経済グローバル化への果たし状
安原和雄
ローカリゼーション(地域第一主義)という名の新しい挑戦が日本を含めて世界中で台頭し、広がりつつある。これは経済のグローバル化(世界化)への対抗軸として、グローバル化が生み出す弊害を克服するために市民たちが突きつけた果たし状ともいえる。ローカリゼーションが目指すものは何か。その実践はどこまで進んでいるのか。リーダー役を果たしている2人の女性活動家の見方、主張、実践を追った。これは「世界を壊していくグローバル化」(07年12月13日掲載)の続編である。(07年12月20日掲載、同月21日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
まず女性活動家、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん(注)が東京で行った講演のうちローカリゼーションに関する内容(要旨)を紹介する。(ヘレナさんほか著『ローカリゼーションの胎動と私たちの実践』=編集 懐かしい未来ネットワーク、発行 NPO法人 開発と未来工房、07年11月刊=参照)。
(注)ヘレナさんはスウェーデン生まれの言語学者。ISEC(エコロジーと文化のための国際協会、本部イギリス)の代表。グローバリゼーションに対する批判的な問題提起や啓発活動を行っている、世界的なオピニオンリーダーの一人。
▽地元産の食べ物を食べよう!― その多くの利点
経済を地域レベルにシフトしていくことを目ざすローカリゼーション(localization)は、さまざまな地域でさまざまな取組が始まっている。その担い手は政府ではなく、普通の市井の人たちで、特に意義深く重要な動きは、ローカル・フード・ムーブメント(local food movement)、つまり地元の食材を使って地元産の食べ物を食べよう、という運動である。
わたしが関わっている組織ISEC(注)は、15年前の立ち上げ当初からローカル・フード・ムーブメントを展開、1997年から2000年の間に、農家がつくったものを持ち寄って販売するファーマーズ・マーケットが400カ所で開設された。
(注)ISEC(The International Society for Ecology and Culture=エコロジーと文化のための国際協会)は、グローバルな消費文化から生物学的・文化的多様性を守り、地域に根ざしたオルタナティブ(もう一つの選択肢)を推進することを目的としている。ラダック(インド最北部のヒマラヤ山岳地帯にあるチベット文化圏地域の呼称)での長年に及ぶ活動のほか、イギリスを拠点にして、地場農産物を奨励し、小農を守ったり、コミュニティを再興するための啓発活動などを行っている。アメリカとドイツに支部がある。
また学校の校庭に食べられる植物を植えて、子どもたちにその育て方を教え、子どもたちとそれを育てる喜び、調理し、食べる喜びを分かち合う、いわゆる食育運動もある。あるいは地元でつくられたものを地元の店で売る。
生産者と消費者の間の提携もある。消費者が農家と1年契約を結び、そのお金を活かして、1年間かけてきちんと作物の計画を立て、多様な作物がつくられるようにすれば有機的な農業もしやすくなる。作物の種類が多いほど、農薬が必要なくなる。これによって農家にとってもより高い収益が確保できる。
以上のローカル・フード運動には多くのメリット(利点)がある。ものを運ぶ距離を短くして、輸送コストを極端に減らすことができること、石油をはじめとする稀少な資源をできるだけ使わないで済むこと、輸送にかかるエネルギー消費は地球温暖化の大きな原因であるが、これを減らすことができて、温暖化防止にもつながる。
さらに(地域を重視するため)地元のものに対する尊敬の念を取り戻させてくれること、例えば食べ物に限らず、地域の環境や文化に対する敬意を、そこで暮らす人たちが取り戻すことができて、生活に臨む態度が変わっていく。
▽分散型、再生可能なエネルギーと暮らし
中央集中型ではなく、分散型の再生可能なエネルギーの推進も非常に重要なことである。持続可能な経済を支えるためには、再生可能なエネルギーは欠かせない。
現代社会では私たちは企業からの強いプロパガンダ(宣伝)にさらされている。例えば人口の爆発的増加の世界ではその人口を養うために、大量の農薬や肥料は不可欠であり、ローカル化ではそれだけの多くの人口は絶対に養えない、と。
