2008/07/29 22:54:22
厚労省の天下り施設である「私のしごと館」が民間委託されることが決まりました。
厚労省の独立行政法人、「雇用・能力開発機構」は、職業訓練施設「私のしごと館」の運営を(株)コングレが今年9月から2年間の運営費約19億円で落札しました。
<「私のしごと館」の経緯>
「私のしごと館」は関西文化学術研究都市の中枢施設として、京都府精華町、木津川町にまたがって、2003年に延べ床面積3万5000平米、580億円掛けて建設された巨大施設で、毎年13億円の赤字を出して、問題となっていた施設です。
(株)コングレはコンベンション業界大手で、北海道洞爺湖サミットの運営業務を受注した企業です。
人件費の削減、利用者の増大で、26-19=7億円の赤字圧縮を目論んでいます。
この赤字施設は渡辺行革担当大臣が、廃止を主張し、昨年12月の閣議決定の独立行政法人整理合理化計画では、運営を民間に委託し、外部評価の結果を踏まえて1年以内に存廃を決定するとしていました。
厚労省の舛添大臣は、壊すのは無駄遣い、民間委託して赤字縮小して存続すべきとして、厚労省で第三者委員会「私のしごと館のあり方検討会」を設置し、民間委託の視点・あり方を検討し、今回の入札となりました。
●若年者のしごと展示は雇用保険ですべきことではない
「私のしごと館」は若年者の様々な職業の体験機会と情報の提供などを行い、利用者は年間50万人で、うち中学生が9万人、高校生が4万人います。
民間の「キッザニア」は、子どものお仕事体験テーマパークとして、成功しています。
小学生が大人の仕事はどんなだろうという興味を持って、それに応えるのはキッザニアで十分です。
子どもが遊ぶのに、大人の雇用保険を使う必要はなく、趣旨ではありません。
中高生などは職業選択が現実に迫ってきています。
しかし、これも大人の雇用保険を使うのは本末転倒です。
本当に仕事を知りたいなら、こんな展示館ではなく、実際の職場を公開するシステムを作って対応すべきで、労働していない絵空事のこんな施設では本当のことは分かりません。
大人になっては、こんな仕事がありますなんてのは、陳腐化しています。職業訓練など、実際の就職に役立つことに力を注ぐべきです。
仮に、仕事の展示が必要としても、全国に対象者がいるのに、この一施設だけで対応は出来ないし、地域不平等で、公共施設として不適切です。
趣旨から見ても、厚労省ではなく、文科省の範疇です。
厚労省の雇用保険を使って、この目的に使用することは、ナンセンスです。
赤字になってもすべきという、公園のような公共施設でも全くありません。
●厚労省の天下り施設、厚労属議員等の権益になっているのでは
現在、厚労省から天下り20人余りが、2.5億円の給料を貰っているといいます。
一人当たり、1000万円以上の高給です。
おまけに彼らは、営業的センスが全くないため、ペイさせる能力も。ペイさせる考えもありません。
労働行政になんら役に立たない、580億円も掛けた、天下り施設の何ほどでもありません。
我々の年金2000億円で作り50億円でたたき売りした、国民の一部だけが利用したグリーンピアと同じなのです。
それと看過できないのは、580億円という馬鹿げたほど巨額の建設費、これには多くの厚労属の政治家やゼネコンが関わったことでしょう。
役人には天下り、政治家には公共事業という二重の旨味があったと言えます。
「私のしごと館」は雇用保険のお金、580億円で造ったもの、つまり、事業者と労働者が払う保険料と国庫負担金の一部で出来ています。
仮に、580億円を失業給付に充てるとすると、失業等給付金を15万円/人月として約40万人の一ヶ月間の失業等給付が賄えます。
40万人の失業者が一月暮らせるお金を使って、建設には政治家やゼネコンが絡み、運営では厚労省の天下り役人が高給を取り、殿様商売のような態度で仕事をしていると言うことなのです。
●内閣は1年以内の結論に、厚労省は2年契約は存続への既成事実では
渡辺行革大臣が「私のしごと館」を廃止としているのは当然です。
雇用保険を筋違いの労働テーマパークに使い、おまけに毎年13億円の税金を赤字補填する、存続理由はありません。
