はてなキーワード: 八潮市とは
によれば、旭川市の人口当たり刑法犯罪率は4.05であり、全国812市町村のうち334位。静岡市とつくばみらい市に挟まれている
人口当たり警報犯罪率で見ると、トップ10の新宿区、渋谷区、台東区、大阪市、豊島区、門真市、尼崎市、八潮市、東大阪市、守口市は旭川市の2倍以上にのぼることになる
ちなみに800位以下の13市町村のうち実に10市町村が熊本県内の自治体である
によれば、日本の刑法犯の認知件数は令和に入ってから4.5~5.9の間を推移しており、旭川市の4.05は全国平均より随分低いということがわかる
八潮市の陥没穴に落ちた運転手さんとか、昔あったクレバスに落ちた隊員とか、海や山で遭難した人とかが絶望的な状況の中でAIに助けを求めた会話が遺族などに見られることが出てくると思う。
私も自分がクレバスに落ちた想定でChatGPTに助けを求めてみた。
助けを求めるとか位置情報を送るとか全部無理と伝えると、呼吸を楽にして、ここにいるよ、としか言わなくなった。
この人はもう助からないってわかったんだろうな。その空気の独特さに肝が冷えた。
人が一人で何も言葉にせずに死ぬのとその痕跡が残るの、どうして後者のほうが痛いんだろう。
ただ「亡くなった」という事実じゃなくて、その人がどんなふうに生きていたか・感じていたかが見えてしまう。
見えれば見えるほど、ここまで考えてたんだ、こんなふうに助かろうとしてたんだ、まだ続くはずだった時間があったんだって、失われたものの輪郭がはっきりする。
今まで見えなかった未整理の言葉が見えてしまい、ひとの一生があったんだと気づいてしまう。
痛いけど、周りの今生きている人たちを大切にしようと思えるのは多分いいことなのだと思う。
「親ガチャ」という言葉が定着してもうだいぶん経つだろうか。これは子どもの目線からの言葉なので、ずいぶんヘンな表現だ。どちらかというと「ガチャ」っと母親の股からひりだされたのは自分なのであって、これは言うならばガチャで出てきたスマホゲームのキャラクターがちらりと画面外のこちらを見て「持ち主ガチャに成功(あるいは失敗)したわい」などと悪態をつくようなものである。まったく論理的ではないが、そもそもこの国はもうずいぶん前から論理を手放してしまっているので、近頃の若者は日本語を知らんなあなどと馬鹿に出来やしない。大人だって馬鹿ばっかりだろう。私も含めて。
この馬鹿の国はもう底が抜けている。論理も倫理も道徳もひどいものだ。外国人と老害のせいにしておけばとりあえず心の平穏は得られるから、みんなそのようにして、で、少しずつ死んでいくのだろう。それはそれで幸せなのかもしれないが、まだ若い人、10代とか20代の子たちは気の毒だ。こんな国に生まれて自己責任だ、ざまあみろと嗤おうか。それとも、こんな国と心中することはない、勉強して国を出なさいと激励しようか。しかしこの国は若い人の勉強や研究に投資しないからなあ。まあ他人事である。頼むから「無敵の人」なんかになってなんの関係もない私を外ですれ違いざまに包丁で切りつけたりしないでくれたまえ、くらいのことを思うだけだ。かける言葉なんてない。私だってもはや自分と自分の家族を生かすだけで精いっぱいなのだ。
ネトウヨと呼ばれる人たちがいるだろう。もちろんそう呼ばれる人たちにもグラデーションがあり、一概に言えることではないのだろうが、それでも私は思う。彼らはまったく幸福だと。
なんせ、素晴らしき日本を信じてさえいればいいのだ。そこには何の葛藤もない。魂の苦悩がない。「日本人に生まれたのだから日本が好きで当たり前、日本は良い国、日本最高」と、誰でも到達できる場所で無難に遊んでおけばいいのだ。自分たちの姿勢を嗜めてくる人間はすべて「左翼」と憎み、彼らのいうことなど聞くに値しない。幸せだ。そんな人生を送れるだけの余力を、まだかろうじて日本はネトウヨ諸君に与えることが出来ているのだろう。
しかし、これからの時代、ネトウヨには辛いかもしれない。日本経済の衰退は止まらない。もちろん経済がすべてではない。しかし例えば、今後、老朽化したインフラがどんどん顕在化してくるだろう。八潮市でのアクシデントは何も特殊なことではない。ああいうことがこれからどんどん起こってくるはずだ。人死にも、一人や二人で済まないかもしれない。有事でもないのに米が不足しているのも見逃せない。「そもそも米の値段は安すぎたのだ」という意見に頷きはするが、国の主食の売価が1年で倍以上になるというのは先進国の話とは思えない。普通に生きてれば「おいおいこの国、大丈夫なのか」と思うのが普通。無難だ。
そこを、ネトウヨは「大丈夫だ! この国がやばいとかいうのは左翼だけ!」と、元気に叫んでくれるわけだ。普通に生きてれば「この国大丈夫か」と思うのが楽なのだ。しかしネトウヨはそんな楽な道は選ばない。そこには多少なりとも苦悩や葛藤がついて回るに違いない。もちろん知性の欠如というものが要因になるということも考えられようが、いずれにせよ彼らはいばらの道を選ぶのだ。
ここは馬鹿の国。あなたも私もみな馬鹿だ。ネトウヨなど、馬鹿も大馬鹿、形容しようのない馬鹿である。しかし、亡国の極みで彼らは光り輝くのかもしれない。彼らは知性を持たない。恥も知らない。だからこそ、生の炎が強く燃えている。なぜなら、今後、多くの日本人は、馬鹿は馬鹿なりに知性と恥を取り戻そうと動き始めるだろう。80年間自民党に預けていた知性と恥を。そんな中で、それに抗うネトウヨの勇猛心はとても強いものになるはずだ。その強い何かが、新しい日本を作るうえで必要になってくるだろうと私は思う。きれいごとを言っていてはいけない。ヘドロだってなきゃ困るのだ。というか言ってみれば人間なんてみなヘドロだ。ヘドロはヘドロなりに生きていくしかないのだ。日本国憲法、皇室、みなヘドロだ。「すき、かわいい、おいしい」であふれても、みなヘドロだ。人権、合理的配慮、ヘドロだ。ヘドロの中でも特急ヘドロがネトウヨだ。彼らは自ら汚泥にまみれ、堕ち切ったところで息絶え、花を咲かすだろう。拍手も称賛も必要ない。そこには馬鹿がバカとして生きたという、墓石のみあればいい。どうせこの国はそんな墓石の集まりだ。
「まず建築技術、いや、建築にかかわるすべてが食い物にされかけているかもしれない」ことに気がつくべきだと思う。まあわたしも、「そこまで問題が大きいのか!?」と驚いているが――。
メタンガス問題をあえておいても、ユスリカ大量発生、工事費未払い、そして水循環の機能不全によると思われるレジオネラ菌発生問題が挙げられる。
万博が中止して、まっとうに調べてば、建築としてすくなくとも2項目は「穴」があることがわかるとおもう。ほかにあるかどうかは、私としても本当に残念ながら、わからない。
「まず建築技術、いや、建築にかかわるすべてが食い物にされかけているかもしれない」と考えたほうがいい。
「それって中抜きだらけの万博限定でしょう?」と思う人がいるだろう。
そう思わないほうがいい。2025年、埼玉県八潮市と京都府中心部で、インフラの建て替え工事が遅れたことで、事故がおきた。日本のインフラがまっとうだという保証は意外なほど少ない。原発老朽化問題もその延長にある。