しかし私は全く逆だと思っている。モノカルチャー(広大な土地に単一の作物を栽培すること)で同じ作物をいっせいに育てるよりも、多種類の作物を少しずつ育てた方が、面積当たりの生産量は多くなる。だからより多くの人たちが農的な暮らしをし、より小さな農場で多様な植物をつくる方が、全体として生産量はずっと多くなる。
また現在のエネルギー事情の中で今後生き延びるためには原子力は不可欠だと常に聞かされている。しかしそれもまやかしだと私は思う。地域に根ざした生活、経済であれば、その地域に根ざした持続可能な分散型エネルギーで十分やっていけるはずである。
〈安原のコメント〉ローカリゼーションこそ未来性に富む
ここでの持続可能な分散型の再生可能エネルギーとは何を指しているのか。ヘレナさんは十分な説明をしていない。ヘレナさんほか著『ローカリゼーションの胎動と私たちの実践』のあとがきで著者の一人、鎌田陽司さん(NPO法人・開発と未来工房代表理事)はつぎのように書いている。
「エネルギーに関しては脱石油に向かう、地域のバイオマス(生物資源)、風力、小水力、地熱などの自然エネルギーの活用。それを可能にする地縁技術、適正技術。電気を使わない非電化製品」と。
グローバル化が中央集中型で、再生不可能な大量の石油と原子力エネルギー依存型であるのに対し、ローカリゼーションは地域分散型で再生可能な自然エネルギーを重視する。ここが両者の質的違いをくっきり分けている。いいかえればグローバル化が持続不可能で未来性を欠いているのに比べ、ローカリゼーションは持続可能で未来性に富んでいる。
▽日本版ローカリゼーション ― 地域内資源循環と自給
つぎに講演会でのコメンテーター、中島恵理さん(注)の発言内容(要旨)を以下に紹介する。
(注)環境省民間活動支援室・環境教育推進室長補佐。サスティナブル・コミュニティ研究所理事、里山ネットワークアドバイザーなど。自身も八ケ岳山麓で農のある暮らしを実践。著書に『英国の持続可能な地域づくり:パートナーシップとローカリゼーション』など
ローカリゼーション(localization)の日本語訳は「地域内資源循環」という感じで、ここでの資源にはモノだけでなく、人も含まれる。人やモノや、智恵やお金や、社会を構成する重要なものが地域の中で活用されて循環してネットワークして活かされていく、これがとても大切なことと思う。具体的にローカリゼーションを進めていく上で一番重要なのは、生きるために必要な食べ物、水、エネルギーなど基本的なものを出来る限り自給していくことではないか。
ローカル・フードは日本語でいえば「地産池消」で、このローカル・フードなどを通じ、有機物の資源循環を基本として、エネルギーは自然エネルギーを使う。これを地域の仕組みとして進めていくためにコミュニティ・レストラン、コミュニティ・カフェ、コミュニティ・トランスポート(住民の短・中距離移動のためのコミュニティバスなどの交通機関)さらにコミュニティ・コンポスト(生ごみなどを発酵させてつくった堆肥=たいひ)などの活動が日本各地にある。
海外に出て感じるのは、グローバリゼーションが世界的に広がっているが、それと同じくらいの勢いでローカリゼーションを進めていこうとする動きが日本、イギリス、インド、アフリカ、アメリカでも起こっていることである。そういう実態を目にすることで、ローカリゼーションの必要性や重要性を、わたしは強く認識するに至った。
中島さんは以下の4地域の事例を報告しているが、内容は割愛する。
*「生ゴミの地産池消」=埼玉県小川町
*「地域通貨と自然エネルギー」=滋賀県野洲市
*「障害者たちのローカリゼーション」=青森県八戸市
*「ゴミ回収で商店街の活性化」=東京・新宿区早稲田
▽ローカリゼーションは対抗軸になり得るか―聴衆との質疑応答から
ローカリゼーションのあり方、進め方をめぐってヘレナさん、中島さんと聴衆との間で交わされた質疑応答の一部を以下に紹介する。
(1)失業者が増えないか?
〈問い〉グローバル経済の中で仕事をしている人もいる。だからローカリゼーションを進めると、それによって失業者が増える可能性はないのか。増えるとしたら、ローカリゼーションを進める上でブレーキになるのではないか?
