2021/10/12
きままにお出かけ 2
桜島に行ってきました
昨日のツーリングとは前後してしまいますが、
先日、パソコンが壊れたとき、腰が痛くて畑にも行けないし、ツーリングにもいけないし、パソコンがないと株式市場も見れないし、ブログの更新もできないし、何もすることがなくなったので、
ほとんど衝動的に、大隅半島への小さな旅をしてきました。
最初は、「JAXA内之浦宇宙空間観測所」を見て、
ついでに、大隅半島の最南端で九州の最南端でもある佐多岬にも行くつもりでした。
鹿児島には何度か行ったことがありますが、
いずれも知覧とか指宿とか薩摩半島方面ばかりだったので、
一度は大隅半島方面にも行ってみたいと思っていたのです。
綿密な計画は立てず、一泊の着替えだけバッグに入れて、10月6日朝、軽自動車ダイハツキャストアクティバを駆って九州自動車道に乗り込みました。
九州自動車道をただひたすら南に下り、たばこで有名な国分インターチェンジで高速を降りて、
あとは、国道220号線を南下しました。
桜島がだんだん大きく近づいてきて、ちょうど正午頃、道の駅「たるみず湯っ足り館」に着き、
ここのレストランで昼食をとりました。
上の写真は、ここから桜島を撮ったものです。
昼食をとった後、ガソリンを補給して、さらに南下すると、道の駅「たるみずはまびり」に着き、すぐそばに「HOTEL AZ」があったので今夜の宿泊の予約を取りました。
そこで、夕方までに行って帰れるところを探し、まず、「鹿屋航空資料館」に行きました。
海上自衛隊の隣接地に立てられた資料館でした。
資料館の外には、古い飛行機の実物が数多く陳列されていました。
資料館の中には、太平洋戦争で散った多くの特攻隊員の写真や遺稿等が展示されていました。
特攻の基地としては知覧にある「知覧特攻平和会館」が有名ですが、錦江湾を隔てた大隅半島側にもあったんですね。
なるほど、明治維新のときは薩英戦争があったし、第二次世界大戦のときは特攻の基地があった。江戸時代以前は沖縄を通じて、中国と貿易をしていた。鹿児島というところは、日本が諸外国と接する最前線の場所なんだということを改めて感じました。
「鹿屋航空資料館」から車で5分くらいのところに、「神徳稲荷神社」があります。
この神社が珍しいのは、鳥居がガラスでできていることです。
鳥居をガラスで作るなんて発想が奇抜ですよね。
途中の山の中に「鹿屋体育大学」があるのを見つけました。
こんな田舎の山の中で修行僧のように勉学に励まれる学生さんに頭の下がる思いがしました。
「HOTEL AZ」には、まだ明るいうちに帰ることができました。
窓の外を眺めると、絵に描いたような桜島の姿が見えました。
桜島を眺めていると、携帯電話にアプライドから「注文していたパソコンが完成した」という連絡がありました。
さて、明日は「JAXA内之浦宇宙空間観測所」に行き、さらに佐多岬を回って、熊本に帰る予定でいましたが、そうすると、明日中にパソコンを取りに行く時間がなくなりそうです。
そこで、急遽、予定を変更して、明日は目の前で煙を噴いている桜島をじっくり見て帰ることにしました。
桜島は大隅半島側から車で行くことができます。
島に渡って半周したくらいのところに、山に登る道路ががあり、
標高373メートルの地点に「湯之平展望所」があります。
午前7時半にホテルを出て、ここに着いたのは、まだ8時半くらいだったので、頂上を見ると朝日がまぶしい状態でした。
人は誰もいませんでした。こんなに朝早くから桜島に上って来る人なんていないんですね。
山の反対側に目をやると、鹿児島の街が見えます。
フェリーが片道15分で一日に何度も往復しているようです。
ちょうど往きのフェリーと復りのフェリーがすれ違っているところでした。
活動の盛んな火山が大きな都市のすぐ近くにあるのは世界でも珍しいそうです。
「湯之平展望所」を下って、さらに島を半周して東側に来ると、「黒神埋没鳥居」があります。
大正13年の大噴火で火山灰に埋まり、鳥居の上部のみが地上に顔を出しています。
埋没鳥居を見て、島の出口に向かう途中、大きな赤い鳥居を見つけたので、
車を止めて写真に撮りました。
このような鳥居を見ると、山折哲雄が語っていた、人の魂はすべて山に還っていくのだという
縄文時代から日本人の心に刻まれている山岳信仰のことが思い出されます。
桜島を出ると、後はひたすら北上し、九州自動車道のサービスエリアにあるレストランで昼食をとり、昼過ぎにアプライドに到着して、完成したパソコンを受け取って家に帰りました。
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