はてなキーワード: 蓮舫とは
ドキュメンタリー映画「ブラックボックスダイアリー」での裁判資料利用の件を、(映画のことをよく知らないとした上で)上野千鶴子が、モラルと正義(ジャスティス)の衝突の問題と論評していたのが、興味深かった。
社会思想の研究者は、しばしば思想家になってしまって、自分の価値観でしかない己の思想を規範(の論理的帰結)と認識する。(まあ、そうじゃないと思想が自分にとって客観的存在にならないので、学問の対象にできない。)
だから映画公開の目的に対して「ジャスティス」という評価が出てくる。そうすると、他人から借りた裁判資料や録音の利用範囲についての私的合意(法律的には契約)の遵守はモラルになる。(ただし、報道での録音の公開に事前同意が必要かは知らない。)
思想や価値観を主観とみなす一般のマス層には、モラルと(法)正義の対象が逆になるので、認識のギャップが生じる。
話は飛ぶが、左派系の選挙運動(蓮舫のRシールとか、抗議活動での公道の占拠とか)が、マス層に忌避されるのは、この認識のギャップが理由。
もっと話は飛ぶが、中道の落選議員で左派でない人は、旧民主党左派と組むのは諦めて、一から新党を作る方がマス層にリーチしやすくなるので、彼らにとっての未来がある気がする。
自民党の圧勝となった今回の衆院選で、ユーチューブなどのネット動画はどこまで影響を及ぼしたのか。高市早苗首相が「ネット地盤」を得たと語る、報道ベンチャー・JX通信社代表取締役の米重克洋さんに話を聞いた。
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首相の支持理由には政策や人柄などの積極的な理由が多く、「高市政権の継続の是非」という、首相が意図した争点にはまった。
争点を有権者に効果的に広げる伝送媒体として、SNSやユーチューブなどのネット地盤が機能したことは否定しがたい。
――ユーチューブでは高市氏の動画が多く、内容も肯定的。なぜか。
ユーチューブの特徴として、保守寄りのイデオロギーを自己認識している視聴者が多く、首相にとってはネット地盤を育てやすい。自民よりも「高市早苗」を含んだ動画が多く、1人で自民を凌駕(りょうが)するようなコンテンツパワーを持っている。保守系やリフレ派のインフルエンサーによるサポートも合わせて、強力なネット地盤が形成されているのではないか。
マスコミ由来よりもネット由来の好感度が高いのも首相の特徴だ。また、SNSで得た情報を価値が高いものと評価し、マスメディアに敵対的になる「敵対的メディア認知」の傾向が、首相の支持層で強い。
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一方で自民の比例区の得票率は36・72%で、2005年の小泉純一郎元首相の郵政解散の38・18%よりも低い。にもかかわらず史上最多の議席となったのは、小選挙区で中道改革連合の支持層がまとまらなかったからだ。立憲民主党の支持層が溶解した影響は大きいだろう。
――ショート動画の仕組みとして、政治や政党に関心の薄い人にも動画が流れてくる。目に触れる機会が増えるほど、好感度などに影響するのでは。
高市首相への好意的な雰囲気の中で、切り抜き職人にとってはキャラクターを際立たせる動画をつくれば再生回数が増して収益が上がるため、好意的な動画が拡散するサイクルが生じている。逆に中道は高齢者側の政党だとみられており、ネット世論の風向きが悪く、切り抜き職人が稼ごうと思えば思うほど、イメージが悪くなる。スワイプすれば新しい動画が次々と出てくるショート動画は、単純接触効果を増幅しやすいだろう。
――こうしたネット地盤の動向は、実際の投票行動や選挙結果に影響するのか。
(05年の)小泉旋風はテレビを中心に、社会全体が雰囲気として共有していたが、高市首相への熱狂は共有されていない。ネット上でのパーソナルな情報体験であり、ミクロで熱狂を感じることは難しいからだろう。マクロで見ると定量的に首相のコンテンツはパワーを持っている。
オートロックの集合住宅が増えて有権者との接点が持ちにくい時代に、ネット空間の効果をわかりやすく示したのが、24年の東京都知事選での「石丸現象」だった。3位の蓮舫氏と2位の石丸伸二・前広島県安芸高田市長の得票を比較すると、石丸さんは都心部でリードしている。
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都市化、核家族化が進み、単身世帯が増えるにつれ、ネット地盤の影響力が増していく社会環境にある。
――動画広告のあり方も注目された。選挙の公平性の観点から課題はないのか。