〈答え〉
ヘレナさん:地球規模での貿易の規制緩和が進められていくことで、企業が合併して、2つの企業が1つになる。この過程で必ず雇用が減る。だからこの企業合併へ向かう誘因をローカリゼーションによって変え、逆に企業を分ける方向に進めていく必要がある。これを進めていけば、労働力、資本、資源とのバランスがとれるところに辿りつくのではないか。
中島さん:わたし自身の経験では、夫は有機農業をやり、また地元の木材を使って家を建てている。それを金銭で評価すれば少ないが、自らの手で健康によい食材をつくり、また自分の技術を身につけながら家をつくる。そういう形の幸せな生活とローカリゼーションが結びつく。いまのGDP(国内総生産)や金銭のモノサシだけでは、厳しく見えるかもしれないが、広い視点で評価すれば、ローカル化した社会の方が幸せな暮らしへと行き着くのではないか。
〈安原のコメント〉成長主義、拝金主義を克服できるか
失業はどうなるか?という疑問は重要である。これに答えるのは簡単ではないが、ヘレナさんの答えはそれなりに納得できるのではないか。
一方、中島さんの「GDP、金銭のモノサシ・・・」という話は経済成長主義、拝金主義をどう克服するか、という問いかけと理解したい。
小泉政権以降顕著になった新自由主義=市場原理主義にもとづく「弱肉強食の競争」を軸とするいわゆる構造改革が何をもたらしているか。一つの具体例として景気の回復・上昇は大企業や資産家には恩恵をもたらすが、一般サラリーマンは仲間外れになっている。これが著しい格差拡大、不平等の背景であり、成長主義、拝金主義の追求は今や幻想と化している。にもかかわらずまだ人々は成長主義、拝金主義に夢を託す執着を断ち切れない。この執着を振り払わなければ、ローカリゼーションの未来は見えてこないのだろう。
(2)乗りこえるための力は?
〈問い〉政府のほか、WTO(世界貿易機関)など国際機関が進める経済グローバル化の圧倒的な力がある中で、ローカリゼーションが対抗軸として本当にそれを乗りこえる力になり得るのか。乗りこえていくためには何が必要になるのか?
〈答え〉
ヘレナさん:グローバリゼーションを進めていくと、職を失うかもしれない、職を変えないといけない、あるいは家族と離れて暮らさなければいけないかもしれない。そういう不安定な状態がグローバリゼーションには必然的に伴う。
グローバリゼーションの推進者は実はひと握りの人たちで、圧倒的大多数の人たちは、利益を受けると聞かされてはいるものの、実際には失うものの方が大きい。
例えばアメリカでは25年前に比べると、1年間で1か月分も長時間働くようになっている。わたしの母国スウェーデンでも、社会的な福祉が崩壊しつつあり、より長い時間働かなければならず、その結果、子どもと過ごす時間や自然の中で過ごす時間、さらに瞑想したり、生活を楽しむ時間がなくなってきている。
このように圧倒的多数の人たちが、グローバリゼーションでさまざまなものを失っている現実をまず明確にすること、そういう気づきを広めていくとともに、システムとしてもうひとつ別の選択肢があることを広めていく必要がある。
中島さん:日本でも地域起こしや商店街活性化や、ローカリゼーションを意識しないまま、結果的にローカリゼーションの取組をしている動きは沢山ある。ただしそれぞれの動きがネットワークされていない。イギリスの取組の方がネットワークされている点が大きな違いである。日本のひとつひとつは小さな取組でも、ネットワークを結ぶことで大きな発言力を持っていく。さらに世界中とネットワークを築いていくことで、世界を変えていくこともできるのではないか。
〈安原のコメント〉失うものを取り戻すことができるか
大多数の者にはグローバル化で失うものが多い、という事実に気づくことがまず大事である。失業による収入減だけではない。家族と離れて暮らさざるを得ないこと、長時間労働に伴う「時間のゆとり」の減少、子どもと過ごしたり、自然の中で過ごしたりする時間がないこと、(ヘレナさんによると)瞑想する時間がなくなること―など数え切れない。日本ではこれに自殺、過労死などが追加される。要するにゆとりと人間性の喪失である。
私は「ゆとり」にはつぎの5つのタイプがあると考えている。グローバル化はこれらのゆとりを壊しており、ローカリゼーションの中にこそゆとりを取り戻すことができる。しかもこのゆとりには、市場でお金と交換して入手できる貨幣価値(=市場価値)よりもお金では入手することのできない非貨幣価値(=非市場価値)の方が多い。
①所得のゆとり(貨幣価値)=生存権を保障できるだけの所得面の余裕
②空間のゆとり(貨幣価値と非貨幣価値)=社会資本による公共空間、街並みの美しさ、職場空間などの確保
③環境のゆとり(非貨幣価値)=生命共同体としての地球環境の保全(地球温暖化防止など)、循環型社会の構築とその維持・保全など
④時間のゆとり(非貨幣価値)=労働時間の大幅な短縮によるゆったりした自由時間の確保
⑤精神のゆとり(非貨幣価値)=ローカリゼーションを考え、実践するだけの心の余裕と意欲、利他主義の実践、個性の尊重、絆(きずな)の復活など
(3)企業、政府との協力はどうするか?