しかし、厚労省の回し者に成り下がった舛添厚労大臣は、勿体ないから、民間委託して、赤字縮小して、存続するといいます。
運営を民間企業に委託するなら、公共施設の意味はありません。
いっそのこと売却すべきで、それなら大賛成です。
両者の意見の調整というより、結論の先送りをして、優柔不断の福田内閣は、1年以内=今年中に存廃の決着をつけるとしました。
なのに、厚労省は2年で民間契約したというのは、閣議決定と矛盾しています。
年内に廃止となる可能性もあるのに、再来年の9月までという1年9ヶ月も長い契約というのは、閣議決定を無視し、存続するという既成事実を作っていることに他なりません。
落札した業者は、洞爺湖サミットなどコンベンションの裏方をするということは、国の事業の請負業者とも言えます。
内々に厚労省からコングレに指名があり、コングレは受注額も相談の上、引き受けたのではないか、出来レースと見るのが妥当と思います。
天下りの役人たちをコングレは切るのか、そのまま抱えるのか、違う形で抱えるのか、どうするのでしょうか。
●不要なものは即刻廃止すべし
「私のしごと館」を民間委託しても、年間9.5億円の税金が補填されます。
民間がやっても、赤字となる施設なのです。
運営を民間施設とするなら、本来は地代を貰って、収益を国民に還元すべきものです。
10年存続すれば95億円、累積債務850兆円の国の財政では費用対効果の少ない施設は、不要です。
即刻に廃止すべきです。
原油・穀物高で景気減速し、失業者の増大が懸念されるなか、売却して失業等給付金などに充当すべきです。
●諸悪の根源を是正するため、特別会計の一般財源化と政権交代
「私のしごと館」を企てた官僚や建設に関わった政治家は責任を取らせることを忘れてはいけません。もちろんグリーンピアも。
最後に、保険料の使い方が野放図だった要因は、一つには特別会計であること、自民党長期政権で政官業の癒着構造があることです。
特別会計は原則的に廃止し一般財源化する。
そのためには癒着構造の自民党政権では困難で、野党が政権を取って行う必要があります。
政権交代は欠かせません。
厚労省の独立行政法人、「雇用・能力開発機構」は、職業訓練施設「私のしごと館」の運営を(株)コングレが今年9月から2年間の運営費約19億円で落札しました。
<「私のしごと館」の経緯>
「私のしごと館」は関西文化学術研究都市の中枢施設として、京都府精華町、木津川町にまたがって、2003年に延べ床面積3万5000平米、580億円掛けて建設された巨大施設で、毎年13億円の赤字を出して、問題となっていた施設です。
(株)コングレはコンベンション業界大手で、北海道洞爺湖サミットの運営業務を受注した企業です。
人件費の削減、利用者の増大で、26-19=7億円の赤字圧縮を目論んでいます。
この赤字施設は渡辺行革担当大臣が、廃止を主張し、昨年12月の閣議決定の独立行政法人整理合理化計画では、運営を民間に委託し、外部評価の結果を踏まえて1年以内に存廃を決定するとしていました。
厚労省の舛添大臣は、壊すのは無駄遣い、民間委託して赤字縮小して存続すべきとして、厚労省で第三者委員会「私のしごと館のあり方検討会」を設置し、民間委託の視点・あり方を検討し、今回の入札となりました。
●若年者のしごと展示は雇用保険ですべきことではない
「私のしごと館」は若年者の様々な職業の体験機会と情報の提供などを行い、利用者は年間50万人で、うち中学生が9万人、高校生が4万人います。
民間の「キッザニア」は、子どものお仕事体験テーマパークとして、成功しています。
小学生が大人の仕事はどんなだろうという興味を持って、それに応えるのはキッザニアで十分です。
子どもが遊ぶのに、大人の雇用保険を使う必要はなく、趣旨ではありません。
中高生などは職業選択が現実に迫ってきています。
しかし、これも大人の雇用保険を使うのは本末転倒です。
本当に仕事を知りたいなら、こんな展示館ではなく、実際の職場を公開するシステムを作って対応すべきで、労働していない絵空事のこんな施設では本当のことは分かりません。
大人になっては、こんな仕事がありますなんてのは、陳腐化しています。職業訓練など、実際の就職に役立つことに力を注ぐべきです。
