2007/08/23 22:13:10
御殿場事件は1審に続き、2審も有罪となった。
誰が見ても、冤罪なのに、裁判所はどうなっているのか??
静岡県内ニュース(社会)より
御殿場市で2001年9月、少年10人が当時15歳の少女に暴行しようとしたとされる事件で、強姦(ごうかん)未遂罪に問われた当時16?17歳の元少年4人の控訴審判決公判が22日、東京高裁で開かれた。中川武隆裁判長は4人いずれも懲役2年の実刑とした一審の静岡地裁沼津支部判決を破棄し、懲役1年6月の実刑判決を言い渡した。無罪を訴え控訴していた4人は上告する方針。 中川裁判長は判決理由で「被告や共犯者の自白供述は、一部で取調官の情報の反映がみられるものの互いに補強し合い、犯行に至る経緯や状況など根幹部分は一貫している」と自白供述の信用性を認め、「原審の事実認定に誤りはない」とした。
被害少女が一審公判中に当初「9月16日」としていた犯行日を「9月9日」と変更したことについては、「日付以外の内容は初めに母親や警察に申告した時から一貫していて具体的。16日に男性とデートしていたことを母親に隠すため、1週間前の被害を話したという経緯も理解できる」とした。
「9月9日は相当量の雨が降っていて野外での犯行は不自然」という弁護側の主張や被告らのアリバイについては、「気象観測には誤差もあり得る。アリバイの主張はいずれも信用できない」と退けた。一方、「被害者の当初の被害申告に問題があった点をより考慮する」と、量刑を軽減した理由を述べた。
事件を振り勝ってみよう。
「御殿場事件」を忘れるな 及び 真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」 [毎日新聞]から要約する。
2002年9月16日(日曜)、深夜に帰宅した女子高生(15歳)が10人の男(15~17歳)に強姦寸前の暴行を受けたと親に話したことから始まった。
翌17日女子高生が婦女暴行で御殿場警察に訴えた。
御殿場駅から若い二人の男に両手を捕まれて公園に連れて行かれた。
人数が10人に増えて、脅されて母親に電話し、20時20分から23時頃に暴行され、24時過ぎに帰宅したという供述する。
女子高生には傷一つなく、汚れた衣服など物証は何一つなく、目撃証言もなく、自白のみだった。(この時点で、女子高生の供述の裏を取って、16日の事実を知っていれば、こんな馬鹿げた裁判にならず、真実が分かったであろう。警察の見込み捜査はあまりにも酷すぎたと言える。)
警察は女子高生が名を挙げた同級生から、その遊び仲間9人を聞き出し、逮捕した。
11月から02年1月までに逮捕され、当初は少年たちは否定した。
しかし、執拗な取り調べで、数日後、全員が容疑を認め、調書が取られた。
02年1月家裁は、4人の少年院送致、1人の保護処分、1人の試験観察処分、4人の検察官送致を決定した。
面会を許された親たちがアリバイ探しに奔走し、2人のアリバイを見つける。
02年5月4人について公判が開始し、裁判で元少年たちは無実を表明する。
裁判所は2人のアリバイを口裏合わせとして否定する。
02年7月、親たちは女子高生の通話記録から、親への電話の直後に出会い系サイトで知り合った男性会社員へ電話していたことが判明する。(容疑者の親たちが女子高生の裏を取らなければ、裁判は16日のまま進み、自白は全て一致、結果は有罪という筋書きになっていた。警察のすることを容疑者の親たちがしていた。警察の怠慢、見込み捜査をしめしている。)
男性も出廷し、犯行時間を御殿場から50km離れた富士市で女子高生と過ごし、親に遅れた理由を誰かの所為にすると女子高生が言ったと証言した。
女子高生は男と会った事を認め、門限を過ぎ、親に怒られるのが怖くて嘘を言ったと供述した。(女子高生は、援助交際の事実を隠そうとして、真実を語る裁判の場でも嘘を付き続けた。ばれなければ、今も嘘を付いていただろう。)
その後、女子高生は犯行日を1週間前の9月9日(日曜)と改めた。
02年9月、裁判所は検察の出した「訴因変更請求書」を認めた。
他にも供述は4箇所変えられ、すべて裁判所は変更を認めた。
・公園に無理やり連れて行かれた→自分から嬉しくてついていった
・脅されて嘘の電話→電話をしていない
・犯行時間を21時50分~23時→21時30分前後
・帰宅時間を24時以降→23時
(自白が決め手の裁判で、その主要部分が変更されることは、普通ならば、認められない。)
裁判は長期化し、もと少年たちは、高校退学など、人生設計が大きく狂う。