〈問い〉企業の側も意識が高まって、CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)やSRI(Socially Responsible Investment=社会的責任投資)などの動きが出ている。企業とはどのように協力していったらいいか。またローカリゼーションを進めていく上で政府とのパートナーシップ(協力関係)はいかにあるべきか?
〈答え〉
ヘレナさん:優先順位をつければ、まず地元のコミュニティグル-プ同士の協力、次がNGO(非政府組織)同士の協力を地域レベル、国レベル、国際レベルでやっていく。その次に自治体政府との協力が挙げられる。多国籍企業との協力は、いまのところ成功していないと思う。可能性としては企業との協力もあり得るが、その協力を意味あるものにするためには私たちの側により明確なビジョンがなければならない。
その明確なビジョンも急速に広まりつつあり、ローカリゼーション運動も急速に成長しているから、政府や大企業とのコラボレーション(協働)も、数年後には実現しているかもしれない。
中島さん:実はわたしは(環境省で)民間活動を支援していくために企業、行政、NGOとのパートナーシップを推進する仕事をしている。環境省は東京・青山の国連大学に地球環境パートナーシッププラザ(注)を設けている。
ここでは地域の資源や眠っているお宝を発掘して、コミュニティ・ビジネスやコミュニティ・ガーデン(里山、市民農園など)の具体的な活動とつなげていく。それも単なるボランティアではなく、雇用もつくって経済的価値も生み出しつつ、地域の社会・環境問題を解決できるような手段・方法を開拓したいと思っている。
(注)環境省、国連大学とNPO(非営利組織)などの民間スタッフが共同で運営する団体。持続可能な社会を目指し、参加による課題解決の仕組みづくり、そうした現場で活動する人たちを育てることを目的に設立された。
〈安原のコメント〉協力関係をどうつくっていくか
パートナーシップ(協力関係)、コラボレーション(協働)など表現はさまざまだが、要は人間同士、人間と企業、政府を含む組織との協力関係をどうつくっていくかが課題である。
グローバル化はこの相互の関係を断ち切った。企業は利益第一に走り、質問者が指摘しているCSRやSRIへの取組はまだ不十分である。政府は大企業の支援者となり、一方、個人それぞれは弱肉強食の競争を強いられて、乾いた砂粒のような存在となっている。お互いの協力関係を取り戻すにはグローバル化を批判し、ローカリゼーションへの視点に立って出直すほかないだろう。
(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
安原和雄
ローカリゼーション(地域第一主義)という名の新しい挑戦が日本を含めて世界中で台頭し、広がりつつある。これは経済のグローバル化(世界化)への対抗軸として、グローバル化が生み出す弊害を克服するために市民たちが突きつけた果たし状ともいえる。ローカリゼーションが目指すものは何か。その実践はどこまで進んでいるのか。リーダー役を果たしている2人の女性活動家の見方、主張、実践を追った。これは「世界を壊していくグローバル化」(07年12月13日掲載)の続編である。(07年12月20日掲載、同月21日インターネット新聞「日刊ベリタ」に転載)
まず女性活動家、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん(注)が東京で行った講演のうちローカリゼーションに関する内容(要旨)を紹介する。(ヘレナさんほか著『ローカリゼーションの胎動と私たちの実践』=編集 懐かしい未来ネットワーク、発行 NPO法人 開発と未来工房、07年11月刊=参照)。