仮に、仕事の展示が必要としても、全国に対象者がいるのに、この一施設だけで対応は出来ないし、地域不平等で、公共施設として不適切です。
趣旨から見ても、厚労省ではなく、文科省の範疇です。
厚労省の雇用保険を使って、この目的に使用することは、ナンセンスです。
赤字になってもすべきという、公園のような公共施設でも全くありません。
●厚労省の天下り施設、厚労属議員等の権益になっているのでは
現在、厚労省から天下り20人余りが、2.5億円の給料を貰っているといいます。
一人当たり、1000万円以上の高給です。
おまけに彼らは、営業的センスが全くないため、ペイさせる能力も。ペイさせる考えもありません。
労働行政になんら役に立たない、580億円も掛けた、天下り施設の何ほどでもありません。
我々の年金2000億円で作り50億円でたたき売りした、国民の一部だけが利用したグリーンピアと同じなのです。
それと看過できないのは、580億円という馬鹿げたほど巨額の建設費、これには多くの厚労属の政治家やゼネコンが関わったことでしょう。
役人には天下り、政治家には公共事業という二重の旨味があったと言えます。
「私のしごと館」は雇用保険のお金、580億円で造ったもの、つまり、事業者と労働者が払う保険料と国庫負担金の一部で出来ています。
仮に、580億円を失業給付に充てるとすると、失業等給付金を15万円/人月として約40万人の一ヶ月間の失業等給付が賄えます。
40万人の失業者が一月暮らせるお金を使って、建設には政治家やゼネコンが絡み、運営では厚労省の天下り役人が高給を取り、殿様商売のような態度で仕事をしていると言うことなのです。
●内閣は1年以内の結論に、厚労省は2年契約は存続への既成事実では
渡辺行革大臣が「私のしごと館」を廃止としているのは当然です。
雇用保険を筋違いの労働テーマパークに使い、おまけに毎年13億円の税金を赤字補填する、存続理由はありません。
しかし、厚労省の回し者に成り下がった舛添厚労大臣は、勿体ないから、民間委託して、赤字縮小して、存続するといいます。
運営を民間企業に委託するなら、公共施設の意味はありません。
いっそのこと売却すべきで、それなら大賛成です。
両者の意見の調整というより、結論の先送りをして、優柔不断の福田内閣は、1年以内=今年中に存廃の決着をつけるとしました。
なのに、厚労省は2年で民間契約したというのは、閣議決定と矛盾しています。
年内に廃止となる可能性もあるのに、再来年の9月までという1年9ヶ月も長い契約というのは、閣議決定を無視し、存続するという既成事実を作っていることに他なりません。
落札した業者は、洞爺湖サミットなどコンベンションの裏方をするということは、国の事業の請負業者とも言えます。
内々に厚労省からコングレに指名があり、コングレは受注額も相談の上、引き受けたのではないか、出来レースと見るのが妥当と思います。
天下りの役人たちをコングレは切るのか、そのまま抱えるのか、違う形で抱えるのか、どうするのでしょうか。
●不要なものは即刻廃止すべし
「私のしごと館」を民間委託しても、年間9.5億円の税金が補填されます。
民間がやっても、赤字となる施設なのです。
運営を民間施設とするなら、本来は地代を貰って、収益を国民に還元すべきものです。
10年存続すれば95億円、累積債務850兆円の国の財政では費用対効果の少ない施設は、不要です。
即刻に廃止すべきです。
原油・穀物高で景気減速し、失業者の増大が懸念されるなか、売却して失業等給付金などに充当すべきです。
●諸悪の根源を是正するため、特別会計の一般財源化と政権交代
「私のしごと館」を企てた官僚や建設に関わった政治家は責任を取らせることを忘れてはいけません。もちろんグリーンピアも。
最後に、保険料の使い方が野放図だった要因は、一つには特別会計であること、自民党長期政権で政官業の癒着構造があることです。
特別会計は原則的に廃止し一般財源化する。
そのためには癒着構造の自民党政権では困難で、野党が政権を取って行う必要があります。
政権交代は欠かせません。
2008/07/25 23:05:35
東京高検は、東京高裁の布川事件を再審請求を認める決定に対して、再審請求をすべきでないとして、最高裁に特別抗告をしました。
