する9条改悪とは違って、平和理念を強化発展させることは必要ではないかと考える。具体案として新たに「持続的発展」条項を導入することを提唱したい。『新・世界環境保全戦略』(世界自然保護基金などが1991年、国連主催の第一回地球サミットに先立って発表した提言で、仏教を含む宗教的思考が盛り込まれている)は、「政府は憲法その他、国政の基本となる文書において持続可能な社会の規範を明記すべきである」と各国政府に憲法条項追加論を提起している。
それにヒントを得たのが憲法追加条項導入で、私(安原)の試案は次の通り。
*9条に「国及び国民は、世界の平和と持続的発展のために、世界の核を含む大量破壊兵器の廃絶と通常軍事力の顕著な削減または撤廃に向けて努力する」を追加する。
この追加条項は仏教経済学の八つのキーワードのうちの「いのち尊重、非暴力、知足、共生、持続性」などの実践をも意味する。
いずれにしても憲法9条は今では「世界の宝」としての評価が地球規模で広がりつつあることを重視したい。平和理念の強化は必要であるが、その改悪は歴史と時代の要請に逆行するものである。
(2)日米同盟はどうするのか ― 「安保体制堅持」のマイナス効果
民主党のマニフェストは日米同盟のあり方についてつぎのように書いている。
日本外交の基礎として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす ― と。
ここでは民主党は「対等な日米同盟」をうたっている。自民党がマニフェストでも「日米同盟の強化」を主張しているのとたしかにニュアンスは違う。問題は民主の「対等」とは何を意味するのか、従来の対米依存からの脱却を志向するのかどうかである。
米紙ニューヨーク・タイムズ(9月2日付)の記事が日本で話題になっている。同紙はつぎのように伝えているからである。(朝日新聞9月3日付から)
複数の米政権高官が「アフガニスタンでの戦いといった米国の優先課題や、アジアでの米軍再編などの問題で、米国を支えてきた立場から日本が離れていってしまうのではないか」との懸念を抱いている。ある高官の「予測不可能な時代に入った」という発言を引用しながら、「今回の投票が、米国への長年続いた依存関係から日本が離れようとする、より根本的な変化の予兆なのかどうか、大きな疑問がワシントンにある」 ― と。
〈鳩山氏の論文「私の政治哲学」から〉
鳩山新政権に対する米国側の不安の背景に、月刊誌『Voice』(09年9月号)に掲載された鳩山論文「私の政治哲学」がある。鳩山氏が唱える「友愛」の理念をくわしく論じたもので、その大要は以下の通り。
・「友愛」はグローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念といえよう。それは市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。
・今回の世界経済危機は、アメリカが推し進めてきた市場原理主義や金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。
米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(実はアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。
・日本国内でもこのグローバリズムの流れを積極的に受け入れ、全てを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。
・農業、環境、医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野の経済活動を、無造作にグローバリズムの奔流の中に投げ出すような政策は、「友愛」の理念からは許されない。また生命の安全や生活の安定にかかわるルールや規制はむしろ強化しなければならない。
・経済的統合が進む欧州連合(EU)では、一方でローカル化の流れも顕著である。グローバル化する経済環境の中で、伝統や文化の基盤としての国、地域の独自性をどう維持していくか、それはEUのみならず、日本にとっても大きな課題である。
・「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは日本外交の柱である。同時にアジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならない。東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなければならない。
・イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろう。しかし今のところアメリカに代わる覇権国家も、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。
アメリカは今後影響力を低下させていくが、二、三〇年は、その軍事的経済的実力は、世界の第一人者のままだろう。
〈アメリカ高官の不安の背景〉
以上、鳩山氏の「政治哲学」の主旨を紹介した。大筋では評価に値する内容になっている。ただし「日米安保体制は日本外交の基軸」という一点を除いてである。にもかかわらずどの部分がアメリカの一部高官に不安を抱かせているのか。
まず考えられるのはアメリカ主導のグローバル化と市場至上(原理)主義への批判についてである。
鳩山論文は「社会的な安全網(セーフティネット)の充実」や「農業、環境、医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野のルールや規制はむしろ強化」と指摘している。これはEU型の規制を導入した福祉国家のイメージである。市場原理主義に盲従した自民党に大勝した民主党としては、グローバル化と市場原理主義に「離別宣告」を出すのは当然であるが、現実にどこまで縁を切れるのか、今後のお手並み拝見というところだろう。
つぎに鳩山論文の「アメリカ一極支配から多極化へ」という世界認識についてである。これも中国やEUの台頭、「アメリカの裏庭」といわれた南米諸国によるアメリカ支配からの自主的な離脱 ― などの動きをみれば、多極化への動きは顕著である。アメリカの高官たちにこの動向が見えていないとすれば、世界認識がずれすぎている。それともアメリカにとって頼りになるのはもはや日本しか期待できないという「おすがり(?)作戦」なのか。
さらに「友愛」が導くもう一つの国家目標として「東アジア共同体」の創造を打ち出している点である。しかも「東アジア共同体」の性格づけとしてつぎの3点を挙げている。
・アジアに位置する国家としてのアイデンティティ
・東アジア地域は、わが国が生きていく基本的な生活空間
・この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力
この3点は読み方によってはたしかに刺激的ではある。アメリカからの自立志向だと受け止められないこともない。鳩山氏自身がそれを意識したのかどうか、続けて「日米安保体制は今後も日本外交の基軸」とわざわざ念を押している。
〈「日米同盟堅持」に執着は時代遅れ〉
むしろ問題は鳩山民主党代表が「日米同盟堅持」に執着している点である。同論文で「日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、日本外交の柱」と明示している。同代表は9月3日未明、オバマ米大統領と電話会談し、「日米同盟が基軸だ。建設的な未来志向の日米関係を発展させよう」と呼びかけた(朝日新聞9月3日付)。