(注)ヘレナさんはスウェーデン生まれの言語学者。ISEC(エコロジーと文化のための国際協会、本部イギリス)の代表。グローバリゼーションに対する批判的な問題提起や啓発活動を行っている、世界的なオピニオンリーダーの一人。
▽地元産の食べ物を食べよう!― その多くの利点
経済を地域レベルにシフトしていくことを目ざすローカリゼーション(localization)は、さまざまな地域でさまざまな取組が始まっている。その担い手は政府ではなく、普通の市井の人たちで、特に意義深く重要な動きは、ローカル・フード・ムーブメント(local food movement)、つまり地元の食材を使って地元産の食べ物を食べよう、という運動である。
わたしが関わっている組織ISEC(注)は、15年前の立ち上げ当初からローカル・フード・ムーブメントを展開、1997年から2000年の間に、農家がつくったものを持ち寄って販売するファーマーズ・マーケットが400カ所で開設された。
(注)ISEC(The International Society for Ecology and Culture=エコロジーと文化のための国際協会)は、グローバルな消費文化から生物学的・文化的多様性を守り、地域に根ざしたオルタナティブ(もう一つの選択肢)を推進することを目的としている。ラダック(インド最北部のヒマラヤ山岳地帯にあるチベット文化圏地域の呼称)での長年に及ぶ活動のほか、イギリスを拠点にして、地場農産物を奨励し、小農を守ったり、コミュニティを再興するための啓発活動などを行っている。アメリカとドイツに支部がある。
また学校の校庭に食べられる植物を植えて、子どもたちにその育て方を教え、子どもたちとそれを育てる喜び、調理し、食べる喜びを分かち合う、いわゆる食育運動もある。あるいは地元でつくられたものを地元の店で売る。
生産者と消費者の間の提携もある。消費者が農家と1年契約を結び、そのお金を活かして、1年間かけてきちんと作物の計画を立て、多様な作物がつくられるようにすれば有機的な農業もしやすくなる。作物の種類が多いほど、農薬が必要なくなる。これによって農家にとってもより高い収益が確保できる。
以上のローカル・フード運動には多くのメリット(利点)がある。ものを運ぶ距離を短くして、輸送コストを極端に減らすことができること、石油をはじめとする稀少な資源をできるだけ使わないで済むこと、輸送にかかるエネルギー消費は地球温暖化の大きな原因であるが、これを減らすことができて、温暖化防止にもつながる。
さらに(地域を重視するため)地元のものに対する尊敬の念を取り戻させてくれること、例えば食べ物に限らず、地域の環境や文化に対する敬意を、そこで暮らす人たちが取り戻すことができて、生活に臨む態度が変わっていく。
▽分散型、再生可能なエネルギーと暮らし
中央集中型ではなく、分散型の再生可能なエネルギーの推進も非常に重要なことである。持続可能な経済を支えるためには、再生可能なエネルギーは欠かせない。
現代社会では私たちは企業からの強いプロパガンダ(宣伝)にさらされている。例えば人口の爆発的増加の世界ではその人口を養うために、大量の農薬や肥料は不可欠であり、ローカル化ではそれだけの多くの人口は絶対に養えない、と。
しかし私は全く逆だと思っている。モノカルチャー(広大な土地に単一の作物を栽培すること)で同じ作物をいっせいに育てるよりも、多種類の作物を少しずつ育てた方が、面積当たりの生産量は多くなる。だからより多くの人たちが農的な暮らしをし、より小さな農場で多様な植物をつくる方が、全体として生産量はずっと多くなる。