これまで、一審、二審と再審請求を認めた案件で特別抗告に至った例はないと言います。
高検の理由は裁判結果を覆す新たな証拠が出ていないとしいています。
東京高裁での再審開始を認める決定では、再審請求後に検察から開示された新たな証拠を検討した結果、自白には重大な疑問があり、取調官の誘導を伺わせるとまで指摘しています。
検察はこれまで隠してきた証拠が裁判時に開示されていれば、有罪ではなかったと高裁が述べているのに対して、隠してきた証拠は有罪を覆すだけのものではないと、真っ向から高裁の決定に反発しています。
<布川事件の概略>
布川事件について、簡単に記します。
1967年の老齢の大工さんの強盗殺人事件で、犯人とされた二人を見たという証言と二人の自白で、1、2審とも有罪、1978年最高裁で上告が棄却され、無期懲役が確定しました。
二人は刑に服し、1996年二人は仮出所しました。
29年間も拘束、服役されていました。
<再審請求>
日本では、再審請求が通るのは、針の糸にラクダを通すほど、難しいと言われています。
再審請求とは、裁判が確定した後で、この判決は間違っているとして、もう一度裁判を行って欲しいと裁判所に要求することです。
これまで再審が認められたのはたったの5回で、そのうち48回が無罪となりました。
何故認めないか、裁判所も国家権力、再審請求に応じると言うことは、自分たちが間違っていたことを自ら認めることで、日本の官僚制度(お上)ではあり得ないからです。
刑事訴訟法では新たな証拠が見つかったとき、証拠が偽りだったときなどです。
しかし、被告に有利な非開示資料を含めて、証拠資料はすべて検察側の掌中にあって、検察に有利なように出来ています。
捜査権のない弁護側にとって、冤罪の証明は困難を極めることも再審が認められない大きな要因です。
<冤罪の証拠>
日本の裁判では、検察の持っている証拠を全て開示しなくて良く、検察にとって有利なものだけを証拠として、裁判に利用されています。
何故、二人が冤罪であることが証明できるようになったかというと、それは未開示捜査資料が度重なる請求によって、一部が開示されたためです。
段ボール7箱?ほど、未開示の資料があると言われ、開示請求に対して、河川の氾濫で流されたというような、まるで北朝鮮のような言い訳を言っていました。
唯一の証拠である証言が二人を見たというのでしたが、その証人の母親も見ていたという証言が未開示にされていました。
乗物で移動中に見たという子どもより、母親は被害者宅を訪れ、二人を見て、冤罪となった知己の二人でなく、違う人と証言していました。
子どもの方も、冤罪の二人かどうかは不確かだと言います。
証拠の二人を見たという証言は崩れました。
自白では素手であちこち触ったなっていますが、二人の指紋は全くありません。
残された髪の毛が7本あり、5本が被害者以外という証拠しか出されていませんでしたが、新たに5本とも冤罪2人のものではないと言います。
自白では手で頸を絞めたとされていますが、検視データでは細い紐で絞められたというのが出てきました。
未開示の自白テープは、2回録音され、1回目は非開示とされ、そこには13回ほどカチャンという録音を止める音が入っており、有罪にしにくい部分は意図的に録音されなかったように思われます。
もう一人の自白テープが開示されていないのも不自然です。
開示されたのは2箱だけで、残る5箱には、もっと検察に不利な情報が入っているに違いありません。
次々と明らかになった資料で、警察取り調べの自白誘導の疑いが濃くなりました。
強盗したお金の額は自白では3回くらい変遷しています。
これでもう一つの決め手、自白も証拠としての価値が希薄となりました。
有罪とする根拠は崩れ去った今、無罪しかあり得ません。
間違った捜査による、警察・検察・裁判所が作った冤罪事件と言えます。
思い込み捜査により、無実の人を殺人者に仕立てたということになります。
<冤罪の起こる要因>
冤罪が起こりうるのは、
・自白さへ取れば有罪に出来る
・有罪に出来るまで留置所で四六時中何日も拘束・取り調べできる
・取り調べは密室で
・調書は自白の一言一句でなく取調官の作文
・証拠は検察に有利なものだけで不利なものは開示しなくて良く