私(安原)は東アジアにおける集団安全保障体制を模索するのは一策だと考えるが、日米安保(対象範囲は当初の「極東の安保」から今では「世界の安保」へと地球規模に拡大変質している)のような2国間の軍事同盟はすでに時代遅れであると認識している。もはや軍事力で解決できるものは何一つないからである。
温暖化、飢餓、貧困、大規模災害、インフルエンザなど目下人類が直面している地球規模の多様な難問をみれば、一目瞭然であろう。テロにしてもアフガニスタンの現状は、軍事力がいかに無力であるかを教えている。むしろ世界の巨額の軍事費(年間約120兆円)を地球規模の難問のために回して、難問打開に取り組むときである。
軍事力増強とその行使は仏教経済学(思想)の八つのキーワード、「いのち尊重、非暴力、知足、共生、簡素、利他、持続性、多様性」のいずれとも対立し、鳩山代表の「友愛」とも矛盾する。これでは「友愛」の看板が錆(さ)びていくのも避けがたい。鳩山代表の「安保堅持」は「9条改悪」と並んでやがて支持率低落の要因にもなるだろう。
(3)高速道無料化は疑問 ― 車社会の構造変革こそが課題
民主党政権のマニフェストで売り物の一つになっているのが高速道路の無料化である。無料化のプラス効果としてつぎの諸点が挙げられている。
・生活コスト、企業活動コストが下がる
・地域間交流が活発になり経済が活性化する
・無料化に伴う経済波及効果は「最大で8兆円に上る」
これでは景気刺激策としての側面が強すぎるのではないか。一方、無料化に伴うマイナス効果も大きく、つぎのような点が指摘できる。これでは景気刺激策としての効果にも疑問が生じる。
・高速道路はこれまでの民営から国有に移行され、借金返済は税金で支払うことになるため、従来の利用者負担という受益者負担の原則は壊れ、車を利用しない者にまで税負担が広がる。
・JR各社の輸送量も麻生政権下で「休日1000円」が始まった09年3月末以降、前年同期比で1割減となるなど交通機関別のシェアが変わってきた。
(以上は毎日新聞(9月3日付)の記事「高速道無料化民主案=返済の原資は通行料から税金に、公平性に疑念も」などを参照)
ここで「高速道の無料化が招く事態」と題する朝日新聞投書(8月16日付、47歳の男性・名古屋市)を紹介する。要旨つぎの通り。
鉄道から車に乗り換える人が増えるあおりで鉄道やバスの利用者は激減し、地方路線の廃止が進むだろう。その結果、車を持たない経済弱者やお年寄りは無料化の恩恵を受けられないばかりか、日常生活の足まで失うことになる。高齢化が進んでいること、車から排出される二酸化炭素(CO2)増加による温暖化問題など、様々な視点から将来の国の交通体系を考える必要がある。民主党は、この交通体系のあるべき姿をどのように考えているのか ― と。
〈公共交通中心の総合交通体系へ転換を〉
この投書が指摘するように高速道の無料化で経済を活性化させようとするのは適切な政策ではない。日本全体の総合交通体系の中で車社会をどう構造変革していくのかこそが重要なテーマである。具体策としては現在の自動車中心の交通体系から鉄道、路線バス、路面電車、コミュニティバスなど公共交通中心の交通体系への構造転換を急ぐ必要がある。
交通事故死は年間約6000人、負傷者は同100万人を超えている。毎年繰り返される車によるいのち軽視、暴力の横行に「明日は我が身」であるにもかかわらず、多くの人はいささか無感覚になってはいないか。これは精神的頽廃というほかない。無料化によって利用者が増え、渋滞が多くなり、しかも無謀運転によって交通事故が増加する懸念もある。
環境省のデータによると、一人が同じ距離を移動する場合、自家用自動車は、鉄道に比べ約6倍、バスに比べ約2倍の化石エネルギー(石油など)を浪費し、それだけ地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)を大量に排出する。だから地球環境の保全と持続性のためにも公共交通中心への転換が急務といえる。
転換を促進させるためには自動車よりも公共交通の利用負担を下げて、割安にする必要がある。ところが自動車負担の方を軽くしようというのだから、本末転倒というべきである。
また地球環境保全優先時代にふさわしく、共生を重視し、知足と簡素な暮らしのためにも、自動車を降りて、自転車や徒歩による移動をできるだけ心掛けたい。そのためには自転車道、歩道の整備も欠かせない。高速道路ではなく、この分野の公共投資こそが重要である。
〈ご参考〉安原和雄のつぎの2論文がこの記事の下敷きになっている。
・「二十一世紀と仏教経済学と(上)― いのち・非暴力・知足を軸に」(駒澤大学仏教経済研究所編『仏教経済研究』第37号、2008年5月)
・「二十一世紀と仏教経済学と(下)― 仏教を生かす日本変革構想」(同『仏教経済研究』第38号、2009年5月)
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安原和雄
民主党政権の新政策はどういう展開をたどるのだろうか。マニフェスト(政権公約)から判断する限り、子育て・教育の支援、ダム建設の中止、後期高齢者制度の廃止、地球温暖化ガスの削減など、自民・公明政権とは異質で、評価に値する政策も多い。その半面、疑問も少なくない。憲法9条の改悪志向、軍事同盟・日米安保体制の堅持などは、自公政権と変わらない。それだけではない。話題を呼んでいる高速道路の無料化は、自公政権に比べむしろ悪政といえるのではないか。仏教経済思想の視点に立って吟味する。(09年9月8日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
9月7日、東京・千代田区内幸町のプレスセンタービル内で開かれた仏教経済フォーラム(寺下英明会長)月例会で私(安原・同フォーラム副会長)は「民主党の政権公約を吟味する 仏教経済思想生かす変革の視点から」と題して講話した。その大要は以下の通り。
〈噛みしめたい二つの言葉〉
まずわれわれが心すべき言葉に触れておきたい。
今から17年も前の1992年、ブラジルのリオで開かれた国連主催の第一回地球環境サミットで当時12歳の少女が各国首脳の前でスピーチをした。
「もし戦争のために使われているお金を全部、貧しさと環境問題を解決するのに使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけど、そのことを知っています」と。
この少女の夢と希望を実現させるにはどうすればいいのか。純真な子どもたちには分かっていることを、知恵もあるはずの大人たちはなぜ理解しようとしないのか。理解し、実現に向けて努力を重ねなければ、日本も世界も、地球も人類も救われないだろう。
もう一つ、在インド43年の僧侶・佐々井秀嶺さん(注)が最近日本に半世紀ぶりに一時帰国して観た「今の日本」に関する印象を紹介したい。僧侶はこう語っている。「宗教がどこか敬遠されるような雰囲気が社会にある。日本の仏教は何をしているのか。民衆がついていこうと思うような姿を見せているのだろうか.」と。
佐々井さんは「インドでは最近の経済発展が貧しい人の暮らしにますます影を落としている。真のインドを知るためには、もっと貧しい人たちに目を向けなければならない」と訴えてもいる。(『一人一寺 心の寺』98号、編集者・米山 進=2009年8月発行・参照)
(注)ささい・しゅうれい=1935年岡山県生まれ、インド国籍を取得し、仏教徒代表としてインド政府少数者委員会委員を務める。
私は佐々井さんのこの記事を読んで、佐々井さん流に言えば、「民衆がついていこうと思うような姿を仏教経済学は見せているだろうか」と感じている。仏教経済のあるべき姿を追求しているこの仏教経済フォーラムとしても、「自戒のことば」としたい。