親たちは9日のアリバイ証明は1年の経過で容易でなくなり、当日の天候に着目、当時、1日中通常規模の雨が降っていて、女子高生の雨は降ってなかったという供述の信憑性を問われたが、局地的に降らなかった場合もあるという検察側の主張を裁判所は認めた。
2005年10月27日1審判決が懲役2年の実刑判決だった。
10人から強姦に至らない暴行を受けた筈なのに、女子高生が外傷、PTSDなどの肉体的・精神的傷病の診断書を一切出していない、被害が全くないという、とてもおかしな事件である。
女子高生が変更後は本当のことを言ったとして、その線で推測してみる。
あくまでも、想像である。
女子高生(15)は御殿場駅で20時20分頃、少年2人に声を掛けられ、嬉しくなって、二人にくっついていった。声をかけられたいがために、夜に駅でうろうろしていたと考えられる。
そうこうするうちに、人数が増え、10人となった。
記憶では雨はなかったし傘も差さなかったというが、断続的に朝から降っていたから、服は濡れていたはずだ。
21時30分頃、リーダー格の男のかけ声で強姦が始まろうとしたが、何故か未遂に終わった。地面に倒されれば、濡れた地面で衣服が汚れるはずだ。何より、何の傷もないのが不思議だ。
彼女は23時に帰宅した。帰るのに何故こんなに長い時間が掛かったのだろうか。
深夜の帰宅し、暴行の話もしなかった。厳しい母親に異変、濡れた服に気付かれず、遅い帰宅が問題とならなかったとは考えられない。
1週間後、今度は出会い系サイトで知り合った男性会社員と会うことになった。強姦未遂があって、1週間後、男と援助交際する気が知れないし、通常、当分男性との交際はあり得ない。はっきり言って、この女子高生は淫らな高一の女学生と言える。
20時40分に母親に電話入れてから、直ぐに青年に携帯を掛けた。恐らく、嘘の理由をつけて帰りが遅れるという電話をしてから、青年と会う場所と時間をセットしたのだろう。
男と富士市で21時15分に遭い、最低でも3時間、24時15分頃まで一緒にいた。親には誰かの所為で遅くなったと言うことにしていると言ったという。
帰宅したのが24時以降、24時を大分過ぎていたのだろう。
母親に問い詰められ、1週間前の暴行未遂事件を思い出し、それで遅れたと嘘を付いた。1週間、事件を隠していたことを何故、理由に持ち出したのかが不思議でならない。
恐らく、家では大事になって、警察に届けるべしとなったのだろう。
翌日、御殿場警察に事件として告訴した。
女子高生は事件のことを警察で供述する。9日に起こったことを、16日に置き換えて喋ったのだろう。少年たちから親への電話を強制されたというのは9日の事件に16日の電話を組み込んだ辻褄合わせの作り話だった。
16日の援助交際を親のみならず警察までも騙し通した。
事件から8ヶ月が経ち、少年たちの親たちの調査により16日の援助交際がばれてしまった。
警察で何故嘘を言ったかと追求され、援助交際がばれるのが怖くて、9日に遭った暴行未遂事件を言い訳にしたと本当のことを言った。
そこで供述と違っていたのが、強制的に連行されたのが自主的についていった、時間関係を少し早めに修正、母親への電話をしなかったこと。ついていったのは尻軽女に見られないための嘘だと言ったのだろう。
警察は9日の線で、操作し、問題がないか調べたが、否定するものは出てこなかった。この時点では8ヶ月経ち、関係者の記憶はなくなっていたり、曖昧になっていたりしたのであろう。
ここで、大きく立ちはだかる疑問が、当日の天気が断続的に3mmの雨で、3時間以上も戸外にいて、雨に当たらない筈がない、暴行を受けそうになった事件の雨の記憶がないはずがない。衣服が濡れたなら、親にばれないように、苦労するだろう。当日の雨を忘れるはずがない。
そう考えると、9日でなく違う日か、全くの作り話のどちらかだ。暴行未遂事件の日を忘れるはずもなく、勿論、全くの作り話と見るのが妥当だ。
恐らく、この時点で警察は信用できない女の子で、彼女の作り話と気付いたのだろう。それで、1週間前の日曜の線で、差し障りがあるかを調べ問題がなく、いずれにせよ記憶が風化しているのでOKと出て、供述を変えさせたのではないか。
ここでも初動捜査同様、ずさんさが出た。当日の天候、公園の白いロープなどに気付かなかった。強制を自発に変えたのは、女子高生の素行に合わせ現実味を持たせる為か、女子高生に罰を与え、若者たちの罪を軽くしたいと気持ちが表れたのかも知れない。
後半に続く
誰が見ても、冤罪なのに、裁判所はどうなっているのか??