・端から裁判所は弁護側より検察官の言うことを信じる
などが背景です。
証拠を出そろった段階で、連立方程式を読み解くというような合理的に検討するのではなく、捜査初期の段階でストリーを決めて、それに合わせて捜査する手法にも大きな問題があります。
これらの諸制度は、戦前の体質をそのまま引き継いでおり、先進国では希な、後進国並みとなっている、恥ずべき制度です。
<特別抗告>
今回は検察の言いなりにならず、地裁、高裁と再審すべきと決定されてきました。
冤罪を生んだ根底に、お上は間違わないという権威誇示があるのは確かです。
今また、反省無く、行政権力の誇示のため、自分たちは間違っていないと特別抗告しました。
最高裁は地裁、高裁より、権力意識が高い分、行政の判断=検察に追随する傾向があります。
検察が隠蔽した証拠から冤罪であることが高裁で明らかにされたのに対し、最高裁は検察に服従するか、司法の独立を示せるかどうか、最高裁の判断は見物です。
検察は自分たちを守るため、無実の人を殺人者に仕立て続けようとしています。
検察と同様に権力者である最高裁は、司法を守るものとして、検察の過ちを正せますでしょうか。
<裁判員制度について>
来年から裁判員制度は始まります。
検察と弁護側が問題点を整理した後、裁判員が3日で刑期も含めて重犯罪の判決を出さなければいけません。
私は裁判員制度には反対で、今の純粋培養の官僚的裁判官を社会経験豊富な弁護士出身の裁判官に改めれば、国民の目線に立った判決が行われるようになると思います。
少なくとも上記の問題点が解決されない限り、裁判員制度を開始すべきではありません。
蛇足ですが、裁判員の日当は1万円が有力だそうです。
新任の判事が年1020万円、月収で90万円、日当換算で4万円となり、同じ仕事をする裁判員は裁判官の1/4にしかなりません。
当日は判決を出すという、人の生き死にに関する大事な仕事で、裁判官と仕事は同じです。
同じように重い責任を伴うならば、同一賃金にすべきではないでしょうか。
これまで、一審、二審と再審請求を認めた案件で特別抗告に至った例はないと言います。
高検の理由は裁判結果を覆す新たな証拠が出ていないとしいています。
東京高裁での再審開始を認める決定では、再審請求後に検察から開示された新たな証拠を検討した結果、自白には重大な疑問があり、取調官の誘導を伺わせるとまで指摘しています。
検察はこれまで隠してきた証拠が裁判時に開示されていれば、有罪ではなかったと高裁が述べているのに対して、隠してきた証拠は有罪を覆すだけのものではないと、真っ向から高裁の決定に反発しています。
<布川事件の概略>
布川事件について、簡単に記します。
1967年の老齢の大工さんの強盗殺人事件で、犯人とされた二人を見たという証言と二人の自白で、1、2審とも有罪、1978年最高裁で上告が棄却され、無期懲役が確定しました。
二人は刑に服し、1996年二人は仮出所しました。
29年間も拘束、服役されていました。
<再審請求>
日本では、再審請求が通るのは、針の糸にラクダを通すほど、難しいと言われています。
再審請求とは、裁判が確定した後で、この判決は間違っているとして、もう一度裁判を行って欲しいと裁判所に要求することです。
これまで再審が認められたのはたったの5回で、そのうち48回が無罪となりました。
何故認めないか、裁判所も国家権力、再審請求に応じると言うことは、自分たちが間違っていたことを自ら認めることで、日本の官僚制度(お上)ではあり得ないからです。
刑事訴訟法では新たな証拠が見つかったとき、証拠が偽りだったときなどです。
しかし、被告に有利な非開示資料を含めて、証拠資料はすべて検察側の掌中にあって、検察に有利なように出来ています。
捜査権のない弁護側にとって、冤罪の証明は困難を極めることも再審が認められない大きな要因です。
<冤罪の証拠>
日本の裁判では、検察の持っている証拠を全て開示しなくて良く、検察にとって有利なものだけを証拠として、裁判に利用されています。
何故、二人が冤罪であることが証明できるようになったかというと、それは未開示捜査資料が度重なる請求によって、一部が開示されたためです。