講話の主な柱はつぎの通り。
Ⅰ.仏教経済学の八つのキーワード ― 菩薩精神の実践
八つのキーワード=いのち尊重、非暴力、知足、共生、簡素、利他、持続性、多様性=は21世紀の菩薩精神の実践を意味する。
(1)英国の歴史家、アーノルド・J・トインビー(1889~1975年)の洞察
「21世紀は大乗仏教が説く菩薩精神を持った人間が要請される」
(2)道元(曹洞宗の開祖・1200~1253年)の菩薩四摂法(ぼさつししょうぼう)の実 践
・布施=お坊さんへの金一封は重視しない。貪(むさぼ)らないこと。権力に諂(へつ)らわず、富貴に頭を下げず、毅然として法(道理)を施すこと
・愛語=慈愛の心をおこし、人を赤子のように思いなして言葉を発すること
・利行=まず相手の利を図ること、すなわち利他は、結局自分をも利すること
・同事=自他ともに不違、つまり協力し合う関係にあること。自他一如ともいう
(臨済宗妙心寺派31代管長・西片擔雪老師の『碧巌録提唱』参照)
Ⅱ.民主党のマニフェスト(政権公約)を吟味する ― 仏教生かす変革構想に立って
(1)憲法9条を改定するのか
(2)日米同盟はどうするのか
(3)高速道路の無料化は疑問
さて以下では「Ⅱ.民主党のマニフェストを吟味する」に重点を置いて考える。
民主党のマニフェストの中では子育て・教育の支援、ダム建設(川辺川ダム・熊本県、八ツ場ダム・群馬県)の中止、後期高齢者制度の廃止、温暖化ガスを2020年までに25%削減(1990年比) ― など評価に値する政策も多い。一方、税制面での扶養控除廃止などは疑問である。さらに憲法9条改悪志向、日米同盟堅持は自公政権と変わらず、賛成できない。また高速道路の無料化は自公政権よりもむしろ悪政というべきである。
ここでは9条改悪、日米同盟堅持、高速道路無料化 ― の3つについて吟味する。
(1)憲法9条を改定するのか ― 浮かび上がる改悪志向
「民主は9条をどうするのか」と題する朝日新聞投書(8月21日付、66歳の男性・東京都)を紹介する。趣旨はつぎの通り。
民主党にはぜひ、9条への見解を有権者に明示してほしい。(中略)軍事力に軍事力で対抗することは平和を保障しない。核対核では人類の存続すらおぼつかない。民主党には世界に誇れる9条をもって世界平和を推進することを、はっきり約束してほしい ― と。
投書の意見は至極もっともである。民主党の見解はどうか。マニフェストに「国民の自由闊達な憲法論議を」とうたっているところをみると、改憲も辞さないということだろう。ここでは首相に就任する鳩山由紀夫民主党代表の9条改憲論(新憲法試案・2005年)を紹介する。結論からいえば、「9条改定、自衛軍の保持、集団的自衛権の容認」である。その骨子は以下の通り。
・日本国の独立と安全を確保するため、自衛軍を保持する。
〈安原のコメント〉これは、現行平和憲法9条2項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の否定である。
・外交政策における選択肢を狭め、国益を損なうことのないように、集団的自衛権の制限的な行使を容認する。
〈コメント〉軍事同盟国の米国が攻撃された場合、日本が直接攻撃されなくとも、海外での武力行使ができるという「集団的自衛権」の行使を容認するもので、従来の自民党政府も、憲法上禁じられていると判断していた原則を転換させることを意味する。
・国連決議による多国籍軍、あるいは将来編成されるかもしれない国連常設軍への参加などを容認する。
〈コメント〉武力行使をともなう国連の軍事活動への参加を意味する。
以上は憲法9条の平和=非戦の理念を「欺瞞的」と批判しながら根底から覆(くつがえ)そうとするほどの改悪案である。民主党新政権が発足して、直ちに以上の9条改悪論が浮上して来ないとしても、要注意である。というのは、来年(2010年)5月から憲法改正国民投票法が施行されるからである。
〈憲法に「持続的発展」条項の追加導入を〉
私(安原)はこのような平和理念を否定する9条改悪とは違って、平和理念を強化発展させることは必要ではないかと考える。具体案として新たに「持続的発展」条項を導入することを提唱したい。『新・世界環境保全戦略』(世界自然保護基金などが1991年、国連主催の第一回地球サミットに先立って発表した提言で、仏教を含む宗教的思考が盛り込まれている)は、「政府は憲法その他、国政の基本となる文書において持続可能な社会の規範を明記すべきである」と各国政府に憲法条項追加論を提起している。
それにヒントを得たのが憲法追加条項導入で、私(安原)の試案は次の通り。
*9条に「国及び国民は、世界の平和と持続的発展のために、世界の核を含む大量破壊兵器の廃絶と通常軍事力の顕著な削減または撤廃に向けて努力する」を追加する。
この追加条項は仏教経済学の八つのキーワードのうちの「いのち尊重、非暴力、知足、共生、持続性」などの実践をも意味する。
いずれにしても憲法9条は今では「世界の宝」としての評価が地球規模で広がりつつあることを重視したい。平和理念の強化は必要であるが、その改悪は歴史と時代の要請に逆行するものである。
(2)日米同盟はどうするのか ― 「安保体制堅持」のマイナス効果
民主党のマニフェストは日米同盟のあり方についてつぎのように書いている。
日本外交の基礎として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす ― と。
ここでは民主党は「対等な日米同盟」をうたっている。自民党がマニフェストでも「日米同盟の強化」を主張しているのとたしかにニュアンスは違う。問題は民主の「対等」とは何を意味するのか、従来の対米依存からの脱却を志向するのかどうかである。
米紙ニューヨーク・タイムズ(9月2日付)の記事が日本で話題になっている。同紙はつぎのように伝えているからである。(朝日新聞9月3日付から)
複数の米政権高官が「アフガニスタンでの戦いといった米国の優先課題や、アジアでの米軍再編などの問題で、米国を支えてきた立場から日本が離れていってしまうのではないか」との懸念を抱いている。ある高官の「予測不可能な時代に入った」という発言を引用しながら、「今回の投票が、米国への長年続いた依存関係から日本が離れようとする、より根本的な変化の予兆なのかどうか、大きな疑問がワシントンにある」 ― と。
〈鳩山氏の論文「私の政治哲学」から〉
鳩山新政権に対する米国側の不安の背景に、月刊誌『Voice』(09年9月号)に掲載された鳩山論文「私の政治哲学」がある。鳩山氏が唱える「友愛」の理念をくわしく論じたもので、その大要は以下の通り。
・「友愛」はグローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念といえよう。それは市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。
・今回の世界経済危機は、アメリカが推し進めてきた市場原理主義や金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。
米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(実はアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。
・日本国内でもこのグローバリズムの流れを積極的に受け入れ、全てを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。