また現在のエネルギー事情の中で今後生き延びるためには原子力は不可欠だと常に聞かされている。しかしそれもまやかしだと私は思う。地域に根ざした生活、経済であれば、その地域に根ざした持続可能な分散型エネルギーで十分やっていけるはずである。
〈安原のコメント〉ローカリゼーションこそ未来性に富む
ここでの持続可能な分散型の再生可能エネルギーとは何を指しているのか。ヘレナさんは十分な説明をしていない。ヘレナさんほか著『ローカリゼーションの胎動と私たちの実践』のあとがきで著者の一人、鎌田陽司さん(NPO法人・開発と未来工房代表理事)はつぎのように書いている。
「エネルギーに関しては脱石油に向かう、地域のバイオマス(生物資源)、風力、小水力、地熱などの自然エネルギーの活用。それを可能にする地縁技術、適正技術。電気を使わない非電化製品」と。
グローバル化が中央集中型で、再生不可能な大量の石油と原子力エネルギー依存型であるのに対し、ローカリゼーションは地域分散型で再生可能な自然エネルギーを重視する。ここが両者の質的違いをくっきり分けている。いいかえればグローバル化が持続不可能で未来性を欠いているのに比べ、ローカリゼーションは持続可能で未来性に富んでいる。
▽日本版ローカリゼーション ― 地域内資源循環と自給
つぎに講演会でのコメンテーター、中島恵理さん(注)の発言内容(要旨)を以下に紹介する。
(注)環境省民間活動支援室・環境教育推進室長補佐。サスティナブル・コミュニティ研究所理事、里山ネットワークアドバイザーなど。自身も八ケ岳山麓で農のある暮らしを実践。著書に『英国の持続可能な地域づくり:パートナーシップとローカリゼーション』など
ローカリゼーション(localization)の日本語訳は「地域内資源循環」という感じで、ここでの資源にはモノだけでなく、人も含まれる。人やモノや、智恵やお金や、社会を構成する重要なものが地域の中で活用されて循環してネットワークして活かされていく、これがとても大切なことと思う。具体的にローカリゼーションを進めていく上で一番重要なのは、生きるために必要な食べ物、水、エネルギーなど基本的なものを出来る限り自給していくことではないか。
ローカル・フードは日本語でいえば「地産池消」で、このローカル・フードなどを通じ、有機物の資源循環を基本として、エネルギーは自然エネルギーを使う。これを地域の仕組みとして進めていくためにコミュニティ・レストラン、コミュニティ・カフェ、コミュニティ・トランスポート(住民の短・中距離移動のためのコミュニティバスなどの交通機関)さらにコミュニティ・コンポスト(生ごみなどを発酵させてつくった堆肥=たいひ)などの活動が日本各地にある。
海外に出て感じるのは、グローバリゼーションが世界的に広がっているが、それと同じくらいの勢いでローカリゼーションを進めていこうとする動きが日本、イギリス、インド、アフリカ、アメリカでも起こっていることである。そういう実態を目にすることで、ローカリゼーションの必要性や重要性を、わたしは強く認識するに至った。
中島さんは以下の4地域の事例を報告しているが、内容は割愛する。
*「生ゴミの地産池消」=埼玉県小川町
*「地域通貨と自然エネルギー」=滋賀県野洲市
*「障害者たちのローカリゼーション」=青森県八戸市
*「ゴミ回収で商店街の活性化」=東京・新宿区早稲田
▽ローカリゼーションは対抗軸になり得るか―聴衆との質疑応答から
ローカリゼーションのあり方、進め方をめぐってヘレナさん、中島さんと聴衆との間で交わされた質疑応答の一部を以下に紹介する。
(1)失業者が増えないか?
〈問い〉グローバル経済の中で仕事をしている人もいる。だからローカリゼーションを進めると、それによって失業者が増える可能性はないのか。増えるとしたら、ローカリゼーションを進める上でブレーキになるのではないか?