メジャーになった政党のネット広告については、量的な規制らしい規制はないと言ってもいい。一方で戸別訪問の禁止やビラの枚数制限などの量的規制も残っていて、違和感はある。公職選挙法は規制しすぎでもあり、公平性が担保できるように全体に対して量的なキャップをはめるなどの規制のあり方を考えたほうがいいのではないか。
中道改革連合の新代表が小川淳也氏になったそうだ。さすがに驚いた。浅はかすぎる。この政党が、どこまで「民意」を理解していないかが明確になったといってよい。
わたしは反自民、反高市の人間である。高市氏が年頭解散を選択した時には自ら墓穴を掘ったと思い、この国の政治情勢が少しはマシになることを期待した。ところが、それからほどなくして立憲民主と公明が合同して中道なるものをつくったことを知り、期待は絶望へとかわった。100%負ける。そのとおり負けた。
わたしは、立憲民主党が大嫌いだった。今でも嫌いである。当然、中道も嫌いである。しかし、今回の選挙も、その前の選挙も、大嫌いだが「泣く泣く」立憲・中道に票を投じた。それが投票行動としていちばんマシだと思ったからだ。
まず、政策がない。からっぽである。コアな支持層は「国民目線」などというが、わたしはかれらがわたしと同じ目線でなにかを主張するのをきいたことがない。アンチは「親中」とか「左翼」だというが、それは買い被りだ。かれらにそんな一貫性はない。
かれらの一環した政策(?)は「自分たちが政権を担う」である。それ以外になにかあったならばおしえてほしい。
高市の「国論を二分する云々」発言をあげつらい、選挙は白紙委任ではないと叫ぶ。だが、「選挙で勝った政党の主張が民意である」というでたらめな主張を最初にしたのは旧民主党である。わたしは旧民主党に投票したし、事業仕分け自体には賛成だったが、事業仕分けにおける蓮舫氏の意見には大反対であった。あれをわたしの民意だというのか。今でも許せない。
つぎに、無策である。自民党に醜聞があると、追求するとかいって、「おまえは悪人だ、やめろ」というだけ。それでやめるような相手なら苦労しないんだよ。ちゃんと情報をあつめて悪事をより明確にし、きちんと論破して、やめざるを得ないようにおいつめるのが「追求」だろうが。やめさせる気なんかないのだ。毎日「追求」して、自分たちを強くみせ、自民党のイメージを悪くしようというだけのパフォーマンスだ。
そしてなにより、からっぽのくせに傲慢である。どうしたらこんなに傲慢でいられるのかというくらい傲慢である。その場でこしらえた自分たちの主張めいたものを「国民の声」という。ふざけるな。
かれらは「まっとうな常識をもった賢い人なら、自分たちに票を投じるのが当然だ」と思っている。思っているだけでなく、態度にあらわす。態度にあらわすだけではなく、安住なんかは口にも出す。理解しがたい。プレスにむかって他の政治家を呼び捨てにするとか、「まっとうな常識をもった賢い人」ならぜったいしない。指摘されても反省しない。自己正当化するだけである。
コアな支持者たちが、今回の選挙で中道が大敗した「理由」を考察している。選挙直後にいちばん多かったのは、「国民がバカだから」である。愚かな国民があやまった選択をした、この国はもうおわりだ、と。こんな傲慢な話があるだろうか? 自分たちにまちがったところはなかったというのだ。
かりに「まっとうな常識をもった賢い人なら、自分たちに票を投じるのが当然だ」としても、実際問題として高市氏は人気なのである。また、ひとつ前の衆院選だって、自民党のつぎにふるわなかったのは立憲である。自民は支持されてないから支持されるために体制をかえた。立憲はなにをしていた? 何もしていない。何もしなくていいと思っていたのだ。傲慢である。
選挙で勝つために必要なのは、支持を増やすことである。支持を増やすとは、いま自分を支持していない人が自分を支持するようにしむけるということだ。その正しいやりかたは、政策を吟味し、言葉を尽して説得することである。次善の策は人気とりである。高市は政策に自信がないから人気とりにはしった。それはよくないことだが、人気は大事だ。しょうがない。蓮舫氏だってある時期にはあれが人気だったのである。
かれらは、今回の選挙で、いや、これまでいちどでも、ちゃんと政策を訴えただろうか? 政策が弱ければ人気がでるように努力しただろうか? していない。傲慢だからだ。人気をあてこんだ蓮舫氏が都知事選で大敗したの経験しても、自分たちにはもはや人気がないと学習できなかったのだ。
かれらはいつだって、その場のおもいつきで適当なことをいう。以前と真逆なことをいったりする。自民党が白といったら黒という。ほんとに白いものだったとしても。無節操きわまりない。そして、その適当なことが「正しいにきまってる」という態度をとる。なぜ正しいのかは説明しない。人を説得する努力をしない。ただ、賛成しない人をバカにするだけだ。
「自分を支持しないやつはバカだ」というような人を支持する人がどこにいるだろう?