・農業、環境、医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野の経済活動を、無造作にグローバリズムの奔流の中に投げ出すような政策は、「友愛」の理念からは許されない。また生命の安全や生活の安定にかかわるルールや規制はむしろ強化しなければならない。
・経済的統合が進む欧州連合(EU)では、一方でローカル化の流れも顕著である。グローバル化する経済環境の中で、伝統や文化の基盤としての国、地域の独自性をどう維持していくか、それはEUのみならず、日本にとっても大きな課題である。
・「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは日本外交の柱である。同時にアジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならない。東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなければならない。
・イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろう。しかし今のところアメリカに代わる覇権国家も、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。
アメリカは今後影響力を低下させていくが、二、三〇年は、その軍事的経済的実力は、世界の第一人者のままだろう。
〈アメリカ高官の不安の背景〉
以上、鳩山氏の「政治哲学」の主旨を紹介した。大筋では評価に値する内容になっている。ただし「日米安保体制は日本外交の基軸」という一点を除いてである。にもかかわらずどの部分がアメリカの一部高官に不安を抱かせているのか。
まず考えられるのはアメリカ主導のグローバル化と市場至上(原理)主義への批判についてである。
鳩山論文は「社会的な安全網(セーフティネット)の充実」や「農業、環境、医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野のルールや規制はむしろ強化」と指摘している。これはEU型の規制を導入した福祉国家のイメージである。市場原理主義に盲従した自民党に大勝した民主党としては、グローバル化と市場原理主義に「離別宣告」を出すのは当然であるが、現実にどこまで縁を切れるのか、今後のお手並み拝見というところだろう。
つぎに鳩山論文の「アメリカ一極支配から多極化へ」という世界認識についてである。これも中国やEUの台頭、「アメリカの裏庭」といわれた南米諸国によるアメリカ支配からの自主的な離脱 ― などの動きをみれば、多極化への動きは顕著である。アメリカの高官たちにこの動向が見えていないとすれば、世界認識がずれすぎている。それともアメリカにとって頼りになるのはもはや日本しか期待できないという「おすがり(?)作戦」なのか。
さらに「友愛」が導くもう一つの国家目標として「東アジア共同体」の創造を打ち出している点である。しかも「東アジア共同体」の性格づけとしてつぎの3点を挙げている。
・アジアに位置する国家としてのアイデンティティ
・東アジア地域は、わが国が生きていく基本的な生活空間
・この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力
この3点は読み方によってはたしかに刺激的ではある。アメリカからの自立志向だと受け止められないこともない。鳩山氏自身がそれを意識したのかどうか、続けて「日米安保体制は今後も日本外交の基軸」とわざわざ念を押している。
〈「日米同盟堅持」に執着は時代遅れ〉
むしろ問題は鳩山民主党代表が「日米同盟堅持」に執着している点である。同論文で「日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、日本外交の柱」と明示している。同代表は9月3日未明、オバマ米大統領と電話会談し、「日米同盟が基軸だ。建設的な未来志向の日米関係を発展させよう」と呼びかけた(朝日新聞9月3日付)。
私(安原)は東アジアにおける集団安全保障体制を模索するのは一策だと考えるが、日米安保(対象範囲は当初の「極東の安保」から今では「世界の安保」へと地球規模に拡大変質している)のような2国間の軍事同盟はすでに時代遅れであると認識している。もはや軍事力で解決できるものは何一つないからである。
温暖化、飢餓、貧困、大規模災害、インフルエンザなど目下人類が直面している地球規模の多様な難問をみれば、一目瞭然であろう。テロにしてもアフガニスタンの現状は、軍事力がいかに無力であるかを教えている。むしろ世界の巨額の軍事費(年間約120兆円)を地球規模の難問のために回して、難問打開に取り組むときである。
軍事力増強とその行使は仏教経済学(思想)の八つのキーワード、「いのち尊重、非暴力、知足、共生、簡素、利他、持続性、多様性」のいずれとも対立し、鳩山代表の「友愛」とも矛盾する。これでは「友愛」の看板が錆(さ)びていくのも避けがたい。鳩山代表の「安保堅持」は「9条改悪」と並んでやがて支持率低落の要因にもなるだろう。
(3)高速道無料化は疑問 ― 車社会の構造変革こそが課題
民主党政権のマニフェストで売り物の一つになっているのが高速道路の無料化である。無料化のプラス効果としてつぎの諸点が挙げられている。
・生活コスト、企業活動コストが下がる
・地域間交流が活発になり経済が活性化する
・無料化に伴う経済波及効果は「最大で8兆円に上る」
これでは景気刺激策としての側面が強すぎるのではないか。一方、無料化に伴うマイナス効果も大きく、つぎのような点が指摘できる。これでは景気刺激策としての効果にも疑問が生じる。
・高速道路はこれまでの民営から国有に移行され、借金返済は税金で支払うことになるため、従来の利用者負担という受益者負担の原則は壊れ、車を利用しない者にまで税負担が広がる。
・JR各社の輸送量も麻生政権下で「休日1000円」が始まった09年3月末以降、前年同期比で1割減となるなど交通機関別のシェアが変わってきた。
(以上は毎日新聞(9月3日付)の記事「高速道無料化民主案=返済の原資は通行料から税金に、公平性に疑念も」などを参照)
ここで「高速道の無料化が招く事態」と題する朝日新聞投書(8月16日付、47歳の男性・名古屋市)を紹介する。要旨つぎの通り。
鉄道から車に乗り換える人が増えるあおりで鉄道やバスの利用者は激減し、地方路線の廃止が進むだろう。その結果、車を持たない経済弱者やお年寄りは無料化の恩恵を受けられないばかりか、日常生活の足まで失うことになる。高齢化が進んでいること、車から排出される二酸化炭素(CO2)増加による温暖化問題など、様々な視点から将来の国の交通体系を考える必要がある。民主党は、この交通体系のあるべき姿をどのように考えているのか ― と。
〈公共交通中心の総合交通体系へ転換を〉
この投書が指摘するように高速道の無料化で経済を活性化させようとするのは適切な政策ではない。日本全体の総合交通体系の中で車社会をどう構造変革していくのかこそが重要なテーマである。具体策としては現在の自動車中心の交通体系から鉄道、路線バス、路面電車、コミュニティバスなど公共交通中心の交通体系への構造転換を急ぐ必要がある。
交通事故死は年間約6000人、負傷者は同100万人を超えている。毎年繰り返される車によるいのち軽視、暴力の横行に「明日は我が身」であるにもかかわらず、多くの人はいささか無感覚になってはいないか。これは精神的頽廃というほかない。無料化によって利用者が増え、渋滞が多くなり、しかも無謀運転によって交通事故が増加する懸念もある。