〈答え〉
ヘレナさん:地球規模での貿易の規制緩和が進められていくことで、企業が合併して、2つの企業が1つになる。この過程で必ず雇用が減る。だからこの企業合併へ向かう誘因をローカリゼーションによって変え、逆に企業を分ける方向に進めていく必要がある。これを進めていけば、労働力、資本、資源とのバランスがとれるところに辿りつくのではないか。
中島さん:わたし自身の経験では、夫は有機農業をやり、また地元の木材を使って家を建てている。それを金銭で評価すれば少ないが、自らの手で健康によい食材をつくり、また自分の技術を身につけながら家をつくる。そういう形の幸せな生活とローカリゼーションが結びつく。いまのGDP(国内総生産)や金銭のモノサシだけでは、厳しく見えるかもしれないが、広い視点で評価すれば、ローカル化した社会の方が幸せな暮らしへと行き着くのではないか。
〈安原のコメント〉成長主義、拝金主義を克服できるか
失業はどうなるか?という疑問は重要である。これに答えるのは簡単ではないが、ヘレナさんの答えはそれなりに納得できるのではないか。
一方、中島さんの「GDP、金銭のモノサシ・・・」という話は経済成長主義、拝金主義をどう克服するか、という問いかけと理解したい。
小泉政権以降顕著になった新自由主義=市場原理主義にもとづく「弱肉強食の競争」を軸とするいわゆる構造改革が何をもたらしているか。一つの具体例として景気の回復・上昇は大企業や資産家には恩恵をもたらすが、一般サラリーマンは仲間外れになっている。これが著しい格差拡大、不平等の背景であり、成長主義、拝金主義の追求は今や幻想と化している。にもかかわらずまだ人々は成長主義、拝金主義に夢を託す執着を断ち切れない。この執着を振り払わなければ、ローカリゼーションの未来は見えてこないのだろう。
(2)乗りこえるための力は?
〈問い〉政府のほか、WTO(世界貿易機関)など国際機関が進める経済グローバル化の圧倒的な力がある中で、ローカリゼーションが対抗軸として本当にそれを乗りこえる力になり得るのか。乗りこえていくためには何が必要になるのか?
〈答え〉
ヘレナさん:グローバリゼーションを進めていくと、職を失うかもしれない、職を変えないといけない、あるいは家族と離れて暮らさなければいけないかもしれない。そういう不安定な状態がグローバリゼーションには必然的に伴う。
グローバリゼーションの推進者は実はひと握りの人たちで、圧倒的大多数の人たちは、利益を受けると聞かされてはいるものの、実際には失うものの方が大きい。
例えばアメリカでは25年前に比べると、1年間で1か月分も長時間働くようになっている。わたしの母国スウェーデンでも、社会的な福祉が崩壊しつつあり、より長い時間働かなければならず、その結果、子どもと過ごす時間や自然の中で過ごす時間、さらに瞑想したり、生活を楽しむ時間がなくなってきている。
このように圧倒的多数の人たちが、グローバリゼーションでさまざまなものを失っている現実をまず明確にすること、そういう気づきを広めていくとともに、システムとしてもうひとつ別の選択肢があることを広めていく必要がある。
中島さん:日本でも地域起こしや商店街活性化や、ローカリゼーションを意識しないまま、結果的にローカリゼーションの取組をしている動きは沢山ある。ただしそれぞれの動きがネットワークされていない。イギリスの取組の方がネットワークされている点が大きな違いである。日本のひとつひとつは小さな取組でも、ネットワークを結ぶことで大きな発言力を持っていく。さらに世界中とネットワークを築いていくことで、世界を変えていくこともできるのではないか。
〈安原のコメント〉失うものを取り戻すことができるか
大多数の者にはグローバル化で失うものが多い、という事実に気づくことがまず大事である。失業による収入減だけではない。家族と離れて暮らさざるを得ないこと、長時間労働に伴う「時間のゆとり」の減少、子どもと過ごしたり、自然の中で過ごしたりする時間がないこと、(ヘレナさんによると)瞑想する時間がなくなること―など数え切れない。日本ではこれに自殺、過労死などが追加される。要するにゆとりと人間性の喪失である。
私は「ゆとり」にはつぎの5つのタイプがあると考えている。グローバル化はこれらのゆとりを壊しており、ローカリゼーションの中にこそゆとりを取り戻すことができる。しかもこのゆとりには、市場でお金と交換して入手できる貨幣価値(=市場価値)よりもお金では入手することのできない非貨幣価値(=非市場価値)の方が多い。
①所得のゆとり(貨幣価値)=生存権を保障できるだけの所得面の余裕
②空間のゆとり(貨幣価値と非貨幣価値)=社会資本による公共空間、街並みの美しさ、職場空間などの確保
③環境のゆとり(非貨幣価値)=生命共同体としての地球環境の保全(地球温暖化防止など)、循環型社会の構築とその維持・保全など
④時間のゆとり(非貨幣価値)=労働時間の大幅な短縮によるゆったりした自由時間の確保
⑤精神のゆとり(非貨幣価値)=ローカリゼーションを考え、実践するだけの心の余裕と意欲、利他主義の実践、個性の尊重、絆(きずな)の復活など
(3)企業、政府との協力はどうするか?