段ボール7箱?ほど、未開示の資料があると言われ、開示請求に対して、河川の氾濫で流されたというような、まるで北朝鮮のような言い訳を言っていました。
唯一の証拠である証言が二人を見たというのでしたが、その証人の母親も見ていたという証言が未開示にされていました。
乗物で移動中に見たという子どもより、母親は被害者宅を訪れ、二人を見て、冤罪となった知己の二人でなく、違う人と証言していました。
子どもの方も、冤罪の二人かどうかは不確かだと言います。
証拠の二人を見たという証言は崩れました。
自白では素手であちこち触ったなっていますが、二人の指紋は全くありません。
残された髪の毛が7本あり、5本が被害者以外という証拠しか出されていませんでしたが、新たに5本とも冤罪2人のものではないと言います。
自白では手で頸を絞めたとされていますが、検視データでは細い紐で絞められたというのが出てきました。
未開示の自白テープは、2回録音され、1回目は非開示とされ、そこには13回ほどカチャンという録音を止める音が入っており、有罪にしにくい部分は意図的に録音されなかったように思われます。
もう一人の自白テープが開示されていないのも不自然です。
開示されたのは2箱だけで、残る5箱には、もっと検察に不利な情報が入っているに違いありません。
次々と明らかになった資料で、警察取り調べの自白誘導の疑いが濃くなりました。
強盗したお金の額は自白では3回くらい変遷しています。
これでもう一つの決め手、自白も証拠としての価値が希薄となりました。
有罪とする根拠は崩れ去った今、無罪しかあり得ません。
間違った捜査による、警察・検察・裁判所が作った冤罪事件と言えます。
思い込み捜査により、無実の人を殺人者に仕立てたということになります。
<冤罪の起こる要因>
冤罪が起こりうるのは、
・自白さへ取れば有罪に出来る
・有罪に出来るまで留置所で四六時中何日も拘束・取り調べできる
・取り調べは密室で
・調書は自白の一言一句でなく取調官の作文
・証拠は検察に有利なものだけで不利なものは開示しなくて良く
・端から裁判所は弁護側より検察官の言うことを信じる
などが背景です。
証拠を出そろった段階で、連立方程式を読み解くというような合理的に検討するのではなく、捜査初期の段階でストリーを決めて、それに合わせて捜査する手法にも大きな問題があります。
これらの諸制度は、戦前の体質をそのまま引き継いでおり、先進国では希な、後進国並みとなっている、恥ずべき制度です。
<特別抗告>
今回は検察の言いなりにならず、地裁、高裁と再審すべきと決定されてきました。
冤罪を生んだ根底に、お上は間違わないという権威誇示があるのは確かです。
今また、反省無く、行政権力の誇示のため、自分たちは間違っていないと特別抗告しました。
最高裁は地裁、高裁より、権力意識が高い分、行政の判断=検察に追随する傾向があります。
検察が隠蔽した証拠から冤罪であることが高裁で明らかにされたのに対し、最高裁は検察に服従するか、司法の独立を示せるかどうか、最高裁の判断は見物です。
検察は自分たちを守るため、無実の人を殺人者に仕立て続けようとしています。
検察と同様に権力者である最高裁は、司法を守るものとして、検察の過ちを正せますでしょうか。
<裁判員制度について>
来年から裁判員制度は始まります。
検察と弁護側が問題点を整理した後、裁判員が3日で刑期も含めて重犯罪の判決を出さなければいけません。
私は裁判員制度には反対で、今の純粋培養の官僚的裁判官を社会経験豊富な弁護士出身の裁判官に改めれば、国民の目線に立った判決が行われるようになると思います。
少なくとも上記の問題点が解決されない限り、裁判員制度を開始すべきではありません。
蛇足ですが、裁判員の日当は1万円が有力だそうです。
新任の判事が年1020万円、月収で90万円、日当換算で4万円となり、同じ仕事をする裁判員は裁判官の1/4にしかなりません。
当日は判決を出すという、人の生き死にに関する大事な仕事で、裁判官と仕事は同じです。
同じように重い責任を伴うならば、同一賃金にすべきではないでしょうか。
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