環境省のデータによると、一人が同じ距離を移動する場合、自家用自動車は、鉄道に比べ約6倍、バスに比べ約2倍の化石エネルギー(石油など)を浪費し、それだけ地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)を大量に排出する。だから地球環境の保全と持続性のためにも公共交通中心への転換が急務といえる。
転換を促進させるためには自動車よりも公共交通の利用負担を下げて、割安にする必要がある。ところが自動車負担の方を軽くしようというのだから、本末転倒というべきである。
また地球環境保全優先時代にふさわしく、共生を重視し、知足と簡素な暮らしのためにも、自動車を降りて、自転車や徒歩による移動をできるだけ心掛けたい。そのためには自転車道、歩道の整備も欠かせない。高速道路ではなく、この分野の公共投資こそが重要である。
〈ご参考〉安原和雄のつぎの2論文がこの記事の下敷きになっている。
・「二十一世紀と仏教経済学と(上)― いのち・非暴力・知足を軸に」(駒澤大学仏教経済研究所編『仏教経済研究』第37号、2008年5月)
・「二十一世紀と仏教経済学と(下)― 仏教を生かす日本変革構想」(同『仏教経済研究』第38号、2009年5月)
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市場原理主義路線と縁を切れるか
安原和雄
衆院総選挙の結果は、民主圧勝、自公惨敗となった。戦後初めての政権交代であり、歴史的変化と評価できることはいうまでもない。しかしたしかに目先が変わる「変化」ではあるが、自公政権時代に比べて質的差異をもたらすような「変革」をどこまで期待できるのだろうか。質的差異の決め手となるのは、多くの災厄をもたらしているあの市場原理主義路線から180度転換することである。
世界的金融・経済危機は同時に市場原理主義路線の破綻を意味した。破綻はしたが、消滅したのではない。米国にも日本にも今なおしぶとく生き残っている。ここを認識したうえで、市場原理主義ときっぱり縁を切れるかどうかが新政権を担う民主党にとって最大の課題といえよう。(09年9月1日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
総選挙による党派別当選者数(定数480)は、民主308(公示前115)、自民119(同300)、公明21(同31)、共産9(同9)、社民7(同7)、みんな5(同4)、国民3(同4)、日本1(同0)、無所属など7(同8)。民主圧勝、一方自公の惨敗である。
▽大手紙は政権交代をどう論評したか
まず大手5紙(09年8月31日付)社説の見出しを紹介する。
*朝日新聞=民主圧勝 政権交代 民意の雪崩受け止めよ
*毎日新聞=衆院選 民主圧勝 国民が日本を変えた 政権交代、維新の気概で
*読売新聞=民主党政権実現 変化への期待と重責に応えよ
*日本経済新聞=変化求め民意は鳩山民主政権に賭けた
*東京新聞=民主が圧勝 自民落城 歴史の歯車が回った
社説は「民主圧勝、政権交代」という厳然たる事実をどのように受け止めたか。
朝日=小選挙区制のすさまじいまでの破壊力である。民意の劇的なうねりのなかで、日本の政治に政権交代という新しいページが開かれた。
それにしても衝撃的な結果だ。小選挙区で自民党の閣僚ら有力者が次々と敗北。麻生首相は総裁辞任の意向を示した。公明党は代表と幹事長が落選した。代わりに続々と勝ち名乗りを上げたのは、政治の舞台ではほとんど無名の民主党の若手や女性候補たちだ。
毎日=まさに、怒濤(どとう)だ。自民党の派閥重鎮やベテランが、無名だった新人候補にバタバタと倒されていった。国民は断固として変化を選んだ。歴史に刻まれるべき政権の交代である。
選挙を通じ政権を担う第1党が交代する民主主義の常道が、日本の政治では長く行われずにいた。政権選択が2大勢力で正面から問われての政権交代は、戦後初めてである。
読売=自民党政治に対する不満と、民主党政権誕生による「変化」への期待が歴史的な政権交代をもたらした。(中略)30日投開票の衆院選で民主党が大勝し、自民党は結党以来の惨敗を喫した。野党が衆院選で単独過半数を獲得し、政権交代を果たしたのは戦後初めてのことである。
〈安原のコメント〉― 誇張とは言えない表現が並ぶ
「すさまじいまでの破壊力」、「民意の劇的なうねり」、「まさに怒濤だ」、「国民は断固として変化を選んだ」、「自民党は結党以来の惨敗」、「政権交代を果たしたのは戦後初めて」 ― などと非日常的な表現があふれている。事実上の自民党一党独裁制が実に半世紀以上も続いた後の政権交代であるだけに、この程度の言辞も決して誇張とはいえないだろう。
▽「民主圧勝、自民落城」の背景、要因は何か
東京新聞社説は見出しで「民主圧勝、自民落城」と形容しているが、その背景、要因は何か。
朝日=民意の劇的なうねりの原因ははっきりしている。少子高齢化が象徴する日本社会の構造変化、グローバル化の中での地域経済の疲弊。そうした激しい変化に対応できなかった自民党への不信だ。そして、世界同時不況の中で、社会全体に漂う閉塞感と将来への不安である。
毎日=財政赤字などのひずみが深刻化する中で登場したのが小泉改革路線だ。郵政民営化など「小さな政府」を掲げ05年衆院選に圧勝、自民党は再生したかに見えた。
しかし、医療、年金、格差や地方の疲弊を通じ国民の生活不安が急速に強まり、党は路線見直しをめぐり迷走した。(中略)現職首相が2度も政権を投げ出し、政権担当能力の欠如を露呈した。小泉政治を総括できぬまま解散を引き延ばす麻生政権に、国民の不満は頂点に達した。
読売=小泉内閣の市場原理主義的な政策は、「格差社会」を助長し、医療・介護現場の荒廃や地方の疲弊を招いた。
麻生首相は、小泉路線の修正も中途半端なまま、首相としての資質を問われる言動を続けて、失点を重ねた。
構造改革路線の行き過ぎ、指導者の責任放棄と力量不足、支持団体の離反、長期政権への失望と飽きが、自民党の歴史的敗北につながったと言えよう。
日経=半世紀余り続いた自民党政治への飽きとともに、前回の衆院選以降に顕著となった自民の統治能力の劣化が有権者の離反を招いたといえる。年金の記録漏れ問題などの行政の不祥事が相次いで表面化した。
東京=老後の年金や医療、雇用に募る不安、教育にも及ぶ格差社会の不公平に有権者は怒り、政・官のなれ合い、しがらみの政治との断絶を促した。自公に代わる民主の政権はそれに応える責務がある。
〈コメント〉― 自民惨敗の背景に市場原理主義
民主圧勝、自民惨敗の背景を的確につかまえなければ、今後の民主党政権への核心をついた注文も難しいだろう。5紙それぞれの指摘を拾いあげてみると ― 。
朝日=地域経済の疲弊、社会全体に漂う閉塞感と将来への不安
毎日=小泉改革路線と「小さな政府」
読売=市場原理主義的な政策
日経=自民の統治能力の劣化
東京=不安と不公平
背景を一つひとつ拾いあげてゆけば、きりがない。問題は構造的かつ根本的な背景は何かである。朝日は「閉塞感と将来への不安」を挙げている。その閉塞感と不安はどこから来ているのか、そこが問題である。日経の「自民の統治能力の劣化」にしても、自民はなぜ統治能力が劣化したのかが問われなければならない。東京の「不安と不公平」も同様で、不安や不公平をもたらしている背景、つまり元凶を追及する必要がある。
その元凶は毎日の「小泉改革路線」であり、読売の「市場原理主義」ではないか。この一点を軽視しては、それこそ画竜点睛を欠くことになるだろう。
▽民主党政権への信頼度と自民党の将来
民主大勝、自民惨敗の背景に「小泉改革路線」がもたらした多くの災厄があるのは間違いないとして、それでは新しい民主党政権への国民の信頼度はどの程度なのか。一方、自民党の再生は果たして可能なのか。
*民主党政権への信頼度は?