〈問い〉企業の側も意識が高まって、CSR(Corporate Social Responsibility=企業の社会的責任)やSRI(Socially Responsible Investment=社会的責任投資)などの動きが出ている。企業とはどのように協力していったらいいか。またローカリゼーションを進めていく上で政府とのパートナーシップ(協力関係)はいかにあるべきか?
〈答え〉
ヘレナさん:優先順位をつければ、まず地元のコミュニティグル-プ同士の協力、次がNGO(非政府組織)同士の協力を地域レベル、国レベル、国際レベルでやっていく。その次に自治体政府との協力が挙げられる。多国籍企業との協力は、いまのところ成功していないと思う。可能性としては企業との協力もあり得るが、その協力を意味あるものにするためには私たちの側により明確なビジョンがなければならない。
その明確なビジョンも急速に広まりつつあり、ローカリゼーション運動も急速に成長しているから、政府や大企業とのコラボレーション(協働)も、数年後には実現しているかもしれない。
中島さん:実はわたしは(環境省で)民間活動を支援していくために企業、行政、NGOとのパートナーシップを推進する仕事をしている。環境省は東京・青山の国連大学に地球環境パートナーシッププラザ(注)を設けている。
ここでは地域の資源や眠っているお宝を発掘して、コミュニティ・ビジネスやコミュニティ・ガーデン(里山、市民農園など)の具体的な活動とつなげていく。それも単なるボランティアではなく、雇用もつくって経済的価値も生み出しつつ、地域の社会・環境問題を解決できるような手段・方法を開拓したいと思っている。
(注)環境省、国連大学とNPO(非営利組織)などの民間スタッフが共同で運営する団体。持続可能な社会を目指し、参加による課題解決の仕組みづくり、そうした現場で活動する人たちを育てることを目的に設立された。
〈安原のコメント〉協力関係をどうつくっていくか
パートナーシップ(協力関係)、コラボレーション(協働)など表現はさまざまだが、要は人間同士、人間と企業、政府を含む組織との協力関係をどうつくっていくかが課題である。
グローバル化はこの相互の関係を断ち切った。企業は利益第一に走り、質問者が指摘しているCSRやSRIへの取組はまだ不十分である。政府は大企業の支援者となり、一方、個人それぞれは弱肉強食の競争を強いられて、乾いた砂粒のような存在となっている。お互いの協力関係を取り戻すにはグローバル化を批判し、ローカリゼーションへの視点に立って出直すほかないだろう。
(寸評、提案歓迎! 下記の「コメント」をクリックして、自由に書き込んで下さい。実名入りでなく、仮名でも結構です)
この記事へのコメント
つまり、ワーキングプアも、過労死も、戦争も、温暖化の加速も、食べ物の汚染も、子供たちが飢える国の存在も、すべてグローバリゼーションの結果として説明できる、ということですよね。
ローカリゼーションという言葉が、来年流行るといいなあ、と思いました。
みんなでたくさん使って流行らせましょうね!
ローカリゼーションという言葉が、来年流行るといいなあ、と思いました。
みんなでたくさん使って流行らせましょうね!
2007/12/22(土) 02:28:36 | URL | のり吉 #-[ 編集]
のり吉さん、簡にして要を得たコメントに感謝します。
来年2008年の流行語大賞の獲得にでもなれば、おもしろいですね。ただ歴史はそんなに急には動かない、のも真実です。しかし機が熟すると、不可能と思えることも急に動き出すこともまた真実ですね。
さて来年2008年はどういう年になりますか。
来年2008年の流行語大賞の獲得にでもなれば、おもしろいですね。ただ歴史はそんなに急には動かない、のも真実です。しかし機が熟すると、不可能と思えることも急に動き出すこともまた真実ですね。
さて来年2008年はどういう年になりますか。
2007/12/23(日) 17:41:18 | URL | 安原和雄 #-[ 編集]
2007/12/23(日) 18:53:25 | URL | みんな の プロフィール #-[ 編集]
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