静岡県内ニュース(社会)より
御殿場市で2001年9月、少年10人が当時15歳の少女に暴行しようとしたとされる事件で、強姦(ごうかん)未遂罪に問われた当時16?17歳の元少年4人の控訴審判決公判が22日、東京高裁で開かれた。中川武隆裁判長は4人いずれも懲役2年の実刑とした一審の静岡地裁沼津支部判決を破棄し、懲役1年6月の実刑判決を言い渡した。無罪を訴え控訴していた4人は上告する方針。 中川裁判長は判決理由で「被告や共犯者の自白供述は、一部で取調官の情報の反映がみられるものの互いに補強し合い、犯行に至る経緯や状況など根幹部分は一貫している」と自白供述の信用性を認め、「原審の事実認定に誤りはない」とした。
被害少女が一審公判中に当初「9月16日」としていた犯行日を「9月9日」と変更したことについては、「日付以外の内容は初めに母親や警察に申告した時から一貫していて具体的。16日に男性とデートしていたことを母親に隠すため、1週間前の被害を話したという経緯も理解できる」とした。
「9月9日は相当量の雨が降っていて野外での犯行は不自然」という弁護側の主張や被告らのアリバイについては、「気象観測には誤差もあり得る。アリバイの主張はいずれも信用できない」と退けた。一方、「被害者の当初の被害申告に問題があった点をより考慮する」と、量刑を軽減した理由を述べた。
事件を振り勝ってみよう。
「御殿場事件」を忘れるな 及び 真実はどこに:「御殿場強姦未遂事件・判決を前に」 [毎日新聞]から要約する。
2002年9月16日(日曜)、深夜に帰宅した女子高生(15歳)が10人の男(15~17歳)に強姦寸前の暴行を受けたと親に話したことから始まった。
翌17日女子高生が婦女暴行で御殿場警察に訴えた。
御殿場駅から若い二人の男に両手を捕まれて公園に連れて行かれた。
人数が10人に増えて、脅されて母親に電話し、20時20分から23時頃に暴行され、24時過ぎに帰宅したという供述する。
女子高生には傷一つなく、汚れた衣服など物証は何一つなく、目撃証言もなく、自白のみだった。(この時点で、女子高生の供述の裏を取って、16日の事実を知っていれば、こんな馬鹿げた裁判にならず、真実が分かったであろう。警察の見込み捜査はあまりにも酷すぎたと言える。)
警察は女子高生が名を挙げた同級生から、その遊び仲間9人を聞き出し、逮捕した。
11月から02年1月までに逮捕され、当初は少年たちは否定した。
しかし、執拗な取り調べで、数日後、全員が容疑を認め、調書が取られた。
02年1月家裁は、4人の少年院送致、1人の保護処分、1人の試験観察処分、4人の検察官送致を決定した。
面会を許された親たちがアリバイ探しに奔走し、2人のアリバイを見つける。
02年5月4人について公判が開始し、裁判で元少年たちは無実を表明する。
裁判所は2人のアリバイを口裏合わせとして否定する。
02年7月、親たちは女子高生の通話記録から、親への電話の直後に出会い系サイトで知り合った男性会社員へ電話していたことが判明する。(容疑者の親たちが女子高生の裏を取らなければ、裁判は16日のまま進み、自白は全て一致、結果は有罪という筋書きになっていた。警察のすることを容疑者の親たちがしていた。警察の怠慢、見込み捜査をしめしている。)
男性も出廷し、犯行時間を御殿場から50km離れた富士市で女子高生と過ごし、親に遅れた理由を誰かの所為にすると女子高生が言ったと証言した。
女子高生は男と会った事を認め、門限を過ぎ、親に怒られるのが怖くて嘘を言ったと供述した。(女子高生は、援助交際の事実を隠そうとして、真実を語る裁判の場でも嘘を付き続けた。ばれなければ、今も嘘を付いていただろう。)
その後、女子高生は犯行日を1週間前の9月9日(日曜)と改めた。
02年9月、裁判所は検察の出した「訴因変更請求書」を認めた。
他にも供述は4箇所変えられ、すべて裁判所は変更を認めた。
・公園に無理やり連れて行かれた→自分から嬉しくてついていった
・脅されて嘘の電話→電話をしていない
・犯行時間を21時50分~23時→21時30分前後
・帰宅時間を24時以降→23時
(自白が決め手の裁判で、その主要部分が変更されることは、普通ならば、認められない。)
裁判は長期化し、もと少年たちは、高校退学など、人生設計が大きく狂う。