朝日=民意は民主党へ雪崩をうった。その激しさは「このままではだめだ」「とにかく政治を変えてみよう」という人々の思いがいかに深いかを物語る。
では、それが民主党政権への信頼となっているかと言えば、答えはノーだろう。朝日新聞の世論調査で、民主党の政策への評価は驚くほど低い。期待半分、不安半分というのが正直なところではあるまいか。
東京=全国各地の投票所に列をなして民主に大勝利を与えた民意が、政権担当の力量をこの党に認めたのかは怪しい。むしろ「よりましな政権」へ雪崩を打ったと見る方がいいかもしれない。
*自民党の再生は可能なのか?
読売=自民党は、これから野党時代が長くなることを覚悟しなければなるまい。民主党とともに2大政党制の一角を占め続けるには、解党的出直しが必要だ。
日経=かつてない敗北となった自民の今後はいばらの道だろう。党の有力者の落選が相次ぎ、人材難は深刻である。
この機会に党組織や候補者選考方法などを抜本的に見直し、新たな党の姿を探るしかない。政権交代可能な二大政党制を定着させるために、自民は文字通りの「解党的出直し」に取り組む覚悟が求められている。
〈コメント〉 ― 「よりましな政権」民主と「解党的出直し」迫られる自民
圧勝した民主だが、それでは国民の信頼度は? となると、朝日は「答えはノーだろう。世論調査では民主党の政策への評価は驚くほど低い」と断じている。また東京は「よりましな政権」という診断を下している。民主は圧勝したからといって、浮かれているときではないぞ、という戒めと受け止めるべきであろう。
一方、大敗した自民に再生の将来性はどこまで期待できるのか。読売、日経ともに「解党的出直し」の覚悟を求めている。この「解党的」の含意がはっきりしないが、自民党ではない新自民党、という意味なら、文字通り自民党を解党する以外に手はないだろう。
選挙運動中の自民候補の言動をテレビで観た限りの印象だが、時代感覚がずれすぎている。例えば、集まった聴衆に土下座している姿には、その卑屈さに失笑するほかなかった。また「守って下さい、助けて下さい」という哀願には「ここまで落ちたか」という以外に言葉を知らない。民主党若手候補の「歴史を動かそう、日本を変えよう」などと未来へのビジョンを語る姿勢との開きが大きすぎる。
自民の敗因は、長期間与党権力の座に安住し、自己鍛錬を怠ったゆえの人材枯渇(閣僚クラスがお粗末すぎる)、大衆増税と税金の無駄遣い、経済界との癒着(ゆちゃく)によるカネまみれ ― など構造的劣化というべきだろう。自民は民主に敗北したというよりも自滅したのだ。新政権を担う民主の面々も、この自民自滅に学ぶ必要があるだろう。「明日は我が身」を避けるためにも。
▽民主党新政権は市場原理主義路線を克服できるのか
自民惨敗の背景に市場原理主義(=新自由主義)路線があったことは否定できない。しかも自民の手で路線転換を図り、その災厄を繕(つくろ)う方策に着手するところまで進まなかった。それでは圧勝した民主はどうか。民主党新政権は果たしてこの市場原理主義路線とは無縁だと言い切れるのか、自公政権の悪しき遺産、市場原理主義から大きく転換できるのか、そこが気がかりである。
自民党のマニフェスト(政権公約)には市場原理主義路線と決別するという文言は見当たらなかったが、麻生太郎自民党総裁は選挙演説でこう述べた。
市場原理主義が世の中を席巻していた。結果として地域格差を生み、福祉にほころびが出た。行きすぎた市場原理主義とは決別する。最優先は景気対策 ― と。
「市場原理主義が世の中を席巻していた」という言い方は不適切である。自公政権が政策として席巻させていたのである。にもかかわらず天から降ってきた自然現象のような言い回しは無責任である。それにしても市場原理主義は自民にとって不利だと気付いたのだろう。反省の弁として「行きすぎた市場原理主義とは決別する」と演説して回った。ここで注意する必要があるのは「行きすぎた市場原理主義」という表現である。市場原理主義には正常な市場原理主義と行きすぎた市場原理主義の2種類があるという認識なのだろう。これもごまかしである。
市場原理主義は本来、行きすぎた政策路線である。米国主導の新自由主義=市場原理主義路線なるものは、1980年代初めの中曽根政権時代に日本に導入され、2001年に発足した小泉政権時代に本格化した。無慈悲な弱肉強食のすすめで、大企業、資産家を優遇する半面、自殺、失業、貧困、格差、不公平が広がり、特に自殺者は年間3万人の大台乗せとなり、今なお続いている。失業も悪化し、総務省(8月28日公表)によると、09年7月の完全失業者数は359万人(前年同月比103万人増で、増加数が初めて100万人を超えた)、完全失業率も5.7%と過去最悪を記録した。麻生氏が「行きすぎた市場原理主義とは決別」と言い訳をしながら全国遊説したが、時すでに遅すぎたのである。
さて民主党新政権はどうか。マニフェストには「市場原理主義は採用しない」とは一行も書いていない。率直に言えば、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の具体策(賛成できない典型例は高速道路の無料化)は盛り沢山だが、新政権を担うに足りる理念が不足している。マニフェストが強調している理念らしいところはつぎのようである。
・暮らしのための政治を
・国民の生活が第一
・ひとつひとつの生命を大切にする。他人の幸せを自分の幸せと感じられる社会。それが目指す友愛社会。
・税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが民主党の政権交代 ― と。
鳩山由紀夫・民主党代表が目指す友愛社会の実現を本気で志向するのであれば、市場原理主義とはきっぱり縁を切ることが不可欠とはいえないか。この一点こそが自公政権との質的差異を浮き彫りにするはずである。
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安原和雄
