はてなキーワード: 永野護とは
AIが、戦争のない平和な世界が一番コスパがいいです、みたいに言ってくれれば、世界は良い方向に向かうと思うんだよね…😟
アホな人間の代議士先生が、アホな政策考えるよりも、AIの方が寧ろ人間性があるようにしたりもできるわけで、
あと、ドローン同士が戦争するようになって、戦場が完全に無人化、オートメーション化すれば、もう戦争の意味はなくなる、
ガンダムファイトとか、メダロットとか、プラレスみたいに、国家の覇権を賭けた娯楽が始まると思うんだよね…😟
永野護はああいう人だからああ言ってるけど、自分は今の漫画やアニメや音楽なんて、所詮何かの焼き直しというか、
温故知新、その点は庵野氏に賛成というか、所詮俺たちは過去の偉大な何かのコピー、オマージュ、パロディでしかないし、
その過去の偉大な何かも、更にその過去の偉大な何かの模倣であって、
AIはその集大成を成し遂げるだろうし、永野氏は今のAIで語ってるけど、これからシンギュラリティ的な方向性はありうるわけで、
そうなれば、今度はAIが人間が生み出せなかった新しいものを生み出す、人間よりも創造性がある存在になるわけで、
今は、どっかで見たような巨大ロボを描いて、ってプロンプトに書いてるわけだけど、
そのうち、これまでに見たことないようなロボットを描いて、もできうるようになると思うんだよね、
やっぱり、永野護も、ある意味、AIに否定的な側なんだなあ、と思ってみたりして、
自分としては、士郎正宗寄りなんだよね、フチコマみたいなちょっとマヌケなAI達と会議したり、
協力し合って、これまでに人間のみで解決できなかったことを解決したい…😟
AIに支配されるわけでもなく、AIを道具にするわけでもない、AIと一緒に作業して、困難に立ち向かって、
そういう前向きなテクノロジー楽観主義、テクノロジー右派が士郎正宗、だったんだよなあ…😟
ただしある程度の規模を維持できている限りは、という条件はつく。
ということだから焼畑農業的な炎上商法の一種(本人が自覚的にやってるのかどうかはともかくとして)であることには変わりがない。
なんつーか、どんだけ偉大なアニメ監督でも自分の頭の中のイメージからだけで創作物を作り続けることなんて出来ない。
昭和時代からの生き残りである宮崎駿とか富野由悠季とかを見ていても、それはわかる。
富野監督なんて、ガンダム、イデオン、ザブングル、ダンバインと、毎年のようにアニメを作っていたが、はやくもダンバインの段階で、自分の中のアイデアはもうこれで終わり枯渇した、
自分の中の頭の中のものは出し尽くした、というようなことで、ダンバインの次のエルガイムを作るときは、永野護というサンライズの新人が頭の中に抱え込んでいた創作のイメージを絞り出させて、自らのオリジナルアニメとしてつくってるくらいである。
大雑把に言って創作者にとって、やりたいこと、というのは割と創作の初期段階で尽きてしまうものなのだ。
だから、みんな必死に勉強して、自分の頭の中の耕して種まきして、なんとか実を結ぶもんが出てこないもんか?と必死になる。
宮崎駿みたいな、原作が会っても原作を無視して映画を作ってるような人でさえ、なぜ原作が必要なのかと言えば、もうイメージが枯渇してしまってるからなんだと思う。
とここまでイメージと書いてきたが、ちょっと適切な単語ではないと思う。
ここでいうイメージというのは、自分の中に抱えてる世界とか、物語とか、そういう創作の種みたなもののこと言ってるんだと思って欲しい。
だから、どっかから原作を持ってこないと宮崎も映画が作れない。
最新作の君たちはどう生きるか?にしたって海外の小説が原作となっている。
(というか、あれ原作として使ってるのにクレジットも金も払ってないのはどういうことなんだ?)
つまりだ。
細田守だって、もうとっくにイメージなんてないんだから、どっかから持って来い。
というか、生来細田守に欠けているのは、そのイメージなんだと思う。
だからそもそもTVアニメとしてしっかりとした土台、イメージがあるデジモンとかをやらせるとものすごく成功するのだ。
どれだけ原作とかけ離れているとしても、そのイメージの土台があるからこそ、ある程度のものが出来上がるんだ。
細田にかけているのは脚本力なんかではない(それは結果論なのだ)。
彼の中には、彼の中で抱えている、イメージ、訴えかけたいこと、「俺はいまこういう物語を抱え込んでいるんだけど君たちそれをどういうふうに思う?」という創作者という名の語り部として欠かせないある種の資質が決定的にないのだ。
おそらくは宮崎と鈴木が細田をジブリに入れなかった理由(わけ)もそのへんに転がっているのだろうが、その真意はよくわからない。
いいよね、ダンバイン…😟
子供の頃は部活動と習い事があったので、ダンバイン、エルガイム、Zガンダムをあまり見た記憶がないのだけど、
エルガイムは途中から富野監督が永野護に投げちゃうんで、段々酷くなっていって、あのオチ…😟
最近、ザブングルもYouTubeでやってるのを観てるけど、子供の頃にはこれの良さが分からなかった
今はキングゲイナーがあるから、ザブングルもなんか色々似てるところがある
というか、キンゲもいいよなあ…😟
ザブングルは第一話から、なんかごちゃごちゃしてる印象があって、段々話がスッキリしていくみたいな…
本当に良かった、
これを見れたのが、
最も価値のあることだった、
と同時にファイブスター物語という漫画を長期連載されているので、
数はそれほど多くないのかもしれませんが、
これによって私達はGTMの起動音だとか動きを映像で確認出来ます。
それらの業績が永野護デザイン展ではわかりやすく展示されています。
それよりも予想していなったこと。
最も衝撃を受けたこと。
これこそが永野護デザイン展では見るべきものとして最も価値のあるものだと私は思います。
毎回、漫画そのものはもちろん、その表紙絵を楽しみしている方々も数多いはずです。
私もその一人です。
表紙絵だけをじっと見ます。
気に入った表紙絵は飾りますし、何度も見返してきました。
先に言っておきますとその凄さを説明する語彙は私にはありません。
でもスゴイんです!!!!!