親たちは9日のアリバイ証明は1年の経過で容易でなくなり、当日の天候に着目、当時、1日中通常規模の雨が降っていて、女子高生の雨は降ってなかったという供述の信憑性を問われたが、局地的に降らなかった場合もあるという検察側の主張を裁判所は認めた。
2005年10月27日1審判決が懲役2年の実刑判決だった。
10人から強姦に至らない暴行を受けた筈なのに、女子高生が外傷、PTSDなどの肉体的・精神的傷病の診断書を一切出していない、被害が全くないという、とてもおかしな事件である。
女子高生が変更後は本当のことを言ったとして、その線で推測してみる。
あくまでも、想像である。
女子高生(15)は御殿場駅で20時20分頃、少年2人に声を掛けられ、嬉しくなって、二人にくっついていった。声をかけられたいがために、夜に駅でうろうろしていたと考えられる。
そうこうするうちに、人数が増え、10人となった。
記憶では雨はなかったし傘も差さなかったというが、断続的に朝から降っていたから、服は濡れていたはずだ。
21時30分頃、リーダー格の男のかけ声で強姦が始まろうとしたが、何故か未遂に終わった。地面に倒されれば、濡れた地面で衣服が汚れるはずだ。何より、何の傷もないのが不思議だ。
彼女は23時に帰宅した。帰るのに何故こんなに長い時間が掛かったのだろうか。
深夜の帰宅し、暴行の話もしなかった。厳しい母親に異変、濡れた服に気付かれず、遅い帰宅が問題とならなかったとは考えられない。
1週間後、今度は出会い系サイトで知り合った男性会社員と会うことになった。強姦未遂があって、1週間後、男と援助交際する気が知れないし、通常、当分男性との交際はあり得ない。はっきり言って、この女子高生は淫らな高一の女学生と言える。
20時40分に母親に電話入れてから、直ぐに青年に携帯を掛けた。恐らく、嘘の理由をつけて帰りが遅れるという電話をしてから、青年と会う場所と時間をセットしたのだろう。
男と富士市で21時15分に遭い、最低でも3時間、24時15分頃まで一緒にいた。親には誰かの所為で遅くなったと言うことにしていると言ったという。
帰宅したのが24時以降、24時を大分過ぎていたのだろう。
母親に問い詰められ、1週間前の暴行未遂事件を思い出し、それで遅れたと嘘を付いた。1週間、事件を隠していたことを何故、理由に持ち出したのかが不思議でならない。
恐らく、家では大事になって、警察に届けるべしとなったのだろう。
翌日、御殿場警察に事件として告訴した。
女子高生は事件のことを警察で供述する。9日に起こったことを、16日に置き換えて喋ったのだろう。少年たちから親への電話を強制されたというのは9日の事件に16日の電話を組み込んだ辻褄合わせの作り話だった。
16日の援助交際を親のみならず警察までも騙し通した。
事件から8ヶ月が経ち、少年たちの親たちの調査により16日の援助交際がばれてしまった。
警察で何故嘘を言ったかと追求され、援助交際がばれるのが怖くて、9日に遭った暴行未遂事件を言い訳にしたと本当のことを言った。
そこで供述と違っていたのが、強制的に連行されたのが自主的についていった、時間関係を少し早めに修正、母親への電話をしなかったこと。ついていったのは尻軽女に見られないための嘘だと言ったのだろう。
警察は9日の線で、操作し、問題がないか調べたが、否定するものは出てこなかった。この時点では8ヶ月経ち、関係者の記憶はなくなっていたり、曖昧になっていたりしたのであろう。
ここで、大きく立ちはだかる疑問が、当日の天気が断続的に3mmの雨で、3時間以上も戸外にいて、雨に当たらない筈がない、暴行を受けそうになった事件の雨の記憶がないはずがない。衣服が濡れたなら、親にばれないように、苦労するだろう。当日の雨を忘れるはずがない。
そう考えると、9日でなく違う日か、全くの作り話のどちらかだ。暴行未遂事件の日を忘れるはずもなく、勿論、全くの作り話と見るのが妥当だ。
恐らく、この時点で警察は信用できない女の子で、彼女の作り話と気付いたのだろう。それで、1週間前の日曜の線で、差し障りがあるかを調べ問題がなく、いずれにせよ記憶が風化しているのでOKと出て、供述を変えさせたのではないか。
ここでも初動捜査同様、ずさんさが出た。当日の天候、公園の白いロープなどに気付かなかった。強制を自発に変えたのは、女子高生の素行に合わせ現実味を持たせる為か、女子高生に罰を与え、若者たちの罪を軽くしたいと気持ちが表れたのかも知れない。
後半に続く