衆院総選挙の結果は、民主圧勝、自公惨敗となった。戦後初めての政権交代であり、歴史的変化と評価できることはいうまでもない。しかしたしかに目先が変わる「変化」ではあるが、自公政権時代に比べて質的差異をもたらすような「変革」をどこまで期待できるのだろうか。質的差異の決め手となるのは、多くの災厄をもたらしているあの市場原理主義路線から180度転換することである。
世界的金融・経済危機は同時に市場原理主義路線の破綻を意味した。破綻はしたが、消滅したのではない。米国にも日本にも今なおしぶとく生き残っている。ここを認識したうえで、市場原理主義ときっぱり縁を切れるかどうかが新政権を担う民主党にとって最大の課題といえよう。(09年9月1日掲載、インターネット新聞「日刊ベリタ」、公共空間「ちきゅう座」に転載)
総選挙による党派別当選者数(定数480)は、民主308(公示前115)、自民119(同300)、公明21(同31)、共産9(同9)、社民7(同7)、みんな5(同4)、国民3(同4)、日本1(同0)、無所属など7(同8)。民主圧勝、一方自公の惨敗である。
▽大手紙は政権交代をどう論評したか
まず大手5紙(09年8月31日付)社説の見出しを紹介する。
*朝日新聞=民主圧勝 政権交代 民意の雪崩受け止めよ
*毎日新聞=衆院選 民主圧勝 国民が日本を変えた 政権交代、維新の気概で
*読売新聞=民主党政権実現 変化への期待と重責に応えよ
*日本経済新聞=変化求め民意は鳩山民主政権に賭けた
*東京新聞=民主が圧勝 自民落城 歴史の歯車が回った
社説は「民主圧勝、政権交代」という厳然たる事実をどのように受け止めたか。
朝日=小選挙区制のすさまじいまでの破壊力である。民意の劇的なうねりのなかで、日本の政治に政権交代という新しいページが開かれた。
それにしても衝撃的な結果だ。小選挙区で自民党の閣僚ら有力者が次々と敗北。麻生首相は総裁辞任の意向を示した。公明党は代表と幹事長が落選した。代わりに続々と勝ち名乗りを上げたのは、政治の舞台ではほとんど無名の民主党の若手や女性候補たちだ。
毎日=まさに、怒濤(どとう)だ。自民党の派閥重鎮やベテランが、無名だった新人候補にバタバタと倒されていった。国民は断固として変化を選んだ。歴史に刻まれるべき政権の交代である。
選挙を通じ政権を担う第1党が交代する民主主義の常道が、日本の政治では長く行われずにいた。政権選択が2大勢力で正面から問われての政権交代は、戦後初めてである。
読売=自民党政治に対する不満と、民主党政権誕生による「変化」への期待が歴史的な政権交代をもたらした。(中略)30日投開票の衆院選で民主党が大勝し、自民党は結党以来の惨敗を喫した。野党が衆院選で単独過半数を獲得し、政権交代を果たしたのは戦後初めてのことである。
〈安原のコメント〉― 誇張とは言えない表現が並ぶ
「すさまじいまでの破壊力」、「民意の劇的なうねり」、「まさに怒濤だ」、「国民は断固として変化を選んだ」、「自民党は結党以来の惨敗」、「政権交代を果たしたのは戦後初めて」 ― などと非日常的な表現があふれている。事実上の自民党一党独裁制が実に半世紀以上も続いた後の政権交代であるだけに、この程度の言辞も決して誇張とはいえないだろう。
▽「民主圧勝、自民落城」の背景、要因は何か
東京新聞社説は見出しで「民主圧勝、自民落城」と形容しているが、その背景、要因は何か。
朝日=民意の劇的なうねりの原因ははっきりしている。少子高齢化が象徴する日本社会の構造変化、グローバル化の中での地域経済の疲弊。そうした激しい変化に対応できなかった自民党への不信だ。そして、世界同時不況の中で、社会全体に漂う閉塞感と将来への不安である。
毎日=財政赤字などのひずみが深刻化する中で登場したのが小泉改革路線だ。郵政民営化など「小さな政府」を掲げ05年衆院選に圧勝、自民党は再生したかに見えた。
しかし、医療、年金、格差や地方の疲弊を通じ国民の生活不安が急速に強まり、党は路線見直しをめぐり迷走した。(中略)現職首相が2度も政権を投げ出し、政権担当能力の欠如を露呈した。小泉政治を総括できぬまま解散を引き延ばす麻生政権に、国民の不満は頂点に達した。
読売=小泉内閣の市場原理主義的な政策は、「格差社会」を助長し、医療・介護現場の荒廃や地方の疲弊を招いた。
麻生首相は、小泉路線の修正も中途半端なまま、首相としての資質を問われる言動を続けて、失点を重ねた。
構造改革路線の行き過ぎ、指導者の責任放棄と力量不足、支持団体の離反、長期政権への失望と飽きが、自民党の歴史的敗北につながったと言えよう。
日経=半世紀余り続いた自民党政治への飽きとともに、前回の衆院選以降に顕著となった自民の統治能力の劣化が有権者の離反を招いたといえる。年金の記録漏れ問題などの行政の不祥事が相次いで表面化した。
東京=老後の年金や医療、雇用に募る不安、教育にも及ぶ格差社会の不公平に有権者は怒り、政・官のなれ合い、しがらみの政治との断絶を促した。自公に代わる民主の政権はそれに応える責務がある。
〈コメント〉― 自民惨敗の背景に市場原理主義
民主圧勝、自民惨敗の背景を的確につかまえなければ、今後の民主党政権への核心をついた注文も難しいだろう。5紙それぞれの指摘を拾いあげてみると ― 。
朝日=地域経済の疲弊、社会全体に漂う閉塞感と将来への不安
毎日=小泉改革路線と「小さな政府」
読売=市場原理主義的な政策
日経=自民の統治能力の劣化
東京=不安と不公平
背景を一つひとつ拾いあげてゆけば、きりがない。問題は構造的かつ根本的な背景は何かである。朝日は「閉塞感と将来への不安」を挙げている。その閉塞感と不安はどこから来ているのか、そこが問題である。日経の「自民の統治能力の劣化」にしても、自民はなぜ統治能力が劣化したのかが問われなければならない。東京の「不安と不公平」も同様で、不安や不公平をもたらしている背景、つまり元凶を追及する必要がある。
その元凶は毎日の「小泉改革路線」であり、読売の「市場原理主義」ではないか。この一点を軽視しては、それこそ画竜点睛を欠くことになるだろう。
▽民主党政権への信頼度と自民党の将来
民主大勝、自民惨敗の背景に「小泉改革路線」がもたらした多くの災厄があるのは間違いないとして、それでは新しい民主党政権への国民の信頼度はどの程度なのか。一方、自民党の再生は果たして可能なのか。
*民主党政権への信頼度は?