しかし、そんな傲慢なかれらも、どうも自分たちの支持がのびていない、このままでは自分たちに投票してくれる人がどんどん減るということには気付いていた。ふつうはそこで「自分たちが支持されるにはどうすればいいか」を考えるところなのだが、かれらはそれもしなかった。
かれらがやったのは「公明党をこちらにつければ、それまで自民に投じられていた票が自分らのほうに来るから逆転できるじゃん」という皮算用だけである。でも、そのためには候補者調整をしなきゃいけない。けどそんな時間がなかったので、とりあえず「比例上位はぜんぶあげるんで、選挙区はこっちにください」と、これ以上雑なやりかたはないというくらい雑なことをやった。どうしてそれでうまくいくと思ったんだろう?
かれらは、わかっていたのだ。自分たちがからっぽであることを。自らをたのみにすることができないから、連合と創価学会の組織票にたよったのである。国民に真摯にうったえるなにかを持っていないのだから、国民を説得することはできない。しょうがないから、発言の機会があれば批判と悪口をいうほかない。そして、からっぽであることを認めたくないから、国民を、社会を小馬鹿にしてみせる。
ライトな支持層は、それでがっかりしたんじゃないかと思う。せっかく応援してるのにがんばらない。この人たちはだめだと。一方で、コアな支持層はさすが名案! ともてはやした。しらないけど、朝日の世論調査がでるまでめちゃめちゃ自慢気だったから、きっとコアな支持層には受けてたんだろう。
どうしようもない政党、政治家たちである。それでも、それなのに、わたしは選挙区は元立憲の候補の名前を書き、比例は中道と書いた。ほんとうに、ほんとうにかれらに入れたくなかったけど、泣く泣く投票した。高市自民党の勢力を少しでも削ぐためには、それが最善だと思ったからだ。かれらを一切支持しないけど、確率的にいちばん死票になりにくいと思ったのだ。愚かであった。
なんだかんだで、投票行動という意味ではわたしは最後までかれらの支持者であった。正直、感謝してほしいくらいだ。いや、むしろわたしのような人間が、かれらををここまで傲慢にしてしまったのかもしれない。バカな国民はなんだかんだで自分たちに投票するんだ、と思わせてしまっただとしたら、かれらの傲慢はわたしの責任でもある。
いやいや、かれらは大人である。社会人である。傲慢になってはいけない、ということくらい、自分でわかるべきだ。
で、やっぱりわかってないのである。
小川淳也氏は、安住氏なんかよりはるかに傲慢な人間だ。かれのXは、自分が正しい、反対意見をいうやつはばかだというようなポストばっかりである。かれがバカにするポストのなかには、真剣に問いかけているものもある。でも、そんなのおかまいなしである。とにかく彼は自己正当化しかしない。そこで上手にあしらえば支持が増えるかもしれないのに。支持よりも自己正当化が大事。そんな人が新代表である。
なんにもわかってない。
わたしは今度こそ学習した。かれらは今後も決してかわることはない。だから、わたしは二度と中道や立憲に投票しない。国政選挙でも、地方選挙でも。もっとも、次の国政選挙のときまで中道や立憲が存続しているとはおもえないから、かりに投票したくても投票のしようがない。
「広告費で数億突っ込んだ説もあるが、とにかくXのタイムライン、YouTube、TikTok、どこを開いても高市の顔が出てくる状態を作り上げた。出口調査でSNS・動画を43%が参考にしたと出ている。中道の動画は最多で100万回。自民の1000分の1以下である。」
ここは説得力を感じる。他は正直印象論に見える。高市のひきつった笑顔がそんないいか?