本当に、あのホンモノを眼の前にしたときの感動は言葉に出来ないんです!!!!!
図版だとかテレビとかそういうもので見てもホンモノ凄さはわからないんだ、
というような話を子供の頃に聞きました。
「ふーーん」とか聞き流していましたが
まあ、確かにホンモノはスゴイよね、なんてことを思ったりもしました。
その、幾千億倍もの衝撃を私は実際に永野護デザイン展での展示を見たときに受けたのです。
あの見慣れていたはずの表紙絵の数々。
あああああああああああああ
ホンモノは
こういうことだったのか
涙、涙が本当に出ました
それほど
いままで伝わっていなかったものが
一度に私の中に流れ込んできたのです。
伝わらないんだよ、ホンモノの良さは。
あんまりね感動したものんだから、複製原画みたいなの売ってるでしょ?
もう買って帰ろうかな?とか思ったりしたんですよ本気で。
もう、この場所には一生いれるわ、というか居たい。
でもね、駄目なんです。商売の邪魔みたいなこと書いてもすいませんなんですけど
違うんですよ、ホンモノとは。
全然伝わってこない。複製じゃ駄目なんです。
と、私は感じました。
もちろん違う、感想を抱く人たちも多いでしょう。
でも、私はこう感じました。
あれは芸術です。
今までも、それほど多くはありませんが芸術を見てショックを受けた経験あります。
それと同じ体験です。
ただ、これは私にとってということで、私と同じ体験を全部の人がするとは言えません。
オレの大好きだった黒騎士バッシュが黒っぽい土偶な何かに生まれ変わったときオレの心は人知れず哭いていた。
オレにも
そんなときもありました。
でも、神様、仏様、ボークス様が黒っぽい土偶ことダッカス・ザ・ブラックナイトを立体化してくれて理解できました。
わかってないのはオレの方だった。
立体化されて始めて黒い土偶のデザインが神であることを理解できました。
そのことにようやく気づけました。
というか、そもそものFSSの楽しみ方としての基本は副読本(デザイン図)を熟読した上で本編を参考資料として読むという逆転な発想が必要なことを無視したのが始まりでした。
永野護は神です。
永野護は神なのです。
書きかけの増田なんだけれど、たぶん書き上げないだろうからそのまま投稿する
供養
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世界初のOVA「ダロス」をリアルタイムで見た、おじい増田だ。
その頃はまだ生きていた兄と一緒にグゴゴゴゴカガガガガ!!!すげええぞこのアニメ!!!薬莢が!!!階段を!!!川の流れのようだ!!!と感動したのを昨日のように思い出す。
そのOVA「ダロス」の基本ストーリーは、月の開拓民3世のレジスタンス達(テロリストとも言う)が地球の支配に対して反旗を翻し武装闘争を繰り広げるというものだ(初代ガンダムブームの余韻燻る時代だからこういう企画が通りやすい時代だったんですね)。
さて、ここからが本題。
このアニメの中で登場するメカのネーミングで兄と言い合いになった。
月の公安警察が使用する空を飛ぶパトカー(ブレードランナーの空飛ぶ車みたいなの)で下からフラミンゴみたいな足がニョッキリと出てきて
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「お互い歳をとったなあ。」
映画館にいる面々を見て、まずはそう思った。
年齢層が高いな、と思ったが
それよりも何よりも若いファン層を獲得するために様々な努力をエヴァしてきたんだろうなということをあらためて認識した。
全く成功していないのだ。
女性客も少なくはないのは
この映画は言うまでもなく
以前、マンガ夜話でも取り上げられていたが
そのこだわりがページを埋め尽くさんばかり
そういった音を実際に耳で体感できるのだ。
騎士が飛ぶように走る様子、
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・見てて恥ずかしくなる映画
・音を聞きに行く映画
・最後の恥ずかしい声優紹介も含めてニュータイプコミックを映像として再現するとこうなる
・最後の少し、えっ?と感じるところまで含めて
・メディア化しない理由というのを色々と理屈付けしてるがただ単にメディア化したくないからメディア化しないというのが真相だろう。
こういう作家の意図的なマイナー思考をどうやって無理くりに変化させるかがプロデューサーの仕事だとおも
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