朝日=民意は民主党へ雪崩をうった。その激しさは「このままではだめだ」「とにかく政治を変えてみよう」という人々の思いがいかに深いかを物語る。
では、それが民主党政権への信頼となっているかと言えば、答えはノーだろう。朝日新聞の世論調査で、民主党の政策への評価は驚くほど低い。期待半分、不安半分というのが正直なところではあるまいか。
東京=全国各地の投票所に列をなして民主に大勝利を与えた民意が、政権担当の力量をこの党に認めたのかは怪しい。むしろ「よりましな政権」へ雪崩を打ったと見る方がいいかもしれない。
*自民党の再生は可能なのか?
読売=自民党は、これから野党時代が長くなることを覚悟しなければなるまい。民主党とともに2大政党制の一角を占め続けるには、解党的出直しが必要だ。
日経=かつてない敗北となった自民の今後はいばらの道だろう。党の有力者の落選が相次ぎ、人材難は深刻である。
この機会に党組織や候補者選考方法などを抜本的に見直し、新たな党の姿を探るしかない。政権交代可能な二大政党制を定着させるために、自民は文字通りの「解党的出直し」に取り組む覚悟が求められている。
〈コメント〉 ― 「よりましな政権」民主と「解党的出直し」迫られる自民
圧勝した民主だが、それでは国民の信頼度は? となると、朝日は「答えはノーだろう。世論調査では民主党の政策への評価は驚くほど低い」と断じている。また東京は「よりましな政権」という診断を下している。民主は圧勝したからといって、浮かれているときではないぞ、という戒めと受け止めるべきであろう。
一方、大敗した自民に再生の将来性はどこまで期待できるのか。読売、日経ともに「解党的出直し」の覚悟を求めている。この「解党的」の含意がはっきりしないが、自民党ではない新自民党、という意味なら、文字通り自民党を解党する以外に手はないだろう。
選挙運動中の自民候補の言動をテレビで観た限りの印象だが、時代感覚がずれすぎている。例えば、集まった聴衆に土下座している姿には、その卑屈さに失笑するほかなかった。また「守って下さい、助けて下さい」という哀願には「ここまで落ちたか」という以外に言葉を知らない。民主党若手候補の「歴史を動かそう、日本を変えよう」などと未来へのビジョンを語る姿勢との開きが大きすぎる。
自民の敗因は、長期間与党権力の座に安住し、自己鍛錬を怠ったゆえの人材枯渇(閣僚クラスがお粗末すぎる)、大衆増税と税金の無駄遣い、経済界との癒着(ゆちゃく)によるカネまみれ ― など構造的劣化というべきだろう。自民は民主に敗北したというよりも自滅したのだ。新政権を担う民主の面々も、この自民自滅に学ぶ必要があるだろう。「明日は我が身」を避けるためにも。
▽民主党新政権は市場原理主義路線を克服できるのか
自民惨敗の背景に市場原理主義(=新自由主義)路線があったことは否定できない。しかも自民の手で路線転換を図り、その災厄を繕(つくろ)う方策に着手するところまで進まなかった。それでは圧勝した民主はどうか。民主党新政権は果たしてこの市場原理主義路線とは無縁だと言い切れるのか、自公政権の悪しき遺産、市場原理主義から大きく転換できるのか、そこが気がかりである。
自民党のマニフェスト(政権公約)には市場原理主義路線と決別するという文言は見当たらなかったが、麻生太郎自民党総裁は選挙演説でこう述べた。
市場原理主義が世の中を席巻していた。結果として地域格差を生み、福祉にほころびが出た。行きすぎた市場原理主義とは決別する。最優先は景気対策 ― と。
「市場原理主義が世の中を席巻していた」という言い方は不適切である。自公政権が政策として席巻させていたのである。にもかかわらず天から降ってきた自然現象のような言い回しは無責任である。それにしても市場原理主義は自民にとって不利だと気付いたのだろう。反省の弁として「行きすぎた市場原理主義とは決別する」と演説して回った。ここで注意する必要があるのは「行きすぎた市場原理主義」という表現である。市場原理主義には正常な市場原理主義と行きすぎた市場原理主義の2種類があるという認識なのだろう。これもごまかしである。
市場原理主義は本来、行きすぎた政策路線である。米国主導の新自由主義=市場原理主義路線なるものは、1980年代初めの中曽根政権時代に日本に導入され、2001年に発足した小泉政権時代に本格化した。無慈悲な弱肉強食のすすめで、大企業、資産家を優遇する半面、自殺、失業、貧困、格差、不公平が広がり、特に自殺者は年間3万人の大台乗せとなり、今なお続いている。失業も悪化し、総務省(8月28日公表)によると、09年7月の完全失業者数は359万人(前年同月比103万人増で、増加数が初めて100万人を超えた)、完全失業率も5.7%と過去最悪を記録した。麻生氏が「行きすぎた市場原理主義とは決別」と言い訳をしながら全国遊説したが、時すでに遅すぎたのである。
さて民主党新政権はどうか。マニフェストには「市場原理主義は採用しない」とは一行も書いていない。率直に言えば、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の具体策(賛成できない典型例は高速道路の無料化)は盛り沢山だが、新政権を担うに足りる理念が不足している。マニフェストが強調している理念らしいところはつぎのようである。
・暮らしのための政治を
・国民の生活が第一
・ひとつひとつの生命を大切にする。他人の幸せを自分の幸せと感じられる社会。それが目指す友愛社会。
・税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが民主党の政権交代 ― と。
鳩山由紀夫・民主党代表が目指す友愛社会の実現を本気で志向するのであれば、市場原理主義とはきっぱり縁を切ることが不可欠とはいえないか。この一点こそが自公政権との質的差異を浮き彫りにするはずである。
(寸評、提案大歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなくて結構です。 なお記事をプリントする場合、「印刷の範囲」を指定して下さい)
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