「壊滅するべくして壊滅したとしか言いようがない。」
今回はそう、というか蓮舫敗戦、石丸斎藤の躍進を経ているのにyoutubeの影響力を全く考慮できてない。
けど、例え対策しても金をyoutubeやtiktokにぶちこんで票をもぎ取る時代が始まったように思える。自分でミスらなきゃ与党圧倒的有利の時代。そしてXなんて貧乏くさくてチマチマしたSNSの影響力は動画系に比べれば路傍の石。
百合子と蓮舫の一騎打ちだったはずなのに、蓋を開けてみれば蓮舫は石丸とかいう地方から出てきた謎の人物にすら負けたじゃないか。
あの時に辻元清美が「もう通用せえへんのかな」って反省してただろ。
でも結局、あれから何度もチャンスがあったのに、左派が全然反省しなかったから、今回の衆院選で自民党が大勝しただろ。
#蓮舫流行ってる とか #ママ戦争止めてくるわ とかのやつね。
タグ芸をやる人達は知らないだろうけど、タグ芸ってかなり賛否両論別れる行為だよ。
アイドルのファンダムがよくやるんだけど、タグ芸やりたい派とタグ芸はキモい派で常に喧嘩してる。
タグ芸は、推しがコロナになって大きい仕事に穴を開けてしまったときとか、MVの再生回数が何百万回いったときとか、所属事務所の創業者が地獄にいるのに現世でも死刑になったせいで仕事がなくなったときとか、そういう大きいトピックがあったときに発生しがちだ。
声のデカいオタクが「#〜 ってハッシュタグをつけて気持ちを推しに届けよう!」って言い出して拡散していく感じ。
一方でそういうタグ芸が同調圧力だったり、エモの押し付けっぽかったりとかして、タグ芸に批判的なオタクも結構いる。
ただ、タグ芸好きな人はタグ芸好きな人同士でつるむし、タグ芸嫌いな人はタグ芸嫌いな人同士でつるむ(というかタグ芸キショいという話題で愚痴垢が盛り上がる)から、両者が分かり合うことはない。
オタクのファンダムですらタグ芸ってかなり危険な手段なのに選挙でタグ芸なんかやったら、身内以外からどう見られるか。
一旦立ち止まって考えた方がいい。
普段タグ芸を叩いてるオタク達は左派のタグ芸を見ただけで引くだろうし、非オタの無党派層にだってタグ芸が響くかは怪しい。
政治は推し活じゃないって言うけどさ、もう手遅れで政治は既に推し活文化に取り込まれてるんだよ。
高市早苗の名前うちわも、大椿ゆうこの名前うちわも見かけたからな。
その中で立ち回りが上手かったのが自民党とそのファンダムだったという話。
自民党支持のけーぽペンとか、共産党支持のジャニオタとか、趣味と党派性が一致してないオタクもいない訳ではないが、好きな若手俳優が学会員だから自分も学会に入ろうとするオタクが出現したりもする(大方、二世信者に止められるが)。
また、自分自身もそんな熱狂の中にいることを時折省みるべきなのである。
そして、熱狂している自分というものが、他者からどう見えているかも考えてみるべき。
その「薄っすらキモい人」が発信している情報というのが、他者からどういう風に受け取られるかを、たまには立ち止まって考える必要がある。
流行ってると勘違いしてるのはそのコンテンツが好きな人同士だけで、界隈の外から見たら内輪で盛り上がってる変なコンテンツでしかない。
「○○気になってたけど変なファンが多いから近づくの止めた」と言われないように。
政権批判をするなとは言わないが「我々が述べているのは誹謗中傷ではなく真っ当な批判」という言い訳は、菊池風磨のアンチと同じことを言っていると気づいて欲しい。
ただでさえ悪口と批判の区別がつかない人が多い中でこんな言い訳をするなんて、高市さんのアンチだ!とレッテルを貼られても仕方がないのだ。
そして自分が熱狂しているコンテンツが流行っていないことを自覚し、謙虚に振る舞う。
正しさでだけでは、人は動かないのだから。